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2008年 05月 31日

唇と瞳が開く窓——『向かいの窓』

「キスが上手い」
「唇が気持ちいい」
と、キスのあとに言われたことがあるか?
頭の良さや肌の質感は、話したり見つめたりするだけでなんとなくそれと知れるが、キスほど予想のつけにくい体験もないと思う。
セックスのほうが、むしろ愛情の多寡やその場のムードでどうにでもなってしまうのではないか。
キスの上手さは天与の才能だと思う。

映画を観ていて、俳優の唇にはよく注目する。
俳優は見られるのがお仕事だから、顔の隅々まで観察されるのも当たり前だ。
映画の中ではキスシーンもしばしば出てくる。
ベッドシーンはほぼウソだがキスシーンはとりあえず本当に口がくっついているので、いつも、「この人、どんな感触だろう?」としげしげ見ている。

唇の形や大きさが著しく特徴的な俳優だと、想像もつきやすい。
アンジェリーナ・ジョリーやジュリア・ロバーツやスカーレット・ヨハンソンのような、大きくて厚みがある唇は、彼女らとキスしたことはないがだいたい感触の想像ができる。
しかし、多くの人間は、あれほど特徴的な唇を持っていない。
だから、どんなふうだか見当がつかない。
見当がつかないから、いっそう魅惑的に感じる。
想像のつく唇は肉感的だが、知りたいという欲望を起こさせない。

男優にはほとんどなにも感じないが、女優を見ていて、ひどく魅惑的な唇に出会ってしまうことがある。
女優としての知名度には関係なく、唇に一目惚れしてしまう。
自覚もなく、誘っているような形。
厚くも薄くもなく、大きくも小さくもなく、ごく平均的な形なのに、なにか、惹かれる。
子供っぽさ、無邪気さ、無防備さ、はかなさ……奪われやすさ。
こわれやすそう……吸ったら気持ちよさそう。とろけそう。
そんな形。
先日観た、イタリア映画の『向かいの窓』に主演していた女優の唇が、まさにこのど真ん中で、今までまったく知らなかった彼女の顔が映ったとたん、魅惑的な唇に釘付けになってしまった。

ストーリーは淡々とすすむ。
ヒロインは食肉工場で働く、平凡な主婦。
やさしいが甲斐性のない夫と、やんちゃな二人の子供とともに、アパートの一室に暮らしている。
本当の夢は、趣味を活かしてケーキ職人になること。
しかし毎日の仕事に追われ、夢をかなえることなどもはや望んでもいない。
ところが、ふとしたことから伝説の菓子職人の手ほどきを受けることとなり、一歩ずつ夢へ近づいていく。

日々を満たされない思いで送っていたヒロインの密かな愉しみは、向かいのアパートに住むハンサムなメガネの男性の窓をのぞき見ることだった。
メガネの男性は、手を伸ばせば届きそうなほど近くにいながら、決して自分の生活と交わることがない。
無防備に窓を開けて、生活の一端を見せるメガネ氏をぼんやり眺めているつかの間だけ、彼女は主婦でも工場の事務員でもない。
こちらの窓枠からあちらの窓枠へ、交わることのない視線が、夜ごと届けられる。

しかし、一方的な小さなあこがれは、偶然が重なったことにより急転直下の展開となり、彼女はメガネ氏と急速に親しくなっていく。
そして、実はメガネ氏のほうも、自分を密かに想っていたと知る。
彼女から一方的に視線を送っていたのではなく、彼のほうも、彼女を一方的に見つめていたのだった。
メガネ氏は人妻と知りながらも、自分と一緒になってほしいと迫る。
彼女は悩むが、友人からの「一度寝てみればどんな男かわかる」の助言に後押しされて、ついに“あちらの窓枠”の中に入り、メガネ氏のキスを浴びることとなるのだが——と、いう、ヒロインの迷いを縦軸とし、ヒロインを迷いの淵から引き上げる、謎に満ちた伝説の菓子職人の、痛々しくも美しい半生を横軸として、重層的な小品に仕上がっている。

