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2009年 05月 31日

早稲田大学茶道研究会創立六十周年記念茶会

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「あれ!?あんまり、咲いてない……今ごろちょうど満開だと思ってたのに。『ほらステキでしょう!ね、きれいねえ!』とか言って喜んでもらうつもりだったのに、残念だわ……!」
明治神宮の菖蒲田は、まだまだ見頃までは日数が必要のようだった。
てっきり満開の花を見せられるものと思っていた私は、当てが外れてきまりが悪かった。
「まあでも、ここはたしかに満開だったらさぞきれいだっただろうなあというのはわかるよ。」
と、彼に言ってもらえたので救われた。

早稲田大学茶道研究会創立六十周年記念茶会が、きのう、明治神宮の茶室で開かれた。
半分幽霊部員だったが卒業まで在籍はしていたので、私のところにも案内状が届いた。

五十五周年にも五十周年にも行っていなかった。
学生時代、茶道は好きだったが、腹を割ってホンネでつきあえるような人があまりいなかった。
サークルじたいも伝統があるうえに、古典芸能を習うという体質からか、しきたりが多くて、上下関係が変に厳しくて窮屈だった。
男子は変わり者(ふつう、大学生はもっと軟派なサークルに入るでしょ)、女子は真面目なお嬢さんタイプの子が多かった。

当時にもっと私が自分からすすんでなじもうと努力すれば、もっと深いつきあいもできたのだろうけれど、あまり顔を出さなかったので稽古もみんなより後れてしまうし、先生や先輩にも消極的な態度だった。
なじまないと勝手に思いこんでいた自分のほうがいけなかったんだな。


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緑に埋もれるようにたたずむ、隔雲亭(かくうんてい)という茶室。
遠くからの風情が素敵だが、ここは満員御礼で我々は入れず、もうひとつの大きな茶室で、薄茶席と濃茶席の二席に入った。
夜の記念パーティーまで、時間がある。
もう、これ以上はお茶もいりません。
待合室でだらだらするのも飽きたから、菖蒲でも見に行く?と彼が言うのでふたりで待合室を抜けて行ってみた。

彼というのは私がこのサークルでほぼ唯一なんでも話せる友だちだと思っていたkくんで、学生時代の飲み会でも、他の子たちが先輩たちにお酌してまわったりするのを尻目にひたすら隅っこでいっしょにくだらないおしゃべりをしていた。
そうはいっても彼は稽古に真面目に出ていたし、幹事にもなり、卒業後もしっかりと顔をつないでいる。
アウトローだった私とは、年賀状とたまのネット上でのやりとりしかしていなかった。

今回の茶会は、本当に久しぶりなので、土壇場になって「知らない人ばかりだったら嫌だ、心細い。やっぱり行きたくない」と私がゴネ始め、kくんが「じゃあ待ち合わせしていっしょに行こう。」と言ってくれたのだった。
会うのは15年ぶりくらいだがまったく違和感なく、いっしょに昼ごはんを食べながらバカ話をして和んだ。
明治神宮に着いてからもkくんにずっとひっついていたので、ひとりぼっちになることもなく、昔の仲間や先輩たちともすんなり話せた。
ひとりぼっちの待合い、ひとりぼっちの茶席、ひとりぼっちのパーティー会場、なんて、絶対にイヤでしょう。
学生時代とほとんど変わっていない人もいれば、信じられないくらいに容貌が変わっている人もいて、それを見るのはちょっとおもしろかった。
私も密かにおもしろがられていたのかな?


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まばらな菖蒲の間を歩きながら、べらべらと思っていたことをしゃべる。
仲間と今ひとつ仲よくなりきれなかったこと、稽古で後れを取ることに劣等感を感じていたこと、先輩への敬語使いの厳しさに違和感を覚えていたこと、後輩と話しても、私が話すと後輩は拝聴する態度になってしまって積み上がるものがなく、残念に思っていたこと。
まるで学生というより小さな会社みたいだ、と当時はうんざりしていたこと。
でも、今になるとそれも社会に出てから恥を搔かないためのいいステップだったのかもしれないとも思えること。
「へええ。そんなこと考えてたなんて、思いもしなかったよ。話してみないと、わかんないもんだな。」
kくんはしきりとそう言っていた。


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あつまって咲いているとただ楽しげでかわいらしいだけに見えても……


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ひとつをよく見ると、凄みがあったりするじゃない?

「もし、あのころに後輩や同輩のひとりひとりと深く話していれば、きっとひとりひとりはおもしろい人だったんだろうと思うの。でも自分からあまりそうしようとしていなかったのよね。
だけどkくんにとってはさ、大学時代って、イコールあのサークルって感じじゃないの?ちゃんと顔出して、先輩や先生にもかわいがられてさあ。
あなたの学部はクラスのつながりもあんまりないだろうし、あなたにとっての大学での居場所って、サークルだよね?学生時代、お茶やってました!って感じだよねえ。
私はサークルに帰属意識はないなあ。
私は大学時代、どこに属していたんだろう。
大学時代、なにやってたのかなあ。」

ひとりでしゃべりまくるうちにいつの間にか本殿に来てしまったので、なんとなく手を合わせて、またぶらぶらと戻ってパーティー会場に入った。
来るまでは気が重かったが、みんなに会ったらやっぱりなつかしかった。
現役学生のエールに先導されて、拳を振って校歌を唄ったら、やっぱりとてもなつかしくなった。
20年近く唄っていなくても、すらすらと3番まで歌詞が出るのがおもしろい。
ああ、このサークルにさほどの深い絆はなくても、やはり漠然とでもあの大学には属していたんだなあと思った。

kくんには「また5年後ね」と言って別れた。
5年おきのこの行事に、これからは行ってもいいかな、と。

手を振って別れるときに、そういえば大学1年生でこのサークルに入って初めて稽古に行くとき、ひとりでは心細かった私と駅で待ち合わせをして初めて会って、稽古場まで連れて行ってくれたのがkくんだったなあということを思い出した。

by apakaba | 2009-05-31 22:14 | 思い出話 | Comments(11)
2009年 05月 30日

1990年の春休み.88 ネパール篇

なんと、これを中断してから1年が経っていた。
まだ、完結していなかったのね。

1年前の連載の最後
読んでくれていた人はほんの数人だと思うけど、このままでは自分がキモチワルイので、完結まで書くことにする。
うん。自己満足だけど、いいの。
それからバリのつづきを書く!
というわけで……


