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2007年 11月 30日

1990年の春休み.74 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
カトマンズ観光の目玉としてめだまさま(ボダナート)へ。
かわいいリキシャ少年とも意気投合して楽しい観光。
ところが次の目的地ゴカルナ森への道中が……

3月4日(つづき)
 私はゴカルナ森に多大な期待を寄せていたので、ボダナートのあとうきうきしてリキシャに乗り込んだ。
 暑くなってきたので、アイスキャンデーを買った。チベット仏教の青年僧たちがおいしそうにかじっているのを見たのだ。しかしそれは傍目に見るのとまったくちがった味がした。ちょっとがっかり。

 それにしてもゴカルナは遠い。
 遠いなあ、おかしいなあ、いやこんなはずはないぞ。とだんだん心配になってくる。ボダナートから2キロで着くはずなのに、と思ってあたりをよく見ると、どうももと来た道のようだ。

 「GPOのほうまで戻って来ちゃったよ!なんでこうなるの?あれほど何度も“ゴルカ・ヴァン”って言っといたのに。」
 「え、ヒロ、“ゴルカ”じゃなくて“ゴカルナ”だよ、ちゃんとゴカルナ・ヴァンて言わないから、この子どこに行っていいのかわかんなくなっちゃったんじゃないの!?」
 「うそーゴルカじゃなかったっけ?私勘違いしてた。わからないからとりあえずスタートしたとこに戻ってきちゃったのかなあ?」
 「ここまで戻っちゃったら今日はもうゴカルナまでは行かれないよ。時間がないもん。チェーンの調子も悪いし……。」
 「……。」
 リキシャのチェーンが何度もはずれて、もはや漕ぐのをあきらめてほとんど手押しで帰ってきているこの少年に、とてもUターンしろとは言えなくなってしまった。
 二人対一人の沈黙が流れる。彼は黙々とリキシャを押している。このときはホント、気が滅入った。ゴカルナに行けなかったのもショックだし、少年の心がとつぜんまったく見えなくなってしまったこともショック。
 かなしいとか怒りたいとかいう積極的な感情ではなく、なにを考えているのかわからないブキミさ。どうせ彼のことだから策略があるとかいうのではないだろうが、それ以前に、ひたすら気持ちが下降していってしまう。

 とかなんとか言ってる間に、ついに振り出しのGPO前に着いてしまった。
 少年は、仕事は終わったとばかりに振り向く。
 やはりゴカルナのことはまるっきりわかってなかった。
 はじめに100ルピーと交渉しておいたので、ゴカルナには行ってないけど100払おうとした。
 ところが、彼は300だか500だか、突然法外な値段を要求してきたのだ。なんてことだ。下降どころか墜落してしまいましたよアタシ。
 しかし!ここで甘いカオはできない。
 「100で十分だよ。だって一番最初には、ここからボダナートまで片道35で行くって言ってたんだから。往復で70、ボダナートの案内を入れたって100以上払うことないよ。」
 と私はがんばりたかったが、ヒロは
 「140……くらいは払っておこうよ。チェーンがだめになってるし、これ以上けんか腰になりたくないし。気まずいじゃない。」
 と言う。
 周りには例によってあっという間に人だかりができている。
 あんたがゴルカとか言ってるから妙なことになったんじゃない、どっちにしてももう気まずくなっちゃってるじゃん、と思ったが、結局はヒロの意見に従って140ルピー払い、その場を去った。

 あーまったくいやになる。楽しかったのは行きのひとときだけだった。
 少年も結局はしたたかな働く人である。最初の交渉から額を変えるのはフェアじゃないが、あんなふうにつり上げても払う人がいるってことだろう。
 いったん気まずくなると二度と立ち直れない。だって言葉がわかんないもん!なに考えてるのかたしかめられない。
 一番最初の35はただの言い値だったのか、とか、途中で100にしたからこれなら上げてもイケると思ったのか、とか、どんどん悪く考えてしまう。
 ゴカルナはあきらめたが、後味の悪さはもう拭いようがなかった。
 言葉の通じにくい世界で、信じどき、信じる程度ってむずかしい、と二度三度思ってしまった。

by apakaba | 2007-11-30 17:45 | 1990年の春休み | Comments(6)
2007年 11月 27日

1990年の春休み.73 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
日本に残してきたミタニくんに手紙を書いて、ひとまず一息。
カトマンズに来てすでに2日たっているのに、いったい我々はなにをやっているんでしょう?

