あぱかば・ブログ篇

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2008年 02月 29日

ガイシャオーナーの悲喜こもごも

ヤナセのサービスに、車を見せに行く。
二週間くらい前から、カーラジオの電源が入らなくなった。

電気系統がいきなりダウンすることは、まあ、よくある。
ウインドーの自動開閉が急に利かなくなり、コインパーキングで大あわてするなど、何度かあった。
それが一週間くらいそのままにしておくと、ひとりでに直っている。
案の定、カーラジオも、二週間ほど放置していたら、また復活した。

でも3年間保障の無料修理期間がこの2月(今日まで)で切れるので、勝手に復活したけれども一応、見せに行ったのだった。

ひとけのないガラス張りのショールームでぼけぼけと待つ。
午後の陽を受けて輝く高級車にぐるりと取り囲まれて、新聞とファッション誌を読んでいると、受付嬢が、スリーポインテッドスターの刻印されたカップ&ソーサーで、クレマの立ったコーヒーとおしぼりを運んでくれる。
これがおいしいのです。
タダでちゃんとした喫茶店並みのコーヒーが出てくるから、お昼ごはんのあとコーヒー飲まないでここに来たんだあ。

うちのクルマはショールームに並んでいるこれらの高級車の、何分の一のお値段か。
でも私だってオーナーのはしくれだから、コーヒーくらい飲んだっていいのよ。
たびたびこわれるのは事実なんだしー。

サービスの人が、背後からやって来て、
「お待たせしました。……わかりませんねえ。原因が。」
とまったく悪びれることなく言う。
いつもそうなの。
この程度の不具合は、ものの数に入らないんですよね。
ほんとにおかしなモノだ、ガイシャというのは。
かわいいけど苛つく、苛つくけどかわいい。

by apakaba | 2008-02-29 21:49 | 生活の話題 | Comments(6)
2008年 02月 28日

子供と読書を張り合う

「ササニシキ」が少し前まで『一瞬の風になれ』を読んでいたようだ。
学校の図書館で借りたという。
学校も流行の小説をすぐに入れるのだからえらいな。
「へえ!あんた司馬遼太郎ばっかり読んでたのに。こんな今風のもん読んで、どうしたの?」
「司馬遼太郎ちょっと休憩。友だちが読んでたから。」

私が高校生になって最初に学校で借りたのは山口百恵の『蒼い時』だったなあ。
やっぱり、クラスの友だちが読んでいたのを見て私も借りたのだった。
この年ごろ、友だちの影響は大きいものだ。

と思ったら、今度は『万延元年のフットボール』を手に持っている。
「あれ?『一瞬の風になれ』は終わったの?この本ならうちにあるのに。」
「うちにあったのかー。おもしろかった?」
「いや、おかーさん大江健三郎はひとつも読んだことがない。お父さんの本だよ。お父さんの本棚にあるよ。」
「べつにもういいや、図書館で借りちゃったから。」
「なんでまた?」
「ん、友だちが読んでたから。」
「またかい。」

「ササニシキ」の友だちは読書家が多く、新訳版『カラマーゾフの兄弟』を、出たとたんに読破したという子もいるという。
たいした人だ。
私も、読む量は多くないながらも読書は毎日しているのだが、長男の読書量にはもう勝てない。
数日で文庫1冊読んでいるようだ。

「おかーさんは今なに読んでるの。しばらく戦後史っぽいものに凝ってたじゃん。」
「凝ってないよ。今はずっと『西行花伝』と『巨大建築という欲望』ってヤツ。その前は『帝国との対決』ってヤツ。これメチャクチャおもしろかった。オマエなら十分読めるよ。」
「はーん。」

私は、恥ずかしながら司馬遼太郎も大江健三郎も(『一瞬の風になれ』も)、ひとつも読んだことがないのだ。
それは息子に対して、ちょいと引け目。
でもまだ、読書のクオリティーは負けていないつもりだっ!
まだまだ若いモンには負けん。

by apakaba | 2008-02-28 23:07 | 子供 | Comments(9)
2008年 02月 27日

信頼に値する話し方をしたい

自分の家に子供が上がってくる形式の、小さな塾をやっているので、保護者面談も自宅でおこなう。
入会するかどうかを決める前に、学習の進め方や教材の説明を受けに来たり、入会手続きをしに来たりする。
そのとき、お母さんたちは使用教材にももちろんひととおり関心は示すが、なによりも「この先生(ワタシ)は信頼に足る先生なのか?預けて大丈夫か?」を見に来る。

お子さんたちは、体験入会や無料診断テストなどで一度でも私に会えば、かならず「入会したい!勉強、ちゃんとやるからー!」と親御さんにせがむ。
自分ではあまり子供受けするタイプでもないと思うのだが、なぜか百発百中で「入りたい!」と言ってくれる。
だから関門はお母さんの目に叶うかなのだ。

私は、態度はフレンドリーなかわりに、言葉づかいはていねいにということに気をつけている。
というのも、私も子供が3人いるからいろんな塾へ入ったりやめたりしているのだが、塾の先生というのがどうも、言葉づかいのおかしな人が多いからなのだ。
とくに、親に向かって子供のことを「本人」というのはいかがなものか。
たとえば「ササニシキ」の塾の先生が、用事があって電話をかけてきて私がとると、
「こんばんは。本人いますか。」
ナンデスカそれは?
保護者面談に行っても、
「本人そう言ってますから。」「本人、がんばってます。」
こういう口調で、いいんですか?
「ササニシキ」くんとか、せめて「ご本人」と言うべきじゃあ、ないの?!

