あぱかば・ブログ篇

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2009年 03月 31日

二重まぶたのオモヒデ

「ところで話変わるけど、顔、ぜんぜんきれいじゃん?」
この前うちに来た友だちがそう言ってくれた。

今年の1月に、顔の脂漏性湿疹にステロイド剤を塗っていたせいで、真っ赤に腫れてひりひりする状態になってしまったことを書いた(猿面冠者アゲイン。ステロイド投与の功罪)。
あのときは本当に誰にも会いたくない気分だったけれど、最近はかなり赤みとブツブツが目立たなくなってきたのでうれしい。
まだ、まぶたに少し赤みと大きめのボコボコが残っていて、あごに小さいブツブツが散っているが、その程度なら、恋人の距離に接近してよほど注目しないとわからない(そして実際そこまでこの顔に着目する人はいません)。
皮膚科医には「2年かかる」と宣言されたけど、ひとまず「誰にも会いたくない」状態からは解放された。

でも、長く薬を塗り続けているせいなのか、まぶたの皮膚がたるんできて、細かい皺が縦横無尽に走るようになった。
トシのせいなのは当然としても、やはり薬に負けているようで、そこだけ不自然なしなび方なのが悲しい。
大きめのボコボコした湿疹と、まぶたの皮膚の不自然なたるみのせいで、二重まぶたの入り方が前と変わってしまった。
ふだんは両目ともはっきりした二重まぶたなのが、片目だけ線が曖昧に通っていて寝起きのように見える。
このまま、この目になってしまうのかな?
肌が治って薬をやめて、しなびているまぶたがもとどおりの皮膚に戻ったら、この曖昧な二重も直るのかしら。

生まれたときから小学校卒業くらいまでは、完全な一重まぶただった。
中学生のころから、日によってなぜか片目だけがうっすらと二重になったりならなかったりという目になった。
「アイプチ」という、二重まぶたを作る糊のようなものが流行っていたが、私は肌が弱くて「ソックタッチ」という靴下留めもかぶれて使えなかったから、目に糊などとうてい無理だと思い、代わりに友だちから教わった方法で、その寝ぼけた半端な二重を矯正していた。
セロハンテープをほんの2,3ミリに切って二重の幅に貼り付けるというもので、よく考えたらアイプチよりもずっと野蛮で肌に悪そうだが「お金もかからないしいいよね〜」とか言ってやっていた。

高校生になってさすがに目にテープ貼るなんて情けない……と思うようになったら、いつのまにか両方ともきちんと二重が入った。
左右対称な顔になったのでうれしかった。

現在、この湿疹のせいで、また二重が曖昧な顔に戻ってしまっている。
薬で治療中だから、もちろんアイプチもセロハンテープもダメだ。
まあ、でも、中学生や高校生のころとちがって、今はメイクするという方策があるし。
けっこうアイメイクでごまかせちゃうもんね。
まぶたの上の線(二重)が1ミリずれているより、肌の印象のほうが大事だもんな。
と、あまり欠点には注目しないことにしましたのよオホホ。
しかしあのころは目にテープ貼るなんて、よくもそんなチカラワザをしていたことよ。
コンプレックスが、行動の原動力にもっともなりやすいお年頃なんだねぇ。

by apakaba | 2009-03-31 21:15 | 健康・病気 | Comments(2)
2009年 03月 30日

2008年に読んだ本、Best10! その2

2008年に読んだ本、Best10! その1のつづきです。


5...
巨大建築という欲望—権力者と建築家の20世紀 (ディヤン・スジック 著・五十嵐太郎 監修・東郷えりか 訳)


世界の有名建築物の工法や歴史を時系列でたどる本だと予想していたがまったくちがっていた。
建築そのものの解説本ではなかった。
古代から現在に至るまでの東西の権力者たちが、いかに巨大建築の建設に憧れ、それを実現していったか(もしくはいけなかったか)。
それを徹底的に微細に渡って追究していく、ジャーナリスティックな興奮にあふれた本だ。

