あぱかば・ブログ篇

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2006年 11月 30日

川のそばの夫婦

久しぶりに、あの二人連れを見かけた。
夏と着ているものがちがうので、はじめはそれと気づかなかったが、二人の醸し出す雰囲気を、追い抜きざまにふっと、たしかに、感じた。

夏の間、夕暮れどきに犬の散歩に出ると、川沿いの遊歩道でたまに行き会った。
40代後半か50代前半くらいの夫婦だろう。
旦那さんは、外見はごく普通で、やさしそうな男性だ。
奥さんは中年の女性にしては贅肉もなく、昔は美人だったというような風情である。
しかし、この奥さんが、どことなく、……心を病んでいる人のように感じられた。
夏の盛り、旦那さんの服装はたいていTシャツに短パン。
奥さんはこの上なく野暮ったい柄物のワンピース。
二人はゆっくりと、仲よく並んで歩いているように見えるが、よく見るといつでも奥さんのほうが先を歩いている。
奥さんの足取りは、風にゆらいでいるようにわずかにふらついていて、連れがいることなど忘れているかに見える様子だった。歩いていることがちっとも楽しくなさそうだった。
旦那さんは奥さんの歩調を気遣い、奥さんのそばにいるようにさりげなく近寄っていて、頃合いを見て、持参している食パンの耳を渡す。

奥さんと旦那さんは、浅い川に向かって、並んでパンくずを投げはじめる。
鯉やカモが、川面を蹴立てて寄ってくる。
奥さんはアンダースローで、また次はふりかぶって、機械のような一定の間隔でどんどんパンを川へ放っていく。
その様がまったく楽しそうではない。
奥さんの目は、水を湛えているように、彼女の眼下の川面のように無表情だ。
無数のしわに縁取られた大きな目が、なにも映していない。
にぎやかなのは川の生き物たちだけで、奥さんは、旦那さんに話しかけられて初めて一言二言言葉を交わし、またゆらゆらと歩き出す。
少し歩いては、またパンを投げる。
パンは弧を描いて落ちていき、傾いてきた陽に二人が照らされる。

あの、生き物にパンをやるという行為が、なにかを損なっているらしい奥さんの、回復へのメソッドなのかな……勝手に想像した。
それとも、夫婦二人で歩くことが、とか。
旦那さんがいつもさりげなく寄り添っていて、さりげなくパンを手渡してあげていることもみんな含めて。

今日見かけた二人は、夏の軽装と変わって、二人とも黒い革の上着だった。
奥さんは黒いブーツを履いていて、旦那さんはウールの帽子をかぶっていて、二人とも夏に較べておしゃれに見えた。
夕暮れどきではなくて朝の明るい光の中だったし、服装の変化もあったので、パンを取り出すまで気が付かなかったのだ。
でも、やっぱり、様子は夏と同じだった。
奥さんの大きな目にはなにも映っていなかった。

ゆっくりゆっくり進む二人を追い越し、犬を連れて遠ざかりながら、私は胸が痛くなった。
奥さんの姿を未来の自分、旦那さんを自分の夫になぞらえていた。
私が、心のなにかを損なってしまったら、もしくは心になにかを抱え込んでしまったら、夫はあの人のように私に寄り添って、パンを渡してくれるだろうか。
私の歩調に合わせて、糸の切れたたこのように漂う私に、さりげなく寄り添ってくれるだろうか。
そんなことを想像しただけで泣きそうになった。
もしも逆になっても、もしも夫の目がなにも映さなくなっても、私は今と変わらずに彼を尊敬し、愛していくだろう、とも考えて、その考えにいくら「本当か?」と自問を加えてみても心が動かないことを確認すると、またなぜか泣きそうになった。

by apakaba | 2006-11-30 23:23 | 生活の話題 | Comments(11)
2006年 11月 29日

サイモン&ガーファンクルで思い出すことなど

今日の運転のお供は、サイモン&ガーファンクルのベストアルバム「The Collection」。
なぜ久しぶりにS&Gかというと、偶然S&Gを思い出すことが重なったから。

