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2015年 02月 26日

「ササニシキ」の裁判傍聴報告から

きのう、長男「ササニシキ」は東京地裁で裁判の傍聴をしてきたという。
弁護士志望で4月からは法科大学院に進む「ササニシキ」は、たまに傍聴に行っている。
きのうの裁判は、30歳くらいの男の暴行事件。
その人は、やはり暴行か窃盗かなにかの前科があり、更生するための寮のようなところで暮らしていた。
しかしその寮でも暴れて退寮させられ、住所不定無職となった。
寮で一緒だった人を恨んでいて、こっそり寮に戻り、その相手を殴ったという罪。
過度に飲酒もしていたらしい。

犯罪そのものとしては軽いが、被告人の様子を聞いているとやるせない気持ちになった。
あまりにも知的能力が低すぎて、裁判官や検察官や弁護士との会話も成り立たない。
質問されても回答に詰まり長く黙ってしまう、寮でお世話になった人物のことを思い出すと突然泣き崩れる、自分に不利な発言もどんどんしてしまう、裁判の中で使われる言葉の意味(「黙秘権」など)も、説明しても理解できない。
せっかく弁護士が、「もう酒は慎みます」と言わせようとして水を向けているのに、「いや〜酒は好きなんですよね結局……」などと答えてしまい、「被告人もこのように反省しています」と持っていけない。
司法側3人の間では猛スピードで会話が交わされるのに、被告人に対しては幼児に向かって話すように、「あのね、“もくひけん”っていうものがあってね、……」などと、噛み砕いてごくごくゆっくり話していたという。
外見は、髪も肩まで伸び放題(浮浪者同然の暮らしのため)で、直感的に“危ない”と周囲が感じるタイプ。
「もし電車とかで乗り合わせたら、絶対別の車両に移動しようと思わせるタイプ。」(「ササニシキ」)

いわゆるIQがすれすれという、知的障害者に近い人が、不幸な生い立ちでこういうことになってしまうという典型的なパターンだ。
実際、高度に知的な犯罪は別として、衝動的な犯罪(「カッとなって殺した」とか)を犯す人のきわめて多くが、知的能力が劣っているのだという。
「カッとなって殺した」あとにどうなるのかを想像できず、裁判になっても知識も判断力も乏しいために有利に進めることができない。
その結果、ただ周りの人間への恨みだけを募らせ、再犯率も高くなる。
社会に復帰できるチャンスはだんだん減っていき(更生のための寮さえ追い出されるなど)、やがて重大な犯罪を起こしてしまう。

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本文とほぼ関係ありませんが、次男「アキタコマチ」がチョコレートを作っているところ。
テンパリングが最重要だと。
ウマカッタ

30歳酒好きの被告人は、かわいそうだなあ。
知的レベルに問題があったって、子供のころに、親など周りの大人から適切な判断をされて、適切な処遇を与えられていれば、今ごろごくふつうの暮らしを送れていたかもしれないのに。

すべての人間には、幸せになる権利がある。
本田靖春の名著『私戦』や『誘拐』の犯人たちも、本田の筆によってその生い立ちが明かされていくと、罪への憎しみよりも、子供時代や青年時代の彼らの不幸さに泣きたくなってくる(寸又峡事件の金嬉老はかなり頭が切れるように読めたが)。
幸せを苦もなく得ている大多数の人間は、犯罪に走る人間をすぐに排除し、社会的に抹殺して安心しようとする。
私だって、30歳酒好きの被告人が、さっさと刑務所から出てきてしまったら怖い。
正直なところ、できればずっと入っていてくれと思う。
でもそのくりかえしだけでいいのか?
悪い奴は閉じ込めてしまえば?
もう悪くなっちゃった奴は仕方がないとして(何かしらの更生のチャンスを用意していくしかない)、やはり社会は、子供にせいいっぱいの注意を向けるべきだと思うのだ。
子供に十分な環境(教育と愛情)を用意してやることでしか、こうした悲しい犯人は減っていかない。
がんばってくれ30歳酒好きの被告人。

