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2008年 04月 30日

けっこんきねんびオリエンテーーーーーリング!

きのうの朝、洗濯物を干していると「コシヒカリ」が
「おかーさん。階段の3段目を見てね。」
という。
なにかにつきあわされるなと思いながら階段を見ると、「コシヒカリ」の好きな猫のぬいぐるみが2匹並んでいて、メモを持った形で置いてあった。


んこうになるために病気の人が飲む物が入っているところはどこだ!

……、あー、これは、「コシヒカリ」の得意なオリエンテーリングですね。
洗濯物が気になるが先にやる。
薬の入っている棚をあける。

いつもくっつこうと思いながられいぞうこにくっついている物なーに!?

冷蔵庫のマグネットを見る。

ンキー・パンチはルパンの「カリオストロのしろ」に名前が出てるよ!DVDはどこだっけ?

テレビ台の下のDVDのケースを見る。

ねんぶつを唱えるって私の国語じてんをしらべてね!(ねんぶつを)


とかなんとか、クイズを解きながら家のなかを上へ下へ、部屋から部屋へと移動させられる。
最後までいったら、文房具のプレゼントが置いてあった。
私が仕事でたくさん使う赤ボールペンや消しゴムなど。

「それでねそれでね。おかーさん、このメモをみーんなならべてみて。」
7枚分の問題用紙をずらっと並べると、それぞれにひとつかふたつずつ、犬のハンコが押してあった。

「このハンコの部分の文字(上の字の下線部)をつなげるの。そうすると、“けっこんきねんびおめでとう”になるんだよ!」

なるほど、本当に“けっこんきねんびおめでとう”になっていた。
きのうは、17回目の結婚記念日だった。

私は娘の知恵に感心して、いつものようにややオーバーに感動してあげるのも忘れ、「すごいなあ。うーん、すごいなあ」と驚いていた。
実は、これは本を読んでヒントを得たのだという。
「どこかの病院の待合室で読んだ本にね、書いてあったの。
女の子がいて、学校へ行く前に、お母さんに、“階段の3段目を見てね”とだけ言って学校へ行っちゃうの。
階段には犬のぬいぐるみがあって、それにメモがはさんであって、お母さんはメモを頼りにいえじゅうを探すの。それでぜんぶ終わったあとに、ハンコが押してある文字をつなげると、“けっこんきねんびおめでとう”って書いてあったんだよー。
それを読んですごくおもしろかったから、わたしもやろうって思ってたんだー。」

ナルホド、真似したのか。
それにしても、文章を考えて、我が家の中で問題を考えるのは自分ひとりでやったのか。
子供たちのお祝いもだんだん手が込んでくる。

ちなみに、4年前の結婚記念日はこんな調子。

結婚記念日を子供たちが祝ってくれる。最初で最後かも

オリエンテーリング好きな「コシヒカリ」がご近所を巻き込んで仕掛けたサンタ話はこんな調子。

クリスマス、少しずつ大人になる

こっちも、人間として成長しているつもり。だが。

by apakaba | 2008-04-30 18:00 | 子供 | Comments(10)
2008年 04月 28日

ここ2ヶ月ばかりで観た映画(DVD)

春休みがあったり、ネットから遠ざかっていたのでけっこう観ましたね。
数が多いのでさらさらっと。


さらば、ベルリン
ソダーバーグとは相性悪いです。
ジョージ・クルーニーは好きな俳優だがストーリーに訴えるものが感じられず、ソダーバーグは映像の人なんだなあとまた思った。

素粒子
奇妙なおもしろさがあったな。
セックスがからんでくると、人は誰もが不幸。
でも最後はなんとなく救済のヨカン。万々歳ではないにせよ、自分の選択を生きるのだ。

ラッキーユー
とまどうくらいに陳腐なラヴだったわー。
プロの賭博師が愛を得る話だけど、彼は心の病だぞ!
絶対平穏な幸せは来ないわよ!

大いなる遺産
ディケンズの小説を現代のNYに移してアレンジ。
いいですねイーサン・ホーク。クリス・クーパーも変わらぬ曲者。
ディケンズも読もうかと思ったけど、映画の印象がよかったので原作には戻らずじまい。

タイニーラブ
なんとも中途半端なラヴだ。
ヒロインのケイト・ベッキンセールがぜんぜん好きじゃない上に、相手のマシュー・マコノヒーも半端な性格、その兄ゲイリー・オールドマンは小人症という難役だがただ膝を折り曲げて歩いていることが見え見えでなんか奇妙よ。
どうして役者そろえてこんなヘンな映画作るのかなあ?

イルマーレ
おお、なんだか知らないがラヴつづき。
「キアヌのキスシーンがよい!」と聞いていたので思わずレンタル。
キスシーンは、んー、まあまあでした。
たぶんキアヌに興味がないからなんだわ……

幸せのレシピ
またラヴか!たまたまなんだけどなあ。
ストーリーはまあ陳腐。
アーロン・エッカートが最近、気に入りでねえ。
キャサリン・ゼタは大変美しい。昔は好きじゃなかったけど最近いいですね。

消えた天使
やっぱりラヴよりサスペンス。
リチャード・ギアの好演で全体に説得力が出て引き締まる。
『インファナル・アフェア』シリーズの監督初のハリウッド作品。
でもテーマは同じ、“無間道”だなあと。

ハリウッドランド
サスペンスというかなんというか。
でも芸達者がそろってそれなりに引き込まれる。
ダイアン・レインの老け役は「うまく作った」と見ていられるが、ベン・アフレックのあのゆるんだ親父ぶりはいったい……役作りならかなりうまいけど素だとしたらちょっと心配!
出色はエイドリアン・ブロディのぐれた演技だな。
長らく『戦場のピアニスト』の演技が頭にこびりついていたけどああいう役だけのひとじゃないのね。