一つめのきっかけ……先日、テレビで、緒川たまきがサイモン&ガーファンクルの音楽の軌跡をたどるという番組をやっていた。
とくに『明日に架ける橋』に焦点を当て、ゴスペルの影響を強く受けて作られたと紹介されていた。
『明日に架ける橋』は世界中で愛され、遠く南アフリカでも人気です……とあったが、ヨハネスブルグの街角でインタビューすると、人々はとくにS&Gの曲として認識しているわけでもなく、
「あ、これアレサ・フランクリンの持ち歌だわ。ええ、これはアレサ・フランクリンの歌よ。」
と言い切る若い女性もいて、ややずっこけた。
たしかにアレサ・フランクリンver.もすてきだけどね。

もう一つは、メール配信されてくるカフェグローブというサイト内の記事。
惰性で配信を受け取っているけどファッションとかメイク関連をちょっと読んでいる。
セックスライターのタビサ・フライトという人の連載で、「ロビンソン夫人に、乾杯!」という新着記事があった。
年下の男の魅力を見直そう!という回の冒頭とシメに、映画『卒業』のロビンソン夫人がモチーフとして出ていた。

私はこの映画を、今考えるとひどくおかしな状況下で観た。
中学時代、年に一度、映画鑑賞会という催しがあり、私は中2か中3のころに全校生徒で体育館に並んで、『卒業』を観たのだった。
若いダスティン・ホフマンがロビンソン夫人の手中に堕ちていく様子を、学友や、大ッ嫌いだった学校の先生たちに取り囲まれながら鑑賞した。
裸で横向きになったダスティン・ホフマンのキスシーンで、隣の友だちに
「すごいなで肩!」
とささやいて、二人でくすくす笑った。

クルマの中でS&Gをかけ、“そうそう。私はすごいなで肩!って言ったんだ。ヘンな中学だったな……あんな映画を学校で観るなんて……”ととりとめなく考えていた。

S&Gは、うんと小さいころから耳に親しい音楽だった。
7歳上の姉がいるので、幼稚園児のころからすでにキッスやクイーンやボストンやクラプトンやイーグルスやツェッペリンも耳に親しかった。
S&Gは“お姉さんにしてはマトモで聴きやすい音楽ね”と思っていた。
7歳くらいで、もう「らいくあぶりーっじ、おーう゛ぁーとらぶるどうぉーたー、あいうぃるれいみーだーぅん」と唄えた。
感激屋の姉がその部分を訳して、「はぁ、すてきぃぃっ」と感に堪えないといった表情をしたのも覚えている。

小さい子供は年上に憧れ、無条件に崇拝してしまうものだ。
私にとってのカッコイイ世代は、ずばり姉の世代だ。
自分がうんと幼かったころから、毎日英語の歌詞をばりばり聴かされ(聴かされたというかただ漏れ聞こえてくるだけだが……せまい家だったので)、ついでに蘊蓄も聞かされ、やっと自分が積極的に音楽を聴くようになった年頃、あの、中学生高校生だった姉が夢中で聴いていたカッコイイ音楽たちが消え失せ、骨の抜けたような(としか聞こえない)音楽がヒットしていることを憂えた。

S&Gは遠い過去へ引き戻す音楽のひとつだ。
せいいっぱい背伸びしていた姉を見て、さらにはるかにせいいっぱい背伸びしていた幼かった時代へ。

by apakaba | 2006-11-29 16:57 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(18)
2006年 11月 28日

「アキタコマチ」の行く末を案じたり

先週の土曜日、「アキタコマチ」はご近所のパパに連れられて半日外出していた。
TBSラジオ主催の、海の環境を考える親子向けセミナーだという。
そこの家の親子で行くはずだったのが、子供の都合がつかなくなったため、急遽、うちの子供と「親子」ということにして参加したのだ。

あの子って、ほんとに屈託のない子供だなーと感心してしまう。
自分の子供時代を考えても、近所のお父さん(とかお母さん)と最初から最後まで二人だけで出かけるなんて決してしなかったと思う。
第一、そんなに大人になついていなかった。
でもあの子はいくらでもそれをやる。
私も平気で送り出す。
大人に対して目端が利いて、立ち回りのうまさももちろんあるけれど、やっぱり大人にかわいがられる、なにか天性のものを持っているように見える。

まあ、私もここに引っ越してきてから、気の合う友だちもたくさんできて、安心して子供を往き来させられるようになったというのもあるだろう。
思えばそのパパとも、小さいころから家族でよく遊んでいた。
彼の奥さん(私の飲み友だち)と、お互いの子供たちを連れて映画に行こうと約束していたのに、彼女が二日酔いで出てこられず、代わりにその旦那さんとふたりで、子供5人を引き連れて映画に出かけた。
電車の中や道行く人の視線が『この夫婦、5人の子持ちか!』と物語っていたことよ。

