あぱかば・ブログ篇

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2010年 01月 29日

1990年の春休み.94 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
カトマンズ最終日の夜、レゲエミュージシャンのイスルの家でのホームパーティーへ。
ネパリの若者たちと馬鹿騒ぎしてホテルに帰った。
そしてこの日はネパールを発ち、バンコクへ。

3月11日(月)晴
 まんだら屋の良太(*1)に会いたいがために、早起きして朝食に行く。

*1・・・カトマンズのレストランのレジに座っていた、ハンサムなネパリ青年。ポカラへ行く前に私が一目惚れして通い詰めた。店名がマンダラというので、勝手にまんだら屋の良太(そういうマンガがあったでしょう)と命名。

 しかしちょっと早すぎたようだ。まだテーブルのセットもできてなかった。イスをおろして、テーブルを拭いて、ということをやっている。そして良太は一人もいない。うーむ。
 ネパールのおいしい食事もこれが最後ね、と思いつつbreakfastを頼む。しかしこれではずいぶん待つことになりそうだぞ。私は腹具合があまりよくなかったのでトイレに長居していた。
 ここには女性がぜんぜんいない。何人か出入りしている人はみんな男だ。こわそうな顔のオヤジが伝票を山のようにテーブルにまいている。うーん良太とどういう関係なんだろう。ここの息子なんだろうか。
 それにしても彼はどうしたんだろう。まさか夜番なのだろうか。そう思うとすごくそんな気がしてきた。
 そうだきっとそうなのだ。私はがっっっくりしてしまった。
 もう二度と会えないのか。と本当にかなしくなった。

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by apakaba | 2010-01-29 22:12 | 1990年の春休み | Comments(6)
2010年 01月 28日

2009年に読んだ本、Best10!(その2)

その1のつづき。

6...
日本仏教史—思想史としてのアプローチ(末木 文美士 著)

はじめは、「文庫本だから概論だろうし、軽い感じの文体がやや気になる」と思っていたのだが、章が進むにつれてやめられないおもしろさ!
インドから見て東の果ての島国で、インド発祥の仏教がどのように伝播し、変化していったのかを、平易な言葉で解説する。
すべての宗教は、もともとはローカルなものだ。
インド、チベット、中国、東南アジア諸国、朝鮮半島そして我が国の仏教文化圏は、おなじ“仏教”という思想を共有しているようで、その実、その地ならではのローカル性が加わることによって独自の思想を熟成させていく。
日本独自の発展(と一概にはいえないが)を遂げた、“仏教”ではなく“日本仏教”を、発祥地インドの仏教や、仏教同様、世界宗教のひとつであるキリスト教と対比させながらひも解く。
思想に興味を持ったとき、昔の大学者の著作を読むのももちろん意義あることだが、こういう、同時代に生きるすぐれた学者の読み物を読めるのは、現在ならではの贅沢な体験だ!

7...
イスラエル(臼杵 陽 著)

中東についての本は、中東問題を忘れないために、意識して定期的に読むようにしている。
これは昨年の新刊。
とくにミズラヒームに関する解説が秀逸で、これまであまりその存在に注目したことがなかっただけに勉強になった。

8...
<世界>はそもそもデタラメである(宮台真司 著)

『絶望・断念・福音・映画―「社会」から「世界」への架け橋(オン・ザ・ブリッジ)』の続編となる、映画評の体裁をとった、社会学と哲学の解説書。
前回取り上げた『日本の難点』よりは、独特の宮台コトバは控えめであるが、読者に高度な理解力を求められるのは『日本の難点』以上。
それでも必死でついていくと、今まで考えもしなかった、映画という総合芸術が見え始める。
映画の見方が変わり、よのなかの見方が変わり、世界が理屈を超えたところで人間に受容されるものであることに気づき、ぐんと生きやすくなる。

9...
日常生活の冒険(大江健三郎 著)

初・大江健三郎だったのだが(スミマセン今ごろ)、異様におもしろくて止まらない!
小説家である「僕」と、その若い友人・斉木犀吉(さいきさいきち)の、ひりひりするような友情。
二十世紀後半にふたりが生きた時代は「冒険の可能性なき時代」であると斉木は喝破していた。
二十世紀が遠くなったこの時代にこの小説を読むと、彼らの生きた時代はなんと暗い情念に塗られた、冒険の可能性にあふれた時代だったのだろう、と見えてしまう。

10...
「地球の歩き方」の歩き方(山口さやか・山口 誠 著)

ごぞんじ個人旅行ガイドブックの草分け「地球の歩き方」創刊30年の歩みを、当時の編集者に取材してふりかえる。
旅をする人間はどの世代にもいるけれど、この本は、ある世代以上・ある世代下の人間には、ピンと来ない本であると思う。
しかしど真ん中にヒットする世代には、言葉で言い尽くせない感慨をもって読むことになるだろう。
自分がヒットする世代だと感じた人は、たとえもう今は旅をしなくなっているとしても、読んでみてほしい。