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カトマンズ随一の観光名所、ボダナート。

3月4日(日)晴
 きのうは洗濯と闇両替で終わってしまったので、今日はきっちり観光することにした。
 まずGPO(中央郵便局)に行き、きのう書いた手紙を出した。
 ヒロにはミタニの問題をあまり話していない(愛に発展しなかったら恥ずかしいから)ので、出すまでの間なんとなく中身を透視されているような気分で落ち着かなかった。

 さて本日の目的地は、ボダナートとゴカルナ森である。
 ボダナートは、街の東約7キロに位置する、チベット仏教(*1)の聖地である。ここのストゥーパ(仏塔)は世界最大であり、付近にはチベット人がたくさん住み着いているという。

*1・・・ネパールの国教はヒンドゥー教だが、カトマンズでは、ヒンドゥー教と仏教が同等に信仰されている。

 そしてゴカルナ森というのは、サファリパークのようなところで、クジャクや鹿や猿などが広大な森にいるらしい。
 どちらもなんだかツーリストの鑑が訪れそうなところだが、まー今日もヒマだし、いいか。
 というわけで、まずリキシャを選ぶ。群がるリキシャマンたちは、口々に250だの300だのと途方もなくふっかけてくる。そういう奴らはほっといて、まだ13歳かそこらの子供のサイクルリキシャに決めた。彼はただ一人、ボダナートまで片道35ルピーで行くと言ったのだ。ゴカルナ森を廻ってこのGPOまで戻り、しめて100ルピー(500円)ということで交渉が成立した。

 ものすごく華奢なリキシャの少年は、ペダルを漕ぐたびにやたら上半身がハデに左右する。ウワーはりきってるなあ、と頼もしくなる。しかしこんなに痩せていて、大人ふたりを乗せて大丈夫なんだろうか。坂道になっても降りてくれとは絶対に言わない。かわいそうなので自主的に降りてしまう(*2)。

*2・・・これは人のいい日本人旅行者がよくやってしまうことなのだが、インド人やネパール人の乗客がそうしているのを見たことがない。あくまでも座席にふんぞり返っている。

 途中から、偶然に少年の友だちが加わった。
 黄色い野球帽をかぶり、カバンを提げた男の子が、道ばたに立っていて、私たちのリキシャにずうっとくっついてきた。
 私たちは最初から最後までこの子がキライだった。子供のくせに、妙に深刻そうに顔を近づけ、下からのぞくような目でささやくようにしゃべる。うう気持ち悪い。体つきもリキシャの少年とは正反対でデブッとたるんでいる。すぐにシェキとニックネームをつけた(お忘れでしょうが、パキスタンにいたころ一番嫌いだった奴の名前)。なんでついてくるのじゃ。なんで我々のかわいいリキシャの少年とあんたが友だちなのだ。

 ボダナートまでの道は遠かった。そして上り坂ばかりだった。上り坂になると私たちは歩き、少年はリキシャを押すのだが、それがものすごく速い。どこにそんな力があるのだろう。きっと全身が筋肉なのね。
 日焼けを避けて幌を掛けていたが、ぼろいのですぐ閉じてしまい、結局役に立たなかった。でもあの粗悪な幌はなかなかに味わい深い。

 ボダナートはまったくの観光地で、私はあまりおもしろくなかった。
 白いお椀を伏せたような大きくて低い塔の上に、金色の帽子をかぶったような仏の眼が描かれていた。宇宙のすべてを見通す眼だということだが、なんだか大きすぎるわりには、偶像と象徴のどっちつかずの造形という印象を持った。ありがたみは感じられない。
 お椀のフチに当たる壁に、500ml缶くらいの大きさの、円筒形の回転するモノがずらりと一列に並んでいて、それをみんなムキになって(かどうか知らないが)回しながら歩いている。あれはいったいなんなのでしょう。円筒には模様が刻んであり、結構重い。これがなんだか一番まともにありがたい(*3)。

*3・・・これはマニ車といって、チベット仏教の聖句「オムマニペメフム」が刻まれており、これを回すだけで、お経を唱えるのと同じ功徳があるという。

 少年が私たちのカメラで写真を撮ってくれたが、たんにカメラを触ってみたかっただけらしく、フレームに人物と背景を入れるなんてことはまるで考えていないようだった。どんなひどい写真になることやら。
 彼は出店でぶどうを買い、私たちに分けてくれた。種だらけだった。
 ぶどうの皮と種をペッペと吐きながらあちこち案内してもらった。しかしその間もシェキと一緒なのが気に入らない。こいつは急にフッといなくなったり、いつの間にかまたリキシャに乗り込んでいたりする不気味な奴なのだ。
 お寺の境内に入ってみると、なぜか女の人ばかりが集まって、念仏のようなものを唱えて、これからまさに食事が始まるところだった。まずは仏様にさしあげる。そのごはんはとてもおいしそうだった。

