あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 08月 ( 11 )   > この月の画像一覧


2012年 08月 31日

最後の正解は、あるのか?「7つの間違い探し」

c0042704_1619641.jpg
一応、画質を落としています。ちなみに看護師風の芋虫風のモノは杉並区のマスコットキャラ「なみすけ」ファミリーの誰かです

「コシヒカリ」が学校から「ほけんだより」を持って帰ってきた。
「ほけんだより」の裏面に、「7つの間違い探し」が載っている。
私は昔から「間違い探し」が好きで、これが来るといつもやっている。
中学の「ほけんだより」を受け取るのは、兄二人の時代から、延べ9年めである。
娘がこんどの3月に卒業したら、私が「間違い探し」をやるチャンスは激減することになる。

「ほけんだより」の間違い探しは、3つか4つまでは見た途端に見つかる。
そして残りの3つか4つは、それまでの発見のたやすさからはとうてい想像がつかないくらいに、いきなりものすごく見つけにくくなっている。
全部見つけるには、タイムを計ったことはないが、いつもだいたい15分くらいかかっていると思う。

ところが今回の分は、いくら見つめていても最後の1つが見つからない。
娘は「ぱっと見て4つしかわからなかった」と言っていたが、すぐに6つまで見つけた私は、娘が学校に行っている間も、テーブルの上に置いておいて何度か見直していた。
でも最後がどうしてもわからない。

「コシヒカリ」が学校から帰ってくると、プッと吹き出して
「おかーさん……朝からまったく様子が変わってないんだけど。」
と言う。
「行ってきまーす」と出かけていったときと「ただいまー」と部屋に入ってきたとき、私は同じ椅子で同じムズカシイ顔で同じ「ほけんだより」を見つめていたからだった。

「コシヒカリ」:そんなに難しいの?
私:うーん、わからない、どうしても。最後の1つが!……あのさー、これ結局、正解はわからないままなんでしょう?この「7つの間違い探し」って、来月の「ほけんだより」に正解が載るわけじゃないんだよね?
コ:うん。
私:だったら、今月は6コしかなかったのかもしれないじゃん。
コ:ええー。そんな馬鹿な……いくらなんでも、おかーさん……
私:だって誰も正解を知らないんだったら、6コのときがあってもそのままで終わっちゃうじゃん。おそらく、これは陰謀なんだよ。
“このクイズは、とびっきり難しい”と印象づけるための操作なんだよ!!!
そうすれば、誰もこのクイズを馬鹿にする人はいなくなるでしょう?
コ:おかーさん、いくら見つからないからってさすがにそれはないと思う。
私:いや陰謀だって。だっておかーさんは一日中これを見ていたんだよ!それでも見つからないんだから、今月は6コだよ!

あやうく「うん」と納得しそうになる「コシヒカリ」。だが。

コ:あのう、実はわたし、最初にこれが配られたときに「これかな?」と思ったのがあって……たぶん、印刷ミスだと思ったから言わなかったんだけど……
私:え!どこどこ!
コ:この、上履きの紐みたいなところが、こっちは黒くて、こっちは白く見えるような……
私:んんんー??うーん、微妙ですね……印刷ミスというより印刷のインクがこっちは多めで黒くつぶれただけじゃないかな……でも、他に本当にあやしいところが1つもないんだから……これだけ真剣に探してもないんだから……、うん、やっぱりこれだよ!これが7つめだ!
コ:えっ、それでいいの?これが正解?おかーさん、そんな結果で、いいんですか。
私:いいよ。
コ:だって、陰謀は。
私:いやきっとこれですよ。よく見つけたね。

“誰も正解を知らなければ、「どうしても最後の1つが見つからない」という状態こそが正解となる”
自分で導き出してみて「これはいける」と思ったんだけどなあ。
娘に負けたなあ。

by apakaba | 2012-08-31 17:50 | 子供 | Comments(5)
2012年 08月 30日

窓を開けて風を入れて……

c0042704_10572499.png


陽が落ちた川沿いの遊歩道を犬の散歩で歩く。
後ろから歌声がとぎれとぎれに聞こえてくる。

自転車に乗った人は、聞かれても一瞬で遠ざかってしまえる気安さからか、鼻歌を唄いながら、時に大きな声で熱唱しながら遊歩道を走っていることがある。
後ろから聞こえてくるのは男性の歌声だった。

聞いたことのある歌詞だな?と思い当たり、なんだっけなんだっけ……と、同じ進行方向に歩きながらも、その自転車が追いついてくるまで考えている。
“窓を開けて風を入れて……”
“二人きりの夕涼みは……”

ユーミンか?