敬語はできるだけ自然な言い方で、きちんと入れる。
ご本人じゃないけど「お」とか「ご」とかを適度に入れる。
相づちに「うん」は厳禁、「はい」と「ええ」をあんばいよく配分する。
「〜〜してないですから」ではなく「〜〜しておりませんから」のほうが聞いていてなめらかだし、「知ってましたでしょうか?」より「ご存じでしたか?」のほうがきちんとした人間に見えるでしょ。
「これ」でなくて「こちら」とか。
「いいです」でなくて「けっこうです」とか。
こうして書くと、いかにも当たり前のことなんだけどね。
よどみなく使うには、慣れないとねえ。

あと、気をつけているのが、「助詞を抜かない」。
会話の中で助詞を抜くと、一気に調子がくだけてしまう。
友だち同士ならかまわないが、私が親の立場だったら、「それいいですねえ」という先生より「それはいいですねえ」、「これやってきてください」より「これをやってきてください」と話す先生のほうが信頼できると感じるからだ。
当然、面談をしていて「あら、この先生は助詞を入れてしゃべっているわ(ちなみに助詞を抜くと「あら、この先生助詞入れてしゃべっているわ」となり、感じが変わるでしょ)」なんて、相手の方がいちいち考えているわけがないのだけど、耳に絶えず私の声が流れ込んでいるのだから、その雰囲気だけは頭に残っていくはずだ。
ちょっとしただらしない調子などは、これと具体的にいえなくても、なんとなく感じ取るものだと思う。

もっと気をつけるのは、いかにも会話風の物言いを決してしないようにすることだ。
「〜〜って感じでー」、「〜〜みたいなー」、「〜〜かもー」「これってナニナニですよね?」すべて厳禁。
絶対に言いません。
これを言ってしまうとただの近所のおばさんになってしまい、教育者ではなくなっちゃうもの。
そんなシャベリをする先生に、勉強を教わりたいと思わないもんね。
「正直、〜〜」、「ある意味、〜〜」「現実、〜〜」「最悪、〜〜」などといった言い回しも厳禁。
軽薄でしょ。
これを連発している営業マンなど、巷にどっさりいますねえ。
私は大ッ嫌い。品がないし意味がないよ。
「正直、〜〜」なら「正直に申しまして(助詞「に」を入れよう」「正直に言いますと」でしょ。
「ある意味」ってそれ自体が意味ないでしょ。
「現実、〜〜」は「現実的には」「現実を考えますと」でしょ。
「最悪、〜〜」は「最悪の場合でも」でしょ。

こんなふうに並べると、当然のことばかりだしえらそうに見えるけれど、私も、親としてとか一消費者としてとか患者としてとか、いろんな場でいろんな相手と接してみて、みんな本当に言葉づかいがメチャクチャだぜと痛感しているので、自分は面談の保護者からそんなふうに見られたくないのである。

トークの内容は企業秘密なのでここには書かないが、話し方で人の印象は変わる。
一口に仕事といってもいろいろなケースがあるから、その場に応じて話し方は変えればいいと思うが、私の場合はこういう仕事だから、商品は自分だ。
なにかモノを売るためのトークではなく、大事なお金を払って大事な子供を通わせて、勉強を教わるに値するのか、判断してもらうための対話だ。
いくら気を遣っても遣いすぎることはないと思う。
(ふだんは言葉づかいが悪いのでクタクタよ。)

by apakaba | 2008-02-27 15:11 | 文芸・文学・言語 | Comments(8)
2008年 02月 26日

究極の(医者)選択

肌が弱いので皮膚科へよく行く。
ここへ越してきてから最初に行っていた皮膚科医が、どうしても気に入らなかった。
過去記事に二度、登場している。

ケミカルピーリングとハイドロキノンで美白。その顛末

やけどをじでじまっだぁぁ


どんな人だかは書かれていないが、「なんか勘に障る」人で、お母さん連中もみんな嫌っている。
人を人とも思っていないような面が見受けられるんですよ。
やけどのとき、それをひどく感じた。
脂汗もたらたら出ていて、痛みで自然と涙が出てくるほどなのに、慰めの言葉のひとつもかけずきわめて事務的。
モノのように私と患部を扱う。
神経を疑った。
やけど以来、そこへは一度も行っていない。