短期水泳教室にお互いの下の子を入れて、入室していない上の子たちが自由遊泳コースで泳ぎたいという付き添いに、そのパパといっしょに入ってやったこともあったな。
奥さんは
「あたしは絶対に水着になりたくなーい!眞紀ちゃんどーぞ!」
って、よそのおうちの旦那さんの前で水着になるのは知らない人の前で水着になるよりなんとなく気恥ずかしいものなのよ。

——などというのはどうでもいいことだけど、とにかくうちがそういう雰囲気で、他のいくつかの家庭の大人とも、泊まりに行ったりいっしょにごはんを食べたりという親しいつきあいをしてきたから、自然と社交的になっていったのかもしれない。

いや、待てよ、子供3人とも同じように連れ歩いてきたのに、ひとり真ん中だけが、飛び抜けてずば抜けて社交的なのはどうしてだろう?

この家に越してくる前に住んでいたところで、長男「ササニシキ」が小学校1年生だったころ、いじめられていたことがあった。
(そのときの話を「ササニシキ」が受けていたいじめの話として書いてあります)
子供と接していくとき、あの経験を思い出すことがある。たとえば、
「アキタコマチ」が他人の大人になれなれしくするのは、家庭での愛情が足りないからか?
だからよその人からの愛を受けようとするのか?
——いや、そんなはずはない。彼の話にはいつも正面に向き合って聞いているし、いろいろなことを教えてやっているし教わってもいる。
とか、そんなふうに。

自問自答。自問自答。
子供と接していくのに、答えは出ない。
子供を“育てる”という意識は、もう私にはなくなった。
育てるという言葉は、赤ん坊をひざに抱いて食べ物を口に運んでやっていたころのことに思える。
子供はもう、強くなっている。
今では、子供と接する・相対するという意識だ。
今日『子供部屋』のコーナーにアップした「アキタコマチ」の小説を、私は、説明不足の感があり、読み手が混乱しやすいと言った。
彼が本気で「いい」と思って出してきたものについては、本気で批評する。
悔しそうに私の批評を聞いていたが、寝る支度をさっとすませて、小説用のノートをつかんで自分の部屋に引き上げた。
明日には書き直してくるのだろう。
やさしくて気が回る「アキタコマチ」には、さらに強くなってほしい。

by apakaba | 2006-11-28 22:42 | 子供 | Comments(8)
2006年 11月 27日

新しいカタカナ言葉、どうでしょう

使っているか否かっていうだけのことなんだけど。
“私の親が使っていて、私はもう使わない言葉”というのは、まあ当然、ありますね。
私の母は、たとえば、普通の長方形のタオルのことを「手ぬぐい」、バスタオルのことを「湯上がりタオル」、Tシャツのことを「丸首シャツ」と言っていた。
私も小さいころは当たり前のこととしてそう呼んでいたが、徐々に「これはもうアウトでは?」と思い始め、自ら「タオル」「バスタオル」「Tシャツ」と言い直すように心がけ、ついに手ぬぐいや湯上がりタオルが私の語彙から消えた。
そういう言葉って、どの世代のだれにでもあるように思う。
意識して、「これはもう新しい言い方に替えた方がいいような……」と思う言葉。
日本人がジーパンをジーンズと言いかえ始めたのはいつからなのか。
台所をキッチンと言い始めたのはいつからなのか。
とっくりのセーターはタートルネックに、えもんかけはハンガーに、つっかけはサンダルに、乳母車はバギーに、さらにベビーカーに。

でも、自分では“とてもそんなカタカナ言葉、言えません。照れちゃって。”という言葉もたくさんある。
※以下、完全に私的な観点で書くので、きっと反発もあると思うけれどとりあえず羅列するので我慢してください。
私の場合、台所をキッチン、居間をリビングというのにはとっても抵抗感がある。
トイレもお手洗いと言いたいところだがあまりにもトイレとみんなが言うのでそれは合わせているが。

ハナレグミの歌で“キッチンにはハイライトとウィスキーグラス……(家族の風景)”という歌詞があるが、あれの一語め「キッチン」がいけない。
せっかくいい歌だと認定したいのにしょっぱなから白けてしまうのよ。

