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2012年 09月 28日

お月見の会

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末っ子が中3なのに、いまだ地元の小学校に出入りしています。
居心地いいです。
今日は私の所属する図書ボランティアの出演があり、小学校の「お月見の会」に行ってきました。

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こんな感じで、校庭に提灯をずらっと並べて、屋外ステージへと誘導していきます。
わーい図書ボランティアの提灯もあった!

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秋の日はつるべ落とし。
あっという間に陽が暮れます。いきなりムード満点。
子供は、暗くなっても親公認で真っ暗な学校に出かけることがデキル!というのはたまらなくわくわくすることのようですね。

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奥で明るく光っているところがステージです。
ここで我々の紙芝居を上演します。
紙芝居といっても、オリジナルで作曲した歌をつけて唄ったり、パソコン操作を駆使した上映なので、子供の食いつきはモノスゴイですのよ。

私は毎回、声の出演をやっています。
図書ボランティア立ち上げの時代に較べて、仲間のお母さんたちの演技レベルが格段に上がったので、とてもうれしい!やってて楽しい!

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帰宅するとちゃんと「アキタコマチ」特製クリームシチューもできていて、幸せこの上なし。

図書室改造、どうせ“読み聞かせ”をやるなら
これを書いてから8年が過ぎたのか。
図書ボランティアにも、ずいぶん長く、在籍しているものです。

by apakaba | 2012-09-28 23:22 | 生活の話題 | Comments(3)
2012年 09月 25日

父と同い年

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夫が買ってくれたタルト。買ってくれるなんてきわめてめずらしい!

今日は私の誕生日で、45歳になった。
父が死んだ年齢と並んだ。
ついに父とダチだ。

このブログで、父親のことをたまに書くから、私が亡父のことを日々思っていると受け取られるかもしれないが、ぜんぜんそんなことはない。
正直いって忘れていることのほうが圧倒的に多い。
だが、“親の死んだ年齢に自分が並ぶ”日が近づいてくると、さすがに意識する。
多くの人にとっては、その誕生日を迎える日はまだまだ先だろう。
私だって、母親はまだぴんぴんしているし、万が一今すぐ死んでしまったとしても、その年齢に自分が並ぶのは30年後だ。

もし今、私が突如(金欠以外の)不治の病に斃れて、もう寿命が尽きることになっても、おそらくあまり思い残すことがないだろう。
もちろん孫が見たかったとか、子供たちが立派になったところが見たかったとか、あそこやここへ行ってみたかったとか、いろいろあるだろうけれど、父の無念さには遠く及ばないと思う。

高校を卒業するくらいまでは、ずっと父親がいないことがコンプレックスだった。
コンプレックスというより、怖かった。
思春期に父親の愛情を知らなかった女はろくな育ち方をしない、不良になる、精神的に不安定で、男と付き合っても自然に付き合えず相手に父性を求める——よくそう言われていたから、自分もそうなるのかとびくびくしていた。

あまりにびくびくしすぎて、反動で年上の男性が嫌いになってしまった。
年上で、年長者であることをアピールしてくる男を毛嫌いしてしまう。
これは今でもそうだ。
素直に甘えて「すごいですね!」とか言っていればいいのだけれど、どうしても反発してへこませたくなってしまう。
“年上の男性からのまなざしと庇護を受けずに育った欠点だ”と自覚したのは近年のことである。

でも、今日からはだんだんと、素直になっていける気がしている。
現実的に、年上男性の数じたいも減っていくわけだし(ほっといてください)。

父が生きたかったであろう45歳という年齢を、父の目と重ねて生きてみようと思う。
父が見たかったものを見せたり、いろんなところへ連れていくようなつもりでだ。
そしたらあとは、もう父からは解放されて、自由にやるよ!

by apakaba | 2012-09-25 21:53 | 生活の話題 | Comments(12)
2012年 09月 24日

ひらがな、どう感じる?

