あぱかば・ブログ篇

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2009年 11月 30日

広島・岡山旅行その8(完結) 大原美術館とからくり時計の残響

その7 平和記念公園で長い戦後を思うのつづき。

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広島風お好み焼きを、広島の旅のピリオドとした。
滞在できるのがわずか数時間だけとわかっているが、岡山へ移動する。
岡山でひとつだけどうしても行きたかった、倉敷の大原美術館に急いで向かう。

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日本初の、西洋美術のコレクションを中心とした私設美術館である。
当然、目玉はエル・グレコの「受胎告知」だが、行ってみて初めて、建築そのもののすばらしさを知った。
文化に関して、東京の一極集中化は、すべての日本国民にとって嘆かわしい現象だと思う。
このような一地方都市に、これほどすばらしい所蔵品と建物が根を下ろしていることに、非常に感銘を受けた。

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本館・分館・工芸館・東洋館など、さほど広大ともいえない敷地に効率良く配置された建築物は、所蔵されている作品と同等の価値ある存在だと思った。
一歩ごとにギイギイと鳴る床を踏み、曲線で彩った窓の意匠を見ながら歩き回る。
そのことがここまで心躍る美術館はめったにない。
オルセーをはじめ、いくつかの“建築そのものが超一級の美術品”である美術館の思い出がよみがえってくるような……、岡山が、というより日本が世界に誇れる美術館だと思った。
もしも中国地方を旅行する機会があったら、いや、なくても、この大原美術館に行くためだけに旅を計画する価値はある。と、私は思う。

しかし、もう時間がなくなってきた。
ここから、東京は遠い!
倉敷の美観地区を歩くこともせず、本当に大原美術館1箇所だけを堪能してから、また駆け足で倉敷駅に戻った。

新幹線に乗るまで少し時間があるので、倉敷駅北口に出てみると、そこに思いがけず大きなからくり時計があって、ちょうど5時を告げていた。

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暮れ始めた心もとない空の下、不思議な静寂を感じた。
アンデルセン童話のいろいろな場面をぎしぎし動く人形で再現している様子を、親子連れやカップルが、とくに歓声を上げるわけでもなく眺めていた。
なんだろうこの広場は?と少しだけとまどい、ああこれは、去年、経営難のために営業を終了した「チボリ公園」の名残なのだなと気づいた。

たっぷり5分間くらいは、アンデルセン童話のシーン再現がつづいた。
暗くなってきているし、時計まで遠いので、せっかくの人形の動きも今一つはっきりと見えない。
これ以上近くで見ることができない。
背の高い駅ビルに向かって発せられた音楽は独特な反響をする。
その様子を、おそらく地元の人であろう佇む人々の肩越しに、しばし眺める。

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飛行機雲は東を指す。
帰るかー。
絶妙に距離感のあるからくり時計、駅前広場に啓示のように奇妙に響き渡るオルゴール風の音楽、わずかな演奏時間にもどんどん光を失う空。
ここに立っていたのはほんの5分のことだったが、そしてこの旅行自体がほんの短い間だったが、その5分は、いろんな国を歩いたあげく“帰国便に乗らなければならない最終日の夕刻”の感慨にぴったりと当てはまった。

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あらざらむ……ってわけではないけど、この世のほかのおもひでに?いまひとたびの逢うこともがな。ですよ。
その地へ行けば、その地のお酒ね。
岡山の地ビール「独歩」を1本だけ。

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ままかりの握りは大変おいしい。
いわゆる普通の江戸前寿司は、やっぱり東京の名店にはかなわないけれど、このままかり寿司は、短い旅を締めくくるにふさわしい“土地の味”だった。

しかしたった一泊二日で、いろんなものを見て、あれこれと考えまくったものよ。
宮島の厳島神社、弥山登山、原爆ドーム、酒造りの町・西条、平和記念公園、大原美術館と。
今は長い海外旅行をすることが難しいけれど、自分が、短くても国内でもどこへ行っても同じように感銘を受けていろいろ考えて楽しめることがわかって、それが一番おもしろかったな。

by apakaba | 2009-11-30 22:58 | 国内旅行 | Comments(6)
2009年 11月 29日

ゆで卵を上手にゆでられますか!

