<   2006年 09月 ( 22 )   > この月の画像一覧


2006年 09月 30日

運動会の朝です

c0042704_8445648.jpg

おにぎりは海苔を別添えしろと。
あったかいほうじ茶と冷たい麦茶と両方作れと。
りんごの色止めに、塩水はおいしくないからレモンを搾ってすりこめと。
グルメな子供たちよ。

ゆうべ4合炊いて今朝9合炊いた。
この写真はワタシと小学生二人の分だけ。
お父さんと長男の分は、二人分でこれと同じくらい。もう持たせました。
コメが湯水のようになくなっていく……

by apakaba | 2006-09-30 08:44 | 食べたり飲んだり | Comments(10)
2006年 09月 29日

赤トンボ捕れる?

トンボという虫が好きで、私はトンボ捕りの名手なのです。
もちろん、虫捕り網を振り回してつかまえるなんて野蛮なやり方じゃなくて、指で円を描いて目を回させる方法ね。
子供が小さかったころは、よくつかまえて、子供たちの尊敬を集めていました(うちのおとーさんはそういうことやらないので)。
最初は大きくゆっくり指を回し、トンボの頭が動いてきて、羽がへたっと下向きになったらだんだん小さく速く回して、トンボが目をこすってぐったりしたら空いている方の手で、羽をこわさないように(でも迷いなく)スッとやさしく。

飛行機の形。
セロファンみたいな、透きとおるはかない羽。
とってもきれいでしょう。

でも赤トンボをつかまえたことがない。
高いところを飛んでいるし、他のトンボより、機敏で用心深いように思います。
唐辛子の色のボディに、触ってみたいなー。

きのうの朝、犬の散歩をしているときに、「つかまえてみよう!」と思い立ち、川沿いの遊歩道でしばし一人で挑戦していました。
川面の上に赤トンボが群れなして飛んでいるのを、毎朝見ているからです。
コーシローは川の柵につないでおいたら、おとなしく座って私の様子を見ていました。
「おかーさん、なにをしているの。」
と不思議そう。

羽が手に触れるところまで何度もいったのに、ぱっと捉えようとした瞬間に飛び立ってしまう。
もしかしたら、私のウデが落ちたのかも!
子供が大きくなってからは、もう何年も捕っていなかったから。
今日も挑戦してみよう。この秋のうちに、1匹でもとらえたい!
捕まえられたら携帯で写真を撮ります!

by apakaba | 2006-09-29 09:24 | 生活の話題 | Comments(21)
2006年 09月 28日

あだまがいだいっでばよ!

「アタマ痛いヤツだな……」とかじゃなくって、ほんとの頭痛ね。
ここ何日か、同じところ(後頭部)が痛いよ。
痛くないときもある、波があるのです。
だいたいは我慢してのろのろ動いているけど、きのうは外出しなければならなかったのでバファリンを飲んだ。
半日は元気になったが、夕方ごろ、クスリが切れたなというころにはまた痛みが復活。
あまり痛み止めに頼りたくないんだけど。
生理痛のときもよほど切羽詰まった事情がなければ飲まないもんねえ。

眠って治るって感じでもないな、昼寝したり朝起きたときからすでに痛いから。(寝て起きてやっぱり痛いと、すごく損した気分。)

夫は「泳げ!」という。
身体を動かせとな。でも頭痛いのに泳ぐなんてやだよー。
たしかに最近あまり泳いでないけど、散歩は毎朝夕、けっこう長時間行っているし、座り仕事もフルタイム勤務の人に較べたら半分以下だろうし、パソコンは長時間つづけては見ずに、一日のうちに細かく時間を切って見ている。
だからそんなにヒドイ条件下で暮らしているとも思えない。

頭痛って不思議だ。
痛みに直接さわれない(さすったり、薬を塗ったり)というか、たいていは原因もはっきりせずじまいだし、一番もどかしい痛み。
人間以外に頭痛と腰痛はない、というけど、とっても高等な痛みのような気がする。