フリー・ゾーン
さっぱりわけがわからない映画でした。
イスラエルからヨルダンへタクシーで国境を越えていくロードムービー。
車窓の風景は懐かしくてムネに迫るものがあったが。
あの「終わらない感じ」がまさに紛争を象徴しているってことかなあ。

街のあかり
フィンランドの巨匠カウリスマキ監督作品を初めて見た。
舞台劇の手法を強く感じる。
アメリカ映画的スピードに慣れた目には、おもしろいような、おもしろくないような雰囲気だが、観劇しているつもりになると、間合いや人物配置も納得できてくる。
スペイン映画でもそういう感じを受けたことがあるな。

ブレイブワン
いかにもアメリカ映画っぽかったです。
銃で解決!とな。
なんか、ジョディ・フォスター若返ってませんか。
きっちりハダカになるベッドシーンにはけっこうひょええだったんですが。
『クラッシュ』にも出ていた刑事役の包容力ある演技は見つけもん。

サルバドールの朝
真面目な映画も観るのだ。
スペイン、フランコ独裁政権下の反政府活動をしていた青年が、不当な裁判で見せしめとして死刑を執行されるまでの実話。
すごく感動したというほどでもないが、必然的に政治について考えさせられる佳作だった。


あ〜ぜんぜん終わりませんね。
まだつづきます。

by apakaba | 2008-04-28 18:01 | 映画 | Comments(8)
2008年 04月 26日

残酷・異常・動物好き?

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晩ごはんはいさきの塩焼きにしよう。
スーパーで、塩焼き用に下ごしらえしてもらう。

結婚してからずっと、「スーパーで下ごしらえしてもらうなんて、主婦の風上にも置けない。」と思ってきた。
鱗を引いて、内臓を出して、エラもはずして、場合によって三枚におろしたり、それくらい自分でできるでしょう。
魚をおろすくらい、主婦のプライドじゃん?

ところが去年の年の瀬、たまたま母と買い物に行ったときに、私が魚を買うと、
「下ごしらえもやってもらっちゃいな!」
と、(まさか母が言うとは、と耳を疑うようなことを)言われた。
「えっ?だって、自分でできるし。」
「いいのよ、もう年末でごみの回収終わっちゃってるでしょ。内臓があると臭いじゃない。ここでやってもらうのよ。頭使わないと!」
「ナルホドー!そうかー。頭いいー。」

それ以来、可燃ごみの回収日から遠いときには、無理せずスーパーの調理場に頼んでいる。
というわけで今日も、すっかりお腹もエラもきれいになった状態で買って帰った。

魚をいじるのが大好きな「コシヒカリ」が、
「わーいさきーいさきーいじりたいー!」
と喜ぶ。
「あー、でももう今日はお腹出してもらってきちゃったよ。」
もしかしたら怒るかな?と、スーパーでちらりと考えたが案の定
「えーっ!お腹ないの!どうしてそんなこと!!」
とたちまち不機嫌になる。
「ええと、じゃあ、鱗引いてくれる?まず水で洗って、鱗を引いたら塩しておいてね。それだけしかやることないんだけど。ごめんね(ナゼ謝るのか)。」

「うん。わかった!……わあー血だらけー!血の海ー!ふふふふっ!まず洗おうねー。……あれ?もう鱗きれいだよ。つるつるになっちゃってる。」
「ありゃりゃ、鱗ももうやってくれたんだ。じゃあほんとにやることないわ。塩だけでいいわ。」
「なんでよ!もっとさわりたい!わたしおさかなだあい好きなのに。」
「わかった、じゃあ少しさわってもいいよ。」

「やったー!んん〜、きもちいいー。この感触!つるっとして、こっちからなでるとなんともいえない感触!
お口を開けようねー。あーん。あれ、開かないよ?どうして?『オレは口を割るもんか!』って言ってるよ。ふふ。あれこっちのはパカッて開いた。どうしてだろ。『ボクはねえ、口が軽いよ。』って言ってる。ふふふふ。
あ〜ん舌みたいなのがある〜きもちいいー。このさわりごこち!かわいいー。
エラを開けようねー。あれっ、エラももうない!はずしてある。なーんだーまったくもうー。がっかり。
おかーさん今度から下ごしらえしてこないでね!
……あー気持ちいい。目がきらきらしてきれい!透きとおっててかわいい!おいしそう!目、大好きー。早く食べたい。
怒ってるんだよ。ほら、怒った目(写真参照)。
かわいいー。きれいー。こんな小さい口でなに食べてるんだろうねえ。ぱく!わー指に食いついた。もしこれが生きてたら、『こら!つかまえやがって!おまえの指を食ってやる!』って、食いつくんだよ。
……もうーどうしてお腹ないの。あれが一番ふわふわしてて気持ちいいのに。
ほんと生きてるみたいにきれい。
ずーっとずーっとずーっとさわってたい。
見て!このひれが泳ぐときはばっと開くんだよ!こんなに開く!すごい!図鑑よりおもしろいずっと。」

「あのー。あんまり触ってるとだんだん傷んできちゃうから。そろそろそのくらいに……。」

この子は、残酷か、冷酷か、動物好きか。
「かわいい!」と「おいしそう!」と「さわると気持ちいい」が矛盾なく並立し、交互にその言葉が飛び出す。
生魚や、血や死んだ生き物に対して恐怖心や嫌悪感を持つ人には、どうしようもなく残酷で、将来を心配される子に見えるかもしれない。
でも「かわいいー。かわいそうだね、死んじゃったんだねえ。おいしく食べるからね、かんべんしてね。ね。」と魚や貝にいちいち話しかけている娘は、そんなに異常性向でもないようにも思う。
この子はほんとに生き物が好きだ。

