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2013年 01月 30日

擬音語?擬態語?それから?

朝9時ごろ、義母から電話が来た。
義母はスリランカ人の英語の先生に、英会話の個人レッスンを受けている。
その先生から、日本語における擬音語や擬態語について質問をされたので、その先生に解説するため、詳しく知りたいという。

急に言われてもねえ。
急に言われなくてもどっちにしろよくわからないけど、義母は私のことをしばしばこのように辞書代わりに使う電話をしてくる。

おもに擬音語・擬態語・擬声語の三種類があり、ひとつの言葉でも意味が二つに分かれていることもあるので分類しきれない。
たとえば“どんどん”は「ドアをどんどん叩く」なら擬音語だが、「この道をどんどん進む」だと擬態語だというように。

「じゃあ、“ひらひら”は?」
「雪とか蝶とかを“ひらひら”と表現しても、音が実際にしているわけじゃないから擬態語です。でも、たとえば紙を手に持って“ぴらぴら”といったときに本当に“ぴらぴら”という音が聞こえた場合は同時に擬音語にもなります。だから完全に分けることはできませんよ。」
そんなの自分で調べてよ……とも思うけれど、懇切丁寧な説明をするえらい嫁なの。

「だいたいわかったわ。そんなふうに説明してみる。」と言って一度電話を切るが、案の定、またすぐにかかってきた。
義母は一度電話を切っても、そのあとたてつづけに何度も電話してくることが多い。

「あのねさっきの“擬”っていう字だけど。あれって“疑う”という字をつくりに書くでしょう?それはどういう意味なの?“疑う”という“疑”と、意味はどう変わってくるの?同じなの?同じのわけないわよね?」

漢字の成り立ち方のひとつに、偏(へん)が意味を表し、旁(つくり)が音を表すものがあります。
“擬”の場合、“てへん”に“疑う”という字だけど、意味合いは“てへん”のほうにあって(もとは「まねる」という意味)、「ギ」という音を“疑う”の“疑”から取っているだけなので、“疑う”という意味はないんですよ。
たとえば“浜”という字の意味合いは、水に関係する偏の“さんずい”にあって、この字に兵隊とかの意味はないですよね。
ただ音が「ヒン(ヘイに似た音)」を表しているだけで。
それと同じです。

「はあなるほどね、ありがとう!」

しょっちゅうこういう電話がかかってくるので慣れているが、私がいないとどんなふうにこういう問題を解決しているんだろう?
忘れっぽさとか、こらえ性のなさとか(一度で用件が終わらず何回も電話してくる)、だんだん子供っぽくなっている義母だけれど、知的好奇心がまったく衰えないところはすごいなあ。
急いでいるときは面倒くさくもあるが、尊敬する。

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本文と関係ないけど、先月行った小岩のネパール料理店「サンサール」で出た餃子「モモ」。
義母は数年前に、一人でネパール旅行にも行った。
「モモがおいしかったわ!」と言ってた。好奇心旺盛。


by apakaba | 2013-01-30 18:21 | 文芸・文学・言語 | Comments(0)
2013年 01月 29日

家計縮小傾向!

今シーズン、新しい冬の服をひとつも買っていなかった!
いや、夫が寝間着用のユニクロのフリースを一着買ってくれたな。
私が寝間着で20年来愛用していたL.L.Beanのだぶだぶなフリースを「もういいかげんに捨てろよ。新しいほうが、見た目も保温性もいいんだぜ」と言って買ってくれたのだった。
もともとおしゃれじゃないほうだけど、それにしてもシーズンを通して買ったのが寝間着フリースだけというのもねえ。

というわけで、セールで手袋を買った。
通りかかった店で、3000円の定価が1500円になっていたので即買い。

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グレンチェックのナイロン製、ボアで内張りしてあって見た目よりあったかい!
手首におりぼんとフワフワと両方ついていて、甘系アイテムはおりぼんかフワフワかどっちか一個でいいのではないか?アマアマ過ぎるのではないか?と一瞬ためらうも、いろいろと甘くない世の中なのでファッションくらいアマアマでもいいか……と無意味な自問自答。ようするに気に入った。
昔は数万円もするプラダの手袋なんか買っていたけれど、今は子供の教育費でそれどころではなくなり、そこそこいい感じに見えて安いものを2年にいっぺんくらいで取り替えることにしている。

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ファッションと関係ないけどゆうべ「アキタコマチ」が作ってくれた晩ごはん。
鶏とアスパラガスの五香粉(ウーシャンフェン)炒め、ザーサイと白髪葱トッピング豆腐(豆板醤とコチュジャンでたれを作る)、ブロッコリーとちりめんじゃこのオイスターソースと黒酢炒めで中華風。
安価なメニューだ。
こんな感じの、つつましいものを家で作って食べてる。

