あぱかば・ブログ篇

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2008年 03月 24日

休止のお知らせ

今朝はパンとサラダでした。

昼ごはん・・・焼き鮭、卵焼き、セロリの塩炒め、昆布の佃煮、ごはんにごまと海苔のふりかけ。
塩鮭の皮や骨を食べますか。
私は焼きたてならどちらも食べます。

晩ごはん・・・麻婆茄子、冷や奴、小笠原土産のまぐろの燻製、グリンピースごはん、なめことねぎのみそ汁。
グリンピースごはんは、ごはんを炊くときにいっしょにグリンピースを入れますか、別にしておいて、最後に混ぜ合わせますか。
私は最初からいっしょに炊きます。
この炊き方だと、豆の色は鮮やかではなくなります。
でも豆の香りがごはんによく移って好きです。

今日、クルマを3年車検に出してきました。
代車ナシ。一週間かかると。
あいかわらず高飛車なディーラーだわ。

で、クルマがなくなったのに、明日から春休みで、しばしの一家団欒ですわ。
食材の買い出しが一仕事ですねえ。
夫もばっちり2週間休むので、トホホ、う、うれしい。

最近、嫌なことばっかり。
起きてから寝るまで、ため息、一日中しかめっ面です。
でも桜がもうすぐ。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花そ昔の香ににほひけるですねえ。


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去年のお花見のカットですねえ。
え、桜がまたーく写ってない?どうしてでしょ?
それは見事な桜並木なんですよ。
今はこれより10センチ以上、髪がぼうぼうに伸びていますね。
今年も、たくさん桜が見られますように。

しばらく、お休みします。
ホレ、一家団欒だし。



追記:
コメントできない機能を設定したので、再開するまでコメントの投稿と、今までのコメント閲覧ができなくなりました。
ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。

by apakaba | 2008-03-24 23:31 | サイト・ブログについて | Comments(9)
2008年 03月 23日

最初に大きく出る

「アキタコマチ」の幼いころからの口癖で、“見積もりで数をいうとき、必ず大きい数から言う”というのがある。

「ああオレ、これ食べたことある、多分、3日か2日前に。」
「あ、その大きさの5倍か4倍くらいかな。」
もっとひどいのは
「おかーさん、オレが見たのはだいたい……4,3回ぐらい。」

なにその4,3回って……いつか自然に気づくだろうと思い、今までなにも言ってこなかったが、とうとう妹の「コシヒカリ」まで同じ言い方をし始めたので、今朝、ちょっと注意してみた。

「あのう、数をいうときは、少ないほうから言うのよ。たとえば2,3回とか、2,3倍とかって。」
すると「コシヒカリ」が、
「うん、あのねえそうだとは思うんだけど、でも最初に3って言ってから、『あっ、やっぱりそんなに多くないかもしれない、2、くらいかもしれない』って思い直して、それで言い直すから『3回か2回』とか言っちゃうの。」
という。
ナルホドー。
そういわれてしまうと、それも一理あると思ってしまう。

すかさず元凶の「アキタコマチ」が妹に同調して
「そうそう!そうなんだよ!先に3って言っちゃってから少なく言い直すんだよねー。」
「コシヒカリ」が言うとかわいいが「アキタコマチ」だとなぜかムカツクのであった。
「少ないほうから言うのが決まりなの!多い方から言うなんてどこの国の言葉でもありません!」
と怒鳴ってしまうが、あとになって『本当にそうかな?どこか、アフリカの遠い国の言葉とか、どこかの島の言葉とかで、“まず最初に大きく見積もる”数の言い方をする言語があるのかもしれない。』などと考えて混乱する。
でもここで混乱してもしかたないと思い直す。
だって日本人だし。
まずは日本語のルールでしゃべろうっと。

by apakaba | 2008-03-23 18:47 | 子供 | Comments(7)
2008年 03月 22日

チベット暴動に関連して

連日、チベット自治区暴動のニュースが報じられている。
おかしな話だ。なにか恣意的なものを感じる。
なぜ今、この時期にいきなり。
五輪前に邪魔なものを一掃したかったのか。