それにしても、裁判官・検察官・弁護士の三者は、もう流れ作業のようにどんどん裁判を進めていっていたという。
お互い身内な感じで、どうせ被告人はろくすっぽしゃべれないから、「被告人もこのように反省の念がうかがえるので……(←ぜんぜんそんなこと証言できてないのに)」と、スピードアップして終わっていったという。
事件は山ほどあるのに、「傷害」ですらないようなこんな軽犯罪に、いつまでも時間を割いていられないのだろう。
司法の人たちも大変だね。
今まで知的エリートコースを歩み、猛勉強をして法の世界に入っても、付き合う相手はIQすれすれの犯罪者ばかり。
刑事事件に進んだ人は、そのあまりのギャップに、精神的に苦しむという。
「ササニシキ」も、大学時代は刑事のゼミに入っていたが、どうすんの。
このまま民事にいかず、刑事の道を突き進むのか?
まああいつはけっこうメンタル的に大丈夫っぽいけど。


by apakaba | 2015-02-26 09:37 | 子供 | Comments(0)
2015年 02月 25日

「怖い」と思っているのは誰

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先日、コーシローは9歳になった。
老け方が早く、もう老いぼれといっていい雰囲気。

近所に知的障害の男の子がいる。
今は中学生だが、9年前には5歳くらいの幼児だった。
飼い始めたばかりの子犬のコーシローをめずらしがって、よく外でぺったりと一緒に座り込み、その子のよだれをコーシローがぺろぺろなめたりしていた。

でもコーシローはその後急速に気の強い柴犬らしくなってしまい、彼にもワンワンと吠えつくようになった。
彼は吠えかかるコーシローにとてもおびえて、ワーワー泣いた。
子犬のころはあんなに仲よく遊んでいたのに、申し訳ない気持ちだった。

コーシローは気性の荒い犬で、いくらしつけても、知らない人に吠えることをやめなかった。
しかし、子犬のころにかわいがってくれた人や犬のことは決して忘れず、何年たっても子犬時代に戻って喜んだ。
でもその子にだけは、すっかり思い出を忘れたように吠えた。
というのも、彼は身体的にも少しハンディがあるようで、独特のぎこちない歩き方をするのである。
番犬は人とちがう行動に非常に敏感だ。
その歩き方に不審さを感じているのは明らかだった。
子犬時代の思い出よりも、縄張り意識のほうが勝ってしまったのだった。

私は彼をおびえさせたくないし悲しませたくなくて、ここ何年も、とにかくコーシローを遠ざけていた。
道の向こうから彼が見えると、ちがう道を通ったりしていた。
そのうち、彼は中学生になって、見上げるほどに背が高くなり、外見はかなりかっこよくなった。

つい先日、本当に久しぶりに、彼とコーシローがばっちり鉢合わせしてしまった。
例によってワンワンと吠えた。
ところが、彼は、さもいとしそうににっこりと、コーシローに微笑んで、
「コーシローくん、吠えてるね。やっぱりボクがこわいんだね。ふふふ。」
と言ったのだ。

年月が流れたのだ。
私が懸命に犬と彼を近づけないようにしていた間に。
昔、怖がっていたのは彼だった。
今では「ボクはコーシローが怖い」のではなく「コーシローはボクのことが怖いから吠えている」と考えている。
犬は老いぼれ、彼は成長していた。
9年前、犬と寄り添っていた小さい背中を見て、「少しはあの子の慰めになるかな」なんて考えていたのは、とんだ思い上がりだった。


by apakaba | 2015-02-25 14:00 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 02月 24日

直球だけでは試合できない

きのう、影絵劇団の反省会を少人数でちょっとだけした。
そのとき同席者からおもしろい指摘をされた。
私は、劇の練習に関して、自分が担当している声チームのことだけでなく、人形操作・音楽・背景画像についても気がついたことがあればできるだけ発言するようにしている。
そのとき、どんなに思うようにいっていなくても、決して感情的に怒ることはしない。

