あぱかば・ブログ篇

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2009年 09月 30日

広島・岡山旅行その2 観光地!厳島神社

その1 神の島へのつづき。

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満潮時には舟で近くまで漕いでいって遊覧することができる。
青空と青い海に、朱赤の鳥居は似合う。
朱い鳥居は日本人なら数えきれないほど見ているはずだが、海の青といっしょになると、神格も一段と上がるように思える。

長いので、つづきはこちらへ

by apakaba | 2009-09-30 15:14 | 国内旅行 | Comments(8)
2009年 09月 29日

Little fats & Swingin' hot shot partyを知っているか?

吉祥寺へ買い物に行き、井の頭公園のそばのカレー屋に入る。
ずっと、低くBGMがかかっている。
私は、食事中に日本語の歌詞がついた音楽がかかっている店というのが好きではない。
座って本を読んでいるのに日本語の歌詞が耳から入ってくると、気が散るからである。
今日も、あれ、日本語だなあ、いやだなあ、と座りながら反射的に思った。
しかし、今日の歌は不思議と耳にすいすいと入ってきて、ちっとも不快ではない。
音量が低いのでよく聴き取れないが、ママの自慢のソースがあれば食べられないものはない……とか、あのコとふたりで寝るには(このベッドは)せますぎる……とか、日本語の歌詞でにぎやかなジャズを唄っていた。
この店の名物である、牛すじと揚げ野菜のカレーを食べながら、サラリーマンの一団のおしゃべりにかき消されそうな低い音量に、いつの間にか耳を澄ます。

「潮風のような声だ」と、ひとりでに頭に浮かんだフレーズに、自分で“あっ”と声を上げそうになった。
この声は、もしかしたら、ずーっと前に井の頭公園で路上表現(ストリートパフォーマンス)をしていたバンドの人ではないのか?
アマチュアバンドじゃなかったのか?
ここは公園のすぐそばだから、地元出身パフォーマー応援のつもりで、この店でかけているのかな?
でも本当にあの人だろうか。
音楽のスタイルはそれっぽいと感じたけれど、なにしろ彼らの演奏を、かれこれ10年ちかく前にたまたま一度聴いただけだから、自信がない。
でも……似ている。
あの人の声を、あの最後に唄った歌を、今でもたまに思い出すことがあるから。

彼らのことを、井の頭公園の“路上表現”で思い出すことなどと題して3年前に書いている。
そこでボーカルの人のことを、こうつづっている。

リーダーはボーカル兼トランペットの、タンクのような体つきの男の人で、彼の声は風に乗ってきた潮の香りのようだった。

そのとき唄った最後の歌というのは、On the sunny side of the streetだった。

最後の曲のとき、彼がこう語った。
この曲は僕が一番好きな、ジャズのスタンダードです。
On the sunny side of the street——つらい日があっても、道を歩くときは陽のあたるほうを歩いていこうというすばらしい詞です。
僕たちも、音楽をやっている人生という道の、陽のあたる側を歩いていきたいと思っています。

ルイ・アームストロングほどしょっぱい声ではないけれど……両足を開いてがっちり地面につけ、胸を張って唄っていた、タンクのような、クジラのような体躯の彼の声は、そろそろ傾いてきた冬晴れのひだまりに流れていった。
歌が終わり、人垣が崩れていって、私も帰途についた。
最後の曲がずっと頭に残っていた。
あれからもう5年くらいたっているが、今でもたまにあの曲と、リーダーのあの人の姿を思い出す。
冬晴れの公園に流れる潮風のような声を思い出す。


あの歌さえ聴けば、あの人だという確信が持てるのに。
まあ無理だけど。
ずっとBGMとしてかかっているのに、まさかあの歌がこのタイミングでぴたりとかかるはずがない。
気になるなあー。
あの人なんだろうか?

次の瞬間に、私は胸がいっぱいになって涙が出そうになる。
まさしくOn the sunny side of the streetの、陽気さとちょっぴりの哀愁が混じり合ったトランペットが流れてきた!
やっぱり彼だった!
ずうっと前に井の頭公園で語っていた言葉どおり、“僕の一番好きな歌”を、アルバムに入れたんだな。
声と演奏もよかったけれど、あのMCで、長く私の記憶に残ることになったのだ。

レジで、思いきって店員さんたちに、
「あのーこの音楽は、なんという人たちの演奏ですか?もしかしたら、井の頭公園で昔、聴いたことがある人かなと思ったので。」
と尋ねてみた。
そっけなかった若い店員さんたちは、きゅうにふつうの女の子の顔にもどって、
「えっ。ええとー、ええとー、リトルファッツアンドなんとかっていう……すみませんはっきりわからないんですけど、店長が気に入っていて、かけているんです。そういえば昔、井の頭公園で路上(表現)やってたって聞いたことがありますー。」
と答えてくれた。

帰宅してから検索してみたら、Little fats & Swingin' hot shot partyという名前のバンドであることがわかった。



活躍していたんだな。
一度しか見かけたことのない人たちだし、この先、井の頭公園で会うこともないとは思うけれど、何年たっても心にくり返し甦ってくる声と語り。
やっぱり、そういう人が、売れていくのだなあ。

by apakaba | 2009-09-29 15:38 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(8)
2009年 09月 26日

広島・岡山旅行その1 神の島へ

昨夏のバリ旅行記はおろか、昔の卒業旅行記も完結していないのに、また始めるのか旅行記。
でも、飽きっぽい性格だから早めに始めないと始めないままでやめてしまいそう。
というわけで、集中連載で先日の広島・岡山旅行を書いてみます!
(ちゃんと完結させます!そのあと他のも完結していくハズ!)