フラストレーションを抱えた主婦であるヒロインの登場は、夫との路上での言い争いから始まる。
険の立った瞳、なのに頼りない子供がそのまま大人になったような唇。
美しさにはっとする。
夫や子供とのやりとり、女友達との会話、謎の老人との触れあい、そして思ってもみなかった、メガネ氏とのつかの間の交流。
ヒロインの長い人生の中、映画でつづられた時間はほんの一瞬だったのかもしれない。
それでも、それはいろんなことがぎゅっと凝縮された時間だった。
ラストのカット、一人きりの路上でふとカメラに目を向けた彼女の顔がどんどんクローズアップされていき、最後にはふたつの瞳だけが大写しになって終わる。
魅惑的な唇にずっと釘付けでいたけれど、最後は瞳。
ふたつの瞳は、“いろいろあったしこれからもあるだろうけど、自分はこれでいい”と、自らを肯定するような深みを湛えている。
短い時間に知った、およそ人に起こりえるすべての感情のうごき。
今それを超えて、ここで生きていこうとしている瞳だった。

唇が肉体への窓を開くなら、瞳は精神への窓を開く。
ラストの、ヒロインの瞳は、自らを恃む人生の、一歩を踏み出すための窓だ。
はからずも美しい唇に魅せられていた私には、最後、唇が消えて瞳が残ったシーンはことのほか象徴的に映った。

by apakaba | 2008-05-31 00:40 | 映画 | Comments(5)
2008年 05月 29日

一生消えないあざ

今日の東京は4月の気温に逆戻りしていた。
でも、半袖の季節はすぐそこまで来ている。

左腕、といっても手首より5センチくらい上の辺りに、生まれつきのあざがある。
薄い茶色で、2センチ×3センチほどの北米大陸みたいな形をしている。
長袖のときにはわからないが、半袖になると人から見える。

このあざを、気に病んだことが今まで一度もない。
私にはなんでこれがあるんだろう?あざって不思議だなあ、と子供のころから興味深くは思っていた。
ボールペンで輪郭をなぞってみたり、夏に日焼けしても、その部分だけさらに茶色が濃くなって、目立たなくはなってもやはり消えるわけではないんだということを発見して、それも面白く感じていた。

思春期に入ってもこれが原因で男子にふられたこともなかったし、ここ10年ばかりは、大きめのあざが自分の体にあること自体、忘れているようなものだ。

でも、人によっては生まれつきのあざをとても気にする人がいる。
中学生か高校生のときだったかはっきりしないが、当時の自分と同い年くらいの女の子が自殺をしてニュースになった。
その原因が、体のどこかにあったあざを苦にして、ということだったと聞き、ひどくびっくりした。
報道されたあざの大きさは、私の左腕にあるあざよりずっと小さく、たしか三分の一くらいの大きさしかなかった。
「そんなことで死んじゃう人がいるんだ?!」
と、母に言った覚えがある。

今になってみると、自殺した子のあざは単なるシンボルで、心のつらさをすべてそのあざに写し取って見つめていたのだと思う。
そんなことに思い至ることができず、「理解できない!」とかぶりを振っていただけの私は、とても幼かったと思う。

今、私のあざのことを意識している家族はいない。
自分でも忘れているくらいだから、もしかしたら、子供たちや夫も、知らないままかもしれない。
自分のあざを見ていて、聞こえてくるのは幼かった自分の声と、母や父の声だけだ。
「ねえこれなあに。」
「これは生まれつきあるのよ。あざだねえ。」
「“あざ”って転んだときとかにできるんじゃないの?これ痛くないよ。」
「それもあざというけど、これはそういうあざとちがって、自然にできて、一生とれないのよ。」
「へえー!一生とれないの!なんでだろう。なんでできるんだろう?どうしてこんな形してるのかな?」
「気にしなくても大丈夫だよ。そんなに目立たないし。夏に日焼けするとよくわからなくなっちゃうしね。」

姿は見えない。
大人の声が、頭の上から降ってきて、私はあざを見ては右手の指でこすったり、輪郭をたどったりしている。
体が大きくなった分、あざのサイズもそのころより大きくなった。
幸せでも不幸せでもない、あざの思い出だ。

by apakaba | 2008-05-29 23:37 | 思い出話 | Comments(19)
2008年 05月 28日

三歩進んで三歩さがる読書

次男の塾の面談に行き、娘の塾の先生から学習アドバイスの電話があり、とかなんとかやっているが体調が非常に悪くてしばし寝込んでしまう。
本をお腹に載せて読んでいるフリをする。
おもしろいおもしろいとどんどん読んでいるつもりなのだが、うとうとしてからまったく同じ箇所を読み返して、またおもしろいおもしろいと新鮮な気持ちで読む。
のろのろ起きあがってから読むとまた同じ箇所。
また新鮮。
三歩進んで三歩さがる。

