あぱかば・ブログ篇

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2015年 03月 28日

スーク・ハミディーエの味が蘇った

少し前のことになるが、トルコ旅行から帰ってきた次男「アキタコマチ」が、家へのお土産にお菓子を買ってきた。
「おかーさんが好きな、マカオの飴売りの飴(その話はこちら→あなたを香港・マカオに連れて行くよ・15)。あれのトルコ版だよ。」
中華圏で人気のある、ふわっ、サクサクっとした口当たりのいいお菓子だ(これをエイビーロードで記事に書いたこともある。→甘い!美しい!最高の路上パフォーマンス!マカオの飴売りおじさん)。
あれが大好きなので、「ほんと?やったあ!」と言って開けてみた。


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だが、一目見て、記憶の奥底を掻かれるような気持ちになった。
これをどこかで見たことがある、いや、食べたこともある。
マカオの屋台じゃなくて、もっとずっと昔。
とても大切な思い出。
それは、シリアのダマスカスのスーク(市場)でだった。

6歳だった長男「ササニシキ」を連れて、ダマスカスへ行った。
そのときに受けた親切を思い出すと、どうしても今のシリア内戦や自称「イスラム国」ISISのニュースを知るたびに涙がこみ上げてしまう。
むしろ今のシリアが悲惨だから、どんなに小さな思い出も宝物のように輝いてしまうのかもしれない。

このトルコのお菓子は、シリアにもあった。
以下、私の旅日記より。
こんなことがあった。
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スークの出口にある、フレッシュジュース屋のおじさんからは、最後の一杯を買う。
暑くてたまらないので、腹具合が悪くても、一日に何度もここのジュースを飲んでしまっていた。ジュースを買う私たちを、向かい側に店を出している本屋のお兄さんはいつも笑いながら見ていた。
おととい、その本屋さんが、物売りの子供の運んできたトレーから、ふわふわしたものをつまんで食べているところへ通りかかった。
なんなのか想像もつかず、思わずふたりで彼の目の前に立ち止まって見つめてしまったら、「味見したいんだろ?」という様子で、トレーを私たちに突き出した。
それは綿菓子だった。
見た目は、ほんものの綿のかたまりのようである。日本の夜店で買う、なじみのある綿菓子よりどっしりしていて、荒っぽい味がする。精製していない砂糖の味だった。
人ごみのなかで、私たちが「わあ、おいしい!」「おいしい!」と食べているのを、満足そうにみんなが見ていた。
お代は、と尋ねたとたん、本屋のお兄さんをはじめ、周りにいたひげ面の男性たちが、いっせいに怒ったような表情をつくって、オイ、怒るぞ!そんなこと言うな!いいんだ!というようなことを、手を振り回して口々に言った。
アラブの男は、荒っぽくて、甘い。
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もちろん、こんな“いい話”は私が幼い息子連れの母親だったからで、たとえばもしも外国人の若い女が一人でふらふら歩いていれば、別の扱いを受けただろう。
とにかく彼らは徹底的に子供好き、そして「お母さん」にやさしい。
ある意味では私は、アラブの国で最上の旅をしたのだろう。
だからこそ、あんなに子供を愛し、母親を敬愛してくれるアラブの男同士、武器を取って血を流していることがつらいのだ。

トルコでは「ピシュマニエ」という名前のそのお菓子を食べてみると、まさにダマスカスのスーク・ハミディーエの味だった。
長男との思い出の味を、偶然に次男が持ち帰ってきてくれた。
旅は、いろいろなものをつなぐ。
私と息子たちをつなぐ。
私と遠い国をつなぐ。
子供たちと世界をつなぐ。
馬鹿の一つ覚えで祈る、世界平和を!