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山陽本線の宮島口駅まで乗り合わせた子供の帽子を見たとき、その日初めて「東京とちがう。」と強く感じた。

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東京でこの帽子をかぶっている子供を、今まで見たことがないな。
少し胸が高鳴る。
キミはもう、できたばかりのカッコイイMAZDA ZOOM-ZOOMスタジアムには応援に行ったの?
私は初めての広島だから、新スタジアムまではまわれそうにないよ。
なにはともあれ、昔からずーっと行きたいと思ってきた、厳島神社に行かなくちゃね!
食べたいものもたくさんあるし。
キミには牡蠣はめずらしくもないのかな。
私はやっぱり、安芸の宮島で名物の牡蠣を食べてみたいなあ。

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まるで香港のスターフェリーそのものだ。
宮島口駅から徒歩3分の桟橋からフェリーに乗れば、10分間、「170円の豪華な航海」だ。
海といえば太平洋のだだっ広く広がる海しか思い浮かばない、横浜・鎌倉育ちの私にとって、小島が点在する海はそれだけで無性にロマンを感じてしまう。
あそこは人が住んでいるのかなあ。
あそこはずいぶん岸壁が切り立っているけど海水浴なんかできないのかな?
あそこまでなら泳いで渡れるかなあ。
あそこにはどんな鳥とか動物がいるだろう?
島々を見ると、いつもこんな子供のようなことが頭に浮かんでは消える。

みじかい日程しかとれなくても、できるだけ日常から遠ざかって、いつもとぜんぜんちがう風景を見たいと思っていた。
それも、再訪ではなくて初めて行く都道府県。
歴史が深く、信仰をあつめているところ。
おいしいものがいっぱいありそうなところ。
自然と人工物が両方とも充実しているところ。
いくつかあった候補地がしぼられて広島が残り、最後には、長年のあこがれの、海に屹立する鳥居の姿にイメージが収斂されて、行き先が決定した。

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キラキラと輝く水面からそびえている大鳥居が、だんだんとフェリーから見えてきたときの心持ちは、これまで訪れた、世界のいろいろな場所で出会ったものたちを見たときの感激に少しもひけをとらないものであった。
ああ、これこそは日本が世界に誇る勇姿だ!

しかし……なんだか、想像していたより、鳥居の丈が、短くないか?

10時35分に、宮島へ上陸した。
どこからともなく聞こえてくる放送が耳に入る。
「本日の満潮時刻は、10時35分……」
丈が短いと感じたのは当たり前で、まさに今が、もっとも鳥居の短く見える時刻だったのである。

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島そのものが「神の島」として、古来から畏れられてきた霊気あふれる場所……であるのは予備知識としても、下船してみれば迎えてくれるのは、縁日のような屋台。
快晴の空の下に原色が映えるけれど、目にしたところでとくに食べたくはない。
このまま一気に、厳島神社の境内をまわってしまおうか。

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あこがれの地に降りたって、見学を最優先しようとしていた決意はあっけなく崩れた。
目で追えないほど高速回転しているこのちくわのようなものは、なに?

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牡蠣と並んでこの地の名産である「あなご」の蒲焼きを練り込んだ、「あなごちくわ」であった。
焼きたてを1本買ってみる。
新鮮な練り物の焼きたて、おいしくないわけがありません。

それではいよいよ厳島神社へ……と、海沿いの道から表参道へ入ってみるが、神社へ近づくにつれ観光客の数がどんどん増してくる。
この人出では、見学にも時間がかかりそうだ。
天気に恵まれた連休スタートの日にふさわしい、ものすごい人の数である。
正直におひるどきに食事をしようとしたら、まず食いっぱぐれるだろう。
つい先ほどあなごちくわを食べたことは、もうなかったことにして、あなごめしの店へ飛び込んだ。

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まだ11時前なので空席が目立つ。
しかし、空席が目立つのは、時間帯以上に、この店のあなごめしが割高だったからだとあとでわかった。

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だって載っているあなごの数が少ないんだもん。
あなごめしといえば、あなごの蒲焼きがもっともっとびっしりと、下のごはんが見えなくなるくらいに規則正しく配列されているものと思っていた。
あなごがまばら、そして値段が高い。
もっといっぱい食べたかった。
あなごにやや心が残るが、まだ食べたいものはたくさんあるので、この店はこれくらいにしておこう。
外へ出ると、他のあなごめしの人気店はすでに満席になり始めているようだった。

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鹿は6000年も前から宮島に生息していたという。
鹿からすれば、神が宿る島と決めて神社を建てたりした人間のほうがよほど新参者にあたるというわけだ。

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草や苔を口にしている鹿を見て、「おおっ、あの鹿、野生!野生!」と無邪気に喜ぶ若者がいたが、宮島の鹿はもともと誰も飼っていない。
人がエサをやったり、勝手に残飯をあさっているだけだ。
元来は、海に建つ厳島神社の背にそびえる、原始林に覆われた山「弥山(みせん)」に、鹿は生息しているのである。
弥山にも登るつもりだ。
でもその前に、なにを措いても厳島神社だ。

その2へつづく)

by apakaba | 2009-09-26 23:05 | 国内旅行 | Comments(8)
2009年 09月 25日

いまだ連休中

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夫が日曜と月曜に休日出勤をしていたので、代休として今日まで連休。
よく出かけたなー。
つまらない日記になるけど、この連休をだーっとふりかえってみよう。

19日(土)
夜から広島へ向け出発。

20日(日)
広島。

21日(月)
広島から岡山をまわって帰宅。
(明日から旅行記始めます)