素人推理はこれくらいにするが、チベット自治区に目を向けてもらえるいい機会である。
2000年の夏にインドを旅行し、偶然が重なってダライ・ラマさんのカーラチャクラ法要に参列することができた。
ダライ・ラマさんは、腹の底にずんと響き、しみわたっていくすばらしい声をしている。
会えばみんな好きになっちゃう。
私もそれ以来大ファンだ。
大ファンなどという軽々しい表現も笑って許してくださる、大きな人だと思っている。

これまで、何度かブログでもメインサイトでもダライ・ラマさんのことを書いている。
ちょこっとしたエピソードだが、まだお読みになっていないかたは、この機会に是非読んでみていただきたい。

ダライ・ラマさんの講演会
2003年に来日したダライ・ラマさんの講演会(両国国技館にて)に参加したときのこと。
2000年のインドでのカーラチャクラ法要のときは、私はチベット人に囲まれて参列していたが、ダライ・ラマさんの現れた瞬間、チベット人たちがさーっと潮が引いていくように無言で次々ひれ伏していったのと全く対照的に、スタンディングオベーションで出迎えられていたことが非常に印象に残った。


ダライ・ラマさんは飛行機雲をご存じなかった。
同じく両国国技館での逸話。
ダライ・ラマさんのお茶目な一面を見たこと。

インドのなかのチベット世界をめざす
ついでにこれが2000年のチベット世界旅行記。
とんでもなく長すぎます。
ダライ・ラマさん登場シーンだけ読みたい方は、story19だけお読みになってもいいです。(でも全部読んだほうが絶対おもしろいぞー。全編読まないのはあなたの人生の失点だよ。とだけは言っておきましょう)


私は、『ダライ・ラマ自伝』『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』『ダライ・ラマ イエスを語る』など、いろいろ本を読んでもみた(だってファンだから)。
日々の報道を追うのも大事だが、じっくりとチベット仏教やチベット自治区の立場などを知ることがさらに大事だと思う。
中国は日本にとって、いろいろな面でとてもとても近い国だ。
しかしチベットのことは、多くの日本人がとてもとても遠く感じているだろう。
早くいえば「どうだっていいんじゃない?」という位置づけではないのか。
みんな、チベットを知ろう。
チベットだけでなく、この世界で起きていることを知ろう。

by apakaba | 2008-03-22 18:38 | ニュース・評論 | Comments(8)
2008年 03月 21日

花は桜木……

It's a feeling__I don't belong here...

なんとなく、だけど……感じるんだ。
ボクはこの場にそぐわないんじゃないかってさ。


TOTOⅣ(4)の中でもっとも地味な1曲、「It's a feeling」の出だしは、気が滅入っているときに限って頭に流れる。
本当は恋愛の歌だが、居場所のなさを感じたとき、自分が場に求められていない存在だと感じるとき、ふっと出てくる。

ようするにここのところ、生活が暗いんだわ。
あまり楽しくなくてすみませんペコリ。

夜の8時ごろ、買い忘れていたコーヒー豆を買いに、犬を連れて出かける。
雲で暈(かさ)をかぶった円い月が浮かんでいる。
川沿いにずらっと桜の木が植わっていて、満開になればちょっとした名所となる。
暗い気持ちのまま白い街灯の下を歩いていった。
街灯に照らされたいくつかの枝だけ、花が咲き始めていた。
あれ、梅かな?梅の枝があそこだけ伸びちゃっているのかな?
暗くて遠目にはよく見分けがつかないから近づいて行ってみた。
……ちがう、桜だ!
桜がもう咲いていたんだ!
今年初めて見た桜だった。

街灯の熱で温められている枝、ひと抱え分くらいずつ、ぽっぽっと咲きそろっているのだった。
なぜ、桜が恋しくなるのかわからないけれど、街灯の桜に涙があふれた。
特定の誰かの思い出につながっているわけではなく、きれいだなあと感じただけ。

それを誰に伝えたいか、誰に見せたいか、がそのときの自分にとって大事な人なんだろうなあ。
初めての桜、初めての雪、虹、おどろきの紅い夕焼け、ぼったりと線香花火の色の満月が、また沈んでいってしまいそうな重たさ——「あっ。見て!見て!」と肩を叩いて知らせたくなる相手。