ゆうべ飲み過ぎたので朝はゆっくり寝ていたかったけれど、夫が「腹減った。メシ、メシ」というので仕方なく起きる。

休日の朝食にはたいてい目玉焼きを作るが、たまにゆで卵にする。
なぜか10回のうち7回は、不満足な出来になる。
「コシヒカリ」は固ゆでが好きだからゆで続けていればいいのだが、ほかの人たちはゆるめの半熟が好き。
だから適当なころになったら、「コシヒカリ」の分を残して、穴あきお玉ですくいあげる。
でもいったいいつが「適当なころ」なのでしょうか。

子供のころ、小学校の家庭科で、ゆで卵を作った。
教科書に“水からゆで始めて、12分”と書いてあったことをよく覚えている。
でもタイマーを12分にセットしても、毎回ちがった固さになってしまう。
水温や、タマゴの温度や個数、火加減に左右されているのはわかるが、きっとそれらの要因がからみあっているだろうから、毎回同じ仕上がりにしたければ、棒温度計で水温を計ったり、タマゴを室温(その“室温”も一定に!)に戻さなければならないだろう。

なんなの〜ゆで卵って大変な料理なのね!
仕上がりを見ながら調節できる分、目玉焼きのほうがずっと簡単じゃないか!
あのレストランのあの朝食や、あのホテルのあの朝食にくり返し出てきた、岩塩を振ってスプーンですくうトロトロしたゆで卵は、厨房で完璧な温度管理をして作られているのだろうなあ。

うちにはエッグスタンドがひとつしかない。
せまい家で、めったに使わない食器をそろえるのは無駄だから、娘が幼稚園の記念品でいただいたひとつきりのタマゴ立てをみんなで使い回している。
キリスト教会系幼稚園からのいただきものなので、女の子とぶどうの木のイラストが描かれ、
「わたしはぶどうの木 あなたがたはその枝である」
という聖書の言葉が書いてある。
これにゆで卵を立てて出すと、夫は「おお、カリオストロ伯爵みてえだな。」と喜ぶ。
「俺は『カリオストロの城』でカリオストロ伯爵がゆで卵を食っているところを見て、“なにをやってるんだあれは?!ゆで卵って、ああして食うものなのか!”と初めて知ったんだよ。」
といつも同じことを言う。
よほど印象深かったのね。

そんな夫のためにも、カリオストロ伯爵が上品に食していたようなゆで卵(あのシーンはたしかにとてもおいしそうだ。)を作りたいのだが、どうしたらいいでしょう。
皆さんのお知恵をお借りしたく、お待ちいたします。

by apakaba | 2009-11-29 13:08 | 食べたり飲んだり | Comments(10)
2009年 11月 26日

最後の音楽会

おととい、娘の「コシヒカリ」の学校で、小学校最後の音楽会を観てきた。
最高学年は、なんといっても行事の目玉。
6年生の合奏のあとには「アンコール」がかかることがお約束となっている。
お約束とわかっていても、6年生はやっぱり誇らしげな顔をする。

「音楽会」にまつわるいろんな思い出が去来して、泣けたねえ。

6年前、長男「ササニシキ」のときには『踊る大捜査線THE MOVIE 2』が大ヒットした年で、演目は「踊る大捜査線メドレー」。
3年前の次男「アキタコマチ」のときには、『ミッション:インポッシブル3』が大ヒットし、あのテーマ曲を演奏した。
両方とも“今年っぽさ”を感じさせるタイトな演奏で、とくにピアノの独演部分などは小学生の演奏とは思えないほどカッコよくてシビレた。

それが、今年の合奏は『木星』だと聞いて、“え、平原綾香の?トホホ。兄ふたりのときはカッコよかったのに”と、やや失望した。

ところがそれは私の思い違いで、平原綾香の「自分〜を〜信じ〜て〜」という無理無理な歌詞を当てはめたあの木星ではなく、正真正銘、ホルストの『木星』の演奏なのだった。

「音楽会」の原点回帰……というか、改めて、“クラシックはいいなあ”と感じ入った演奏だった。
観客から手拍子が出たり、ジャジーなソロが流れることはないが、その代わりに“自分たちは、有名なクラシックのひとつをみんなで演奏したんだ。自分ひとりの練習では意味ワカンナイ音だったけど、合わせるとこんな音楽になるんだ。”というプライドをビシビシ伝えてくれる演奏だった。

たまたま隣の席に座った奥さんは、娘が幼稚園のときからずっといっしょだった人なので、
「みんな大きくなったね。」
と話しかけると、
「うん、本当に。ちょっと涙が出ちゃった。」
と、目を赤くしていた。
私も少し泣いた。

6年前、ここに「音楽会」という記事を書いた。
さらに前には、おんがく会にしょうたいされました。という、宝物のように大切な思い出を書いた。
本人たちは忘れているだろう。
そしてもっともっと昔、「アキタコマチ」が4歳のころ、幼稚園の音楽会でシンバルに立候補したと言って張り切っていたのに、前夜に中耳炎でほとんど眠れず、当日は3回たたくはずのシンバルを一度しか鳴らせず、私も、わざわざ横浜から見に来ていた私の親も、泣き笑いしたこと——そんなことも、立派な『木星』を聴きながら思い出されてきた。

ああー、私、こんなんで大丈夫かなあ?
娘の姿には、3人分の思い出が一丸となって重なってくるから弱る。
音楽会でこの調子では、卒業式では正常な人格を保っていられる自信がぜんぜんないぞ。
ハンカチ何枚持っていったらいいんだろう!?