ふたつめのところは、いつでも猛烈に混んでいて、2時間、3時間と待つのは当たり前。
なぜそこまで混むのかわからないし、そんなにじっと待っていられるなんてよほどの暇人でよほど健康でよほど先生が好きじゃないとつとまらない。
最初のところよりは悪くない先生だが、一度、私が顔の脂漏性皮膚炎の薬を切らしてしまい、その数日の間に症状が逆戻りしてしまったことがあった。
「ちょっと忙しくて来られなくて」
と言ったとたん、ひどくご立腹になり、
「言い訳するならもう少しましな言い訳考えてきてよ。そんなの理由にならないでしょ。ここ来る人みんなおんなじことを言う。薬を切らしたら悪化するのに、『忙しかった』と。これが大学病院とかだったら、なんて言われるか、言ってあげましょうか?『だったら来るな』これで終わりですよ。オレは言わないよそういうことは。でも他へ行ったら言われるよ。この3倍はひどいこと言われるからね。」
なんでここまで怒られないといけないのか?
そりゃ薬を切らしたらいけないのは正論だけど(とくにステロイド剤を連続使用している場合)、ここまであしざまに言うより、なぜ薬を切らしたらいけないのかの説明をするべきなんじゃないの?
かなり気分が悪くなり、それきり。

そして今日、またべつの皮膚科へ行ってみる。
今、脂漏性皮膚炎がだいぶひどい状態なので、また新規開拓なのだ。
けれど大人の脂漏性皮膚炎はなかなか治せない皮膚病であり、画期的な薬をもらえるわけもなく、二つ目の皮膚科で出ていたステロイド剤をそのまま使うことになった。
最後の先生は……なんだか、不思議な感じというか……IKKOさん風というか、しゃべり方とか仕草とかが……あれはどうしたのでしょう?
べつに、IKKOさん風でもカバちゃん風でもマロンさん風でも大高さん風でも假屋崎先生風でも、ちゃんとした先生ならいいんだけど、あんまり、患者の話を聞いてくれない。
症状がいつから出始めたか、とか、いつ治っていつ再発したか、とかほぼ聞く耳持たず。おばさんの話は意味なく長いって思ってるの?(あなたのほうがよほどおばさんシャベリだわ!)

なんなんでしょう、どうすりゃいいの医者選び。
この3つだったら、……究極の選択だなあ。

by apakaba | 2008-02-26 23:04 | 健康・病気 | Comments(11)
2008年 02月 25日

旅をする帽子

今月の初め、渋谷のBunkamuraへ行ったとき、帽子を女子トイレに忘れてきてしまった。
オーソドックスな形の冬用の帽子で、いろいろ持っている中で一番気に入っているものだった。
ぱっと見ただけでは目立たないがプラダのものなので、「だめかな。もう持って行かれちゃったかな。」と思った。
忘れ物をして、一瞬だけ目を離した隙にもう取られてしまったという経験が何度もある。
ましてブランドものでは……しかし、あきらめきれず、すぐにBunkamuraに電話をしてみた。
届けは来ていないと言われたので、やはりそうかと思った。
さほどのお値段ではなかったが、大量生産品ではないし、もう7年くらい前のものなので、今さら同じ形のモノは決して買えない。
なくしてみて初めて、ひどく落胆した。

しかし数時間したら、「見つかりました。」とBunkamuraから電話が来た。
よかった!渋谷は近いので、さっそく翌日、受け取りに行った。

この土日、京都へ一泊旅行をしてきた。
きのうの日曜日、夫と二人で、京都と大阪の、安藤忠雄氏の建築をまとめて3つ巡ってきた。
まず茨木の光の教会(前回に訪れたときの記事はこちら)。
JR京都線で山崎へ行き、大山崎山荘へ。
そのあと、京都の商業施設TIME'Sへという予定にした。
例の帽子をかぶっていったが、山崎駅前でお昼ごはんを食べていたら、またしても帽子がなくなっていることに気づいた。
そんなになくすならかぶりっぱなしにしておけと思うでしょう?
でもこの帽子はナイロン製で軽く、ちょっとの風でも頭から飛んでしまうので、ちょくちょく脱いで手に持たないといけないのだ。

なぜあの帽子は私から離れていこうとするんだろう?
初代ルパン三世であった、気に入らない持ち主から自ら離れていこうとするトランプの話を思い出し、悲しくなる。
それにしても、どのタイミングでなくしたんだろう?
まったく思い出せない。
思い出せないけど、渋谷での奇跡をふたたび信じたい。
光の教会ではかぶっていたことを覚えているので、光の教会へ電話をしてみる。
ちょうど、見学者に配られたパンフレットを持っていたおかげで、電話番号がすぐわかったのだ。
探してもらったが見つからず。

次に、光の教会から茨木駅まで乗ったタクシー。
「どのタクシーに乗ったかなんてどうやって覚えてるんだよ?」と夫に言われたが、おお、私の手元には、運転手がたまたまくれたポケットティッシュがあるじゃないの!
そこにタクシー会社の番号が書いてあった。
電話をして、無線でその運転手さんを探し出して問い合わせてもらうが、見つからなかった。
光の教会とも、タクシー会社とも、電話連絡を何度かやりとりしたが、どちらも面倒なばかりの問い合わせなのに親切に応対してくださり、帽子は見つからないながらもかなり感激してしまった。