22日(火)
朝食をごちそうすると言ってクルマで渋谷へ。そのまま渋谷をぶらぶら。
(ここまでは先日書きました)

23日(水)
朝から夫の実家へ。
義父母がドイツ旅行から帰ってきたので、お土産を受け取る。
リースリングのワイン2本。とても甘い。冷やして、食後に合う。
あとはドライフルーツやシュトーレンなど。
実家から、「コシヒカリ」の洋服を買いに池袋へ移動。

夜、ちょうどごはんにしようとしたときに、近所の飲み友だちから“今から来い”メール。
食事と片づけを終わらせてからいつものたまり場へGO!
でも食直後だったためほとんど食べず、ボトルキープの焼酎を一杯飲んだだけ。
カラオケへ移動、午前2時。

24日(木)
まだ夫が休みなので、午前中にいっしょに買い物に行き、午後から銀座へ。
歌舞伎座、夜の部鑑賞。
どこかで飲んで帰るか!と張り切っていたのに、「やっぱり家で飲みたい」と言い出し、ドイツワインをあける。

25日(金)
まだまだ夫が休みなので、いっしょに都庁へ行き、運転免許証更新。
更新手続きに人といっしょに行ったのは初めてだ。
夫の誕生日は来月で、更新の年がちょうど重なった。
次回こそはゴールド免許をねらいたい!

昼食に、近所にできたオシャレな蕎麦屋へ。
初めて入る店ではたいてい正統的なメニューを選ぶのだが、今日はなぜか「トマトそば」という変化球にチャレンジしてみる。
とてもおいしい!驚いたわ。



今日は私の誕生日。
あさっての日曜に、「アキタコマチ」と私の「9月生まれさんの誕生会」をしようとしたら、
「お祭りに行くから夕飯いらないから。」
とあっさり「アキタコマチ」に断られ、けっこうガックリ。
子供たちは、3人とも私の誕生日を忘れている。
ちょっと前まで、あんなにお祝いしてくれたのに、いきなり去っていったなあ。
来月の夫の誕生日には「秋生まれさん」でまとめてやるかな。
子供たちの成長を感じてきゅうにさびしくなった日だった。

by apakaba | 2009-09-25 19:41 | 生活の話題 | Comments(9)
2009年 09月 22日

夫婦間のネゴシエイション

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みじかい旅に出ておりました。

今年度に入ってから、夫が外で飲んでくる日が激増した。
職場で気の合うメンバーと組むようになったかららしいが、酒好きなのでいつも深夜の帰宅になる。
それはべつにかまわないのだが、私がたまに飲みに出かけると夫の機嫌が悪いのは嫌だ。
先日の夜中に、たまっていた不満を吐き出す。
これじゃあ割に合わないと。
反省して謝るので機を逃さずネゴシエイト。
「連休中、どっか行ってくる!」

このように、連休を目前にして発作的に出かけることが決まったので、旅先の選定もおのずと限られてくる。
宿の空きもないし交通手段も満席である。
PCの検索との分刻みの争いの末(たとえじゃなくてほんとに。見る見るうちに「残り0」になっていく)、行き先は広島と岡山に決めた。

どこかへ行くとき、いつもカメラを忘れてしまうので、今回はちゃんとイクシを持って行って、それなりにいっぱい撮った。
ちかぢか、私のヘタな写真満載の旅行記を、短期集中連載するつもり。

夫は、私がいない間は仕事でフルに働いていた。
もともと「割に合わない!」とか言って弱みをつかんで交渉したことだし、彼に旅費を出してもらったわけでもないけど、少し家をあけたので、お礼としてお土産を買った。
彼は備前焼が好きなので、倉敷の備前焼専門のお店で湯飲みを買った。

「備前焼を買ってきたの。高かったわ……!(若干ウソ混じり)」
ともったいぶってから見せると、
「おおっ。こりゃ備前っぽいなあ!」
とたちまちゴキゲン。
私に「ありがとう」と言うのも忘れて、説明書を熱心に読み、
「水から備前焼を浸けて、10分間沸騰させて、そのまま冷めるまで浸けておくと、強度が増すんだってよ。へええー!」
と言いながら、さっそく鍋を出してゆでたまごのように新品の湯飲みをゆでていた。

そしてカメラを取り出して、テーブルに湯飲みを置いてひとしきり撮影。

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すごい喜びよう。
買ってきてよかった。

ゆうべ、岡山から遅く帰ったので、うっかり今朝のパンを買ってきそびれた。
ごはんを炊いてもいいのだが、“まあ、もう少し機嫌を取っておこうかなあ”と思い、
「あなたに出かけさせてもらったし、朝ごはんをごちそうするから渋谷のパン屋に行かない?」
と聞いてみる。
子供たちにはごはんを炊いて「適当に食べておけ」と言い、ふたりで朝からクルマで渋谷へ。
VIRON(ヴィロン)という、東急本店の前にあるブラッスリーで朝食を出すのを知っていたから行ってみた。
しかし満席で朝食タイムが終わるまで入れないとのこと。
しかたなくBunkamuraのドゥ・マゴ・パリへ移動してみるが、ここは11時半にならないと食事は出ない。