おもしろい本を、読んでいる途中で「私、今ね、すっごくおもしろい本を読んでるの!」と人に言いたくなるか、それとも読了するまで黙っているタイプか?
私はわりと、親しい人には口を滑らせてしまうほうである。
でも本当は言いたくない。
私はとんでもなく読むのが遅くて、一冊の本を何ヶ月もかかってやっと読んだりするからだ。
同じ相手に、「えっ、まだ読んでたの!」と呆れられるのが恥ずかしい。
一冊にこれだけ時間がかかるなんて……、それじゃあこの人、1年間でもだいたい……○冊くらいしか、読んでないんだぁ。と、推測されるのが恥ずかしい。
だからブログなどで「今、これを読んでいておもしろい」という話題は書かないようにしている。

人のブログなどで、「今、これを読んでいる」ということを書いているのをよく見るが、本当は、「今、これを読み終わって、大変おもしろかった。」と書いてあるほうが私は好きだ。
途中までは読んだが、なんだか失速して放り出してしまった本というのは私にもたくさんあるから、最後までおもしろかったのかどうかを、まず知りたい。

とりあえずわたくし、この夏の課題図書は決めましたのよ。
読む前から話題にするなんてもってのほかなんだけど三歩進んで三歩さがる読書ペースなので戒めとして宣言してしまおう。
新訳版の『カラマーゾフの兄弟』と、森茉莉の『甘い蜜の部屋』を読みます。
読むといったら読む。読むのだ。
カラマーゾフは何巻まで読めるか、わからないけど!

by apakaba | 2008-05-28 23:47 | 文芸・文学・言語 | Comments(10)
2008年 05月 27日

母親でしかない

きのう、ある子のお母さんと電話で長く話をしていた。
そのお子さんの様子を見ていて、「あれ?」と気づいたことがあったので、ここ数ヶ月の間、人には言わずにそれとなく注意して見ていた。
プライバシーに関わるのでここには具体的なことを書けないのだが、きのう、「ああ、やっぱりそうだ」と思い至り、電話をかけた。
おうちの方は気づいていないだろうという予想どおり、お母さんは寝耳に水だったようでひどく驚いていた。

私は、せいいっぱい誠意を込めて、言葉を選んで、お母さんにもそのお子さんにも傷がつかないように心を砕いてお話をしたつもりだ。
そして、私の知っている限りの対処法をお伝えした。
なぜなら、その問題は、何年か前に私が自分の子供で経験し、ノイローゼになりそうなくらいに悩んできたことだったからである。

私の気持ちは、ちゃんとお母さんに届いたようだった。
はじめはショックだったようだが、話を真剣に聞いてもらえ、とても感謝してくれた。

子供に関する悩みや苦しみは、少ないほうが幸せ、だとは思うけれど、子供が多いと、その分だけ人の痛みもわかるようになるなあとも思う。
私は子供が3人いるので、やっぱり単純計算でも3人分の苦労はしている。
もっと多ければもっと悩み苦しむと思う。
子供のことで、誰にもいえない悩みも、これまでたくさんあったし、今もある。
表面的にはなんにもないようにとりつくろって暮らしているが、病気やケガや対人関係や恥ずかしいこと、見苦しいこと、軽犯罪まがいのこと、いくらでもある。

私はなにも取り柄もないし、仕事もそれほどやっていないし、性格は欠点が多く価値のない人間だと思っている。
家族や友だちからも、ダメだダメだと日々いわれている。
でもきのうのようなとき、それなりに苦しい思いをしてきた3人の子供の母親だということでなら、自信を持ってもいいように思う。
「私もそうだったのよ。」
「うちの子供がそうだったから、わかるんです。」
「だから、私も経験して知っているので、もちろん人に言ったりしません、安心してくださいね。」
と、言ってあげることができる。
その一言で、相手のお母さんは
「えっ。そうだったんですか。」
わかってくれる人がいてよかった、という顔をしてくれる。
たまに学校へ行ったりすると、いろんな相談をされたりするしね。

