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2007年 06月 29日

青春の道筋

毎朝、子供3人ともきちんと学校へ登校していく。
長男は小6から今日まで無遅刻無欠席。
次男も、中学生になってからは一度も休んでいない。
長女もめったに休まない。

当たり前、のことなのだけれど、私は驚きをもって彼らの元気な後ろ姿を見送る。
私は、中学生くらいまでは体がとても弱くて、休んでばかりいた。
ただの風邪で一週間休んでしまうことなどもよくあった。
ずーっと休んでいて、また学校へ行くのは、緊張するというか、転校生のような恥ずかしい気持ちだった。

高校生になると、もうあまりちゃんと学校に行かなくなっていた。
1年生の1学期、今の長男の年頃には、すでに中抜けや早退をしていた。
飲酒もそれなりにしていた。
煙草は嫌いなので吸っていなかったが、中学生の男子はもう煙草を吸っている子がたくさんいた。
そんなもんだろうとばかり思っていた。
中学生になったら喫煙、高校生になったら飲酒、くらいは、まあだんだんとやったりするものだろう。と。

長男を見ていると、そんな影も形もない。
煙草はやはり嫌いらしいので興味がないようだが、さすがに高校生になれば、こんな親だし、親に隠れてちょっと飲んだりするだろうよ。
文化祭の打ち上げとかで。
自分の過去を思えば、自然な流れのように思っていたのだが。
先日、文化祭の打ち上げから帰ってきた長男は、ふつうのさっぱりした顔をしている。
あれれ?おかしいな、男子校でしょ?
「先輩に飲まされたりしなかったの。」
「はぁ〜酒?そんなことあるわけないじゃん。」
見ればわかる、全然飲んでない。
ほっとしていいような失望するような。
母親が「おかーさんがあんたくらいのころは」などと昔話を始めるのもばかげているし、子供には子供の時間の流れがあるからいいのだけれど、「へええ……」と、おそらく私は腑に落ちないような顔をしていたのだろう。
息子に、
「オレはおかーさんみたいな不良じゃないからねえ。」
と釘を刺され、二の句が継げなかった。

私の高校のそばに、サボり連中の溜まり場となっていた喫茶店が、ふたつあった。
両方とも、喫茶店としかいいようのない喫茶店で、私も一人でよく行っていた。
コーヒーだけでなく、若い女の子らしくホットココアやチョコレートパフェなどもよく注文していた。
同じ高校の生徒が、いることもあれば、私一人きりのときもある。
一人で授業をさぼって、読書をしていた。

喫茶店のママは、その高校の生徒たちが制服で真っ昼間に行って煙草を吸っていてもまったくとがめず、ごくふつうのお客と同じ態度で接してくれていた。
そして、その喫茶店には、先生たちは絶対に入ってこなかった。
先生たちでパトロールでもすれば、一発で不良どもを一網打尽にできたはずなのにだ。
先生たちの溜まり場である喫茶店、というものも別の場所にあり、放課後の帰り道にそこをのぞくと、必ず何人かの先生がサンドイッチを食べたり煙草を吸ったりしてぼけっとしていた。

先生たちは、住み分けてくれていたのかもしれない。
お互い、不可侵でいこうや。
あっちの店には行かないから、生徒がこっちの店には来るなよ。
会ってしまってもつまんないだろ、お互いに。

今になるとそう思う。
生徒の溜まり場のほうにもし先生たちがパトロールしてきたら……という危険を、なぜ当時の私たちは考えなかったのだろう。

おかーさんは不良ってわけでもなかったけれど、あのころ、のんびりした公立高校は先生たちもそんな調子だったのよ。
飲酒や喫煙を推奨する親なんて、いないよ。
でも、あの時代の気分——こんな教室なんかにいられないという、説明のつかない苛立った気分、外に出てわずかに味わう解放された気分、これでいいのかという焦りとか、なんだとか、そういう気分を、あんたたちはそんなに元気に登校していって、いつ知っていくの?

でも、子供は子供、自分の昔を押しつけるのは愚かだ。
さぼったり酒飲んだりすることだけが、青春の道筋じゃない。
ああやって真面目に毎日学校へ行くことで、私の知り得なかったなにかを、つかんでくるのかもしれない。
だってなにしろそれは、私には未体験のゾーンだものね。

by apakaba | 2007-06-29 16:02 | 子供 | Comments(17)
2007年 06月 28日

マタニティーウエアは、野暮ったいのが好き

のこのこさんは妊婦生活も順調なご様子でなによりだ。
もう、私が最後に妊娠していたのも10年前なので、妊娠中のしんどかったことをふだんは忘れているが、今が妊娠中という人の話を聞くと、いろいろと思い出す。