ほかにも昨年はおもしろい本をたくさん読んだので、以下に簡単にあげておく。

突破者(宮崎 学 著)
グリコ森永事件の容疑者“キツネ目の男”かと疑われたことのある、京都の突破者の自伝。

ナイチンゲールの沈黙(海堂 尊 著)
「チーム・バチスタ」シリーズ第2弾は、歌の才能に恵まれた若い看護師をヒロインに据え、ちょっとラブストーリー混じり。ミステリー色抑えめ。

美しいをさがす旅にでよう(田中真知 著)
昨年5月に、「出版のコンセプトに沿いながら、「らしさ」を出すこと」と題してレビューした。

建築家 安藤忠雄(安藤忠雄 著)
初の自伝。安藤忠雄ギャラリートーク@21_21 DESIGN SIGHTで買ったサイン本なのさ。

1Q84(村上春樹 著)
村上春樹『1Q84』 夫婦放談」を書いたので、そちらをごらんください。

チャイルド44(トム・ロブ スミス 著)
上下巻を二日間で読み切ってしまった。旧ソ連を舞台にしたスリルに満ちたミステリー。
作者がまだ29歳とは、すごい!

ドットコム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男(吉原真理 著)
著者自身が、デートサイトに登録し、たくさんの男性と(セックス込みの)デートを体験する。
この体験記が画期的だった!

螺鈿迷宮(海堂 尊 著)
「チーム・バチスタ」シリーズ第3弾では田口・白鳥コンビではない大学生が主人公。

動的平衡(福岡伸一 著)
福岡先生の本はいつものようにおもしろいのだが、やっぱり『生物と無生物のあいだ』が感動的だったなあ……。

夏への扉[新訳版](ロバート・A・ハインライン 著)
猫の描写だけでも読む価値あり。
SFの古典の新訳版は、根強いファンも納得の名訳らしい(私はこれしか読んでいないのだが)。

グラーグ57(トム・ロブ スミス 著)
『チャイルド44』の続編。主人公と主な登場人物は前作と同じ。
きわめて映像的・映画向きの文体で、この本がそのままで脚本になりそうだ。

by apakaba | 2010-01-28 16:16 | 文芸・文学・言語 | Comments(6)
2010年 01月 26日

事故、その後の経過

娘の「コシヒカリ」が自動車に自転車をぶつけてしまったことを、一週間ほど前に書いた(事故)。
あれから、警察署で事故証明書をとったり、都民共済から手続きに必要な書類を送ってもらったり、相手のディーラーの担当さんと修理の予定について電話でやりとりしたりしていた。

都民共済というのは、いわゆる「保険会社」とは仕組みがちがい、事故があったとき、両者の間に立って実際の交渉してくれることはない。
お金が発生したらお金は出るけれど、話し合いは当事者間でしなれければならない。
それでどうしても、プロの保険会社が間に立つよりも、対応が遅くなってしまうのは仕方ないことだ。
ディーラーの担当者も
「クルマ対クルマならよくあることですけど、このケースは私も初めてで、どういう対応になるのかわからないので、都民共済さんと直接お話していろいろ伺います。」
と言っている。

ところが相手が「遅い!」と怒っている。
これにグッタリしている今日のこの頃。

とか書くと、
「ほれ見たことか。示談なんて当事者同士じゃもめるに決まっているのだから、プロを通さないと」
と言われそうだけれど、自転車が自動車にぶつけて、自転車保険に入っていなかったので、「保険屋さん」は登場しない。
登場させるとすれば弁護士を雇うしかないから、本当なら10:0ではないけれども都民共済からお金も下りることだし、こちらが修理費用は負担しようと思ったのだ。

事故の現場に行ったときに、一時間ほど現場検証に立ち会っていたときの印象では、相手の男性はさほど悪人という感じでもなかったし、今でもべつに悪い人ではないはずだと思っている。
ただ、不幸な出会い方をしてしまったというだけのことだと思う。

電話で、
「あんたの娘はどういう教育をしているんだ。最初は『ぶつかってない』とウソを言うし、自転車のブレーキが利かなかったとかウソを言うし、最後に謝りもしないでめそめそ泣いてごまかそうとする。」
云々、と悪しざまに言われるのは、じっと我慢した。
たしかに娘は私も驚くほど泣いていたが、まだ子供で、警察は来るし保険など知らないから『お父さんはいくらお金を払うことになるんだろう!』と恐ろしくなっていただろうし、自転車のブレーキは利きが甘いというからあのあとすぐに自転車屋さんで調整してもらったんだよ。
娘に聞けば「ちゃんと何回も謝ったのに。ウソなんか言ってないのに。」と言うし、こうなると言った言わないの水掛け論だ。
しかし、
「ふつうは、すぐにでもあんたが娘を連れて、家まですっとんで来るものだろう?加害者が被害者に対して、申し訳ありません!と頭を下げて、風邪引かなかったですかとか言うのが常識じゃないの?
今日からでも使ってください!と言って、代車でも持ってくるのが常識でしょう?」
と言われたのは予想外だった。
え?そこまでしなくちゃならないの?
相手に怪我をさせたとか、クルマがボコボコにへこんでしまったとかなら当然だが、「どこ?ああ、ここか。」というくらいのキズしかつけていないのに、そこまでの行為を求めるとは。
子供が過ってちょっとこすったくらいで、加害者加害者と何度も言うのは、少し度が過ぎないだろうか。