ヒトラー、サダム・フセイン、スターリン、ムッソリーニ、歴代アメリカ大統領などの権力者たちは皆、「人間が本能的に快適と感じる空間としての建築」をはるかに凌駕する規模の大建築を夢想してきた。
そして、権力者らに命じられるままに、もしくは命(めい)に刃向かい、もしくは権力者以上に権力志向のインスピレーションとサジェスチョンを武器に、その時代時代を生きた建築家たちがいた。
双方の攻防が、豊富な写真とともに明かされていく。
建築好きにはもちろん、歴史好き、旅好き、評論好きの人もすべて満足させる力作だ。


6...
マーティン・ドレスラーの夢 (スティーヴン・ミルハウザー 著・柴田元幸 訳)


柴田元幸が訳せば、なんでもおもしろく感じてしまうのか?
このことは、昨年にとりあげた2007年に読んだ本、Best10!(その2)に書いた『僕はマゼランと旅した(スチュアート・ダイベック 著)』を読んだときからやや心配していた。
だがこのミルハウザーのピューリツァー賞受賞作『マーティン・ドレスラーの夢』は、柴田訳のパーフェクトぶりもさることながら、やはり原作が圧倒的にすばらしい。

19世紀末から20世紀初頭にかけての、アメリカがもっともぴかぴかに輝いていた時代のニューヨークを舞台に、主人公マーティン・ドレスラーの夢はとどまるところを知らず殖えつづけていく。
家業の葉巻店からスタートし、ホテル経営に乗り出し、栄光を次々と手中に収めていくマーティン。
彼を取り巻く登場人物たち(とりわけ、3人の婦人たち)の描写も一流だが、彼がつくったホテルの描写は、まさしく“夢の世界”そのものだ。
荒唐無稽で、現実感がなく、空恐ろしいほどの想像力にあふれかえった夢の世界のようなホテル。
それがどんなものなのかは読んでいただくしかないのだが、超巨大ホテルの描写を読むと、途中まではおもしろくつきあえる。
しかしだんだんと、“こんなホテル、いいかなあ?泊まりたいか?私は嫌だな”と、その途方のなさについていけなくなってくる。
その脱落感こそが作者のねらいであり、とめどのない繁栄は嫌悪と倦怠を生み出し、栄光は転落と背中合わせだということを知らせるのである。


7...
複製技術時代の芸術 (ヴァルター・ベンヤミン 著・佐々木基一 編集)


ドイツの思想家ベンヤミンによる、あまりにも有名な映像芸術論集。
写真や映画といった、20世紀に開花した新しい“芸術”の恩恵に浴する者なら、一度は目にしたことのある“アウラ”とはどのような知的概念であるかを説く。
“アウラ”という語は、今や普遍的な名詞としてさまざまな芸術論の中でくり返し語られているので、今さら原典にあたったところで目新しい議論は展開していないかもしれない、と思っていたが、表現に心惹かれて付箋を立てる箇所がたくさんあり、やはり既知の概念となっているおおもとを一度は読むということは大事な経験だなと思った。
表紙の写真はアジェのパリ。
アウラの存在を探す旅に出られる。


8...
百年の孤独 (G・ガルシア・マルケス 著・鼓 直 訳)


いわずとしれた、コロンビア最高の作家ガルシア・マルケスの、ノーベル文学賞受賞作。
2008年は、私にとって骨太な長編小説の当たり年だったが、これも小説の王道だった。
マコンドという架空の街が舞台になり、そこに暮らしたブエンディア一族の100年間がつづられる。
私は映画が好きだが、この本を読んでいる最中は、ずっと醒めない夢を見ているような感覚というか、終わらない映画を見続けさせられているような感じがして、まったく映像作品を見たいという気持ちが起きなかった。
それほどに鮮烈な架空の世界。なにもかもが過激で異常。
それなのに、マコンドという街は「ラテンアメリカのどこか」にある、としか決して考えられないほど、この小説は隅々にまで“土着性”が行き渡っている。
土埃と汗のにおいと照りつける陽射しに満ちている。
コロンビアの作家の作品を読んだのはこれが初めてだが、ここまで祖国の土の香りを作品で感じさせる作家が、我が国にはいるだろうか?と振り返らずにはいられなかった。