(それにしても、先月に似たような記事を書いた。
これが個人ブログにしては異様な閲覧数となり、フェイスブックの「いいね」が1400以上となり、ビックリした。
今の世の中、何が検索に引っかかって人目に留まるかわからない。
twitterでも、ちょっと「うまいこと」を書くとすぐリツイートされたりリプライが飛んできたり。
ネット世界の食いつきの速さはすごいなあ。
おもしろくも恐ろしくもある。)


by apakaba | 2015-03-28 14:43 | 旅行の話 | Comments(0)
2015年 03月 23日

「ササニシキ」大学卒業式(らしい)

「オレ、明日、卒業式。」
ゆうべ、山中湖への一泊旅行から帰ってきた長男「ササニシキ」が夕飯のときに言う。

サ:卒業式って行く意味あるの。出なくてもいいんだよね。そのあとクラスで学位授与式とかあるからそっちに行けば。
私:出たければ出て出たくなければ出なければいいんじゃないの。まあ私は行きましたけどね。入学式はさぼったけど。
サ:おかーさん、(オレの)卒業式に出るの。
私:男の子なんて、親が卒業式に行くのは小学校までで十分じゃないの……お前がどうしても来てくれというなら行ってもいいですけどね……
サ:いいよオレも出ないのに。でもけっこう友達の親は来るらしい。門の前で親と写真を撮るんだってさ。

私にほぼなんの感慨もないのは、「ササニシキ」は4月になればまた同じ大学に院生として通い始めるからだ。
それでも、同じクラスから長男と一緒の法科大学院へ進むのは、長男以外にあとたった一人だという。
ほとんどの友達は4月から就職して社会人になるという。
親からすれば同じようなものでも、本人からすればやはり身辺が激変するのだな。

それにしても、大学院入試に合格して以来、「ササニシキ」の遊びの巻き返しはすさまじい。
地元の友達と飲みに行ったり日帰り温泉に行ったりするのはもちろん、東北の被災地や伊勢へ行き、インドへ一人で行き、帰ってから北海道、沖縄、スノボ、スノボ、山中湖、そしてスノボ、本当によく遊んでいる。
だがそれなりに勉強も続けているし、読書もよくしている。

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いい写真がなかったので、25年前の私。
パキスタン、ラホールの居候先。厚化粧と民族衣装で女性たちの格好のおもちゃに


「ササニシキ」は法科大学院に進んで弁護士を目指すらしい。

私:今時って、学部生で司法試験(の予備試験)を受けちゃう人いるの?昔は法科大学院なんてなかったけど。
サ:いるけどほとんどいない。みんな院に行く。学部生でいきなり受けるのは東大生くらい。
私:ふーん東大ってのはやっぱり勉強するんだね……
サ:そうだよメチャクチャ大変だよ。慶應なんて(長男は慶應)、すぐ単位くれるけど、東大は定期試験がメチャクチャ難しくて単位取るのがすごく大変なんだって。東大で3日で習うことを、慶應は1年かけてやってるって。
私:なんだそりゃ。ていうか慶應なにやってんだ。1年もなにしてるんだ。

サ:だから東大法学部の奴は、ずーっと勉強。ツイートなんか見てるとすごい。「世間は春休みだ夏休みだと浮かれているようだが、オレに休みはない!」とか。そうやって司法試験に向かうわけ。そして合格する。
私:うええ。24時間勉強してるような勢いだね。まったく遊ばない青春だ。そんなのって楽しいんだろうか。東大だし院にも行かずにお金はかからないけど、そんなの嫌だなあ。
お前、東大じゃなくてよかったね(まあ入れなかったわけだが)。そんなふうに旅行も行かずスノボも行かず、友達と遊ぶ暇もなく勉強するなんて。
無駄と思えるような時間を過ごすことが、その人を豊かにするものじゃない?
それって仕事に就いてからもずっと力になるものだと思うし。
サ:ふふふっ、そうだよ。だからオレはこれでよかったと思ってる。

でも東大のような学校には、突拍子もなく頭がいい人間もいて、彼らは鼻歌まじりでなんでもかんでも合格してしまうのだ。
そしてそこまでの頭脳を持たない凡人東大生は、そんな身近な超人を羨みながら24時間勉強するのよね。
優秀な人々は大変だ。

もし私に困ったことが起きて、弁護士に相談することになったら……やっぱり学生時代に学生らしく遊んでいた人に世話になりたいな。
「ササニシキ」は今は塾講師のアルバイトをしているが、宅配便の真夜中のバイトもだいぶやっていた。
そこに集まっている人たちは、実にバラエティー豊かだった(バイト当時、いろいろなエピソードを話していた)。
そういう経験が、きっと将来、力になっていくだろう。
卒業式は行かないらしいが、式典をとにかくさぼってしまうのは私譲りだから仕方がない。
まあ4月からもがんばって勉強してください。