マタニティーウエアって……いつまで取っておいて、いつ処分したのだろう。

私は専業主婦で家にいたので、外出着はさほど必要なかった。
一目で妊婦そのものとわかる、いかにも野暮ったいマタニティーウエアが、好きだった。
そういう恰好をしていると、電車の中などで気を遣ってもらえる。
まだお腹が大きくなっていないうちから、早くも妊婦でございという服を着ることにした。
夏用のワンピースが3着あって、それをずーっと夏の間は着回していた。
どれも野暮なデザインで、どれもシワになりやすい綿素材だったので、洗うたびにいちいちアイロンをかけて着ていた。
ヒマだったのね、というかマメだったのね。

初めてのお産をして、もうマタニティーウエアを着なくなっても、なんとなく取っておいた。
もしかしたらまた使うかな、と思っていたのだろう。
2回目のお産をして、3回目まで取っておいたということは、心のどこかに、「もしかしたらまた?」という思いがあったのかもしれない。
単に捨て忘れていただけかもしれない。
でも、3度目の妊娠中は本当に体が苦しくて、なにもかも休み休みでないと身が持たないし、いつも「あたしもうダメ、もうダメ」と心の中で繰り返していた。
たしか、3度目のお産が終わると、すぐにマタニティーウエアは処分したように思う。

ものすごくオーソドックスな形のジャンパースカート。
総花柄で、大きな白い襟のついたワンピース。
後ろに大きなリボンがついたワンピース。
妊婦でなかったら一生着ないよというデザインのものばかり。
私の20代は、それらの野暮ったいマタニティーウエアを着て多くの時間を過ごしていたんだなあ。

by apakaba | 2007-06-28 18:26 | ファッション | Comments(12)
2007年 06月 27日

鼻血を止める治療へ

鼻血という記事をおととい書いたら、皆さんにご心配をかけてしまった。
どうもすみません。
そんな、深刻な病気じゃないんです。
ただ、血管が痛んでいるから、その場所から鼻血が出やすくなっているだけなんですよ。

今日、大学病院へ行ってきた。
以前にかかったときと同じ先生、ああやだな。
この先生は説明をあんまりしてくれないのだ。

「鼻血が出て困っているんです……」
とか漠然と言うと、どうせ見当違いの検査をどっさりされてしまうに決まっている。
以前かかったときも、犬に噛まれた怪我のせいでリンパ腺が腫れた、と自分でわかっているのに、「結核かもしれない」とかいって胸部レントゲン撮られたし。
尿検査や血液検査も全部されて、「だから犬のばいきんだって言ってるのにー」と心の中で文句たらたらだった。

なので、今日は先手を打って、
「小さいころから鼻血が出やすくて、左の鼻の奥が曲がっています。そのために曲がった部分が傷つきやすく、鼻血を繰り返しています。鼻炎なので近所の耳鼻科にかよっていますが、レーザーで血管を焼く手術をしたらどうか、ということで紹介状をいただいてきました。」
とどんどん説明した。

すると
「ははーん、そうですかー。ではレーザーで手術やりましょうか。」
と、即座に決まってしまった。
これをやって完璧に止まるというわけではないですが、ましになりますよ、とのこと。

先生はピンセットを持った。
手順の説明をまるでしないまま、手術は始まるらしい。
たいしたことではないだろうとは見当が付いているが、それでもどんな方法でどんな器具を使って行うのか、なにも話してくれないのでは不安になる。
一片の濡れたガーゼを、シャーレから取り出してピンセットで丸め始める。
なんですかあれは。
あれをどうするんですか。
まさか、やめて、そんなに大きいモノは……入らない入らない!
黙って鼻の穴にぎゅうぎゅうっと押し込んでいく。
押し込み始めてから説明を始める。遅いというのに。
「これは麻酔をしみこませたガーゼです。これを入れっぱなしにして、麻酔が効いてくるまで20分くらい、外でお待ちください。……うーん、なかなか入らない。穴が、小さいなあ……」
私はとにかく穴が小さいんだよ、体の。
耳の穴も小さくて耳鼻科で呆れられるし、食道も細くて、胃カメラの名医でも「こんなに食道が小さいと入らない!こんなに苦労したことはない!」とお手上げだった。
まあ単に体が小さいからなんだけど。

バカ面で呆然と20分の時を過ごす。
顔の左半面がぼわーんとしてきた。

再び診察室に入ると、またも黙ってビニール製の長いよだれかけのようなものをかけられる。
今まで診てもらった医者で、いいなと思った人は、必ずなにかを始める前には、どんなに簡単なことでも、あらかじめしっかりと説明をしてくれた。
やだなあもう。
でももう今から「どんな感じで手術するんでしょう?」とか尋ねるのも馬鹿らしいし、顔半分がぼわーんとしているので、しゃべりたくなくなった。
よだれかけ風は、万が一、血がたくさん出るといけないかららしい。