あと、“カフェ”がどうもいけない。
カフェという言葉の登場によって、喫茶店という言葉はすでにコーヒー一杯500円くらいして、いつでも煙草の煙が充満していて、銀のお盆を持った蝶ネクタイのウエイター(当然おじさん)が座布団みたいなトーストを運んでいるようなお店へと特権化(昇格、というか)したようにも感じるのだが、とりあえず若いモンにとって喫茶店は死語らしく、カフェと発音することになんのてらいもないようだ。
世代の差ってスゴイ。
私はコーヒーショップという語感も好きだが、こちらはさらに死語っぽいな。

で、最近もっともいけないのが“スイーツ”という言葉で、これがいかんともしがたい。
どうしてそんな言葉が日本に上陸して、市民権を得るようになったんだ?
さっぱりワカラン。
だって、だって、恥ずかしくないか?スイーツだなんて!?
舌噛んじゃいそうだよッ!
キミたち、どうして照れずに言えるのっ?!
じゃあ私や私の家族はソレをなんと言っているか思い返してみると、
「甘いもの」
「おやつ」
「おかし」
「デザートもの」
「つなぎ」
「間食になるモン」
……とかなんだとか。

ま、べつにさ、いいのよ、カフェでもスイーツでもキッチンでもいいのよ。
どんと来いだよ。
新しいこと・新しい言葉に抵抗感があるというのは、それだけアタマが固くなっている証拠だものね。
でも一抹の「照れ」を大事にしたい気持ちもあるのですよ。
そして、母の世代が使っていた「丸首」とか「手ぬぐい」という言葉は、当時は古くさいと排除してきたけれど、今になってみるといとおしい響きがあるものだと感じるのは、やっぱり年取った証拠なのかしら?

by apakaba | 2006-11-27 18:27 | 文芸・文学・言語 | Comments(39)
2006年 11月 24日

キリストの涙、逃げた女

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きのう、夫の実家へ行ったらこんなステキーなことに!!!!!!
ゥアリガトウゴジャイマチュー!!!!!!

右:ボジョレー・ヌーヴォー。夫の祖母(94歳)が「眞紀ちゃん!これはとってもいいボジョレー・ヌーヴォーらしいから飲みなさい!」と1本持たせてくれた。
ほぼ寝たきりになりつつある祖母だがワインか日本酒の晩酌だけはしているそうで、寝たきりの部屋になぜか酒瓶はいつも絶対にある。

中央:夫の両親が南イタリア旅行から帰ってきて、『キリストの涙』という名の白ワインのお土産。
ヴェズーヴィオ火山の噴火で灰に埋もれたポンペイを見て、キリストが天上から涙を流したという伝承の地、ヴェズーヴィオ火山のふもとで醸造されたワインだとかナンダトカ。
ふだんは飲まない白だが、こんな能書きだけで飲む気満々。
こういううんちく・講釈、ナゼ聞き飽きないのでしょう。

左:同じくイタリア土産。
シチリアワインセラーの頂点、ドンナフガータ社の赤だとか。なかなかのお値段。
ドンナフガータとは『逃げた女』という意味だそうで、「なにそれー。どういう社名なの?」と言うと、義母が「さあー。(逃げた女は)味がいいってことじゃないの。」と真顔で話していて、ヨメもあっさり納得していたのだが……本当は、19世紀にブルボン朝の王女がこの地に亡命したことに由来するのだとあとで知った。
トレードマークの、うねる髪の美女がかの王女なのね。
どっちでもいいけどこれが社名って不思議。
イタリア語だからなんとなく収まりがつくけど、もし日本の会社で、「はい、逃げた女株式会社です。」なんていうかなあ……

並べて見るともう恍惚。本当にすてきな眺め。
いただきもののお酒って心躍るわあ。
コーシローもぺろぺろ(上の方に口が……)。

by apakaba | 2006-11-24 11:12 | 食べたり飲んだり | Comments(9)
2006年 11月 22日

ラブホどまんなか

渋谷の東急本店へ、渋谷駅から無料のバスが出ている。
徒歩で十分に行ける距離だが、都内でバスに乗ることがめったにないので、いつも乗っている。
ふだん利用しない生活を送っていると、バスもそれなりに楽しい乗り物なので。
往きは本店へ表通りを直行するが、帰り道には細い裏道を器用にすり抜けて駅へ戻っていく。
道玄坂の裏通り……はい、ホテルが右にも左にもずらーりです。
ホテル以外にも、なんだかあやしげなお店がぽつぽつと。
東急本店といえば、渋谷区松濤のハイソなマダムでいっぱいのデパートだが、この裏道の風景は圧巻だ。
オシャレしたおばさまたちを乗せて、とてもシュールな車窓。
その取り合わせが愉快で、いつもきょろきょろと外を見渡してしまう。