さーそろそろ生ぬるくなったいさきを焼くか。

by apakaba | 2008-04-26 21:14 | 子供 | Comments(6)
2008年 04月 24日

ブルーメの丘「日没閉館」にて

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池から見る外観は、シンプルで奥ゆかしい印象。


安藤忠雄氏の名前が、最近、渋谷をにぎわせている。
渋谷駅東口の再開発事業で、安藤忠雄建築事務所が新・渋谷駅(詳細記事こちら)をつくっているからである。
私にとっての一番近い繁華街なので、完成が楽しみでしょうがない。
生活エリアのなかに安藤建築が入ってくるなんて思ってもいなかった。

滋賀農業公園ブルーメの丘へ行ってみた。
先月、安藤忠雄建築巡礼の旅を書いたが、滋賀のはずれにも、憧れの建築があるのだ。
昨年読んだ本のBest10!の筆頭にあげた安藤氏の名著『連戦連敗(レビューこちら。読んでね)』に紹介されていた多くの建築作品のなかでも、この公園の敷地内にある美術館には、強く興味を惹かれた。
というのも、美術館でありながら、ここはいっさいの“人工の環境制御設備に頼らない建築として(『連戦連敗』本文より、以下同様)”建てられてた、世界でも類を見ない建築だからである。

安藤さんの、「その地に寄り添いたい。その地に住む人の心を汲みたい。自然と共に生きたい」という強い意志は、どの建築作品にも通じるものである。
それは、“威容を誇る”“見る者に畏怖の念を抱かせる”という、古来から東西の巨大建築に投影されてきた自己主張と対極にある。
この美術館は、安藤さんが
“収蔵品の劣化を防ぐ目的で、全て一様に管理された人工的環境としてあるのが常識の美術館建築にあって、人工照明の一切を排除した自然光のみによる美術館”
というコンセプトで設計した。
展示作品を鑑賞するための灯りとなるのは、自然に差し込む外の光だけ。
日が暮れれば、見えなくなってしまう。
だからここは「日没閉館」との異名を取っている。

これを、「志は高いし、アイデアは独創的。だが実際的ではない。展示物の劣化は免れず、だから一流の作品が来ることはないだろう。美術館としての第一義的なレーゾンデートルが失われている」と見るか。
それとも、「実際的ではないのはたしかだが、発想と心意気を買いたい。世界にひとつくらい、こういう場所があってもいい。なんでも人工的な管理のもとに置かれている現代社会への、ユニークな批評の一形態」と見るか。
ファンならもちろん、後者の目で見たい。
けれども建築は、実際そこへ行ってみて初めてわかることがたくさんある。
ここは、どうなのだろう?


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ブルーメの丘という広い公園の最奥部にある。
この公園じたいが、いわくいいがたい娯楽施設。
あか抜けないというかつかみどころがないというか……心細くなってくる。
釣り堀となっている池の畔に建つ「日没閉館」。
ここへのアプローチもかなりいいかげん。
じめじめとした丈高い草が歩道に倒れかかり、コンクリートの舗装もテキトーきわまりない普請。
内部へ入ろう。

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なかへ入ると、まずはシンプルな廊下のような仕立て。
磨りガラスを通した光がやさしい。
これが夕刻になれば、池の水面からの照り返しを受けて、壁も暖色に染まるのだろうか?

それにしても、どうも様子がおかしい。
あまりにも、手入れがされていない。
受付のブースにさえ人が一人もいない。
受付にスケッチブックのようなノートが置いてあり、そこに見学者がいろいろ書いていた。
文句ばかり。
「行き止まりかよ!」
「虫の死骸がいっぱい、気持ち悪い」
「ちゃんと掃除してください!」
これはどうしたことだろう?
カーブのついた通路を奥まで進むと、ものの十数秒で突き当たって通路は終わった。
これが「行き止まりかよ!」か。
本当に小さな施設だ。

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行き止まり部分。
透明の一枚ガラスを天井まで使っていて、まるで外にいるような気分になるが、いかんせん、外の景色がよくいえばワイルド、悪くいえばなんの手入れもされず放置されており、雑草がぼうぼう。
そしてここが建物の中で最も明るい場所なため、あらゆる虫が集まって死んでいる。
100匹は軽く越す。
私が見ているのは、カエルの干物。

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出してくれーっ。断末魔。かわいそうに。
もうあと一歩で外だったのに、カエルにこの一枚ガラスの扉は重すぎた。
しかし雑草は強くて、ちょっとの隙間でも入ってきていた。

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内部の展示室はこのように、ゆるやかにカーブした壁に作品を展示できるようになっている。
このような水辺の悪環境下でもめげない、滑らかで美しいコンクリートだ。
技法の高さ、丁寧さを感じる。
天井の開口部とスリットからの自然光が、暗い内部で作品を鑑賞する頼りとなる。
このときはなにも展示されていず、実際に絵画や写真などが掛かっていたらどのように鑑賞できるのかはわからなかった。

廊下と内部、ほれぼれするほどシンプルで、愛らしい建物だ。
休憩用のベンチや、ラジエーターカバー(だと思う)も、あくまでも目立たなくしてあるが、よく見ると量産品とはまったくちがうスチール製。
鋳鉄のような素朴な質感を持たせ、直線のみのデザインで仕上げている。
これらの小物が声高に存在をアピールしないようにと言い聞かせてつくったかのようだ。
あくまで、主役はここに飾られる展示品だからね。
建物も、小物も、脇役でいようね。
展示品を最も自然に近い状態で見せられるように、光だけで応援しよう。
そんなふうに安藤さんが、この施設のすべてに教え諭しているように感じられてくる。

だが……この手入れの悪さはいったいどうしたことだろう。
いくら3月いっぱいまで冬期休館していたといっても、もう4月になっている。
エントランスのカギを開けたということは、いつ誰が来館しても恥ずかしくない、ということを意味するのではないのか?
この廃墟同然の状態で、ここが安藤建築だということを知らない人が訪れたら、憤慨するだろう。
「美術館?どこがー?」
安藤建築目当てで来た人も、憤慨するだろう。
「こんなに素敵で、ユニークな建築を、こんな劣悪な状態にしておくなんて!」