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本文と関係ありませんが、日曜のお昼のタイ料理。

「でもね、ミタニさんのことを“怖い”と思う人はやっぱりいるのよ。ミタニさんは自分では『私は怒らないしいつも褒めている。だから怖くない』と言ってるけど、それでも怖い。それはね」
理由を説明してくれた。

「私はミタニさんのことが怖くない。それは、ミタニさんが言うことにはうそがないから。
裏表がなくて、人によって態度を変えるとか、そういうずるいことを決してしない。『この人こう言ってるけど、本音はちがうんじゃないかな』とか疑っちゃうような人って多いでしょう?私はそういう人のほうが怖いもん。
でもね、ミタニさんの言うことは、あまりにもまっすぐで力があってうそがないから、その分、その言葉を受け止めきれない相手は、“怖い”と感じると思うの。
相手にも同じだけの強さがないと、本当にそのとおりだからこそ傷つく。
攻撃のように受け取られるのね。
ミタニさんの言葉は、受け取る人によっては誠実で真剣すぎるの。
本当のことを言われると、人は怖さを感じるのよ。
もしも自分を改善しなくちゃと思っているとしたら、そのことはちょっと考えておくといいかもしれない。」

ありがたいねえ。
こういうことを言ってくれる人は、大事にしないとね。
完全に納得した。
こういう正論をはっきり言われて“ありがたいねえ”と感じるか、“あの人怖い。あの人にこんなこと言われた。嫌だなあ”と感じるかが分かれ目なのだろう。
小動物的自己防衛本能の強い人ほど、私のような人間は受け付けられないのだろう。
これでも一応、「まあ、気楽に」とか「私も大体失敗するんですが……」という言葉を忘れずに添えているのだが、初めに受け止めきれないことを言われたあとでは効果もないのだろう。

人に言うことを聞いてもらうのって、ほんとに難しい。
まずは自分が価値のある人間にならなければ、言葉に力はない。
そして力は、あれば使っていいってもんじゃない。
現状、私は団体の創設期メンバーだし、いわゆる“看板”だ。
それを周りに意識してほしくないけれど、やっぱり立場というものはそれだけでリッパに一つの脅威となる。
うまく調和しつつ言うことを聞いてもらうには……悩みは続く。


by apakaba | 2015-02-24 19:15 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 02月 18日

影絵人形劇はこんな感じです

2005年、うちの子供たちが小学生だった時代に、その小学校で「図書ボランティア」という団体が発足した。
小学校の図書室を整備し、読み聞かせをする。
私も発足と同時に登録した(図書室改造、どうせ読み聞かせをやるなら)。
数年後、各学期末にお楽しみ企画として、昔話などを劇仕立てにしたペープサート(厚紙に登場人物を書いて棒を貼り付けて動かす人形劇)や紙芝居を始め、やがて影絵へと発展していった。

この時代から私は声を当てる担当だったが、すごくやる気のない不良団員だった。
演劇は好きだったけれど、練習しても見せる相手が少なすぎる。
図書室でやるから、1年生でほぼ満杯で、あとはわずかな子供しか入れない。
ぶっつけ本番でもどうせ読めるしと思ってまったく練習に出ず、本番ぎりぎりに入って台本を渡されて読んだら片付けもせず帰るというような、最悪の団員だった。
あのころを思い出すと本当に恥ずかしい。
でも各パートごとの交流もまるでなく(私の態度が悪かったからかもしれないけど)、お互いにアドバイスしあうという雰囲気もまるでなく(私の態度が悪かったからかもしれないけど)、それじゃやる気出ないよ(私の態度が〜〜以下同文)。

それでも団体代表は、クビにもせずに私の登録を続けさせてくれただけでなく、さらに影絵人形劇を発展させていくことに成功した。
図書室整備や読み聞かせの部門とは別に影絵人形劇団として別枠を作り、公演場所もせまい図書室ではなく体育館へ移し、授業時間のコマを使って保護者も観覧できるようにしたのだった。
こうなると、元来が目立ちたがりの私は別人のようにやる気が出る!