高校生のころ、頭痛持ちだった。
しばしば、頭が痛くてどんよりしていた。
あれはなんだったのかな。
それからずっと治っていたのに、ここのところ復活中。
高校生のころはやらなければならないことが少なかったけど、いまはねえ。そうゴロゴロもしていられないからねえ。

今朝も頭痛と共に起きた。
あ〜あどうやったら治るのかな?

by apakaba | 2006-09-28 10:30 | 健康・病気 | Comments(14)
2006年 09月 26日

1990年の春休み.41 ふたたびのインド篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンからインドのデリーまで戻ってきた私たち。つてを頼りに、タダで泊まれると信じていたホテルでは言葉が通じず、部屋は与えられなかった。

2月20日(つづき)
 とにかく腹ごしらえをしながら、宿の検討をしよう、と食堂に入り、トーストとオムレツとチャイの「決定版おなかにやさしい3点セット」を食べる。
 まだ5時だというのに、食堂はもう店を開けている。ムスリムの街は、早朝のお祈りに間に合うように、早起きなのだ。
 トーストに添えられているバターは、たいていいつでも不自然に黄色い。着色してあるのかなあ、でもなんのために、といつも疑問に思いながら使っている。
 オムレツは私好みの生寸前のふわふわトロトロの焼き方、では全然なくて、フライパン一面に流した卵をよく焼いて、半分に畳んで半月形にしてあるのが多い。まあこれはこれで悪くない。このときもそういうオムレツを食べながら、ガイドブックを開いてメインバザール(*1)の安宿を調べた。
 あーあカッタルイなあもう。

 *1・・・ニューデリー駅前の庶民的なバザールで、バックパッカーはここの安宿に集中して泊まる。


 メインバザールでは、早朝ということもあってかガイドブックに載っているような有名な安宿は満室ばかりで、結局、聞いたこともない宿に入ることとなった。整形前のマイケル・ジャクソンに似た、脚の妙に長い若者が野次馬の中から進み出て、ホテルダルパンというこの宿に案内してくれたのである。無名ではあるがマスターが物静かで信頼できそうな人だったのでここに決めた。

 私たちが旅で体得した、人の善悪の見分け方は、「悪い奴はワルそうな顔だし、いい人はいい人そうな顔をしている」という単純無比なものであった。馬鹿にしてはいかんよ。日本人だとそう簡単にはいかないが、インド人にはこの大原則がとっても当てはまるのである。彼らのほうが性根が顔に出やすいのかな?とすると彼らのほうが結局は正直者なのかも?
 とにかく、モーローとした頭でパキスタンルピーの決算をして(*2)、素早く寝てしまった。枕元の窓が全開でどうやっても閉まらず(何故ならボロ宿だから)、頭がすーすー寒いのだが、そんなことはものともせずに眠りこけた。

*2・・・私たちは毎日お小遣い帳をつけていた。前日パキスタンを出国したので、ここで決算をしている。後述の銀行行きは、トラベラーズチェックをインドルピーに替えるため。

 昼ごろ起きて、のたのたとバンクに行く。
 コンノートプレイス(銀行や高級店舗が建ち並ぶ新市街)までの道のりを歩きつつ、インドはあったかいなあとしみじみ思った。日本でなら5月ごろのような感じの、ちょうど気持ちいい季節である。実際には排気ガスと牛の糞だらけのキッタナイ道のりだけれど、やっぱりパキスタンよりあったかくて気持ちいい。

 バンクで両替をし、腹ペコなのでWINPYへ。コンノートで人気のあるハンバーガーショップだ。バンコクの安宿街のカオサンロードみたいに白人だらけだった。
 1月に来たときには少しも見かけなかった日本人旅行者もいた。
 そろそろ大学生の春休みの旅行シーズンに入っているのだが、女の子が5人ほど固まって座っていて、なんだかその様にはものすごい違和感がある。インドに日本人の女の子の集団はぜんぜん似つかわしくないぞ。なにが楽しくてインドなんか来るんだろうか。自分も来ているのに、ああして傍観するとそう思ってしまう。