花は桜木、男は早稲田、なんてコトバもあったなあ。なーつかしいなあー。


もうすぐ復活します。

by apakaba | 2008-03-21 23:14 | 生活の話題 | Comments(2)
2008年 03月 20日

太りやすくなること

書評を書こうと思って苦しんでいたが20行ほどで断念。
なにか書きたいという気持ちだけが残るのでまた身辺雑記風に。

40過ぎてから太りやすくなった。
ちょっと食べ過ぎるとすぐに太る。
ちょっと家事を怠けるとすぐに太る。
先日、微熱が出てたった一日、家事をさぼって横になっていただけで、1キロ太ってしまったのには自分でもがっかりした。

あまり(というかかなり)外見に頓着しない性格なので、髪の毛なんか1年以上切りに行っていないけど平気だ。
枝毛だらけで、先端がコイルみたいに妙な巻き毛になっているのだが気にしてない。
ワインをどっとこぼしてシミだらけになった服もそのまま着て出かけちゃう。
そもそもその服自体が1900円だし。
ヒールのついた靴を履くのは年に数えるほどだ。
メイクも人に会わない日はしないまま。
人に会うときも、家から出ないで人が来てくれるときには結局、しないまま。
この前、のこのこさんご一家が朝から来てくれたときには、メイクはおろか寝間着でしたよ。
寝間着の上に、フリース上下着ただけで昼近くまでしゃべってしまった。
自分で書いててイタイねえ。
悲しいねえ。
(オシャレしすぎでイタイおばさんもたくさんいますが。)

と、いうわけで、そんな無頓着なおばさんそのものなのだが、太るのだけは困る。
だって服が入らなくなると、新しく買わなければならないでしょう。
いくら安物ばかりとはいえ、買い直しはキツイ、そして屈辱的。
ここのところ本当に太ってしまって、ジーンズが「ぐへえ、死ぬ、死ぬ」と苦しみながらでないと穿けなくなってしまった。
やっぱり太ると、見た目も悪いしなあー。今さらだが。
鏡で顔を見ると、うーんおばさんだなあと思う。
輪郭が、健康的に張っているんじゃなくて、ただだらしなくブヨブヨしているだけなのね。
ふつうに家事に復帰したらもとに戻ったけどね。

でもだんだんと、戻らなくなるんだろうなあ。
太りやすくなったことを実感したら、次は戻りにくさを実感するように、なるんだろうなあ。
あー。

by apakaba | 2008-03-20 00:14 | ファッション | Comments(4)
2008年 03月 18日

1990年の春休み.81 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
サイトーくんとともに、ポカラの田舎道を自転車で楽しむ私たち。
サイトーくんは、このあと伝説のゲストハウス「スルジェハウス」に行くというのでついていった。

3月5日(つづき)
 スルジェハウスは、案の定、日本人の学生諸君がどっさりと泊まっていた。
 来てはみたものの、あまりにも日本人だらけなのに後込みして、結局中には入らず、建物の外観だけを見た。ごく普通の安宿ふうだった。『ヒマラヤの花嫁』の作者の平尾さんがいるなら話をしてみたかったけれど、今は留守らしい。がっかりした。
 成りゆきでそのまま、学生諸君(アタシらもだけど)と連れ立って、ガイジン専用レストラン(KC)にドヤドヤと夕食へ。

 私はスパゲッティーと魚のグリルを食べた。サカナが久しぶりでシアワセ。ペワ湖のものだろう。
 総勢8人くらいのちょっとした団体になってしまった。うち女性は我々二人だけなのでモテモテ……などという展開にはまったくならず、ただとにかく健全に食事をするのみ。なにしろ、サイトーくんの後輩なんて、私たちが年上と知るやなんのテレもなく「センパイ、センパイ」と呼ぶ始末なのだ。部活でもないのによしてくれ。
 あとの人々はおとなしそうな人たちだったのでほとんど何の印象もない。
 サイトーくんはワカラナイ線を狙ってインドネシアンナントカを注文していたが、きたものはとても困った代物でした。ちょっとレバーっぽい味のするピーナッツバターのようなものが、串刺しの肉にべにょんとついている。読めないメニューはやはりダメ!
 