目立ちたがりとかいうのとは別に……
教育が国の未来を担う、っていつも思っている。
だからずっと小学生に勉強を教える仕事をしていたし、3年前には高校の講師にもなろうとしていた(就活で落ちたけど!)。
子供に勉強を教えることが好きだった。
わからなくて困り果てていた子が、「わかった」ときの表情は、本当に輝いている。
けれども、私が子供に勉強を教えることがだんだんと叶わなくなってきても、別の形で教育現場に直接関わっていける特技がまだある。
それが演劇だった。

ともすると内輪ウケの悪ノリに流れていきやすかった「図書室スペシャル時代」とはちがって、なにしろ学校の授業時間を与えられ、区から予算もたっぷりついている(区から予算を獲得するのは大変なことなのだ)。
責任がある。
人形・音楽・背景画像の芸術性は、各パートのものすごい努力の末、昔と比較にならないほど上がった。
そうなると、素人っぽさが一番目立つのは声。
いくら他のパートが芸術的でも、声が素人っぽいと芸術性がガタ落ちしてしまう。
昔の不良団員時代の反省を踏まえて、できるだけ声に当たった人たちと密に接するように心がけてきた。
今ではだいぶ劇団としてのまとまりが出てきた。
初めはお母さんたちの趣味の活動くらいのものだったが、団員も、だんだんと教育現場に直接関わっているという自覚を持ち始めてきたように思う。

今後、近隣の学校や区民の行事などに活動範囲を広げていくらしい。
さらに大きな場所、さらに意義ある場所、さらに求められている場所に、出て行きたい。
大所帯だから実現は大変だと思うけどね。
見るのは簡単、やるのは大変。
私はすごく自分に甘い人間だけど、声の演技に関してだけは、一番困難な一番細い道を通るようにしている(まあそれでたいてい失敗するんだけど)。
自分の声の的中率を上げていくことはもちろんいつでも個人的な目標だ。
でも影絵は総合芸術で、いくら一人でがんばってもなにも生まれない。
だからおもしろい。
とんでもなく奥が深い。
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初めて動画を出す許可が出ました。
37分の上演時間なので長いですが、絶対ラストの歌まで見てください。
ちょこちょこ見てもつまんないです。
私はタイトルロールです。



by apakaba | 2015-02-18 10:45 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(2)
2015年 02月 14日

公演直後心情吐露

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今朝。娘の「コシヒカリ」がくれた『ONE PIECE』マグカップ。
尊敬する少年役声優の田中真弓さんにあやかり、これでコーヒーを飲むと演技がうまくなる気がする


今日は私が所属している影絵人形劇団の公演だった。
DVD製作のため、朝8時過ぎから収録をして、小学校の生徒向けにそのあと2回公演。
さしたる大きな失敗もなく終了した。

あんなに一生懸命話し合って、ストーリーを作って、新しいチャレンジを取り入れて、準備をしてきたのに、終わってしまうとあっけない。
いつもそうなのだけど、公演が終わると、しばらくなにもしたくなくなる。
台本は見たくもないし、誰とも口をききたくなくなる。
みんなで力を合わせてやり遂げたという達成感と同じくらいの大きさで、虚無感と自己嫌悪が襲う。

あのセリフは本番よりも何月何日の練習のときのほうがうまくできたよ!
このセリフは、結局一度もうまく言えなかったよ!
聴覚障害がなかったら、もっとうまくできたよ。
聴覚障害で集中力が途切れて、本番中に出番がわからなくなって出が遅れたよ……ちがうの、私ほんとはもっとうまいんですよー!!!!