 旅の行き先の選び方によって、その人を判断するということができるのかな。
 行き先の後ろに人間性が見えるような気もするし、それがとんだマチガイのときもある。インドに行ったからその人がいい人、とも限らないし、女の子は男勝りとか変わりもんとかいうわけでもないいだろう。でもなんとなく……、女の子でインドというのは、周囲からのコメントが多くなるような気がするなあ。

 日本人同士が出くわすと妙に牽制してしまう。挨拶するのも知らんぷりするのも変というような。あのそらぞらしさといったらない。

 WINPYのポテトには胸焼けしてしまった。それなのに食い合わせを無視してアイスクリームをNirula(ニルラ)という店で食べた。
 インド人の男性で、トリプルサイズにバナナと生クリームの乗っかった、巨大なサンデーのようなものを食べている人がやけに目につく。すごい。甘いか辛いかどっちか、が好きなのだろうか、インド人は。

by apakaba | 2006-09-26 18:11 | 1990年の春休み | Comments(4)
2006年 09月 25日

誕生日

今日、私の誕生日です。

今夜は家族がそろわないので、ゆうべ、誕生会をした。

c0042704_115244.jpg


「アキタコマチ」の作ったハンバーグきのこソース。
何日か前から、「おかーさん、誕生日はオレが料理を作るからね。これを作るからね。」と言われていた。
「アキタコマチ」の誕生日に、兄の「ササニシキ」が贈った料理本に載っていたレシピ(「こんな日曜日」という記事中に書きました)。

c0042704_11571825.jpg


デザートも「アキタコマチ」が作ったレアチーズケーキ。
ドライクランベリーが敷いてある。

子供たちがハッピーバースデイを唄って踊って、お小遣いで買っておいたプレゼントを順番にくれる。
その子なりに一生懸命考えたプレゼントを、出すのがうれしくてたまらないみたいで、もらうほうより渡すほうが異様に盛り上がって、ヨッパライのようにうひひひっと喜んでいる。

お祝いの会をいつまでやってくれるのかなあと思う。
うちの家族は5人中4人が秋生まれ、パーティーラッシュだ。
毎年、こんな感じでとてもにぎやか。
うちの家族の誕生日には、私と夫はただボケボケ眺めているだけなのだが、子供たちが張り切って、合唱したり楽器を演奏したり、手品や人形劇をしたりもする。

1年前の今日の日記に、「死を考える年齢」というのを書いた。
私も、とうとう自分が鬼門の年になった。
39歳の女は、連れ合いに突然、先立たれてしまう年齢だ。
今の自分を眺めてみて、「若いな」と思う。
ふだん、よくいろんなところに「おばさんだからさー」とか書いているけれど、客観的に見て、ほとんど40歳という年齢には見えない(と思うのだがどうでしょう……)。
幸せだからなんだろうな。
嫌なこととか苦しいことがたくさんあるけど、なんだかんだいってもこんなに若い感じの馬鹿面でいられるのは、幸せだからだと思う。

母の誕生日を、私と姉が、いまの私の家のように祝ってあげたという記憶が、ぜんぜんない。
自分の母親の誕生日のことを、ひとつも思い出せないということにふと気づき、愕然とする。

私や姉が大きくなってきて、
「誕生日、外で友だちとごはん食べてきたい。」
と言っても、母は
「誕生日は家族でお祝いするの。夜は帰ってきなさい。」
と言って許してくれなかった。
私や姉は、思春期からはむしろ不機嫌な気分で誕生日のテーブルについていたような覚えがある。
それはそれとして、では、母の誕生日には娘たちはなにをしていたんだろう?
お小遣いでプレゼントを渡したことなど、ないような気がするんだけど?
(まあ、そのお返しというわけでもないけど、今はうちの誕生会に呼んでいっしょに盛り上がってもらっています。)