ああ、ダメだ時間切れ。
その3へつづく。

by apakaba | 2009-03-30 23:56 | 文芸・文学・言語 | Comments(4)
2009年 03月 29日

春休みの主婦

ネットと家族、二者択一になったらつねに家族を優先する。
ということを、ホームページを作ったときから心に決めていた。
そうしないと、主婦の毎日はのんべんだらりとずっとネットに埋没して終わってしまうからね。
仕事もじりじりと忙しくなってきたので、更新頻度は落ちる。
ネット生活は無理をしないことが継続のヒケツだなー。

春休みに入り、夫も含め家族全員が家にいるので、それだけでほぼ自分の時間はない。
ごはんもせっかく毎食みんながそろうので、学期中よりも手をかけようと思っている。
今日の晩ごはん・・・里芋と鶏と人参の煮物のくずあんとじ・きゅうりのぬか漬け・うどの酢みそ和えのふき味噌和え・タコのキムチ・にんにくのしょうゆ漬け・新玉ねぎの丸ごと焼き・ヤンソンの誘惑(新じゃがとアンチョビのオーブン焼き)・牡蠣のオイスターソース漬け。
どうだ居酒屋メニューだろう。
タコのキムチとにんにくは買ったんだけど。
うどを薄い酢みそ和えにしておいて、それをさらにふき味噌で和えると異様に春のかほり!
さっき偶然作った出会いもの!

加えて、休み中は夫が毎晩1本ずつDVDを観るのにつきあう。
私も映画が好きなので、レンタル代が浮くしね。
だから夜も忙しいの(か?)

加えて、買い物好きな夫の街歩き&ショッピングにもほんとはメンドクサイけど笑顔でつきあう。
ここんとこ毎日あちこちのデパートを連れ回されています。
学期中は週休一日で、のんびり買い物なんてできないからねえ。
先日、スーツを買うのにつきあわされる。
初めてコルネリアーニのショップに入り、スーツで20万超えてるじゃん!冗談じゃないよと思ったが、ディフュージョンラインがあるのね……ああよかった……
歳も歳だし、あれだけデカくて手足が伸びているスーツ向きの体型だと、安物では本当にみすぼらしくなってしまうので、ある程度の出費はしかたがない。
私はとてもチビなので、やっぱり身長のあるヤツは服も着映えがするものよと悔しく思う。

まあそんな調子で、ほぼ無内容なことを書いてスミマセン。
明日はちょっとは時間があると思うんで書けるかな。

by apakaba | 2009-03-29 23:39 | 生活の話題 | Comments(5)
2009年 03月 25日

犠牲フライを知らなくても

きのうのWBC決勝戦の中継は、春休みに入った夫と「ササニシキ」がいっしょにいたのでギャーギャー言いながら見ていた。
優勝おめでとうございます。

しかし。
今の子って、昭和の我々とはちがって、なにしろ野球のルールを全然知らないのですよ。
今の子すべてがそうということはないけれど、ご家庭がプロ野球のどこかの球団のファンとか、野球部や少年野球などで子供自身が関わっているのでもなければ、一昔前の日本人には想像できないくらいに、子供が野球から離れている。

「ササニシキ」は、テレビを見ていても
「ピンチランナーってなに?一試合に何人まで出せるの?」
「スクイズってなに?」
「外角ってなに?」
と質問してくる。
昭和の子供なら小学生になるころには、みんなわかってるでしょ?