悔しくて悲しい気持ちは、やり終わった直後が一番大きい。
こんなふうに、誰にともなく心の中で言い訳をしてしまうことは、すごく見苦しいと思う。

私の役柄は、いつでも圧倒的に出番が多く、しかも渾身の力を振り絞らないとできない役ばかりなので、直後には「もうこの先、新しい役はできないのではないか」という不安にも襲われる。
私は声担当の責任者なので、自分の役だけに打ち込んでいればいいというものでもなく、声チーム全員の演技を見ないといけない。
人を動かすのは難しい。
でも人に教えることは好きだ。
私はほぼ褒め言葉しか口にしない(塾をやっていたときもそうだったが)から、みんな自然に上手になる。

この練習期間中、とても嫌なニュースが多くて、「日本はもうダメなんじゃないか」と沈鬱な気持ちだった。
この国の大人はもうダメなんじゃないのかと。
でも、子供は大事。
子供の教育が国の力になる。
影絵という総合芸術を使って、教育の一端を担えることに、自負を感じる。
子供にはみんな幸せになってほしい。
最終的には、それが原動力になってる。
ノイズキャンセリングヘッドホンを手放せない体になって、あとどれだけやれるだろうか?

by apakaba | 2015-02-14 17:32 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 02月 09日

カッコよく一拍目へ戻る! ガタムじめ、音や金時

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右がガタム奏者の久野さん。左で演奏中なのがモールシン(口琴)奏者の盟友・竹原さん。二人とも本当に、カッコいいです

ゆうべ、久野隆昭さんのラストライブへ行った。
久野さんは、日本でただ一人の、ガタムという楽器の演奏家だが、春から転職するため今回が最後の演奏になったのだった。

久野さんの演奏を初めて聴いたのは3年前。
それまでインドの打楽器ガタムのことを知らなかった。
音色にも演奏方法にも仰天したし、西洋音楽の理論とまったく異なるセオリーを持つインドの音楽にも衝撃を受けた。
録音された音を聴いているだけでは決して味わえないライブならではのグルーヴ、共演者との火花が散るような駆け引きの瞬間やすべてが溶けて一体になっていく瞬間には心底しびれた。

それ以来、久野さんが出るステージには最大限の努力をして聴きに行っていた、の、に……久野さんは若いし、まだまだ、この先何年もずう〜っと、ガタムを聴かせてくれると思っていたのに。
でも、小学校の先生になるんだって。
いいよね。
いい門出。

ガタムは日本ではなじみのない楽器だから、久野さんはパフォーマンスの前にはいつも入門編の解説をしてくれていた。
演奏には五拍子、七拍子、八拍子といったリズムがあり、途中どんなにリズムが揺れるように思えても、一拍目にビシッと戻ってくるのがインド打楽器のカッコよさなのだと。
いかにカッコよく一拍目に戻るかが聴かせどころらしい。
久野さんは、大学を出て会社勤めをして、会社をやめてプロガタムプレイヤーになった。
そして春からは小学校の先生に。
カッコよく一拍目に戻る道。
いつかまた、ガタムプレイヤーの道へ、カッコよく戻ってきてくれると信じている。
就職おめでとうございます!

by apakaba | 2015-02-09 09:40 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 02月 07日

君はヨルダン・シリアへ行ったか

「イスラム国」、ISIS、もしくはISILによる行いについてはあまりに問題が大きくて、何も言いたくない。
私は、日本人人質事件が明るみに出てからただもうずっと気持ちがふさいでいる。
なんでこんな世界なんだろう。
世界平和はぜんぜん来ない。

ゆうべ、毎日新聞のニュースでシリア人避難所:男子の9割死亡・不明 高校生「聖戦に行く」 「イスラム国」に共感という記事を見た。
その記事を読んだとたん、今までずっと抑えてきた涙があふれて止まらなくなった。
それは、国の政治も経済も関係ない、ただの一旅行者として、ただの母親として、ひたすら個人的な思い出が鮮烈によみがえったからだった。