はっと思い出して顔を上げた瞬間、ぴたりと歌が止まった。
その人は、私の背中がすぐそばに近づいてきたら、聞かれるのが恥ずかしくなったらしい。
なかなか上手なのに。
恥ずかしがっているのに、振り向いて相手を見るのも悪いので、なにも聞いていなかったふりをして歩き続けた。

私を追い越したその人は、若いお父さんだった。
“お父さん”とわかるのは、後ろの席に小さい娘がちょこんと載っていたからだった。
保育園のお迎えの帰りだ。
その日は金曜日で、明日はお休みなのだろう、後ろの席からこぼれ落ちそうなくらいに、持ち帰りの荷物も積んでいた。
タンクトップを着て、夏用の中折れ帽をかぶったお父さんは、私を追い越したら安心したのか、また歌のつづきを始めた。

“窓を開けて風を入れてむせるくらい吸い込んだね 二人きりの夕涼みは二度と来ない季節……”

まだ聞こえてるよー。
あの人は娘に、帰り道でああやって夏の歌を聞かせているのか。
タンクトップの大きな背中と、麦わら帽子の小さい背中は、すぐに闇に消えた。
何十年も思い出さなかった歌だったな。

by apakaba | 2012-08-30 11:03 | 生活の話題 | Comments(4)
2012年 08月 29日

テマヒマ展に行って思ったこと

21_21 DESIGN SIGHTで開催されていた、テマヒマ展〈東北の食と住〉に行ってきた。

c0042704_14471667.png


東北地方で受け継がれてきた保存食品や伝統工芸品などを陳列している。
映像で実際にそれらをつくっている様子を見て、大判の写真で東北の自然や農家の軒先などを見る。
この展覧会は、もちろん東日本大震災を受けてのシリーズ企画であるが、展示の中では震災のことには触れていない。
ただただ、美しいモノが並んでいるだけ。
それが胸にぎゅうっと迫る、すばらしい企画展だった。

ここには何度か来ているが、これまでで一番よかった。
今までは、「なにを見ても、プログラムが建築(安藤忠雄)に負けてる」という感想しか出なかったが、今回は安藤氏のことはすっかり頭から消えていた(安藤建築のことが頭から消え去る瞬間こそが、最も安藤建築を輝かせる瞬間でもあると私は思っている。建築家の本望というか)。

残念ながらもう会期終了なので、あまり展示内容に詳しく触れてもしょうがないのだけれど、私がとくに感動したことを書いておく。
それは、来場者の多さと、その多くが若い人だったということだ。
ここがこんなに混みあっているのを見たのはまったく初めてのことだった。
六本木という都会の真ん中だから、という理由では決してないはずだ。
東京のいろいろな展覧会に行っているが、がらがらの展覧会はいくらでもある。
ひとえに、“東北への関心の高さ”ゆえだ。
やはり、震災を経て、東北への注目度は俄然高まっている。
有名西洋画家の美術展などによくいる、レベルの低いおばさん来場者たちとはまるでちがって、皆、展示品にうっとりと見入っている。
その、人々の真面目な見学態度を見るにつけてもすっかり感激して、涙が込み上げそうになった(震災のことを考えると異常に涙もろくなってしまう私)。

来場者の若者の比率の高さも目を惹いた。
記憶にある限りでは、直島のアート巡り(旅行記へ)に匹敵する“若者率”だった。
若い人は本当に真面目だな。
大学生くらいの男性二人が、
「少し、展示が無機質なんじゃないかと思ったんだよ。あれだと親しみが感じられないような。」
「俺はそこがよかったと思う。むしろああいう、べたべたした感傷を排したような、わざとそっけなく並べた展示が狙いっていうかさ。それがあの、並んでるモノを引き立たせてるというかね。」
「ああ、展示に集中できるって感じ?」
「うん。」
などと、真剣に感想を述べあって議論していた。

c0042704_14482372.png
やっぱり私は東京が大好き。真面目な若者が好き。老害退散。

東京は、東北とこんな形でつながってる、と思えた。
東京っていいなあと思っちゃった。
やっぱり、若い人は国の宝だな。
東北の美しい品々にしみじみとし、若い人たちの動員数を目の当たりにして、希望に満ちた気持ちになった。

※以前、21_21 DESIGN SIGHT を訪れて、安藤忠雄氏ご本人とお会いできた話はこちら→安藤忠雄ギャラリートーク@21_21 DESIGN SIGHT
この建築本体のことについて、アツくレビューしてます。こちらも是非。

by apakaba | 2012-08-29 15:06 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2012年 08月 28日

夫を迎えに行ったはずが

c0042704_2304568.jpg
暗闇がこわいのは……心に闇があるからデスカ?