きのうの10回表でイチローの前のバッターが初球を打っちゃったでしょう。
あのとき、私らが
「ああ犠牲フライでも1点入ったのに」
と残念がっていたら、息子は
「犠牲フライってなに?」
とまで……!!!
質問のレベルが……!
でも見てないなら知るわけないもんな。

あれはなんともいえず不思議な気分ですよ。
一昔前までの、家族の団らんにはプロ野球のテレビ中継観戦という時代は遠くなったんだなあとつくづく思った。
でも、今回のWBCでのニッポン人の盛り上がりようを見ていると、ああ、やっぱり日本人は野球が嫌いになったわけじゃないんだ、今のプロ野球から心が離れているだけで、野球そのものは見るし応援もするんだなとも思ったな。自分も含めて。

ところで。私の勘違い子育て野球バナシ。

by apakaba | 2009-03-25 10:22 | 子供 | Comments(16)
2009年 03月 23日

あなたの命と私の命は同じだ

今朝早く読んだ公開ブログ記事に衝撃を受け、子供たちが起きてくるまでの短い間、なにも手に着かなかった。
私の敬愛している年上の知り合いのブログで、ご自身が不治の難病にかかっているらしいということを語っていらした。
思わず込み上げる涙とともに真っ先に頭に浮かんだ言葉は、
“なぜ?どうしてあの人が!なにも彼がそんな病気にならなくてもいいのに!他にもっと……いくらでもいるじゃん、代わりになりそうな、どうでもいい奴がごろごろと!”
ということだった。
もっともっと活躍してほしいのに。
有能な人ほど、こんな目に遭ってしまうのか。

慰めとか励ましというのもとうていできないけれど、なにかちょっとでも彼に宛てて書きたい、でもどういう言葉を選んだらいいの?
手だけ機械的に台所仕事をしながら、体の不調に気付いてからこれまでの間も、どれほど孤独でつらかっただろうかなどと想像して、もうそれだけで泣きそうになってしまう。

やがて、こんなふうにただ悲嘆に暮れるだけでいても無意味だと気付き、病気のことを少し調べてみた。
よく考えたら、たしかに完治はしないが、今日明日に命を奪われるということもないじゃないか。
気長に、落ち込みすぎず、一病息災というくらいの気持ちでつきあっていく……考え方を変えればいいのか。
——であるなら、病気のあの人と、ここで気の毒がって悲しがっている私との間に、どれだけの差があるというのだろう。
むしろ、いま人ごとのようにして気の毒がっている私のほうが、先に世を去ってしまうことだってありうる。
実は私も同じ病気にかかっているのかもしれない、単にまだそのことに気付いていないだけなのかもしれない。
そんなことは他人に気軽に言われたくはないだろうけれど、周りがいっしょになって暗くなっても、なにも生まれない。

私の父のように、後ろから殴り倒されるかのごとく、本人も死の自覚がないうちに急死してしまうような人生の閉じ方もあるのだから、それを考えると、ある程度の長さを生きてきて、ある程度の納得できる人生を送ってきた人間であれば、自分の来し方行く先をじっくり見つめ直したり、体からの声に耳を澄まして、日々の体調と向き合いながら暮らしていくというのは、そんなに真っ暗なことではないのかもしれない、とも思った。

じゃあ、あの人の命と、私の命は、おんなじか。

こんなに当たり前のことに思い至るまで、少し時間がかかってしまった。
そしてそこまで考えが至ってやっと、とっさに思った“他の誰かが成り代わればいいのに”という考えが、いかに恐ろしい考えだったかを思い知り、自分でぞっとした。
誰かって誰よ。
あたしか?
無価値っぽい人?それは誰よ?
彼も、私も、“無価値っぽい”あの人やこの人も、よく考えれば同じところにいるのに。
いつだって代われるし、絶対に代われないんだよ。

こんなことを、書くこと自体が傲慢だといわれるのは承知だが、死や、生きることや、過ごしていく人生に、傲慢でありたくない。
無自覚でありたくない。
今朝、心からそう思った。
結局、体と向き合って明るく暮らしてくださいというようなことは書いたが、がんばってくださいとは書けなかった。
そんなおこがましい言葉はとてもかけられない……私とあの人は同じなんだからなあ。
そして、きっと私も、もし彼のような難しい病気にかかったら、ここに書くだろうなあ。
そういうところも、同じだな。

by apakaba | 2009-03-23 23:57 | 健康・病気 | Comments(6)
2009年 03月 21日

牛タンシチューの宴(副菜レシピつき)