熱した極細の火箸とでもいったらいいのか、先端が針のようにとがったピンセット状のものを、鼻に突っ込まれた。
痛くはないが、焦げくさい。
私の鼻の皮膚とか鼻毛とかが焼かれているのね。
こういうおそろしい器具を挿入するにはやはり不安を除く一言があってもいいのではないのか。
「これからこういうものを入れます。熱くなっていますから、動かないでくださいね、痛くないと思いますがもしも痛かったら言ってください。」
とかさ。
でも黙ってやるのである。

一瞬で終わるのかと思っていたのに、意外と何度も何度も突っ込む。
もう、いいんじゃないですか……こんがり、焼けているんじゃないですか……時間が長いと、余計なことを考えてしまう。
今、鼻の中がどんな状態になっているのかなあとか。

真横に倒れている親知らずを抜く手術を思い出した。
あのときの先生は、名医だったなあ。
事前の説明はばっちりとして、手術中は、患者が不安になるような言葉はいっさい言わないで、「大丈夫ですよー、あと、もう少し、もう少しがんばろう」とか言ってくれて。
私も、今、口の中がどんなおそろしい状況なのか(真横に倒れた親知らずを抜くのは、とても大変なのだ)具体的に想像することはやめて、一生懸命関係のないことを考えようとしていた。

あの人は今なにしてるかなあ。
あの人はどうしているかなあ。
私のブログとか、読んだかなあ。
あの人は今ごろ、お昼ごはんかなあ。
とか、いろんな友だちのことなどを次々に考えていた。

「まあ、こんなもんでしょう。血管の集まっている部分を、焼いておきました。」
今度は、痛み止めをしみこませた、小さい脱脂綿を入れられた。
自然に溶けてなくなるので、入れっぱなしにしておいてくださいとのこと。
これがものすごくうっとうしい。
なかなかなくなってくれない。
もう入れてから3時間くらい経つのだが、なくなる気配がない。
鼻炎はあいかわらず続いているので、鼻水もかなり出ているのだが、鼻をかんだらすっぽ抜けるだろうから鼻もかめず、さらにうっとうしい。
しかも麻酔が切れてきたので、鼻が痛いよ。

イマイチなお医者さんにイマイチな気分、だったが、あと数時間するといい気分になるかしら。

by apakaba | 2007-06-27 15:57 | 健康・病気 | Comments(20)
2007年 06月 26日

なぜ、古文を読むべきなのか

某掲示板で、源氏物語などの古典文学を読むことについての話題が出ていた。
私は、どうせ読むのなら、原文を読むべきではないかということを書き込んだ。

どんな古文でも原文を現代文と同じようにすらすら読めるということなど、現役の国語教師でも困難である。
私もたまに古文を読むが、完全現代語訳つきはさすがに必要ないにせよ(国文科卒なので)、部分的に注釈のついているもので読む。
私の書き込みの言葉が足りなかったせいで、どうも私が古いものこそ素晴らしい(古いからこそ素晴らしい)と思いこんでいると受け取られたようである。
そういうことを言いたかったのではなかった。

私が古文を読む理由は一つだ。
古文を読むことは、“自分を知ること”だからだ。

1000年以上も昔の言葉と、今の自分が使っている言葉の意味が、同じであればその言葉が年月を超えてきたことに驚嘆する。
時代ごとに文体や言葉の用法がだんだんと変遷していくのもおもしろい。
万葉集や古事記のころの文章や歌と、平安時代のそれと、平家物語以降、リズムが新たに成立したり、崩れたりといったこと。
今、こうして毎日日本語を話し、日本語で思考し、日本語で文章を書く自分との連綿としたつながり/途絶。
そういうことを知っていくと、心が弾む。
弾まないですか?
私は弾むんです。

言葉、とか、文章、というものが好き。
単純に、それだけのことだ。

この前、『土左日記』を読んだ。
旅行記として、そうとうに楽しんだ。
紀貫之一行のアル中っぷりにもあきれたし、いつまでもだ〜らだ〜らとしていてなかなか本格的な旅に出られず、たびたび沈没(船旅で沈没という言葉はだめか。バックパッカー用語で、一箇所からなかなか抜け出せないこと。)している一行に、「何日経ってるんだー。早く行けー」と、発破をかけたくなったり。
古今集の編者である貫之だから、歌の巧妙さは当たり前としても、1000年昔の旅行記がこんなに先へ先へと読ませる作品だとは知らなかったし、話をドラマティックにしようとひそかに奮闘する貫之のストーリーテリングぶりを愉快に感じることになるとは思ってもみなかった。

これほど愉楽を与えてくれる本が、昔の、同じ日本人の手になると考えるとうれしくて、幸せを感じる。
古文を読んでみるのは、そんなに大それたことでも風変わりなことでもない。
もし、古文の知識に自信がなければ完全現代語訳つきの本を読めばいいと思う。
ただし、必ず原文とつきあわせて読んでもらいたい。
原文を読まずに現代語だけ読むのはやめよう。
日本人だったら、原文を。

by apakaba | 2007-06-26 21:26 | 文芸・文学・言語 | Comments(23)
2007年 06月 25日

鼻血

毎日、鼻血が出る。

物心付いたときから鼻血を毎日のように出していて、幼稚園のとき、家中のタオルもバスタオルも全部使いきるほどの鼻血が出て、救急車を呼んだことがある。
救急病院に行ったらだんだん止まってきて、当直医にひどくバカにされた。