私はなにを見てもおもしろいと感じる性格なので、建築の現実の一端を見たという意味でたいへんおもしろかった。
安藤忠雄にして、この打ち捨てられッぷり。
京都の高瀬川沿いに建つ商業ビルTime'sも、建築としてのユニークさに反して商業的には完全に失敗(テナントが入らない)していた。
ここへきて、まさに著書『連戦連敗』の4文字がリアルに迫ってくるように感じられる。

コンクリートは食えない素材だ。
しかし、たとえば大阪の光の教会のように、設計と工事を依頼し、そこへ集う人々の気持ちで、コンクリートは温かさを帯びることができる。
つくる側とつくってもらう側の意識の高さが一致し、継続していないと、このような場所になってしまう。

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名残惜しく受付をのぞいてみたら、缶コーヒーの空き缶がそのままになっていた。
さまざまなものが、だらしなく散らばっていた。
ここの価値をわかっていない人たちの運営なんだな。
新・渋谷駅のような鳴り物入りの大プロジェクトもわくわくするが、安藤さんはこういう小さく愛しい建物に、凝縮されたよさを感じることのできる建築家なので、ここの荒廃ぶりは胸が痛む。

by apakaba | 2008-04-24 15:32 | 国内旅行 | Comments(10)
2008年 04月 23日

1990年の春休み.84 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ホテルの息子団羅辞とサランコットの丘へ登山し、午後は日本人旅行者とだ〜らだ〜ら。夜はガイジン向けレストランで。観光客の王道まっしぐら。

3月6日(つづき)
 平手とイッチはスルジェハウスに戻り、私たちもホテルパゴダに戻った。
 すると偶然なのかなんなのか、我々の部屋の前に団羅辞がいた。私は気を利かせてさっさと部屋に引き上げ、ヒロはそのまま廊下に残って団とおしゃべりをしていた。
 どうもヒロは団のことをかなり本気で好きみたいなのだ。すごいことだ。
 私も、ヒロがあまりに彼を「いい」と言うものだから、ついつられて結構いいかも、と思っていたが、なにしろネパール人で、年下で、もう会えない確率が高くて、今後どう変わっていくか予想もつかない団である。とてものめり込む気にはなれないでしょー。帰ってしまえば、気持ちも冷めるに決まってる。

 でも、この、絵に描いたような逆境をものともせず、ヒロがあそこまで夢中になるのはめったにないことだし、よかったと言ってもいいのかな?まあそういうときほど燃え上がるものだけどさ。
 団の前では、笑い方もしゃべり方も、ふだんとぜんぜんちがっちゃってる。実にカワイクなっちまってる!これじゃー言葉にしなくても、いっしょにいる間中「アナタが好き」と言っているのと同じではないか。私も好きな男の前では、知らずにそうなっているのだろうか……(はたと振り返る)。

 しかし、一人で部屋の中でじっと待っているのは、つまらないことだよ。さっきから、1,2,3……と数を数えている声がしているが、あれはなんだろう?エクササイズの成果を、団が披露してるのか……腕立てかなあ?などと勘ぐり、ついドア越しに耳をそばだてていると、全く間隔が乱れず、79,80……などと言っている。しかもウフフなどと笑い声まで聞こえる。おいおいウソだろう。と、もう少しでドアをぶっとばして出て行きそうになった。
 あとで聞いたら、脈を測っていたというのですね。紛らわしいじゃないの。立ち聞きして一人であせって、馬鹿だった。

 いつの間にか、声が増えている。アレ、団のお姉さんふたりも加わっている。しかもサイトーくんの声までする。ふたりきりにしてあげた意味がもはやまるでなくなってしまったよ。そして果てしなくしゃべっている。
 私はしびれを切らして、二度、もう切り上げなさいとヒロに言いに行った。
 これには理由がたくさんあった。
 こんなに夜遅くにワイワイやっていたら、朝早く起きるトレッキング客に迷惑だろうし、団やお姉さんたちも疲れて眠そうだけれど、彼らはあくまでいい人たちだから、自分からは決して寝たいとは言い出せないはずだ。こっちから、もう眠くなっちゃった!とか言って引き上げなければ、いつまでもつきあってくれる人たちなのである。
 それに、少しでも長くいっしょにいたい気持ちはわかるけど、しょせんは別れていく運命である。今後の団にとって、あまりヒロがクローズアップされるのは、苦しいのではないだろうか。

 ……と、そのときは思った。
 でもよく考えてみれば、そんなの大きなお世話だな。ただひがんでるだけだ。
 したり顔のおせっかいとヒロに思われても、しかたがない。私が面白くないから、と受け取られるのはいやだったけど、たしかにその通りだったのだ。こんなとこまで来て、自分の醜い心と戦うことになるとは。

 それにしても、ヒロを見ていろいろ考えてしまったよ。
 もし私なら、こんな逆境なら誰にも知られないうちに、その気持ちを握りつぶしていっただろう。ヒロは、去年のことがあるから(*1)、今年はもう後悔したくない、と思っているのだ。まあその気持ちもわかる。自分が後悔しない方向へ持っていくのが、なんにせよ一番いいんだろう。

*1・・・彼女は1年前にもこの宿に泊まり、そのときから団のことをいいなと思っていたが、親しくなるチャンスを持てずに終わってしまっていた。

 私も、もし、コントロールの限界を超えるほど相手を好きになったら、そのときは逆境なんておかまいなしに、感情のままに動くだろう、と思ってきた。
 今までは、もう自分の意志では抵抗しきれなくなったところにおいて、初めて恋愛は動く、と信じてきた。動かざるをえないほどの激情とか、そういう力を信じてきた。でも、なんか突然、そういう状態にまで気持ちを高めていく、持っていくのも、自分しだい、自分の感情のコントロールしだいだ、というふうに感じた。
 久しぶりに愛について考えちゃった。
 愛についての考察は、いつでも出口がなくそしてアホらしい……。

by apakaba | 2008-04-23 17:00 | 1990年の春休み | Comments(4)
2008年 04月 18日

1990年の春休み.83 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
団羅辞とともにサランコットの丘へ登山。ポカラは田舎だ、そして団羅辞はコドモだとしみじみ感じる。