夫に
「私は、菓子折りでも送っておけば十分だと思っていたのだけど、それじゃダメだったのかなあ。」
と言うと、
「そこまでする必要はないよ。そりゃやりすぎだ。怪我人も出てないのに。」
と言っていたが、あまりに「それが常識だろう?」「ふつうはそうでしょう?ふつうは。」と連発されると、“こういうことが起きたら、こういう対応”と今まで自分が思っていたことに甚だ自信がなくなってしまう。
ちがう考え方をする人も、いるのね……。

代車をどうするかということでまた話が進まず、ディーラーで用意できるのは、最短で2月14日。
それこそ“常識で考えれば”、もし私ならそれまで待って修理に出す。
相手方のなじみの担当者もいるのだし、それがお互いにとって一番スムースだと思うから。
しかし相手の方は、
「そんなに待てるわけがないでしょう。それまでずっと、みっともないキズをつけたままでいろっていうの?
あんたがレンタカーを借りてくればすぐ修理に出せるじゃないか。」
と言う。
べつに代車の代金も、必要とあらば都民共済から出るからお金の心配はしていないけれど、なんか、びっくり。
ひとつひとつ、“こうだろうな”と考えていたことが崩れていくので、私たち、気が合ってないのね……もう会わないのがお互いのためよ……と別れ話を切り出したくなってくる。
でもまあ、娘のために我慢するのが親だ。

というわけでグッタリガックリなここ最近なのだが、この事故で強く感じたことは、ひとつは“それが常識”と思っていることには、人によって大きく差があるということ。
もうひとつは、罵倒されるのは誰でも疲れることだが、自分のことを責められるよりも、自分の子供を責められることは、やり場のないつらさだということだ。
私自身は人からバカだと言われることには慣れているけれど、子供を「どういう育て方してるんだ」みたいに言われるのは、いいようもなくせつない。
今回のことは、娘にもたっぷりの教訓になると思う。

あと、もうひとつ、ネットの時代は怖いなということ。
万が一、相手の方がすごい粘着質な人で、ブログに私のことを書いたりしたら、と想像すると本当に怖い。
あの男性はそんなことをするタイプには見えないけれど、事故では本名と連絡先を伝えあうから、相手によってはこういうときに逆上して書かれないとも限らない。
だから穏便に済ませたいのよ。
とにかく早く終わってほしいわー。

by apakaba | 2010-01-26 22:42 | 生活の話題 | Comments(4)
2010年 01月 23日

不況を感じるとき

きのう、アルマーニ コレツィオーニのジャケットを衝動買いした。
とかいうとすごーく贅沢な奥様みたいね。
吉祥寺伊勢丹に用があってたまたま行ったら閉店セールをしていて、一週間だけ、アルマーニ コレツィオーニも出店していたのだった。
コレツィオーニはアルマーニのビジネスラインで、レディースがまだ「MANI(マー二)」という名称だった時代によく買っていた。
2000年からメンズと統合されたがそれ以降ほとんど買っていなかった(子供にお金がかかるようになってきたからです)。

特設会場にふと立ち寄ると、ポリエステル製のごくカジュアルなジャケットが○万円!
まさか?と定価を見たら、定価からすでにヒトケタ代。
昔のコレツィオーニだったらありえない。
信じられない思いでタグを見つめると、中国製と書いてある。
これにもびっくりして、ほかの、もっと高そうなジャケットやコート類をたしかめてみたら、こっちはセール品でもフタケタで、イタリア製。
もらい物のお買い物券をたくさん持っていたから気が大きくなって、つい買ってしまった。
これだからお買い物券は危ない。
でも、驚きの安さで買えたのでまあいいか。

久方ぶりのコレツィオーニで、いろいろ考えてしまった。
たまたま、ジャケットは趣味に合うデザインがあったけれど、ほかの服を見ても、おばさんそのものというデザインばかりで、まったく購買意欲がわかない。
素材も、触っただけでうっとりするような(そしてすぐにへたりそうな)アルマーニらしい繊細さが消えている。
いくらセール品だとはいえ、この急激な大衆路線への転換はなぜ?
あれほど魅力的な服ばかりが並んでいて、20代後半から30代前半のころにはブティックに行くだけで「ほしい服ばっかり!眼福!」というくらいステキだったのに。
中国製の廉価版といい(まんまと計略にはまりそっちを買うことになったが)、ジョルジオ氏は、もうコレツィオーニを見放しているのかな?

ああそうだ。
世界は、不況なのだ。
不況といってもお金持ちはいつでもどこにでもいるから、そういう人たちはあいかわらず、ファーストラインの黒ラベルを買うはず。
若いおしゃれさんはエンポリオやAJ(アルマーニ ジーンズ)、A|X(アルマーニ エクスチェンジ)を買う。
もっとも不況のあおりを食らっているのは、白ラベルつまりコレツィオーニを着て仕事に行く、働き盛りの中年諸君だ。
かつてビジネススーツに白ラベルを選んでいた層が、買えなくなっているのだな。