ほんと、衣食住というけれど、ファッションも食事も、自分のことにはだんだんとお金をかけない方向にシフトせざるを得ないし、それでもけっこう満足度高く暮らせるよね。
まさに『絶望の国の幸福な若者たち(古市憲寿)』だなあ……あ、若者じゃないか。
我が家にいる若者たちが揚々と暮らせるための方向変換か。
だから嫌だと思わないのだな。

by apakaba | 2013-01-29 14:08 | ファッション | Comments(2)
2013年 01月 28日

トゥバの喉歌ホーメイLIVE

聞いたことのない国の、聴いたことのない音楽を聴いた。
ロシア連邦、南シベリアに位置するトゥバ共和国という小国の歌唱「ホーメイ」である。
ホーメイの大きな特徴は、喉を締め付けて楽器のような音を出す歌唱法であり、「喉歌」と呼ばれているという。

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マサラワーラー×カフェスロー特製コラボカレー!
マトンカレーと、里芋と菜の花のカレー、付け合わせ含め今日もスバラシー


会場は、国分寺のカフェスロー。
一週間前にも、南インドの新年のお祭り「ポンガル」でインド舞踊や音楽のライブを見に来ていたが、何度来ても、いいカフェである。
歌手は男性のオトクン・ドスタイさんと、女性のチョドゥラー・トゥマットさんのお二人で、モンゴロイドの親しみやすい風貌と、時折入る短いMCでの笑顔に観客がなごむ。
二人の歌手による民族楽器の演奏と歌唱は、土の匂い、草の匂い、風の音、動物の声などを思い起こさせる音楽であった。

喉歌と呼ばれる倍音唱法を初めて聴いた。
低音域を唄っていると思うといつの間にかそこに「ピューッ」とも「ビィーン」とも聞こえるような、笛のような高音が忍び込み、響いてくる。
聴いている耳もビィーンとしびれてきて、倍音唱法が始まると「来た来た来た!」と高揚してくる。
それでいて、「自然の中に存在しない音は出さない」とでもいうような、やさしく素朴なメロディーが深い安心感をもたらして、いつの間にか眠り込んでいる人もちらほらといる。
高揚と弛緩。
だみ声と笛の響きのような音を同時に出す「喉歌」そのものの、異なる二つの感情が入り交じりつつ流れる時間。

ちょっと前の旅行記出版ブームのときにさんざん使われていた「初めてだけど、なつかしい」などという手垢まみれのフレーズを、今さら思い出すとは思わなかった。

子供のころは誰でも、自分の身体が親友だった。
赤ちゃんはおもちゃを与えられるよりずっと前から、自分の舌や唇を使って音を出し、飽きることなく遊ぶ。
ブブブブブブ……
タッター!タッター!うっくん。んまんまんまんま。
もう少し大きくなると、わざと奇声を発してみたり、唇を指ではじいたり、人の声やしゃべりかたを真似たり、動物や物音を声で表して遊ぶ。
でも、大人になるにつれ、人は自分の身体が持つ可能性を忘れてしまう。
ホーメイが「初めてだけど、なつかしい」と感じさせるのは、すべての楽器を凌駕するこの素晴らしい楽器=人間の身体でかつて遊んでいた時代に帰れるからだ。
この歌唱法がどれほど前に成立したのかは知らないが、物質的な豊かさを大自然が圧倒していた昔に、人間が自然からの音や声に耳を澄まし、自分の身体の音や声に耳を澄ましていた時代に発生していったことはまちがいない、と思った。

聴きながら、これまで訪れたさまざまな旅先や、行ったことのない南シベリアの風景や、最近見た映画などがとりとめなく浮かんだ。
草原を吹き渡る風。
インドでカーラチャクラ法要に参列したときに聴いた、ダライ・ラマ法王の五臓六腑に沁みわたる読経の声。
つい先日見た映画『レ・ミゼラブル』で唄っていた、ラッセル・クロウの、繊細な演技そのものの歌声。
世界は、広い。
まだまだ、世界のいろんなところに、私の知らないものすごいアートが数えきれないほどある。
音楽、舞踊、絵画、たった一個しか作られない工芸品、ごく小さなコミュニティーでの宗教行事や祈り……「まだ知らないことがたくさんある」って、なんと胸が躍ることだろう!
世界を知ることが大好きだ。
わずか数週間前まで存在さえ知らなかったトゥバ共和国が、今ではなつかしく近しいものに感じられる。
なんて素敵なことだろうか。
これからもいろんな世界を知りたい!