<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ネパールのポカラで、ホテルの息子であるダンラジ(団羅辞と当て字をしてみる)に恋する旅の相方ヒロと、醒めた目で見守る私、そして新しくこのホテルに泊まりに来た医学生の真人。
3人で食事をしながら、恋の話をする。


3月7日(つづき)
 私たちは明日の早朝に、ポカラを発つ。せめて最後の夜の思い出にと、団と姉二人をわれわれの部屋に招くことにした。
 ヒロは結局、fade out作戦をとることにしたらしい。それ以外、道はないもんね。
 ケーキをおみやげに買った。ケーキを切る兄ちゃんがやたら私になついてしまい、振り切るのが大変だった。時間がおしていたのである。我々は夜、団とTVを見ることになっていたのだ。

 自転車をぶっとばして帰ると、あと15分でTVは終わるところであった。「早く早く!」とお姉さんたちにせかされた。ケーキを渡したがちっともカンドーしてくれなかった。やけにいそいでいたのだった。私はアップルパイを食べたかったのだが、そんなものはどこかへぶっとんでしまった。

 私ははっきり言ってぜんぜんTVを見る気がなかった。ほとんど団がうっとうしくさへなっていた。何故だろう。団のせい?で、私たち二人の平和、というか、均衡が破られてしまったように感じたからかもしれない。
 ヒロと団のために、ほとんど「奉仕の気持ち」のような気分になっていた。

 TVはアニル・カプール(インドの俳優)はすでに終わり、ホーリーの歌を続けてやっていた。いわゆるMTVってヤツよ。部屋の中はやたらクラかった。そしてお父さんのブリティッシュアーミー時代を思わせる、さまざまなものがあった。
 団は本当にお腹の具合が悪いようだった。

 9時になってTVが終わったので、部屋に帰った。そして団の姉たちを部屋に呼んだ。思い出作りのために、写真を撮ろうという作戦である。
 しかし団はもうまったく生気を失っていた。
 真人はばんばん写真を撮っていた。お姉さんたちは果てしなく何度も何度もくり返し私たちの撮った写真を見ていた。彼女らはとてもいい人たちだから、こっちから言い出さない限りいつまでも同じことをくり返すのである。

 私はそのとき、真人とけっこう親しげに話していた。やはり奴はなかなかにおもしろいのだ。真人は女の子をけっこういい気分にさせるのである。
 一方ヒロは、せっかく団との最後の夜なのに、部屋に人はあふれかえっているし、肝心の団は体調がサイアクなのでもうおしまい、という感じ。
 みんなが夜中に引き上げてから、もういいの、所詮はこうなのよ、これが私と団のカタチなのね、というようなことを言っていた。
 私と真人はなんとなく納得できなかった。でも本人がいいと言ってるんだし、団が端から見ても本当に具合が悪そうなのだ。
 ヒロはこそこそっと団に薬を渡していた。団はすごくびっくりしたようであった。

 真人は尻ポケットに歯ブラシをさしていて、やたらと念入りに磨くのであった。ヒロに、なんだかすまなかったなどと謝っていた。真人は本当にいい奴である。出会って数時間しか経っていないことが信じられない気がする。この人となら、とても仲よくなれるかもしれない、と思った。
 ヒロは、部屋に戻ると、「明日は早起きだから、早く寝よう」などと言って、テキパキと支度をしていた。
 もう私にはなにもいうことなどありませんでした。

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真人撮影。別れる日の早朝、近所にあるジャーマンベーカリーにパンを買いに行こうとしている。


3月8日(金)晴
 とうとうポカラともお別れである。
 ヒロは、ゆうべすでに団とのことを清算したかのように見えたが、やはり気持ちは高揚しているらしく、やたら早くから起き出し、屋上に上がっていった。5:30くらいか。まだまっくらである。
 私も、今日こそは日の出をゆっくり味わいたかったので、ヒロに遅れまじと大急ぎで支度して上がっていった。
 すると、バッドタイミングなことに、団とヒロが睦まじく密会めいた雰囲気で寄り添っていたではないか。私は、だだっと駆け上がったそのままの格好(非常口ポーズ)でUターンしてしまった。
 見なかったことにして降りていこうとしていたのに、団に見つかり、Maki--!と、テレ隠しのためか妙に明るい声で呼び止められた。
 それを無視して立ち去るのも、今さらわざとらしいので、しぶしぶ戻り、これ以上離れられないくらいに二人と離れて、まったく別の方向の景色を楽しむふりをしていた。
 しかし、困ったことにヒマラヤを望む特等席は当然ながら若い二人に取られてしまっており、私はといえば、ゴミ捨て場になっている空き地を眺めやるばかりで、かなり苦しい状況だった。

 二人はしばらく小声で話していたが(内容は現在まで謎)、やがて私のほうへ団が来て、おどけたそぶりで、来年もまた来てね、いつか結婚したらダンナさんとも来てね、といって営業スマイルを見せた。もう腹具合はよくなったようである。
 私も団の笑顔を愛してきたはずなのに、なぜかそのときうまく笑顔を返せなかった。
 ヒロとさんざん話していて、なによしらじらしい、という気持ちがあったのかもしれない。でも、団のことで自分が醜い気持ちになるのも、これが最後だもんね。