3月6日(つづき)
 ホテルパゴダに戻ると、あっさりと団は去っていった。
 実は、これほど朝からベタベタと仲よくしていたので、おヒルを共にせねばまずいのでは……という懸念があったのだ。このホテルの食事はおいしくないらしいし……せっかくのおいしいネパールなんだから、おいしくない食事は一回もしたくない。
 団のかわりというわけでもないが、サイトーくんが部屋にいたので、彼を誘って、きのうと同じ店へ食事に行った。

 期待に反して、私の頼んだサンドイッチはかなりヒサンなおいしくなさだった。パンが、持つそばからポロポロと崩れていってしまうのである。考古学じゃないんだから。パンとして形を保っていようという意志がまるでないのであった。
 そしてなんだかしらないけどこっちの人は、玉ネギをちょうどレタスのように考えているらしく、涙が出るような生玉ネギがどっさりとはさまっていた。
 一方、サイトーくんの“チャイニーズカレー”は、味見させてもらったら久々にインドの苦しさを再現させるような、自信に満ちた辛さであった。
 彼はまともなものを頼めばいいのに、いつもああしてワカラナイ線を狙って失敗してしまうのだった(ちなみにゆうべは“インドネシアナントカ”というまずい串焼き)。
 それにしてもどこがチャイニーズだったというのだろう。器は中国柄だったけど。

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午前中、サランコットへ向かう途中の村落にて。

 サイトーくんと別れて、部屋に戻ると、ヒロはまた団に会いたいらしく、そわそわと落ち着きない。ゲームをやろうとしきりに言う(木の盤の上に置いたオセロみたいな駒を指ではじく遊び)。そんなかったりーことやってらんねー。
 私は連日の寝不足プラス早朝登山ですっかりくたびれ、眠かったので動かなかった。ヒロはそんな友だち不孝な私を見限って、隣室のサイトーくんの部屋に遊びに行ってしまった。

 私は、半ば意地で一人ベッドに寝っころがっていた。
 私自身は団に執着する気持ちはないが、ヒロが団に執着するのはなんとなく面白くない。今まで仲良く(ばかりでもないけど)やってきたじゃんよー、置いてかないでよー、という気分である。隣の部屋からはサイトーくんと、遊びに来ていた彼の後輩とヒロの楽しげな声が聞こえてくる。その声を聞きながらしばしウダウダしていたが、やっぱりおもしろくないので、結局私も仲間に加わった。

 サイトーくんの後輩は、平手という名前のおしゃべり好きな男で、平手(後輩なので呼び捨てに決定)の住んでいる学生寮での話や、アメリカを旅行した話などを聞いていた。
 和敬塾(という学生寮)バナシを長々と聞いた。村上春樹がいたのだそうで、ワタナベトオル(『ノルウェイの森』の主人公)もいたという設定なのね。それにしても、話を聞いたら並みの体育会よりずっとスゴイ。
 もういきなり大学の俗ネタにまみれてしまった。
 アメリカ話がコワかった。
 やはりアメリカは行けないこわすぎる。と思っちゃった。緑のヨダレ男や歯のないマリファナ男やretiring roomの前の黒人の群れや、逆境が多すぎるでしょう。

 私は、もっと外へ出てポカラを見たり寝ころんだりしたかったのに、いたずらに時間が過ぎてしまった。平手の話はそれなりに笑えたが、なんだか学食の隅でセルフサービスの薄いお茶を何杯も飲みながらくっちゃべっているような感じがして、懐かしくもアホらしいひとときであった。あとの3人もおそらく同じように感じていたはずだが、立ち上がってその場を切り上げることができない状況って、あるのよね。

 結局外出もせずに午後をおしゃべりに費やした。
 みんなで屋上に上がって山の写真を撮っていると、平手の友人の市之瀬くんが遊びに来た。平手と同じく、日本人宿スルジェハウスに泊まっており、イッチという小学生じみたニックネームだが、さめた態度でジョークも冴えていて、なによりなんにでも感動してしまう騒がしい平手をきっちりと水を差して抑え込んでくれるところが気に入った。
 まったく、平手のカンドーぶりには疲れる。本当になににでもカンドーしちゃうので、かなり幸せな人生なんだろうと思う。そしてそういう人の例外に漏れず、やっぱり長渕が好き(トーゼン「つよし」と呼ぶ)。ああいう人は、旅行をしたら楽しいだろうな。「ネパールほんといいっスよねえ!ねえセンパイ!」ばっかりじゃ、普通は旅行し続けられないけどね。

 そのままこの面子で夕食を食べに、宿から2.5キロほど離れた“ハングリーアイ”というガイジン向けレストランへ行った。男女5人が自転車でランララン(美空ひばり。古すぎ)と田舎道を漕いでいくのはうれしハズカシである。
 しかし、一本道のはずなのにいつの間にかみんなばらばらになってしまい、心細くなった私は恐ろしいほどの真っ暗な夜道を無我夢中で疾走し、ハングリーアイに息せき切って一番に到着してしまった。
 あれ?みんなはどこなの?とまたも不安になっていると、あとの4人が相変わらず和やかに追いついてきた。なんのことはない、私がはじめから速く漕ぎすぎていただけだった。
 あんなに暗い道をひとりぼっちで無灯火で(ボロ貸し自転車だから)走ったのは生まれて初めてだった。あれは本当に心細かった。
 バフ(水牛)ステーキはいつものように石のように硬かったけれど、異常に食いしん坊な私たちは、うまいうまいと食べてしまった。