女性歌手チョドゥラー・トゥマットさんがリーダーを務めるグループ「トゥバ・クズ」の動画。
ビュンビュンと喉歌が響き渡ってます。


by apakaba | 2013-01-28 12:50 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(6)
2013年 01月 24日

エッフェル塔試論/松浦寿輝(ちくま学芸文庫)

エッフェル塔は、19世紀末の西欧の表象空間に突如出現した、世界で唯一無二の特権的「記号」である——建設の計画段階から、すでにパリじゅうの芸術家の耳目を一身に(ただし非難というかたちで)集め、爾来現在に至るまで、絶えずあらゆる場面での再生産をくりかえす(観光絵葉書・ミニチュア模型・雑誌のグラビア・スカーフや包装紙の図柄・絵画・切手etc)、孤高の、と同時にこのうえなく俗物的で凡庸な怪物である——。

本書は、表象文化論の第一人者である著者が、ただエッフェル塔一点だけを、500頁まるまる一冊にわたって考えぬいた本である。
「この多義的な記号をこれほど徹底的に読み尽くそうとした試みは、未だかつて世界中のどこにも存在していないはずである」
と著者自身が跋文のなかで語っているとおり、この本は、パリ礼賛の紀行エッセイや、塔をめぐるおもしろおかしい秘話の紹介などでは断じてなく、偏執狂じみたともいえるほど終始一貫したしつこさで、エッフェル塔を分析していく(著者の執着ぶりの理由は、跋文で明かされる)。
著者の考察は、美術史、思想史、社会学、政治学、建築学、土木工学、都市工学、流体力学、気象学といった諸分野を縦横無尽に走り抜け、それらを、微塵の重たさも読者に感じさせることなく、かの塔にふわりふわりとまとわせていく。

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エッフェル塔じゃなくて、今日の京橋。東京の建築は、美しいかな?

最近、私の読書傾向は「学者ばやり」だ。
学者の本が圧倒的におもしろくて、現代小説などにつきあっていられない(いうまでもなく、ダメな学者もいるが)。
本書の著者は、現在、東京大学大学院総合文化研究科教授である。
外見は昔ながらの教授風なのだが、その文章の華麗さは群を抜く。
実際、これほどの華麗な文章を書ける現代作家を、私は他に知らない。

  「肝心なのは、それ(=エッフェル塔)がただ頭上はるかにそそり立っているだけの高塔なのではなく、われわれを天に向かってまるで夢のように押し上げてくれる上昇機械としてあるという点なのである。(中略)人々は、空の高みに到達するために息を切らせて一歩一歩攀じ登っていくという昔ながらの苦役の代わりに、肉体の行使によっては実現できない機械的な等速度でゆるやかに持ち上げられてゆくという安逸な自動運動の快適さを、徐々に地上から遠ざかってゆくにつれて絶え間なく移り変わり裾野を広げてゆく視界の変容の快楽とともに、ここに初めて発見し、非日常的な娯楽として享楽するすべを学ぶことになったのだ(「第一部・3.虚空への上昇」より。カッコ内筆者)。」

これいったいなんのことだと思いますか。
ここはエッフェル塔の「エレベーター」について述べている箇所だ。

また、
  「いささか図式的ではあるが、ここに二つの異質な建築史的ディスクールを想定することができるのではないだろうか——すなわち、鋳鉄と錬鉄を素材とし、その開花の主要な舞台として十九世紀のパリを持つ鉄骨建築の流れを記述するディスクールと、(中略)高層建築のディスクールと。そしてこの二つのディスクールが、本来ならばありえなかったような仕方で、すなわちまったく必然性を欠いた仕方でたった一度だけ不意に切り結び、ショートを起こして火花が散ったとき、その接触点に唐突に生まれ落ちた畸形児——それをわれわれは、エッフェル塔と呼んでいるではないだろうか。
 華美と豪奢とスペクタクル性の洗練をめざす「記憶」のディスクールとしての「パリ」と、機能主義と資本主義の自動運動を誘発する「新しさ」のディスクールとしての「アメリカ」とが、それぞれみずからの文脈を踏みはずして不意に交叉してしまった、その交点に聳え立っている途方もない異化効果の記念碑とでも言うべきものがエッフェル塔なのだ(同)。」

これは、パリとアメリカの対比という文脈のなかで、「二つの建築史的言説の衝突」を論じた箇所である。

彼には酔わされる。
こんな文章を読みつづけていると、やがて痺れるような陶酔感・酩酊感にしばしば襲われるようになる。
酔うような本にめぐり逢うのは、めったにないことだ。
膨大な言語を軽やかに操る、稀有な書き手である著者の前に、私が言うことことばなど最早ない。
エッフェル塔をちょっとでもかっこいいと感じた人は、この本に直行すべし。
そして、「エッフェル塔なんて、どこがおもしろいんだ」と思っている人も、やはり直行すべし。
私は、パリに直行だ。