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結局、VIRONへもどって、バゲットサンドを買い、道ばたで食べた。
夏の名残のような陽射しと、秋風。
連休中日(なかび)の朝の渋谷は、前日の通行人が捨てたごみだらけだ。
ごみに囲まれてかじる2種類のバゲットサンドは、くり返し旅したフランスを十分に思い出させる。
これで道に犬の糞が散乱しているとなおフランスっぽいが。
「うまいうまい!こりゃフランスっぽいわ!」
夫を喜ばせるのはとても簡単。
こっちが好きなことをさせてもらうには、いつも機嫌良くしていてもらうのが早いもんね。
バゲットサンドと備前焼くらい、じゃんじゃん買っちゃうわ。

by apakaba | 2009-09-22 22:26 | 生活の話題 | Comments(13)
2009年 09月 19日

子供に笑わされる体験

隣に住む母から青りんごをもらったので、今朝「コシヒカリ」がむいて食べました。
「おかーさん、このりんご、いつの間に買ってきたの?」
「ああ、それはお隣のおばあちゃんが持ってきてくれたの。おじいちゃんが『俺は赤くないりんごは好きじゃないんだ』って言って食べないんだって。せっかく買ったのに!って怒ってたよ。」
「ふーん。そんなの先にむいておいて、『はい。おりんごよー』って知らんぷりしておじいちゃんに出せば、気が付かないで食べちゃうのに。」
「えっ!あんた頭がいいねえ。よく悪知恵を働かせるねえ!アハハハ!」

赤いりんごと青いりんごは風味がちがう、とか、そもそもりんごはたくさんの種類があって、皆それぞれ味がちがうのだ、という難しい話は置いておいて、私は、娘の機転(悪知恵)に感心しました。
きっと、ここまで読んだ人のなかにも「自分もそう思いついた」という人はたくさんいると思います。
私はあまりこういう知恵がぱっと働かないほうなので、子供らしい思いつきにはいちいち「へえ!」と感じ入ってしまいます。

私は、自宅で子供に勉強を教える仕事をしています。
小学生が中心ですが、希望があれば幼児の生徒も受け付けています。
一番小さいのは3歳の男の子です。
このごろになって、ひらがなを書く練習に入りました。
“の”が出てきて、
「ここにぐるっと“の”を書いてね。お手本をていねいになぞってね。」
と指し示すと、“の”の手本を見たとたんにその子が「わっ!」と叫びました。
「あーっ!“の”は、“つ”の、おともだちだ!」

不思議なことを言います。
「“あ”と“め”は、にてるね。」とか「“い”と“り”はそっくり。」とか言う子供はよくいますが。

実際はまだ舌足らずな口で「“の”ぁ“ちゅ”のおとまぁちらー!」と言ったのですが、幼児の発音には慣れている私は
「“の”は“つ”のお友だち?どうしてだろう?」
と聞いてみました。
「“の”ぉなかに、“ちゅ”ぅが、はいってっから!(=“の”の中に、“つ”が入っているから)」
“の”の字の後半部分というのか、ぐるんとまわすところが“つ”に類似していると言いたかったようでした。
こんな小さい子供に、月謝をとって勉強をさせるなんて、いったいなにを教えたらいいんでしょう。と思ってしまうこともありますが、こういう言葉を聞くと、子供にとっては、勉強と遊びの区別などなくて、ただもうなんでも発見することがおもしろいんだなあと実感します。
大人の目にはもう見えないことが、子供には見えていて、それを子供の表現で伝えようとします。
「おともだちだ!」なんて、絶対に大人からは出せない伝え方です。

でも子供が相手だと、大人もせっぱつまった状況になれば、子供みたいな発想ができるものです。
もう5年前、「コシヒカリ」が今みたいに悪知恵を働かせていなくて、天使のようにかわいかった時代、漢字を電話で説明するのに困り果て、とっさに自分でも「私、天才!」と得意になったエピソードがあります。
「井」という漢字はどう書くの。と題して書きました。
我ながらこの機転は傑作だったと思っていましたが、先日この話を娘にしたら、まったく忘れていました。

子供と関わっていると、こんなふうに、毎日笑い転げたり感心したりの連続です。
仕事でも家庭でも子供が相手なので、「(うちの子も、よその子も)みんな、かわいいなあー本当に」とつくづく思います。
よく、ある程度の年齢のいった女性をさして、「あの人はいかにも“お母さん”らしいね。」「うん、お母さんっぽい雰囲気があるよね。」と言ったりすることがありますが、きっとお母さんらしさというのは、子供に笑わせてもらった回数でだんだん身についていくものではないでしょうか。
大人との会話で笑うことと、子供がもたらしてくれる笑顔は質がちがうように思います。
温かいけどせつなさが混じる笑い。
やがて成長とともに失われるからせつないけれど、やっぱり温かい笑い。
子供に笑わされることは、一見シンプルそのもののようでいて、実は重層的な体験です。

by apakaba | 2009-09-19 13:40 | 子供 | Comments(2)
2009年 09月 17日

高幡不動

京王線を新宿と反対方向に乗っていくと、高幡不動という駅がある。
京王線沿線付近に越してきて8年以上が経つのに、今まで行ったことがなかった。
引っ越しをすれば、誰でも沿線の駅名を始発から終点まで、何度もくり返し目でたどったことがあるだろう。
高幡不動という駅名を、引っ越し当時から気になっていたのだが、行く機会がなかった。
「あ〜どっか行きたいなー。遠くには行けないし。でも出かけたい。」と思い立って、初めて高幡不動尊に行ってきた。

*いつものようにカメラを忘れてしまったので、高幡不動尊金剛寺のサイトを参考にしてください。

不動堂に祀られている不動明王とこんがら童子・せいたか童子は鮮やかな彩色が施されて、いかにも新しい感じがするが、奥殿(おくどの)に祀られている重要文化財の三像は、風格がまったくちがう。

