あぱかば・ブログ篇

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2013年 04月 27日

ブッダのことば——スッタニパータ——

宗教書、と一応分類されているものの、ここには大宗教の体系的な論理は見あたらない。
もっと原初的で素朴な、ブッダという人間が口にしたことばを並べてある。
はっきり言ってとびきり面白い本というでもないが、たまにはっとするような詩的な美しい一文が目に留まることがある。たとえば——。
『地球の歩き方・インド編』の扉の頁に、必ず次の「ことば」が書かれている。
  ……寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、…これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。……  (『ブッダのことば・蛇の章《三.犀の角》』より)
何度改訂を重ねても、これだけは扉に残っている。
いつからなのかは知らないが、少なくとも、私の手許にあるなかで、一番ふるい'89年度版の『歩き方』にはすでに記されている。
旅立つ前の下調べのときから、宿の豆電球のしたでも、移動中の乗り物のなかでも、否応なしにまず目に飛びこんでくることになる。
いつしか、広大無辺なインドの大地に対する憧れと旅心を、この短いことばに重ね合わせていく。
『歩き方』がガイドブックとしてすぐれているかどうかには賛否が分かれるとしても、こと『インド編』の扉部分に限っていえば、この章句を選び、ずっと載せつづけている編集者は大した人だと思う。

当然の成り行きとして、『インド編』の扉をきっかけに、本書を読んでみることにした。
まず、ブッダは話し好きで説明上手なひとだという感想を持った。
苦行してやたらと痩せてみたり、最期は悪くなった食べ物にあたって下痢して死んでしまったりと、なんだか人間くさい人だとは常々思っていたが、本を読んでますます、彼の地の大自然を体いっぱいに享受した、ひとりのインド人……というイメージを強くした。
とにかく動物や虫や植物を比喩に用いた章句が圧倒的に多い。
おそらく彼(なんてなれなれしく言っていいのだろうか)は、身の回りの自然を、とっても好きだったのだろう。
そしてそれは、当時からいまに連なるすべてのインド人も、同じなのだろう。
彼とその他のインド人を隔てる点はただひとつ、「悟った」かそうでないか、だ。

彼は、蛇の脱皮や、インドゾウやインドサイが悠々と歩く様を、実際に驚嘆しながら眺め、そこに霊的ななにかを見いだしてしまったのに違いない。
なにしろ、第一章『蛇の章』において、「——蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」という比喩を、章句ごとにのっけから17回くり返し、冒頭にも引いた「犀の角のようにただ独り歩め。」に至っては40連発である。(その後、75連発だという話も聞いてさらに困惑。)

 “肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。” 
これなんかよく読むと意味不明でしょう。
象のような犀の角のように……?
でもブッダはドウシテモ、象を使った比喩をしてみたかったのだね。

それでも、唇が喜ぶにまかせて唱えているうちに、詩句が力を得て立ち上がり、歩き始めるような感じがするのである。(これを逆手に取ると危険なんだけど。「修行するぞしゅぎょうするぞしゅぎょうするぞ!」とかね。)

本書には数々の物語も登場する。
なかでも私が際だって興味深く読めたのが、『コーカーリヤ』という短い章段だった。
ブッダの弟子のひとりであるコーカーリヤは、他の弟子を中傷したために、からだじゅうに腫れ物ができて死に、のちに紅蓮(ぐれん)地獄に生まれてしまう。
ブッダは弟子たちに、紅蓮地獄とはどういうところなのかを説明する。
その説明というのが懇切丁寧で、このうえなく具体的で気持ち悪い。
  “(前略)また蛆虫(うじむし)の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁(ふち)がない。その釜の上部は彎曲(わんきょく)していて、まわりが全部一様だからである。”
  “そこには黒犬や斑犬(ぶちいぬ)や黒烏(くろからす)の群や野狐がいて、泣きさけぶ彼らを貪り食うて飽くことがない。”
といった具合で。
その紅蓮地獄は、五千兆年プラス一千万の千二百倍の歳になるまで出られないのだそうだよ。
なぜここまで、見てきたかのように具体的に断定できるの?
そして、「はじめ芥子粒ほどであった腫れ物が、やがて小豆ほどになり、大豆ほどになり……」などというように、すごく身近なものと、途方もない単位とを平気で並べてしまえる飛躍の大きさに、凡人はただ混乱するばかりなのである。
こうまでいわれると、もはや説明上手の次元を超えて、子供の空想のホラ話につきあわされている気分になってくる(蛇足ながら、地獄の名前に「アババ地獄」「アハハ地獄」「アタタ地獄」というのがあって、思わず笑ってしまいました)。

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このレビューを書くより10年前の1990年。コドモのような私。インドのどこかかな