毎日、いろんなところで「コストダウン」を感じている。
値上げをする代わりに、質を落とす・量を減らすという方法をよく体験する。
たとえば、チチヤスヨーグルトの「毎朝快調ヨーグルト」6個パックは、以前より分量が減った。
ドミノピザの「ピザ・マルゲリータ」は、トッピングのトマトが激減し、ほとんどただのプレーンチーズピザみたいになっちゃった。
ニチレイの「パリパリの春巻」は、急にお弁当のおかずが必要なときのために買っていたが、具の量が少な〜くなっている。
「パリッ!……あれ?皮だけデスカ?」って感じ。

……もう買わないよ。
こういうことされたら。

べつに毎朝快調ヨーグルトも、宅配ピザも、冷凍惣菜も、生活上不可欠というものではない。
でもこういう、ほんのちょこっとしたことで、ほんとに不況だなーと実感しちゃう。
ジョルジオ氏も、国内食品会社も、好きでコストダウンしているわけではないのだろうが、時代は変わったなあ。

by apakaba | 2010-01-23 18:05 | ニュース・評論 | Comments(8)
2010年 01月 22日

GOGO墨田区!

きのう、用事があって、初めて東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅まで行ってきた。
東京の西に住んでいるので、同じ東京といっても、東のほうにはとんと疎い。
こんなに遠いのね。たっぷり1時間半以上。東京って広いのねえ。
あまり遠出をしない生活をしていて、出かけるとしても渋谷・新宿・吉祥寺(この中では圧倒的に吉祥寺)辺りまでしか行かないから、遠いところに来たなあ……とつくづく思った!

渋谷から浅草まで、銀座線を端から端まで乗るだけで、すでにかなり客層も変化している。
終点の浅草で降りると、松屋浅草から、買い物を済ませたおばさんたちがゾロゾロとうれしそうに出てくる。
浅草から東武伊勢崎線に乗ったらなんだかもう、お客さんたちの雰囲気がね。
うちのほうの電車内とはまったくちがうものねえ。
年齢層が高いし、買い物した荷物をぽんぽん座席に置くし(それでも十分に空席はあった)、みんな普段着なんだけどその普段着っぷりが、吉祥寺辺りの普段着加減とはまたちがうのだ。
もちろん、全身ユニクロとかその手の普段着っぷりとも全然ちがうの、わかるかな?
ぼやっと座っている60歳前後のおじさんたちは、黒い靴下に黒い靴、ダンロップとかの。
ニットの帽子はホーキンス。
買い物帰りのおばさんたちは、座るとさっそくがさごそと飴を取り出して、わけっこしながら「あなたアレ買った?」「買ったわよー!」と松屋浅草の戦績をおしゃべりしている。
なんともいえない、くつろいだ感覚。

発車しても、走り出しの箇所からきついカーブがあるため、古典的なジェットコースターのスタートのように、がったんごっとんとのろのろ運転だ。
のろのろのまま隅田川を渡る。
実物を目にするのはこれで2回目?3回目くらい?
アサヒのフィリップ・スタルクデザインうんちビルはあいかわらずうんちだった。

身をよじって窓の外をきょろきょろ見回すと、あのバベルの塔は、現在274メートル。
ほんとに634メートルまで建てるのか?
のんびりぼんやりムードの車内で、必死にタワーを探す私は、ひとめでよそ者とわかるだろう。

鐘ケ淵駅で降りた。
私は旅行が好きなので、初めての小さな駅は、時間があればいつもあちこち歩き回ってみる。
隅田川七福神めぐりという幟がそこここに立っているので、ひとつだけでも参拝してみるかと思い立ち、多聞寺へ行くことにした。
毘沙門天は四天王のうち最強の守護神だから、なんか御利益がありそうじゃない?
でも、行ってみたらただの小規模なお寺で、外からでは弘法大師作だという本尊の毘沙門天像も見えず、甚だ落胆。
まあ、道中の街の様子がこれまた下町そのものでものめずらしく、寄り目のネコがじっと見つめていたり、カラオケスナックどころか“ヴォーカルスナック”とか書いてある店があったり、異文化体験には十分だったが。

電車に乗ったときも感じたことだが、街に流れる空気のにおいがちがうというか、においよりももっと微かな、空気の“質感”がちがうというのかなあ?
あー遠いところに来た、生活圏内から出た、東京ってとてもバラエティーに富んだ都市なんだ、と、すっかりオソレイリヤの鬼子母神。
いや七福神。入谷辺りは、こっちの最果て感に較べたらまだまだ、旅情足りないよ。
(住民にとっては、勝手に最果てにされていい迷惑かもしれないけれど、それは彼らが西へ来たときにもきっと感じるだろうからおたがいさまということで。)
そして、私は西のほうの住民なんだなあ……と実感したわ。
きのうは外出というよりまさしく“旅!”という感覚だった!
旅って、距離や日数ではなくて、いかに自分の生活圏から脱して、その場所に共感や違和感を感じていくかだから。
思いがけずエキサイティングな一日となった。

by apakaba | 2010-01-22 11:25 | 旅行の話 | Comments(8)
2010年 01月 17日

事故

午後5時、買い物から帰ってきて夫とお茶を飲んでいると、娘の「コシヒカリ」から電話。
「おかーさん……!!」
緊迫した涙声は、どうしたのだろう。
「あのね自転車でクルマにぶつけちゃって、クルマにキズがついて、弁償しろって言われて……うううー。」
あとは嗚咽。
「自分は怪我してないのね?大丈夫、今すぐにお父さんと行くからね。動かないで待ってるんだよ。」
「う、う、うん。(嗚咽)わかった。」