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堂内の仏様のうちの一体。

 お堂の中には、だんだんだん!という感じで三体の仏像がある。仏像とあっさりいうには迫力がありすぎる。3人?とも顔がぴかぴかの金で、人間の顔の大きさの3倍はある。右側のはエンマ様なのか、おそろしい形相だ。日本の仏像とはぜんぜんフンイキがちがう。ちがう国の仏なんだなーと思った。チベット仏教の仏像を見たのは初めてだったので、圧倒されるばかりであった。
 それにしても真ん中の仏像の顔が大学で同じクラスの井上さんによく似ていた(そういうこと、言っていいのか)。
 少年は、仏様にきちんと手を合わせていた。美しい姿だった。宗教ってスゴイ、となんとなく感心する。

by apakaba | 2007-11-27 18:47 | 1990年の春休み | Comments(10)
2007年 11月 26日

たわし考

晩ごはんにきぬかつぎを出すため、たわしで里芋をこすって洗う。
洗いさえすれば蒸かすだけだから楽なものだが、私はこの作業がとっても嫌い。
理由は簡単、食べる芋の数が多いからだ。

たわしを使うときにはいつも、“たわしを作っている会社は、大丈夫なんだろうか”ということを考える。
どのスーパーでも、たわしは売っている。
でもたわしを買っている人を見たことがない。
私自身も、結婚してもうすぐ17年たつが、買い換えた記憶は1,2度しかない。

洗い物をするのに、私はいろんなものを使っている。
最もよく使うのは、洗剤の使用量を減らせる(一応、環境保護派なので)メラミンスポンジ。水を含ませて消しゴムのようにこすって落とすという化学スポンジだ。
それで落ちない油汚れにはいわゆるふつうのナイロンスポンジ。
スチールウール。
鉄製のフライパンと中華鍋専用に、カルカヤのたわし(あるいはささら)。
そして亀の子たわし。

亀の子たわしの出番は一番少ない。
せいぜい、ざるを洗うか、泥付きの野菜の泥を落とすのに使うくらいだ。
それでも、晩ごはんにするために洗う里芋の泥を、これ以外のもので落とすということが考えられないので、たわしがうちからなくなるということはないと思う。

たわしって、いつ買い換えるものだろう?
ちょっとずつちょっとずつ、毛(というか繊維)が抜け落ちているものの、半永久的に保ちそうにも見える。
見切る頃合いが難しい。
こんなに買い換えるサイクルの長い台所用品って、他にないにちがいない(あ、スチールウールも長いな。でもあれって愛着という言葉からは遠い製品だな)。

1991年に、NHK朝の連続テレビ小説『君の名は』を放映していた。
私は新婚ほやほやで、新郎の夫は鈴木京香見たさに毎朝このドラマを見ていた。
鈴木京香扮するヒロイン真知子さんは、ドラマの中で私と同じように結婚して人妻となり、台所に立つ。
真知子さんは、いつも洗い物をするときにたわしを使っていた。
「この時代(戦後間もなく)のご家庭では、なんでもかんでもたわしでこすって洗い物をしていたのか。」ということが、同じ新妻として鑑賞している私にはいやに印象的だった。
「あんなのたわしで落ちるのかなあ?あれ。もう洗い物終了?ずいぶん簡単だなあ。あまり油汚れに困るような食事をしていなかったってことかしら。それにしても魚くらい食べただろうよ。魚の脂はたわしだけじゃ落ちないだろうに。お湯を沸かしてかけたりしていたのかな?そんなことまでいちいちドラマで見せていたら話が進まないもんね。」
等々と、23歳の新妻は考えた。

あのころ、きっとたわしの需要は大きかったにちがいない。
あれしか使える道具がなかったのだから。
今では絶対に右肩下がりだと思う。
丈夫さが災いして、なかなか買い換えないし。
でもなくなると困る。
やっぱり昔ながらの道具には、新しい道具に替えられない良さがある。
人の家の台所ってよく知らないけれど、一家に一個、あるのかなあ?たわしは。

by apakaba | 2007-11-26 21:51 | 生活の話題 | Comments(7)
2007年 11月 24日

○井虎次郎さんのお店

家の近所に、和菓子屋さんがある。
品のいい季節の練りきりなどを売る店ではなく、ようかんやおまんじゅうや大福などの庶民的なお菓子の店だ。
店構えはボロボロで、いつも店内が暗いので、入ってみるまで営業中かどうか心許ない。
かなり昔からやっているお店のようだ。

うちはお正月ののしもちをここで買う。
子供たちのおやつもたまに買う。
あんこにはちょっと塩が利きすぎている。
そして砂糖もやや多すぎる。
お赤飯はちょっと色が濃すぎている。
今流行りの、糖分塩分控えめな繊細なお菓子ではなく、昔からまったく変わらないタイプの、荒っぽく懐かしい味だ。

店番には、歩くのもやっとというおじいさんが当たっている。
食品を売る店でこの恰好は……と後退りするほど、いつも汚れた服を着たきりでいる。
おじいさんはそうとう耳が遠いらしい。
薄暗い店内に一歩お客が入ると、「ピンッ、ポーン!」と、常人ならすっ飛び上がるような大きな音で合図のチャイムが鳴る。
それからしばらくするとごそごそとおじいさんが出てくる。
「いらっしゃい。」
と、掛けてくる声はふつうだがこちらの言うことはほぼなにもわからない。
「豆大福4個と、草餅4個ください。」
などとふつうの声で注文しても、
「あぁ?これ?これ?」
ととんちんかんなやりとりになってしまうので、
「まめだいふくをーっ(いいながら豆大福を指す)よっつー!(同時に指を4本立てる)」という具合で頼む。
「これ4つね?」
と聞き返されたら“ウン、ウン”と大げさにうなずく。