 そして団はエクササイズにあっさり行ってしまった。ヒロは妙にボーゼンとしていた。
 私としては、せっかく仲よくなった真人と、もう少し話をしていたかったけれど、カトマンズ行きのバスがもう来てしまった。往復とも飛行機ではお金がかかるし芸がないので、帰りは陸路と決めていたのである。
 バスのステップに足をかけると、真人が見送りに出てきていたので手を振った。
 彼は手を振り返すかわりに私にシャッターを切った。
 この写真を、私は手にすることができるのかな。真人とまた会えるのかな。私は、また会うと思った。
 ずっとつきあう友だちになるような気がした。

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真人撮影。カトマンズ行き長距離バスに乗る直前、手を振ったところ。


 ヒロのほうは、真人などまるっきり眼中にない様子で、バスに乗ってからもぜんぜん口をきかない。きっと団と過ごした日々のメモリーに突入しているのね、と思い、通路の反対側の席に座ってこっちも黙っていた。
 きのう自転車で走った道を進んでいくと、なんと!団が、道ばたに立っていて手を振っていた(らしいのだ)。
 私の席からはまるで見えなかったが、ヒロは、朝日にふちどられた窓を信じがたいすばやさで開け、そこから身をのり出し、髪をなびかせて、JR東海ばりの美しい別れのシーンの主演女優となってしまった。
 「ダンラジ!」と、私に向かって振り向いたときの、あの嬉しそうな輝いた笑顔。
 アタシはその美しさにたじたじとなってしまったよ。
 彼女にとっては、本当に嬉しいハプニングであった。もし私の側のシートにいたら、団がいることに気がつきもしなかったことだろう。さらに、もし私と席を逆にしていて、私だけが最後に団に手を振ってもらっていたら、なんて考えたくもない。彼はまったく、最後の最後まで計算尽くのように上手に登場してくるのであった。

 その直後、ヒロは完全に燃え尽きた様子で眠りこけてしまった。
 緑におおわれた山の中を、ひどいガタガタ道はつづく。舗装はむりとしても、もうちょっと、石をどけるとか穴を埋めるとかできないの?ヒロはよく眠れるものだ。
 私は、座席を左側の最後部に移動した。崖っぷちを走っていて、左側からの眺めが大迫力なのである。
 崖のすぐ下は、青い川がすごい速さで流れている。その激しい流れは、去年カヌーで下った、日本三大急流のひとつ球磨川を思い出させた。

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 バスが左側に傾いたら、というようなことは、いっさい考えないことにして、川の写真を果敢に撮る。
 すっごい震動、なんてもんじゃなく、インド国境越えの最悪バスのときよりももっと、ヤバイほどジャンプする中で、頭をがっつんがっつん窓に打ちながらアタックした。
 胃が口から飛び出そうなほどジャンプする上に、土埃がものすごくて、これまでの旅で最も埃を吸わされた日となった。それに本当にくたびれた。
 フロントガラスにも埃がびっしりついてしまい、このままでは前がぜんぜん見えなくて本格的にあぶない、と思っていたら休憩のときに水をかけて洗っていた。
 私の頭と顔も洗ってもらいたい。

 シートにしがみついて必死でうとうと(というのも変だが)しているうちに、道は舗装道路になり、街なかに入り、夕方の4時にカトマンズに到着した。
 ポカラに較べて、ほんとに都会だ。
 大通りを行き交うたくさんのオートリキシャやタクシーを見て、いよいよ本当にダンラジとは離れたのだ、という感慨を新たにした。
 ポカラにいたのはたった4日間なのに、行く前とあととでは私たちの心のあり方は、決定的にちがってしまっていた。ヒロは美しい恋をして、そして別れた。私は傍観者として、ふてくされたり物見高く見物したり、よき理解者たらんとムリをしたりした。
 旅のなかでもうひとつ夢の旅をし、そしていま現実世界のカトマンズに戻った、というような感じがしてならない。
 なんとなく、しらけた気分で降り立った。

by apakaba | 2009-05-30 00:17 | 1990年の春休み | Comments(6)
2009年 05月 28日

そら豆のごはん

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今夜はこんなごはん。

そら豆を、旬だからといって夫の実家が山ほどくれて、さやごとグリルで真っ黒に焼く焼きそら豆にしたり、ふつうに塩ゆでしたりして食べていたがそれでもなくならないので、そら豆の炊き込みごはんにした。

きびを混ぜて、炊飯器ではなく鍋で炊いてお焦げも作る。
トッピングには、なすとねぎを素揚げにして少し酢を入れたたれにからめた。
他のおかずは、鮭のステーキ塩胡椒味・新玉ねぎを焼いて煮たの・白瓜の梅和え即席漬け・きゅうりのぬか漬け。


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「うーん!こりゃ洒落てるなあ。このごはん、完全に料亭の飲んだあとの仕上げって感じ。銀座の割烹よりよっぽどうまいや。」
夫はつい先日、仕事先との会食で、銀座の割烹に行ったという。
なによりです。
食べる人がいるから作る、いなかったら作らない!こんな面倒なごはん。

by apakaba | 2009-05-28 23:33 | 食べたり飲んだり | Comments(4)
2009年 05月 27日

求める旅・ふさわしい旅

明日から、隣に住む親たちが旅行に行く。
4日間で中国の大連・旅順・藩陽(しんよう)を回るパックツアー。
新型インフルエンザのことなど、なにひとつ気にしていないようだ。
夏には南米を回るのだとか。怖いモノなしだねえ。

ツアー名は「郷愁の大連・旅順・藩陽4日間」というので失笑する。
郷愁とはアハハ。
二〇三高地を見学したりするんだって。
100歳オーバーの軍人でもなければ二〇三高地に「郷愁」なんか感じないでしょ……テキトーなツアー名だな。