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皮を剥くのも一仕事。

ふだんあまり料理をがんばらないので、発作的に一日中台所に立っていることがある。
主婦なら誰でもわかる衝動だと思うが、たまにがんばって家族を喜ばせたい。
きのう、昼ごはんのあとからずーっと料理だけしていた。
メニューは牛タンシチュー・赤ピーマンのロースト バーニャカウダソース・サラダ・パン・バナナブリュレ。


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副菜の赤ピーマンのロースト。
私はこれが大好きで、しょっちゅう作るのでここではおなじみでしょうが。
ピーマンはオリーブオイルをかけて、1時間くらい焼いて皮を剥く。
バーニャカウダソースは、にんにくとアンチョビをうんと細かくみじん切りにして、オリーブオイルで火を通してから生クリームを加える。
このソースが簡単なのにおいしくて、残りはパンにつけて食べる。


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デザートのバナナブリュレ。
砂糖を入れた生クリームをホイップし、ヨーグルトと、レモンで色止めしたバナナを混ぜ込む。
グラニュー糖でカラメルを作り、半冷凍しておいたバナナの上にジュッとかけて冷やす。
簡単。
私の作るおやつの定番。

サラダは、コじゃれた葉っぱ(ベビーリーフとか、フリルレタスとか)にブロッコリースプラウトやカッテージチーズやパイナップルやグレープフルーツなどを適当に合わせて、ドレッシングを各自がお皿の上で作る。
きのうは塩・胡椒・アーモンドオイル・アップルバルサムヴィネガーで作った。

……と、副菜ばかり先に並べるのはナゼでしょう?
肝心の牛タンは?
それは、見た目が気持ち悪いと感じる人がいるかもしれないからよ!
以前、まぐろの目玉の宴という話を書いたとき、私は写真をとても美しく神秘的だと思って満足していたのだが、「グロテスク」という感想を持つ人もいると知り、“世の中には食べ物だからといっても見るのを嫌がる人はいるのだ”という配慮のもと、こういうときのためのMore機能ということで。

つづきは写真つきです

by apakaba | 2009-03-21 10:54 | 食べたり飲んだり | Comments(10)
2009年 03月 19日

本のBest10、その他いろいろな書きたいことが書けずにいる、そのわけは

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「散歩にはいつ連れてってくれるの?」

2008年に読んだ本、Best10!を書いたきりになっているが。

ゆうべ遅くなってから、「アキタコマチ」が
「明日の卒業式までにズボンの裾上げをして!」
と言い出す。
「アキタコマチ」の中学には制服がなく、明日(つまり今日の卒業式)は在校生も正装をしなければならない。
「ササニシキ」のおさがりのズボンがまだ大きいので、上げてくれと言う。
朝、お弁当を作って夫を送り出してから7時前に裾上げをした。

今日は天気がいいので、洗濯をたくさんする。
ふだんの洗濯に加え、「コシヒカリ」の布団カバーやシーツをすべて洗濯して、布団は外に干した。

その後の一日

by apakaba | 2009-03-19 22:29 | 生活の話題 | Comments(6)
2009年 03月 18日

きょうだいっていいな

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晩ごはんのあと。
「アキタコマチ」が2月から塾を替えたため、週日では水曜日だけ、3人そろって晩ごはんを食べられる。
他の曜日には、「アキタコマチ」が先にひとりで食べていくことになった。

まだ、テーブルにお茶碗や鉢が置いてある状態のまま、なぜか勉強になだれ込む。
私の作ったりんごのカラメル煮を鍋から直接つまみながらやっている。
「コシヒカリ」が算数のプリントでまちがえて、兄たち二人がかりで教える。
ふたりとも勉強を教えるのはなかなかうまいので放っておいている。
そのうち、理解した「コシヒカリ」はひとりでやり始め、「アキタコマチ」は「ササニシキ」が作成した中学生用の方程式を解いている。
「ササニシキ」は「コシヒカリ」のプリントの採点と、「アキタコマチ」に方程式を作っている。
「ササニシキ」は、「コシヒカリ」のプリントに100点をつけるとき、ゼロふたつの中ににこにこの目を書き入れ、100の下に線を引いて笑っている口のようにしていた。
「コシヒカリ」は「見て見て」と喜んでいる。