夜になってから犬の散歩に行き、そろそろ夫が帰ってくるかもしれないと思って通勤の道を家から駅に向かって歩いてみる。
うちのほうは、夜道がけっこう暗い。
細い夜道で、街灯の光を背にした男性が遠くからこっちに歩いてくる。
夫は非常に背が高くて痩せ型の特徴ある体型なので、人込みにいても決して見間違えることはないのだが、その男性は夫ほどではないが痩せ型の長身で、一人きりで逆光の中だったから、「あれ?夫かな」と思った。

私は住宅地の裏道のT字路の角に立っていた。
シルエットのままで近づいてくる男性を見ながら
「夫かなあ、でもちょっとだけ背が低いみたいだし、歩き方も投げやりな感じでちがうみたい。でも夏休み明けの出勤でバテて、あんな歩き方をしてるのかも?あ、わかった、私だと気付いて、おどけてあんな歩き方をしてるんだ。」
と考えていた。
いや、どうもちがう、ちがう気がする……と思い始めているのだが、さりげなく視線を外す機会を失って、「ちがう、別人だ」とわかってきているのに凝視をつづけてしまった。
ほんのすぐそばまで迫っているのに、あいかわらずその人の顔は完全な暗闇で見えないままだ。
私は金縛りにあったように角に立ちすくんでいた。

その人は、赤の他人の私(もう別人だと認識しているが100%の確信はない)が立っているのに、少しも歩調を緩めることなくずんずんと近づいてくる。
私にまっすぐ突進してくるようにだ。
その、迷いのない歩行のテンポに魅入られるように、私は凝視をつづける。
「夫なの?ちがうってば。いや、でもひょっとしたら夫かも?いやそんなはずない。でも、この歩くスピード。見ず知らずの人間のそばを通りすぎるスピードじゃないわ」

闇の中から出た。
私の頭上の街灯に照らされ、ついにその人の顔がまともに見えた。
やっぱり、夫とは似ても似つかない、別の男性だ。
彼はきわめて不機嫌そうに、私に突進してくる。
ぶつかる。
え、もしかして突き飛ばされるのかな私?
刺されちゃうとか?
目が据わってるし。
この人こわい!助けて!

人間の思考って、緊張の高まる瞬間は、一秒の何分の一というわずかな時間であっても、これくらいのことは頭をよぎるものなのである。

私の体の脇をぎりぎりぶつからずに彼は通りすぎた。
そのまま歩を緩めずに、私の立っていた角に建つ家へ吸い込まれていった。

至近距離で見た彼がいまいましそうな顔をしていたのは、疲れていたのもあるだろうが、私が彼の帰り道の最短コースに立ち塞がっていたからではないか。
しかもバカみたいに数十メートルも先から見つめつづけて。
そうではなくて、犬を連れていたのが気に障ったのかもしれない。
うちの壁におしっこをひっかけたりしたら承知しないぞ……なんて思いながら、歩いてきたのかもしれない。

いずれにせよ刺されなくてよかった。
やっぱり暗い夜道はこわい。
犬を連れていなかったら、ふたりの距離が最も近づいた瞬間、私は恐怖に声を上げてしまったかもしれない。

by apakaba | 2012-08-28 23:05 | 生活の話題 | Comments(0)
2012年 08月 27日

異彩はホログラムとなり、旅路を照らす——武田尋善さんの個展「茸帽子道中見聞録」

c0042704_18153872.jpg
会場は、とってもステキなA.C.T.

今年の初めに初めてお会いしてから、いろいろなイベントで顔を合わせてきた芸術家の武田尋善(ひろよし)さんの個展が、きのうまで開かれていた。
「芸術家の」と書いたが、私にとっては、彼はついきのうまでは「お料理をする人!」だった。
相棒の鹿島信司さんという方と二人でマサラワーラーというコンビでインド料理を作る。
そのおいしさと明るい笑顔でどんどん人気が出て、イベントに引っ張りだこのお二人である。
きのう、初めて武田さんの別の顔を見た。

c0042704_19235961.png
チラッと見えるのが武田さんのオートリキシャ!

ギャラリーで絵を見ながら、彼にとって、インド料理を作ることも、絵を描くことも、まったく同じ文脈の中にあるのだと思った。
どんどん思いつく。
どんどん作り出す。
ぜんぜん手が止まらない。
もっともっと、おもしろいことを思いついちゃう。
それは、すごく新しくて、すごくおもしろいもの。
そうやって自然と、周りに人が集まってしまう。

c0042704_1924504.jpg


一日早く個展に行ってきた「アキタコマチ」が、
「人に、自分の作ったものを“作品として見せる”ということはこういうレベルか、と思い知った。自己満足レベルじゃなくて、きちんと人に見せて、売れるモノ(作品は即売されている)。自戒を込めてそう思った。」
と、かなり感銘を受けていた。
本当に才能のある人って、ああいう感じ。
いろんなことを、ただ純粋に大好きで趣味みたいにやっているんだけど、突き詰めていくとそれが生業になってしまっている。
武田さんの才能には圧倒された。