*2000年12月23日にサイトに書いたレビューを再掲。
*当時、松浦先生の本に凝っていて、1999年・2001年・2003年と1年おきにつづけて3回パリに行った。

by apakaba | 2013-01-24 19:48 | 文芸・文学・言語 | Comments(4)
2013年 01月 21日

たけのこの里、きのこの……

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「コシヒカリ」の高校入試本番まで、あと3週間を切った。
ここ最近、土壇場になって、しなれない勉強を突然し始めたものだから(と私は思っている)、体中にじんましんが出てしまい、痛々しい。
娘は今までのんびりぼんやり生きていたため、これが人生初の試練である。
上二人の高校受験のときには合格すると思っていたからまったく心配しなかったけれど、やはり末っ子は心配である。

買い物のときに、袋菓子をいくつか買いだめしてきた。
娘が帰ってくると、
「ただいまー。わーやった、これ久しぶり。たけのこの里と、きのこの里。」
「え?」
「たけのこの里と、きのこの里……あれ?どっちも里?どっちが里だったっけ。わからなくなっちゃった。たけのこの里、は合ってるよね。たけのこの里と、きのこの……きのこの……村?」
「村?」
初め、わざとボケて笑わそうとしているのかと思っていたが真面目に考えている。

「たけのこの里と、きのこの村。なんか変。なんだっけ、わたし本当に忘れちゃった。村?……あ、町?」
「なんでだんだん都会になるのよ。」
「ちがうの?!あれれどうしよう。……たけのこの里と、きのこの…………山だ!」

慣れない勉強をいきなりしすぎて、脳みそのメモリが一杯になってしまった、の、か?
単語だの熟語だの、覚えることが多過ぎて、「山」ははじき出されてしまったのかもしれない。
なんでもいいや。
早く終わってほしい。
3週間たったら、じんましんは嘘のように消えて、「あっ、今日のお菓子はたけのこの里ときのこの山だね!」とすらすら言えるように戻っている、と信じてる。

by apakaba | 2013-01-21 20:53 | 子供 | Comments(4)
2013年 01月 19日

普遍性獲得への今日的手法——「記録は可能か。」

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニというドイツのアーティスト・ユニットを、つい先日初めて知った。
東京都写真美術館で開催されている、「記録は可能か。映像をめぐる冒険vol.5」に出品されていた『
成田フィールド・トリップ』という映像作品を見たからである。
展覧会では「記録としての映像」をテーマに、三里塚闘争や国際反戦デー、福島の原発事故、軍艦島などの映像作品が上映されている。
私は美術展の映像作品にはすぐ飽きてしまうほうなのだが、この作品は30分という長尺にも関わらず、見入った。
正統派のドキュメンタリーではなく、ドラマ仕立てにしているところが新鮮だった。
(以下、“映画”としてはネタバレになるので注意)

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大学生のカップルが、有機農業体験をするため、三里塚に赴く。
この二人は俳優ではなく、決まった脚本もなく、三里塚の歴史も知らない。
はじめは無邪気に畑に出たり、「あんなにすぐ近くに飛行機が見えるよ!」などとはしゃいでいたが、土地の人と知り合い、ここが、自分たちが生まれるよりずっと前から闘争の舞台であったことを知っていく。

彼らは三里塚闘争をなにも知らなかったからこそ、先入観なしでこの地の懐深くに飛び込んでいけた。
私の息子たちくらいの若いカップルは、しゃべりかたも服装もごくシンプルでナチュラルだ。
全編に流れるBGMは甘くやさしく、まるで国産小型車のテレビCMみたいな可愛らしい雰囲気である。
その甘くやさしいBGMをひっきりなしにかき消してくる、飛行機の轟音。
彼らはごく自然に、耳と心をこの地に向かってひらいていった。
思想でガチガチに固まることもなく、よそ者の気楽なスタンスのまま、彼らは轟音の中を自転車で散策し、団結小屋の鉄塔に上り、現地闘争本部(現在強制撤去)の古びた建物を見る。
デートのように、ふざけたり写真を撮り合ったりしながらも、ここに暮らし、闘争を続ける人々と語らうにつれ、二人の表情は深みを帯びてくる。
もう、知らなかった過去には戻れない。