注文さえ通れば、包装と計算はちゃんとできるのであとは簡単だ。

初めて「アキタコマチ」を連れて行ったとき、私とおじいさんのやりとりを見ていて「ははあ……」と我が意を得たようで、次に来たとき
「オレが注文するから!」
と張り切る。
子供の声は通るので、耳が遠くても聞こえるようだった。

「ふふ、○井さんはオレの声なら聞こえるんだよ。」
「あんたどうして○井さんなんて名前知ってるの!」
急に名字を言い始めたのでびっくりして聞くと、店の中に賞状が飾ってあり、そこに“○井虎次郎様”と書いてあったのを見たという。

そこでまた「アキタコマチ」と次に来たときに店内を見たら、薄暗いので今まで気がつかなかったが東京都知事(美濃部さん)から贈られた、功労賞のような賞状がたしかにかかっていた。
和菓子作りに長年携わってきたことを賞していた。
「ほらねおかーさん。虎次郎さんは長年このお店でお菓子を作り続けて働いたんだよ。今では息子のナントカさん(やはり賞状あり)が跡を継いで、奥の台所で作っているんだよ(作業場が売り場の奥によく見えていて、おじさんがひとりで和菓子を作っている)。虎次郎さんは体が弱ってお菓子を作れなくなったから、今は店番になったんだよ。」
勝手に物語を作って満足している。
勝手にといっても、おそらく想像のとおりだろう。

何度行っても、私が注文するより「アキタコマチ」が注文したがった。
○井さんは、会話は一方通行同士なのだが、息子に
「よかったらどうぞ。うちで作ってるんだよ。さらし飴。おいしいよ。」
と自家製千歳飴のかけらをくれたりした。

ある日、「アキタコマチ」を連れてお店に行くと、「ピンッ、ポーン!」の音がしない。
いつも身構えながら入るので拍子抜けする。
出てきたのは虎次郎さんではなく息子さんのほうだった。
大柄な、茶饅頭のような顔色のおじさんだ。
「アキタコマチ」は一瞬、身を固くし、おじさんの顔を困惑の目で見上げた。
おそらく、そのほんの1秒ほどの間に、おじさんは息子の不安を読み取ったのだろう。
「いらっしゃい。ああ、おじいちゃんかい?アハハ、死んだかと思ったろう。まだ生きてるよ残念ながら。なかなかくたばらねーんだおじいちゃんは。そろそろくたばってくれないかなーと思ってるんだけど、がんばっちゃっててねえー。」
と毒蝮三太夫のようなことを言う。
「アキタコマチ」はほっとして、少しへなへなっとなったようだった。
それから、おじさんのあまりの言いように、私といっしょに涙を流して笑った。

「出てこないから死んだかと思ったろ?」
「は、はい。心配になりました。」
「大丈夫だよ。最近ちょっと風邪引いててね、店に出られないだけだよ。風邪ぐらいじゃうちのおじいちゃんはくたばらねーから。ほんと、なかなか死なないんだから弱っちゃうよ。こっちが先くたばっちまうよこの分じゃ。」
「はははははは……そうですか。よかった。ふー。よかったよ。オレ本当に死んじゃったかと思ってた。」

クルマに戻ってから、おじさんの口真似をしながら
「あのおじさんの言い方、おかしいねえー。」
といつまでも笑っていた。
口の悪さが愛情(ちょっと本音)という大人の世界の機微を、少しずつ知っていく。

by apakaba | 2007-11-24 14:39 | 子供 | Comments(7)
2007年 11月 22日

「わがままな女」だった時代

先日、顔ぐじゃぐじゃになってしまって皮膚科へ行ってきた。
そこはとても待たせる医院なので、いつも待合室で雑誌を精読してしまう。
ananのバックナンバーに〈わがままな女は得をする!〉という特集号があった。
私はわがままなタイプではないよねえ……と思いながらも、ヒマなので読破してそれっきり忘れていた。

今日、クルマを走らせていて、次々と目に入ってくる道路標識を見るとはなしに見ていて、突然「あっ!私は、すっごいわがまま女だった!あの人に!」と思い出した。

半年間だけヒミツでつきあった相手には、かなりの無理難題を言っていたわ。
いい人だったなああの人は。今どうしているだろう。
それは知りようもないのだけれど、なぜ道路標識を見てはっと思い出したかというと。