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奥殿でもらったリーフレットを撮っただけでどうもスミマセン。
この不動明王像は、平安時代の木造の像としては関東唯一の巨像であるとのこと。
この木造の三像をかたどって鋳造したものが、本尊として不動堂に祀られているのだった。
不動堂のすぐ後ろに奥殿が位置しているのに、どうしてまた、本物というかオリジナルの像を不動堂に据えないのだろう。理由はわからなかったが、まったく同じ造型の像なのに、オリジナルの迫力や重量感やありがたみが、金属製の模造のほうではまるっきり失われていることがとてもおもしろかった。
当然、単純な“重量”なら、金属のほうがずっとあるはずなのに。

この奥殿は300円の拝観料を払うと、収蔵された展示品を見ることができる。
コンパクトな建物に似合わず、どっさりと展示品があってお得な感じもするが、如何せん展示方法があまりにも無節操であり、工夫のなさに驚いてしまう。
平安期の大日如来像も二十世紀の日本画もこのあたりで出土したのかなんだかわからない石とかも、土方歳三直筆の手紙も、まるで年代順を無視してぎゅうぎゅうに並べてあるだけ。
かえって、なにを見たのか混乱して、印象がなくなる。
来てみるまで知らなかったが、ここは土方歳三の菩提寺でもあった。
せっかく重要な美術品や歴史的価値のあるものをたくさん持っているのに、商売っ気がないというか。

メチャクチャな展示にとまどいながら進んでいくと、ある一角で
「あーっ!歓喜天(かんぎてん)だ!こんなとこに歓喜天がある!すごい!」
と思わず声を上げた。

歓喜天(かんぎてん)とは、ヒンドゥー教のガネーシャ神を起源とする神で、二体一組の立像として表されることが主である。
ガネーシャなので象の頭をしていて、向かい合って抱き合っている。
私は何年も前から、この歓喜天に強く惹かれていた。

今はほとんど手を加えていないメインサイトの書評欄に、『歓喜天とガネーシャ神(長谷川明 著)』という本の評を書いている。


 「ガネーシャ」の項に、その異様なイラストはあった。
 はじめは度肝を抜かれた、極彩色の大衆宗教画にもすっかり目が慣れてきたところへ、「歓喜天双身像」の、単純な白黒のイラストはかえってセンセーショナルで、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感さえ覚えた。
 頭だけが象で、人間のからだをし、立ったままいだきあう、一対の像。
 グロテスクなのに蠱惑的。
 邪道に堕ちるすれすれのキワをあぶなく渡る、そんな仇(あだ)っぽい造型に、私は戦慄し、また抗いがたい魅力を感じた。
 この像の秘密を知りたい。なんとなくこわい、だけど知りたい。
 人が成長していくにつれ、避けてはとおれないセックスへの興味に、それは酷似していた。
 それもそのはず、歓喜天は、性力信仰を司る神としての一面を持った、非常に特異な神格だったのである。

(書評全文を読むには、メインサイトAPAKABA?の下のバーから、book reviewをクリックしてください。)


これを書いた2002年当時は、まさか日本最古の歓喜天像を自分が見ることができるとは思ってもいなかった。
感激で胸がいっぱいだった。

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またもリーフレットの写真でどうもスミマセン。
これが、高幡不動の奥殿に乱雑に安置されていた(乱雑に安置というのは矛盾か)お宝のうちのひとつだったのである。
ね、象が抱き合ってるでしょ。
えっ、わからない?
いや、1000年昔には抱き合っていたはずだ。
1000年昔に、どんなお顔の、どんな装束の二体が愛を交わしていたのか、想像の翼がぐんぐんと伸びていってしまう。

高幡不動尊に行って、よかったなあ!
思いつきにしては収穫が大きかった!

先日、世界陸上で性別疑惑が持ち上がり、“両性具有”と判明した南アフリカのセメンヤ選手のニュースを、子供たちが見ていた。
「両性具有ってなんなの!」
「男でしょ?どう見ても。」
「でもこっちの写真だと女っぽい。」
「それは服が女の服だからだろう?」
「両性具有ってなに?!」

「両性具有というのは、ひとつの体に男と女の両方の特徴を備えている人のこと。どっちでもあってどっちでもないのね。」
私が言うと、
「えーっ!おっぱいもあって、きんたまもあるとか?」
「どうしてそんなことになるの?」

「まあ、たまにだけどそういう人はいるのよね。」
「いやー気持ち悪い。」
「んー、でも、地域によっては、両性具有というのは、より神に近い存在とされるところもあるのよ。」
「なんで神なの?」
「宗教では男と女が合体することで初めて完全な存在になるという考えのものがけっこう多いのね。たとえばホラ、廊下に飾ってある、おかーさんがネパールで買ってきた絵(タンカ。チベット仏教絵画)にも、たくさん、男の神様と女の神様が合体しているのが描いてあるでしょう。
片方だけではダメで、両方そろっていて初めて、本当に力を出せるという考えなのね。
インドの宗教画でも、体を右と左で縦に分けて、男と女の神様がどっちも描いてるのとか、あるのよね。
ひとつの体で両方兼ね備えているなら、それは完璧な体だという考え方だね。」
「なるほどー。へええー。」

話しながら、子供がいつか高幡不動に行って歓喜天像を見るといいなあと思っていた。
合体しなくちゃ始まらない!
合体しなくちゃなにも生まれない!
ぼろぼろな木の像が呼んでいる。