ではこれからどうするか。
選択に悩むところで、映画は終わる。
男の子はこう言う。
「(自分の住まいに)帰りたい。今まで知らなかったことをいっぺんに知って、頭が混乱している。いったんここを離れて冷却期間をおいて、あらためて客観的にここのことを勉強したい。」
理性的にも見え、体のいい逃げ口上のようにも見え、見る者は“もし自分でも、同じことを言うかもしれない”と思わされる。
女の子はこう言う。
「まだ残っていたい。せっかく育ててきた野菜の収穫がもうすぐだし、ここの人たちともっと話して、この場所でここのことをもっと知りたい。」
誠実にも見え、感情に流されているようにも見え、見る者は“もし自分でも、同じことを言うかもしれない”と思わされる。
二人の迷いは、つまりそのまま、見る者の姿になる。

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ランチの「記録は可能か」?iPhoneがあれば簡単簡単。写美に来たら、大好物のシンガポールラクサ。

三里塚について、このような描き出し方が可能だったのか(まさしくタイトルの「記録は可能か。」に呼応する)、と驚いた。
国産小型車のテレビCMと見紛う淡い画面の中で流れていく、断片的・限定的と見えるイメージの積み重ねが、直情径行のドキュメンタリーよりもはるかに確実で強固な普遍性を獲得する。
これこそが、映像の力である。
最後に考えが割れてしまう二人を見ながら、三里塚という限定された闘争の枠を超えて、日本や世界のさまざまな社会問題が頭に浮かび、そのひとつひとつに対しての自分の選択を迫られているような気持ちになった。

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニの仕事を、今後もさらに見ていこうと思った。

by apakaba | 2013-01-19 14:31 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2013年 01月 17日

悔いなく生きたいけれど

ふだんより少し早めに目が覚めて、“今、大地震が来たら、このまま裸足で、パジャマ一枚で雪が残る道に飛び出してしまうのかなあ。たちまち凍えてしまうだろう”と、布団にくるまったまま考えていた。
東京都庁に用事があって出かけたが、一階のピロティーを歩きながら“今、大地震が来たら、庁舎まるごと私の上に落ちてくるのかなあ。ぺちゃんこになって跡形もないや”と思っていた。

阪神淡路大震災が起きた当時、村山首相の初動の対応のまずさが激しく非難され、18年たった今でも「絶対に許せない」と言う人もいる。
東日本大震災が起きたときも、菅首相をなじる声は絶えなかった。
だが、それなら、いったい誰が総理大臣だったら、完璧な陣頭指揮が執れたというのだろう?
人を責めるのは簡単だ。
でも、どんなに迅速に、的確に対応できたとしても、大震災において“死者0”でない限り、トップの人間は「まだ救える命はあったはずだ」と責められ続ける。
失われた命は帰ってこない。

人を憎み、責めるより、悔い(をすく)なく生きたいし、逝きたい。
私は、もしも今日、都庁に下敷きになってぺちゃんこになっていたとしても、おそらくあんまり悔いはないし、誰も恨まない。
丹下健三のことも恨まないぞ。
それよりも、自分の意思と正反対のことが政治の力で決められ、変えられてしまうことのほうがよほど無念だ。

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今日の東京都庁

こんなものが設置されている風景を、異常だと感じなくなるのは異常だ。

by apakaba | 2013-01-17 23:13 | ニュース・評論 | Comments(2)
2013年 01月 15日

ゴーゴー・ボルネオ!〜キナバル公園編 その1・ナバル村

ガラマ川クルーズ編 その3のつづき。

ガラマ川クルーズの翌日、早朝からまたツアーに参加した。
今度はキナバル公園とポーリン温泉をまわるコースである。

今日のドライバーはケンさんという中国系の男性で、ガイドはベンさんというマレー系に見える男性であり、流暢な日本語を話せる凸凹コンビで、車内はずっとにぎやかだった。
コタキナバルからキナバル公園までは片道2時間ほどかかるが、ケンさんベンさん二人による、道中に見える風景や建物の解説と、いやにていねいな日本語の掛け合い漫才のようなおしゃべりであっという間に時間が過ぎていった。

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強い陽射しを避けて、犬は車の影から出てこない

コタキナバルを出て1時間ほどのところにある、ナバル村という場所で途中休憩を入れる。
「キナバルとナバルって、なにか関係があるんですか?名前がそっくりだけど。」
と尋ねてみると、ベンさんは
「さあ〜、多分、キナバルの手前だからナバル、じゃないですかねえ。」
テキトーな答えだが、なんとなく正解のような気がする。
ちなみにキナバル山とは「なすの山」という意味で、「なすが採れたからでしょうねえ。」とのことだった。
私は、キナバル山にここ数年来あこがれを抱いてきたので、勝手に崇高な意味があると思い込んでいた。
たとえば「神の宿る山」とか。
「輝く頂」とか。
「なす」とは思いもしなかった。
きのう訪れたガラマ川のガラマがカニ、キナバルはなす、名付け方が生活密着でシンプルだ。