by apakaba | 2009-11-26 22:25 | 子供 | Comments(6)
2009年 11月 24日

「アキタコマチ」のおせっかいな塾

今、“行きたくないよう”と思っているのが、次男の塾の保護者面談。
塾の全保護者のうち、二者面談を受けに行っていないのは私ひとりだそうだ。
もう少しすると三者面談もあるから、それまでに二者面談を受けなければいけないという。
電話もかかってくるが、「行かなきゃいけないんですか?」とか言って、のらくらとかわしている。

だってイヤなんだもん。
中3になってから今の所に塾を移って、成績が上がったのは感謝している。
でも、ベタベタとおせっかいなのがどうにも合わない。
今どきの小さい塾ってそういう傾向らしい。
1学期に行ったとき、塾長が開口一番
「あの子はねえ……はあ←ため息」
と言うのを聞いて“親どっち?”と耳を疑った。
二言目には「あの子が心配です……」と遠い目。
な、なにこの過剰に差し出がましい態度。
全人格育成にとりかかってるの?
過保護で不気味。
塾なんだから、合格確率とか併願校とかの話をしてくれ。
という心の叫びはまったく塾長に届かず、話はひたすら「あの子は……」「あの子は……」と、「アキタコマチ」の性格のことに終始し、なんと2時間。
2時間の面談なんかされて、内容は「あの子が心配です」だったら、次回にまた行く気が失せるのは当然でしょう?

ああいうべたついた態度に出られると、自分が学校の先生から不良扱いされていたフテクサレ中学生だったころの気分にすっかり戻ってしまう。
「うっせーよ」と童心に帰って(?)毒づく。

なによりも、塾としては、工業系の志望校が気に入らないらしい。
「お父さんは、進路についてなんとおっしゃっているんですか?」
と、何度も何度も聞かれる。
「夫が“こういうところはお前に向いているんじゃないか”と息子に持ちかけてきたのです。」
と、何度言っても納得しない。
塾の本音としては、フツーに普通科高校に行ってほしいのだね。

塾長とその娘がふたりで経営しているのだが、娘というほうがさらに強硬で、
「そんな高校を選ばないで普通科の少しでも上をねらって死に物狂いで勉強しなさい。
そんなとこ行ってあとどうなるか知らないわよ」
というようなことまで、本人は言われているという。
なんだよーそれはー。
いいのか教育者がそんなこと言ってー。
普通科じゃなきゃヒトにあらずなのかよー。
塾の先生からすれば、自分が通ったことのない道だから想像つかなくて怖いんだろう。
くだらん。なんて古いんだ。
偏差値教育の世界で生きている人間には、息子は扱いにくい生徒ということになるのだな。

同じ偏差値教育の世界でどっぷり生きているうちの夫は、東大や早慶に毎年生徒を送り出している教員だけど、ずーっと考えは柔軟だ。
「あいつの好きなことをやればいいんじゃないの?
見栄で大学行くとかいう時代じゃねえよ。
見てりゃわかるよ、あいつがあんまり勉強好きじゃないことは。
そんなやつにあくせく勉強させてもしょうがない。
俺らの子供なんだから、一応、最低限のもの(教養とか、知性)は持ってるだろうしな。
あとは好きな方面でがんばる力をつければいいんじゃない。
目端が利くヤツなら、へたにガリガリ勉強ばっかりしてるヤツより、ビジネスチャンスだっていくらでも転がってる。
今はなんでもアリだから、ああいう奴にとってはかえっておもしろい時代なんだよ。」

そう、“俺らの子供なんだから、まあ最低限のことは大丈夫だろ”という、数字に出ない信頼はこっちにしかわからない。
それは言葉では説明ができないし、目に見えないことだもの。

なんでもいいけど中学生の塾に親が何回も面談に行くとか……過保護だよねえ今の時代。
やっぱシカトでいいかなあ。

by apakaba | 2009-11-24 09:10 | 子供 | Comments(8)
2009年 11月 22日

ジランドール

義母が、わが家の5人とお彼岸のときにお墓参りに行けなかったことをずっと気にしていて、今日やっとみんなでそろって行ってきた。
久々にみんなそろったので、夜は新宿のホテル パークハイアットのなかにあるダイニング「ジランドール」に行った。
同じ館内の洋食レストランでも、「ニューヨークグリル」よりは料理が軽めでお値段も抑えめ、そのわりにはおいしい。

義父母は70過ぎているのに、ほぼ週5日フルタイムで働いている。
だからたまにごちそうしてくれる。
こういうときは素直に甘えて、その代わりに私はうんとがんばってサービスする。
夫はサービス精神ゼロのぶっきらぼうなので、私が(財布を持たない)ホステスとなって、ソムリエやお給仕の人と話す。