いつかうちの家族がバラバラになっていっても、私は自分の誕生日を子供たちににぎやかに祝ってもらったことを、絶対に忘れない。
子供たちも、毎年飽きもせずあれだけ盛り上がっているんだから、忘れないと思う。

by apakaba | 2006-09-25 12:40 | 生活の話題 | Comments(15)
2006年 09月 24日

マイマグ、マイボトルで出かけよう

c0042704_23225963.jpg


右:スタバに行くとき、持っていきます。二代目。
左:スイスのメーカー、SIGG(シグ)の水筒。色がきれいでしょ。

ペットボトルや紙コップの大量消費をやめたいの。

by apakaba | 2006-09-24 23:26 | 生活の話題 | Comments(11)
2006年 09月 23日

散歩は飽きません。

c0042704_15173585.jpg


毎日、犬と散歩しているのはこんなところです。
神田川沿いの遊歩道を、どこまでもどこまでも……さしてきれいな川でもないけど、鯉、ヘビ、カモ、白鷺、セキレイや四十雀などのいろんな小鳥もたくさん飛んでくる、生き物の影の濃い川です。
夕方の散歩では、コウモリが100匹くらい飛んでいるのをいつも見ます。
音もなく舞い飛んでいるコウモリを見ていると、バリのゴア・ラワ寺院やネパールのマヘンドラ・グッファという、コウモリの群生で有名な観光地を思い出します。
バリにもネパールにも、また行きたいな。
夕暮れのコウモリの大群舞には、旅心を誘われます。
でもコウモリの洞窟はもういいや。
毎日こんなにいっぱいのコウモリを、家の近所で見てるんだもん。


c0042704_15295763.jpg


近所のスタバまで歩こう。
もちろんマイマグ持参、ゴミを減らしましょう。
でもスタバに柴犬は、あんまり似合わないわね。
スタバではいつでもバカのひとつ覚え、ホットのショートラテです。
ここは学生街なので、午前中は、登校していく学生さんたちがありの行列のようにつながって歩いていきます。
若い子たちに混じって歩いていると、とっても年を感じる。
でも若い子は惜しみなく「かわいー、かわいー」と犬に褒め言葉をかけてすれちがっていきます。


c0042704_15361420.jpg


10日前に持ち主は消えたという話を書きました。
そこを通ると、またちょっぴり荷物の配置が変わっていて、ああ、なぜか使いかけの黒糖が。
単行本が消えて黒糖になっていました。

by apakaba | 2006-09-23 15:43 | 生活の話題 | Comments(14)
2006年 09月 22日

市川次郎ご本人に見つかってしまったので……

今日のブログはインド旅行記にして、もう書いてしまったのに、もう1本書かねばならない。
9月15日分に、市川次郎を知っていますか?という話を書いたら、ご本人がコメントを寄せてくれた。
わーすごい。
私ってここに誰かのことを書くとすぐ見つかっちゃうのよね。
そんなわけで、ちゃんと応援せざるをえないわ。

詳細は9月15日の記事と、次郎さんからの案内を読んでくれればわかると思うが、新宿放送局内で映像が見られるのでクリックしてね。
それで、勝ち抜き戦に投票してあげてください。

しかし学生時代の友だちが急に現れるのは恥ずかしいなあ。

by apakaba | 2006-09-22 21:04 | 思い出話 | Comments(20)
2006年 09月 22日

1990年の春休み.40 ふたたびのインド篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンからインドのアムリトサルまで戻ってきた。くだっているお腹を抱え、そのままデリー行き夜行バスに乗る。