先週、例の帰り道のバスに乗った。
晴れて暖かい昼下がり、ホテル街をのろのろと進む。
と、今まで気がつかなかった店が一瞬だけ目に入った。
安手のビストロか飲み屋のランチ営業といった雰囲気の、小さいレストランだった。
たいしておいしいというほどでもなさそうだが、外のテーブル席で、赤いファサードの下、サラリーマン風の男性が一人、黙々となにか食べているのがちらっと見えた。
あ、パリっぽい。
と思った。
こんな劣悪な環境下で、午後の陽を浴びて、おっかしいなあ。
パリのカフェでお昼ごはんを一人で食べているサラリーマンやOLを思い出した。

レストランにというよりその環境がおもしろくて、今日、食べに行った。
お友だちの男性とランチで入った。
今日もやっぱり暖かくてよく晴れていて、外のテーブルだったらきっといい気持ちだろう……と、思っていたのだがっ。
陽が高いとはいえ、ホテル街のどまんなか。
いざとなると、なんとなーく、知り合いに見つかりたくない気分ー。
ただお昼を食べているだけだから別にかまわないんだけど、なんとなーく、中の席を選んでしまう小心者。
でも外で食べたかった……

by apakaba | 2006-11-22 23:24 | 生活の話題 | Comments(6)
2006年 11月 21日

井の頭公園の“路上表現”で思い出すことなど

井の頭公園で路上表現が許可制になるというニュースを見た。
『来年から、事前に都に活動内容を記した申請書を提出させ、審査を通過した人にのみ、登録証を発行。登録料として年間1万円前後を徴収する予定』だそうだ。

路上表現という言葉じたい、きのう初めて見た用語なのだが、歌や楽器の演奏、大道芸などを含めた芸術の表現を、会場を使わずに屋外でおこなうことなのだな。
公園内なら“路上”というのも当たらないように思うが、ストリートパフォーマンスの直訳ということなのか。

用語はさておき、この記事の最後にある都市文化論が専門という教授の談話、
『「欧州の公園で許可制を採用しているケースは聞いたことがない」としたうえで、「表現の自由への意識が強い欧米では反発が強いだろう。お上意識が強い日本ならではの制度」と話す。』
というのはなんだか妙な意見だなと思った。
公園ではないにせよ、パリの地下鉄の構内で弾き語りなどする人には厳しい審査があるしね。
私が思うに、問題は、「(日本が)せまい」ということでしょう?
プロをめざす人々は、たくさんのギャラリーがほしくても、集客を見込めるせまい都会では会場費が高い。
単なる趣味だとしたところで、家の中でサキソフォンやらクラリネットの練習をしたくても、せまくて近所迷惑。
思いきり声を出して芝居の練習をしたくても、その声で隣近所から頭のおかしい人とおびえられる。
だからといって、彼らが出かけていく井の頭公園もとてもせまい。
休日は音が混じり合って、どっちの演奏を聴いているのかわからないくらいだ。
そんな状態なのに、土地が広々している欧米の公園と、どうして直接比較するのさ。
広ければ、ぽつんぽつんと楽器の練習をしていたり、ちょっとした人垣ができることがあっても、静寂を楽しみたい利用客の気分を害することもないでしょう。
もともと環境がちがうのに、同じ次元で議論などしようがないではないか。
路上表現の規制がいいか悪いかは、私には一概に言い切れない。
でも、この学者さんのご意見には、ほんとにこれで専門家なのかと訝しくなってしまった。

井の頭公園は私の家から近いので、よく出かけている。
一人芝居とか、けん玉とかジャグリングなど、本当にさまざまな人々が、いろんな“表現”をしている。
うるさいし通行の邪魔だなあと感じるときもあれば、うまいなあと感心することもある。
たいていは歩きながら横目で見て通り過ぎていくだけだが、一度だけ、足を止めて歌に聴き入ったことがあった。