今日もがんばったねえ。
しまいにはアシスタントマネージャーが名刺くれたもんな。
財布持ってないのに私にくれてもしょうがないのだが。

食前酒を飲んでワインを頼むのに、まず予算を告げてから好みを伝える。
1本目が「オオッ」なチョイスだったから、2本目も
「こちらを選んでくれた方を呼んでください。」
と頼んで、そのソムリエ氏に選んでもらう。
「1本目よりは若干お値段がこう(手で、上に上がるしぐさ)なってしまうのですが……」
「ええ、それはそうですね、2本目(の値段)がこう(下に下がるしぐさ)だと、まあ、(味も)こう(下)になってしまいますから……」
義父に見えないよう、ワインリストを立てたままで、ボディーランゲージで素早くやりとり。
2本とも、みんな「これ、ウマイねえ〜!」と喜んでくれた。

タイミングを見計らって、デザートの前にチーズのワゴンを運んできてもらう。
なんでもかんでも「多くね。」「多めに!」と一声かけます。
多くなるわけがないんだけど、食後酒を注ぐときやチーズを切り分けるときにすかさず「多くね!」と言うと、お給仕はチョット笑う。
「あ、手が滑りました。」
と、とぼけて多く注いでくれる人もいる。
「わあうれしいわ。大歓迎です。」
と、大喜びしておく。

2本目のワインが切れる前に、希望も聞かずに食後酒を私が勝手に注文する。
「お義父さんはグラッパです。ええと、うんとドライで、(消毒に)腕を拭きたくなっちゃうような感じの(と言うと、ソムリエ氏は本気でウケていた)。こちら(夫)は甘いポート、私は薬草っぽい、養命酒みたいな感じの、おもしろいのありますか?何本か、見せてください。」
注文がよどみないので、“飲める”と判断してくれて、見たことのないようなおもしろいものを出してきてくれる。
今日は、アーティチョークを漬け込んだという、どろどろと茶色く濁った、甘くて苦いリキュールを飲んだ。
自分では頼んでないのに、いつの間にかぴたりと好みどおりのグラッパのグラスが置かれて、義父は「こいつは香りがいいなあ!グラッパはこうでないと!」と感激、もちろん甘い食後酒が好きな夫も。
でもお支払いは、飲めない義母なのよ。

お金では返せない。
義父母のほうが、財力がずっとあるから、ごちそうしてくれるとなったら、こういう形でしか、喜ばせることはできない。
でも私って、お金はないけど本当にいい嫁だと思うよ。
夫ひとりでは、ここまで親を喜ばせられないもの。
ジランドールは、料理のお味もいいが、それ以上に、私の要求に応えてくれるレストランであった。

by apakaba | 2009-11-22 23:53 | 食べたり飲んだり | Comments(2)
2009年 11月 20日

女同士を毛糸でつなぐ夢、というより野望

編み物やりたーい熱が高まっている!

高校生のころから、結婚して5年くらいまでの間、いろいろ編んでいた。
縫い物よりもいいかげんさの利くところが、おおざっぱな性格向きで好き。
夫にサマーセーターを編んだり、製図なしでもデザインを自分で考えて手袋も編んであげていたし、子供が小さかったころにはベストやセーターを編んだ。
しかしあるときから、面倒になってふっつりとやめてしまっていた。

去年から、「コシヒカリ」が、隣に住むおばあちゃん(私の母)から毛糸を分けてもらって、マフラーを編み始めていた。
元来が怠け者で飽きっぽい子なので、15センチくらい進んだところで放り出していた。

それを、また気が向いたのか、この前見つけてきて、
「おかーさん、ここの目がなんだかおかしいの。まちがってるような気がする。」
と、私のところに持ってきた。
「これはここまでほどかないと、直せないよ。」
「え!せっかくここまで編んだのにほどくの?!そもそもおかーさんって、編み物できるの?おばあちゃんだけしかできないと思ってた。」
思い出してみたら、この子が生まれたときにはすでに編み物に飽きていて、娘にはなにも編んでやったことがなかったのだった。

「できるよ。じゃあ、ほどいた分はおかーさんが編み直してあげるから。それならいいでしょ。」
と言って、ガーター編みのくり返しをやっているうちに、“あー編み物は楽しいな。なにか作りたい!”と思い始めてきた。

手編みの教本って、最新で、少し若い人がモデルになっているものを選ばないと、出来上がりがやぼったくなっちゃう。古いのや、中年のモデルが出ているのはだめ。
慎重に選んで購入した。

ナチュラルスタイル手編みのニットという、この9月に出版されたばかりの本を見ると、ん〜、モデルさんがかわいい。
モデルがかわいいと、顔も年もちがうのに“イケる”と思ってしまう、愚かな読者代表だ。
ところが、夢いっぱいの写真ページが終わって、製図部分を見てみると、……あれーっ!なにがなんだかワカリマセン!
昔、あんなにすいすいできたのに、いや、製図なしでもできたのに!
アタマって、どこまでバカになれるのでしょうか!それは私だけデスカ!