標高800メートルのナバル村は、日本から仕入れて広がった、しいたけのビニールハウス栽培がさかんだと聞いた。
ビニールハウスは、高級品だとひとつ300万円ほどするそうだが、効率的に収穫できるので増えているという。
とはいっても、しいたけは日本で食べればいいし、ここはやはり、きのうの露店で見かけた、こちらの特産フルーツを試してみたい。
きのうはドリアンダリを初めて食べてみたので、今日はもう一つの、気になっていた「タラップ」を食べてみる。

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これがタラップ。一個で3リンギット。露店で熟した実を選んでくれているベンさん

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そしてタラップを割って実を出してくれているケンさん。二人とも、とってもやさしい

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初めて食べたタラップは、一人でも一個分全部を平らげられるおいしさだった。
きのうのドリアンダリも甘かったが、ほろ苦く香ばしいような芳香が強く、大人っぽい風味だったのに較べて、タラップはもっとジューシーで万人受けする甘さで、これがあればお菓子なんかいらないと思うほどだった。
だが、ベンさんケンさんは、
「おいしかったですか!でもわたしたちは、果物ぜんぶに、“魔法の粉”をかけるんですよ。そうするとなんでもおいしくなるんですよ。いろいろなところで、果物に砂糖をかけたり、塩をかけたりするでしょ。わたしたちは砂糖でも塩でもなく魔法の粉をかけるんです。」
とあやしいことを言う。
「なんですか魔法の粉って。あぶないクスリじゃないの?」
といぶかるが結局どういうものだかわからずじまいだった。
人工甘味料か、それとも、たとえば果物などから抽出した自然食品かなにかだろうか?
自然のものならいいが、人工甘味料だったらガッカリである。
せっかく南国フルーツはこれだけで十分おいしいのに、なんにでもかけてしまうというのは、味覚破壊しそうでおそろしい。

この休憩所でしばらくのんびりしていた。

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大変幸運なことに、すばらしい天気である。
キナバル山もよく見える。
展望台があるので、上ってみた。
展望台の脇にあるパイナップルのオブジェは、「村のシンボル」だという。
このあたりにはたくさんの村があり、各村の入り口のロータリーに、その村が力を入れている産業や、村の特産品などの大きなオブジェを置くということである。

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コタキナバルを出発してすぐにキナバル山の勇姿は遠くに眺められたが、ここまで来ると、だいぶ迫力が出てきた。

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このいい景色をなんとか収めたいとiPhoneのパノラマ機能を使ってみるも、初めての試みでぜんぜんダメ

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ここまでサービス精神旺盛だとこっちも観光客冥利に尽きるよ

この辺りの住民は、ルソン族の人が多いという。
ルソン族は、マレー系より肌の色が白めで、やや目元がきりっとして、中国系に似た顔立ちである。
言われないと意識しないが言われてみるとたしかにそんな感じだ。
また、この辺の山の中に暮らす人々はキリスト教徒がほとんどだという。
山奥までがんばって布教したのは、やはりキリスト教宣教師だったからだ。
こういう場所に来ると毎度思うが、本当に宣教師はよくがんばることだ。

ナバル村周辺では、焼き畑でバナナや赤米をつくっている。
野生バナナもたくさんあるが、実が小さく種が多いため、人々は果実をそのまま食べず、料理につぼみや葉を使うという。

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目の形が同じ

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ケースに入っていると、ハエがたからなくていいね。

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パイナップルはひなたに置いて追熟させているのかな。ただ置いてあるだけかも

「犬には触らないでくださいね。」
と、車から降りる前に注意されていた。
だらだらしているように見えても、犬はペットとしてではなく番犬の目的で飼われているからだという。
あやしい人間だけでなく、山にいる毒蛇などから守ってくれる。

だが、山では犬以外の動物はあまり飼わない。
低地では家畜がたくさんいるが、山に入るとあまり見かけない。
低地の人間の結婚では、結納の品に、男性のほうから水牛が贈られることがあるそうだ。
ベンさんも水牛2頭を妻の家に贈ったという。
ほかには、家の柱を贈ることもあるという。
結納品が水牛や家の柱とは、現金に較べて大掛かりなことだ。