今まで涙をたくさん流して、叫んできたんだから、ひとつくらい自信があってもいいか。と。
私も“母親”として暮らす人生だなあーすっかりと。
こんなはずじゃなかったんだけどな。
もうちょっと華やかにバリバリやってるはずだったのにこんなに所帯じみちゃって。あらら。
でもまあ、それでもいいか。
所帯じみて母親くらいしかやることない人生でも、“いいか”と肯定的になれるのも、子供たちのおかげだし。

by apakaba | 2008-05-27 18:37 | 子供 | Comments(11)
2008年 05月 26日

1990年の春休み.87 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ポカラを自転車で観光する私たち。恋する相方と、傍観している私の温度差はどんどん開いていき。意外とオトナな団羅辞の振る舞いに、私は少々とまどう。

3月7日(つづき)
 帰り道は、いつのまにか私とサラダ・ヒロと団の二手に分かれてしまった。カジュラホの苦い経験(*1)があるので、またかよーと脱力。

*1・・・もうお忘れでしょう。ラケシュというインチキガイドが、ヒロばかりを気に入って、私をすっかり煙に巻いてヒロと二人きりになったことがあったのだった。

 無口なサラダは、とくになんの感想も持っていないようであった。
 彼がヒロと団の恋愛について、なにか知っているのかどうかもわからなかった。ホテルパゴダの門の前に自転車を止め、私とサラダはなにをしゃべるわけでもなくただ黙々とあとの二人を待った。

 団がひそかに二人きりになるチャンスを狙っていたのかな、とも思ったけれど、べつにもうどっちでもいい。まったくレンアイは当事者以外はぜんぜん面白くない。かといって当事者になればなったで、第三者に気を遣ってやっぱり面白くないか。ゆきずりの愛はムズカシイ、なんちゃって。

 かなり長く待って、やっと二人は帰ってきた。我々と別の道を通り、そこでヒロの目に虫が入ってしまったという。まったくなんて好都合な虫なんだ。
 ヒロは激しい興奮状態にあった。虫を見るために、団がものすごく顔を近づけてきたので(オマエが入れたんじゃないのか!?)、ドキドキしてしまったのだという。
 ヒロは、ドキドキした自分にもかなり驚き戸惑っているのだった。そういう(顔が近づくとか)状況になって息苦しいようなトキメキを感じるなんて、もう本当に何年もなかったことだというので。それはそれでめでたいことだが、なにしろ相手がねえ。多難だなあ。

 サラダは帰り、団もきのうと同じようにあっさりと去ってゆき、中庭に残された我々はなんとなくボーゼンとしてしまった。
 二人とも、連日の体の疲れと、「これからどうなることやら」という果てしない思いにとらわれて、くたくたとベンチに座り込んでいたのである。
 そして我々はそこで、けっこうケッテー的な出会いをするのであった。ちょっと大げさだけど。

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それはこれ。

 いつのまにか、のそっと日本人の学生風の男が現れた。ここに新しく来た泊まり客らしい。明るくてじゃまにならない、蛍光灯のような人だったサイトーくんに較べ、今度の男はなんとなくぶしつけな感じのするやつで、なんとも言い難く、最初はイヤだった。会話のテンポがものすごく合わないヤツなのである。一人ボケつっこみがどうしようもなくついていけない。
 ただでさえ連日の過密スケジュールで疲れているし、ダンラジとの恋の行方で二人ともグッタリした気分だったのに、なんでこんなやつの相手をしなければならないのか、と苦痛さえ感じていた。あの登場のしかたはサイアクであった。
 我々は今まで出会った人の中で最もヒドイ応対の仕方をしていた。

 彼は秋田大学医学部の学生で、真人という。
 真人も真人で、やたらきついことをずけずけと言うのである。
 私とヒロの顔のつくりが正反対だとか(彼女ははっきりした顔立ちの正統派美人で私は寝ぼけた小さめのつくりだと言いたい)、ヒロは肩幅が広いとか、なで肩(私)はなにを着ても似合わないとか、二人同時に傷つけるとは大変なヤローである。
 それでも、だんだんとペースが合っていくにつれキョーレツにおかしな奴だということがわかってきた。
 仲よくなったしるしに、夕食を食べにひとつ覚えのガイジン用レストランへ。
 私とヒロはまた魚料理にした。サカナが恋しいのだ。
 ところが彼女はほとんど料理に手を付けない。ザッツ恋わずらいという有様である。