携帯電話を片手から離さないままで大山崎山荘の見学を終えて、山崎駅に帰ってきたときに、これが最後の心当たりだと思って、駅員さんに、茨木から山崎まで乗った電車の中に落ちていなかったかを尋ねてみた。
これでなければ、あとはもう、道を歩いているときにでもふっと手から滑り落ちてしまったとしか考えられない。
そうなったらもうだめだろう。
今ごろ、茨木か山崎の道のどこかをころころ転がっているか、誰か女の人が見つけて「ラッキー!」とばかりに持ち帰ったか、交番に届いているか?どの交番か皆目わからないじゃないの、そんなのもう無理だよ。
第一、もう京都へ戻って夕方には東京へ戻らないといけないんだもん。

コンピューターに向かっていろいろ確認をしてくれているようだが、なにぶん、小さな駅で、対応がのんびりしている。
ふたりの駅員さん(どちらかが駅長さんかもしれない)は、ふたりともほんとに人がよさそうな人だった。
「10分ほどお待ちになれば照会できると思いますが……」
と言われたが、10分たってもまったく動きが見られず、呆然と吹きさらしの小さな駅で立って待っているのにもそろそろ限界が来た。
「もうちょっと、もうちょっとでわかると思います、どうもすみませんねえ。」
謝るのはほんらい私の方なのだが、でもぼつぼつ京都に戻らないと……そして東京に戻らないと……
「あのー、お手数おかけしてすみませんでした。実はこれから電車に乗らないといけないので、もしあったらお電話ください。」
と、携帯の番号を書いて、京都へ帰ってしまった。
「そうですか!いや、おそらくあとちょっとでわかると思いますが……!」
ものすごく人のよさそうなふたりをあとにするのは申し訳ないけれど、これでは新幹線に乗り遅れてしまう。

そのあとも、何時間か携帯を持ったままでいたが、駅員さんからの電話はなく、あのまま10分20分とあの駅で立っていても、やはりだめだったんだろうなあと思った。

帽子はどこへ消えたんだろう。
ここだと特定できないだけに、割り切れない気分だ。
でも、光の教会や、タクシー会社の人や、山崎駅の駅員さんたちがみんな親身になってくれたのは、うれしかったな。
おかしな形だがこれも旅で受けた親切というところかなあ。
大好きな帽子をなくした残念さよりも、人の親切がありがたいことだ、と、なんとなく納得した。

夜に帰宅して、10時ごろにお風呂に入った。
もう駅員さんから電話が来るかもしれないということは考えていなかった。
ところが電話が来た。
すまなさそうな声で、
「こちらJR山崎駅ですー。」
昼間の、あの人のよさそうな、のんびりした駅員さんの顔を思い出した。
「お探しの帽子が、米原で見つかりました。」
まいばら!(ッテ、ドコデスカ!)
だいぶ車内が混んでいたのに、よく見つかったものだ。
湯船で「ええーっ、ほんとですかー!ありがとうございます!!」と声を響かせてお礼を叫んだ。

「ちかぢか受け取りに、こちらにいらっしゃいますか。」
(いえ、私にとっては山崎駅って地の果てなんです。米原も地の果てだけど。)
昼間、寒さをこらえてじっと立っていた、のどかそのものの小さな駅舎が浮かぶ。
お風呂に入っているのに、その寒さを思い出して身震いしてしまうくらい。
駅員さんは、まだあの寒い駅にいるのね。
「私あのー、実は東京に住んでいるので、そちらまで受け取りに行くのは、すぐには難しいのです……」
と言うと、
「では大変申し訳ないのですが着払いでお届けでよろしいですか。申し訳ないです。」
いや、あのー、だから申し訳ないのはこっちなんだってば。

帽子が戻ってきたら、山崎駅にお礼の電話をしよう。
もしかしたら、帽子は人にぐちゃぐちゃに踏みつけられて汚くなっているかもしれない。
油汚れや埃だらけかもしれない。
そうしたらちゃんとクリーニングに出して、大事にきれいにしよう、と決めた。

by apakaba | 2008-02-25 13:08 | 旅行の話 | Comments(23)
2008年 02月 21日

酒好き指標

身の回りのことへの反応から作るジブン的酒好き指標・・・ナゼ書くのかわからないけど思いついたので。

・「ライフログ」という言葉を見るとつねに「ラフロイグ」と読み間違える

・フィリップ・シーモア・ホフマンとかデビッド・シーモアとかいう名前を見るとつねに「ボウモア」という言葉を連想してしまう

・椎名誠の著作『銀座のカラス』をたびたび「銀座のすずめ」と言い間違える

・「ギネス」という言葉をギネスブックのこととは思わずつねに「ギネスビール」のほうだと考えてしまう

・ヱビスビールの表記は「ヱ」と書かないと落ち着かない

・家でビールを飲む前には、グラスに油分や洗い残しがついていないか、光にかざして確認するのが癖

・ビールの盛り上がる泡を見るとかならず一瞬放心する

・日中は酒の匂いが嫌なのに陽が落ちるといきなりいい匂いのように思えてくる


トカナントカ。
こういうのがツボにはまる人もいれば、なんのことやらさっぱりという人もいるんでしょう

by apakaba | 2008-02-21 23:17 | 食べたり飲んだり | Comments(11)
2008年 02月 20日

ここ2ヶ月ばかりで観た映画(DVD)

ダメだ、レビューを書く気力なし。
タイトルと、1行コメントだけで羅列しておきます。
落ちぶれたものよ、私。


ダイハード4.0
 マクレーン刑事が年とったらこんなオヤジになるんだろうという、「3」からの時の経過と人物の延長をきっちり感じさせた、ブルース・ウィリスはやっぱ名優?というかはまり役。

ゾディアック
 驚きのおもしろさだった。主演のヘタレ系俳優ジェイク・ギレンホールの活躍というかなんというかヘタレた活躍ぶり、脇のすべての役者、ほんの端役に至るまで、人物像がリアル。すごい監督。宮台真司さんのレビュー(必読!)が、またすさまじくおもしろかったので感心2倍!