次男「アキタコマチ」の卒業式の話はこちら→「アキタコマチ」最後の卒業式


by apakaba | 2015-03-23 08:51 | 子供 | Comments(0)
2015年 03月 19日

「アキタコマチ」最後の卒業式

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きのうの深夜、トルコ旅行から帰ってきた次男「アキタコマチ」は、今朝遅く起き出してきて、スーツを着て出かけていった。
調理学校の卒業式だ。
卒業式のあとは、またすぐ山陰地方へ旅行に行くという。
そして4月からは社会人になる。

この大学全入時代、あえて大学に進学しなかった。
息子の学校は専門学校ではなく「無認可校」に分類されるため、学歴上は「高卒」となる。

「アキタコマチ」の高校時代、夫も私も、やりたいことがはっきりしているなら進路は好きにしていいと言っていた。
今は大学の価値が下がっているから、大卒でさえあれば将来は安心などという時代ではない。
親が見栄を張るために子供を大学へやりたいという気持ちもさらさらない私たち。
ただ、本人が大学に憧れを持っていないのかは少し気になっていた。
私も夫も、大学にはそれなりに思い出や帰属意識はある。
兄の「ササニシキ」も、キャンパスライフをエンジョイしている。
そんな家族を見ていて、「オレも大学生というものに、なってみたい」と思わないのか。

高校の途中までは、迷っていたらしい。
大学生になってみたい、でも、何をやったらいいんだろう?
写真が上手だったから、カメラマンになろうかと考えていた時期もあった。
しかしそのために進学する大学はなかなかない。
しかも職業カメラマンの道は大変に細い。
というかそもそも職業カメラマンに、なりたいのかオレ?

高校時代、私と夫は「お前は才能がある。なんにでもなれる。」とだけ言ってきた。
大学なんて、才能のない奴が行くところだぞ。
ほんの一握りの大学生を除いて、大学は目的が見つからず、才能にも恵まれていない奴が、学歴と自分さがしの猶予をもらうために進む道なんだ。
お前は才能がある。
お前はなにをやっても上手にできる。
カメラマンになったっていい。
美容師でも、和菓子職人でも、マッサージ師でも、服を売っても、大成功まちがいなし。
少しも心配してない。
だから好きなことをしていいんだ。

極端な話だがそう言ってきた。
そうやって、親が「お前はいつでも前途洋々だ」と言い続けてきたことで、次男は自信を持っていったと思う。
正しく自信を持つことは、天狗になることではない。
分をわきまえ、謙虚になることだ。
自信を持つことで初めて、“自分よりもはるかにすぐれた人間が周りにはたくさんいる”ことを、見分けられるようになるのだ。

「オレの体はおいしいものだけでできている。オレはおいしいものしか食べてない。おかーさんがちゃんとしたものを食べさせてくれるから、オレは料理をやろうと思うようになったんだよ。子供のころからの、味覚が鋭敏な時代に、おかーさんがきちんとした食事を作ってくれて本当によかった。オレの舌が敏感なのは、おかーさんのおかげなんだよ。」
こういうことを口に出して言えるのはこの子のいいところだ。
化学調味料をできるだけ排除、添加物をできるだけ排除、安くて甘いばかりの野菜を買わない、値段本位で臭い肉や魚や卵を買わない、そういった基本的なポリシーは自分がおいしいものが好きだからに尽きるのだけれど、それが子供の将来の道を決めることになっていたとは思わなかった。
「そうだよ、食をないがしろにする人間は人生を捨てている。」

これからフレンチレストランに就職して、大変なことがたくさんあるだろう。
まあほとんど心配してないけどね。
食は人生の中核。
その一翼を担う人間として、プライドを持って進んでくれ。


by apakaba | 2015-03-19 16:56 | 子供 | Comments(0)
2015年 03月 18日

喫茶店の味

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娘の「コシヒカリ」と一緒に、近所のよく行く喫茶店でお昼。
カフェではなくて喫茶店という。
ランチタイムという設定はなく、ドライカレー、ピラフという名の洋風焼き飯、厚切りパンのサンドイッチ、うちでも作れる味のケーキやプリンがある。
コーヒーも紅茶も、うちの方が味がいい。
分量が少ない、しかも値段は安くない。
白かったはずの壁紙はヤニで茶色くなり、布張りの椅子は擦り切れて中綿が飛び出たままだ。
でも喫茶店はいいね。
うちの子供たちは喫茶店が好きだ。
子供たちはそろって嫌煙家だけど、近所の喫茶店で食べることは嫌がらない。