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思うところあって今日からボールペン字練習帳で字の練習をし始めたのだ!
思うところの説明をすると長くなるのでほぼ省略するが、つまりは字をもっときれいに書けるようにしたいのだ。
ここ10年ばかりで本当にヘタクソになった。
塾のセンセイをやっていて保護者の方への「連絡ノート」を書くのが苦痛だった。
もともとヘタクソなことに加えてきわめて時間がないときにほとんど殴り書きで書いているから、輪をかけてひどかった。
最近はちょっと時間がとれるようになったので、練習をすることにした。

今日はひらがなの「あ」から「の」まで。
小学校1年生の気持ちが今さらながらわかる。
最初に「あ」を勉強するのは、いかにしてもハードルが高い。
「あ」はムズカシイ。
私の塾では、最初は「く」や「し」、次に「い」や「こ」という具合に、画数が少なく形を取りやすい文字から習わせ始めていた。
絶対にこのほうが抵抗が少ないと思う!
いきなり「あ」をいい形で書けと言われたら、誰だって勉強嫌いになってしまうよ。

一文字につき、17回練習する。
そうするとだんだん変な気分になってくること、たれもかくおぼゆるにや?
同じ字を練習しているときに変な気分になってくることがありませんでしたか。

私には、「と」は横向きのうさぎに見える。
うさぎじゃなくて犬でもいいけど、横を向いた動物に感じられる。

「の」は目に見える。
おそらく、マンガというかイラストによくこの形をした目の描き方があるからだろう。

「な」は、女っぽい。
なよなよしている。
「なよなよ」とか「おんな」という言葉に「な」が入っているからかな?
横座りにシナを作っている色っぽい女の人に思える。

「き」と「さ」はすましていて、しかもにやっと笑っている。
顔に見える。
「さ」よりも「き」のほうが、年上の顔に見える。

by apakaba | 2012-09-24 22:18 | 生活の話題 | Comments(16)
2012年 09月 23日

生まれ変わっても結婚してくれ

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手前にある円形の植え込みが、早稲田大学16号館名物「ロータリー」。

「ねえ見て!」とこの写真を見せて、「おおっ、ついにか!」と即答してくれる人は、いま身の回りにいる人では夫だけでしょう。

これは夫と私が卒業した大学の学部校舎です。
キャンパス内の校舎が次々と建て替えをしていくなかで、ぽつんと最後まで往時の姿で取り残されていた我々の学部校舎が、とうとう改築(新築でないところが無念)に着手したようです。
胃腸炎で倒れる前、用事があって大学に出かけたときにこのありさまを見てびっくりしました。
大学の近辺に来ることはたまにあっても、この校舎に来るのは20年ぶりくらいでした。
学生時代によく入った食堂が軒並みなくなっていたことに年月を感じ、広場のロータリーだけは昔と同じであったことにほっとしたり、学部生用の掲示板を眺めたり(自分宛の掲示があるわけもないのに)、ロータリーを学生だったころの自分や夫が歩いているような気持ちにもなりました。
夫も写真を見て「ロータリーだけは、そのままか……。」と笑いながらつぶやいていました。

あのころも夫はいい人だったけれど、今はもっといい人になりました。

昔より、几帳面さに磨きがかかってきました。
私が旅行に行ったり飲みに出かけたりして、自分が留守番しているときは、かならずどこかをきれいにしておいてくれます。
台所の換気扇のフードが磨いてあったり。
ガス台が磨いてあったり。
一回出かけるごとに一箇所きれいになっているのですよ。
すごくないですか。

私は家事能力がきわめて低い上に細かいことが気にならないタイプで、夫にはそれががまんできないようです。
若いころは、私が家事を完璧にこなしていないのに遊びに行くことを怒っていました。
でも、いつからか怒るよりもさっさと自分がやってしまう方針に変更したようで、今はもう、私が遊んで帰ってきてもとくに機嫌も損ねていないしどこかがきれいになっているしで、私にとっていいことばかりです。
こんなふうに、少しずつきれいにされるほうが、帰宅したときぷんぷん怒っているよりよほど無言の圧力になります。
夫は教員なので、日頃から
「口で注意するだけじゃ子供は動かない。自分から行動で見本を示さないとだめだ。それを見て人は動く」
と言っています。
私って、デキの悪い生徒と同じなのね!

先日の急性胃腸炎で何日も寝込んでしまったあとは、目も醒めるような整理整頓がされていました。
台所の戸棚という戸棚がすべて片づいていました。
頭の上の吊り戸棚も、調味料が立ててある重い棚も、食べかけの袋菓子が突っ込んである戸棚も、スプーンやフォークや箸の抽斗も、美しくレイアウトし直してありました。
私も無能すぎるけど夫も有能すぎるような?