こんなに忘却三昧では、複雑な編み方の大作など、とうていできそうにない。
でも、今年きゅうに大きくなった娘に、私の冬の服を何枚もお下がりにしてしまったので、普段着が足りない。
でもこれじゃできあがるのに3年くらいかかってしまうかも。
やだー、虫食いそう。
そもそも、ヒマを持て余している身分でもないのに、編み物なんていつやるの?

うだうだ考えた結論。
「編み物を続けられるかどうか自信がないので、とりあえずマフラーを編む。
それで編み物の感覚が戻ってきたら、セーターに進みましょう(来シーズンになるかもしれませんが)」
いかがでしょうこういう妥協案は。
今日、さっそくマフラー分の毛糸は買ってきた。
わざと、まとめ売りのセール品ではなくて高級な糸にした。
そして、自分の針を買わずに、わざと母から借りた。
そのほうが、“こんなに高い糸なんだから、最後まで編まなきゃ”“借り物だから、早く返さなきゃ”と思ってがんばるでしょ。
挫折しないように、涙ぐましく退路を断つの。

しかし自分の派手な忘れっぷりにはあきれたわ。
娘に、
「おかーさんもまた編み物を始めようと思っていろいろそろえたんだけど、編み方の記号とかをみんな忘れちゃって、製図が読めないの。大丈夫かなあ?」
と言うと、
「おばあちゃんに聞いたらいいんじゃない。ひさしぶりに親子で、どうですか。うふふ。」
と、かわいいことを言う。
「ふふふ。そうね。おかーさんと『コシヒカリ』と、どっちが早く編み上がるか競争しようか!」
「ええー、わたし、そんなにがんばりたくない。」
絶対に私が勝つわ!

若いころにやっていたことを、10年も20年も忘れていて、また戻ったりすることもあるのね。
だから娘にも、今は飽きて放り出していても、いろいろ教えておきたい。
そしてまた10年・20年と経ったら、今度は娘に教わってるかも?
あれ、これだと私の編み物人生って教わってばかり?
孫娘に教えればいいのか?(やや、混乱)
編み物は夢が広がる!

by apakaba | 2009-11-20 20:58 | 生活の話題 | Comments(2)
2009年 11月 19日

カレーと水

今日は、夫の実家と、その近くにある美容室へ行ってきた。
途中、渋谷のマークシティにあるアフタヌーンティールームのカウンターコーナーで、カレーにチャイをつけたランチプレートを昼ごはんにした。

ここはそんなにからくなくて、からいものが苦手な私にはありがたいのだけど、その代わりに水がつかない。
そんなにからくないとはいえ、やっぱり水は飲みたいのに、カレーに水がないのはとてもつらい。
からいのはつらい→辛いのは辛い
(どうでもいいことですね)

カレー、アンド、チャイ。
まるでインドですな。

インドのぼろぼろな食堂のテーブルにも水は置いてあるが、お腹の弱い私は、いつも持参しているミネラルウオーターを飲んでいた。
でも手で食べているから、ミネラルウオーターのペットボトルをべとべとの手で持つのはいやだ。
でもすさまじいからさだからなにも飲まずにいるのは無理。
しかも左手をなるべく使わずに、右手だけでまかなうのは本当に難しい。
若いころは、意味のないツッパリもある。
あまりにも旅行者然とはしたくない気持ち。
ミネラルウオーターなんて恥ずかしいじゃん。
いかにも旅行者ですって言ってるみたいで、カッコ悪いじゃん。

そう思って、バッグにボトルを入れておき、飲みたいときだけほかのお客に隠れてこっそり飲んだりしていた。
今になると無意味な努力だ。

なんであんなことにこだわっていたのだろう。
どっちにしろ、外国人だし、ミネラルウオーターごときに目くじら立てるインド人もいるまい。
もし今、インドに行けば、なにも気負わずにペットボトルをテーブルに、きたない水差しのすぐ横に置くだろう。
そしてそれをネタにして、「これが、私の水なの。」とヒンディー語で話して、会話のきっかけにしているだろうな。

そんなことを思い出しながら、インドのカレーよりずっとずっとからくないカレーを食べていた。
「お水もらっていいですか。」
とは、なんとなく聞きそびれたねえ。

by apakaba | 2009-11-19 22:30 | 思い出話 | Comments(4)
2009年 11月 18日

なにをクリスマスプレゼントにするか?

日ごろの夫の愛に感謝して、私からもなにか贈りたいとつねづね思ってはいても、なにがいいんだろう。
あの人は、なにがうれしいのかなー?

思いつくのは、
“どこかおいしい店に連れていってごちそうする”
“ドライブに連れて行く”
“なにかファッション系のものを買ってあげる”
……カレシですか私は。

「あなたにいろいろお世話になってるし、お互い、親しい人を亡くしたりしてガックリしてるし、仕事も疲れてるし。
それに私も最近、仕事が増えてきて収入も上がったら、なにかあなたにしてあげたいのだけど、なにがいい?」
と、夜に飲んでいるときに聞いてみる。
「べつに……このまま(テーブルを指す)で十分幸せだから、思いつかないなあ。
あなたとうちでメシ食って酒飲んでるので十分だけど。なにをしたいわけでもないしほしい物もないよ。」

すごい模範解答だけど、そうじゃなくってイベント性がほしいのよー!