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ケンさんは、ドライバーといっても単独でガイドもできそうなほど日本語がちゃんと話せるし、日本人的な会話の機微を心得ている。
「わたしもキナバル山に2回登ったことがあります。」
とケンさんが言うので、
「へえ!私も今回は無理だけど、いつか絶対登ってみたいんですよ。どうでしたか?」
「もーう二度と登りたくないですねえ!」
「えええ〜。そんな。やっぱりきついんですか?」
「ゆっくり登れば大丈夫ですけど、そのときは日本人の登山のお客さんと登って……日本人の年配の方は強いですねえ!年配の方は、ぜんぜん休憩を入れないんですよ。『どんどん行きましょう』って言われて、わたしは日本語は話せるけど登山はあまりしていないから疲れちゃって、でもお客さんが休まないと言ってるのに若いわたしの方が『待ってくださーい』と置いていかれるわけにはいかないし、ほんとに大変でした!死ぬかと思いました。」
なんか、わかるわ……日本で流行っている、中高年登山の人々が、国内では飽き足らずこういう山にも来ているのだ。
「その点、ベンさんはえらいですよ、山にいつも入っているからたくさん歩けますし。」
ケンさんがベンさんを褒めると、ベンさんはすかさず
「アナタはクルマばかり運転しているからダメなんですよ、歩かないと。」
と馬鹿にしてくる。
二人は本当に仲がよさそうだ。
年長のベンさんを、若いケンさんが立てながらボケたり突っ込んだりを続けている。
行程の打ち合わせなどの内輪の会話は現地語でささっと済ませ、日本人客に聞かせるためにはていねいな日本語で掛け合いをする気遣いをしているのだ。
きのうのガイドのジェイソンさんの日本語能力にも舌を巻いたが(その回)、この二人の誠実なガイドぶりも好ましく、とくに日本語の掛け合いには何度も爆笑させられた。
ケンさんが尊敬する健脚さを誇るベンさんの案内で、これからいよいよキナバル公園に入っていく。

その2 公園散策につづく)

by apakaba | 2013-01-15 08:55 | ボルネオ | Comments(2)
2013年 01月 04日

今年の抱負!

毎年あれこれ思いついて書いているけど、今年はシンプルに
「体を鍛える」
でいきます。
やっぱ体が資本だもん。

私と同じ干支で、私と同じ9月生まれだった父が、私と同い年のとき、新年を迎えたあとの2月に突然死んでしまったことが、ふだんは忘れていても、気持ちのどこかに引っかかっている。
あと一か月で過労死するほどには、私はぜんぜん疲れていないし健康そのものだけど、もう慣れてしまった慢性の頭痛や、決して取れることのない体の痛み(肩や背中や首筋などの凝り)とつきあうようになると、体がだんだんとぼろくなってきたなあ……と思う。

災害だって、いつまた来るかわからない。
生き延びたい。
そのためには体力をつけなきゃ!
そして、大好きな旅行をこの先もつづけるためにも。
というわけで、三が日を過ぎて鈍りきった体を、今日からちゃんと動かすよー!

by apakaba | 2013-01-04 12:32 | 生活の話題 | Comments(4)
2013年 01月 02日

元旦の騒動で

もしかして今年はモノスゴクいい年になってしまうのではないか?
そんなことを思いたくなるような、年末年始になった。

30日に私が包丁で指を深く切ってしまった。
それはしょっちゅうなので驚かないが、大晦日に、家事の頼みの「アキタコマチ」が手首に直径5センチくらいのけっこう大きなやけどをしてしまった。
料理を食べるのもそこそこに、救急病院の夜間外来へ連れて行くことになった。

明けて元旦、夜に新年会をした。
私の母と継父(母の再婚相手)が隣の家に住んでいるので、うちにふたりを呼んで、1升5合の日本酒を飲んでしまった。
おじいちゃん(ママチチ)が「孫と飲めるなんて、おじいちゃんはこんなにうれしいことはない」と上機嫌だったのはよかったが、いつの間にか泥酔していて、帰ろうとしても腰が立たない。
態度や表情はふだんとあまり変わらないのに、ぜんぜん立てない。
玄関までどうにか歩かせてきたが、玄関でサンダルを履いて表に出たらいきなりドタッとひっくり返った。
そのときにうちの門扉(やや尖っている)で顔を切ってしまい、「うーん、痛いよう、痛いよう」とうめきながら、玄関先で横たわってしまった。

母も猛烈に飲んでいるので、そんなおじいちゃんを「バカね!」とどやしつけるばかりで、顔の傷をほぼ無視している。
「大丈夫よこんなの!」と母は言うが、外灯で見ると頬の肉がかなり深く切れていて、肉片がぶら下がっているじゃないか。
実の親だが、なんちゅう鬼嫁の酔っぱらいだ。