20代後半くらいの男性が5人ほどで組んでいるジャズバンドだった。
洗濯板やバケツのようなもので音を出し、軽快な曲で盛り上がっていたから、人垣の輪の外でちょっと聴いていた。
リーダーはボーカル兼トランペットの、タンクのような体つきの男の人で、彼の声は風に乗ってきた潮の香りのようだった。

最後の曲のとき、彼がこう語った。
この曲は僕が一番好きな、ジャズのスタンダードです。
On the sunny side of the street——つらい日があっても、道を歩くときは陽のあたるほうを歩いていこうというすばらしい詞です(訳詞はこちら)。
僕たちも、音楽をやっている人生という道の、陽のあたる側を歩いていきたいと思っています。

ルイ・アームストロングほどしょっぱい声ではないけれど……両足を開いてがっちり地面につけ、胸を張って唄っていた、タンクのような、クジラのような体躯の彼の声は、そろそろ傾いてきた冬晴れのひだまりに流れていった。
歌が終わり、人垣が崩れていって、私も帰途についた。
最後の曲がずっと頭に残っていた。
あれからもう5年くらいたっているが、今でもたまにあの曲と、リーダーのあの人の姿を思い出す。
冬晴れの公園に流れる潮風のような声を思い出す。
ジャズの「名曲」に負うところが大きいとはいえ、余韻がいつまでも残るパフォーマンスに偶然出会うことができてよかったと思う。

東京都の思惑がどこにあるのか、よくわからない。
あのときのアマチュアジャズバンドが、今どうしているのか、知るはずもない。
ただ、『表現の自由』対『公共の迷惑』という二項の枠内で対立させることをしないでほしいと思う。

by apakaba | 2006-11-21 19:14 | ニュース・評論 | Comments(5)
2006年 11月 17日

1990年の春休み.45 ふたたびのインド篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
デリー滞在を1日だけ延ばし、観光をしてみることにした。

2月21日(つづき)
 デリー観光のトップに、おのぼりさんなら誰でも行くオールド・デリーのラール・キラー(*1)へ我々も行ってみた。白人がうじゃうじゃといて、ああ久々に観光している……と感じる。

*1・・・ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンによって1639〜48年に建てられた城。「赤い城」という意味。

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ラール・キラー観光中。インド人男性がいっぱい歩いています。

 私たちときたら入場料の50パイサを50ルピーと勘違いして(1パイサは1/10ルピー)、受付で巨額を支払ってしまった。受付の男ドモは当然ながら黙ってそれを受け取った。
 見学し終えてから「これで50ルピーは高すぎる」と感じてやっと気づいた。
 ダメもとで受付に言ってみたら気が抜けるほどあっさり49.5ルピー返してくれた。はじめから返してくれればいいのに。
 ラール・キラーはあまりおもしろくない城だった。
 歴史の深さはパキスタンのラホール・フォートのほうが感じさせられたし(あとで調べたらやはりラホール・フォートのほうが古い)、美術面での美しさはアムリトサルの黄金寺院のほうがはるかに勝っている。観光地の輝ける第1位は、今のところ名実ともに黄金寺院であるなあ。

 門の外に出て、ちょっと疲れを感じて、Tutty Fruity(マンゴ)のアイス(すごくまずい)を食べながらボケッと座っていると、どこからかコブラ使いの少年が現れて演じ始めた。
 笛を吹くとカゴの中のコブラがひょこひょこ首を上げ下げするというあれである。ぜんぜんおもしろくなくて、むしろ、こんな子供だましのモンキービジネスを本当にやっているのか、ということにちょっと笑う。
 このあとチャンドニー・チョウクという大きな商店街にも行ってみたが、買い物する気がないままで歩いているので今ひとつ盛り上がらなかった。