 自転車を返しに行くと、ナントそこのじいちゃん(父ちゃんかもしれない)が、遅いので心配して外に出ていた。申し訳ない。娘(孫かもしれない)は、あいかわらずやさしくテキパキと我々に応対してくれた。
 彼女は年齢があまりよくワカラナイのだが、とても英語がクリアーで、声がハスキーで美人なのだ。そしてぬかりなく商売をする。あの若さで(年がわからないけど)大したものである。

 ホテルパゴダに戻ると、ダンラジが私たちを待っていた。
 明日の朝、サランコットの丘(*1)に連れて行ってくれるという。もちろん二つ返事でオーケーである。ヒロはすでにぼうっとなってしまっている。去年は名前さえ聞けなかったというのに、ついに初デート?(アタシもいるけど)と相成ったのだから大した進歩だ。

*1・・・標高1600メートルの、小高い山(ポカラは900メートルほど)。往復5時間ほどで登れる。山頂からは、ポカラからよりもぐっとヒマラヤを間近く眺めることができる。しかもポカラの街をすっかり見渡せる。しかし今ではタクシーで山頂付近まで登れてしまうらしい……。

 ちょっとー、どうでもいいけど、アタシのお目当てのダンラジの渋いお兄ちゃんはどこにいるの?と思ったら、彼はブリティッシュアーミー(*2)となって今やこの宿にはいないのであった。私はとっても落胆した。ダンラジもかわいいけれども、あんまりにもコドモコドモしているので、ちょっと趣味じゃないわね、という気分である。

*2・・・イギリス傭兵のこと。19世紀にネパールへの侵略を試みたイギリスは、「グルカ兵」の名称で名高い勇猛なネパール兵に山岳戦で撃退され、以後傭兵として使う方針をとった。ブリティッシュアーミーになるためには、相当の体力を必要とされるため、厳しい試験にパスしなければならない。モンゴル系の山岳民族(ホテルパゴダの家族もこれに属する)が多く従軍している。

 というわけで、お兄ちゃんには会えなくなったけれども、もともと山は好きだし、明日はがんばって早起きするかあ!
 山の装備をもっときちんとしていたら、トレッキングに行きたかったことだ。でも今回は、この長旅じゃどっちにしろ無理である。トレッキングだけをしに、いつかまた来たいものだ。
 それにしても、いくら簡単な山登りとはいえ、私の今履いている靴の情けないことといったら。日本から履いてきた靴がインドで破れてきたので、インド製の、ものすごくちゃちな、幼稚園の上履きよりぺらぺらな安物靴(Bata shoes)を買って履いているのである。こんなんで大丈夫だろうか。そして本当に久々の山登りなので、バテないかどうかがけっこう心配である。でも私は山に関してはかなし頑張りがきくほうなので、やはり絶対にバテないや。と思い直して、寝た。

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中央の三角形の山が、マチャプチャレ。

3月6日(火)晴
 よおーし行くぜサランコットに。と元気に起きた。
 明け方近く、屋上のテーブルで、二人で肩を並べて座り、ヒマラヤと真向かいに向かい合って朝食を食べる。やがて朝日が山々の頂上に射し、夜が明けていく。冷え込んでいることを忘れる、贅沢さだ。これまで旅してきて、今朝が一番の贅沢な朝食である。いつもと同じ、パンとジャムとタマゴの朝食だけど。
 きのうの朝、飛行機から見たときより、ずっと、山がすごく近く、きれいに見える。
 でも、近くはなったが、下から見上げているから、ますます「あんなとこまで、行けっこない。」ということがハッキリわかってしまう。マチャプチャレ、アンナプルナ(*3)、アナタたちは素晴らしすぎる!!

*3・・・どちらもポカラからよく見える山の名前。マチャプチャレは、名前こそかわいらしいが、その姿は美しくも峻険な三角形で、実にフォトジェニックだ。

 サイトーくんも屋上に上がってきた。
 私たちの後ろ姿を見るなり、
 「おはよう……おっ、いいいい!この構図サイコーだよ、写真撮るから、そのまま振り向かないで食べててよ。振り向いちゃダメなんだよ。」
 とコーフンして、ヒマラヤと二人の後ろ姿を撮っていた。
 妙齢の女性に向かって、振り向くな振り向くなと連発するのは失礼なような気もしたが、彼は自分の写真に非常に手応えを感じている様子であった。朝から明るいオトコだなー。
 しかし、ここに滞在する者は、誰でも早起きになってしまうのである。
 なにしろ、天気のいい日は、あるじの父ちゃんが「今朝は山がよく見える、見にいらっしゃい。」と客室をノックして回ってくれるのだ。あのヒマラヤの夜明けを一度でも見たら、これがなにより最高のサービスなんだということがすぐわかるだろう。

by apakaba | 2008-03-18 17:54 | 1990年の春休み | Comments(8)
2008年 03月 17日

終末医療(というかなんというのか)