大学生くらいまでしょっちゅう出ていたが、その後はもう出なくなっていた。
それなのに、最近はまた、毎日出る。
運転しているときに出るとあぶない。
服もだめになるし、外出しているときにはみっともない。

血管を焼いて止めてしまう方法があるらしいので、それをやろうかと思う。
鼻血が出ていると本当にその間はなんにもできないので、とても時間の無駄。
たった今も出ている。
ちょっと止まってきたので、鼻にちり紙を詰め込んで書いている。

by apakaba | 2007-06-25 23:22 | 健康・病気 | Comments(15)
2007年 06月 24日

久しぶりに、ほんとに酔っ払う

ステキな男性と久しぶりに差し飲み、で、張り切る。
張り切ったわりにはお店の選定をまったくしていず、どこに行ったらいいかなとしばし街を歩き回る。
しょっちゅう通りかかる道に、ベルギービールの店があった。
こんな店あったっけ?
ふだん、よく歩く街では、ベルギービールとか、パブギネスとかの看板にはかなり敏感で、ただショッピングのためだけに歩いているときでも、目はしっかりとそういった看板を捉えているからだ。

尋ねてみると、案の定、新しくできたお店だった。
入る前に店員さんと少し口をきき、入り口から一瞥しただけで、イケルという手応えを感じる。

アルコールの分厚いメニューを見せてもらって驚いた。
これは本当に気合いの入ったベルギービールの店なんだな。
店員のお兄さんたちも、話してみれば酒が好きで好きでやっているということがはっきりわかるので、ビールを選ぶアドバイスを聞くのもとっても楽しい。
とんでもなく飲んでしまった。

「がつんと来るヤツで、なんかお奨めお願いしたいなー。重くてぎっしりした感じの。度数高め。どーん!みたいな感じの。」
とか言うと、ばっちり持ってくる。
ピンクの象がプリントされたグラスに、ピンクの象が群れ飛んでいるボトル。
ピンクの象は、アル中の幻視に現れる動物だそうで。

本当にずっしりしたビール、あとからカラメルのような甘いコクがざらっと残る。
とはいえ、ビールをちびちびすするのは好きじゃない。
ふだん通りのペースですいすい飲んでいるうち、ある瞬間にどかんと酔いが来た。
あっ!
私は酔っ払っている!
いきなり目の前がぐらぐらーっとなり、こういう、急速に酔いに落ちていく感覚というのを本当にひさびさに体感した。
毎日かかさず飲んでいるとはいえ、飲み終われば片づけもするしお米をといだりお弁当の下ごしらえもするし、ヨッパライになるほど飲むということはない。
久しぶりの感覚は、気持ちよかった。

さんざんいろんな味のビールを試して、仕上げにラムをロックにした。
生(き)のラムなんて、腰抜かすためにあるようなものだ。
こいつはいけねえ。
でもビールには強くないから、もうこれ以上はビールが入らない。

ヨッパライなので、ひっきりなしにしゃべっている。
私のブログの『246』のレビューについて話す(246を、抜けて行け。沢木耕太郎『246』)。
しゃべっているうちに、あのレビューに書き落としていたことを、きゅうに思い出した。

「うあーっ!書き忘れてたことがあった!今さらもう遅いけど!私ね、こういうことを書こうと思ってたの。あのね。
soraさんという人が、“沢木氏には、変わってほしくないという気持ちもある”とコメントくれたんだけど、あれがすごくよくわかってね。
あんなふうに私も書いたけど、本当は変わってほしくないという気持ちも、あるのよ。うん。
インドにね。
インドには、サドゥーというか物乞いというか、ほんとにただ植物のように生きてる人間というのが、たぶん2億人くらいいるんだわ(数字にはなんの根拠もなし)。
多くのインド人は、一生懸命毎日を働いて暮らしているけど、その植物のように生きてる人たちって、なーんにも生産活動していないんだわ。
でも、その多くの、ちゃんと仕事しているインド人たちは、サドゥーとかの働いていない人間に、お金や食べ物をあげて養ってあげてるわけ。喜んで。
まー言ってみれば喜捨してるわけよ。
で!
日本には、沢木という人がいるんだ!
彼のあの日記読むと、あきらかにふつうの勤め人の範疇をはみ出ちゃってるじゃないの。
異常な生活じゃないの、バーを3軒はしごして朝まで飲んでしまった、とか、原稿を書こうとしたがうまくいかないので気分転換に映画を2本観て終わってしまった……とかって。
そんなこと、ふつうの社会人は絶対にしないし、できないもの。
でも!
日本に一人くらいは、そんなふうに生きている人がいてもいいんじゃないのか?!
それが沢木耕太郎なの。
我々凡人は、喜捨をしてるわけ!沢木という、あのインドのサドゥーのような人に。
日本人はあの人に、ずっとあんなふうに生きていってほしいとどこかで願っているのよ。
それで、変わらない彼の本を買って喜捨をして、徳を積んでいるの。