長男が6歳だった夏に、私は長男を連れてヨルダンとシリアを旅行した。
私は病的な旅好きで、あとの家族を置いて中東へ行ったのだ。
30歳の母親と6歳の息子の二人旅は、行く先々で忘れられない親切を受けた。
シリアの首都ダマスカスで一番にぎわっているスーク(市場)・ハミディーエで、こんなことがあった。
以下、私の旅日記より。
あのとき、長男「ササニシキ」は、糸を引っ張って動かす紙製の蛇のおもちゃを欲しがっていた。
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大混雑のスークにも、人の流れがぽかっとあいたようになっているところもある。
そういうところに、子供の物売りがたむろしている。
蛇のおもちゃは2日目に買った。「ササニシキ」がその動きに目を奪われ、絶対に買って!と言ったのだった。
言い値が子供によってバラバラで、途方もなくふっかけてくる子もいれば、まだ英語を使えずに出遅れてしまう子もいる。なかでも一番ぼけっとした少年を選んですかさずアラビア語で値切ると、簡単に下がったから、2個買った。
こんなちゃちなものはすぐにこわれてしまうにちがいないから、今日はさらにまとめ買いをしていこうと思い、またあのぼけっとした子を探した。
その場にしゃがみこみ、アラビア語会話集の単語をつなぎあわせて、
「おととい、キミから1個20ポンドで買ったね。今日は6個買うから、120ポンドよね?」
としゃべってみて、500ポンド札を渡した。少年は、計算ができないのか、私のアラビア語がわからなかったのか、首をかしげて困っている。
すると英語のできる若者がどこからともなく出てきて、会話を助けてくれた。シリアでは、困っていると必ず英語を話す人が現れて、親切にしてくれる。そして風のように去っていく。去り際に名刺を渡されることもよくあった。
500ポンドを両替してくれるところがまるでなくて、少年が困り果てて戻ってきた。4個分のお金ならお釣りなしでぴったり持っていたので、しかたなく6個ではなく4個だけ買った。
「ササニシキ」は、おみやげの個数が減ってしまったので機嫌が悪くなった。
「しょうがないでしょ、お釣りが用意できなかったんだから。」
私が言い聞かせている間、少年は周りの仲間たち4,5人となにか相談している。
むすっとしている「ササニシキ」を引っ張って立ち上がると、少年が“待って”と私を制する。
ひとつ、おまけにあげます。
と、英語で言ってはいないのだけれど、なにかアラビア語でもごもご言いながら、その手におもちゃを乗せて、差し出していた。
周りを囲んでいた少年たちも、ジェスチャーや下手な英語で、“キミにあげるから持っていって!”と「ササニシキ」に示している。最初に法外な値段を言ってきた子供も、ちゃっかり輪に戻り、にやにやしてうなずいていた。
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あのぼけっとした男の子も、リーダー格の男の子も、周りを取り囲んだ男の子も、みんな死んだだろうか……生きていれば、25歳くらいか。
あの子たちの弟は、「聖戦に行く」と避難所を去っていったかもしれない。

子連れの旅は、人からの親切がひときわ身にしみる。
旅の間、今思い出しても胸がぎゅっとしめつけられるほど美しい瞬間を、アラブの人々からもらった。
当時、子育てで悩み、怒ってばかりいた私にとって、一生忘れられない人生の宝物を、ヨルダンとシリアの旅でもらえたのだ。

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ヨルダン、カラクに残る、十字軍時代の城の遺跡。「ササニシキ」はどの場所も夢中で見ていた。カラクは「イスラム国」、ISISにより焼殺されたヨルダン人パイロットの出身地だという。ここへ至る道のりの風景は筆舌に尽くし難い素晴らしさだった

生まれて初めての海外旅行が真夏の中東への自由旅行だった長男は、すっかり大きくなって、今インドを意気揚々と放浪中だ。
あのとき蛇のおもちゃを差し出してくれた子たちやその家族は、みんなが無事というはずがないだろう。
こんなふうに明暗を分けるなど、あのとき想像もしなかった。
本当に、心から、世界平和を祈る。
私は私にできることをしよう。
内向きにならないで、世界に目を向けて!と、とくに若い人に言い続けたい。