 真人はこのときに、音を立てて、ぐーんといい奴に早変わり?したのでした。愛について、非常に「ワカル」のである。ヒロの話を聞いて、
 「要するにアレだろ、“胸がいっぱい”なんだろ。」
 とさらっと言ったときには、もうこいつは絶対に!ワカル奴だと確信しました(ここまで書いて、なぜか真人のことを「奴」とか「こいつ」とか記してあることに気がついた。口が悪くてすみません)。
 胸がいっぱいなんて、もう何年も忘れていたフレーズである。私は胸がいっぱいというコトバに胸がいっぱいになってしまいましたよ。でも「しかたがないからお別れのキスでもさせてもらえば」というのにはずっこけた。ちがうっつーの。
 でもヒロは本当に胸がいっぱいでサカナがのどを通らなかったのだ。真人は私も本気で団を好きなのかと思っていたようである。それも笑っちゃうんだけどサ。でもその方が設定としてはおもしろいじゃん。
 真人は、
 「こっちがひろみでこっちがまきって感じがするよなー。」
 と言ってウケていた。言われてみるとそんな気もする。

by apakaba | 2008-05-26 17:18 | 1990年の春休み | Comments(2)
2008年 05月 24日

まぐろの目玉の宴

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昔、インドネシアのジョグジャをひとりでうろうろしていた。
パサール・ブリンハルジョという街一番の大きな市場が好きで、買いもしないのに何時間も屋根付きの通路の下を歩き回っていた。
肉屋に、灰色と黒のマーブル状の球体が何個も転がっていた。
「これはなあに?」
「牛の目玉だよ。」
えーっ!初めて見た!食べてみたい……!
「煮込んでスープにするんだよ。」
店番のおばさんにそう聞くと、ゼラチン質が口の中でほろっととろけていく感触がよぎった。

後日、現地に住むある日本人の男性とふたりでそこを通ったとき、
「あれ牛の目玉なんだって。おいしそうですよねえー!食べてみたいなあ!」
と私が言うと、彼は吐きそうな顔になって
「うぇぇ、ボクはイヤだな……気持ち悪いですよ……」
と心から嫌そうに言い、おそるおそる近寄ってはまた顔をしかめた。

きのう、吉祥寺のハモニカ横丁の魚屋でこれを見たとき、ジョグジャのパサールでのやりとりが頭に浮かんだ。

これは牛ではなく、まぐろの目。
手に取るのも初めてなら、調理するのも初めてだ。
でもおいしいに決まっているから、うれしさににやにやしてしまう。
納豆のように、というよりまるでゴムのように、触ると、ねばねばと強い糸を引く。
店のおばさんは下ごしらえの方法を教えてくれながら、ひっきりなしに保冷用の氷を触って手にべったりと絡んでくるねばねばを取っている。
お札も張り付きそう!
これが全部、コラーゲンか。

「おいしそう!うれしいわー。」
「きれいになるよー。お化粧なんていらないんだから!」
ジョグジャを再現するようなやりとりをして、うきうきと家に帰った。

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家で包みの新聞紙をほどいて、改めてじっくり見てみると、なんてきれいなんだろう。
いくら見ていても飽きない。
なぜか、“宇宙”という言葉を連想する。
暗い宇宙に浮かぶ惑星のようだ。
目の表面を触ると、ガラスのように硬い。
爪でコツコツと音を立てるくらい。
ふだん、小さい魚の目しか触らないから、硬さに驚く。
宇宙船の窓みたいだ。
ゆらすと、ふわーっふわーっと半透明の目玉が漂う。
そのさまはやはり“海”を連想させる。
この目で、なにを見てきたのか……私は、ヒトの頭蓋骨を見ると、というか頭蓋骨の目が収まっていた二つの穴を見ると、「この人のここにあった目は、生きていた時間になにを見てきたのかなあ」と考えてしまう。
暗い海の底を駆け抜けながら、頭上に降る光の筋を感じながら、この美しい目玉はどんな速さで周りをとらえてきたのかなあ。
厳粛な気持ちに打たれる。

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これは「喉肉」だそうで、赤さに惹かれてこっちも買ってみた。
他に、ほほ肉や筋なども売っていて、興味は尽きない。

「コシヒカリ」が学校から帰ってくると、
「きゃあーーーーっ!!!」
と喜びの叫びを発する。
「すっごーい!これっ!わたしがぜんぶ食べるからねっ!!わたしがもらったーっ!」

つづいて「アキタコマチ」が「ただいまー。はー、部活で疲れた。」と言いながら帰ってきた。
「はーつかれた……うおおっ?!なにこれ!うわーうまそうー!コラーゲン!おかーさん、さあやろう!」
気が済むまでいじくって遊び、それからあく抜きなどの下ごしらえと撮影をやっていた。