ああ!私はこういうことを盛り込んで書くつもりだったんだよ!
でもすっかり忘れちゃった。あーあ、バカだわ!」

「アハハハハハ……んー、もう遅いねえ。」
ヨッパライそのものの長い演説を愉快そうに聞いていた彼にいなされた。
やだなあ、ヨッパライって、一つの話がしつこくなって。
でも、あのレビューにこの挿話を入れ忘れたことは、かなり悔しかった。
ラムをあおって店を出て、帰途につくと悔しさがこみ上げてきた。
あの記事を書いていたときも、飲みながら書いていたんだな……

by apakaba | 2007-06-24 23:35 | 食べたり飲んだり | Comments(10)
2007年 06月 22日

1990年の春休み.64 ふたたびのインド篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ヴァラナシで、現地の観光バスツアーに申し込み、精力的に観光する私たち。

2月28日(つづき)
 このあとは急速におきまりの観光コースへと移っていくのだが、その前に朝食となる。
 場所は偶然にもツーリストバンガローのレストランだった。
 そこで、なんとなく例の日本人と同席することになった。私たちは初めてそのとき、彼の正体(おおげさ)を知るのである。
 皆がフルブレックファストを頼んだのに、彼はお金がかかるからなあ……とつぶやいて、卵しか食べていない。ケチな人だなー、どうせどっかの貧乏学生だろうと思ってよく見ると、どうもただの学生のようではない。目の光りがちがうのである。静かで、澄んだ輝きを湛えているのだよ。
 ウッこれは!ひょっとして、ホトケ関係の人?私たちがそう当たりをつけて尋ねてみると、はたして仏像の彫刻を仕事にしているとのことであった。ううんやはり!と力強くうなずいた(で、ニックネームは「仏師」に決定)。
 私たちは彼の目を見たとたんにいっぺんで彼が好きになり、朝食を食べながら、ここに来るまでの旅のお話などをした。

 彼の声はとても穏やかで、澄んでいるのでした。
 でも大きい声は出さないので、観光客がざわめく食堂のなかでは、すぐ聞き取れなくなってしまう。思わずこちらも丁寧な言葉づかいになる。
 私がつい調子に乗って下品なことを言っても、黙ってにこにこと微笑んでくれるのだよ。ありがたや。
 彼は南インドが好きで、次に来るときにはもう南だけにします、と言う。
 曰く、人がいい、物価が安い、美しい。
 彼の南の話が忘れられず、私もいつか行く行く行きまーす!と決心しちゃった(そして6年後に本当に行っちゃった)。

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朝のガートは、食事の支度や洗濯をする女性もいっぱい。
ありとあらゆる人がガートへ降りてくる。


 食後再びバスに乗り、立て続けに三つの寺をめぐった。

 バーラト・マーター(母なるインドの意)寺院の呼び物は、堂内の、白大理石で作られた大きなインドの立体地図である。
 かなり汚れていたけれど見ごたえはある。
 とはいえ、そう長時間見つめているほどのものでもない。
 それなのにガイドのセンセイときたら講義調で棒を振り回し、延々と地図の説明をするのである。みんな明らかに飽きていた。
 仏師はひたすらマイペースで、講義などまるで聞かずに辺りを自由に歩き回っていた。

 次にドゥルガー寺院へ。
 ヒンドゥー教徒以外は中に入れないので、寺院を取り囲む回廊の上から、礼拝を見下ろす。
 なんで見下ろす形なのかが疑問だった。
 寺自体は別におもしろくなかったが、思いがけないことで忘れられない寺となった。
 ここは別名モンキー・テンプルと呼ばれるほど、猿がたくさん住み着いている。
 回廊から下を見ているときに、私は力いっぱい猿のウンチを踏んづけてしまったのだった。
 寺院では靴を脱ぐ決まりがあるため、靴下になっていたので、靴下にべにょんと緑色のモノが付いちゃった。
 旅の初めごろは牛のもよく踏んだ。
 普段道を歩いているときはかなり注意しているから、今ではめったに踏まなくなってたけど、まさかこんなところで、しかも靴下で踏んでしまうとは……。

 名前も忘れた、できたての新しい寺にも行った。おもしろくなかった。
 さすが仏師はそこでもちゃんと楽しみ方を心得ていた。
 三人ばかりのおじさんたちが太鼓の演奏をやっていて、それを見た仏師はすばやく彼らのすぐ前にぺたんと座り込んで、微笑みながら聴き入っているのである。私たちのように、センセイに気を遣って形ばかり堂内を見学するようなことはしないのだ。