そこらじゅうを血だらけにしながら隣家へ引っ張り上げてあらためて怪我を見てみると、どう見ても家で処置できるレベルではない。
それなのに母ときたら、「大丈夫よこれくらい!バカね本当に!」と、ほとんどひっぱたく勢いで、ティッシュを丸めてバシバシと血を拭き取り、おじいちゃんは痛さのあまり気絶しそうになっている。
そればかりか、垂れ下がった肉片を「これが邪魔臭いわね」と、今にもつまんで引きちぎりそうになっている。
その豪快な酔っぱらいぶりについ笑ってしまう。
「お母さん!そんなに乱暴にしたらおじいちゃん気絶しちゃうよ!かわいそうよ。こんなに切れてたら家での処置は無理だってば。」
「大丈夫」を連発する母を振り切って、タクシー会社に電話してみるが、夜中なので出ない。
しかたなく、救急車を呼んだ。

つい先ほどまで痛飲していた「ササニシキ」は、さすが若いだけあって、おじいちゃんの怪我を見るとさっとしらふに戻り、「オレがおんぶするから」と言ったり、タオルや懐中電灯を運んだりしていて頼りになる。
私が病院へ行く支度で席を外している間も、救急隊員のいろいろな質問に応えていた。

私は日本酒が苦手であまりたくさん飲んでいなかったし、そもそも飲んでも酔わないので、付き添いで救急車に乗ってついていった。
母はどんなに飲んでも自分の用事だけはちゃんとこなせる人だが、やはりお正月だからか、だいぶ飲み過ぎていた。そばに寄れないほど酒臭い。
救急車の中で付き添いの氏名を書いたり、診察の予診表に記入したりするのも皆私がやった。
「あらあんた、ずいぶん速く字が書けるのね。」
「あら、“擦過傷”とか、“狭窄症”とかも漢字で書けるの!眞紀はさすがねえ〜。私には書けないわ〜。」
などとわけのわからないことでしきりに感心している(酔っぱらいだから)。

おじいちゃんの傷は、私は縫うかなと予想していたが、すでに頬の裂けた部分が死んでいるため、縫うことができず、スポンジ状の大きな絆創膏のようなものを貼り付けて静置することになった。

帰宅は午前2時になっていた。
夫が新年会の片付けを全部やってくれていて、「ササニシキ」とふたりで待っていた。
「……お前も、年寄りにあまり飲ませたらだめだよ。こっちが気をつけなきゃ。」
「だって見た目が全然変わらないから。ふつう、酔ってる人ってもっと様子が変わるのに、いつもどおりにしゃべっていて、いきなり足元がだめになるから、ビックリするよ……」
私が部屋に戻ると、ふたりでそんなことを話し合っていた。

夫は、
「でもな、やっぱりトシなんだから。あまり飲ませすぎないようにしないといけないんだよ。
俺も、ばあさん(夫の祖母。夫はおばあちゃん子だった)と大学生のときに旅行に行って、ついつい昔と同じつもりでたくさん歩かせすぎて、そしたらばあさんの具合が悪くなっちゃって、そのとき初めて、“ああ、そうか。元気そうに見えても、年寄りなんだ。こっちが気を遣うべきだった”とすごく反省したんだよ。
お前も、隣のおじいさんも、もうそういう年に差しかかってきたんだよ。
こっちが大人になって、いたわらないといけないんだ。」
と「ササニシキ」に言い聞かせていた。

「それにしても、ああいう酔い方って、うちの家族を見回しても、他にいないよな……あんなふうに、いきなり腰が抜ける酔い方って……おじいさんは基本的に、酒好きだけどあんまり酒に強くはないんだな。……考えてみりゃあの人だけ他人だもんなあ。そりゃ、うちやお宅(私)の家系にいないタイプなのは、当たり前だよなあ。いろいろと驚かされるなあ。」

おじいちゃんは「孫と飲めてうれしい」と何度も言っていたが、本当の血縁の孫とは、めったに会わないのである。
毎日のように顔を合わせて、「うちの孫が、うちの孫が」と呼んでかわいがっているのは、血縁ではない、私の子供たちなのである。
その意味では、おじいちゃんは幸せなのか不幸なのか、よくわからない。
でも、すっとんきょうな酔い方をして大失態をしても、「おじいちゃん、おじいちゃん」と慕ってもらって、「オレがおんぶしていくから」とまで言ってもらえるのは、まちがいなく幸せだろう。
顔を切ったくらいで済んで、本当によかった。
傷跡は少し残ることになるだろうが、まあどっちにしろしわくちゃだし(あらー)、それよりも「調子に乗って飲み過ぎてはいけない」と、懲りてくれればいい。

どたばたした新年となったが、これで厄が落ちるかなあ?

by apakaba | 2013-01-02 21:24 | 生活の話題 | Comments(0)