それをセンチメントと呼ぶか?
個人的な旅行の思い出に過ぎないと?
だが、個人的な思い出を持たない人間がいるか?
いや、個人的な思い出の強さこそが人間を動かす動機になるのだ。
旅先で美しく輝く思い出をたくさん持っている人間は、世界平和を本気で祈るのだ。絶対に。

by apakaba | 2015-02-07 14:28 | 旅行の話 | Comments(0)
2015年 02月 06日

鉄剤に再挑戦

数日前に高校時代の友達と会った話を書いたが、あれから重い腰を上げて、やっと内科に行って鉄剤を出してもらった。
薬剤師をしている友達から、貧血を放置していては絶対にダメ!と怒られたのだ。

友「とにかく体がずーっと酸欠だということなんだから。慣れてるから平気なような気がしていても、そんなことないの。だって体中が酸欠なのよ?」
私「うん、いつもいつも元気ないね。元気ないのがふつう。どこもかしこも元気ということが、もうずっとないよ。」
友「足先とかずっと冷えきってるでしょ?」
私「うん。」
友「やる気が出ないでしょ?がんばれないでしょ?一日中だるくて?」
私「うん、やる気なんてあるわけないよ。なんにもやる気なし。」
友「頭もぼーっとして頭の回転も悪いでしょ?」
私「悪いに決まってるじゃん。それってトシだからだと思ってたんだけど。」
友「ちがうのよ脳も酸欠なの!だから頭が働かないの。そのままいくと、やがては認知症とかの原因になるんだからね!」
私「えええっ、そうなの?!それは困るなあ!」

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ほうれん草を食べる。レバーも一生懸命食べているが……

友「私も貧血がひどかったけど、鉄剤を飲んだらすっごく体が楽になったのよ!手足がぽかぽか温かくなって。体が軽くなって、動けるし。ほんと、貧血って怖いのよ。貧血をバカにしたらだめ。いくら食べ物から摂るといったって限度があるからね。そこまでヘモグロビンの値が低かったら、もう薬を飲むしかないのよ。」
私「そうかー。でも私、前に処方された鉄剤ってすごくむかむかして気分が悪くなって、便秘だか下痢だか、お腹の具合も悪くなって、それであきらめちゃったんだけど。」
友「それって、吐いちゃうほどなの?ただむかむかしただけ?実際に吐くレベルだったの?」
私「いや、吐きはしない。吐き気がしたというだけ。」
友「だったらがまんできるわよ。たしかに消化器系に負担をかけるんだけど、しばらくがまんして飲み続けていれば、体が慣れてくるから。今ちょうど外に働きに出なくても大丈夫なんでしょ?だったら予定を空けて、家から出なくていいようにしておいて、しばらく続けて飲んでみなよ。家にいるならちょっとくらい気持ち悪くなったっていいじゃない。胃腸が具合悪くなることよりも、貧血で具合が悪かったことの方がずっと大変だったってわかるから!それでそのうち、鉄剤にも慣れちゃうから!」

さすが、すごい説得力。明快。
近所だったらあなたの勤めている薬局で買うよ。

でもたしかに、友達の言うとおりだ。
体が冷える。
やる気がない。
すぐ疲れる。
いつもだるい。
頭の回転が鈍い。
疲れると脳貧血でしょっちゅう倒れる。

鉄分を補給してこれらが解消されるなら、むかむかするのもがまんできるかな?
なによりも、「将来は認知症の原因に」と言われたことが決定的だった。
今度こそがんばる。
そしてこのだめな性格も改善させる!

by apakaba | 2015-02-06 13:46 | 健康・病気 | Comments(0)
2015年 02月 04日

自分の声と向き合え

影絵人形劇の公演が来週に迫ってきて、いろいろ研究する日々。
まだ少年だけど色気のある声を出すって、ほんと難しい。
そもそも、おばさんがどうして少年でしかも色気のある声を出すんだそれってすべて倒錯してるよ意味不明だよ!って思うでしょう。
ところがうまいことはまれば、出るんだねこれが。
的中率を上げて、本番までに百発百中で決められるようにしていく。

色気のある声を、いろんな声優の声からも聞いてみたりしているけど、気分転換に音楽を聴くのも、男性ボーカルで探している。
女性ボーカルの色っぽさより参考になる。
というわけで、最近ダリル・ホールを見直している!