 センセイはここらあたりからモーレツに先生然としてきた。
 とにかく統率が好きで、仏師のような気ままなふるまいは許しがたいらしい。
 また、生徒たちの性格もだんだんわかってきた。
 フランス人らしきおばさんは、ものすごく気が強い。
 乞食ドモが私たちのところに小銭をねだろうとやってくると、あげることないわよっ!とすごい剣幕で詰め寄ってくる。
 見ているとどうもインド人全般を目の敵にしているようである。あんなにカリカリして旅行してたら疲れるだろう。
 いちいち靴を脱ぐのがいやで、全然寺を見ない人もいる。これほど多くのガイジンに囲まれたのはバンコク以来だった。

 最後に、ヴァラナシ・ヒンドゥー大学構内の、インド美術館へ。
 小さいながらも非常に質の高い展示をしていた。
 仏師に、仏像の解説をしてほしいと頼んでみたら、「ひとりひとりが自分の心で感じれば、それでいいんじゃないですか。」とありがたいコトバ。
 解説なんて得意げにしてくれるわけがない、とはじめからわかっているのに尋ねてしまうのねだめなアタシたち。

 細密画も、とても質がよかった。
 でも目を近づけて見入っていると、先生がどんどんみんなを連れて行ってしまうので、取り残されがちになる。
 石造りの「ダンシング・ガネーシャ(*1)」がかわいくてよかった。
 仏師は、
 「インド人はこういった豊満なものに対するあこがれの気持ちが強いようなんですね……。」
 と静かに語っていた。
 思いがけずいい絵もたくさんあって、来てよかったことだよ。
 このようにして、午前中いっぱいかかった観光バスツアーは終了したのであった。

*1・・・ガネーシャは頭が象で太った体の、富と知恵の神。シヴァの息子。

by apakaba | 2007-06-22 17:51 | 1990年の春休み | Comments(2)
2007年 06月 21日

246を、抜けて行け。沢木耕太郎『246』

昔とても愛していた人と再会したような本だ。
単行本としては大きすぎる版、天の部分だけわざときれいにページを切りそろえていないデザイン、温かい手触りのソフトカバー、スイッチパブリッシングらしい、目を惹く装幀だ。
しかし、昔愛していた人は、懐かしくても、いくら共通の話題で盛り上がることができても、ふたたび昔にもどって愛し合うことは、できない。
過去の人は、過去の人。
沢木耕太郎は、私にとってはもう過去の人なのだ。

『深夜特急』が出版された年、私は大学1年生だった。
夢中になって第二便まで読んだ。
こんな人がいたとは……なにもかもが、新鮮だった。
旅の内容や方法も新鮮だったし、文章そのものの新しさに、本当に驚いた。
それから著書をいろいろと読んだ。
彼はなんでも自分に引きつけて思索する。
ノンフィクションの分野で、いつの間にやら自分のことを滔々と語り始める書き手は、ほとんどが読むに堪えないが、彼の自分語りには誠実さがあふれていて、取材された対象を読んでいるはずなのに読者は沢木のほうをますます好きになってしまう。
そんな書き手だった。
ニュージャーナリズムの旗手と呼ばれていた。
たしかに、その分野ではエポックメイキングな人だったと思う。
彼にあこがれ、彼につづこうとしたノンフィクションライターは、ほぼ二番煎じだ。
旅行記にしても、日本人のタビビトはいまだに『深夜特急』を追い続けているではないか。

だが、『深夜特急』から20年がたち、私は、彼よりもっともっと、圧倒的な知力を持つ書き手を知っていった。
もう今の私は、20年前の、彼に心酔していた大学生じゃない。
あれからたくさんの本を読んで、もっとものすごいレベルの書き手を、知ってしまった。
彼は……あまりにも、変わらなさすぎる。
当時は凄いと思って夢中になった文章も、今では、「私にも書ける」と感じてしまう。
もちろん、実際には書けるわけがない。
取材力も、コンスタントに作品を出していく持久力も、構成力も、決して追いつけない。
それでも、「私にも書けるんじゃないの?」と、ちらりとでも思わせてしまう時点で、もう私にとってその書き手はカリスマを失っているのだ。
今の私が読んでいる書き手は、どの人も「これくらいの文章なら、私にも書ける」という不埒な考えなど、一瞬たりとも起こさせない。
読むのが楽しくて、知るのが楽しくてしょうがない書き手のものしか読まなくなっている。
私は彼の思索力に追いついてしまったと感じる。
20年来変わらない……立ち止まってしまった人に、魅力は感じられないのだ。
その立ち止まりこそが、立ちつくして逡巡している様こそが魅力だ、と思えるならそれでもいい。
そこが、昔の恋人のよさだから。
でも私は昔の恋人とはもう個人的に会おうとは思わないもの。