“悟った”というのは、「コドモになっちゃった」ということに限りなく近いような気がする。
“音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚(けが)されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。”
コドモは誰だって、天上天下唯我独尊だあ。
てんでばらばらに上下していた二台のエレベーターが、あるときぴたりと同じ階で扉を開けるように、ブッダは、思索を成熟させるために精進することと、子供の心を持ちつづけることはじつは同じだ、と、ことばを尽くして説明してくれているような気がした。

*2000年4月29日にサイトに書いたレビューを再掲。

by apakaba | 2013-04-27 23:24 | 文芸・文学・言語 | Comments(4)
2013年 04月 26日

暴漢

高校入試で失敗して、志望校には入れなかった「コシヒカリ」だが(その顛末→おしゃかさまの采配、ご先祖様の采配)、入学したらすっかり気持ちを入れ替えて、毎日楽しく通学している。
ところが、きのう高校から帰ってくると、
「男の人に、バッグで殴られた。」
と恐ろしいことを言う。

娘は、近くの高校なので自転車通学をしており、きのうの下校時に、ひとけのない狭い一本道を漕いでいた。
40歳くらいのスーツ姿の男性が、向こうから歩いてきた。
その人は、遠くから見てもわかるくらいに“キレ気味”だった。
一人でなにやら怒声を上げながら近づいてくると、娘に唾を吐きかけた。
はじめは、「痰を吐いただけかな」と思っていたが、ふたたび娘に向かって唾を吐いてきた。
そして娘に罵声を浴びせると、いきなり肩にかけていた緑色のバッグを肩からおろし、娘をバッグで殴りつけた。
娘は驚いて、自転車のバランスをくずして塀にぶつかってしまい、手の指を軽く怪我した。
振り向くと相手もにらみ返し、まだ罵倒していて怖かったので、急いでその場を逃げた。

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通学路ではなく犬の散歩道だが、この辺りはけっこう自然がいっぱいだ

ともかく、怪我がたいしたことがなく、へたに反撃しないで全力で逃げてきたのはよかった。

娘がその話をしたのは夜だったので110番はあきらめ、今朝になってから学校に電話した。
この程度のことだと、警察も学校もなにも対応しないのかもしれないが、通学路の安全確保という意味で報告だけした。

息子二人のときは、とくに心配もしなかったけれど、女の子というのは家から離れると心配なものだな。
なにも悪いことをしていないのに、こんなことで嫌な思いをして、かわいそうに。
一日たったらもうけろっとしているが、こういうことで、だんだんと危険を知るようになっていくのか。

by apakaba | 2013-04-26 22:06 | 子供 | Comments(6)
2013年 04月 25日

台湾で、日本を考えていた 6.日本語・美人・三地門

5.サヨナラJJ-Wホテル〜三地門へのつづき。(初回は台湾2013からどうぞ)

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乗ってきたバスは行っちゃった。さよーならー

台湾の原住民の中でもとくに興味を惹かれたルカイ族に会うため、屏東(へいとう/ピンドォン)からバスで三地門まで来た。
三地門からさらに奥地へ入りたいが、どうしていいか手段がわからない。
というのも、ルカイ族の村「霧台(むだい/ウータイ)」は山地管制が敷かれており、外国人は入山許可証がないと入れない(ことになっている)。
「ことになっている」というのは、実際に警察署へ行って許可証を取得して入ったという話が、いくら探してもひとつも見つからず、「屏東の警察署で賄賂を払って一般の車をチャーターした」「タクシーに乗りさえすれば、運転手がどうにかしてくれる。現地の人間と一緒なら入れる」といったまちまちの情報が飛び交っているだけだからである。
だが、こういう手続きは現地に行くと意外とテキトーだったりするから、なんとか突破できるような気がする。
それより心配なのは霧台へ行く交通手段だ。
ネット友人に相談してみると、バスは崖崩れで道路が壊れたため運行を休止しており、今のところ方法は次の3通り。

1 屏東からタクシー
・・・屏東駅前にはたしかにたくさんの客待ちタクシーが停まっていた。
しかし屏東から三地門までも1時間ちかくかかるのに、屏東から乗っていったのではかなりの金額になるだろう。それ以上に、霧台までの長い山道を、運転手が知らない可能性が高い。

2 三地門からタクシー
・・・三地門はすでにそうとう山奥の田舎であり、タクシー自体がほとんど走っていない。

3 三地門からヒッチハイク
・・・トホホ、これしかないのか。

つづき。三地門での滞在はほんの数時間。その間にいろんなことが

by apakaba | 2013-04-25 15:17 | 台湾2013 | Comments(8)
2013年 04月 16日

台湾で、日本を考えていた 5.サヨナラJJ-Wホテル〜三地門へ

4.神農街のつづき。(初回は台湾2013からどうぞ)

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「NO NUKES No more Fukushima」この旗をいろんなところで見かけた