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本文と関係ないけど「アキタコマチ」が作ったはまぐりとせりの蒸し物

艶やかな伸びのある声を、大きく張って出すとまるで花が開いていくようなのに、次のフレーズではふいっと力を抜いてブレス混じり。
押しっぱなしではダメで、押したり引いたりなんだな。
でもこんなに自由自在に見える(聞こえる)ダリル・ホールも、自分の声をノイローゼになるほど聞き直して歌唱法を作っていったんだろうなあ。
声を考えるのって、本当に奥が深い。

そうやって自分の声に自覚的になると、いかに普段、私たちはなんも考えずに声というものを発していることか。
真剣に自分の声と向き合った経験があるかないかって、けっこうその人自身を左右することじゃないかと私は思ってる。
歌もいいのだけど、やっぱりセリフ。
ずっと考えているけど、演劇はセラピーに活用できるはずだ。

by apakaba | 2015-02-04 13:38 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 02月 02日

高校時代の友達と会った

私は昔の友達と定期的に連絡を取り合うことを、ほとんどしていない。
メールアドレスからSNSに登録しているかを自ら積極的に検索したりもしないし、メールアドレスを持つ以前の友達とは、年賀状をやり取りしていなければ全滅だ。
そして私は年賀状が大の苦手。
もらうのはうれしいけど、自分が書くのが心からめんどくさい。
年賀状に「返事」というのも妙だけれど、「返事」という形で、来た相手にだけ返すようにしている。
そうすると、相手が喪中だったりすれば、当然ながら昔の友達との音信は徐々に途切れてしまう。

自分のせいなので仕方がないのだけど、さびしい。
でも連絡先を掘り起こすのはめんどくさい。
今つきあいのある友達と会ったりやり取りしたりするだけで、十分忙しいし。
だから永遠に昔の友達との交際はあとまわし……

でも、ここ数年、それもさびしいなと本格的に思うようになってきた。
そこで、思い切って今年のお正月、高校時代の友達から来た年賀状に「会いましょう!メールください」と書き送ると、たちまちのうちに連絡がついて、先週、仲が良かったグループで会ってきた。
15年ぶりくらいか?
もっと経っているかも。

昔の友達“のほうが”絶対にいいという人はけっこういる。
自分をさらけ出せるとか、なんでも話せるとか、そういう理由で。
私はそういう気持ちはない。
つい最近知り合った人でも、ふだんごく薄いつながりの人でも、好きだなと思う人はいっぱいいるし、必ずしも昔の友達“のほうが”友人として優れているかといったら、そんなのわからない。
それは性格によるのかも。
私は、わりと相手と知り合ったのが古くても新しくてもおんなじ調子で接するタイプだからなー。

でも、昔の友達“ならでは”のよさというものはあるものだなと思った。
これからはもうちょっと頻繁に連絡をして、たまに会おうかと思う。

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貧血が深刻なのでレバーの生活

この前会ったときには、私が深刻な貧血である話をして、薬剤師をしている友達から厳重注意をされた。
心を入れ替えて、ちゃんと鉄剤を飲むよ。うん。
でも私が今、影絵劇団で声をあてている話はし忘れたな。
「眞紀らしいわ」と言われただろうけど。
あのころ、演劇をやっていて、最後にやった舞台では私は婦人警官の役をやってたな……あの衣装はどこで借りたんだっけ……ということを、帰り道で考えていた。

by apakaba | 2015-02-02 22:08 | 生活の話題 | Comments(0)