高速道路の脇に、非常に小さい標識で「非常電話」というのがある。
20年くらい前まで、それは本当に小さかった。
おそらく、6センチ×15センチくらいのサイズ。
緑色で、受話器のイラストと角張った文字で「非常電話」と書いてあるだけ。
自分が運転免許を取って高速を走るようになって、初めて気がついた。
なんて小さくてかわいいの!
でも道路標識にしては、小さすぎない?
あれじゃ走っていても見落とすよー。
あとから気づいたが、クルマをなにかの原因で降りて路肩を歩いて電話を探さなければならない状況の人間にさえわかればいいのだから、高速走行している車から見えなくてもかまわない標識だったのだ。

とにかく私は、その度はずれに小さい標識が欲しくてたまらなかった。
「あれかわいい!欲しい!欲しい!」
クルマで高速に乗るたび、私はわめいた。
カレは困って、
「うーん、今度夜中にでも取りに来てみる……?」
と半分本気で言ってくれたが、
「いや、やっぱりそれはまずいでしょう。やめておこう。」
ときわめて常識的に自分の前言を撤回してもいた。
「なんでー?取ってよあれ。かわいいじゃん!私欲しいよあれ!」
その気になれば、簡単に取れるように思っていた。

それから、「夜中の動物園に侵入したい!」ともわめいたことがある。
アーヴィングのデビュー作『熊を放つ』に感化されていた私は、それがいかにも実行できそうなことに思えていた。
「野毛山動物園(横浜の人間なもので)にさ、12時ごろに入ってみたい!柵越えてさ、簡単だよ。」
カレはやっぱり困って、
「おもしろそうだねえ。でも、うーん、できるかな?」
一度、かなり夜遅くにクルマで偵察に行った。
動物園の門まで来た。
私には簡単によじ登れそうに見えた。
でもカレは、
「いやーやっぱりやめておこう。だってもしも見つかったら本当に大変だよ?ね?」
と、きわめて常識的なことを言って私を押しとどめた。

どうして、あきらかに犯罪行為なのに、わくわくするんだろう。
いとも簡単にやれそうな気になるんだろう。
カレのように、「もし見つかったら」「もしつかまったら」と、マイナス要因が頭に微塵も浮かばなかったんだろう。
私は躁鬱の躁状態だったのかな。
なんでもできるような気がしていた。
カレを試してみたかったのかもしれない。
これ、できる?やってみせてよ。
私が好きで、私とつきあいたいならね。
ヒミツの交際での粗暴な情熱、はたの迷惑顧みず……というやつだ。

「非常電話」の標識は、やがてサイズがやや大きくなり、非常電話の4文字のかわりに、「(電話まで)300m」と書かれた標識に変わった。
たったそれだけの変化で、最初に感じたかわいさはまったく消え失せた。
私はもうその標識に魅力を感じなくなった。

動物園侵入計画も座礁した。
半年だけのカレと別れた。
でも侵入癖だけはつづいた。
真夜中の鎌倉大仏に侵入したい!と言って、
「しょうがねえなー。まったくよう」
ときわめて渋々つきあってくれた人とは、結婚できたことだし。
私の躁状態なわがままはジ・エンドとなった。

by apakaba | 2007-11-22 23:27 | 思い出話 | Comments(9)
2007年 11月 20日

1990年の春休み.72 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
カトマンズは夢のようなところだ。
かっこいいネパリの男性たちにびっくり。
マンダラというレストランの「まんだら屋の良太」とニックネームをつけた人がとくにステキだ。

3月3日(つづき)
 さていつまでも良太にのぼせている場合ではない。
 部屋に戻ってから、ミタニ君に手紙を書いた。
 日本を出てから、旅が終わるまでの間に、一度自分の気持ちを書いて伝えたいと思っていたのだ。それを今日まで延ばし延ばし来てしまった。ぼちぼち書かないと、帰国してしまう。

 これが、新しい、ほんものの、愛なの、か、な??というような感じの状態になったのが出発直前で、それっきりほったらかしにして出てきてしまったので、なかなか筆が進まない。緊張する。ミタニごときにこの私が緊張するなんてよう、と自分を奮い立たせてみても、あれから向こうの気持ちがどう変わっていったかなんてわからないから、私があまりにも自分を見せてしまって、あれーキミはなにを的はずれなこと言ってるの、オレら入学以来の遊び仲間のはずだろう、とか言ってかるーくかわされてしまったら赤っ恥だ。
 でも、少なくともあの、出発前に最後に会った日には、気持ちがつながっていて、それまでの4年間には一度もなかったような、やさしい気持ちのなかにいられた、ような気がしたんだ。それだけわかってもらえればいいと思った。

 はっきり言って、これまで相当色気のないつきあいをしてきたので、私のことを愛してくれているという自信が全然ない。そして私自身も、ミタニの存在を、男の友だちのなかで一番仲のいい奴というポジションから今後発展させていけるのか、これもまるっきり自信がない。他に私を好きでいてくれる人々にも、けっこういい顔しちゃってるままだしなあー。しかしこのいいかげんな性格のアタシでも、なんとなくあの日のミタニ君はちがって見えた……と思ったんだけど?