夫は
「よく今行くよなあ。検疫とかすごそうなのに。俺なら絶対に嫌だな。苦痛なことはしたくないもん。俺はもう完璧にリゾート志向だから。」
よほど去年のバリが気に入ったようで、長年の自称リゾート嫌いをコロッと宗旨変えして、「また行きたい」としょっちゅうくり返している。

「今年は受験生ふたりだからムリとしても、来年か再来年あたりにまた行けたらな。ダイビングして、プライベートプールでゴロゴロ。うひひ。今度はザ・レギャン(バリの高級リゾートホテル)に泊まりたいな。あー早く行きたいな。」
私は、ふたりでまた海外旅行に行くなどずーっと先だと思っていたので、「来年か再来年」というのにはびっくりした。
私とのふたり旅にステキな夢を思い描いているのね!それは妻としてとてもうれしいことだけれど……!私は、ふたりもいいけど、ひとりでぶらぶらどこかへ行きたいという欲求が、ひどく高まっているのですよ。

夫が邪魔だとか嫌いだとかいうわけではないのよ。
私だって、そりゃザ・レギャンに泊まってダイビングしてエステやってふたりでフラワーバスに入って、なんて幸せに決まってるよ。
でも、昔やっていたように、ひとりで長い日程を好きに使って、その場でチケットを買って夜行バスや夜行列車に乗ったり、知らない人とひとときいっしょに歩いたりまた別れたり、ドミトリーに押し込められて弱ったり、いろんな国の人といろんな言葉でしゃべったりしたいのよ。

もう二度と、できないのかなあ……
だって、自分では気は若いつもりでも、端から見たらリッパに中年だし、おばさんがひとりでうろうろ安宿にいるのはいかにも場違いではないのかな。
最初はうきうきしていても、あるときふと、とてもとても、情けない気持ちに、襲われるような気もする。
というか襲われた経験がある。
7年前にウズベキスタンをひとりでまわっていて、長距離タクシーに乗り、ふと自分の手足を見下ろしたら、あまりの汚らしさにうんざりし、“なんだこの真っ黒の手と足は。高い旅費を払い、好きこのんでこんなふうに汚くなりに来ているのか私は?”とつくづく嫌悪感を覚えたのだ。

昔、長い自由旅行をしていた人たちは、ごく自然に、ザ・レギャンへステップアップし、「郷愁の大連ナントカ」のパックツアーを選ぶようになっていくのか。
そこに、迷いや、悪あがきの気持ちは生まれないのか?
不思議でたまらない。
まあ、年金バックパッカーの星、金井重(かないしげ)さんみたいな偉大な先達もいらっしゃるから、私もその路線かしら。
ふたり旅とひとり旅の間で、悩むねえ。

by apakaba | 2009-05-27 23:32 | 旅行の話 | Comments(8)
2009年 05月 26日

『美しいをさがす旅にでよう』——出版のコンセプトに沿いながら、「らしさ」を出すこと

田中真知さんの新刊を、“国語の教科書とか、中学入試問題や塾のテキストに使われそうな文章だなあ。”という第一印象を抱きながら読み進めていた。
それは、いい印象なんだろうか、よくない印象だったのだろうか。

「真知さんらしさ」を、殺がれている?

私にとっての、文章家としての真知さんの魅力は、一見、平易で、すらすらと誰にでもよどみなく読むことができ、なかんずくその読み手が自惚れ屋であれば“これくらいの文章なら自分にも書けるかもしれない”と思わせることさえ許すが、実は決して市井の凡人には書くことなどかなわない、知性と感性の拮抗する文章を作るところだ。
それ以上に、前作『孤独な鳥はやさしくうたう』の拙レビューにも書いたように、穏やかそうなのにどこかにギラッと刃(やいば)の閃きが見えるような文章を書くところだ。
それが、「らしさ」だと思っていた。
新刊『美しいをさがす旅にでよう』は、そのギラッとした閃きがなかなか出てこない。
読み物として、もちろん十分におもしろいのだけれど、なにかもの足りない。
これはレビューを書くとしたら難しいな……と感じていた。

その一要因は、「ぼく」の不在だ。
真知さんのエッセイでは、エッセイという文章の性格上あたりまえのことかもしれないが、しばしば文中に「ぼく」という語が見られる。
「ぼく」が歩いて、「ぼく」が誰かに出会って、「ぼく」が考え、「ぼく」がとまどい、「ぼく」がヤケクソになり、「ぼく」が立ち止まり振り返る。
全編に遍在する「ぼく」の目で読者はひとつの居場所を得る。
こんなふうにはとても書けないけれど、読むことでひととき、田中真知になれる。
そういう読み方を、自然と長年のファンはしてきたはずだ。
対するこの新刊では、前書き以降、「ぼく」という語が各章の中にほとんど出てこない。
私の記憶ではわずか2箇所くらいだ。
だからこの本は、すぐれて解説的・教科書的であり、「真知さんらしさ」を追い求めるタイプの本ではないのかもしれない。
と、思ったのだが……

この『美しいをさがす旅にでよう』は、白水社で次々と刊行している「地球のカタチ」シリーズのなかの一冊として上梓された。
「地球のカタチ」シリーズというのは、世界のさまざまな事象や文化などを、固定概念にとらわれずにもう一度新しい視点から見直していくヒントをくれる著作物のシリーズである。
執筆陣は森枝卓士氏や小松義夫氏などをはじめ、世界を自分の足で歩き、それぞれの分野を突き詰めていった面々のようである。
では、真知さんの“分野”が、「美しい」ということだったのか。
持ち前の博識と、旅で得た実体験と、豊富な資料写真と参考文献から展開されていく、「この世界で『美しい』と感じられるものの多様さ」の紹介は、知っていたこともあり、知らなかったこともあり、この「地球のカタチ」シリーズのコンセプトにぴったりと沿っていて、なるほど彼が「美しい」の分野を担当したのも必然だとうなずけた。