プルーフ・オブ・マイライフ
 ジェイク・ギレンホールをすっかり見直したので次に借りてみる。もっと甘いラブものだと思っていたら意外にも真面目な話。でも女優を引き立たせながら、うまく受け止める演技をする人だ。

マトリックス・レボリューションズ
 ごめんなさい。3作目からいきなり見始めてしまって、まったく世界が飲み込めず敗退。世界観にはまりこめず、映像美にも置いてけぼり、気の乗りきれないまま見終わり、今から1,2を借りる気力も萎えまして。典型的に不幸な出会いだ……

パリ・ジュテーム!
 短編集だがどれを見ても、異様に里心がつくのはナゼ?すっごく懐かしい。

ラッキーナンバー7
 思っていたのとぜんぜんちがう展開にびっくり。まんまとはめられたー!ジョシュくん、いいねえ!

こわれゆく世界の中で
 意外といけた。ジュード・ロウとジュリエット・ビノシュの絡みにはかなりガックリだったが、ジュリエット・ビノシュは不幸を背負った母役がうまかったなあ……

太陽
 イッセー尾形の超絶ものまね昭和天皇になにもかもが還元されてしまい、どんな映画だったか吹っ飛んでしまうが……ストーリーより鬼気迫る演技で、いたたまれなくなる。

リトルチルドレン
 なにがいけないのでしょう。見たそばから忘れてしまった。

悪い奴ほどよく眠る
 三船敏郎が大役者だというのがよくわかる。話も、無理無理ながらとてもおもしろい!昭和映画らしい、情け容赦ない驚きの結末もひょええ!

サンシャイン2057
 はじめ、この数字の並びを見て「ん?『2046』の下二桁をもじっているのか?」といらないことを考えた。真田広之の活躍がほぼなくて激しく落胆。宇宙船乗組員のアジア人ばっかり、死んだりヒドイこと言ったり頭がおかしくなったりして、差別ー!って思っちゃった。でも映像がすばらしい!精神科医が一番精神的に、変!

ブラック・スネーク・モーン
 なんだか変わった話だったなあ。おもしろかったのかそうでないのか、ううーむ。

トリコロールに燃えて
 美人ふたりの競演、いいですねえ。「女優よっ!」という煌びやかさ満載。それに較べてスチュワート・タウンゼントのつまらないこと。ペネロペちゃんははすっぱな雰囲気も素朴で薄幸そうな女も、なにやってもかわいいなあ。

ミス・ポター
 どうしても、どうしてもレニー・ゼルウィガーと相性が悪いようで、彼女の映画はどれも全然面白く感じられないのです。しかしユアン・マクレガー、あいかわらずよく唄う人だ。「やるか?やるか?」と思うとほーら、また。

時をかける少女
 とてもよかったー!アニメは興味なくて見ないのだけど、これは本当によかった。ふだん、テレビでやっているアニメはイライラするばかりでどこがおもしろいのかさっぱりわからないというものが多いけど、あれは脚本のひどさもあるし、勘に障る声の声優のせいもあるかな?と思った。この話の声、みんなとっても若い人なのね。うまかった、引き込まれた。

エイリアン4
 こうなるんだろうなあ、と予想しているとそうなっていく、先読みの簡単な話だった。最新のエイリアンはリプリーになつくんだろうなと思ったら案の定。ちょっと弱そうでちょっと人間味のある最新エイリアン、死ぬときちょっと情が移るのも読めていたなあ。

ジェイムズ聖地へ行く
 なんとも楽しくなり、悲しくもなる魅力にあふれた小品。主演のジェイムズの顔が、環境の変化によってどんどん変わっていくのが悲しい(そして最後、元に戻るというアイロニー)。エルサレムは永遠の憧れだ。

ザ・スナイパー
 だめだああー。なんという三流映画。なにやってるんだモーガン・フリーマンもジョン・キューザックも。好きな役者なんだけどなあ……しかも、けっこう熱演。


他にも観たはずだけど、忘れてしまいました。
1行コメントのつもりが少し長くなった。
でも気楽でいいや。
いつもマジでレビュー書いていられないもん。

by apakaba | 2008-02-20 16:12 | 映画 | Comments(3)
2008年 02月 19日

1990年の春休み.80 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ポカラの田舎道を、貸し自転車を漕いで山道へ、サイトーくんと3人で向かってみるくだらない冒険心。

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中央の、三角の頂のある山が、ポカラきっての名峰。マチャプチャレ!