 「なんかもっとおもしろいとこに行きたいねー。せっかく滞在を一日延ばしているんだからねえ。」
 「この『ラダック仏教寺院』てのはどうかね。ちょっと惹かれる名前じゃない。」
 ガイドブックで適当につぎの目的地を選び出した。何台かのリキシャに当たってみたが意外に知っている人が少ない。あまり有名な観光場所ではないようである。
 「これは期待できるかもよ。」
 へそ曲がりな私たちは穴場を発見できそうな気分になってきた。
 リキシャは、他のリキシャマンとちがって全くスレていない、かわいいネパリの少年を選んだ。
 きのうから仕事始めたんです、というような真新しいリキシャで、座席にレカ(インドの大女優)と男優のパネルが飾ってあった。
 私はこのとき初めて、ネパリの顔というものを間近でよーく見た。
 前からヒロに言われていたとおり、インド人の顔ばかり見ていると実にホッと安らげる顔である。ネパリの顔を見るとホッとする——とは本などにもよく書かれているが、ああこれがその気持ちか、と思えた。

 ラダック仏教寺院は、もうこの先にはなにもありません、というような、高速道路の終点のようなうらぶれたところにあった。そしてそこは思いがけず、右を向いても左を向いてもネパリだらけなのでした。
 門をくぐり、寺を目指して歩いていると、知らずに顔がゆるんできてしまう。誰もが今にも日本語で話しかけてきそうなのだ。嬉しくなったし、同時に不思議な感じもした。インドで、自分と顔がぜんぜんちがうなーというショックより、同じ顔なのに一言も通じないなんて……という奇妙さのほうを強く感じることがあろうとは(*2)。

*2・・・実はネパリだけでなく、チベタンやラダック人もたくさん住んでいるらしい。不勉強でした。しかし素人からするとみんな同じモンゴロイドに見える。

 それにしてもここはなんだか変わったところだった。
 表参道と呼ぶべきなのか、露店に木の柱でトタン屋根を支えているだけといった感じの商店が、土ぼこりの舞う狭い道の両脇にずらっと並ぶ。店先にどっさり積まれているのは日用品や服や靴などである。店番はいずれもモンゴロイドの顔である。
 参道をずんずん入っていくといきなり店がとぎれる。粗末な住居が寂しくすこしだけ並び、あとは大きな河になってしまう。
 商店と住居群の間に短い下り坂があり、それは湿った赤土がむき出しで、足を踏み出せばたちまちずるずるっと滑りそうであった。快適な住環境とは言い難い。
 「河原もの……ってヤツかい?」
 「河のたもとには貧しい人ってのが相場だからねー。しかし仏教寺院はいったいどこ行っちゃったのかな。」
 参道を引き返してみると、ワセダ色の衣の坊さんを見つけたので、ラダック仏教寺院でお勤めしている人だろうと思い、寺の場所を尋ねた。門を直進せずに左に入ったところにあったのだった。

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表参道にある店のおばちゃんと私。腰回りが今よりすごく太っている……トホホ

 ワセダ色の寺である(*3)。

*3・・・えんじ色だと言いたい。ワセダワセダと連発しているのは卒業目前の母校を忍んでいたから(だったと思う)。

 小さいながらもしっかりした感じ。ところが、本堂の中は修理中だそうで、まったくなんにもなくてがらーんとしていた。激しく失望した。見目のよい仏像など拝めると思っていたのに。
 がっかりの埋め合わせになるものを求め、寺の外側についているコンクリートの階段をのぼって屋上へ上がってみた。
 そこでは難民らしき人々がキャンプしていたのでびっくりした。いずれも平坦なモンゴロイド顔で、静かに粗末な鍋で煮炊きしていた。
 どういう事情でここにいるのか詳しく聞いてみたかったが、英語が通じない。観光客とは遠ーい位置にある人たちだもんなあ。それでも私たちは、図々しくも、かわいい赤ちゃんを抱いたお母さんと一緒に写真なんか撮っちゃった。

 屋上のひときわ高いところまで上ると、大きな河が一望できた。
 これはデリー随一の大河であり、やがてかのガンジス河に合流するヤムナー河であった。

 私は、このときになってやっと、出発を一日延ばしてよかったと思えた。
 あのままデリーを去っていたら、当たり前だけどこの風景は見られない。
 デリー郊外にこういう景色が広がっている、ということを全然知らずに、ただバックパッカー(*4)の大好きなメインバザールとコンノートプレイスだけを「デリーの姿」と記憶に刻んで離れていくところであった。

*4・・・個人で低予算の自由旅行をする人は、近ごろでは「バックパッカー(略すと「パッカー」)と呼ばれているのだ。

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ヒドイ写真ですが……屋上の手すりにカメラを置いてパノラマ風をやってみた、その1枚。ヤムナー河の風景。