校舎前のロータリーで
「よう。これから帰り?メシ食ってかない?生姜焼き食いたいんだよ。」
と私に話しかけていたあの人が、スプーンの向きをそろえて片づける人になっていくのだから、まったく感慨深いものです。
私は夫に一生頭が上がりません。
生まれ変わっても結婚してほしいです。
でも夫のほうはもうこりごりだと思います。

by apakaba | 2012-09-23 15:47 | 生活の話題 | Comments(14)
2012年 09月 19日

貧血・初めての体験

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ひさびさに散歩に出たらちょっとだけ虹が出ていた。やっぱり外を歩くのはいいなあ

急性胃腸炎にかかって、しばらくなめくじのように這いずって生活していました。
下痢と発熱とひどい頭痛で、ただもう横になっているかトイレに駆け込むかのふたつにひとつ。
発症と連休とが重なって病院に行くのが遅れ、苦しみが長引いてしまいました。

今日は、だいたい50%くらい回復しています。

胃腸炎でただでさえふらふらなのに、貧血もひどくなってさらにふらふら。
一番具合が悪かったときに、夫がおかゆを作ってくれたので「食べなければ」と思い、無理してがばっと起き上がってしまいました。
ずっと寝たきりでいたところ急に立ち上がってしまいました。

おかゆに海苔の佃煮を入れて、れんげですくおうとすると、おかゆがなぜかウインナコーヒーに見えてきました。
手にしているのはれんげではなくスプーンで、コーヒーの上にたっぷり載ったホイップクリームをくるくる、ふわふわとかきまぜているような……目がちかちかして、視界がくるくるくるくる〜っと、回っているのです。
おかゆなのウインナコーヒーなの、どっち!
ものすごい吐き気がして、やっと「ごめんこれあとで食べる」とだけ言い、トイレにどうにか到着すると、吐き気がしていたはずなのに条件反射か、速やかに下半身を脱いで座っていました。
うちのトイレはたいへんせまいため、座ったまま前屈していくと頭が前の壁につきます。
私は気絶しました。
頭が落ちて、おでこで前の壁にひっかかって止まり、「これは頭が下がって貧血には具合がいい体勢だ」と考えたところで、景色が消えました。
テレビのスイッチが消えるのとそっくりな調子で。
“っちゅーん”って感じで。
画面の中央に、広がっていた映像が瞬時に集まってぷつっとなくなる感じで。
そして真っ白。
目の前は真っ暗じゃなくて真っ白になりました。

トイレにドアというものがあって本当によかったです。
だってお尻を出して前屈でおでこが前の壁に引っかかっている姿なんて、見られたら悲しすぎます。
ことによると気絶しながらも排泄はしてたかもしれないし(なにしろすごい胃腸炎だったから)、おでこで止まってるってことはおでこに引っ張られて口が開いて舌が飛び出してたかもしれないし。

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母がお見舞いの花を持ってきてくれた。というか生け花の残りだけど。りんどうは私の好きな花

生まれて初めて、気絶しました。

貧血を侮ってはいけないと、思い知らされました。
不幸中の幸いでこういう状態だったから、誰にも迷惑かけず、自分が思い出して恥ずかしい思いをするだけで済みましたが、これが自分の命に関わったり、人を巻き込んだりするようなことになったらと思うと、ぞっとします。

とはいえ、なんとなく、「死ぬときは、こんな感じかな?(だとしたらぜんぜんおそろしくないし、あっけないものだ)」という体験でもありました。

他にも、一日中うとうと眠っていたので山ほどの夢を見て、それもおもしろかったのですが、なんといっても初めての気絶が衝撃的でした。
今はただ、早く完治したいわ!

by apakaba | 2012-09-19 21:07 | 健康・病気 | Comments(7)
2012年 09月 13日

落ちた蝉

“なぜあんなにランドセルが大きいんだろう?”
いぶかしく思ったが体が小さいからだった。
黄色い帽子は1年生の証だ。
男の子ふたりは、しゃべりながら坂道を上がっていた。