歯切れの悪いタイトルとなってしまったのは、私自身がまだ勉強不足と経験不足なため、終末医療とかターミナルケアと呼ばれる治療について、しっかり考えが固まっていない段階だからなのである。

私の親世代は、おかげさまでまだそれなりに元気だが、さらにその親世代の話だ。

夫の祖母は、今年95歳になる。
何年か前に足を骨折してから歩けなくなり、自宅での介護が難しくなったので、老人ホームに入所した。
そこは大変素晴らしい施設なのだが(出すもん十分に出しているので)、この2月末から脱水や貧血や肺炎や、いろんな具合が悪くなって病院へ移った。
おととしの暮れ、特別病棟ルポ!と題して、VIP病室に入っていた話を書いたが、あれ以来、やっぱりだんだんとまだらぼけが進んできて、体の機能が低下し、病院に入院したり、またホームへ戻ったりという1年を過ごしていた。

今回は、家族がひとつ決断を迫られることとなった。
それは、「“胃ろう”をつける手術をするか」ということである。

私などは、胃ろうってナンデスカ?だったのだが、胃に穴を開けて、そこから栄養分を入れる仕組みのことだそうだ。
口からものを食べることが困難な人につけるものだと。
ここ最近、義母(夫の祖母の長女)が食事を口に運んでも、三口ほど食べたらあとは口を一文字に結んでしまってなにも食べないという。
医者によると、これも認知症が進んでいるせいだそうで、このままでは衰弱する一方だから胃ろうをつけようという運びらしい(つけない場合、あと3ヶ月くらいだろうとのこと)。

ずっとつきっきりで世話をしている義母は、それが最善の判断なのかどうか、悩んでいる……、と、数日前に私にメールが来た。
祖母は、起きている間、ずっと体が痛い痛いと訴えていた。
どんな姿勢をとっても、とにかく痛くてたまらないと。
骨折のあとも傷むし、神経痛も痛いし、いろいろと痛いらしいのである。
これほど痛い思いをするのに、そんな長く生きていたくない、とはよく言っていた。
でも、現在、病院では延命治療に向かっている。

それを聞く側も、なにを真に受けたらいいのかが判断しかねる。
だって私が嫁いでくるくらいのころには(ほぼ20年前には)すでに、
「もう年だから、この夏は越せないかもねえー。いつ死んじゃったっていいんだけどねえー。こう暑くっちゃとてもじゃないけど生きていられないわ!」
などと言って、“もう死ぬ、もう死ぬ”が口癖で20年来ているのだから。

祖母の家は代々が医者の家系で、祖母の夫(夫の祖父)も医者、息子も医者、孫二人も医者、孫の嫁まで医者という家である。
医者というのは、なかなか「延命できるのに、自然に任せる」という判断はできにくい人が多いようで、みんな「そりゃ、(胃ろうを)つけるに決まってるでしょ!」と即答だという。
しかし実質的に面倒を見ているのは(嫁いでその家から出た)義母なのだ。
私からすると、祖母も大変だが、それ以上に、義母が看護に疲れてやせ細っていくのがさらに気の毒に思えてしまう。
義母だってもう70過ぎているのだから。

私も、意見を言う立場ではないにせよ、今日、ネットで胃ろうに関して検索してみた。
実にいろいろなケースがあり、一概にいいとか悪いとかはいえないのだな。
しかし95で手術して胃に穴を開けるとは……そっちのほうがかわいそうのように思うのは、薄情なのか、まともな感覚なのか?
なんだかわからなくなってくる。

ネットでは、医者の意見として、「胃ろうをつけなければ、すなわち餓死させるということになるんですよ。」みたいなことが書いてあり、恐怖に駆られる。
ものは言い様というか、“自然に任せる”というと聞こえはいいが、“餓死を見過ごす”と言われたら、「じゃあ、お願いします!」ってなってしまうだろうし。
その言い方もひどくないですか?!