「でもここも、おばさんがこのお店をやめたらもう終わりだろうね。後継者なんかいるはずないし。メンテする気もさらさらなさそう。そしたらまた一つ、昔っぽいお店がなくなるね。」
昭和にロマンを抱いている娘にそう言うと、
「そうねー。」
と寂しそう。

チェーン店はたくさんあるし、リッチなケーキも今や手軽に買えるけど、ここはなくなったら惜しいだろうなあ。


by apakaba | 2015-03-18 21:43 | 食べたり飲んだり | Comments(0)
2015年 03月 11日

4年たって、決意が固まってきた

今までやった影絵の公演の映像を、通して見てみた。
というか散歩中に音だけ聴いてみた。
音楽と声だけ、画像なし。

声、みんなうまいねえと感心する。
でもところどころ、気をぬくと素人くさいところがある。
音楽、大きい楽曲だけでなくちょっとした場面のBGMでもまったく妥協のない音楽づくり、これは毎度すごい。
どの作品でもクオリティーが同じ。
このときの曲、好きだったな……これも好きだった……と懐かしく音楽を聴く。

毎度主演の自分の声は、自分ではいつも同じくらいのクオリティーまでやれるように心がけているけど、聴いてみると今回より前回、前回より前々回のほうが……ヘタだ、あきらかに。
3年前、「たつのこたろう」をやり、1年たってから再演したことがあるが、あのときもあとで聴き比べてみると、3年前より2年前のほうがうまくできていた。
ということは、だんだん上達しているのか。私も。
私の人生頭打ちってわけじゃ、ないのね。
なんかうれしいわね。

演技って不思議だ。
体力や運動神経は若いころより絶対に落ちているのに、声を出して演技をすることは、ほんのここ1年くらいでもレベルが上がるなんて。
取り組みかたの真剣さが増しているからか?
このあと、声帯も年をとって年寄りっぽい声しか出なくなっていくだろう。
少年役にも限界がくる。
それまでの間、走るぞ!と思う。

いろんな声を出したい。
女の子がみんな参っちゃうような完璧にカッコいいヒーロー。
野良犬みたいに育ちが悪いけど頼りになる奴。
プレイボーイ。
冷酷な悪役。
たまにはおぼこな女の子もいいかも。

役柄で歌を唄いたい。
ワンフレーズずつみんなでその役の声で唄うの。
『ONE PIECE』で全員がワンフレーズずつ唄うみたいなやつ。
まだまだいろんなことを試してみたい。

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志賀の都は荒れにしを……って、ぜんぜん滋賀じゃないんですが。
震災後に行った京都。
山に咲く桜を見ると反射的にこの歌が

4年前、東日本大震災当日、私はまだ自宅を開放して小学生に勉強を教える教室をやっていた。
2時46分、あんなにすごい地震があったのに、3時から開室してみたらちゃんと生徒が何人も来たのだ。
余震の中を。
“人様の子供を預かる”ことを、あの日初めておそろしいと思った。

今は、勉強ではなく影絵という形に変わって、子供に関わろうとしている。
当時の生徒さんで、まだ小学校に在籍している子もいる。
公演のとき、マイクの前に立つ私を見つけると、うれしそうに手を振ってくれる。
閉室して何年もたつのに、今も年賀状に「先生の劇がたのしみです」と書いてきてくれる。

私の声は私の宝物。
子供は国の宝だ。
ぜんぜん復興しないこの国を、いい国にしてください。
そう思う気持ちが強くなっていくから、真剣さが増したのだ。


by apakaba | 2015-03-11 19:06 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 03月 10日

インド旅行の後輩

今日から長男の「ササニシキ」は沖縄へ行き、次男「アキタコマチ」はトルコへ行った。
ここ最近では、「ササニシキ」は、東北・伊勢・インド・北海道・沖縄、「アキタコマチ」は佐渡島・東北・青ヶ島・ドイツ・トルコ・山陰へ。