相手が常識的な人だといいが……と願いながら、ふたりで事故現場へ急いだ。

大きな公園の脇に停めてある……薄暮にスリーポインテッドスターが光る……しかもぴかぴかの、E320。
こりゃ最も当てちゃいけないクルマだよ〜〜。

しょんぼりしている友だちふたりとともに、ひっくひっくと泣きながら娘が待っていた。
相手の人は、大柄な60絡みの男性だが、さほど無理難題を言ってはこなさそうだった。
下り坂を自転車でスピードのついたまま左折し、曲がったところにちょうどクルマが一時停止していたので、内側(左側)をすり抜けようとしたがブレーキがあまり利かなくてクルマの左ドアにぶつけてしまったという。
キズとへこみがついている。

暗くなってきたので友だちは家に帰し、警察を呼び、寒さのなか一時間かけて事情聴取となった。
娘は緊張と怖さでがたがた震えていて、「寒い?」と聞いても「寒くない。」という。
寒くないわけがない気温なので、私のストールを首にぐるぐると巻き付けた。
「心配しなくて大丈夫だからね。」
と何度も言い聞かせて落ち着かせようとするが、ずうっとぼろぼろ涙をこぼしている。
ストールにもはらはらと涙がこぼれ落ちる。
運悪く、一番上等のストールを持ってきてしまった。
ハンカチも貸した。
一時間も、よくあんなにたくさん涙を流して泣き続けられるものだなあと感心する。

相手の男性は、
「だけどよかったよ、クルマがへこんだくらいで済んでさ。
もしも自分が怪我しちゃったり、(彼のメルセデスの内側でなく)外側を無理に回り込もうとして対向車に撥ねられたり、もっとスピードがついていて自転車から投げ出されたところを轢かれちゃったり……そんなことにならなくてよかったねって、言ってあげてたんだよ。」
まるで女の子を泣かせたのが自分の責任であるかのように、「あんまり泣かないでよー。」と弱っていた。

警察官も、被害者のメルセデスの男性も、常識的な対応をしてくれて助かった。
都民共済のなかの「こども共済」に加入しているので、お金は大丈夫。
自腹だったら、兄ふたりの入試突入期間で物入りなわが家には、そうとうの打撃だっただろう。
やっぱり保険というのは掛けておくものね!
自分の子供が友だちと遊びに行くとき、メルセデスの横っ腹に突っ込むことを想定しながら送り出す親はいないだろう。
でもそういうことも、起こるのだからねえ。

とにかく、娘の体も相手の体も、怪我ひとつなくてなによりだった。
そして相手の男性が、悪い人でなくてよかった。
そして都民共済に加入していてよかった。
家に帰ってからもショックから立ち直れずにしゃくりあげている娘を抱っこしたら、もう私より背が高い。
あらら。

by apakaba | 2010-01-17 23:26 | 子供 | Comments(12)
2010年 01月 16日

2009年に読んだ本、Best10!(その1)

毎年恒例、昨年の読書をふりかえります。
昨年は、3月から9月までだらだらやっていたのね(2008年に読んだ本、Best10!へ)。



1...
細雪 (谷崎潤一郎 著)

昨年読んだ本の中で、小説部門第一位というくらいのおもしろさ!
文章の美しさにうっとり、とくに美貌の姉妹たちが京都の桜を見物しにいく道中の描写などは、音読したくなるほどすばらしい。
耽美的でもあるのに、あふれだす日本の叙情、没落していく名家としのびよる暗い戦争の影。
ニッポン人なら一度は読んどけ!と叫びたい不朽の名作。
おととしは新訳『カラマーゾフの兄弟』で家族モノの大長編を読み返したが、カラマーゾフに遜色をとらない、国内版家族モノの傑作だ。

2...
女性・ネイティヴ・他者―ポストコロニアリズムとフェミニズム (トリン・T・ミンハ 著)

第三世界フェミニズムについての本は継続的に読んではいるが、これは……難物だった。
読む端から理解していこうと気張ると失敗し、むしろ随所に折り込まれてくる写真(映画の一場面など)と、ミンハの謎かけのような言説とを交互に眺める(読み込むことをあきらめて、眺める)ダウナー系読書により、第三世界に生きる女性の姿に触れられるように思った。

3...
グロテスク (桐野夏生 著)

初めてこの人の作品を読んでみたが、予想をはるかに超えておもしろかった。
東電OL殺人事件をモチーフにして、語り手がころころと入れ替わる独白形式の展開が、人の心の深い闇を多角的に照らすことに成功している。
これがあまりにもおもしろかったので、桐野夏生のほかの作品を読む気が失せてしまっているなあ。

4...
東電OL殺人事件 (佐野眞一 著)