ふたりともふと止まって、足下を見下ろしていた。
数秒黙ってから、ひとこと
「きれいに死んでるね。」
と漏らす。
仰向けに落ちた蝉が転がっている。

彼らの目に、蝉は“きれいに死んで”いた。
小さな死を観察する小さな目は冷徹で、でも神秘に打たれている。

自分が棺桶に入っているところをなぜか連想する。
「きれいに死んでるねえ。」
と、誰か頭の上で漏らしてくれるのかな。

あと数日で、父親の誕生日なのだった。
そしてそれからまた数日で、私の誕生日なのだった。
そして誕生日が来てひとつ年を取ると、私は父の死んだときの年齢に達するのであった。

by apakaba | 2012-09-13 22:55 | 生活の話題 | Comments(2)
2012年 09月 09日

重陽の節句に

先日の「アキタコマチ」の誕生日に、なにもお祝いをしなかったことを「コシヒカリ」が気にしていて、
「わたし、なにかプレゼントしなくちゃ。なにがいいんだろう。『アキタコマチ』お兄ちゃんってなにがほしいんだと思う?」
と聞くが、そんなことわからない。

私:わかんない。花でいいんじゃない。
コシヒカリ:花かー。うん、そうする。なんの花がいいかな?できてるブーケ?
私:予算を決めてその中で花束を作ってもらうというのもあるよ。行ってみて考えたら。
コ:うん、そうする。花言葉の事典を持っていこうっと。いってきまーす。

花言葉の事典は、「コシヒカリ」の誕生日にほしいと言われて買ったものだ。

買ってきた花束は、仏花だった。

コ:ただいま。見て、きれいでしょう。
私:うん、きれいね。でもこれは、仏花だね。
コ:えっ!そうなの!そんなのどうしてわかるの。
私:見ればわかるよ。
コ:どうしよう。きれいだと思って買ったのに。850円もしたのに。
私:いいじゃない。きれいだよ。おかーさんは菊が大好きよ。今日は重陽の節句といって、菊のお節句だから、菊の花があるといいなあとちょうど思ってたの。
コ:へえーそうなの。わたしも菊の花が好き。あのね菊の花言葉は「高潔」だよ。鶏頭の花言葉は「気取り屋」、りんどうの花言葉は「悲しんでいるあなたが好き」。これがわたしからの誕生日プレゼントだって、「アキタコマチ」お兄ちゃん気づくかな?
私:あとでごはんのときに言ったら。

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コ:「アキタコマチ」お兄ちゃん、あのー、これ、わたしからの誕生日プレゼントなの。
アキタコマチ:え?これがそうだったの?
コ:うん。仏花だけど。でもわたしわからなくて。850円したし。
ア:へえー。値段は言わなくていいよ。じゃあ「コシヒカリ」にはお礼にこれをあげよう(ポケットからなにか取り出す)。
コ:え、ありがとう。なにこれ?
ア:『プロメテウス』の前売り買ったらおまけについてきたもの。なんだかよくわかんないけどこれをあげる。
コ:ありがとう……わたしプレゼントしてすぐに物をお返しにもらうのなんて初めて。
私:「アキタコマチ」はいつでもやさしいね。
ア:そう、オレはいつでもやさしいよ。
コ:ありがとう。

by apakaba | 2012-09-09 22:42 | 子供 | Comments(4)
2012年 09月 08日

東京都写真美術館のある生活

今日は東京都写真美術館で過ごした。

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まず自然の鉛筆 技法と表現 平成24年度東京都写真美術館コレクション展へ。
会期を学生の夏休みの期間にちょうどぶつけており、デジタル以前の写真の歴史について学ぼうという目的をはっきりと感じられる。
所蔵品の展示なので、これまでにここで見ている作品が多かったが、やはりすばらしい写真は何度見てもすばらしい。「これ、もう見たことあるし」と飽きることがない。

“写真における「化学」に焦点を絞り、プリント技法の変遷と表現、さらに印画紙の古典技法と現代表現や、モダニズムにみるカメラレス・フォトグラフィなどに注目”と案内にもあるとおり、解説は芸術作品としての価値を語ることよりも、ひたすら印画紙の作り方などの説明に重点を置いている。
解説をていねいに読めば読むほど、“写真を撮ることとは、なんだろう?”という問いかけが大きくふくれあがってくる。
写真というのは科学技術なんだなあ……化学反応の成果であり、記録であり、そして芸術であるのだなあ……
カメラがなければ写真は撮れず、写真を撮る大多数の人間は、カメラをつくることができない。
デジタル時代以前には、さらにそこに「プリント」というハードルもあった。
だが、芸術性をねらった写真ではなくても、たとえば戦争記録写真でも、その土煙は、泥まみれの顔は、燃え落ちる家屋は、たしかに芸術になっている。
絵画にはない、偶発的な美が宿っている。
そこが、たまらなくおもしろい。
こうしてテーマのある展示をあらためて見てみると、現代芸術の大きな一角を占める「写真」にまた魅力を感じる。