 その時に知ったのだが、イッチはどこを旅行しても、日本語のみで押し通すのだという。
 注文にしても、「お姉ちゃん、ちょっとちょっと、これ一つね。」とメニューを指さす。「ワン?」と聞かれたとしても、「そ、ひとつ。」と言い返し、決して、絶対に一言も、英語や現地語を口にしない。私たちの手前、英語を使うのが照れくさいのかもしれないが、やっぱりある程度は英語で歩み寄るべきなんじゃないのオ、と思った。

by apakaba | 2008-04-18 18:21 | 1990年の春休み | Comments(6)
2008年 04月 15日

義母の迷いと夫からの感謝

老いていく順番という話を数日前に書いたが、きのう、義母から電話があった。
夫の祖母の具合を尋ねると、あまりよくないという。
意識がはっきりせず、返事もほとんどしないらしい。
我々がお見舞いに行ったとき、「アキタコマチ」に「もうすぐ、しぬの。」としゃべっていたのが最後で、そのあとは呼びかけても「うん」と言ったり言わなかったりの状態だという。

「ああそうですか。じゃあこの前、そろって行けてよかったわ。できるだけ近いうちにまた行こうと思ってます。」
義母は、迷っているようだった。
「あたしね、子供たちにどうなのかなあって思っちゃったのよ。ちゃーちゃん(祖母の昔からのあだ名。夫が小さいころ、“小さいおばあちゃん”と呼ぶところをちゃーちゃんと呼んでしまったのが始まり)がもう前とぜんぜん変わっちゃったでしょ。そんな姿を、見せるのは忍びないっていうか……いいことなのかなあとかって思うと……それで、みんなに来てとは言いにくいの。」

義母の気持ちも、わかる。
祖母はとってもおしゃれな人で、外出時にはいつも洒落た飾り帽子をかぶっており、めがねも山ほど持っているし、入れ歯も大中小と3種類持っていて(サイズによって微妙に表情が変わるらしい)、髪が薄いのを気にしていろんなかつらをかぶり、90過ぎても毎日きちんとファンデーションを塗っていた。
服やバッグの数にしても、ちょっとしたブティックでも開けそうなほどなのは言うまでもなかった。

私はつとめてなんでもないことのように答えた。
「いや、いいんじゃないの?それはそれで。」
「そうかしらー。もうだいぶ前に、川越のおじいさんが亡くなる直前に、『ササニシキ』だけ連れてお見舞いに行ったことがあったじゃない。もう本人が覚えてるかどうかわからないけど。あのとき、おじいさんはすごく苦しがっていて、『ササニシキ』は固まっちゃったのよね。だから、なんかこの子にとっていいことだったのかなーとかって悩んじゃうのよ。」

「うーん。『ササニシキ』はそのお見舞いのことは覚えてますよ。たまに話にも出るし。でも、いいのよ。それも。大丈夫。」
「そうかしら。そうね。やっぱり順番だものね。年とるってことを知るというのは、大事なことね。」
「そうよ、子供たちは大丈夫。見せないようにする必要は、ないんですよ。」
最後は納得してくれて電話を切った。

……というやりとりのことを、夫が帰宅してから報告した。
夫は、
「あなたの言うとおりだ。あなたにはありがたいと思ってる。」
と、いきなり感謝の言葉を言い始めた。

それはねえやっぱり、嫁という一歩引いた立場の人間にしか見えないし、言えないことなんだよ。
俺も、この前ばあさんのところに行ったのは、けっこう足が重かったし、会っても辛かった。
それはかなり、ウッと来ましたよ。
こみあげるモノはあったよな。
俺は完璧にばあさん子だし。
だから、入院したとか手術とか聞いてはいても、なんだかんだと病院に行くのを先延ばしにしてたところがあった。
でもあなたが「行こう、みんなで行かなくちゃダメ」と言ってくれたから、みんなで予定を合わせて会いに行くことができた。
それはあなたのおかげだ。
お袋は介護で疲れてるし、俺も足が向かないしで、ちゃーちゃんのことに関して冷静になれないけど、あなたが客観的に見ての判断は、正しいんだよ。
やっぱり、年老いていくことをひ孫たちに見せて、ああいうふうに手を握って話しかけるのは、あなたがいなければ、「ほらみんな、お話ししてあげなさいよ。あなたもよ。」と言ってくれなければできなかったことだ。
俺も、あいつらも。
だからあなたには感謝してるんですよ。

ふだん、バカだバカだと言われつけているので、これには驚いた。
私は、父親をはじめ、実家の身内をたくさん見送っている。
しかし本当の死の間際のときに会いに行ってあげたことがほとんどない。
父のときは病院に行ったらもう間に合わなかったし(というか前日までふつうに生きていたし)、他の親戚も、なんだかいつの間にか亡くなってしまった。
そうすると、なぜかいつまでも自分の中で“死”を消化できない。
「あれ?あのおばちゃんは……、あ。死んじゃってたんだっけ。お葬式にも出たじゃん。やだなあ私ってば。」などと思い返すこともたびたびあった。
だから、死は覆い隠すものでなく、自分を愛してくれた人こそ、さいごのときにできるだけ触れあってほしいと思っている。
けれども、それは年寄りからの愛情が薄かった私の独りよがりなのかな?とも思っていた。
夫がこう言ってくれたことで、私も救われた。

by apakaba | 2008-04-15 16:22 | 生活の話題 | Comments(6)
2008年 04月 14日

1990年の春休み.82 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ホテルパゴダの息子ダンラジの案内で、サランコットの丘へ登山しようとはりきる私たち。