先に小説『グロテスク』から入って、あとからこっちへ。
出版当時の評判があまりよくなかったのでこれまで読む機会を逸していた。
読んでみたらたしかに悪評どおりだ。
読者おいてけぼりの被害者への感情移入、文章力がお粗末に過ぎる。
ノンフィクション作品としてはまったく読む価値がないのだが、ごく個人的に、いくつかの点でおもしろかった。
ひとつは、容疑者の故郷であるネパールの村へ、一週間の強行軍で取材に出るときの章。
私も、昔こういう僻地への旅をしていたから、筆者の艱難辛苦の道程が目に見えるようだった。
そしてなによりの、ご当地感覚。
渋谷はうちから一番近い繁華街だから、渋谷のすり鉢状の地形が、足の裏に響くくらいの身体感覚でよくわかるし、被害者の女性の自宅が、まさにわが家の徒歩圏内である。
そういうおもしろさだけで、最後まで読み切れた。

5...
日本の難点 (宮台真司 著)

ファンである宮台さんの新書。
宮台さんらしさ全開で、現在の我が祖国ニッポンを論じていくが、読みながら若干、不安を感じる。
——私にはいいけど、みんなにはどうでしょう?
私は、これまでも彼の著作を読んでいるし、インターネット放送局ビデオニュース・ドットコム(←ネットを見る皆さんなら、是非!)の配信も、かかさず見ている。
だから彼独特の、釣り師めいた、キャッチコピーにあふれた議論に慣れている。
慣れているっていうか好きだ。
でももしも、この一冊が、マイ・ファースト・宮台本だったら?
きっと、半分(以上)の人は、脱落するか、不快に感じるか、バカだと断定するか、ではないのか?
この本は、評価が難しい。
私には快感でも、あなたには不快感が残るかも。
宮台上級者にはもちろんオススメ、しかしもし彼に興味を持ったらほかの著作から入っていただきたい。



本日はこれくらいにします。
その2へつづきます。

by apakaba | 2010-01-16 23:22 | 文芸・文学・言語 | Comments(4)
2010年 01月 15日

センター試験前夜

まるっきり緊張感がありません。
長男「ササニシキ」は、明日がセンター試験本番なのだが、本人は今朝も9時起き。
国立志望じゃないけど友だちみんな受けるからまあノリで受けてみるか、というくらいの気持ちなので、気楽なものだ。
といっても来月には私大の入試がぎっしりと入ってくる。
毎日ゴキゲンで勉強している。
よくいえば泰然自若、悪くいえばのんきで鈍い長男みたいな性格は、案外、受験向きなのかもしれない。

同じく、親の私もまるっきり緊張感がありません。
長男だけでなく、次男「アキタコマチ」の高校受験もそろそろ大詰めだというのに、あいかわらず飲みに行ったりバーゲンに行ったり、どこか旅行に出かけたーいとか考えたり、ひたすら自分の欲望に向かって邁進している。

……思ってたのと、ちがう。

いくら子離れ著しくてさめている私でも、受験生ふたりって、もうちょっとは盛り上がるものだと思ってたよ!
結局、がんばるのは私じゃないのね。
お金の用意にがんばるだけなのね。(今日も、一件払い込んできました)
次男は体と神経が少し細いが、長男に関してはどうせ風邪なんか引きっこないから、体調もちっとも心配してないし。
小学生のときからずーっと無欠席の、頑丈なヤツなのだ。
性格はのんきで体は頑丈、おお、このうえなく受験向きのような気がしてきたぞ。

今朝の会話。

「サ」: (私大入試は)五分五分ってところかなー。得意な問題が出れば受かる、苦手なところが出れば、無理。
私: 受験なんてそれくらいが一番おもしろいよ。明らかに無理なところを受けるのはつらいし、楽勝なとこを受けてもつまんないし。
「サ」: アハハ。当たるもハ、ハ、ハなんとか、当たらぬええとーなんとかかんとか。
私: ……(そんな諺も言えないのか。しかもたいして当てはまってない。落ちるぞ。浪人。)

それでも、長男の志望校と学部について、私は「あの学部受けるの?なんでー?」「こっち受けないの!受けたらいいのに!引っかかれば儲け物だよ」などと、意見を言いそうになっていた。
夫はいっさい口を出さず、
「お前がやりたいようにやれ。お前が出した結論なら俺はそれでいい。金は出すから。」
だけ。
内心では「あいつもバカだな。こっち受けりゃいいのに」などと思っていることはワカル。
親の意見を決して押し付けず、子供の選択を尊重する態度は、私よりも立派なものだなー。

先ほど、犬の散歩から帰ってきた娘の「コシヒカリ」が、コアラのマーチを持っている。
「コ」: めざせ合格って書いてあるから、なんとなく買ってみたの。どうしようかな。お兄ちゃんたちにあげようかな。でもわたしも食べたいな。どうしよう。
私: 『わたしからの気持ちです』と言って、みんなで開けたら?
「コ」: うんそうだね、そうする!でもどこに置こう?
私: みんなに見えるように、テーブルに置いておいたらいいんじゃない。
「コ」: うん、そうする。