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次に鋤田正義展 SOUND&VISIONへ。
予想をはるかに上回る充実した展示であった。
どこかの美大の学祭のような、ポップな仕立ての展示方法も雰囲気に合っている。
数多くのミュージシャンを中心とした超有名アーティストを撮りに撮っている。
ニューヨークや東京の街角スナップ的な作品も多く展示しているが、それはさほどでもなく、やはりアーティストの写真が輝いている。
これは、カメラマンの力量なのか、それともアーティストたちが輝きまくっているから?
はじめは「だって、スターだし。彼らレベルなら、どう撮ったってピカピカでしょ」と思っていたが、この圧倒的な量の仕事を並べられて、そのひとつひとつが、まったく譲らず輝きを主張しているからには、やはりこのカメラマンがすごい力なのだとわかってきた。

死んだ人の写真はつらい。
キヨシローのつぶらな目のやさしいまなざしには涙が出たし、加藤和彦が愛らしい笑顔でくったくなくこちらに歩いてくる姿も胸が詰まった。

高校生のときに母親を撮ったのが写真家人生の始まりと解説にあったが、その写真にはびっくりした。
祭りなのか、横向きの母は着物を着て、菅笠を目深にかぶって、顔はすべて隠れている。
写真家(息子)の視線は、菅笠(=顔)と、着物の襟との間、つまり真っ白な首筋に注がれている。
まぎれもなく、“男”が“女”を撮っているのだ。
高校生の息子が母親をこんなふうに撮れるとは。
すでに、人物写真を撮るべくしてスタートを切っていたというまたとない証左である。


そして最後に、ホールで映画『ラ・ワン』鑑賞、二度目だ。
渾身の感想は、一度目のとき「インド映画の王道を進む、『ラ・ワン』」に書いた。
まだの方は是非読んでね。
ええ、またアホみたいに泣きましたとも。
とにかくシャールクが好き。
泣いて(座ったままだけど)踊って、CDも買って満足至極よ。

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恵比寿ガーデンプレイスにはおいしいお店もいっぱい。

東京都写真美術館は、「全世界でも数少ない写真と映像の専門美術館(サイトより)」である。
これからもがんばって、内容の濃い展示をしていってください。
応援しています!

by apakaba | 2012-09-08 23:11 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(2)
2012年 09月 03日

香港ハーバーシティで見かけた、ドラえもん100体

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8月に香港・マカオへ家族で旅行したとき(その記事)、こんな光景に出くわした。
香港の名物のひとつスターフェリーに一行を乗せるため、尖沙咀(チムサーチョイ)の船着き場へ向かってハーバーシティを歩き、外に出たらこんなことになってた。

雨季とは思えない晴天でひどい暑さだ。
一行は不機嫌そのもので、山なす人込みをかきわけてひたすらフェリー乗り場へ急いだ。
ただひとり「コシヒカリ」だけが、目を丸くして足を止めてしまった。

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一番手前のNikon D40 が「コシヒカリ」。
このままじゃ確実にはぐれるなあと思い、あとも見ずさっさと先へ行ってしまった夫たちはほっといて、私は娘についていた。
「これなんだろう、なんのイベントなの?100ってあっちこっちに書いてあるけど。」
「おかーさんはドラえもんには詳しくないからわからないよ。ここに並べたドラえもんがちょうど100体あるってことかなあ?」
「あーなるほど。たしかにそれくらいありそう。わたし、『ドラえもん』のマンガを全部読んだからここにある全部の道具がわかるんだよ!すごくない?わたし。」
「そうなの、すごいねえ。知らなかったなあ全巻読んでたなんて。」
気のない返事をしながら、辛抱強く気の済むまで待っていてやる。
写真って、「撮りたいなあ」と思っているときに同行者にせかされるとツライものだ。

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「待って、あれも撮りたい!あの道具も撮りたい、せめてあれだけでも!」
「でもみんな待ってるからそろそろ切り上げよう。」
案の定、あとの4人はイライラしながら待っていた。
せっかくの旅行なんだから、ちょっとくらい好きな物を撮らせてやったら……と私は思ったが、
「すいませんでした。ちゃんとはぐれないようについていたから、大丈夫です。」
と皆に謝った。