3月5日(つづき)
 山に近づくころになって、またその田舎ぶりは度合いを増した。
 湖のほとりからもうすでに田んぼが始まって、小さく区切られた段々になって山まで続いていく。道もガタガタだ。これ以上進むのは無理だよ、やーめた!と一時は思っていたのだが、サイトーくんは熱心にまだ進もうと言う。で、気をとりなおして、ガタガタと進んでいった。
 はじめは、いやだなあ道が悪いのって。とか思っていたが、慣れてくるとだんだんおもしろくなった。子供のころに、ひたすら「自転車で遊ぶ(ただ自転車に乗ること自体を楽しむ)」という行為をしていたことを思い出す。

 それにしても、ガキが1ルピーっ(おくれ)!とか乗せてえーっ!とかウルサクつきまとう。
 たいていすぐあきらめて去るのだが、ひとりだけしつこくついてきた。学校帰りのその男の子は、ものをせびるというより、本当に好奇心だけでついついくっついてきてしまったようだった。まったく英語が話せないながらも、肩にさげたカバンの中を見せてくれた。
 ノートに計算とかお絵かきとか、いろんなことが書いてあって楽しかった。もちろんなにも物はやらなかったが、写真を一枚撮ると嬉しそうに帰っていった。

 そのうちにとうとう本格的な山道になってきて、進むのを断念した。しかし、その我々がストップした地点は、岬のようになっている高台だったので、ペワ湖がよく見渡せた。気持ちの良い場所でやっとサイトーくんも満足。
 突然そこへ牛の行列が通った。明るい茶色で毛足の長い、きれいな牛だ。触ってみると手触りもいい。野良牛ではなさそうだが、飼い主もいないのに、どこからどこへ行くのだろうか。30頭くらいの長い長い行列だった。私たちは、牛たちの行く手を阻まないように脇へよけながら、行列の長さがおかしくて笑い続けた。

 もと来た道を戻ろうとしてしばし漕いでいると、田んぼの中で若者たちがバレーボールをしている。地元の人だけかと思いよく見ると、ガイジンもひとり二人混じっている。サイトーくんは「オレもやりたい!」と、果敢に混ぜてもらった。サイトーくんはただの青二(あおにさいの略)ではなかった。楽しむことに、とっても前向きな人だったのだ。
 サイトーくんが入ると、人数がそろったのか、やけにマジな試合となった。
 きっちり点数も数え、ボールがバシバシと鮮やかに決まっていく。なかでもとくにうまい人がふたりいて、そのうちのひとりは、足が長くて顔もめったやたらとカッコイイ。好みのタイプではないが、完璧な美しさだった。で、顔が似てるのでクイーン(のボーカル。イギリスのロックグループです)と命名。あいかわらずニックネームつけまくってる。

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こんなところでバレーボールをしていました。

 いつまでたってもゲームは終わりそうもなく、じっとしている私たちは寒くなってもきたので、サイトーくんを残して近くの茶店に入った。またしても、ケーキとお茶でウダウダ。もーデブでもいいや。
 お茶を運んできたおばさんは、チベットふうの顔で、浅黒いほっぺたがパパーンと張っていて、思わず両手で顔を挟んでぱちぱちたたきたくなるような、妙にかわいい人だった。
 しばらくするとサイトーくんも来た。
 のどが渇いた!と言って、ほっぺたのかわいいおばさんにバナナジュースを注文し、ごくごくと飲んだ。
 なんとなく元気がなくなっているので聞いてみると、あのバレーボールがひとしきり終わったあと、地元の若者たちから、新しいバレーボールを買うから2ルピー置いていけと言われたそうだ。10円そこそこの金額はどうということはないが、せっかく楽しくやっていたのに、ちょっと後味が悪いな……、落ち込むサイトーくんの気持ちもよくわかった。でも、この国では実際アタシたち金持ちだからなあ。

 サイトーくんは、このあと大学の後輩に会い、夕食をともにするという。
 後輩はスルジェハウスという、ネパールを旅行する日本人なら誰でも知っている、超有名な日本人御用達宿に泊まっている。サイトーくんも、けさ私たちと空港で知り合うまでは、後輩の待つその宿に部屋を取るつもりだったらしい(そう、仲良しこよしの私たちは、実は知り合ってまだ半日しか経っていないのだ)。
 スルジェハウスと聞いて、私たちもいっしょに混ぜてもらうことにした。なにしろあの、スルジェハウスだ。感慨もひとしおである。

 学生のころ、むしゃくしゃすると私はよく本屋に行って、背表紙から受ける直感だけを頼りに、いっぺんに15冊くらいの本を買い込んでいたものだった。それがストレス解消だった。
 『ヒマラヤの花嫁(平尾和雄・中公文庫)』もそうして手に入れた本のひとつだった。これがとんでもなくおもしろくて、私は一気にネパールに夢中になった。作者がネパールを旅行中、知り合ったネパール人女性スルジェと、幾多の困難を乗り越えて結婚して、トレッキング客相手の宿を開業する話だ。つまりその宿が、これから行こうとしている「スルジェハウス」であり、本屋での偶然の出会いから数年を経て実際にその舞台に向かうということに、運命を感じずにはいられなかった。
 やっぱりアタシって、旅の神様に導かれてんだねえ(*1)。