それは、各々の作品に添えられた童話のような短い文章にもあふれていた。
今回のテーマは、森のキノコが、大きくなってひっくり返されたかっこうで帽子となり、タビビト(似てないけど武田さんの姿か)の頭に載っていろんな場所へ旅する……というようなものだったが、これがもう、文章と絵で本にしてくれたら絶対に買うのに!というものだった(本は作ったそうだがすぐに売り切れてしまったという)。
文才もすごい……いや、文才というと軽々しい。
文章は飾り立てていなくて平易なのだけど、まるで絵のような別の世界を開いてくれるというか……そこに掛かっている彼の絵と、ビリビリと共鳴しあって、その場にボワッと旅世界のホログラムが立ち上がってくるような感覚だ。
魔法使いみたいな人だ。
茸帽子をかぶった魔法使い。
異次元な音楽とともに、別の世界へ連れていく。

最終日は、「異次元パレット」という音楽ユニットが特別出演して、武田さんがスケッチブックにごくすばやく描いていくスケッチ(ちゃんと茸帽子が旅に出るストーリー仕立て)に合わせてさまざまな楽器を即興で演奏していくというとんでもなく高度なショータイムもあったのだ。
異次元パレットはふだんは二次元パレットという名前で活動しているという。
このお二人もすごい才能。
才能のある方同士って、やっぱり共鳴しあうのだね。

c0042704_19264895.jpg
これが「旅」という作品ですが、わざとぼやけた撮影にしています。

旅の始まりから終着までを順番に見ていくと、最後のほうにずばり「旅」というタイトルの作品があり、そこに添えられていた文章の前で、私は息を呑み、動けなくなった。
個展なのであまりばっちり作品の写真を撮るのはひかえたが、この文章だけは持ち帰りたいと思って、ご本人の許可を得て撮影させていただいた。
この言葉は、「私と同じだ!私が思ってたことと!表現まで、まるっきり同じだった!」

c0042704_19274366.png
旅に出る前の場所と
旅から帰った場所が
違う場所

その言葉がずっと残っていた。

それならば、旅は終わらないのではないか。
円のようにもどってくるのではなく
螺旋のように、元居た場所の凄く近く
だけど少し違う場所に遠回りをして行く。

繰り返しているようで、繰り返していない。
その繰り返しは、繰り返しではない。


学生時代最後の卒業旅行で、インド・ネパール・パキスタンを一ヶ月半歩いてきたとき、旅行記の最後に私はこう書いていた。

直線的に流れていく時間を40日だけ止めて、できるだけ大きな円を頭のなかに描き、その上を、わざとゆっくり歩を進めてきた。
ところがその円は、じつは円ではなく、ゆるやかな螺旋だった。
ほんとに“戻った”のでなく、旅の前よりちょっと浮き上がった地点に戻ってきている。私はもう、アジアの旅の楽しさを知っているし、学生という身分でもなくなる。なにしろ生涯最後の春休みなのだから。


「円」「螺旋」という表現もピタリと同じ。
ここで、私は彼とビリビリ共鳴しあった!
1990年、旅日記を抱えた生意気な22歳の女の子が、ホログラムになってそこに立ち上がった!
二倍の年月を生きてから、思いがけず再会した!
胸に込み上げるものがあった。

だが、いったん武田さんに撮影の許可をもらうためにその場を離れ、また「旅」の絵のところに戻ると、一人の男性が動けなくなってしまっている。
まるでつい先ほどの私みたいに。
辛抱強くその人が去るのを待ち、やっと撮ろうと思うと、こんどはその男性よりやや年かさの男性が動けなくなった。
みんな、その絵と言葉の前で釘付けになり、自分にしか見えないホログラムを見ているんだ……彼ら、旅好きなんだな……背後から二人の男性を見送りながら、私にははっきりとそう感じられた。

c0042704_19291052.jpg
武田さんが作ったお人形も、これが最後の一体!ラッキーだった私!横の犬さんたちは武田さんの奥様作。ソーキュートよ

「すごくよかったです!」と武田さんにバカ丸出しの感想を言い、私のことなんか覚えてくれていないだろうと思って自己紹介すると、
「覚えてますよ!シャールク大好きミタニさんでしょ!」
と言ってくれて、それもカンゲキ……!!!!!!(インド映画の王道を進む、『ラ・ワン』というレビューを書いたばかりですのよ)

ギャラリーを借りて個展を開くというのは、お客さんにとっては気楽なものだが、やるほうはとても大変だということは、次男がグループ写真展を何度もやっているので想像がつく。
だから、きのう会期終了したばかりの武田さんにこれを言うのは酷だというのは重々承知、でも言わせてくれ。
「次回が待ち遠しいです!」
次回には皆さん、どうぞ行ってくださいね。

c0042704_19312758.jpg
オマケ!マサラワーラーのもう一人、鹿島さんは実は二次元パレットの特別メンバーでもある。つまり鹿島さんは料理人であり音楽家。まったくこの人たちの才能には気絶しそうだよ。鹿島さんに「覚えてないと思うけど、こんにちはミタニです。」と挨拶すると、「覚えてますよ!カフェスローで会ったでしょ!これあげます」とみそピーをくれたのでした〜カンゲキ〜。

※武田さんのサイトはこちら→
武田尋善的世界 総天然色
  過去のお仕事を見ることができます。

※卒業旅行の日記は、「1990年の春休み」として以前に95回連載しました。
長すぎるので誰も読まないとは思いますが、本文に載せた抜粋箇所は最終回の分です。

by apakaba | 2012-08-27 19:57 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2012年 08月 22日

香港・マカオ家族旅行写真一挙掲載!