内容に関しては、ご自分で調べるか読んでいただくとして、この本は大きく4章に分かれている。
その各章の末尾に、各章の本編とリンクしているようなしていないようなコラムが配されている。
おもしろいのだが若干のもの足りなさを覚えながら進んできた私は、このコラムに行き当たってようやく、「あ、真知さんが書いている!真知さんが出てきた!」と実感したのだった。
コラムの中には、「ぼく」の語があふれ、歩き、とまどい、考え込むいつもの真知さんが活き活きと動いていた。
それがわかってから読み進めて読了してみて初めて、そうだったのか、とわかった。
この本は、解説的な本文と、「ぼく」のエッセイを対置させることでリズムを生み、一冊全体で「真知さんらしさ」を完成させていたのだ。
知性と感性の拮抗。
とっくに知っていたはずなのに。

コラムに行き着いてからあらためて各章の本文を読み直してみると、博識ではあるけれど専門の研究者というわけでもなく、やはり大きな知性を持ったタビビトとして存在する真知さんのスタンスがよく見える。
私は焦りすぎていた。
早く、“水の底に沈んだ大事な鍵(『孤独な鳥はやさしくうたう』レビューで使ったたとえ)”を見つけたくて。

私のように焦らずに、美しさを発見する旅にいざなわれるまま、じっくりと各章の本文もコラムも味わってほしい。
真知さんの文章は美しい。
ひらがな表記を多用する独特の文体は、日頃の基準に照らして「これは果たして美しいといえるのかなあ?」と首をかしげるような「美しいもの」の解説をしているときでさえ、たおやかでディーセントだ。
え、ひらがな多用ってなんのことだかピンと来ない?
だってたとえば本のタイトルから見てよ。
『美しいを探す旅に出よう』ではなく、『美しいをさがす旅にでよう』。
『孤独な鳥は優しく歌う』ではなく、『孤独な鳥はやさしくうたう』。
目に触れたときの感じが、まったく変わるでしょう?

真知さんにとって、「探す」は念頭にはなく、「さがす」でなければならなかった。
「出よう」ではダメで、「でよう」としるさなければならなかった。
それはきっと、彼の選択した美しさ。
コンピュータで自動的に変換されるのに任せず、自分で美しいと思える言葉を選び、美しいと感じた表記で文章を書こうという気概を、感じ取れる。

さまざまな美しさに敏感な人間でありたいと思う。

by apakaba | 2009-05-26 00:04 | 文芸・文学・言語 | Comments(4)
2009年 05月 23日

日本科学未来館を満たすキヨシローの声 sanpo

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出かけるとき、つねにカメラを忘れてしまう私。
今日も忘れて、やむなく携帯撮影。

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日本科学未来館へ行ってきた。
お化け屋敷で科学する!—恐怖の研究という企画展がおもしろそうだったのと、もうひとつ、どうしても行きたい企画展があったため。
「コシヒカリ」と、女の子の友だちふたりを連れて行った。

今年6年生の「コシヒカリ」は、中学生になれば土日も部活や勉強の予定が入るようになるだろう。
こういう場所に親が連れて行く機会も、ぐっと減るだろう。
いつも仲よくしている友だちとも、おそらく中学進学では別れるだろう。
土曜はたいていほったらかしでいることだし、たまには遊びに連れて行こうと思った。
あと、私も近所への買い物以外の運転もしたいしね。
レインボーブリッジを飛ばしましょう。

子供を乗せているといっても、子供の好きそうな音楽なんかかけない。
往きはドナルド・フェイゲン、帰りはトリスタン・プリティマン。

【お化け屋敷で科学する】は、やや期待はずれだった。
体感コーナーはまあまあだが、展示コーナーは手書きの黒板を並べただけの、ほとんど文化祭ノリ。

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素人っぽさが親しみやすさという狙いなのかもしれないとはいえ、もう少しハイレベルなものを期待していた。
数年ぶりに科学未来館に来たが、以前とは少し雰囲気が変わっていた。
以前はとてもおいしかった7階のレストランの味がガタ落ちして、よくあるただの「博物館とかに併設されている、オイシクナイレストラン」になっていた。
このレストランには、好印象を持っていただけにがっかりした。
お台場の独特な風景を臨むにはいいけれど、食べるなら5階のカフェのほうがよかったかなあ。

開催中の企画展のひとつ、ターミネーター展〜戦うか、共に生きるか?ロボットとボクらの未来〜は、単に新作映画「ターミネーター4」の公開に先駆けての企画だと思いたいして期待していなかったが、映画制作現場の込み入った解説つきで見ごたえがあった。
タイアップ企画ということを差し引いても、映画ファンはそれなりに興奮する。

新作も気にはなるけれど、私の世代にはやっぱりこれ……

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「サラ・コナーはいるか?」

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「I'll be back. 」

悪の魅力にあふれている。
一作目の、ただただ強くてコワカッタT1。
薄暗い照明の中でコイツと向き合うと、動かないのにゾクッとする。

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女の子3人で、一日中キャーキャーとじゃれ合っている。
小学校最後の1年。
楽しい一日になっているかな?
朝から夕方までたっぷり時間をとって、お土産コーナーも好きなだけ吟味させて、体験コーナーでは私はコーヒーを飲んで文庫本を読んで、子供だけでゆっくり遊ばせた。
来年はバラバラになってしまうかもしれない3人に、できるだけ思い出を作ってあげることにはやぶさかではない……のだけど……

あと一個の企画展だけは、おばさんのわがままにつきあってくれ。

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それはこれです。
2007年にここで開催されていた全天周映画アースストーリー〜恐竜の進化とヒトの未来〜を、もう一度観たかったから。