*1・・・現在スルジェハウスは閉館している。我々がなぜスルジェハウスに泊まらなかったかというと、もちろんホテルパゴダに行きたかったからということもあるが、我々は当時スルジェハウスのように完全に日本人長期旅行者のたまり場と化している場所に反発を感じていたからである。

by apakaba | 2008-02-19 23:51 | 1990年の春休み | Comments(10)
2008年 02月 15日

1990年の春休み.79 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ポカラに到着し、ペワ湖畔のレストランで一息ついた私たち。

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ポカラの観光地、デビッドフォール。

3月5日(つづき)
 このあとは、日が沈むまで貸し自転車で散策だぁー、ということにして、サイトーくんと3人でくり出した。道ばたに水牛が寝そべる田舎道を、自転車自転車ランラランと幸せな気持ちで漕いでいく。最初は慣れなくて、かなりあぶなっかしくヨロヨロしてしまった。
 乗って初めてわかったけど、自転車って音がぜんぜんしない。音がしないってやはり乗り物としてのポイントが高い!カヌーもそうでしょう。スキーもそうといえる?あと高い車ね。

 ポカラは田舎だ。それが本当によおくわかりましたよ。アタシ。
 牛は水牛ばかりで、しかも大量。
 まずDavid's Fall(デビッドフォール)に行った。
 ガイドブックによれば、この滝は、滝壺に落ちた水が、川となって流れずに、そのまま地中に吸い込まれてしまう不思議な滝!とのことで、その文句につられてやって来てみれば、今は渇水期で、完全に干上がっていた。落差のある白茶けた岩場としか表現しようのないところで、我々3人以外に人影もなく、ひたすら静かでのどかだった。
 なによここ、あーあがっかり、と一度は落胆したが、気を取り直してよく見ると、こういう時期もそれはそれでなかなかにスゴイと感じられるのである。
 私ひとり、岩から岩へと跳びながら、水底であるはずの最下部まで降りてみた。降りてみると、上から見ていたときとはまた感じが変わっておもしろいのだ。
 奥へ奥へと進んでみた。するとそれはどんどんスゴイぞ、スゴイぞ、という感じを増していく。
 雨期に入ったあとのこの場所を想像してみる。
 今にもドドドドーッと、激流がやってくる……と、底に立って考えると楽しいことだよ。まず轟音。激流。飛沫。うーむスゴイ。それがこの静かさだもんねえ。
 ヒロとサイトーくんは、はじめはいいと言って降りてこなかったのだが、強く誘って降りてこさせたら、けっこう感動していた。さもあろう(*1)。

*1・・・5年後は雨期の最中で、このときの空想をはるかに超える水量の滝を見て、感動を新たにした。“デビッドフォール”の名の由来は、昔デビッドというアメリカ人が落ちたから、ということで、現在はネパール名“パタレ・チャンゴ”と呼ばれている。

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デビッドフォールの干上がった川底から見ると、こんな感じ。


 のどがカラカラだったので、すぐ近くにあるチベット難民部落の売店で、ジュースを飲んだ。15,6歳くらいの、目の大きな少女が、親しげにきぱきぱと話しかけてきた。手作りのイヤリングなどを売るつもりらしいが別にいらない。彼女は実に快活で、関西弁をいくつか話し、イヤリングを耳に当て日本語で「ミミカザリー」、鼻にも当てて「ハナカザリー」、そして胸に持ってきて「チチカザリー」とはしゃぐ。よしなさいよ日本人とくに関西方面!こういう変な言葉を教えるのは決まって関西の奴らなんだ。カタコトの関西弁ほど救えないものはない。
 彼女も、物見高く集まってきた子供たちも、みんなチベタンだった。チベタンは何年か前から難民としてネパールに入ってきたらしいが、その辺の事情は知識がなくてよくわからない。ただ、ほんの短時間座っていた限りの印象では、難民という言葉から連想される悲愴さはまるで感じられず、くつろげる場所であった(*2)。

*2・・・またも5年後の話になるが、デビッドフォールを再訪したときに、あの目の大きな少女が、同じように土産物を並べて観光客に声をかけているのを見てしまった。
当時は学生、今は赤ん坊連れで旅行しているこちらの境遇の変化に較べ、彼女のたたずまいのあまりのかわらなさに、言いしれぬ後ろめたさのような気持ちが湧いてきて、そそくさと露店の前を通りすぎてきたのだった。