 河岸のこちら側は刈り入れ後の田圃になっている。
 河は護岸など当然なにもされていないから蛇行し放題で、岸辺はびちゃびちゃの湿地である。遙か向こう岸も似たようなびちゃびちゃ、似たような田圃、それから先は薄暮に霞んでよく見えない。
 右手に大きくて立派なコンクリートの橋が架けられており、しかしこれはまだ未完成のようで、クレーン車やパワーショベルがうす紫の黄昏のなかで微かな唸りを上げていた。
 別段「いい景色」ってわけでもないけれど、ひろびろと景色を見渡すということを最近してなかったし、なにより予期していなかった光景に出会えたことがよかった。
 単なる予習不足なのに、こんなことで楽しくなるとはおめでたい人たちである。

by apakaba | 2006-11-17 18:40 | 1990年の春休み | Comments(5)
2006年 11月 16日

ボジョレー・ヌーヴォー解禁日だぁ

週末に静岡へ遊びに行くので、手みやげにワインでもと思い、新宿伊勢丹へ。
ふだん、平日日中のワイン売り場など閑散としているのに今日は異様な大混雑、ああ〜しまった、今日がボジョレー・ヌーヴォー解禁日だったのか。
ワゴンも行列、レジも行列、押すな押すなの人々は、年配のおばさんが中心。
しかも試飲させているものだから、なんかこの一角、みんな酒臭いぞ。
私はクルマで来たので飲みませんよ。

しかし試飲できないと、どれを選んでいいものか、迷うな。
ボジョレー・ヌーヴォー専門の担当者のでっぷりとした男性に、「おすすめはどれですか?」と聞いてみた。
その男性は、満面の笑みで迷わず「これです!」と言う。
「こちらは今年の伊勢丹一押しの一品です!オーガニックのぶどうを使いまして、たいへんバランスよく仕上がっております!」
まあ、説明はふつうだよね。
他にもいろんなのがあるし……と思って他のボトルに目を泳がせていると、満面の笑みで付け足す。
「あのー、一言で言って、おいしい、です。私は……、これが好きです。」
その声音。いきなり意気に感じるワタシ。
でっぷりとしたニコニコ顔をはたと見返す。
あ、アナタは酒飲みですね?と瞬時にわかってしまうの。

高級レストランに行っても、悩んで悩んで、ワインリストから最後の1本を決めるのは、ソムリエのその一言であることが多い。
「私は、これが好きです。」
それを言うときの彼らの顔、商売を一瞬離れて、味と香りを自分の中によみがえらせている。
その表情を見るのがとっても好き。
で、私もつられて笑ってしまって、たいてい「好きです」と言われたワインに決めてしまう。

手みやげ用にだけ買うつもりだったのに、あー気づけばこんなに買ってしまった。重い。
3年ぶりのボジョレー・ヌーヴォーだなあ(2003年11月分に関連の話があります)。

by apakaba | 2006-11-16 15:54 | 食べたり飲んだり | Comments(14)
2006年 11月 15日

友だちと恋人

「ゥおかーさんっ!おかーさんは、“愛”と“恋”のちがいって知ってるッ!オレは調べたんだよ広辞苑で!だからオレにはちがいを言えるのさ!」
「ゥおかーさんっ!6年生でエロ本見るのっておかしいと思わない!?オレ、この前コンビニで××が立ち読みしてるの見ちゃったんだよ!早すぎるよ!バカだよあいつ!!」

まだまだ言うことがガキっぽいが、それなりにそういうことに興味が出てきたみたいだ。

6年生の「アキタコマチ」には、恋と友情のちがいがどうしてもよくわからないらしい。
仲のいい女の子と……友だち……じゃ、ダメなのか?
友だちと恋人は、どうちがうんだ?
どっちも似たようなものだとしか思えないんだけど?

広辞苑にも、ちがいが書いてありません。

友だちと恋人ねえ。ふーむ。
会って、別れたときにちがいがわかるんだよ。
会ってるときは似たような感じでどっちも楽しくても……
友だちは、サヨナラしたら「今日は楽しかった。」って思って、満足して帰ります。ただそれだけ。
恋人は、その人の姿が視界から消えて見えなくなったとたんから、もう次に会うときが待ちきれない。
そこの差かな。

by apakaba | 2006-11-15 12:27 | 子供 | Comments(13)