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これも宇宙の神秘という風情だが、下ゆでしたときに火が強すぎたようで、骨が丸ごと取れてしまった。
なにしろ初めてやるからなにを作ったらいいのかわからない。
でも、おそらく相当にあくが強くて血なまぐさいのだろうから、臭み消しにねぎ・しょうが・みょうがを山のように入れて、モツ煮込みの要領で味噌仕立ての汁物にしてみた。
すべてテキトーきわまりなく調味料をぶち込んでいく。
それを見ながら「アキタコマチ」が、
「そのへんはやっぱり、主婦の経験とセンスだよねえ。そこまでテキトーにぶち込んで、絶対にちゃんとおいしいんだからさ。それはオレにはちょっとまだ真似できないんだよなー。レシピさえあれば、オレだってどんなものでも作れるけど、レシピをなんにも見ないで初めての難しそうな食材でもちゃんと作れるんだから、ちがうよねえー。」
と、ぺらぺらぺらぺらおべんちゃらをまくしたてる。

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テキトー・モツ煮込み風まぐろのお椀。
目玉関係の部分は、想像どおりのふるふるぷりぷり。
「あぁ〜んとろける!コラーゲン!お肌つるつる!どうしようオレこれ以上つるつるになっちゃったら!」
とヒゲも生えていない「アキタコマチ」が叫ぶ。
喉肉の部分は、牛肉のような歯ごたえで、味が濃い。
よくある「まぐろの角煮(私あれぜんぜん好きじゃないです。)」とはまるでちがう。
あれは噛むほどばさばさしてきて味がなくなっていくが、喉肉は噛むほどに味が出てくる。
「もっとねぎをどかどか入れようぜ。明日は仕上げにねぎの小口切りをどばっと載せた方がうまそうだ。」
と夫は言う。
「ササニシキ」と「コシヒカリ」は眼球部分を醜く争っている。
いいなあこの家族。
だれひとり、ジョグジャのパサールでの日本人男性のように、“ゲテモノだよ〜。こんなの食いもんじゃないよ”と顔をしかめる人がいないんだから。

by apakaba | 2008-05-24 08:49 | 食べたり飲んだり | Comments(20)
2008年 05月 22日

渋谷ロクシタンカフェのどこにお金を払うか

仕事の研修会に行って、帰りに渋谷でお昼。
お友だちがブログにロクシタンカフェのことを書いていたので私もさっそく入る。
新しいところには、とりあえず嫌わずに入ってみる。

ロクシタンそのものは全然ダメなのです私。
ごめんよ。香りの強いバスアイテムはとにかく苦手なのですわ。
渋谷駅前の超一等地のビルに、長年くっだらない下着とか水着とかの安っぽいテナントが入っていて、どうにかしてくれと思っていたらロクシタンに改築されてすっかりおしゃれになりました。
街の景観が、ややアップグレードしたような。

ランチ、1800円、高ーい高ーい!!!!!
しかも私にはまるっきりお腹いっぱいにならない分量!

ベビーリーフのサラダに生ハムがひょろひょろと数片。
ベビーリーフのサラダはゆうべも家で食べたばかりですがっ。
ドレッシングはなつかしのフランスでさんざん食べていたフレンチドレッシングの味で、これはよかった。

ミネストローネスープ、ぬるいです。

パンが、2コだけど両方合わせてやっといわゆる「バターロールパン」1個分くらいというものすごい小ささ。
味はたいへんおいしいです。

グラタンというのか、じゃがいものスライスにホワイトソースがちょびっとかかっていてチーズ焼きになっている。
ものすごく少ない。
デパートやスーパーの試食コーナーのカップみたいに少ない。
そしてこれならうちの娘にも作れる。

ドリンクつき。
私はアイスコーヒー、フランス語のメニューなのでカフェグラッセをつけた。
ちなみにランチセットではなくムニュといいましょうねぇ。
ロクシタンだから。フランスだから。
カフェグラッセは巨大なグラスに入っていたのでさぞたっぷり飲めるかと思ったら、ほとんどが氷だった。