 未整理な気分をそのまま正直に書いた。
 私は奴に何を残しただろうか。
 今すぐ会ってたしかめたい、という思いを一生懸命握りつぶしてここまできたが、3月になり、最後の国に入って、おかしな話だがだんだん帰るのが待ちきれないような気分にさえなってきた。

 私の頭には、じつはこの旅に出発したそのときから、あるひとつの妄想が浮かび、旅の間に幾度となく心をよぎっていたのである。
 それは、この旅の終わりに、きっとミタニが空港に迎えに来る、というものだった。
 もしそれがたんなるオメデタイ思い上がりで終われば、今までどおり友だちとして、平気な顔でつきあってくだけだ。
 けれどもし来ていたら、……そのときこそ本当になにかが変わる、4年間築いてきた関係に戻ることはもうないのだろう……と、考えていた。

by apakaba | 2007-11-20 17:04 | 1990年の春休み | Comments(12)
2007年 11月 19日

顔ぐじゃぐじゃ

それは脂漏性皮膚炎だからです。

脂漏性湿疹ともいいます。
私はたまになります。
顔にいっぱい湿疹が出て、とてもかゆくなります。
完治はしないんですね。
脂漏性というと顔がすごく脂っぽい人がなるようなイメージがありますが、私はわりと乾燥肌です。
刺激物が好きとか、ビタミン欠乏、ストレスや寝不足などの疲れ、寒暖差、アルコール依存などが原因といわれますが、……特定は難しいようなので、あまり気にしてもしょうがないみたい。

ここ数日であまりにどんどん広がっていくので、「とびひになったのか?」と思ってあわてていましたが、とびひは大丈夫でした。
今日、皮膚科へ行ったら、
「あーこんなにひどくなっちゃったら、ステロイドを使うしかない。ステロイド剤と内服薬で静めます。」
と言われてガックリ。

10年ちかく前、別の皮膚科で同じ脂漏性皮膚炎と診断され、出されたステロイド剤が強すぎたようで、副作用がものすごく出て、どんどんひどくなってしまったことがあります。
顔中が真っ赤に腫れ上がって、かゆみとほてりがひどく、ぬるま湯だけで洗顔してもぴりぴりとしみるし、顔がどーんと重くて、お化粧なんて絶対にできなくなりました。
当時はもう、人と会うのがいやでいやで仕方がなかったのです。
夫や母は「猿面冠者」「お猿さん状態」と心ないことを言うし、そんなこと身内に言われたら、
「身内だから遠慮なく言うんだ。他人は口に出さなくても、私の顔を猿みたいと思っているに違いない。」
と思ってしまうでしょう?

ちょうどそのころ、「旅行人」という旅行雑誌が“一人旅をする女性”の特集を組み、取材の依頼を受けました。
編集部に来てほしいとのことで、ふだんの私なら、
「きゃああ、やったー!蔵前さん(名物編集長)にお会いできる!バンザーイ!」
とミーハー魂むき出しでいそいそと出かけたでしょうが、そのときは
「顔写真撮るんですか。」
とカメラマンさんに泣きそうになりながら尋ねるほどでした。
結局、猿みたいな顔は掲載されず、旅先の楽しそうなスナップが選ばれました。
それはそれでうれしかったけれど、
「やっぱり、今の私の顔じゃ、載せられないもんね……。」
と、少しまた落ち込みました。
こういうときは、なんでもかんでも、ネガティヴに思考してしまうのです。

数年間、落ち込んでいました。
それでもいつの間にか治っていき、当時の苦しさも忘れていきました。
今は、やっぱりかゆくて、また当時のように気分も重くなってきたので、新しい先生を信じてきっちり外用薬と内服薬で治そう!と思っています。

by apakaba | 2007-11-19 18:40 | 健康・病気 | Comments(9)
2007年 11月 18日

「これぞ東京」

京都から友だちが来るので、こちらの友人に声をかけて集まった。
彼は東京に来るのが10年ぶり、その前に来たのは中学生の修学旅行だけというので、「どこへ行く?」というのがメンバーの悩みどころだった。
なにも決まらないまま、とりあえず待ち合わせ場所だけ決めた。
「渋谷のモヤイ像(“モアイ”と書くアナタは違っているぞ)は?」
「ハチ公よりましかな」
彼は「ハチ公って渋谷なんですか。上野だと思ってました。」
とウソとも本当ともわからないボケ方をするのでやや心配になる。

モヤイでなんとか全員集合した。
「どこ行きたい?」
結局決まらないままで会ってしまったのであらためて尋ねる。
すでに精力的にあちこち行ってきたらしく、アメ横とか靖国神社へは行ったという。
フリマで買ったという上着まで手に提げている。
なんだかすでに満喫しているご様子。