あきらめて一人でいろいろ考えてみるが、夫はとにかく私と飲んでいるのがなによりも幸せなので、日帰りドライブではだめ。
私が運転すれば、夫が最初から最後まで寝っぱなしになって終了、逆なら私が熟睡して終了、の可能性高し。
だから本来ならオーベルジュの形式——クルマで遠くまで運転していって、レストランで食事してそのままそこに宿泊するというパターンが最高だけど、夫は週休一日なので、遠出はできない。
ということは都内か。
夏に敢行した豪華都内旅行、ホテルオークラ東京ふたたび、という感じですか。
でもそのクラスのホテルでは、私の乏しいお小遣いでは夫をエスコートするのは困難かなあ(エスコートというのは適切ではないか?)……

思い悩んでいる折、クリーニングに出すものを白洋舎に持っていった。
ふとカウンターを見ると、きれいな紙片が山積みになっている。
「フォーシーズンズホテル椿山荘東京 白洋舎お得意様特別ご優待券」

これかもしれないー!
これが答えなのかもしれないー!

1泊朝食付きが通常料金の半額以下で提示されている。
こんなにお得なのは見たことない。
顔見知りの受付のおばさんに、
「あのー。これは、私もいただいていいんですか?」
と、おずおず尋ねてみる。
だってうちはたいした“お得意様”じゃないもの。
お得意様って、そこ(店内の頭上)にかかっているロングドレスとかをクリーニングに出す人でしょ?
しかし受付のおばさんは、あっさり
「あ、いいですよどんどん持っていって。」
と言って、そんなに泊まれるわけがないのに4枚もくれた。

やったああ。
普段着はたいてい自分で洗っていて、百歩譲っても白洋舎の“お得意様”ではない私にも、権利があるのね!

さっそく来月に宿泊予約を入れた。
夫は
「えっ!そんな、食事どうするんだよ?」
とさっそく心配しているが、
「なにもかも叶えるなんて、無理です。この際、食事はルームサービスででもくだらない軽いものを少しだけ食べるの。
今回はスパ中心です。
プールで泳いで、ジャクジーに入って、露天ジャクジーもあるし温泉もあるんだよ。
基本的に水着とハダカな感じでいくの!
夕飯は、そこまでご馳走できないからテキトー、それでもっと飲みたければ夜中にバーに行って2,3杯ひっかけたらいいでしょ。」
私の徹底したカレシぶりにただもう従うだけの夫。
「そうか……キホン、水着。夜はバー。はああ、すげえなー。いいなあー。」
「私もあなたに楽しんでほしいのよ。いいよね?」
「もちろんいいよ。はああー、すげえな。」

ということで、クリスマスプレゼントは決定しました。
あの人はこういう遊びが好きだからねえ。

ちなみに、来年の2月いっぱいまで有効のご優待券はまだあと3枚あるので、欲しい人は先着でどうぞ。

by apakaba | 2009-11-18 23:32 | 生活の話題 | Comments(2)
2009年 11月 15日

サヨナラ、K国さん

しばらく更新が止まってしまった。
とても大切なお友だちであった、大分に住むK国さんが、ゆうべ亡くなってしまった。

昨年の5月ごろから具合が悪くなって、私も入院中の病院へ昨年8月にお見舞いに行ったのだが、それが最後となってしまった。
しかし、お見舞いのときの様子はまさに元気いっぱいで、がっちりとした逞しい体躯は以前と変わらず、「この病院はええよ!おすすめ!」とパンフレットを見せながら説明してくれたりして、いっしょに連れて行った子供たちも「なーんだ、元気だったね。退院したらまた泊まりに行こう。」と、すっかり軽い気持ちになっていたのだった。

そんなふうに明るいお見舞いをしたため、それきり、完全な回復を信じて疑わずにいた。
だから、11月に入ってから、友だちから「K国さんが危篤」だという話を聞いたときは寝耳に水であった。
ついこの前も、「アキタコマチ」が
「オレ、高校受験が済んだら久しぶりに大分に遊びに行こう。K国さん驚くだろうな。オレが大きくなったから。早く行きたいなあ。」
などと話していたのに。
「アキタコマチ」の言葉を思い出したら、どうしても危篤のことを言えなくなってしまった。