商売、うまいぜーっ。

800円が妥当かな。
場所代入れて1000円、いや1000円でも、チョット不機嫌というくらいかなあ。

ひとつ、価値ありと思ったのはスクランブル交差点をすぐ下に見下ろせる立地ということ。
全面ガラス張りの窓際の席だと、果てしなくくり返される、赤信号・青信号・渡って止まって渡って止まっての人の波を眺めていられる。
渋谷には、家族でもひとりでも、買い物や、仕事帰りの通り道、映画などで、車でも電車でも本当にしょっちゅう来るが、いつもスクランブル交差点の人の波には驚く。
驚くというより呆然とする。
いや、人の“波”でも人の“渦”でもなく、人の“濁流”というか。
いい眺めでも美しい景色でもないけど、やはり目を惹く景観だ。

今まではQFRONTの2階のスタバが、スクランブル交差点を見下ろすには最もよかった。
あそこも全面ガラス張りで、窓に向かってスツールが並んでいるから、渡って止まっている人の群れ(群れではなく本当は個々なのだが)を何度も何度も見ていると、自分が巨人になって、人々が自分の脚の間をくぐり抜けていくような感じがしたものだ。
あるいは、自分がQFRONTのビルそのものになって、そのビルの腹に人々を収めていくような(実際、交差点を渡ってこのビルに入っていく人もたくさんいるし)。
人がいっぱいっていうのは、それだけで、そこから外れている人を圧するんだなあ。

人の濁流を上から見下ろせることに1800円払う……というのは愚かだけど。
けれども、同じように暴利なお値段で同じように全面ガラス張りの、エクセルホテル東急(駅ホテル)5階のエスタシオンカフェからは、スクランブル交差点と方角が違っていて、渋谷のどうでもいい風景しか見られない。
渋谷で一番魅力のある景観は、駅前の人の濁流だろうと思うから、ロクシタンはその意味でいい場所取ったなあと思った。

by apakaba | 2008-05-22 16:08 | 食べたり飲んだり | Comments(9)
2008年 05月 20日

自家製食品でいきましょう

子供が大きくなってきて食べる量が日に日に増えているから、できるだけ家でいろんなものを作るようになってきた。
この一ヶ月の間に、自家製いちごジャムをすでに2キロ消費しました。
このペースでは市販のジャムなど買っていられません。

ピクルスもおいしいのよー。

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こういうのをきっちり瓶詰めにするのとか、私はとても苦手。
「アキタコマチ」が詰めた。
“円筒形のものに、細長いものをどうやってきっちり詰めるのよ。入れてくそばから倒れちゃうじゃん。無理だよ絶対に。”と思って途方に暮れていたら、「アキタコマチ」がさっと現れて、
「瓶をはじめから横に傾けておけばきれいに詰められるんだよ。貸して。」
と、すべてやってくれました。
いわれてみればごく簡単なことなのに、私ってそれをどうしても思いつかない、コロンブスに嘲笑われる性格なんですわ。

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先日、「アキタコマチ」は、私と「コシヒカリ」がジャムを作って、熱々を瓶に詰めたところにちょうど帰宅してきて、
「おかえり!ジャム作ったよ。」
と聞いたとたん、すたすたと冷蔵庫に直行し、氷をざくざくと取り出し、ボウルに水を張って氷をぶち込み、ジャムの瓶を逆さにして冷水につけたのだった。
「なにしてるの?」
「急激にさました方が、ペクチンが固まってぷるぷるになるし、色が鮮やかになるし、甘みも強くなるんだよ。」
どうしてそんなことを知っているんでしょう……変わった男子中学生だなあ。

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ついでに、「アキタコマチ」が種をまいたパセリが大きくなってきたので収穫してみた。
オニオングラタンスープに散らしてみる。
このオニオングラタンスープは手抜きですが。
キャンベルのスープ缶でやってしまったわ。
ちなみに一度に3缶使います。
でもうちで収穫したパセリだとおいしい気がする。

まあでも、私がこうして自家製をやれるのも、半分以上は「アキタコマチ」が支えてくれているわけだ。

by apakaba | 2008-05-20 22:05 | 食べたり飲んだり | Comments(12)
2008年 05月 19日

ラーメン・天下一品

きのう、夫と娘と3人で吉祥寺へ買い物に行き、私はひとりで勝手に「お昼は3人だから外でもいいかなあ(男子が増えるととたんに食費が跳ね上がるのでランチ外食厳禁)。天一がいいなあ。」と目論んでいた。