「これぞ東京、っていうところに行きたい。」
「その前になんか食べよう、お腹空いた。なにがいい?」
「これぞ東京、っていうものを食べたい。」
そんなこと言われても……適当に、渋谷駅前のもんじゃ焼き屋に入るが、家で作るより味が濃いしあまりおいしくなかった。
もんじゃなんてどっちにしろくだらない食べ物なので、おいしいというようなものでもないのだが、とりあえず彼は
「カルチャーショックや。火山のジオラマみたいですねえ。」
と言って、とうてい絵にならないぐじゃぐじゃの鉄板の写真を撮っていた。

食べながらまた相談。
「これぞ東京ってどこ?」
六本木?銀座?神保町?お台場?表参道?吉祥寺?いっそ東京タワー?
候補は出るが、誰の胸にも“だからといって、ほんとに「これぞ東京」だろうか”という自問が去来するので、誰も「ここにしようよ!」と強く推せない。
いつまでも決まらない。
彼が言うには、神社仏閣は京都にたくさんあるので、たいして行きたくない。
観光地よりも、人が行き交っていて買い食いできそうなところがいい。
うーん、それはどこ……?

本人が「浅草に行きたい。雷門から仲見世を歩きたい。」と言ってくれたのでやっと決まった。
その前に、「渋谷もこれぞ東京といえば東京だし。センター街を往復しよう。」と、意味もなくセンター街を百メートルばかり行ったり来たりする。
渋谷駅前のスクランブル交差点も、これぞ東京といえばいえるかなあ?
ふだん、単に用事があるから歩いているだけの渋谷も“どうだろう、これぞ東京かな?彼はおもしろいかな?これじゃ京都と同じかな?”と、いちいち気になる。

浅草寺はお正月のような人出だった。

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「買い食いしたい」の希望なので焼き鳥をみんなで立ち食いした。
仲見世通りってほんとにくだらない土産物ばかり売っていることよ。

裏道はいきなり静かになって、まあ情緒があるというかぼろいというか、飲み屋や銭湯などがあり、それなりに写真を撮ったりしながら歩いた。

花やしきの前まで行って、神谷バーへ移動。
浅草といったら神谷バーであのくだらない飲み物を飲んでみんなで苦しまなければ。
デンキブランに全員で難儀する。
(という私は、自分だけジンジャーエール飲んでました。キャー)
あまりの悪酔いパターンに、みんな静かになってしまう。
彼はぼうぜんと、周りのご高齢のヨッパライ客、手際の悪いいかさないウエイター、“バーって。これなのかよ”という喧噪のありさまを眺めていた。
そこであっさりと別れた。
楽しかったのかどうなのか……我々も“これが「これぞ東京」か?”ということは最後までわからなかったけれど、一応、社交辞令として(かな)「いやー楽しかったです。」と言ってもらった。

まあ、しゃべることかな。やっぱりおもしろいのは。
もんじゃを食べながら、
「渋谷のハチ公を知らないことには驚いたよ。あれってネタ?ベタ?」
と私が聞くと本当に上野だと思っていたという。
それで突然、私は思い出した。
「ああっ!ハチ公ってそういえば、上野にいるんだよ!もとは渋谷の犬だけど、剥製は今、上野の国立科学博物館に展示してあるんだよ!(以前、ここの記事を書きました。“見せる”ことを解している博物館——国立科学博物館へ)」
「へえ、それならオレ、合ってたんじゃないですか。」
「アハハ。」
「そう、それからオレ、他にもすごい勘違いしてて。南極観測犬タロ・ジロっているでしょう。あれとハチ公が混同していて。」
「あーっ!それそれ!ジロも上野にいるんだよ!剥製が、国立科学博物館に!」
「なんだオレ合ってるじゃないですか。」
これぞ東京……は、博物館とかでもいいかなあとも思ったりした。
東京のなかに、好きな場所・おもしろいところはたくさんある。
でも数時間でこれぞ東京って、ううーむ。
私には、浅草は少しもなじみのない東京だ。
これぞ東京、どこなんだろう?ということに頭をひねった半日だった。

by apakaba | 2007-11-18 11:16 | 生活の話題 | Comments(27)
2007年 11月 16日

「コシヒカリ」作成献立ボード

毎日4回ずつ、同じことを聞かれる。
「今日のごはんなーに?」

「アキタコマチ」と「コシヒカリ」は、夕方になるとおやつの加減をするために聞いてくる。
「ササニシキ」は、夜に部活から帰ってくると、玄関を上がりながら聞いてくる。
夫も同じだが、ひどいときは帰宅途中に電話やメールで「今日メシなに?」と聞いてくる。

私の作るごはんがおいしいからね。とか、家族を支える主婦として喜びを感じるわ。
なんてことは、ありませんまったく。
ただひたすら、メンドクサイだけ。
4×365=・・・ええと1年で何回聞かれているんですか?