それきりこのことは忘れていた。
そう、今日まで。
今日はドラえもんの誕生日だそうで、未来の世界、2112年の今日に生まれたという。
今日は、本当の誕生日の100年前の日なんだって。
知らなかったね。
あの香港で通りかかったイベントの「100」は、そういう意味だったのか。
でも私があてずっぽうに言った「100体あるってことじゃない?」も合っていた。
今、特集記事で知った。
8月14日から開催とある。
我々が通りかかったのは、ちょうど初日だったのか。
だからあんなに混んでたんだなあ。
旅に出ても、知らないことってけっこう知らないままで見過ごしたりするのよね。
帰ってからちゃんと調べないと。

by apakaba | 2012-09-03 20:50 | 家族旅行香港マカオ2012 | Comments(4)
2012年 09月 01日

運転練習中!

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わずかに曲がってますが、初めてにしてはうまい縦列駐車。センセイがいいのか?

2月から教習所に通い出したのに、遊んでばかりいてちっとも免許が取れなかった「ササニシキ」だが、先日、ついに普通免許が取れた。
猛特訓の日々。
夫はすべてを私に任せきりで、私が毎回助手席に乗っている。
懇切丁寧に、あらゆる危険のケース、あらゆるトラブルの可能性を説明している。

おととい、初めてうちのクルマを動かして、3キロばかり近所を走った。
外の駐車場はどこも心配で停めず、駐車措置は、家の駐車場でだけやった。
きのうは、夫と娘が休みだったので4人で乗って、近所のTSUTAYAの駐車場と、スーパーの駐車場の練習をした。
そしてケーキを買ってみんなで食べた。

今日はもう少しいろいろやることにした。
昼にまたスーパーへ。
午後から「アキタコマチ」が駅に行くのを送った。
夜はまた特訓。
家から少しだけ遠出して、雨の日教習、夜間教習、縦列駐車、一気にハードルを上げた。

私は、今まで全部の練習につきあって、やさしく教えている。
私ってほんとに辛抱強くて教え上手だわ……と自画自賛するが、一日でも早くまともに運転ができるようになって家族に貢献してほしいからね。

運転免許を、取れば取ったで心配のタネは尽きない。
クルマは、便利で楽しいものだけれど、一瞬で凶器になることは、自分が幾度か肝を冷やした経験でもわかっている。
この先何十年も、心配するんだなあ。
でももう、彼も運転する人生に足を踏み入れたのだから、私も覚悟を決めて、事故のないようにしっかりたたき込むよ。
そして自分が衰えていよいよあぶなくなってきたら運転してもらおう〜。

それにつけても、初心者の緊張は助手席にもうつるもので、「ササニシキ」が初めてのことの連続で硬くなっている横では、リラックスしてほかのことをしたりする気になれない。
自分も初心者にかえって、対向車との間隔や歩行者の動きをいっしょうけんめい目で追ってしまっている。
私と話しながら笑ったりしていても、信号で停止すると、いちいち「はー」とため息をついて、手の汗を腿で拭うのだ。
初心者の目で道路をあらためて見てみて、ハンドルを握った気分になってみると、クルマの運転というのは、なんと危険と隣り合わせで気の抜けないことだったのか、と、ぞっとしてしまう。
自分がどうやって運転できるようになったのか、なぜ今までたいした事故もなく無事でやってこられたのか、思い出せないし奇跡に思えてくる。

まだまだ教えることが山ほどある。
ひととおりやって大丈夫だと思えるまでは、同乗する。
都会の運転は初心者にはキビシイ。
過保護とかいう問題ではなく、事故を起こされては私が迷惑するから。

大学生になってからは生活時間がまったくちがっていて、「ササニシキ」とまともにしゃべる機会がほとんどなかった。
運転中は密室なのでいろいろと会話する。
あんなにずっと疎遠だったのに、へんな感じだ。
早く、友達、おじいちゃんおばあちゃん、好きな女の子、いろんな人を乗せたり、また、一人で乗って一人きりの時間を楽しむようになってほしい。
私も一人で運転している時間が好きだから(今は特訓中だから一人になれないけど、我慢だね!)。
皆さんも応援よろしくお願いします。

by apakaba | 2012-09-01 23:41 | 子供 | Comments(6)