この本は、雑誌『SWITCH』に連載していた日記形式のエッセイを単行本化したものである。
刊行されて話題となったのは、それが現在ではなく、約20年前の、彼の三十代最後の一年をつづっているということだ。
三十代最後の一年。
私のことだよ。
誕生日が来る前に、読まなければ。
腰巻きの“三十代最後の一年”という惹句に吸い寄せられた。
20年前といえば、ちょうど沢木が『深夜特急』を出版するときであり、『キャパ』の翻訳に苦しんでいたときであり、近藤紘一さんが亡くなった年だ。
『深夜特急』は当然としても、私はキャパにも高校生のときから興味があったし、近藤紘一さんの著作も大好きで、読みふけっていた。
読みながら、とても奇妙な気分だった。
あのころの、これら諸々のことに夢中だった自分と、今の自分との断層を見せられているようで。

変わってしまった私と、変わらない彼。
でも、この彼は20年前の彼なのだ。
それなら、変わらないという印象は正しくないのでは?
しかし、単行本化するということは、彼自身がこの20年前のエッセイを、今このときに一作品として世に出すことを、良しとしたからこそのはずだ。

だとすればやはり、彼は変わらないのか。
20年前の、十代最後の年、彼のエッセイに出てくる諸々のものごとを追いかけながら生きていた自分を思い出させてくれた本。
人一倍、愛着は感じる。
けれど愛情はない。
昔の恋人のように。

*当欄で最近書いた、沢木氏に関連する記事です。
沢木耕太郎のように
『暮しの手帖』沢木耕太郎の映画時評終了に反対する

by apakaba | 2007-06-21 23:20 | 文芸・文学・言語 | Comments(12)
2007年 06月 20日

二の腕の魔力

ビリーズ・ブートキャンプの紹介をしていたラジオのDJが言う(あ、ビリーズ・ブートキャンプ知らない?エクササイズの神様的存在らしい)。
「この季節、二の腕ですよね、注目すべきは。女性はねぇ。あー男性もですけど。あなたの二の腕、いかがですかぁ?」
「そうだねえ。」
と心で相づち。

どういう二の腕が好みですか。
私は、女性なら、手首みたいな、折れそうな二の腕ってあまり好きじゃない。
それならドカンと太い二の腕のほうが愛嬌があると思う。
理想は、細くも太くもなくて、うっすらと脂肪が乗っているような、硬いと柔らかいの中間くらいの肉質の二の腕が好きだ。
二の腕がいい形だと、全体に美しい女性という印象を受ける。

男だったら、やっぱりあまりガリガリは頼りがいがなさそう、かといって太ももみたいに太いのも嫌。あまりに腕が太い男って太りやすそうに見えるから。
すらっとまっすぐなよりも少しだけ筋肉がごつごつしているのがいい。
白人より、ネパール人とかインド人の、肉体労働者の筋肉の付き方が好き。
かの国で、真っ黒になって道路工事などをしている労働者を見ると「おぉー、いいねえその二の腕」と思う。

二の腕と聞いて連想するのは、『赤と黒』のレーナル夫人だ。
美貌の野心家である主人公ジュリヤン・ソレルは、レーナル夫人を見初めたとき、二の腕の美しさに瞠目する。
彼女に恋心を燃え立たせるとき、腕にキスした思い出を反芻する。
彼女の登場場面には、くり返し「ドレスからむき出しの腕が」という描写が出てくる。
今風に平たく言って“フェチ”ということになるのだろうが、初めて読んだ高校生のころ、つまらなくてつまらなくて投げ捨てたいくらいおもしろくなかった『赤と黒』の中で、この執拗な描写にだけは新鮮な驚きを覚えた。
当時の私は、男というものは、おしなべて女の“顔”それから“ムネ”少し降りていって“ウエスト”せいぜい“脚”くらいに注目するもんだと思いこんでいたから、この小説の中で語られる二の腕への執着は非常に新しい感覚として記憶に残ったのだった。

新しいと感じたのは自分が未熟者だったからで、『赤と黒』は19世紀の小説だ。
二の腕には、古来それだけ異性を惹きつける魅力があるのだ。

当時、
「夫人てさ。おばさんでしょ?おばさんの腕なんか見てどうして興奮するの、この人10代でしょ?」
と理解に苦しんだ。
しかしたしかにレーナル夫人を誘惑したジュリヤン・ソレルは10代だったが、レーナル夫人だって、子持ちとはいえ30歳くらいの若い人妻だった。
“夫人”という語感で、イコールおばさんと決めつけていた高校生の私は愚かだった。

この夏、挫折した『赤と黒』にもう一度挑戦してみようと思っている。
(少し痩せるように思う。二の腕はどんどん老化するのですよ。)

by apakaba | 2007-06-20 18:10 | ファッション | Comments(27)
2007年 06月 18日

光の教会——“イメージ”を獲得するための結晶として

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歩き回る。
いくら歩き回っても、飽きることがない。
1000㎡にも満たない敷地を、いつまでも回遊していく。
一歩進んで天井を見上げ、建物に切り取られた空を見上げ、鋭角に交差する壁を眺め、壁に触れ、また一歩進んで床に響く靴音を楽しみ、“内”と“外”を曖昧に隔てるガラスの引き戸という意匠におどろき、また一歩進んで二棟の建物の間を吹く風の通り道を知り、C字型のベンチ以外になにひとつ装飾品のない中庭の風情にまた驚く。