キヨシローがナレーションとエンディングテーマ曲を担当している。
故人を偲んでの、二週間だけの再上映なのだ。
ポスターにある「忌野清志郎さんを偲ぶ」という文字を見ただけで、すでに口の中で、舌が喉にひくっとひっついてしまう。

前に観たとき、キヨシローのナレーションが深く心に残った。
ナレーターというものは、あくまで流ちょうに聞き手に向かって話しかけ、内容を理解させるのが仕事だ。
ところがこの映画でのキヨシローのナレーションは、今にもつっかえそうなのだがなぜかつっかえず、まるで両手を広げてバランスを取って、細い塀の上でも歩いているかのような語り、それなのにすとんすとんと胸に言葉が落ちて、いい場所に納まっていく。
ああこの人は、聞き手に理解させようとして語っているのではなく、まず自分に向けてしゃべっているのだなあ……ということを感じた。
「恐竜は、どこへ消えてしまったのだろう。」は、彼自身の胸へ向けてのつぶやきとして発せられ、「そうです。恐竜は、鳥に姿を変え、この地球に生き残ったのです。」というちょっぴり明るい語りは、彼自身の中での発見の喜びとして発せられる。
こんなナレーションは初めて聞いた。
そのとき連れて行ったうちの子供も、「あの声、よかったー。」と話していた。

それは咽頭癌の告知を受けて、すべての音楽活動を休止していたときの仕事だった。
だからこその、あの深みだったのか……着席して3Dメガネをかける前からすでに涙が出てくる。
子供たちの前で涙を流しているのはいくらなんでも奇異だろうから必死でこらえながら、また映画を観て、会場にあふれるキヨシローの声を聴いた。

この子たちは、今日のことを忘れちゃうかな。
覚えているかな。
この声を、(2回観た「コシヒカリ」以外は)覚えてはいないだろうなあ。
でも、こういうところって、大人だけではなかなか来ない。
今日のお出かけは、子供へのサービスでもあるが、私がドライブして、今いちどキヨシローの語りを聴きたかったからというのもある。
来ることができてよかった。
お化け屋敷の企画展は今ひとつだったしレストランは味が落ちたしターミネーター展はタイアップ臭芬々としていたけれど、この再上映をやってくれただけで、科学未来館にありがとうと言いたい!
そしてここを再訪する口実となってくれた子供たちよありがとう。

by apakaba | 2009-05-23 23:51 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(8)
2009年 05月 22日

膀胱炎の憂鬱・待合室の興奮

初めて膀胱炎になってしまった。

おしっこをするのが痛い。
ここ数日でだんだん痛みが強くなってきて、無意識に「イダダダ」と口に出るほど痛い。
夜に寝ていても、一度はトイレに起きてしまう。
自然治癒を期待してしばらく気がつかないふりをしていたが、残尿感もあるしお腹が痛くなってきたので、あきらめて泌尿器科へ行った。

泌尿器科に行くのも初めてなので、どこにあるのかわからずネット検索で調べていると、「泌尿器科というと男性が行くというイメージが強く、実際に患者の7割が男性」などと書いてあるので、気が重くなった。
近くの病院は皮膚科が併設されていたが、やはり男性のほうがたくさんいた。

おしっこを我慢しすぎると膀胱炎になる、とはよくいわれているが必ずしもそういうことでもないらしい。
疲れやストレスなどによる免疫力の低下でかかってしまうのだと。
そう言われてもねえ。
疲れやストレスのない大人なんていないのに、どうして私はこういうつまらない病気になるんだろう?
自分の体の弱さにはほとほとうんざりするわ。

注意書きには、
・尿はがまんしないで出しましょう
・からだ、ことに下腹部を冷やさないようにしましょう
・セックスは治るまでさけましょう
・便秘をしないように
・わさび、からし、こしょうのような刺激物とお酒類はやめてください
・水分(お茶など)はできるだけ沢山とってください

などなど、こと細かく書いてある。
つまりおとなしく禁欲的に暮らしていろということね。
痛いから排尿するのが憂鬱だが、おしっこは出れば出るほどいいらしいので、ハーブティーなどをがぶ飲みしている。
ほんとにまったくよ〜〜〜〜。

ところで、処方箋薬局で薬の順番を待っていると、おばさんというよりややおばあさん寄りというくらいの年配の人が、息を切らして飛び込んできた。
「ばんそうこうあるかしら!肌にやさしいの!」
と言う。
私の隣に座っていた、これも年輩の方と顔見知りらしく、「あら!」と言って、その人を相手に、絆創膏を買いに来た理由を話し始めた。

「風邪予防にね。絆創膏を、口に縦に貼って寝るといいんですって!寝ている間に、口が開かないように閉じちゃうの!
人間、寝ている間にどうしても口が開いてるんですって、そうするとそこから風邪の菌が入るから。
私ためしに二日間やってみたのよ。そしたら翌朝、とっても口の中がさわやかなの!
とてもいいわよ!
でも絆創膏が強くてかぶれそうだから、弱いのを買いに来たのよー。」

いろんな風邪予防があるのだなあ。
そのおばあさんが、絆創膏で口をふさぎ、すやすやと眠っている顔を想像した。
私は……もしもひとり暮らしだったらやってみるかもしれない。
でも夫にその寝顔を見られるのは、少し恥ずかしい。
だからいいや私は。
とか、心の中で会話に参加していた。

先日、「ササニシキ」は足の湿疹で皮膚科へ行って、待合室で患者のおばさんがすごいことを言っているのを聞いたという。
「新型インフルエンザでどこへ行ってもマスクが売り切れだから、ブラジャーを使って自分で作ったの!」
……ブラジャーじゃなくてガーゼでも縫って作ればいいでしょ……どうせ気休めなんだから……高校生の男の子がいる前でそれを大声で語るおばさん。