「ササニシキ」がインドに一人で行くと言ったとき、あれこれ私に聞いてきた。
長男は体力知力ともに人より達者な方だし、今までベトナムやカンボジアやマレーシアなどを自由旅行しているから旅慣れているかと思いきや、準備中に途方もない初心者なことを言い、何度も呆れた。
「バスタオルって持ってくの?」
「ドライヤーって持ってくの?」
といった、バックパッカーの風上にも置けない素人発言。
「洗濯したらロープを持ってないと干せないよ。」
「2月の北インドは意外と寒いぞ。安宿ではバケツにお湯を入れてもらってそれで洗うんだよ。」
などと教えてやると、驚いたりする。

それでも、いろいろ母親に聞いてくるのは、私のことを旅の先輩だと思っているからなんだな。
二人とも、いろんなことを聞いてくる。
私の世代だったら、男の子がバックパック旅行のこまごました相談を母親にしてくるなんて決して考えられないことだが、私と彼らは感覚が近いということだろう。

私は旧世代のタビビトのように、「ネットがない旅をしろ」とか「地図なしで迷うことも旅だ」とか「親への連絡は絵葉書でいいのだ」とか言うつもりはさらさらない。
便利な世の中になったのだから、それに素直に乗ればいいと思っている。
第一そんなのは旅立つ側の一方的な馬鹿げたロマンであって、家で待っている人間にとっては甚だ身勝手なふるまいでしかない。
私は、親になってみて初めて、待つ側がどれほど毎日心配しているかを知った。

以前書いた私の記事。


だから息子たちには「できる限り頻繁に連絡をしなさい」と言って送り出す。
二人とも、まあまあおとなしくそれに従っている。

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家が好きなコーシロー


2月の「ササニシキ」のインド行きは心配だった。
しばらく連絡が来なくて、やっとメールが来たと思ったら、自撮り写真のおでこが真っ赤に染まっていて仰天した。
転んですりむいたか!インドで擦り傷を作ったら生水で洗ったらだめだぞ!と焦って文面を読むと、
「バラナシ今 洗礼的なのを受けた」
ははあ、赤いのは祝福の印ね。

私「ぼられますよ」
サ「誰に?」
私「つけたやつに」とアドバイス。

サ「5ルピー渡したらつけたやつがもっと寄こせって言ってた風だったけど、一緒にいた人が、あいつはマネーのことばかり考えてる5ルピーでじゅうぶんって言って、そうしたら二人でなんか言い合ってた 喧嘩してた」
私「あはは アハハ地獄」
アハハ地獄とは『ブッダのことば—スッタニパータ—』に出てくる地獄の名前だ。
旅行中に読むと言って持って行った。

数日後、

サ「ブッダガヤに着いた」
私「だまされますよ」
サ「どのように?」
私「仏教の聖地は金持ち日本人がたくさん来るから、お金を巻き上げられます。健康は問題ないですか」
サ「昨日一昨日不調だったけど、薬を処方してもらって改善傾向にある」
私「ちゃんとしたファーマシーに行ってください。今後もお腹に注意しましょう」
サ「現地の日本人に紹介してもらった 御意」

数日後、新書の画像とともに

サ「アハハ地獄登場。聖地でブッダのことばを読んでいる。」
私「ようやく一人前のインド旅行者ですね」

こんな感じ。
帰国後、「デリーでどこに泊まってたの?やっぱメインバザール(安宿街)?」と聞くと、「そう」。
「なんてホテル?」
「ナブラン。」
「なぶらん?ああ、ナヴラング?」
「そう。」
「アハハ、昔泊まったことあるよ。」
「えっそうなの!アハハ。」
「あそこ汚いんだよね……せまいし牢獄みたいで。」
「そうそう。独房みたい。ホットシャワー出ないし、ベッドもものすごく汚い。」
やっぱり親子というより、旅の先輩後輩だ。

「ササニシキ」がインドから帰ってきたとき、私は感無量だった。
同じくらいの年頃、私も南アジアを放浪していた。
私も岩波の『ブッダのことば』を読んだ。
(そのレビューはこちら ブッダのことば—スッタニパータ— 1990年の私の写真も)