私にとっては、K国さんは、年の離れたお友だち以上の人だった。
「アキタコマチ」は、4年前の、5年生のときに不登校となり、1学期をほとんど出席せずに家で過ごしていた。
夏休みに入って、ネットの知り合い同士で集まったときに、K国さんと初めてお会いした。
K国さんは、初対面にも関わらず「大分に、子供連れでいつでも泊まりにいらっしゃい。」と言ってくださった。
その言葉に甘えて、学校に行きたくてもなかなか体がついていかない「アキタコマチ」を泊まりに行かせたのだった。
私は1泊しただけで帰ったが、「アキタコマチ」は、初めて会ったK国さんとそのご家族と、そのあと数日間いっしょに過ごさせてもらい、2学期からはちゃんと登校するようになった。
(そのときの報告は大分に行った話に書きました)

K国さんが、息子のいいところをたくさん見つけてくれて、子供扱いせずに個人としてつきあってくれたことが、息子の心と体の調子が戻る突破口になってくれた。
だから、私の家にとっての恩人なのである。
その翌年は「アキタコマチ」と「コシヒカリ」、その翌年は「コシヒカリ」だけ、と、3年つづけて泊まりに行かせてもらってきた。
いつも子供ばかり行かせて、任せきりにして悪いなという気持ちもあったが、それを喜んで引き受けてくれるのがK国さんのご家族だし、子供たちにとって、家族から離れて人の家に泊まりに行くのはとても心躍る体験なのだった。
子供たちはしょっちゅう大分の話をするし、まるで自分の親戚のようにK国さんのご家族の話をしては、「また行きたい!」と言うのだった。

危篤のことを知ってから、どうしても、子供たちにそのことを言い出せなかった。
だからといって亡くなってしまってから「亡くなったんだよ」と言うのも、つらい。
どうしたらいいだろう。
11月の1週間ほど、ずるずると悩みながら過ぎてしまった。
そしてその間、K国さんが私にかけてくれた言葉、とりわけ子供たちについてのコメントをひとつひとつ思い出しては、毎日、毎日、人のいないときに涙を流していた。

「『アキタコマチ』は才能がある、いつでもおもしろいことはないかとさがしてる。目がキラーンと光ったときが悪巧みを思いついたときです」
「『コシヒカリ』ちゃんは静かにしているときでもシッカリ大人を観察してます、大人は見抜かれてる、あぶないあぶない」
などというふうに。
子供にとって、自分の存在を全肯定してくれる大人が遠くで見守ってくれていることは、どれほど心強いことか。
それは、長く生きていて知り合いが数多くいる大人たちには実感できないほどの励み、いやそれ以上に、“絆”になっているのである。
だから言えない、でも……

危なかった状態を脱したタイミングに、ちょうど友だちがお見舞いに行き、「口は利けないけど意思の疎通は十分にできる。でも行くなら一日でも早く。」と報告してくれた。
ベッドに横になっている写真を見ただけでも涙が止まらず、自分がこんな調子ではお見舞いに行ってきちんとしていられることはできそうにない。
そうだ、「アキタコマチ」に行ってもらおう。
K国さんにかわいがってもらっていた息子なら、私の顔を見せるよりももっと励みになるはずだ。
息子に、とうとう話した。

「えっ。」
と言ったきり絶句し、なにが起きたのか理解できない様子だった。
「どういうこと?去年会ったとき、あんなに元気そうだったのに。」
しばらく困惑し、私が「お見舞いに、行く?」と聞くと、はじめこそ放心しつつも「うん、行く。」と答えたが、何時間か経ってから
「オレ、やっぱり(お見舞いで正気を保つのは)無理かも……」
と言ってきた。
翌朝、起きてきたとたんに
「おはよう。オレ、きのうのことが全部“どっきりでしたー”っていう夢を見た。K国さんが病気なのもウソで、K国さんのブログに出ていた病院の写真とかも、おかーさんが作って適当に貼り付けたウソで……っていう。
……どっきりだったらよかったのに。」
と、今にも泣きそうになりながら話した。
それを聞いて、「やはり子供には重すぎたか。私は、ひどくつらいことを子供に押し付けようとしていたのだ。自分で行かなければ。」と、後悔し、考え直した。

日帰りで大分に行ける日を考えて、奥様の美幸さんに電話をかけ、連絡をやりとりしていたが、12日になったばかりの深夜に「今、亡くなってしまった」と電話が入った。
ところが、12日の早朝に「あのあと、息を吹き返して、戻りました」と……!
聞いてみると、お医者さまが「もう間もなくご臨終なので、あとは親族の皆さまでお過ごしください」と部屋を出ていき、みんながお別れをしているとき、「眞紀さんはお見舞いに来ると言っていたから、一刻も早く知らせなければ」と美幸さんが急いで連絡してくれた、ところが皆で呼びかけているうちに、完全に冷たくなっていた体がだんだんと温かくなり、呼吸も戻ってきた……というのである。
いつまでも泣き笑いが止まらなかった。
だっておもしろいじゃないか……おもしろいなんて失礼だけど……K国さんらしい、としか言いようがない。
「奥方を喜ばせるためには、体を張ってもうひとふんばりします」ってことよね。
そう、あの人はどんなときも絶対にあきらめないし、最愛の奥様を笑顔にするためなら、いまわの際からでもよみがえってきちゃう。
このあと、K国家では何十年と語り継がれるだろう。
「あのとき、亡くなったって連絡をしたりしているうちに、生き返ったんよ!あれはびっくりしたわ!」
「ほんとに最後まですごいじいさんだったなあ。」
親族が集まってそんなことをわいわいと言い交わしている様子が、目に浮かぶ。
想像するだけで、その場に列席しているような気分になって、涙と笑いがいっしょにつきあげてくる。
K国さんが病気に斃れて、いってしまう前にみんなに残してくれた、最後のプレゼントだろう。