病院や薬局の待合室は本当にエキサイティングだ。
ふだん、自分が会う人とは決してしない会話がくり広げられている。
まあいいや。
一週間、飲み薬で治療して、また来週、経過を見せに行かねば。

by apakaba | 2009-05-22 20:16 | 健康・病気 | Comments(16)
2009年 05月 19日

娘との手紙の交換

2007年1月に、「コシヒカリ」の道徳の授業に使うため、「○○さんが生まれた日」という題の手紙を書かされた。
そのときの話は、子供に宛てる手紙・ふたたびとして書いた。

先日、またも小学校から「子供に宛てる手紙」を書け、と。
同じ人間がそんなにちがう内容なんか書けないよ。
困ってしまい、前回とほぼ同じようなことを書いた。


「コシヒカリ」さんは背が伸びて、もう少ししたら私を追い越しそうです。
もうそろそろ抱っこできないのがさびしいです。
自分より大きい人を抱っこするのはおかしいし、そうしたら私にはもうコーシロー(犬)しか残っていません。
でもコーシローは私の生んだ子供ではないので、代わりというわけにもいきませんね。
あとは「コシヒカリ」さんの生んだ子に期待するしかありません。
よろしくお願いします。


トカナントカ。
現物がないので忘れたがこんなような内容。
前よりすっとぼけてみた。

「コシヒカリ」から返事が返ってきた。
それも授業で書かされているので、まあ、授業を媒介してやりとりしているわけだ。


お母さんの三谷眞紀さんへ
手紙を読んで、まず感動しました。それから笑いました。なぜなら、前と書いていることが同じで、幸四郎のことが加わっただけだったからです。
最初は、(書くことが思いつかなかったのかな?二行もあまってるし…。)と思いました。あとで、すごく失礼なことを思ったと思いました。
でも、同じようなことを書いたのは、前も、今も、まったく同じ気持ちだったんだな、と思いました。
私も同じことを書きますが、テレビや本で、親の大切さは知っているけれど、やっぱりあらためてこの手紙を読んで親の大切さがわかった気がします。それと、幸四郎のことは、わが子のように、私のかわりに、しっかりかわいがってください。私は、中学生になってもお母さんの最後の宝物です。いままでありがとうございます。これからもよろしくおねがいします。


なんか、道徳っぽいわね……と思いながらもありがたく読んだ。
今日、「コシヒカリ」の部屋に物を取りに行くと、
「おかーさん、わたしの手紙読んでくれた?」
と聞くので、
「読んだよ。ありがとう!」
とぎゅーぎゅー抱きしめると、
「ぐええ。あのー前のときのわたしからの返事は読んだんだっけ?」
と言う。
「前のときのは、読んでないよ?」
「あれ、そうなの、そのまましまっちゃったのか。待ってて……あれ、ないなあ。えーとえーと。あ!わかった!わたしの一番大切な物をしまうとこにしまってあるんだった。」
机の奥底の二重底みたいになっているところから、手紙を取り出す。
2007年1月に書いた返事を、私に見せないままになっていたのだった。
「ついでにこれも読んで。」


はいけい 母へ
この家に生まれて来てとてもよかったです。
お母さんにおこられてお母さんなんて大きらい!と思っても次の日になると、とっくになかなおりをしてきのうの事なんてすっかりわすれてしまうのはなぜだろう?と思って、それほどお母さんは大切なのかと思いました。
テレビや本などで、親の大切さは知っているけれど、やっぱり自分の親の方がとっても大切なのを知りました。
私も、いつかは大人になって子どもを生みます。
わたしも、お母さんの様に体は小さくても心のきれいな大人になりたいです。
とてもやさしい手紙をありがとうございました。
けいぐ大好きなお母さん♥


同じやりとりをしているのね。
とはいえ、2007年1月の手紙は、幼い分、道徳っぽさがなく真実味があってかわいい。
なによりも、その交換した手紙を、「わたしの一番大切な物リストに入っているんだ。」というのがうれしかった。
学校の授業でお互い“やらされて”いることなのだが、子供にとってはそんなに大切な物なのか。
今さら遅いが、知っていたら、もう少し、誠実に書けばよかった。

by apakaba | 2009-05-19 22:04 | 子供 | Comments(5)
2009年 05月 17日

12歳の文学賞、知ってる?

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「コシヒカリ」が、小説を書くのに熱中している。
「コシヒカリ」だけでなく、周りの女の子たちも夢中だ。
ここ10日間くらいは、毎日、電話でやりとりして、取らぬ狸の皮算用をくり返す。
小学館の主催する「12歳の文学賞(公式サイト)」にみんなで応募するのだという。

娘に聞くまで私はその賞の存在を知らなかったのだが、現在応募受付中の回ですでに4回目となっており、審査員たちも超有名人だし、文部科学省や日本国語教育学会なども後援しているとか。
入賞すると、子供たちの憧れのあさのあつこ氏から講評をいただけるとのことで、娘はすでにうっとり。
賞品の「図書券10万円分」よりも興奮するごほうびのようだ。

先日、書き上げたという作品を「読んで」と持ってきた。
『ちっぽけである』というタイトルには、“オッ?”と興味を惹かれた。
才気のあるタイトルのつけかただなと思った。
応募総数2000点の中で、ひねったタイトルは大事だもんね。
でも、内容はたいしたことなかった。
これでは入賞はとうていムリでしょう。

連日、娘や娘の友だちの子たちがあまりにも応募に熱中しているので(今日も「小説を書く!」と言って友だちの家に集まった)、私も公式サイトを見てみて、受賞者たちのブログなど、サイトに掲載されている文章を読んでみた。