*以前、『両性具有の美(白州正子 著)』という本の評も書きました。メインサイトに置いてあります。

by apakaba | 2009-09-17 23:40 | 国内旅行 | Comments(2)
2009年 09月 14日

減っていくお誕生日ケーキ

先週に「アキタコマチ」の誕生日があったのだが、修学旅行に行く直前で、準備に忙しいから誕生会はしなくていいと本人から言われた。

家族の誕生日には一応、形ばかりの誕生祝いをする。
親からのプレゼントはほぼなくて、子供同士ではこっそりプレゼントを用意して、なにかしらの物をやりとりしている。
子供が小さいころは、子供だけで歌とか人形劇とかもやっていた。
うちは5人中4人が秋生まれなので、9月に入ると毎年恒例の誕生会ラッシュなのだ。

しかし本人がいいと言うならいいか、ということで、そのまま京都への修学旅行に行かせた。

きのうの日曜日、
「この前できなかったから、お誕生会する?」
と聞いてみると、「アキタコマチ」は
「いや、いいよオレ。今日はこれから塾の自習室に行って勉強しようと思ってるから。遅くなるでしょ。それにおかーさんもケーキの用意が大変でしょう。」
と、ありがたいような気の抜けるようなことを言う。
たしかに、ケーキは買えば高いし焼くのはメンドクサイ。
「じゃあ、“9月生まれさん”ってことで、おかーさん(私の誕生日も9月)といっしょにお祝いにする?」
と聞いてみると、
「ああ、そうだね、それでいいよ。そうすれば1回、ケーキを用意しなくて済むし。」
あくまでもオトナな「アキタコマチ」だ。

去年までは、
「オレの誕生日は?お誕生会いつ?ケーキどうするの?オレ、フルーツがいっぱいのがいいなー。タルトね、フルーツタルト。あーでもやっぱりショートケーキもいいな。どうしよう。見に行ってから決めようか。でもチーズケーキとか焼いてくれてもいいよ。」
などとうるさくつきまとってきたのに。
少し、寂しいねえ。
こうやってだんだんと家族から離れていくのだな。
そのうち、“秋生まれさん”で秋生まれの4人はみんないっしょに1回だけお祝いするようになったりして。
「そう?じゃあ、おかーさんの誕生日のあたりで合同にしましょうか。」
「うん。それでいいよ。」
と話していると、「ササニシキ」がいきなり割り込み、
「えーっ、そんなのだめ!オレのケーキはどうなるの!」
……“オレのケーキ”ではないと思うが。(あんた11月だし。)

「コシヒカリ」は、
「えー、『アキタコマチ』お兄ちゃんにケーキ焼こうと思ってたのに。」
と女の子らしく落胆している。
ついこの前、生まれて初めて、私や「アキタコマチ」の手をまったく借りずに、ひとりだけでブラウニーを焼いた。
先週の友人のお通夜(詳しくは友人の追悼へ)のとき、娘なりになんとかご遺族を励ましたいと思って、持って行ったのだった。
奥さんから「とてもおいしかったから、夫にも食べさせたいと思って、『コシヒカリ』ちゃんからのお手紙と一緒に棺に入れました。」とお礼が来た。
そのことを話すと、娘の顔はぱあっと晴れた。
お棺に収められる物は故人にとって大切な物や是非持たせたい物だけ、と何度か出たお葬式で見て娘も知っていたから、そこに自分のケーキも選んでもらえた(?)ということを、とても名誉に感じたようだった。

おいしいおいしいとみんなに褒められて調子に乗り、今度は初めてひとりでクッキーを焼いた。
私はお菓子を食べるのは好きだが作るのはまったく好きではないので、材料をそろえてやるだけでどんどんいろんなものを作ってくれるのはとてもうれしい。
「じゃあ来週におかーさんと『アキタコマチ』の合同のケーキを焼いてね。」
と言った。

そんなこんなで、みんなが誕生日を迎える秋は、三者三様の成長を感じる時期だ。
ひとり成長を感じさせない発言をするヤツもいるが。

by apakaba | 2009-09-14 22:42 | 子供 | Comments(4)
2009年 09月 10日

友人の追悼

友人のご主人が事故で亡くなり、あまりにも突然だったこと、あまりにも若すぎたこと、ご遺族の状況などを考えると、とうていなにかを書く気力が出てこず、しばらくここも放置となっていた。
きのう、お通夜に参列して、私も一介の友人の立場なりに事実を受け止めなければという気持ちになった。
遺されたご家族のことを思うといたたまれないのはきのうも今日も同じだけれど、友人として、できることとできないことというのは厳然としてある。
今はただ亡くなった方のご冥福を祈り、追悼の気持ちを表そうと思う。

“友人のご主人”と便宜的に書いたが、亡くなってみて初めて、あの人は“私の友だち”でもあったのだなあとわかった。
明るく元気な奥さん(私の友人)のそばについて、いつも静かな笑顔で見守っているような方だったので、ペアでいてもついつい奥さんのほうとばかりしゃべっていたけれど、今日は彼ご本人のことを思い出して書いてみる。


訃報を聞いた日に、冷蔵庫を開けたら、お豆腐がひとつ入っているのを見て、それで胸がいっぱいになってしまった。
「眞紀さんのとこは家族の人数が多いから、たくさん置いていかなくちゃ。」
彼がそう言ってたくさん分けてくれた、最後の一個なのだ。
彼は、豆腐を作る工場に勤めていた。
会うたびにおいしいお豆腐や油揚げを分けてくれたが、中でも
「これはウチの目玉商品でね。充てん豆腐といって、保存料なしで長期保存ができる豆腐なんですよ。」
と自慢してくれた「ロングライフ豆腐」が、我が家にはとても重宝していた。
彼の家族とは遠くの親戚のようにつきあっていて、距離をものともせずに、うちにもよく寄ってくれてはお豆腐をはじめいろいろなものを分けて頂いていた。
こちらからはなにもお分けするものがないので、お昼ごはんを作ってみんなでよくいっしょに食べたりしていた。