国際電話をかけるのも半日がかりの行事という時代から、ネットで便利に親と連絡ができる時代になったけれど、旅人の感慨は変わらない。
いや、旅先からぽつぽつと届くメールが、私には本当に楽しく、うれしかったのだ。
便利な時代バンザイだ。
そして年月を隔てて、息子が同じボロボロ宿に泊まってしまうのも、笑いこけながらも感無量だった。


by apakaba | 2015-03-10 17:05 | 子供 | Comments(0)
2015年 03月 04日

「アキタコマチ」の文化祭へ

先週の日曜、次男「アキタコマチ」の文化祭へ行ってきた。
ふつうの学校ならこんな時期に文化祭をやるのは変だが、文化祭というより大学でいうなら“卒業製作”や“卒業論文”に相当する行事だ。
調理の学校の文化祭というものに、初めて行った。
息子の通う学校に行ったのも最初で最後だ。
大学とはぜんぜん雰囲気がちがうのね。
さすが、食品を扱うところだけあって、どこもきれいにしている。

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アントレ
根セロリのポタージュ、カプチーノ仕立て
アボカドをまとったかにとエビ、マンゴー風味のヴィネグレット

温かいものと冷たいものを一皿に用意するので、コースの中で時間の見計らいが一番難しい。
「アキタコマチ」はここを主に担当していた。
バイトで鍛えられていたから、時間との戦いには強い。
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ポワソン
舌平目と焼きなすのクッション仕立てのムニエル

この魚料理はすばらしかった。
魚の中に焼きなすを挟み込み、ピスタチオを衣に使っている。
柔らかい魚となすに、ピスタチオの衣、ごぼうとれんこんのチップスがクリスピーでおもしろい。

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ヴィアンド
牛肉の赤ワイン煮

ブルゴーニュの伝統料理。王道な味、だがニョッキや小玉ねぎのグラッセが女性の皆さんに大好評。

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デセール
フィナンシェ・モンブラン

かなり腰を抜かすおいしさ。
フィナンシェが表面さっくり中しっとりの焼き上がりで、その上にゆるめのマロンクリームを載せているから「くどいか」と思いきや、パクパクいける。
キャラメルのアイスクリームも完璧。
二つとも重めの甘さなのでラズベリーのソースを多めにアレンジしてあり、みんなソースも全部平らげていた。

先日、親戚の会食があって代官山のフレンチレストラン「パッション」のディナーに行ったのだが、パッションよりずっとおいしかった。
ほんとに、贔屓目じゃなくて。
オープンキッチン、というか実習室の隅にテーブル席を用意してぎゅうぎゅう詰めで食べているから、シチュエーションはまさしく学祭っぽいのだけど、お皿の上は別世界だった。

キッチンの方を観察していると、よく働く子は決まっていて、動きののろい子もどうしてもいるものだ。
真ん中で早送りのように動いて全員に大声で指示を飛ばしている、あの威張った奴は、うちの息子じゃないの。
一緒に行った夫は、半ば呆れつつ面白がって見ていた。
「あいつは俺に似ているんだな。職場でガンガン動いて、とろいやつを見てられなくて端から叱り飛ばしちゃう。俺みたいだ。
『ササニシキ』は見た目は俺そっくりだけど、そういうところはないなあ。あなたに似てるんだな。」

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息子たちのことを、私はほとんど心配していない。
子育ての前半、18年間ほど心配しつづけたので、もう心配にも飽きたし、自分でどうにかしていくことはわかっている。
「アキタコマチ」がこの学校で手も頭も抜きん出ていることは、見ればわかる。
大学とはちがって、いわゆる専門学校は、高校までの学業成績は関係ない。
お金を出せば入学できるから、玉石混淆ぶりは大学の比ではない。
たいして覚悟もない子が親からお金を出してもらって、大学受験を避けるために入ってくるケースも多い。
そこで目覚めればいいが、勉強もだめ、調理をやってみてもやっぱりだめという「石」の人も、少なくない。
逆にいえば「アキタコマチ」のような、やる気もあって技術もあり、ちょっと頭が働く人間は、たちまちのし上がっていける世界だ。
高校までは学校の成績はさっぱりだったが、こと料理に関しては、あれは間違いなく「玉」だ。