2月20日(火)晴
 ほんの数十分しか眠れず、まいったなあと思いつつデリーに着いた。
 思いがけないほど巨大なバスターミナルに着いたので、日本のようだと思った。
 我々はウルドゥー語の書かれたメモ一枚を握りしめて、ナシーム・ゲストハウスへとリキシャで向かった。
 「デリーに行ったら、ボクの知り合いのおじさんがオーナーをやってるホテルに行くといいヨ。きっとタダで泊めてもらえるから。おじさんは英語もヒンディー語もしゃべれないから、ボクがウルドゥー語(パキスタンの公用語)で紹介を書いてあげるネ。」
 と、きのうの別れぎわにセリームが赤いインクのペンでうにゅうにゅと書き付けてくれた大事なメモなのである。
 私たちは「タダで泊めてもらえる」というその一言だけに惹かれてリキシャに飛び乗ったのだった。

 リキシャマンは宿の場所を知らなかったので、メモの住所にあるオールドデリーのジャマー・マスジッドモスクのすぐそばに降ろしてもらった。
 このモスクはインド最大、どころではなく、東洋一の大きさだそうだ。夜明け前の闇に赤茶色のモスクが浮かび上がって見える。
 それにしても、ラホールでのだらけた生活を打ち切り、とうとうふたりっきりのインドよ!と意気込んで入ってきたのにいきなりモスクに迎えられてしまうとは。なかなかイスラム世界から抜け出せない*1。

*1・・・インドには人口の11%のイスラム教徒が住んでいる。パキスタン人の紹介ならイスラム教徒の居住区に宿があっても当たり前だが、心機一転を図る私たちにはちょっと出鼻をくじかれる思いであった。


 目指すナシーム・ゲストハウスは意外に見つけるのに苦労した。
 早朝なので尋ねられる通行人もなく、非常に困った。結局はじめに見当をつけた道沿いにあったのだが、看板がすごく小さくて目立たなさすぎるので、見落としていたのである。
 しかしよかったよかったと喜ぶのも束の間、呼び鈴が信じられないほど高い位置にあって、ジャンプしてもまるで届かないではないか。そりゃ私たちは背の小さいほうだけど、いくらなんでも高すぎる。
 入り口は固く閉ざされている。途方にくれていると、運よく背の高いやせたじいちゃんが通りの奥の闇から歩いてきたので、私たちは「早く!早く(日本語)!」と必死で手招きした。
 じいちゃんはなんのことかわからないままに私たちの勢いに圧倒されて呼び寄せられ、「押して押して(日本語)!」と口々に私たちがせかすとうんと背伸びして呼び鈴を押してくれた。私たちが狂喜するとじいちゃんは表彰された子供のようにうれしそうにはにかみながら笑った。

 ベルをならしてからややあって入り口を開けてくれたのは、眠っていました、という顔のボーイだった。ドアの向こうはすぐに狭くて急な階段になっていて、登り切ったところにフロントがあり、そこにまた一人毛布にくるまったボーイがいた。私たちは起こしてしまった非礼を詫び、それでもここまで来れば……という安堵の笑顔を浮かべつつセリームのメモをぴらりと取り出した。
 ハードな夜行バスと宿探しで疲れ切った身体を早く横たえたい、“タダの”お部屋でネ!もはや私たちはつくり笑顔ではなく本当に口もとから笑っていた。

 ところがなのだ。思いもよらなかったことに、ボーイの二人はまったくウルドゥーが読めず、英語も話せず、極めつきにセリームの知り合いのオーナーは留守であったのだ。
 なんちゅうホテルなの、これでもフロントといえるのか?毛布にくるまっていたほうは、面倒はたくさんとばかりに再び眠りに入ってしまった。おい寝るな、寝るのはこっちのはずだぞ!
 最初に出てきたほうの人のよさそうなボーイは、私たちの英語とヒンディー語を交えた訴えも発音が悪いのか理解できなくて、困り果てている。
 私たちは泣きたくなってしまった。
 メモ一枚を頼りにして、ここまでやって来たというのに。
 まあ、ガタガタ言ってもこのボーイにはなにもできない。
 「しょうがないよ、メインバザールに戻ろう。」
 「悲しいなあそれ。せっかくタダで泊まれると思ったのに……。」
 意思の疎通ができずもどかしそうなボーイに力なく別れを告げ、階段を下りた。