今回の旅行はほんっとに写真撮る気ナッシングで、いつにも増してヘボ写真ばかり。
いつものように旅行記の連載はしないで、写真を一挙に並べて一回完結でいきます!

c0042704_22465917.png


それでは、写真超満載で一週間の旅行をふりかえります。雑感は最後に。

by apakaba | 2012-08-22 11:13 | 家族旅行香港マカオ2012 | Comments(8)
2012年 08月 20日

香港・マカオ家族旅行雑感

c0042704_12584625.jpg


きのうのお昼!
自宅用香港土産に買った麺とスープのセットを調理しました。
麺はゆですぎてしまいましたが、スープのとろみにはビックリ仰天。
アワビ・干し椎茸・キヌガサダケ・フカヒレが入った贅沢なスープは、片栗粉のとろみではなくて、それらの具材から抽出された、まとわりつくようななめらかさ。
次男「アキタコマチ」は、
「片栗粉って(粉の)粒の寄せ集めって感じの舌触りだけど、これは、中から滲(し)み出してる。どうやっても分けられないなめらかさ。」
と言い表していました。


c0042704_12592773.jpg


今日のお昼!
ふつうのラーメンを家で作っただけなんだけどね。
これはこれで、日本人のラーメンの王道ですな。


というわけで、香港・マカオへ行ってきました。
今回はうちの5人と夫の母もいっしょの総勢6人という団体で、私は航空券とホテルの手配・レストランの予約・行動表の作成・(切符を買う・地図を見るなどの)現地での添乗・簡単な観光ガイド・タクシーやボートなどの手配や交渉、すべてをやっていました。
(夫はこういうことを決してやらない人です。)
5人ともそれなりに喜んでいたようなので、最大公約数的な旅でも添乗員としては合格点でしょう。

ただ、安全策をとって、行き先もホテルも食事も、私の行ったことのある場所ばかりにしたため、旅の新鮮さはないし、添乗員として忙しいし、なにより一人旅では24時間自分の自由になるのに、団体旅行では24時間自由がないといってもいい状態なので、本音を言えば楽しさよりも疲労感が大きかったです。
行かせてもらって贅沢言うなってトコだけど、我慢したりあきらめたりしなければならないことがあるのはストレスでした。
私ってやっぱり、つくづく自分勝手な人間なんだなあと再認識しました。

よく「子供の喜ぶ顔はなにものにも代えがたい」という親御さんがいるけど、私は……他のことならともかく、こと旅行に関しては、やっぱり一人旅はなにものにも代えがたい喜びだな。
去年一人で行ったときには、あれほどワクワクドキドキズキズキピカピカだった香港・マカオだったのにね。
今になると、あの一人旅のときの全能感は、まるで映画『タイタニック』の、船の先端に立って「I'm the king of the world!」と叫ぶディカプリオのような感覚でした。
あの高揚感は、もう香港に行っても二度と得られないのかもしれないなあ。
(その旅行記は「あなたを香港・マカオに連れて行くよ」です。)

写真も、ただでさえ行った場所ばかりで撮る気が起きないことに加え、夫と次男がすごーく上手に撮っていたのをちらちらと見て、すっかりやる気がなくなっちゃった。
だから写真をアップする気力も今ひとつ湧いてきません。
どうしても、家族写真中心になるしねえ。
後日、少しだけアップして終了します。

なんだか明るくない調子になってしまいましたが、もちろん、子供が成長するにつれ家族全員で出かける機会は減っているので、その意味では貴重な夏休みでした。
うちの子供たちはだいたい3人で一部屋にしていましたが、それこそ24時間いっしょでもずっとしゃべって遊んでいる様子を見て、仲がいいなあ〜と感心しました。

この旅行に「行きましょうよ!」と言ってくれて、代金もいろいろ出してくれた義母に感謝しています。

by apakaba | 2012-08-20 14:19 | 家族旅行香港マカオ2012 | Comments(6)
2012年 08月 09日

インド映画の王道を進む、『ラ・ワン』

c0042704_22514340.jpg
世界で一番好きな俳優です。

少し前に、スーパースター・ラジニカーント主演の『ロボット』を見て、おもしろいことはおもしろかったが、私はやっぱりシャールクが好きなんだなあ……という気持ちを再確認した。
今度は正真正銘、シャー・ルク・カーン主演の本作『ラ・ワン』だ。