このお正月、祖母を老人ホームから一時帰宅させて、新年会をやった。
座椅子にもたれておせち料理を山ほど食べて、お酒も(元来、強い)驚くほど飲んでいた。
ひ孫(うちの子たち)に囲まれ、お年玉を渡して、かわるがわるスキンシップしてそれは幸せそうだった。
そのあと、ホームに戻ってからも、好き放題にわがままを言って、
「ここの食事はおいしくないの!浅草今半の焼き肉弁当買ってきて!」
と義母に言いつけ、一人前をぺろっと平らげたり、好物のお寿司を10貫(!)平らげたという。
しかし、担当医に言わせると、
「それもぼけている証拠。本来の食欲ではない。目で見て、なんとなく食べたいという欲求が働くだけであって、それだけ元気だと考えてはいけない」
のだそうだ。
私はその話を聞いて、なにを言ってるんだろうと思った。
本当の食欲だろうとうその食欲だろうと、95でわがまま言って、今半の焼き肉弁当やら寿司10貫平らげるなんて、それでけろっとしているのなら、こんなに幸せで痛快な話はないじゃないか。
それを取り上げてちょびっと長生きするより、「あのとき、すごーく食べてたよねえ。ぼけの力っていうのもすごいわねえ」などとあとから笑い話になって思い出してもらえる方がずっと幸せじゃないか。

そんなふうに考えるのは、医学的にはいけないことなのか?
感傷に流されているのか?
でもさあ……95だよ、好きにしてあげたらいいんじゃないのかなあ……それもこれも、しっかりしている時分に延命治療拒否とかなんとか、意思をはっきり形にしておけばよかったのだが、もう本人に意思確認をしてもなんのことだか理解できていないらしい。
だから周りが悩んでしまうのだ。

結局、私があれこれ調べたり考えたりしている間に、すでに手術はすることに決まっていた。
義母は、
「私は一筆書くからね!」
と言っている。
夫も、
「俺もいつどうなるかわかんねえし、延命治療拒否ってなにかしら残そう。」
と言い出した。

by apakaba | 2008-03-17 23:23 | 健康・病気 | Comments(8)
2008年 03月 15日

また日記の書き方を変えてみる(身辺雑記風)

おとといの夕方から体調ががたがたと崩れ、発熱。
きのうは朝から熱があり、3時に始まる仕事までの間はずっと横になっている。
数年ぶりに、鼻うがいをやってみる。
やはり苦しい。
服を着ながら溺れ死んでいく感覚を味わう。
数年ぶりに、優喉茶(漢方のお茶。花粉症に効果てきめんだという)をがぶ飲みしている。
やはり、おいしくない。泥水の味とにおい。

しばらく読み続けていた辻邦生の長編『西行花伝』をやっと読了したので、書評を書きたかったがまったく頭も体も力が入らず断念。
布団の中で新しい本でも読むかと、よせばいいのに大澤真幸『恋愛の不可能性について』を読み始めてみる。
こめかみの血管が切れるほど難しく、三行進んで四行下がる状態。
発熱時にこんな難しい本を読もうとしたのが無謀だった、と30ページほど無理矢理進めたところで断念。

かわりに、いかにも簡単そうな下川裕治『日本を降りる若者たち』をほんの数時間で読了。
内容には悪いけど苦笑。
20代、30代ならともかく、私には苦笑以上のコメントは出ません。
体調が戻ったら書評で叩くか。

人生は短い、レベルの高い本しか読みたくはない。

薬のおかげでいくらでも眠れる。
今日も、夜だけで10時間くらい眠った。
インドの夢を見た。
そんなわけできのう、旅を思い出させる本を読んだせいにちがいない。
思考回路の単純さはいつものことだ。
インド旅行中に訪れた、大きなプールのプールサイドで、履いていたサンダルが片方だけなくなってしまう。
「チャッパル!チャッパル、ナヒーン!」
とヒンディー語でそこらにいるインド人の女の子たちに訴えかける。
チャッパルはサンダル、ナヒーンは英語のnoだ。
……と、いう夢だった。