いつもは、ロングライフの意味がないほど、いただいたらすぐに麻婆豆腐やおみそ汁に入れてしまって、数日で食べきってしまうのだが、なぜか先日、つまり最後に分けていただいたときだけ、“これは保存が利くんだから、とっておいて、急にあと一品ほしいときとかに使おう。”と思い、ひとつだけわざと残しておいたのである。
まるでこうなることがわかっていたみたいに。

形見みたいなお豆腐ひとつでこれだけやりきれなくなるのだから、彼の物があふれかえったおうち(私も何度も遊びに上がらせて頂いたおうち)に戻るのは、奥さんにとってどれほど悲しいことだろうか……そもそも比較にもならないけど……などと思うだけでも、たまらなかった。

幼い子供がふたりいて、現在奥さんは3番目の赤ちゃんを妊娠している。
2年前だったか、奥さんが二人目を妊娠していたとき、家族で東京に来て、奥さんは研修会かなにかの用事があって会場へ行き、彼と小さい長男だけがうちへ上がってお昼を食べていったことがある。
ごちそうも出さずただのうどんを作ったが、彼は
「あ、このうどんおいしいねえ。」
と言ってくれた。
そして、離乳が完了したばかりでまだ上手に食事をできない長男坊の世話を、母親とまるで同じ手際でしてあげていた。
私はそのころ、奥さんの情緒が安定しているかどうかが心配だった。
妊娠の経験自体は2回目だけれど、幼い上の子がいて妊娠中を乗り切るのは1回目とは大違いだから、いろいろ不安なことや、苛立つことなどもあるかもしれないと思っていた。
彼にそれを尋ねると、たしかにちょっとしんどそうだと言う。

ふたりで、しばらく奥さんの心のケアについて語り合った。
私は彼にこう話した。
「彼女はがんばり屋だから、あなたもつい『あいつなら大丈夫だろう』と高をくくっている部分があるかもしれない。あなたはたしかに本当にすばらしい旦那さんだと思うよ。そこらへんの男にはとうてい追いつかないくらい、いいお父さんだと思う。
でも、それでも、やっぱり妊娠中ってカラダも心も激変するから大変なことなのよ。
なんにもなかったところから人間ひとり作り上げるんだから、疲れて当然だし心も不安定になって当然なの。
あなたも仕事で大変だろうけど、あなたが思っている以上に、彼女はあなたを必要としているのよ。
あなたが支えなんだよ。わかるでしょう。
私は取り柄のない人間だけど、出産だけは何度もしてるから、今の彼女の気持ちもわかるし、あなたが彼女のことで困ってしまったら助けてあげられると思う。
相談に乗って、あなたを支えてあげられると思う。
もし彼女のことで相談したかったら、彼女を通さなくてもいいんだから、いつでも直接私にメールでも電話でもして。」
あなたは彼女の旦那でもあるけど、私の友だちでもあるんだからね。という気持ちで、電話などを教えた。
彼は
「これ(私の連絡先)を持っているだけで、心強い感じ。」
実際には相談しなくても、いざとなったら話せる相手がいると思うだけで気持ちが軽くなるから——というようなことを言い、いつものようににこにこして帰っていった。

そして結局、彼からは相談の電話もメールも一度も来ないままに、無事第二子が生まれた。
ちゃんと人に頼らずに、夫婦で支え合って妊娠と出産を乗り切ったんだなあと思っていた。

私の携帯メールに、彼から着信が来たのは、亡くなった後だった。
彼の携帯電話のアドレスに残っていた知人たちに、奥さんが訃報を一斉送信したらしい。
彼の名前でメールで入ってきたのが、はじめ不思議で、そのあと、家に彼が来たときの会話をとめどなく思い出した。


今、こんなふうに、彼の思い出を書き連ねることが、ご遺族にとっていいことなのかよくないことなのか、わからない。
悲しみの上塗りをするだけなのかもしれない。
でもこれだけはわかってほしいが、あの人は、本当にいい人だった。
笑顔しか思い出せない人だ。
神様に愛される人は早く連れて行かれてしまうのかなあとも思う。
そこまで神様に愛されていない、遺されている我々は、いつかまた会える日までがんばって生きようと思った。
まとまりのない追悼文だが今はこれがせいいっぱいである。

by apakaba | 2009-09-10 21:36 | 思い出話 | Comments(20)
2009年 09月 04日

1990年の春休み.93 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
カトマンズで迎えるホーリー(春を迎える大きな祭り)の日。
レゲエミュージシャンのイスルとその日本人妻の文子(あやこ)さんと知り合う。
イスルと文子さんに誘われて、私とヒロは夜になってからホームパーティーへ行った。

3月10日(つづき)
 私はラム酒を飲んでいたが、ヒロはカジュラホの苦しい思い出(ラケシュという悪者インド人にラム酒を勧められてすっかり二日酔いになった)があるので、ラムは匂いさへイヤだ、と言っていた。
 文子さんの作ったまぜごはんが実に久々でおいしかった。カンドーして全部食べちゃった。イスルはあんまりおいしいと思ってないみたい。せっかく作ったのにかわいそう。
 味覚がちがうというのは、いくら愛し合っててもケッテー的に相容れないものだ。イスルも料理するらしいが、日本の味はウケないだろう。