受験をする当人たちと周りの家族、それぞれの大詰めなのね。
6年生の娘は、昨年度までは中学受験をしようかと考えていたが、進学塾が嫌になって受験をやめた。
ということは、3年後には、こんどは娘の高校受験と、次男の大学受験(をするのなら)が重なる。
私もいちいち細かいことで気を揉んでいられません。
なんだかもう、すでに子育ても引退気分ですよ。

by apakaba | 2010-01-15 19:12 | 子供 | Comments(10)
2010年 01月 14日

それが日常とつながる瞬間

ゆうべのNHK「歴史秘話ヒストリア」見ましたか?
たまたまテレビをつけたら原爆ドームが映っていたのでそのまま見てしまった。
私はもう感動しちゃって、何度か泣きそうになりましたねえ。

「焼け跡とバウムクーヘン~あるドイツ人夫妻の苦難と愛~」という回で、ドイツ人の菓子職人夫妻が二度の戦争や災害に翻弄されながら、我が国に初めてバウムクーヘンをもたらし、そして……という話。
(詳しくはヒストリアのサイト内のバックナンバーからさがしてください)
原爆ドームに、昨年の秋、初めて行き、牡蛎を我慢して原爆ドームという話を書いたばかりだった。

原爆ドームが本来の名前で本来の役目を果たしていたころ、カールというドイツ人捕虜の菓子職人が、原爆ドーム、いや広島市物産陳列館でバウムクーヘンを焼いて即売したという。
日本で生きることを決めたカールは、横浜に店を構えた。
横浜で関東大震災に遭い、神戸へ逃れ、神戸でふたたび洋菓子店をつくった——カール・ユーハイムの店を。
横浜は故郷なので港の映像などを懐かしく見ていたが、途中から見始めたので、ここで初めて名前を明かされ、カールさんのつくった店とは、神戸のユーハイムのことだったのか!とまた驚いた。

昨年の2月に、3回連載で「神戸・北野観光 〜“異国の中の異教徒”と『細雪』を追う〜(2009年2月分目次へ)を書いたが、その『細雪』に幾度か「ユーハイム本店」の名前が登場するのである。
ちょうど1年前にあの小説を夢中になって読んだことが、また思い出されて、訪れた神戸の風景がテレビに映るとまたしみじみとした。

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きのうの夕方、犬の散歩で近所を歩いていると、家から一番近いキリスト教会の建物が、全面的に取り壊されて新築工事をしていた。
私はクリスチャンではないが、教会に入るのは好きだし、機会があれば礼拝に出たりもする。
そういえばこの教会には入ったことがないけど、どんな建物になるんだろうな……まだぜんぜんわからないや……と思いながら通ると、建築計画のお知らせの看板から、「ヴォーリズ」の文字が飛び出してきた。
「えッ!」と暗い道で立ち止まり、看板に近寄ってもう一度見直す。
まちがいない。
設計、竣工、一粒社ヴォーリズ建築事務所……すごーい!!!
徒歩5分のところに、“ヴォーリズ建築”が建っちゃうのね!

おととし、近江八幡を訪れ、ヴォーリズ建築をいくつか見て歩いた。
ひどく感銘を受けたので、その探訪記を近江八幡・ヴォーリズ探訪の旅と題して書いた(感動巨篇!是非!)。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの遺志を受け継いだ建築事務所の作品ができあがっていくのを、散歩コースの途上で見られるとは、なんて愉快なんだろう!
完成したら是非とも見学させてもらって、日曜礼拝で唄ってもいい!(賛美歌を唄うと、音の響きをよく感じられるから)

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きのうのふたつの偶然は、もしも何年か前の私だったら、なんにも感じることなく過ぎてしまったものごとだろう。
「ヴォーリズ」の文字に激しく反応し、犬を連れたまま口を開けて建築計画を読んでいることや、菓子職人「カール」さんの日本での軌跡をたどりながら感激していることが、とてもとても楽しい。
本を読み、旅行をして、感動してあれこれと書きつづってというくり返しと、まるで平凡な主婦の一日とが、あるときカチリと結ばれあう……人からしたらなんの意味もないことなのだけど、自分にとっては、それはとてもとても楽しい日に、なるのです。

by apakaba | 2010-01-14 23:22 | 旅行の話 | Comments(8)
2010年 01月 12日

IZU PHOTO MUSEUM開館展 杉本博司—光の自然(じねん)

5年前、「杉本博司 時間の終わり」展に行ったことを書いた(こちら)。
あのとき、初めて杉本博司という“アーティスト”を知った。
そのあとすぐに、著書『苔のむすまで』も読んだ。

両手を広げるくらいに大きな、彼の作品である写真を前にして立ったときの、ズキズキくるような高揚感——とはまたべつの、心にすーっと沁みていくような、しかし沁みていく途中でこつんこつんと刺激をくわえられているような。
身体(しんたい)に訴える人なのだ。
“アーティスト”という「日本語」が大ッ嫌いだが、彼には最大限の尊敬を込めて、artistと呼びたい。
(著書の感想。2005年に読んだ本、Best10!掲載分より)

あれ以降、さまざまな写真展や美術展に行っているが、あとにも先にも、杉本博司の展覧会の衝撃を凌ぐものはなかったように思う。
先日、昨年オープンしたばかりの、IZU PHOTO MUSEUMで開催している、「杉本博司—光の自然(じねん)」へ、行ってきた。