京都発祥のラーメンのチェーン天下一品は、吉祥寺にも出店している。
家の近所においしいラーメン屋がたくさんあるので、チェーン店にはめったに行かないが、博多の一風堂と天下一品には行く。
ところが、買い物の道順の都合で、ハモニカ横丁内の「まぐろのなかだ屋」でづけ丼という運びになってしまった。
まぐろのなかだ屋ももちろんとても好きだけど、ひとりで天一と決め込んでいた分、ガックリ。

こういう気持ちって不思議だわ。
期待していたものが、手に入らないと知ると、余計ほしくなる。
そしてそれはなによりも飲み食いモノ、それも味の強いモノでてきめん。

今日、またひとりで吉祥寺に行って食べてきたから欲求不満はあっさり解消しました。
ラーメンはこってり味のほうでしたが。

2,3年前から、ラーメンは家で作ることをいっさいやめた。
ねばるんだもん。
どんな大鍋でやっても、10玉くらいはゆでるから(5人なのになぜでしょう)、麺が粘ってきてしまう。
だからといっていちいちお湯を取り替えていたらいくら時間があっても足りないし。
なのでラーメンはたまの幸せな外食メニューなのよ。

ゴージャスラーメンが苦手。
具だくさんで蟹とか海老とか入っていたり、叉焼が3枚以上入っているのはもうダメ。
具は質素な方が好きだなあ。
天一は青ねぎがいっぱいなところが、京都らしくていいな。
昔、家で作っていた時代、焦がしねぎを作っていた。
青ねぎをじっくりと真っ黒になるまで炒め続ける。
香ばしい香りが立ってほんとに素敵なラーメンになる。
でもそんなめんどくさい真似もとうにやめましたね。

吉祥寺からの帰り、ここしばらく太り気味だったがやっと体重が落ちたので、久しぶりにケーキ2個食いを解禁にすることにして、ケーキも買って帰った。

by apakaba | 2008-05-19 18:50 | 食べたり飲んだり | Comments(22)
2008年 05月 18日

初SKECHERS

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いいでしょ。
スケッチャーズの靴を買うのは初めて。

ハイヒールを履ける女に、なるためにとか書いてから2年たつけどまったくダメのまま。
というか、敗因はわかってきた。
私は、足の指がインド人みたいに開いているのよ!

インド人みたいにという比喩は意味ワカラナイだろうけど、二度目のインドでちょっといっしょにまわっていた日本人男性が、道行くインド人たちの足を見て、つくづく感心して言ったのだ。
「あいつら外反母趾の正反対な足指の形をしてるよなあ。すっごく健康そう。むしろ、指と指の間が開いて、扇形みたいに反ってるような状態だもん。」

そんなことに注目したことがなかったので、
「そうですかあ?」
と、視線を地面に落とすと、たしかに、男性も女性も、多くの人がサンダル(ヒンディー語でチャッパルというが)を履いていて、その指はぴーんと健康そうに開いていた。

つい最近、私が素敵な靴はみんな足の指が痛くなるという話を夫にすると、インド人など知りもしない夫が、
「君の足はかなり健康そうな形をしているからな。よくいえば自然のままというか。扇形に広がっているし、だから靴に押し込められることに慣れていないんだろ。」
と、まるでインド旅行中の男性とそっくりなことを言うので内心で驚いた。

「俺の足なんか退化して靴と一体化してるから、君みたいに指が器用に動くとか絶対にできないもん。自然児みてーな足だよな。でも健康や運動神経にはそっちのほうがいいってことだろ。靴には苦労するけど。まあ、裸足向きだよ。
だけど夏に電車なんか乗ってると、女はみんなひでー足してるぜ。タコとか、靴擦れで当たって黒ずんでたり。君の足はタコや黒ずみもぜんぜんないしきれいなもんじゃないか。外反母趾とも無縁で幸せじゃん。まあ、原始人ていうんですか。」

褒められているのかけなされているのかわかんないけど、私は原始人じゃなくて文明的な生活を営みたいし、おしゃれだって人並みにはしたいので、困ったことだと思っていた。
でも、ようするに、指が扇形なんだから、足指を解放してやればいいんでないのか?
だったらつま先がオープンになっていれば、かなり問題は軽減するのではないのか?

てなわけで、今年の新しいサンダルはこれでーす。
吉祥寺のスケッチャーズショップで「コシヒカリ」が、
「わー、これ、アラビアのおひめさまみたい!」
と言ったので、その表現がとても気に入りましたね。
インド人じゃなくてアラビアのお姫様だよ。

by apakaba | 2008-05-18 23:27 | ファッション | Comments(15)