現実に、インド人相手にその言葉を連発したことがある。
夜行寝台列車に乗っていた。
私の隣のブースに、年配のインド人の夫婦が乗ってきた。
インドではない国でインド人に会うと、ついついヒンディー語で話しかけたくなる悪い癖。
私はジャパニだ。
ヒンディー語は、アハハ、トラトラ(a little)。
そのうち、なぜか私のサンダルが消えていることに気づいた。
盗難?
こんな咄嗟に間に、まさか?
でも揺れる列車の床に這いつくばって探しても、どんな隙間をさぐっても、なくなってしまった。
「あれえ?チャッパル!?チャッパル、ナヒーン!」
私が騒ぎ始めたので、老紳士の旦那さんは驚く。
「チャッパル、カハーンヘイ!?(サンダル、どこ?)」
私が騒いでいると、太った体を揺すって、奥さんがトイレから戻ってきた。
足には、私のサンダル。
「ああーっ!チャッパル!」
トイレに立つときに、勝手に私のサンダルを履いていってしまったのだった。

翌朝、目的地の駅に着いて別れるとき、老夫婦の奥さんは、
「チャッパル、ソーリー。」
と謝ってきたので、
「コーイーバートナヒーン。(なんでもない、気にしないで)」
と答えると、夫婦そろって爆笑。
「この日本人、コーイーバートナヒーンだって!そんなヒンディー語も言えるなんて!」

そんなことを、朝、目が覚めたときから思い出した。

朝はまだ少し熱っぽかったが、寝てばかりもいられないので家事をして、子供たちに勉強を教える。
「アキタコマチ」に英語、「コシヒカリ」に算数を教える。
「アキタコマチ」の英語の成績があまりに悲惨なので、母としての私情は抜きで、家庭教師になったつもりで、懇切丁寧・時給2500円時代のように教える。
「おかーさんの家庭教師はわかりやすいだろう。これで時給2500円とってたんだからよこせ。」
「やだよ誰が払うの。フツー親でしょう。」
「アキタコマチ」は小学生時代にあまりにも放任放置してきたと反省しているので、これからもできるだけ家庭教師はやろうと思う。
英語は、なかなか教えていても楽しい。

スーパーへ買い物に行ったらピンシャーを連れているおじいさんに出会い、ピンシャーを思う存分触らせてもらう。
前からずっと、ピンシャーを触ってみたいなあと思っていたが、恥ずかしがり屋なので今まで連れている人に会っても言い出せなかった。
なんともいえない、馬のような手触り。
かわいくてかわいくて、しつこくなで回す。
「かわいいーかわいいー!耳がきくらげみたい!きくらげ、きくらげー!」
とバカ丸出しでいじくるがおじいさんはあくまでも寛容であった。
ピンシャーはあくまでも人なつこかった。

夕飯はなにがいい?と「アキタコマチ」に尋ねると「ロールキャベツ!」と即答。
ああめんどくさい。
だってうちだと30〜40個は作るので、病み上がりにはねえ。
でもがんばって作った。
ゆうべは熱でごはんが作れず、中華の出前をとってしまったので罪滅ぼし。
「アキタコマチ」が、
「うちもきれいな鉢植えのお花を玄関先に飾ろうよ!」
と言い出し、じっくり吟味していくつか買う。
「アキタコマチ」はマーガレットが好きらしく、私はおだまきが好きなのでおだまきがよかったのにすべてマーガレットで統一されてしまった。
マーガレットも単純素朴で、愛らしい。

by apakaba | 2008-03-15 23:21 | 生活の話題 | Comments(6)
2008年 03月 14日

ボケボケしていて薬を飲み過ぎる私

顔にずっと脂漏性皮膚炎が出ているので、皮膚科で出されたタリオンというアレルギー治療の薬を継続的に飲んでいる。

そのうち、花粉症がひどくなってきて廃人同様になってしまい、おととい、耳鼻科へ行った。
耳鼻科でもアレルギー用のクラリチンという薬が出た。

きのうの夕方から、急に体調が崩れた。
ぞくぞく寒気がして、熱が出てきた。
今日も朝から熱があったので、内科へ行き、風邪だと。
つい数日前に、友だちのコメント欄に「花粉症と風邪って、両立するの?」とバカみたいなコメントを書いたばかりだったが自分がそうなってしまったよ。
今日初めて知ったが、花粉症だと風邪をたいへん引きやすいんだと。
鼻粘膜が弱っているし、喉も荒れやすいからとのことだった。
アレルギー体質のくせにまだまだ未熟だ。
鼻水が花粉のせいなのか、風邪のせいなのかわからないがいずれにせよ発熱と喉の腫れがあるので風邪の治療になる。