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夜の西門市場は昼よりずっと怖い。
昼に来ていたからなんとか通ったが、夜に初めて来ていたら絶対に通り抜けられなかっただろう。
だがところどころでまだ食堂をやっていて、お客が食べていることにビックリする。
横目に見ながら通り過ぎるがうまそうである。
それにしても、台湾のプラスチック消費は大丈夫なんだろうか。リサイクルできるのか?
まあどの国も大量消費しているけど、これじゃ涸渇するよね、石油も。

つづき。ステキなJJ-Wホテルを一晩で去り、山岳地帯へ向かいます

by apakaba | 2013-04-16 08:54 | 台湾2013 | Comments(2)
2013年 04月 10日

映画が好きだ! 『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』

シャー・ルク・カーン主演のインド映画『オーム・シャンティ・オーム』(2007年作品)が『恋する輪廻』という邦題付きになり、やっと日本ロードショーが叶いました!

世界一大好きな映画スターです。
90年代半ばにインドの田舎町で見て以来、世界一好きなまま。
20年近くになります。
その間、こっちはどんどん年を取っていくのに、シャールクはなぜ、まるっきり年を取らないの?
いやむしろ若くなっている!
昔はこんなカラダじゃなかったもん。

『オーム・シャンティ・オーム』は、このような話です。
「売れない映画俳優のシャールク(オームという名前)は売り出し中の女優に恋をしているが、彼女はひそかに大物プロデューサーと結婚していた。
彼女の存在を疎ましく思い始めたプロデューサーは彼女を亡き者にしようとする。
シャールクは彼女を助けようとして、巻き添えを食い命を落としてしまう。
落とした命は別の命となって生まれ変わり、30年の時が流れた。
30歳となった生まれ変わりのシャールク(またオームという名前になる)は、今度は人気俳優となっている。
だが徐々に前世の記憶を取り戻し……」

30歳の役を50歳に近いシャールクが演じても、なんの違和感もないから、自分の中の通常の時間の流れと、シャールクの異常な若さとがずれてずれてしょうがない。
アンチエイジングバンザイ。

ありきたりのラブストーリーのようでいて、オームの恋は死によって否応なく中断するし、後半は恋愛よりも生まれ変わりや復讐へと展開していくから、ストーリーに着目していると奇妙な気分になるのだけれど、なによりも私が感動したのは、「全編に流れる、“映画というもの”への愛」でした。

映画が好き……ほんとに映画が大好き!

冒頭から幕切れ、エンドロールに至るまで、“映画”へのあふれる愛情に深く深く、心を打たれました。
主人公のオームは野心に満ちた映画俳優、生まれ変わってもやっぱり俳優、ストーリーのほとんどは映画撮影所や映画館で進んでいくし、そして何よりも……往年の名優たち!
すでに亡くなったインド俳優から、80年代、90年代、ゼロ年代に活躍していた皆さんが次々と出てきて、私が夢中でインド映画を見ていた当時の、あのえもいわれぬ高揚した気持ちに引き戻され、まったく夢を見ているようでした。
ほんのちょっとしたセリフのやり取りの端々にも、昔のインド映画へのオマージュが散りばめてあり、インド映画を知っていれば知っているほど、ずっとにやにやしっぱなし、そしてぎゅっと甘く切ない気分に浸れる169分なのです。

今回この映画を見ていて初めて自覚したことですが、私はどうも、インド映画スターは“女優が好き”みたいです。
男優はシャールクしか見ていないのですが(もちろん、登場した男優の名前はほぼわかるし作品も見てますが)、女優のほうが圧倒的に胸躍ります(いや、でも久々に見たチャンキー・パンデはなかなかかっこよかった)。
ヒロインの多岐川裕美似のディーピカー・パードゥコーン(「ディーピカたん」と呼ぶにふさわしい)も愛らしかったし、ダンスシーンに出てきた女優さんたちの美しいこと!
ラーニー・ムケルジーのあのハスキーな声にまずメロメロ!
ウルミラーのセクシーなこと、プリーティのキュートなこと、そしてシャールクの相手役をたくさん務めていたジュヒーとカージョル!彼女たちとシャールクのツーショットは、私が20代のころ、ワンシーンずつ全部覚えているほどに見ていました。
彼女たちとシャールクの共演作品が、やっぱり私は一番好き。
そしてそして、レカのひれ伏したくなるような迫力の美貌!
でも、もっともっと見たかった。
マードゥリーも、マニーシャも、カリーナも、もっと見たいよー!
大輪の花のような女優あっての、インド映画。
すてきでした……。