3月6日(つづき)
 朝食後、ダンラジとともに登山口までバスに乗る。
 ところで私たちはいつもの癖で、ダンラジにニックネームをつけようとしたのだが、うまいアイデアがなかった。そこで、ふたりで適当に漢字を当てて「団羅辞」と表記することに決定した。口に出すと同じことなのだが、一応その瞬間にはこの字が頭に浮かんでいるというわけである。突然ではあるが、この場でも今からはカタカナをやめて「団羅辞」もしくは短く「団」と記すことに決めたのでよろしく。早く慣れてください。
 ちなみに、なぜこんなことを考えついたかというと、ネパールのことを漢字では「尼泊爾」と表記すると知ったのがきっかけであった。まーどうだっていいことだけど。

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登山中の二人を、先に登って待ちかまえて撮る。

 団羅辞とおしゃべりしながら、なんとなく山登りは始まった。
 彼は予想に反して、英語がずいぶん上手だった。飲み込みがとても早い。こちらがなにか言うと、すぐその言葉を覚えてしまう。さすがホテルの子である。
 彼はいつでもニコニコしていて、こちらが声をかけるとふりむく瞬間からもうすでにとびっきりの笑顔になっているのだ。笑顔は嬉しいけど、ひねくれ者の私から見るとどうも営業スマイルのような気もしてならない。なにしろ365日、ガイジン客にまみれて生活しているのだからね。プライバシーもなさそうなうちだし。あんな笑顔が培われても無理はない。とはいえ、そういう憶測を忘れさせるほど、魅力的で素朴な笑顔なのである。

 彼も、お兄ちゃん同様、ブリティッシュアーミーになるのが夢だという。
 今月の25日に、その試験を受けるのだそうだ。3月25日といえばもうあとちょっとだ、あれれ我々の卒業式と同じ日ではないか。かたや入試、かたや卒業かー。
 毎日、朝夕に、試験に備えてトレーニングを欠かさないという。それも、40キロの荷物を額に掛けて、急坂を全速力で駆け上がったり降りたりするというすごい内容であった。軍隊はちがうのう。
 とかなんとかしゃべっているうちに、山道から大学の校舎が見下ろせた。
 あれはエンジニアになるための大学だということだった。団は、アーミーの試験に落ちたら、大学に行くというのだが、毎日斜面を上がったり降りたりしているのに、あんな立派そうな大学に入れるのだろうか?というか、大学生になって幸せだろうか。
 でも、こんなに小さい子みたいにニコニコしている団が、合格して傭兵となって生きるのも、幸せといえるのかなあ。人の夢にガイジンの私が首を突っ込むのもはばかられるので、それ以上は尋ねなかった。

 映画の話もして、アーミーになりたいくらいなら、ラブストーリーよりアクション物の方が好きかな?と私が聞くと、即
 「ラブストーリー!」
 と言い切った。その表情は、男というより中学生くらいの女の子みたいだ。ただレンアイというものに憧れを持っている、なんの経験もないけど、という顔だ。
 私が、この旅行中どこにいても流れていたヒット映画の歌を唄ったら、ものすごくウケていた。
 いっしょに大声でハミングしながら、頂上をめざす。

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これが「ニンジャ」姿。ニンジャとくのいち。

 彼は笑顔ばかりかギャグもまったく子供くさく、タオルを顔にぐるぐる巻き付けて「ニンジャ!」とかヒジョーに素朴にヤッテしまうのですね。まるでチビッコと遠足に来ているようではないか。
 というわけで、私は団に対して、急速に異性としての興味を失ってゆき、カメラマンに徹して、ヒロと団を残して坂を駆け上ってはあとから登ってくる二人を撮る、ということをくり返していた。
 ヒロはとても嬉しそうだった。しかし彼女は、運動神経はいいはずなのに山登りは不得意らしく、完全に息が上がってしまっている。私のことも撮ってほしかったが、残念ながらそんなことは頼めそうな様子ではなかった。

 このようにして登りつめたサランコットの頂上は、簡素な展望台のようなコンクリートの敷地になっていた。そしてそのコンクリートの地面には、びっちりとゲジゲジがいた。
 私は最初、なにかの植物の種子だとばかり思って、触ろうとしたら、団があわてて
 「かゆくなるから、触っちゃダメ!」
 と止めてくれた。あぶなかった。
 あらためて虫だと知ると、なんというおぞましさであろうか。足の踏み場もないから、周囲を展望するためにはぐじゃぐじゃとゲジゲジをつぶしてしまうしかなかった。

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サランコット頂上より、ヒマラヤとポカラのまちなみ(まちなみ?どこに?)。

 そうこうするうちにも、マチャプチャレにはみるみる雲がかかってきてしまった。
 山を仰ぎ見るのはあきらめて、ポカラの町を見下ろしてみると、本当に小さくかわいらしくて、田舎びたところだと思った。山はいいなあ、楽しいなあ、と思う。本当に山は気持ちいいことだよ。

 しかし!私はこの強すぎる陽射しと戦わなければならないのだ。
 いい雰囲気でしゃべっている二人はおいといて、そっと展望台の裏手に回った私は、景色を見ているふりをしながら、持参してきた日焼け止めを塗り直しに取りかかった。
 ところが!汗をかいた上に塗りたくったせいか、日焼け止めを塗れば塗るほど、顔に白いポロポロした垢のような変なものが出てきてしまったではないか。あせって手をうごかすほどに、ポロポロは新たに生まれ出る。コドモとはいえ、団にこの顔を見せるわけにはいかないぞ、と、ウエットティッシュでこすったりして、実に苦労した。その間ずっと山を見ているふりをしているのも大変だった。
 素晴らしい景色に囲まれながら、私の山頂でのひとときは、こうしてアホらしく費やされていったのであった。