K国さん、知り合って4年という短い間、本当にありがとうございました。
痛みと苦しみのない世界に旅立っていき、安らかに眠ってください。

今から、子供たちに話さなければならない。
子供たちは、きっと泣くだろう。
このあと、何回も思い出しては泣くだろう。
でも最後には同じことを言うだろう。
「また大分に行きたいな。早く行きたいなあ。」って。

by apakaba | 2009-11-15 20:13 | 生活の話題 | Comments(14)
2009年 11月 07日

着物、着るかーい

朝の8時半に義母から電話。
「今ねえ、眞紀ちゃんの着物を虫干ししてるの。」
うちはせまくて、私の着物をしまっておく場所がないから、夫の実家に預けっぱなしにしている。
それを義母がたまに虫干しをしてくれるのである。
しかし、こんな朝っぱらから。
ありがたいことだねえ。

「3月に、卒業式があるじゃない?(三つあります)
そのときに、眞紀ちゃんは着物を着るんじゃないかなーと思っていて。」
「あー思ってました。スーツを買ってもいいけど、スーツってめったに着ないし、それよりせっかく着物があるんだから着物にしようかなって。」
「そうでしょう。着ようかなと思ってるかなと思ってたの。それで全部出してみたんだけど、柄がかわいすぎて、袖も長いし、これは袖を切って作り替えたらどうかというのがあるんだけど。」
「ああ、青い友禅でしょう?あれはすごく好きで、中学生から高校生のころによく着てましたねえ。」
「これは、直すよりもそのまんまにしておけば『コシヒカリ』ちゃんにちょうどいいかなと思うのよ。どう?」
「そうですね。そのままにしておいてください。」

「あと、とってもかわいいピンクのがあるんだけど、これもいくらなんでもかわいすぎるから、渋い感じに染め直したらどうかしら!」
「ああ飛び柄のでしょう。あれ作ったのって22,3のときだもん。嫁入り前に母がまとめて誂えてくれたから。あはは。かわいすぎるに決まってるわ。」

「あと、道行き(=和装用コートのこと)だけど、今の流行りは、丈が長いのよ。眞紀ちゃんのはちょっと短いわけ。」
「そう言われてもねえ。長いものを切ることはできるけど短いから長くしろというのは……」
「だから新しく買ったらどうかしら!私ね最近、毎日のようにデパートの着物売り場やら近所の呉服屋さんやらに行ってみてるのよ!」
「はあ……」
「それでひとつの手としては、正絹そっくりな、おうちで洗える素材のもの。
あるいは、ちゃーちゃん(=昨年他界した義母の母。夫の祖母)の道行きを染め直すか。
それか、お仕立て上がりを買っちゃう。
それか、反物を買うか。どう?」

どう?と言われても、あまりにも予算に開きがあるからこっちから言えるわけがないじゃないかー。

「着物のサイトもいろいろ見てるんだけど、やっぱり京都ね、京都のお店はいいわ!買うか直すなら、京都よ!京都の呉服屋さんのサイトをあれこれ見てみて!」
うむむ。
京都のお店がいいと言ったって、もし祖母のものを染め直すことにしたら、どうやって持ち込むのよ。
反物をネット買いする勇気はないし。

「そうですねえ。私も、そろそろこれからお食事とかお出かけのときなんかに、できるだけ着ようと思ってるんですよ。持ってるだけじゃしょうがないしね。」
私は、結婚したらもっと着物を着る生活をするつもりでいたのだが、結婚したとたんに子供が次々生まれて、着る機会をずっと失ったままだった。
ウールの普段着や、ちょっとしたお出かけ用なども、いろいろ持っている。
しかも夫の祖母の形見分けで、大島をひとつ譲ってもらえることになっている。

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すてきでしょ。
大島はとても好きなので、分けてもらえてうれしい。
「これからは着物を着ます!だから道行きもほしいわ!」
ここは素直に、おねだりしておこう。
ここまで言ってくれているのに、遠慮ばかりでは勢いがそがれて義母もつまらないだろう。
というわけで、今は着付けも自分でできない有り様だけどがんばって着付けもやるよ。
子育てもぼちぼち一段落だしね!
母と、義母と、祖母から流れてきて、つながっていることなのだし。

by apakaba | 2009-11-07 23:23 | ファッション | Comments(6)