初めてシャールクの映画を見たのは、1996年、南インドのケララ州のコタヤムという田舎町の映画館だった。
それまでも、インド映画はアニール・カプール(『スラムドッグ$ミリオネア』の“みのもんた”役の人。『ミッション・インポシブル』最新作にもスケベなインド人役で出ていた)など見てはいたが、さほどおもしろいと感じられなかった。
コタヤム以来、彼はずっと、世界一好きな俳優だ。
どんなに悲しいときも、いらいらしているときも、彼の映像を見るとそれだけで幸せいっぱいな気持ちになる。
カッコいいなあ……と見入って、にやにやと自然に笑っている。
こんな人、他にどこにもいない。
他の俳優は、どんなにすばらしい名演をする人であっても、顔を見ただけで確率100%でにやにや幸せになれるなんてありえない。

10年くらい前だったか、シャールクが来日したときに、私はファンクラブ(現存しない)に入っていたおかげでシークレットライブに行くことができた。
いっしょに行った友達からは、あとで
「あんたぜんぜん醒めてたじゃない。前に出たりもしないし後ろの方に突っ立ってるだけで。」
と言われたけれど、そうじゃなくて、ナマシャールクのあまりのカッコよさに立ちすくみ、動けなくなってしまったのだ。
それくらい、とっぴょうしもなく、彼はカッコよかった。

本作のタイトル『ラ・ワン』とは、主人公の名前ではなく悪者の名前である。
ロンドンでゲームソフトを開発する仕事のシェーカル(シャー・ルク・カーン)は、心優しい父親。
ゲーム好きの息子プラティークから、史上最強の悪者キャラを作ってほしいと言われて、新作バトルゲームで「ラ・ワン」というキャラクターをつくりあげた。
対抗する正義のキャラクターは、ラ・ワンより力の弱いプログラムにして、たやすく敵を倒せないような設定にした。
正義のキャラクター「ジー・ワン」はシェーカル自身の魂を込め(シェーカルの思考をプログラミングしている)、顔も瓜二つにつくった。
新作ソフト発表会のパーティーの最中、ラ・ワンのプログラムは暴走を始め、実体化して仮想世界から
現実世界に飛び出してくる。
そして、ゲームの対戦相手だったシェーカルの愛息プラティークの命を奪うために、執拗な追跡を始める。
シェーカルは息子を守ろうとして実体化したラ・ワンに殺され、妻ソニア(カリーナ・カプール)は悲しみのうちにロンドンを去ってインドへ里帰りすることを決心する。
プラティークは父親そっくりなジー・ワンも実体化させ、力を合わせてラ・ワンを倒そうとする。

見るまでちょっと不安だった。
やたら目に刺激的なだけの、CG使いまくった安い映画だったらイヤだなあと(俳優が演技する映画が好きで、CGが好きではないので)。
だがそんな心配はまるで無用であった。
ちゃんとしたインド映画だった。
「ここはあの洋画に似てる、あそこはあの洋画に似てる」と、微妙にあちこちパクリを感じつつもしっかりとインドのよさがあふれている。
前半はヨーロッパロケ(ここではロンドン)、後半は主人公たちがインドに里帰りしてインドロケという常套の組み立ても、私は大好き。
両方の舞台の風景を楽しめるし、やっぱりインド映画は画面いっぱいの山のようなインド人エキストラが魅力だと思うからだ。

シャールクがすばらしいのは当然として(冒頭の登場シーンからずーっとにやにやしっぱなしの気持ち悪い私)、カリーナ・カプールはよくなったなあ。
デビューしたてのころは「誰この一般人のおばさん!」と驚いたが、若いのにおばさん風だった昔より、実年齢が追いついた今のほうが、ずっと色っぽくて美しい。
さすが名門カプール家の血。
本当にすてきな女優さんになった。
彼女が夫を失ってインドに戻り、楽しかった恋人時代や新婚時代を回想するシーンでは、『スタンドバイミー』のカバー曲とともに胸に迫って、涙が止まらなかった。
ハンカチ出して本気で泣いているのは私だけみたいでしたがね。

私はシャールクのダンスシーンがとくに好きなので、たっぷりのダンスシーンがカットされていなくてよかった。
踊っているシャールクは、大輪のバラのようだ。
誰もが目を惹かれ、華やかさ・あでやかさにうっとりして、顔がほころんで幸せな気持ちに満たされる。