杉本博司とは、いったい、誰なのか?
写真家というだけではない、古美術収集家としても知られているし、文筆は『Casa BRUTUS』での連載でもわかるとおり、知的でもありエモーショナルでもあり、ぐいぐい読ませる。
そして直島アートプロジェクトの護王神社の例を引くまでもなく、新しいのに日本的な感動のあるものをつくってしまう。
才能あふれるアーティスト、という凡庸きわまりない呼び方でしか言い表せないことに、自分でひどくいらだつが、枠に収まりきらない人物というのはそういうものなのかもしれない。
IZU PHOTO MUSEUMの設計も、彼自身である。
実に小さなミュージアムであり、内部にも少ししか作品を展示できない。
もしかしたら、リッパな美術館を期待してきた人の中には、「え?たったこれだけ?こんなにせまいの?」と感じる人も、いるかもしれない。
しかし、見よ。
この、ほんの100坪あまりの建物には、なにもないといっても過言ではないほどのミニマルな坪庭には、およそ人間の心象風景のすべてが、表現されていないか?

なにもないと見えることのなかには、すべてが含まれている。
無作為と見えることのなかには、すべての作為が配されている。
配されていることで、排されている……よぶんなものが……、だからこそ拝されている……ここは、人の祈る場ではないのに、まるで、どこか人里離れた礼拝堂のようではないか?

あまりにも圧倒的な才能を前にすると、言葉遊びのような感想しか出てこない。
展示室の中に入ってみた。
自動ドアが静かに開くと、とても暗い。
昼の明るい陽に慣れた目には、縦に非常に長い展示室が、いよいよ奥行き深く感じられ、遠近感をうしなう。
その果てに、スポットライトを浴びた像が……あれは、なんだろう?
彼のつくった彫像かなにかか?
目を凝らすと、どうも歴史の深そうな、ほんものの古美術品であるように見えてくる。
ところがそこまで認めると、もう右手に展示してある異様に大きな横長の写真作品が、ビリビリと意識を刺激してくる。

ビリビリと感じられたその巨大な画像こそ、カメラを使わずに、放電により直接フィルムに感光させ、その光跡をうつしとった「放電場:ライトニング・フィールド」という作品であった。
漆黒の印画紙を切り裂くように刻印された白い光の跡は、闇夜のなか、止むことのない砂嵐に耐えて立つ潅木のようにも見えるし、血管のようにも、海の底の珊瑚のようにも見える。
瞬間の光がつくった無機質な偶然のかたちは、すべてを含意する……無作為の作為。

これは、杉本博司が、銀塩終焉の時代にささげた、光への回帰/光へのオマージュだ。

—フィルムに、光を、焼き付けるのだ!—

暗く細長い展示室を奥へ進み、強いライトを浴びた例の像にやっと着く。
鎌倉時代につくられた、木造の雷神像であった。
三十三間堂の雷神か?と一瞬だけ見まがうが、サイズはあれよりも小さい。
木の柱のようなものの上で、小さめな木像の玉眼が見学者を見下ろす。
プリントしたてのように黒々とした放電の跡の写真と、800年前の木彫りの神像が、同じ部屋に配置されていたのだった。
これは、杉本博司の古美術コレクションのひとつだろうか。
雷神像は写真作品ではないから、写真展にあるのも異質に感じられそうなものだが、これがこの位置に配されたことによって、この部屋に、これなしでは考えられないほどの緊張感と調和を生むのである。

第二展示室はごく小さく、明るい中庭があるのみ。
美術館サイト内の「建築について」を読んでいただければわかるとおり、古代の石室のようなものがつくられている。
この小さい第二展示室をまわって、第三展示室へ移る。
第三展示室には、第一展示室とはまた別の驚きが待っているから、この小さい中庭が、ふたつの細長い展示室を有機的につなぎ、ふたつの展示を見た衝撃を心に吸い込んでいくための恰好の緩衝地帯となっている。

第三展示室には、19世紀に写真技術の礎を築いたウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが実験的に撮影した紙ネガを、杉本博司が新たにプリントした作品が並んでいた。
花瓶、レース、身近な人物の肖像、植物など、さまざまな対象を、「写したい!紙に、プリントしてみたい!」という、写真撮影黎明期の心の叫びや、「うわあ、写ってた!成功した!」という歓喜の声が、暗く不鮮明な画像から聞こえてくる。

光を紙に焼き付けるという、新しい技術への、胸苦しいほどの希望は、170年の歳月ののち、いま過去のものになろうとしている。
でも、「写真」は、つねにここに立ち返らなければ。
写真技術が、そのときそのときの科学を駆使していることに変わりはないが、暗室で印画紙からフッと像が立ち上がってきた瞬間の興奮は、デジタル時代以前に写真をやっていた人間なら誰でも生涯忘れられないだろう。
カメラを持つ人は、あそこに、立ち返ってほしい。

それが20世紀の人間の懐古趣味ではないことが、この「光の自然」展で確認できた。
杉本博司は、杉本博司のやり方で、写真というこの興奮すべき体験の原点を、提示してくれていた。

会期3月16日まで。
クレマチスの丘という複合文化施設には、ほかにビュフェ美術館などもある(以前「ビュフェ美術館にて」として書いた記事はこちら)。
のどかでいいところだ。
3月までに、是非。

by apakaba | 2010-01-12 13:30 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(8)