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風情、という表現はそもそも正しいのか。
たしかにここには、いわゆるニッポンの風情を思い起こさせるものはなにも配されていない。
第一、ここはキリスト教会だ。
けれども、私は、この建築に日本人の美を強く感じる。
安藤忠雄という、現代の日本を代表する建築家の骨にしみこんだ、日本人の美——風情を解する心から発せられるメッセージを受け取る。
だからこそ、ここは世界でも比類のない“キリスト教会建築”たりえるのだ。

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大阪府茨木市にある、茨木春日丘教会へ行ってきた。
安藤忠雄さんのファンのつもりだが、大阪をホームグラウンドにして活動している安藤建築を東京で見る機会はあまりない。
上野公園の国立こども図書館、表参道ヒルズ、東京ミッドタウンのデザインスタジオ21-21、それくらいしか廻っていない。
茨木春日丘教会は数年来のあこがれの場所だった。
とくに、昨年末にU2の来日公演へ行った際、ヴォーカルのボノが見学に訪れたとMCで語っていたのを聞いて(そのときの記事はこちら)、あこがれの気持ちはますます高まっていた。
先日、大阪へ行く機会に恵まれたので訪ねてみることにした。
行くのなら、教会がもっとも教会としての本来的な機能を果たしているときに訪ねたい。
もちろん、日曜礼拝だ。

この教会は、通称“光の教会”と呼ばれている。
“光”は、キリスト教でもっとも重要なファクターである。
長大な旧約聖書も、「はじめに、光ありき」から始まる。
安藤忠雄は、光をどうとらえ、どう表現したのか、そのことになによりも興味があった。

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教会ホールの中は、暗い。
写真で内部を見たことはあるので、暗いということは知っていたが、まるで劇場のような暗さだ。
ヨーロッパの教会も、暗いところが多い。
一瞬視覚を失い、そのあとで浮かび上がってくるステンドグラスやキリスト像の美しさ。
求心的な視覚のトリック。
だがここにはステンドグラスもキリスト像もなく、かわりに、コンクリートの壁を十字に切り取って差し込んでくる光だけが、正面に在る。
人はホールに入り、必然的に正面の十字架を見る。
いや、正しくいえば、十字架さえ存しない。
あるのは壁なのだ。

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暗さが光を作る。
照明をつけても照らしきれない、ぬぐいきれない闇があるから、光の十字架はいよいよ輝く。
本当は“ここにない”十字架の姿を、これ以上なくはっきりと誰もが見て取る。
十字架が等号で光と結ばれる。
実際には“ない”十字架が、光の像となって心にインプリントされる。
これが、自らはキリスト教徒ではない安藤忠雄が、地元の信者さんたちの「新しい教会ホールを建てたい」という熱烈な要望と向き合って、出した答えだ。
著書『連戦連敗』の中で、安藤さんは光の教会についてこう語っている。

意図していたのは、自然を抽象化することで得られる人間の精神の根源に触れるような深遠な空間の実現、つまり要素を切り捨てていくことで逆により奥深い空間性を獲得することでした。

まさに日本的な感覚ではないか。
茶の湯や石庭の、極限まで自然を簡素化・抽象化した果てに現出する、“この世の何処にもない、調和に満ちた平安の世界”、実在しないが故に、その場にいる人間だけがくり返しくり返し、心の中に像を結ぶことを逆説的に許された、“イメージ”のたゆたい……
私が、初めてこのホールに足を踏み入れたときに受けた感覚は、彼のこんな信念に通じていたのだ。

礼拝の間、光の十字架を見ていた。
牧師の肩を、朝の陽射しが照らしていた。
斜め後ろから牧師を差す光は、温かく、親密で、説教や賛美歌がいっそう連帯感のあるものとして感じられる。
やがて斜めに入ってきていた光は中央の通路に向けてまっすぐ伸びてきた。
時間が経ったのだ。
賛美歌をいくつも唄うたびに立ったり座ったり、プロテスタントの礼拝はなかなかに忙しい。
ふと気づくと、十字架からは光が差さなくなっていた。
“曇ってきたんだ……”
天気を知る。
これほどまでに外をシャットアウトしているように見えながら、実は外とのつながりが密になっている。

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安藤建築のエッセンスが、ギュッと詰まった結晶体のような建物だ。
小さい建築だけに、いっそう凝縮感=意志を強く感じられる。
一歩、歩を進めるごとに刻々移り変わる空間を経巡る幸福感を、久しぶりに味わった。

by apakaba | 2007-06-18 22:40 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(20)