サンジャイ・ダットやプリヤンカ・チョプラ、そしてラジニカーントも顔を出していてインド映画ファンには痛快。
特筆すべきはインドに戻る後半、プラティークを追ってきたラ・ワンがインド人の肉体をとって現れるときの(ラ・ワンはなににでも変身できる)、悪役アルジュン・ラームパールの美貌と存在感である。
ラ・ワンという名前は、そもそもインドの叙事詩『ラーマーヤナ』の悪者ラーヴァナにちなんだ名前である。
インドの秋の祭りに、ラーマ王子の矢でラーヴァナが倒されてラーマ王子の勝利を喜ぶというハイライトがある。
ラ・ワンがインドに着いたとき、ちょうど巨大なハリボテ(インドではお祭りのたびに神様の巨大ハリボテを製作する)のラーヴァナが燃やされるのだが、そこでラ・ワンが
「(悪は)また何度でも蘇ってくるのに、なぜ毎年勝利を祝う?なんの意味もない」
というようなことを、祭りの見物をしていた少年たちに言う。
そこでラ・ワンの頭と、バックのラーヴァナ像の頭がぴたりと重なる。
ラーヴァナは10の頭を持つ異形の姿だ。
火焔に包まれる悪の魅力。
悪いとわかっていても、目を離せない美しさ(だからこそ、冒頭のプラティークは悪に魅せられて父親に悪者キャラをねだるのだ)。
悪に魅力がなければ、正義も輝かない。
泥臭い表現なのに、モデル出身のハンサムなアルジュン・ラームパールの後ろに燃えるラーヴァナが重なり合う一瞬は、ゾクッとくるおそろしさと映像美であり、インド映画におけるこういう見得を切るようなシーンは、歌舞伎に通じる様式美だなあとも思う。

c0042704_1063841.jpg
スンゲエ色男なアルジュン

その映像や音楽を手がけるスタッフも、世界の超一流をそろえているから、二昔前くらいのインド映画っぽいダサい部分がまったくない。
ダサいのはシェーカルの髪型だけ。
だがこの映画の真の主人公は、前半であっけなく死んでしまうあのダサいシェーカルなのだろう。
息子に大甘で、妻にはでれでれで、会社では能力はあるのにちょっぴり不思議ちゃんな彼は、しかし、父親として、夫として、そしてなによりすべてのインド人の心の奥深くにがっしりと根付いた『ラーマーヤナ』の、ラーヴァナを倒すラーマ王子の化身として、肉体は消えても生きつづけている。
インド映画はこういうモチーフをこよなく愛する。
永遠につづく、善と悪との戦い。
それでもあきらめずに、善の道を進め。

最新VFXを駆使し、レディー・ガガのプロデューサーが曲を提供しても、やっぱり、『ラ・ワン』はきわめてオーセンティックなインド映画だった。
それが、ひさびさのカッコいいシャールクを堪能するとともにもっとも満足したポイントである。
だからこそ、エンドロールにふたたび流れた『スタンドバイミー』で、また涙が止まらなくなってしまったのである(私だけなのか?!)。

by apakaba | 2012-08-09 10:31 | 映画 | Comments(7)
2012年 08月 07日

だんだん、世代交代

c0042704_2014293.jpg
夕方の散歩中の空。iPhone撮影

「ササニシキ」はテニスサークルの合宿に、「コシヒカリ」は塾の勉強合宿に行っていて、わが家は「アキタコマチ」が一人っ子状態だ。
いいね一人っ子!
静かだし!
お米も麦茶もバカみたいに減ったりしないし!

外食のチャンスなので、ゆうべは3人で近所の焼鳥屋に行ってきた。
うちは外食も好きだ。ただお金が足りないだけで(ほっといてください)。
カウンターに3人並んで座り、炭火からもうもうと立ちのぼる煙にも関わらず、鏡のようにきれいにしてある厨房を見ながら、いい店はかならず厨房が清潔だということを、料理人志望の「アキタコマチ」に語ったりする。

だが、夫の座った席が冷房直撃で、冷房に弱い夫は冷えきってしまい、少ししか飲んでいないのに「そろそろ帰ろうか」と言い出した。

「なんで?どうしたの?」
「冷房が寒いんだよ。風が当たるから。」
「オレの席はぜんぜん当たらないから寒くないよ。これ着たら?」
「アキタコマチ」が、持ってきていたカーディガンを渡すと、夫は「おお、サンキュー。」と素直に受け取って着込んでいた。
(するとふたたび元気になって、そのあとじゃんじゃん注文した。私の払いなので微妙にトホホ)

「アキタコマチ」より夫の身長は10センチ以上高いけれど、体格は両方ともひょろっとして似ているので、カーディガンもどうにか着ることができた。
サイズのこと以上に、“息子の服をお父さんが借りる”ということは、きのうが初めてだったように思う。
これまでは、夫が若ぶって買った若者仕様の服を、「ササニシキ」や「アキタコマチ」におろしていた(“おろして”という表現は、変?お下がりに与えるという意味です)。
息子二人は、父親からのお下がりを、なんの抵抗もなく着たり(靴を)履いたりしている。
でも息子の服を夫が借りたことは……、うん、なかった。
初めてだ。