私は、インド映画はとにもかくにも、ダンスシーンが大好き。
ダンスのないインド映画はぜんぜん見たくありません。
この作品は、今まで見た中でもトップクラスのダンスシーンの多さで、終始リズムで体が動いていました。
でも最近の傾向では、インド映画も徐々にダンスシーンが減っているようで、さびしい限りです。
スクリーンのダンスを見ているときの、脳内が幸福感で満たされる喜び……あれは他のなににも代え難いものです。
是非これからも、ダンスてんこもりなインド映画をお願いしたいものです。

こんな豪華絢爛なシーンは、見たことがありません。

前回のシャールク映画のレビューはこちら→インド映画の王道を進む、『ラ・ワン』
今回よりもずっとシリアスに書いていますが、どっちにしろ私はシャールクが世界一好き。
主人公のオームがスクリーンの中の恋するヒロインを見つめ、幸せに満ちた表情をしばしばしていますが、あの表情はまさに鏡。
スクリーンを見てとろける表情をするスクリーンのシャールクを見て、同じ表情を、私のほうも浮かべているのだから!

by apakaba | 2013-04-10 23:35 | 映画 | Comments(0)
2013年 04月 07日

台湾で、日本を考えていた 4.神農街

3.藍曬圖 Blue Printのつづき。(初回は台湾2013からどうぞ)

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目当てのブループリント(参照)を見てすっかり満足したが、せっかく来たので他のアートや街並みも見て歩く。
神農街という通りで、昼と夜の写真を見たところ夜のほうがムードがあると思い、日没を待ってから来たのである。

つづき。神農街を歩きますよー

by apakaba | 2013-04-07 17:15 | 台湾2013 | Comments(5)
2013年 04月 06日

「コシヒカリ」のダメな入学式

明日は7時50分に家を出よう、と、ゆうべ寝る前に話したのに、「コシヒカリ」は起きてこない。
7時30分に「今日は行かないの」と声をかけると飛び起きた。

入学式に間に合うように起きることもできないのでは、先が思いやられる。

出かける直前になって「ネクタイの結び方がわからない。」と半べそ。
通学は今日から革靴なのに、スニーカーで出ようとしている。
家を出てから、校章を付けていないことに気づく。
上履きを忘れたことに気づく。
入学前のオリエンテーションで渡された宿題を、半分やり忘れていた。

自己管理のできない人間は、勉強などできるわけがない。
もう義務教育ではなくなったのだから、自分で痛い目に遭って身の回りのことは自分でできる人間になりなさい。

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3月に散歩道で撮った馬酔木、もう花は終わっているだろうか。

三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山
みもろは 人の守る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲き 末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし 山ぞ 泣く子守(も)る山

(三諸山は、人々が大切にする山。ふもとには馬酔木の花が咲いて、山の頂上のほうには椿の花が咲く美しい山。親が泣く子を慈しむような山だ。)


『万葉集』3222番の感動的な歌だ。
写真を撮った散歩道でも、まさに椿が過ぎて馬酔木が咲き、また入れ替わりに桜が咲いた。
今日の入学式では桜吹雪と葉桜の校門をくぐった。

ダメな末っ子。
兄二人に勝手に劣等感を持って、甘ったれで、すぐふてくされ、自分に甘くて言い訳ばかりする。
それでも椿よりも馬酔木よりも桜よりも、かわいいかわいい女の子だ。
忘れ物でべそをかくのは今日限りにして、気持ちを入れ替えて、3年間がんばりましょう。

by apakaba | 2013-04-06 18:00 | 子供 | Comments(4)
2013年 04月 05日

バンザイ吉祥寺の宴

吉祥寺でおもしろい食材を買い、今月から2年間、調理師学校に進む次男「アキタコマチ」に作ってもらった。

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豚カシラ肉(コメカミ)をコチュジャンと塩麹に漬けて焼いた。
付け合わせは、もやしと大葉をだしとごまでおひたしにした。

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ゴーヤチャンプルみたいなのは、四角豆(しかくまめ)のチャンプルー。
沖縄特産野菜だという。
醤油炒めでは芸がないので、香港土産の海老油とにんにくで炒めていた。
しゃきっとした歯触り。
プレーンなおひたしは、「しどけ」という山菜。
私はこの山菜を、このトシで初めて知りました。
味はほろ苦くて、まさに大人の味。

写真にはないが、ザーサイとねぎを刻んでトッピングした豆腐に、黒酢で割った醤油をかける一品もつけていた。

全部、味付けを自分で考えていた。
料理人はレシピを真似するだけでは進歩がないもんね。
簡単な味付けでも自分で編み出すことが大事。
吉祥寺はめずらしい食材が見つかるからいいなあ。
カシラも、四角豆も、しどけも、それぞれは知っている人も多いのかもしれないけれど、全部を一度の食卓に載せることができるのはなかなか難しいだろう。
ほんと、幸せなことだ。

by apakaba | 2013-04-05 23:24 | 食べたり飲んだり | Comments(2)