見かねた「コシヒカリ」が(本人も毎日尋ねるのだが)、もらいもののホワイトボードを冷蔵庫に貼り付けて、
「ここに毎日、こんだてを書けばいい!」
と言い出した。
以下が、「コシヒカリ」作成の献立ボード。

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“主食”“おかず”はわかるけど、“おつまみ”というのが独立して分類されているのがねえ……(からすみか!いいねえ)

by apakaba | 2007-11-16 18:33 | 食べたり飲んだり | Comments(11)
2007年 11月 15日

犬を連れる日常

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よく見ると前足が1本しか写ってないでしょ。
ケロちゃんに向かって、左足を伸ばそうとしている途中なのです。


朝、コーシローを外につないでいると、ひきがえるのケロちゃんとにらめっこをしている。
ケロちゃんはうちの玄関に長年住んでいる。
コーシローがつながれていてよかった。
もし鼻先が届く距離にいたら、ケロちゃんはひとたまりもないだろう。
でも、ケロちゃんがそもそも1匹なのか、複数いるのかは私には区別がつかない。

仕事が休みなので長く散歩に行ってやる。
川沿いの遊歩道をどこまでもまっすぐ行く。
車椅子に押されたおばあさんのところへコーシローが駆け寄る。
介護サービスを受けているらしいおばあさんは、犬が近寄ってもほとんど無表情で、口をきかない。
こういうとき、不潔だから触ったらダメ!と怒る介護の人もいるのだが、車椅子を押している女性は
「あらー、ナントカさん、よかったね。犬が来たよ。わかるのね好きだってことが。」
と明るい声を出すのでほっとした。
コーシローは知らない人にすぐなれなれしく寄っていくので、迷惑がられることも多い。
介護の女性は、私に
「ナントカさんは犬を飼ってらしたから。わかるんですね。」
と言う。
コーシローを無表情のまま、痩せこけた手でいじっている。
コーシローは立ち上がって、おばあさんの口をぺろぺろなめた。
おばあさんはそれでも無表情。
私は、さすがに汚いと思われるかな……と少し心配するが、介護の女性は
「あらナントカさん、よかったねえ、熱烈なご挨拶されたねえ。たのしいね、よかったねえ。」
と繰り返してくれた。
おばあさんは最初から最後まで無表情だったけれど、介護の女性は「とってもよかったね。」と言っていた。

おばあさんと別れ、散歩中の何匹もの犬にじゃれついては嫌がられたり相手にしてもらったりしながら進む。

二十歳くらいの若い女の子に、
「さわっても、いいですか?」
と声をかけられる。
黒ずくめの、一目見て“ちょっと変わっている”という雰囲気のお嬢さんだ。
アニメ風というかオタク風な子。
「どうぞ、大丈夫ですよ。」
とこたえると、
「柴ですか。さっきそこの公園で、猫をさわってきたんです。においがするかしら。」
と一方的に話しかけてくる。
コーシローは早く先へ歩きたがっているので、あまりお嬢さんの相手をしない。
変わった雰囲気のお嬢さんは、
「あ、行きたがってますね……。」
と、さびしげな声を出すので、不憫になって
「大丈夫ですよ、どうぞ。」
と犬にお座りをさせて撫でさせてあげる。
コーシローがちょっとでも立って歩き出そうとすると、そのたび
「行きたがってますね、行きたがってますね」
とさびしそうに言うので、私も彼女が満足するまで、犬をじっとさせるのになんだか努力してしまう。

お嬢さんと別れると、コーシローがいつもかまってもらっている大型犬に会う。
散歩させているのは私より少し年上な感じの男性。
やさしそうな人なので、よく相手してもらう。
でもこの人と、犬抜きでまちなかで行き会っても絶対にわからないんだろうなとぼんやり考える。

大型犬と別れたら、対岸の遊歩道に、見覚えのある二人連れが歩いてくるのが見えた。
あのふたりは……はっとした。
私が、ちょうど1年前にここで文章を書いたことのある夫婦だった(川のそばの夫婦)。
あれから1年の間、見かけなかった。
気がつかなかっただけなのかもしれない。
あのときと同じように並んで歩いていたが、旦那さんは、パンくずではなく、半歩前に立ってスーパーの買い物袋を提げていた。
例の奥さんは、ごくふつうに歩いていた。
あのころより、歩調が速くなっている。
漂うような歩き方ではなく、買い物をして家に帰るというふつうの夫婦の足取りに見えた。
川をはさんで、私の視線にはもちろん気づかずふたりはずんずん近づいてくる。
対岸なのと鉄柵があるのでこちらからでは見えないが、
“手をつないでいないかな。手をつないでいるといいな。手を、つないでいて。”
と近づくふたりを無遠慮に眺めながら私はいつの間にか願っている。
川をはさんですれちがう。
私は首をぐるりとまわして振り向き、見送る。
手を、つないでいた。

それを確認するまで私が立ち止まっていたので、コーシローはいっしょに止まって待っていた。

by apakaba | 2007-11-15 14:57 | 生活の話題 | Comments(6)