 「さてこれからどーする?まだ日暮れにもならないし。」
 「レイクサイド(ペワ湖岸の地域の呼称)を、行けるとこまで、どこまでも漕いでいっちゃエいっちゃエー!ってのはどう?」
 「あーそれおもしろい!」
 若さ故の無謀さで、私たちはもうガイドブックの地図からはみ出している山道を、馬鹿みたいにがむしゃらに漕ぎ進めていった。無目的なアホらしさで3人ともわくわくしている。とくにサイトーくんがはりきっていた。
 我々の宿ホテルパゴダは、ダムサイドと呼ばれる地域にある。風光明媚さには欠けるぶん、レイクサイドよりこちらのほうが、食事やホテルの料金が安い。欧米人に人気でにぎやかなのはレイクサイドだ。初めて見るレイクサイドは、いかにもガイジンが喜びそうな、気の利いた造りのレストランがずらずらと建ち並び、私はその景観にひどく驚いた。ダムサイドは比べものにならない。
 それなのに、ひとたび湖畔を行きすぎてしまうと、手のひらを返したようにきっぱりと田舎に戻ってしまう。ここは本当に観光で成り立っている国なのだね、と、カトマンズでも思ったことをまた激しく深く思い知らされた。

by apakaba | 2008-02-15 23:31 | 1990年の春休み | Comments(13)
2008年 02月 14日

最後の1/2成人式、最後の感想

子供たちのかよう小学校では、4年生のときに「10歳ばんざい 1/2(にぶんのいち)成人式」という行事をする。
今日は「コシヒカリ」の1/2成人式だった。

子供の行事も、最初の子供のときは盛り上がるがだんだんと新鮮みがなくなってきて、学校へ行くのもおっくうになってくる。
でも小学校の行事だけはできるだけ行こうと思っているので、防寒対策をしっかりして体育館へ行った。

お母さんだけでなく、お父さんやおじいちゃん、おばあちゃんもたくさんいらしていて驚く。
この寒いのに、そして平日なのに。仕事のある人はこのために休みを取っているのか。
群読(朗読劇と歌を組み合わせたもの)や、運動会でやった踊りを披露し、メインの発表となるのは「将来の夢」。
ひとりずつが立って自分が将来就きたい仕事や夢などを語る。
皆それぞれにひたむきだ。
醒めている子はひとりもいない。
いやそんなはずはなくて、きっと準備の段階では「なりたいものなんかないよ。」「わかんなーい」などと言っていた子もいるはずだ。
どうにか発表までまとめあげてしまう先生というのはやっぱり大したものだなあと感心し、どっさりの聴衆と向き合って堂々と発表するのだから子供たちも立派だなあと感動する。

行くまではめんどくさいのに、行けば絶対にたわいなく感動しちゃう。
子供の行事はいつもそう。自分でわかっている。
動物のお医者さんになりたい、作家になりたい、大学で歴史の勉強をしたい、電車の整備士になりたい、お母さんになりたい、バレリーナになりたい、コックになりたい、パイロットになりたい、宇宙の研究をして新星を見つけたい、自分のカフェを開いてみたい、弁護士になって人を救いたい、プロバスケの選手になりたい、サッカー選手になりたい、プロ野球選手になりたい、まだ決まってないけど子供に関わる仕事に就きたい。

これがどれほど叶うのかわからないけれど、こう次々と一生懸命に発表されたら、どんな人だって感動すると思う。
聴いている大人が感動しているのを感じるから、「なりたいものなんかないよー」などと言っていたであろう子供も、いつの間にかソノ気になってがんばって発表してしまう。
こういうのって相互作用だ。

子供の力は、いいなと思う。
どれだけ高いお金を払って一流のコンサートやお芝居に行っても、ここまでストレートには感動できない。
少し寒いがタダで泣けるほど感動できるんだから、育て甲斐があるよねえー。

など、ぼけっと眺めていると、
「ミタニさんのお母様、いかがでしたか!」
と先生に指名されてしまった!
さっきから、おじいちゃんおばあちゃんやお父さんに感想や子供たちへのメッセージを聞いていたから、すっかり油断していたが、最後の最後の番に当てられてしまった。
ピンチだ!
こんなにいっぱい人がいて子供たちもいるのに。
これで下手だとワタクシの商売にも差し支えるではありませんか(近所の子供に勉強を教える仕事をしているので。)。
焦って考えつつ、子供たちに話した。

私は子供が3人いて1/2成人式も3回目なので、今までたくさんの子の夢を聞いてきました。
だからもうそれほどは感動しないかなと思っていましたが、やっぱり皆さんの生の声を聞いたら感動を新たにしました。
言葉というものは、心の中でただ思っているだけだと、なんだか形にならないままですが、口に出して考えていることを言うことで、それは“ほんとうのこと”になると思います。
言葉を口に出して言うことには、そういうチカラがあるものだと思います。
皆さんが今、夢を口に出したことで、その言葉には力が生まれました。
ゼヒ、ほんとうのことにしていってください。

トカナントカ。
けっこう、子供たちは聞いてくれていた。
「言葉というものは、」と言った辺りから、子供の体がぐっとこちらへ向き、ふと静かになって聴き始めるのがわかった。
まあおとといの朝に本の読み聞かせに行ってきたばかりだし、「あ、おととい本を読んだあのお母さんだ」と思ったのもあるでしょう。
私の話したことを理解できたかどうか、今はわからないが、十代となった子供たちの心のどこかで、覚えていてくれるといいなあ。

ちなみに3年前の、「アキタコマチ」のときの1/2成人式の様子は「アキタコマチ」の将来の夢として書いた。
3年たって、すでに、作家志望じゃなくなってます。
写真のほうが好きになったそうです。

by apakaba | 2008-02-14 16:17 | 子供 | Comments(8)