by apakaba | 2006-09-22 18:19 | 1990年の春休み | Comments(4)
2006年 09月 21日

「ピカソとモディリアーニの時代」——色彩の競演の果てに

久しぶりにBunkamuraザ・ミュージアムでアタリの美術展を見た。
リール近代美術館所蔵の作品展(特集ページはこちら)である。
展覧会全体の印象は、やや解説過剰気味とはいえ、見応え十分の作品をよく集めてきたという感じ。
とくにキュビスム展示のボリュームはたっぷりだが、私は見たそばから忘れてしまう。
むしろ、山のようなキュビスム作品のあとにたった一点だけ展示されていた、ユトリロのパリの風景には足が止まり目が吸い寄せられた。
パリの小路を奥へ奥へといざなう極端な遠近法ばかりが理由ではないと思った。
ユトリロのパリの絵には、いつも胸を締め付けられる。
綺麗でもおしゃれでもなく、でも100年変わらない街角を、実によくうつしている。

ブース別では、モディリアーニの一連のコレクションがもっとも瞠目に値すると思う。
画家の内面のうつろいを強く感じさせる作品がそろっていた。
写真では色が沈んでしまうけれど、『母と子』における、二人の人物の顔に乗せた、絵の具の翳りない輝きにはしばし目がとまった。

しかし、私にとって今回の展示でなによりも強烈な印象を残したのは、ビュフェであった。
偶然、先日「ビュフェ美術館にて」という記事を書いたばかりだが、あの中で私ははからずもこう書いた。

「アナベルに出会うまで、彼の作風は暗く、色彩がとぼしく、出口の見えないような陰鬱さがあった。
彼女が生涯のミューズとなって、彼の絵に明るい色彩と人生を肯定するような画風があらわれた。」

まさにこの記述の前半部分にあるとおりの、暗く救いようのない世界観を写しとった、かなり大きな作品が並んでいた。
これが見ていてキツかった、やばかった、ピンチだった。

と、いきなり崩れたレビューになってしまうのだが、平常心でいられない絵……決して家に飾りたいとは思えない、眺めるのがつらくなる絵だ。
裸体の人間の群像が描かれていて、その顔はどう見てもおじさん。
粗暴さを漂わす額の深い皺、飛び出しぎみの魚のような目(大きく見開いているがなにも映さないかのよう)、中途半端にきたならしく伸びたオールバックの髪。見たくもないような中年の男の顔だ。
それなのに、ああ、身体はおばさんなのである。
豊満と呼ぶべきか迷うような垂れた胸、ウエストなど存在しないゆるんだ腹部。
一瞬、吐き気を覚えた。
顔がおじさん、身体がおばさん!
それも、目を背けたくなるほど、醜悪な。
身体も顔も、すでに死んで腐臭を放っていると見えるような灰色だ。
見てはいけないものを間違えてのぞき見てしまったような感覚だった。

ビュフェが描きたかったことは、なに?
あの絵を見て、綺麗だと感じる人はいないだろうし、心が晴れる人も絶対にいないだろう。
表現したかったことは、なに?
もちろん、ビュフェについて不勉強で知識のない私には結論づけることはできない。
ただ、この絵を見た人が「ううっ」とくることは確実だ。
人の心にのしかかり、強い印象を残す——それがこの絵のレーゾンデートルに、十分なり得ている、とは思う。

クレーやカンディンスキーのうっとりする色彩を楽しんだ後の最後にこの重い絵を持ってくるのは、時代順に並んでいるとはいえ、なにか意地の悪いレトリックさえ感じる展示だ。

会期10月22日まで。
おじさんとおばさんの合体を、見てきてください。

by apakaba | 2006-09-21 19:25 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(9)