ぜ〜んぜん、レベルがちがいまーす。
段違い平行棒でーす。
大人並みじゃん。というより、バカ丸出しの成人ブロガーたちより、よほど文章がうまいじゃないか。
それこそ、バカみたいな流行り言葉や短縮語など使っていないし(絵文字や顔文字などあるはずがないし)、読みやすくて、書くことに誠実な文章だ。
“大人並み”なんていう表現は彼らに失礼でしたね!
ごめんなさい!
これは誰が指導しているんだろう?
親?学校の先生?
通信教育で小説の講座でも受講しているのかな?
ふだん、どんな文章を読み、書く訓練を積んでいるのだろう。

いずれにせよ、作文に毛の生えたようなわが娘の応募作品など、なにがあっても絶対に入賞などするはずがないことを確信した。
でもやる気になっているからいいや。
夢を抱くことって大切だもの。
私も昔は、自分の文章を世に出せたらいいななんて思っていたから、チャレンジしようとしている娘の気持ちはわかる。

それにしても、小学館はうまいところに目をつけたものだと感心する。
青田買いもいいところだ。
新しい分野だよねえ。
小学生から発掘とは……これに応募したいと子供が言ったら、反対する親はまずいないだろうし。
目端の利く人間がいたってことだなあ。

by apakaba | 2009-05-17 18:52 | 子供 | Comments(6)
2009年 05月 15日

音楽は、音を大きくしてこそ

先日、忘れえぬロシア 国立トレチャコフ美術館展の記事を書いたところ、コメント欄で【絵を見るときの適正な距離】という話が出た。
そこから、先月の美容師さんとの会話を思い出した(その日のことは髪型を変えに行く(そしてその道中の音楽)に書きました)。

道楽者の美容師さんは、音楽ももちろん好きで、若いころはおきまりのエレキギターかき鳴らし青少年(1960年生まれなので大体そんな調子でしょう)だった。
私は彼よりはやや遅く生まれたが、彼と同い年の姉もいるし、自分自身もクラシックロック・ハードロック・ヘヴィメタルなどをよく聴いていたので、彼がどんな感じの青少年だったのかは容易に想像がつく。
音楽の話題になり、
「眞紀ちゃん、アンダーワールドは聴く?」
と尋ねるので、
「ああ、(ほんとはあまりよく知らないけど知ったかぶって)大音量……が合うよね。」
と言ったら、その短いリアクションがばっちりツボにはまったらしく、
「そうそう!そうなんだよね!」
と喜ぶ。

そこで【絵を見るときの適正な距離】との連想が出てくるわけだが、私は
「音楽って、その音楽にふさわしい、適正な音量があるでしょう?ボリューム小さめに流して心地よい音楽もあるけど、思いきり大音量で聴いて初めてよさがわかる音楽もありますよね。」
と言った。
元バンド青少年だった彼はうれしがって
「そうそう!オーディオでも、サラウンド効かせて『あ〜、いい感じ〜』という音楽もたしかにあるけど、やっぱり、大音量で、心臓や肺にどん、どん、ずん、ずん、と響くようなよさってあるよね。体の芯にくるっていうか。それが快感だよね。
ボクの若いころは、オーディオはつねにMAXで、音量調整なんかナシ。スイッチ入れたらすでにフルボリューム。そんな感じでしたよ。」
「アハハ!男らしいな!若いからできるんで今じゃ近所迷惑とか考えるもんね。
だからクルマの中だけが好きな音量で聴ける場所だけど……あまり大音量なのは、ちょっと危ないですからねえ。」
「そうそう、救急車、どっちから来るんだ?って感じで。しょっちゅうミラーで確認だね……ああ、眞紀ちゃんと音楽の話をしてると楽しいなあ!」
まあ、昭和の女なんで。

「でも、今の子は音楽も我々のころみたいに音量MAXなんてやってないですよ。そういう、大音量に堪えるレベルの音楽が新しく作られていないせいだというのもあると思うけど。」
と私が言うと、
「へえ?そうなの?」
と不思議がる。

私の知る限りの印象でしかないが、少なくとも私の子供たちは、音楽をとても小さい音で聴いている。
私からすると、もの足りないを通り越してイライラしてくる。
こんなちっこくて歌詞もわからないような音楽じゃ、かけてる意味がないじゃん?!
子供たちからすると、私の聴いている音量は常識外れに大きくて、耳も頭も痛くなるらしい。
いつも「おかーさん!うるさいよ!」と怒られる。
昔取った杵柄というか、どこが杵柄なのかわからないが、昔に大音量で聴いていたから、大音量に対する耐性がついているのである。
食事をするときには会話の邪魔にならないようにボリュームを絞るけれど、ふだんはできるだけ大きい音がいい。

音を大きくしてこそ感じる、ボーカルや楽器の微妙な表現力を、逃したくない。
それはなにも、ハードなロックばかりの話ではない。
TOTOの『Africa』のイントロに「ハッハッハッハ」という男の笑い声が入っているのは、並みのボリュームでは聴き取れない。
ZEPの『Stairway To Heaven』の、何度もくり返されるOoh, it makes me wonder……直前のギターは、大音量で聴いてこそ、少しずつ重い扉が開いて光が差し込んでくるような情景を思い浮かべられる。
キース・ジャレットの『Koln Concert』にところどころ挿入されている、キース・ジャレット自身の声は、ピアノと自らの肉体とのしのぎを削る掛け合いだ。
グレン・グールドの鼻歌とキーキー軋む椅子の音、独特のお釣りが跳ねっ返ってくるようなピアノの音色も、小さい音では楽しめない。

子供たちは、音楽のこういう楽しみを知らない。
つまんない世代だよと思う。
もちろん、「おかーさんは近所迷惑・運転中は危険・イヤホンだと難聴予備軍」という子供たちの意見のほうが全面的に正論なのだが。

by apakaba | 2009-05-15 18:35 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(16)