だんだん、だんだん、年齢の壁は低くなっているんだな。
親と子のヒエラルキーも。
だんだんと、親が子供を頼って、教えられて、いたわられるように、なっていくんだねえ。
すごく些細なことだったけれど、いやに印象深かった。

by apakaba | 2012-08-07 21:44 | 子供 | Comments(4)
2012年 08月 06日

おいしいものを家で食べる写真

c0042704_10245849.jpg


iPhoneを持つようになってから、カメラを持たなくても写真が撮れるようになってうれしいなあ。
いきなり食べ物と関係ないですが。
散歩道でも気軽に撮れます。

最近、facebookに家のごはん写真をちょくちょくアップしているので、こっちにもまとめてあげておきます。

c0042704_10302818.jpg


いわしのパセリパン粉焼き。
フルーツトマトのきゅうりすりおろしドレッシングと、焼きなすのアンチョビソースも。
きゅうりドレッシングもアンチョビソースも一から作るのだ。
『暮しの手帖』のレシピを参考にしています。

c0042704_103418.jpg


ぶり大根。
空心菜のにんにく醤油炒めは自家製のにんにく漬け込み醤油でスバラシイ風味。

c0042704_10363764.jpg


牛ホホ肉のシチュー。
デミグラスソースはトマトペーストとトマトピューレを鍋で焦がして、褐色の香り高いソースにします。
市販のルーや化学調味料に頼らずに作るようにしています。
マデイラワインも、けちらずに使います。
クレソンのサラダには、また自家製ドレッシングににんにく醤油を足し、漬け込んでおいたにんにくスライスをオリーブオイルでじっくり焼いてかりかりにします。

c0042704_10415562.jpg


たかべの塩焼きに、刻み小ねぎとかぼす&レモンの大根おろし。
奥のにんじんとセロリの炒めには生姜をどっさり刻んで、冷房の冷え改善。

c0042704_1044587.jpg


何度か写真に出している、桃と生ハムのカッペリーニ。
松の実をローストしてふりかけます。
奥の赤ピーマンのマリネともども、自家製ドレッシングをベースにします。
ドレッシングは「アキタコマチ」がここ数ヶ月ほどずっと試行錯誤をくり返して、やっとクオリティーが安定してきました。

c0042704_10513167.jpg


先日、カルディで見つけたインスタントラクサ。
好奇心に負けて買ってしまったけど……“おいしかったら”ショック。
この気持ち、わかりますか!

ラクサは、昔はマレーシアやシンガポールに行かないと食べられなかった。
でもだんだんと都内でも食べられるようになってきた。
それがついに、家庭でも食べられるようになるなんて、夢のようにうれしいことだけれど、それは旅への渇望がひとつ確実に減ること。
同じくマレー料理の「肉骨茶(バクテー)」は、もうすでにわが家では定番の一つになってしまいました。
一昔前までは「バクテーってなに?」だったのに。
インスタントシンガポールラクサ、おいしかったらショック、おいしくなかったらもちろんショック。
さあ、どうだ!

c0042704_1059417.jpg


おいしうございますー!
しかも化学調味料無添加です。
からいけど、ココナッツミルクの味がしっかり効いていて最高。
しかも、作るのがすっごく簡単です。
またマレー料理がわが家に近づいてきました。
見た目も、お店に引けを取らないでしょ?

c0042704_116544.jpg


これが、以前撮っていたお店の。
いや、どう見てもわが家のラクサのほうがフォトジェニックだわ!
あっ、奥に写ってるシンガポールスリングだけが足りませんね!

c0042704_11101948.jpg


今年、生まれて初めて梅干しを作ってみました。
梅干しって……なんて簡単なの!
今までずっと「梅干しは作るのが大変で、私のような面倒くさがりには絶対にできないものだ」と思い込んでいました。
こんなに単純な工程で、おいしい梅干しができるのなら、これから毎年やるわ。
今回は重石がなくて適当なものを載せていたから、重石が軽くてなかなか軟らかくなってくれなかったけど、来年はちゃんと漬物用のセットを用意しよう。

梅干し作りを“簡単”と感じた一番の理由は、ぬか漬けと較べたから。
ぬか漬けは毎日かかさずかき回して、塩・ぬか・昆布・干し椎茸・鷹の爪・生姜を適宜加えて、気温から漬け上がる時間を計算して……本当にメンドクサイ。
塩漬けやピクルスに較べたら、なんてワガママな漬物でしょうか。
どんなにべろべろに酔っぱらって帰っても、ぬかの世話だけはしてます。
これは百数十年つづいている先祖伝来のぬか床だから、私がだめにするわけにはいかないの。
子供が独立して家を出るときには、持たせます。

写真の料理、おもに「アキタコマチ」が作っているのだけど、家でおいしいものを食べるには手抜きはダメ、化学調味料に頼ったらダメ、という二つだけはみっちり教え込んでいます。
盛りつけのセンスは味とは別の美的感覚だから、私よりよほど美しいです。

*以前に「餃子の王将で次男がひどい下痢に」という話題を書きました。
化学調味料に慣れる?

by apakaba | 2012-08-06 11:38 | 食べたり飲んだり | Comments(6)