そのうち、「コシヒカリ」が
「もうすぐ6年生が卒業式するからわたしもうたうんだー。」
と言い出して楽譜を持ってきた。
自分たちも卒業した小学校なので、兄二人は楽譜を見ておそろしく音痴な卒業の歌を合唱していた。
「コシヒカリ」が笑い崩れて、犬のコーシローがびっくりしてハウスから出てきて、夜の勉強は終わったようだった。

by apakaba | 2009-03-18 23:09 | 子供 | Comments(4)
2009年 03月 15日

ホワイトデー翌日

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我が家の男ドモの中で一番モテ男の「アキタコマチ」が戦々恐々。
晩ごはんの支度ができないんですが。

きのうがホワイトデーだが、きのうは塾があってなにもできなかったので、今日、バレンタインのお返しを一気に作るんだと。
「そもそもバレンタインのお返しなんて、する必要あるの?しかもなにも手作りしなくても。」
という母の言葉は軽く無視して、無謀にもふだん作り慣れているガトーショコラに加え、チョコクリームをはさんだダックワーズも作るという。
台所を占領されたので、先にお風呂に入っていたらその間にダックワーズを完成させていた。
今日初めて作ったのに、とてもきれい。
見本の写真とおんなじ。
ほんとに、勉強以外はなにをやらせてもうまいんだなあこの子って。

今はガトーショコラを作っている途中なので、今夜のスパゲッティーペペロンチーノをまったく作れないままでおります。

次にお風呂に入ろうとしている「コシヒカリ」に、
「料理うまい男って、どうよ?もし奥さんだったら。」と聞くと、
「うーん。ふだんのときはいいけど……もしもわたしが出かけるとかいうときに、『置いてかないでくれ!ひとりじゃなにもできないんだ!』とかいうダンナさんはイヤ。
置いていける人はいい。
なんか、ペットみたいな言い方だけどアハハ。
ひとりにしておいても適当に冷蔵庫にあるものでごはんを作ったりできる人はいいと思う。
(うちの)おじいちゃんみたいに、おばあちゃんが出かけちゃうとすぐコンビニ行ったりしてごはんをすませるとかいうのはイヤ。お金使わないでちゃんとできるのはいいと思う。
でも……あまりにもうまいと、なにかしらほかのところで、むかつく。」

なにかしらってなによ?奥さんより上手だとちょっと立場がないなぁってこと?」
「うーん、それもあるし。あ、もしかしたら、ほかの人だったらむかつかないかもしれない。『アキタコマチ』お兄ちゃんはわたしに自慢して、わたしを料理のことでバカにするからそれがイヤなの。」

他人の女子にはやさしいのに、身内からはこの悪評。
まあそんなものだよね。

しかし、あまりにも料理やお菓子作りが上手な男って、女子たちから人気は上がるんでしょうか、下がるんでしょうか。

by apakaba | 2009-03-15 20:00 | 子供 | Comments(5)
2009年 03月 12日

2008年に読んだ本、Best10! その1

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あまりにもおもしろい本を読んでいる最中だと、犬の散歩でも歩きながら読んでしまう。
あぶないです。


2009年になってからだいぶ経ってしまったのでしたね。
どうしてこんなに遅くなったかというと、まあ、まとまった時間がとれないというのはあるけど、それ以上に、(レビューを)書くより(次の本を)読みたいという欲求が勝っているからなのです。
数年前までは、おもしろい本を読むと興奮して、「ああ、これのことを早く書きたい!いろんな人に読んでほしい!」と思っていたのだけど、今はおもしろい本を読んだ興奮が、「おもしろかった!早く、次の本を読んで、また新しい興奮を味わいたい」という欲求につながってしまうのです。
今年もそんな調子で読書生活がつづいていますが、恒例に従い、昨年の本のBestをざっと書き出すことにしよう!
ちなみに昨年はどうだったかと見てみると(2008年1月分目次)、ちゃんと1月中にすべて書き上げていたのですね。