 イスルはまたジョークも通じないので弱る。(私が弱るわけじゃないが)
 文子さんがSUNILのファンだと言ったり、イスルより年上だからおネエさんよ、などとふざけたりすると、ムッとしてしまう。あーこりゃめんどうだ、と思った。
 イスルにつられてここに来たのに、すっかり文子さんの側に立つ人々になってしまった。イスルがムッとしているので文子さんがキスすると、けっこうマジでやってしまっていた。私はちょっとあせってしまいました。周りは気にせずさわいだり、ヒューヒューとはやしたてたりしているのだが、まあ私もそのようにしていたのだが、どうしても素人のキスは生々しくていかん。とくに知っている人同士のキスはとても平静の気持ちでいられない。

 少しいっしょにいたり話したりするだけで、こんな人、となんとなくわかってしまうのはどうしてだろう。この旅行中でそれは何度となく思った。相手もそう思っているのだろうか。
 自分では意識的に(ヒロに見合うくらいに)ハイにしているつもりだが、やはり見抜かれるのだろうか。
 こんな人、とすぐわかる(わかったような気になる)ということは、相手が開けっぴろげということか。こっちが洞察力があるとかいうことじゃなく。こっちに来てからは、平たく言えば第一印象、を、ほぼ絶対的に信じている。相手もそうなのかなー。
 よく開けっぴろげ、と親しい人には言われる私ですが。自分で自分のことなんかわかんねえや。

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唄うウイーン男とSUNIL。壁には“神様”ボブ・マーレー。


 もっと文子さんとはなしたかったのだが、何しろ大さわぎでそうもいかない。
 ヨッパライと入れ替わりに、年のよくワカラナイ男が来た。
 彼はたしか26歳くらいで、オーストリアでホテルかなんかをやっている。なかなかにイイ男なのだ。少し前髪が長すぎるのだが。色白で、もの静かで、このバカ騒ぎ軍団とかなりちがう。
 しかしオーストリアに行ってからものすごく変わったのだと文子さんは言っていた。
 ウイーンはいい所か、ときくと、いい所だ!ととてもほめていた。
 カトマンズとぜんぜんちがう国で、抵抗なくやっていけるのだろうか……オーストリアがどんなところか知識がないからわからないけど、beautiful place,peaple are kind.でしか説明できないというのはかなしい。
 ウイーンに行けば、彼も孤独な外国人だ。ネパール人の目から見た(我々と同じ旅人として、我々とちがう国の人として)オーストリア、ウイーンのことをもっとくわしく聞きたかった。

 イスルはギターで唄い始めた。これを待ってたのよこれを!ボブ・マーレーを唄った。あっというまにみんなで大合唱よ。曲を知らないから唄えないのが残念。これはヒジョーに気分がよかった。歌を唄うのは。
 やっとイスルの本領発揮である。やはり歌を唄う人は歌を唄ってる時が一番カッコイイのだよ。あとでわかったのだがそれはBuffalo Soldierだった。
 ああいう場で、みんなでなんとなく唄ってしまえるのってとてもキモちがいい。ウイーン男もギターを抱えたので、ちょっとビビった。あんなに静かそうなのに、そんなことヤルのかーと思って。しかし奴はけっこうな声で唄っていた。
 奴のほっぺたに薄く赤いのがついていて、最初はキスされたのかと思っていたが、ホーリーの染料の赤であった。

 ところがウイーン男はだんだんと本性を表し始めた。奴はけっこうなれなれしいのだ。最初は仲よくなれてウレシイという感じだったのだが、けっこうスキンシップをする奴なのだ。もしかしたら単にスケベなのかもしれない。
 うーんわからない。最後に写真を撮るときなんか、うしろから思いきり抱きつかれてかなりマイッタ。
 あの声デカ男はヒロを、こいつは私を気に入ったようだ。しかし(大江)千里(SUNIL)は二人を均等に扱ってくれる。そういう人は信用できる。SUNILは人柄のよさと育ちのよさを感じる。

 深夜になってしまった。別れぎわに文子さんは写真のことをやたら何度も言っていた。あんなにいっぱいあるのにまだほしいのか〜!と思った。
 あの、リモコンシャッターのカメラはよかったなあ。セルフタイマーよりずっといい。
 帰りはトーゼン、タクシーもリキシャもいないから歩きである。私はとにかく声デカ男がイヤなので、SUNILが熱心に話してきたのをいいことに、すたすたと3人で行ってしまった。
 しかしあのバカデカ声がどんどん近づいてきて、とうとう追いつかれてしまった。歩きながら、こりゃ絶対だめだろう、という写真を奴が撮った。まぶしかったなああれ。

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絶対だめだろう、と思ったけど意外と撮れていた。
やだなあこの絵。
「深夜にヨッパライが騒ぎながら外国人の女の子を連れて帰るところ」。


 ブリクティ(我々の安宿)の前まで、ウイーン男とSUNILが来てくれた。
 もうみんな寝静まっている。門限破りみたい。Y.W.C.A.のあの門番兄ちゃんを思い出した(遙か昔のパキスタンのラホールでの話)。
 二人がベルを思いきり鳴らすが誰も出てこない。ラジュー(若いハンサムなマネージャー)はどうせ香港姉ちゃんとエクササイズだし、ランがやはり起きてくるのだろうか。
 かなり不安になったころ、眠っていました、という顔のランがあけてくれた。
 ああもう本当にごめんなさい。あれだけさんざんこき使っておきながらとどめをさしてしまいました。夜から出て行って、夜中に見知らぬ男を連れて(連れられて)寝ているアナタを起こしました。もうランには何もかも申し訳ないのだ。

 彼らは部屋まで上がってくるというので、ゲッと思ったが、他意はなかった。単に部屋を見て、おやすみ、と言っただけだった。去り際のいい奴に悪人はいないのだ。

by apakaba | 2009-09-04 23:42 | 1990年の春休み | Comments(6)