 団は、頂上にしゃがんだまま、いつまでもいつまでも、山とポカラを眺めていた。
 そのまなざしは、ふるさとへの愛情にあふれていた。私たちにつきあって留まっているのではなくて、純粋に、ここが好きなんだということが、その姿から伝わってきた。
 私は、「団羅辞!」と呼びかけ、顔をふと上げた瞬間(もちろんすでに目は笑っている)を撮った。とてもいい写真が撮れた。

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噂の団羅辞。ブロマイドのようです。

by apakaba | 2008-04-14 18:06 | 1990年の春休み | Comments(6)
2008年 04月 12日

育っていく子供たち

新学期なので、子供たちが学校で身体計測をしてきます。
「何センチ伸びたかなー。」
体重は家の体重計で測れるけれど、家で正確な身長はなかなか測れないので、みんな楽しみにしていました。

高2になった「ササニシキ」は174.3センチ。
夫を見慣れていると「いつまでも小さいヤツだ」と思っていたのに、いつの間にか育っていたのね。
まだお父さんより10センチ以上の差があるものの、体つきがまったく子供そのものなので、これからまだどれくらい伸びるか。
夫は高1のときには180あったというので、それに較べるとだいぶ遅いな。
「オレは……お父さんとおかーさんの悪いとこばっかり似る。お父さんに似て視力が悪い。おかーさんに似てアレルギー体質。おかーさんに似てお父さんほど背が伸びない。どうしてくれるの。」
張り倒したいですねあいかわらず。

中2になった「アキタコマチ」は153.8センチ。
やっと私を抜いた。
「ササニシキ」は中1に夏には抜いていたので(証拠写真こちら)、兄に較べてまだ遅い。
なにを基準にするのかわからないけど、遅め遅めの家ですわ。
いつまでも華奢なヤツだと思っていたのに、この前、私の指輪をいたずらにはめようとして、
「あ、オレもうおかーさんより指が太いわ。もう入らない。おかーさんって指細いんだね。」
とか言っていましたね。
いつの間にか育つもので。

小5の「コシヒカリ」は140センチになったと大喜び。
「わたし、毎年10センチずつ背が伸びてるの!」
うっそう。うらやましいぞ。
幼いころは私にそっくりだと思っていたのに、どうしようこの子が一番お父さんに似ちゃって、巨大になっちゃったら。
190センチ近い女の子なんて……着るモノが……どうか既製服の入るサイズで止まってくれ。
この子も、いつまでも「『コシヒカリ』ちゃーん。」とかわいがってムネにぎゅーぎゅー抱きしめることもできなくなるのね。ああ、寂しい。

いずれにせよ、私があと1,2年のうちに一番チビな人になってしまうのは確実なようで、せまい我が家はますますせまくなるのね。

「ササニシキ」は背が伸びて夫に瓜二つになりつつあるけど、やっぱりまだまだお父さんのほうがかっこいいね。
毎朝、仕事に行くとき、「今日もおしゃれでかっこいいわ」と思うもんなあ。
でもジーンズの長さがほぼ同じなのはどうしたわけでしょう。
身長は10センチ以上の差があるのに。
それを言うと夫はものすごく不機嫌になるんだけど、こればかりは若い人には勝てない現実ってことで。

子供の成長は、寂しいけど楽しいものですわ。

by apakaba | 2008-04-12 23:54 | 子供 | Comments(6)
2008年 04月 11日

8年前に描いたダライ・ラマさんの似顔絵

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似てるよね?

でも、きのう、日本に立ち寄ったというニュースの画像を見たら、「だいぶおやせになった」と思った。
胃の具合が悪いのはその後どうなさっただろう。

メインサイト、インドのなかのチベット世界をめざすの本文中に、カーラチャクラの法要のときに現れたダライ・ラマさんと、群衆の様子を書いた。



 この大観衆を前にして、いよいよダライ・ラマさんが登場したら、この丘はどんなことになるのだろう。
 周りの人々をいくら眺め回していても、まるで予想がつかない。
 今日はまちがいなく、11世紀のキー・ゴンパ建立以来最高の人出だと言い切れる。
 スピティ最大・最古といわれるキー・ゴンパが、揺れるほどのどよめきが起こるか?
 まるでロックコンサートみたいに、興奮のるつぼと化し、泣きさけんだり失神する者が出たりするのか?
 群衆は、一瞬にして、ひとつの大きな“幸せ”に統括されるのだろうか。
 だとすれば、この厳しい暑熱と、清濁がまさに隣り合わせに押し込まれた会場の喧噪も、活仏の前にひれ伏す瞬間へと向かう、予定調和なのか……。

 私はその瞬間が見たい。
 けれども、その気持ちが強まるにつれ、同時に“なぜ、信仰を持たず、無目的な自分が、こんなところに居合わせているのか”という後ろめたい気持ちも、頭をもたげる。

---------------------------------(略)

 とうとう、法王が登場したのだ。
 音楽も銅鑼も鳴らなかったし、人々も歓声など上げなかった。
 ただ静かだ……、とてもいい!と思う。
 こういうことだったのか、とも思う。
 活仏は、ロックバンドのようにでも煽動政治家のようにでもなく、笑顔のみで、この大群衆を黙らせた。




とても、とても愛着のあるシーン。
このとき、法要の会場で配られたダライ・ラマさんのお写真を見ながら、帰国してすぐに似顔絵を描いたのだった。

私が、会場でその写真をちょっと邪険に扱っていた(つもりはなかったが、チベット人から見るとそう映ったようで)ときに、周りのチベット人たちが
「だめだよ、そんな乱雑に扱ったら!丁寧に丁寧に。」
と、教えてくれた。
チベット語はわからないけれど、みんながそう言ってくれるのがわかった。
私があわててお写真を大事に持ち直すと、みんな満足そうに微笑んでくれた。
思い出深い写真だ。

この似顔絵のように、ふっくらと健康そうなお姿をもう一度見たい。

by apakaba | 2008-04-11 22:27 | ニュース・評論 | Comments(12)