現在、皮膚科のタリオンと耳鼻科のクラリチンとを飲んでいるというと、
「はーっ、両方飲んでるんですか?!似たような働きのものですよ。どっちか一つでいいんですよ。病院でちゃんと言わなくちゃ。薬局も薬局だなあ……」
と、少し怒られた。
いや、薬局じゃなくて私のせいですわ。
『おくすり手帳』を作らないままにしてきた私が悪いんです。

顔がブツブツだらけだと、外に出てもみっともないし肌がぴりぴりして、鬱気味になる。
一刻も早く用事を済ませて帰りたい。
だから皮膚科では急ぎ足。

花粉の鼻水には、当然思考力ゼロ。
電柱にぶつからないようにまっすぐ歩くだけでせいいっぱいというくらい。
だから耳鼻科では皮膚科の薬のことを忘れていた。

今日は熱でぼんやりしていたが、花粉のことも言わなければと思っていたので薬の話を忘れずにできた。
もっと重大な薬の飲みあわせを間違えていたら、危ないよねえ。
私みたいな人が将来ダメな老人になるんだなあ。
ぼけっとしていても、黙っておくすり手帳を出せば、薬局で判断してくれるのだから、やっぱり私のように病院にしょっちゅうかかってしかもぼんやりしているタイプの人間は、面倒でもおくすり手帳は作るべきだろうな。

by apakaba | 2008-03-14 17:34 | 健康・病気 | Comments(4)
2008年 03月 12日

割れる食器

今日の友だちとのメールの中に、食器の話が書いてあった。
食器好きな人は、あきらかに使い切れないとわかっていても、ついつい集めてしまっていつの間にかどっさりたまってしまう、という話だった。

私は、食器をぜんぜん買わない。
おそらく、興味もないんだと思う。
でも人のおうちの食器は気になる。
自宅の料理写真をブログなどで見つけると、料理もさることながら、食器をチェックしてしまう。
ステキな器を見ると、敗北感を覚える。
それに較べて、うちはさー。
どうせ、実家の使い古しを結婚するときにもらってきて、5枚セットもみんな4枚ずつになっていて、縁が欠けていて、まともに使えるのはたいていミスドのおまけで。

敗北したからといって翌日新しい器を買いに走るかといったらそんなことはせず、忘れてしまっている。

ひとつだけポリシーを持っていた。
赤ちゃんに与える食器は、割れ物でいきましょう。

スプーンを自分で持ってひとりで食べるのは、乳児が幼児になっていく最大のターニングポイントだ。
彼らのシンプルきわまりない一日の生活のなかの、最大のイベントだ。
顔中を口にして、スプーンをわしづかみにして、食べる!
よそったごはんの、半分は無駄になる!
でもたのしくて仕方がない。
スプーンをお茶碗に打ちつける。
興奮して体が椅子から跳ね上がる。

これだけで、いったい3人分、何個のお茶碗を割っただろう?
3人あわせたら、10個ではとうていきかないはずだ。20個ちかい覚えがある。
それでも、割れ物をうんと小さいころから扱うのは大切な教育だと私は思っていた。
興奮してお茶碗を割りそうになったとき、やさしげに笑っていたおかーさん(私だ)がとたんに表情を変えてあわてる。
「あっ、ダメダメ、割れちゃうのよ!」
そして、割る。
割れたらおかーさんは意外と怒らない。
「あー、割れちゃったね。大好きな模様だったのにね。あぶないから手を出さないで。今度から気をつけるんだよ。」
割れた大きな音にびっくりして、心臓が飛び出しそうな顔をしていた子供は、意外と怒らないおかーさんに安心し、失った形を椅子の上から見下ろす。
怒られたことを怖がるより、大好きなお茶碗を失ってしまったことを悲しむ。

そういうもんじゃないかなあ。
私は、子供たちがばりんばりんと器を落として割ってしまっても、注意はするけど怒ったことはない。

でも、割れてもさほどショックじゃないような器ばかりを使う癖が10年の乳幼児子育てでしみこんでしまい、なんだかすっかり、今でも興味がなくなってしまった。
今使っている食器も、すべて、割れてもショックではない。
食器棚を見てみても、割れて悲しいのは、パリで買ってきたふだん使いのワイングラスだけだ。

by apakaba | 2008-03-12 23:57 | 生活の話題 | Comments(13)