1...
おぱらばん (堀江敏幸 著)


自分と同世代の日本人の書き手で、こういう文章を書ける人がいることに、深く喜びを覚えた。
三島由紀夫賞を受賞した本作は、ちょうど10年前の作品であるから、当時は30代前半だったということか。
留学中のパリを主な舞台にした、エッセイのような私小説のような作りの短編集。
たまらなく好みの文体だ。
長らく、同時代の日本文学に絶望していた私にとって、本当に久しぶりの、心にしみわたる文学的文章だった。
日本文学に飢えるすべての日本人に、強く推薦する。


2...
帝国との対決—イクバール・アフマド発言集 (イクバール・アフマドその他 著・訳)


中東問題やイスラーム世界に関する政治的言説の本は、1999年にイスラエルを旅行(旅行記はメインサイトへどうぞ)して以来、継続的に読んでいるが、この本は故エドワード・サイードの多くの著作に匹敵するかそれ以上の興奮をもって読了した。
内容は、パキスタン出身の政治学者アフマドの講演録や、後進の学者たちによる紹介などから成るのだが、読みながらこの人がすでに10年前に亡くなっているということがどうしても信じられないほど、発言が今日的であり予言に満ちており、ということは裏を返せばこの世界は、イスラーム世界の問題がなにひとつ進んでいないのだということを思い知らされるのである。
日本でほとんど知られていないこの偉大な知識人の言説や態度は、それでもシニカルではなく、明るく楽観的だ。
イスラームをめぐる現在の国際社会での惨状を知れば知るほど、楽観的でいつづけることの困難さと、それに立ち向かう意志の強さに感動する。
あのサイードが最大限の敬意を寄せていた理由が、読めばわかる。
イスラーム抜きに現代の世界を読み解くことは不可能な今、全人類が読むべきだ!


3...
L.A.コンフィデンシャル (ジェイムズ・エルロイ 著)


映画を観て「なんておもしろいんだ!」ということで読んでみた原作本。
原作も映画と同じくらいのおもしろさ!
映画を先に観たから、読みながら登場人物がすべて俳優の顔で動いていく。
それがまた全員バッチリはまっていて、いかに名キャストをそろえたかがわかる。
エルロイ得意の、「完全な善人がひとりも出てこない、誰もが心に黒い部分を持ったまま、タフにこの娑婆を生き抜いていく」人物描写に、なんとも快感を感じる。


4...
西行花伝 (辻邦生 著)


嘆けとて 月やはものを思はする かこち顔なる わが涙かな

願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

などの歌で日本人に愛され続ける西行だが、この本は史実を忠実に記録した伝記ではなくあくまで辻邦生が創作した人物像である。
「想念」を「おもい」、「永遠なる」を「とこしなえなる」、「肉体」と「わがみ」とするなど、漢語のルビに怒濤の勢いで大和言葉を当てる独特の文章に、はじめとまどいながらいつしかクセになる。
若き日の西行が、生涯ただ一度の恋をする相手である「女院(にょいん)」の魅力には、同じ女として、とうてい敵わないという深い敗北感を覚えざるをえない。
豊満な肢体と、“二つに割れたようなお声(以前、美声が色っぽいのではなくの中でも取り上げました)”とを持つが、取り立てて才気が横溢するわけでもなく、美貌も絶世の美女というほどでもない、どちらかというと平凡な女性だ。
歌や楽器の才もなく、機知に富んだ会話を楽しめるほどの明晰さもない。
ただ、“女”である。
そこに身分も年齢も飛び越えてどうしようもなく惹かれてしまう西行がいる。
こういうタイプの女こそ同性にとって最強の敵だ。
ときに、ダメ男に向かって嫉妬に駆られた恋人や妻たちから「あんな女のどこがいいのよ!」と罵られる、その“あんな女”を具現したような女性。
張り合いたくても、競いようがない。
この女院を描ききった辻邦生が、どうしようもなく“男”だなあと思わされる。




4つしか書けませんでした。
その2へつづく。

by apakaba | 2009-03-12 22:08 | 文芸・文学・言語 | Comments(9)