私も人の親なので、そうなると自分の息子よりも、何をやってもだめそうに見える子たちの将来が、気になってしまう。
廊下に貼られている集合写真など見ても、いかにも「だめ」という雰囲気の生徒さんも写っている。
うつむきがちで目に輝きがなく、自信がなさそう。
がんばれ。
あなたはまだ若い。
どの生徒さんも、幸せになってほしいと、心から願う。
初めて息子の学校へ行ったが、いろんな若者時代があるものだなとしみじみした。

2年前の今日、「アキタコマチ」の、高校最後の出し物という記事を書いた。
あのころとは、やることがまるっきり変わってしまった……ようにも思うが、実は同じなのかもしれない。
手を動かしてものを作り出す人。
あいつは同じことをしている。


by apakaba | 2015-03-04 17:50 | 子供 | Comments(0)
2015年 03月 03日

耳硬化症と上半規管裂隙症候群、半年経過

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気持ちが晴れ渡ることがない
半年ぶりに、耳の検査へ行った。
この半年間、待ちに待った日。
何かが変わっているかとワクワク。

だが聴力検査の結果は、「前回と同じ」、聴力はほとんど落ちていない。
次回は1年後になっちゃった。

耳硬化症と上半規管裂隙症候群(じょうはんきかんれつげきしょうこうぐん)を併発しているらしく、現状では耳硬化症の症状はあまり進行していず、手術が必要なレベルにまで聴力が落ちるまで何年もかかるだろうとのこと(今は手術をするには早すぎる)。
それにもがっかりだが、それ以上にがっかりするのは、私が難聴よりもずっとつらい思いをしている「自声強調(自分の声が頭に響く)」は、たとえ将来手術をして難聴が改善されても治らないということだ。
一生、釣り鐘の中に閉じ込められてガンガン叩かれるような、自分の声に苦しむわけだ。

典型的症状の一つである耳鳴りはすぐ慣れた。
難聴も、まだ軽度だし、すぐ慣れた。
ただ、悪い方の左耳を中心に、頭の左半分を大きな手ですっぽりと覆われて、ぐーっと締め付けられているような、鋭い痛みではないが絶え間ない圧迫感がある。
頭から左目にかけ、半分が少し熱を持ったような、腫れぼったいような感覚がある。
これも、耳硬化症の手術をしても治らないらしい。

“もっと苦しんでいる人がいる”“こんな不具合は病気のうちに入らない”と、理性で納得するまで、やっぱり落ち込む。
家に帰り、ひとしきりめそめそと泣く。
泣くとやや気分が吹っ切れる。

どうしてこんなに落ち込むのかはわかってる。
影絵の、声を担当しているからだ。
あれさえなければ、今の私は一日中黙って暮らしているだけの生活だから、自声強調に苦しむ機会がない。

今、今年度の2公演をDVD化するための編集作業にかかっている。
10月にやった公演も一緒にまとめてチェックしている。
9月に病名がわかって、ショックでふらふらになった時期とちょうど重なる。
まだノイズキャンセリングヘッドホンもつけていなくて、まともに自声強調と戦っていたときだ。
今になって自分の声を聞いてみると、すごく雑だ。
自分の声の加減がわからないままで、適当に勘でやっているのがわかる。
あの焦っていたときの思いがよみがえってきて、苦しくなってくる。

劇団の人達は、よく私が演技を始めるときに「スイッチ入った」と言う。
本当はそう言われるのがとても嫌だ。
私の体にスイッチでもあって、それを押せばいつでも同じようにあの声が出ると思っているのだろう。
でもそう思われているうちが花なのかも。
「やっぱり病気だからあまりうまくできないのね」と同情されるようになったら、もっと嫌だろうなあ。
悩みを相対化できると少し気が楽になるが、やっぱりこの不調を「治らない」と主治医から言われるのは悲しい。
耳鼻科よもっと進歩してくれ。

次の公演は6月か。
とりあえず、ノイズキャンセリングヘッドホンを新調しよう。
1年後の検査まで、私はどうなっているんだろう。


by apakaba | 2015-03-03 17:11 | 健康・病気 | Comments(0)