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2015年 04月 25日

玄関は脱衣所ではない

我が家はせまい二階建てで、玄関のドアを開けるとすぐ階段と廊下がある。
廊下の突き当たりがお風呂だ。
長男「ササニシキ」は、お風呂に入るとき、階段の3段目に着替えを置いて、玄関でズボンとパンツを脱ぐ。
そして脱いだもので前を隠して、廊下を歩いて風呂場へ行く。
毎晩必ずだ。
お尻は丸出しのままスタスタと廊下を歩いていく。
脱衣所(せまいけど一応ある)で脱ぐのは嫌だという。
あとの家族4人はみんなそれがとても不快だ。

「急に玄関のドアが開いたら困るでしょう!」
と怒っても、
「俺の反射神経をもってしてそんな失敗をするわけないでしょう。」
と鼻で笑うだけだ。

おとといの夜、とうとう事故が起きてしまった。
“尻隠さず”の事故ではなく、娘の「コシヒカリ」が、取り込んだ洗濯物を抱えて階段を降りてきて、「ササニシキ」がいつものように置いていた着替えを踏んで、階段から落ちてしまったのだった。

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庭(というか家の前の空いてる地面)に咲いてたフリージアに日々癒されている


「コシヒカリ」は足首を骨折し、靭帯を伸ばしてしまった。
全治6週間。
自転車通学しているので、高校への朝夕の送迎、塾への送迎、整形外科や通院中の歯医者への送迎、ああ久しぶりの送迎運転手生活。
子供も大きくなったし、もうこういうこともないと思ってた。

娘だけでも3年おきに3回骨折している(すべて右足)。
男子二人は、当然これ以上に怪我をしている。
ほんと、母親は運転手ですよ。
いつも思うけど、運転ができないお母さんって、こういうときどうしているんだろう。

きのう、娘を車に乗せているとき、めずらしく右耳から耳鳴りが強く聞こえた。
私がとくに悪いのは左耳で、ふだんは左耳からのピーピーという耳鳴りが大きく聞こえ続けている。
右耳からはシャーシャーというような別の音が小さく聞こえている。
ふだんは右の耳鳴りはほぼ気にならない。

でも似たようなことがあった。
そういえば、去年、次男「アキタコマチ」が気胸になって、彼を乗せて病院へ運んでいたときに、初めて右耳のシャーシャーという耳鳴りが大きくなったのだった。
右耳が鳴り出すと私のピンチか。

「ササニシキ」は今日もやっぱり階段の3段目に着替えのパンツを置いていたから、
「もう玄関はだめ!」
と怒鳴りつけて脱衣所にパンツを放った。
ほんとにまったくよ〜〜〜〜〜〜〜〜。


by apakaba | 2015-04-25 21:23 | 子供 | Comments(0)
2015年 04月 18日

週休1日、ぽかんとする日

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I wanna know
Have you ever seen the rain

次男の「アキタコマチ」が妙な感じだ。
料理人になった息子は、朝7時半くらいに家を出て、帰りは10時〜11時過ぎ、週休1日だ。
ふつう、会社に入ったら入社式だのOJTだの何だのと、それなりにゆっくりする期間があるが、少人数のフレンチレストランなので、入社式などあるはずがなく初日から完全に一人前の働き手としてフル稼働しているらしい。
門外漢からすれば、コックというと、まずは皿洗いとか飾りのパセリを刻むくらいしかやらせてもらうことはない、というイメージだけれど、息子を信頼してくれているというか手が足りないというか、新人にも高度な仕事もやらせてくれるという。

勤め始めて半月たって、先日の定休日のことだ。
家族の中でいつも一番遅く帰ってくる次男は、玄関の鍵をかけて外灯を消し、入浴も最後なので後始末(ガスや消灯のチェックなど)をすることになっている。
しかしそれらのことをすべて忘れていた。
朝11時ごろ、3人のおじいさんおばあさんが訪ねてきて、「落とし物を届けに来ました」と言う。
近所の橋の近くに、カバンが落ちていたという。
財布の中に入っていた免許証を見て、わざわざ届けに来てくださったのだった。
カバンの中身はすべて無事だった。

どうしてカバンごと落とすの?
前後不覚なくらいの酔っ払いだったのかと思い、のろのろ起きてきた息子を問い詰めたが、休前日とはいえ、たいして飲んでいないと言う。
カバンを体から離したのは、唯一、駅のトイレに入ったときだけだというが、それがどうして家の近くに落ちているの。
なんだか知らないけどとにかくこっぴどく叱る。

それから買い物に行くことにして、たまには車の運転をしないと下手になると思い、「アキタコマチ」に運転させる。
そうしたら、仰天するほど下手になっていたのだ、運転が。
長男「ササニシキ」とちがって、次男は初心者ながら駐車措置などけっこうまともだと思っていたのに、別の人間になってしまったように、下手になっている!
一週間前にも運転していたが、そのときまではなんともなかったのに、一週間でこんなにがらりと変わるなんて。

その日は、けっこうショックだった。
勤め始めてから半月、やっと2回目の定休日、疲れがたまってきたということかなあ。
器用だし気を遣うタイプなので、自覚はなくてもそうとう張り詰めているだろうとは思っていたが、こんなにぽかんといろんなことに抜けが出てくるなんて、よほどの緊張なのだろう。
友達がみんな休む土日もフルで働くから、もう友達と週末に遊ぶこともできない。

子供のころから、「早く大人になりたい。早く働きたい」と言っていた。
望みどおり、大人になって学生じゃなくなって、働き始めたけれど、これからが大変なんだねえ。


by apakaba | 2015-04-18 19:45 | 子供 | Comments(0)
2015年 04月 16日

2歳児にとっての祝祭

今日は託児のお手伝いに行ってきた。
保育園のパート時代(私は難聴のため昨年11月末に退職)に一緒だった人から、きのう急に連絡が来た。
近隣の小学校で保護者会があり、その間に未就学児を校内の図書室で預かるという手伝い。
人手が足りず困っているようだし、私もあれほど子供まみれだったのに退職したらぱったりと子供と疎遠になったので、たまにはいいかと思って行くことにした。

近所なのに初めて行く小学校、Googleマップを見ながらたどり着く。
1歳から5歳の子供が、母親に連れられ次々と図書室に入ってくる。
小学生のママは若いなあ。みんなきれいだなあ。
見とれていると、「ほら、このおねえさんと仲よくしてもらってね」と子供に言い聞かせている。
「おねえさん」とは笑っちゃうが、目の前で「おばさん」と言うのもはばかられるんだろうなあ。
おねえさんっていい言葉だわ。

配られたおそろいの赤いエプロンをつけて、かき集められたおねえさんたちは、三々五々、子供たちの世話にかかる。
保育園のパートさんもあと二人来ていて、少しおしゃべりもした。

泣き叫ぶ子供はほとんどいなくて、みんなスッと机の上に広げられたおもちゃで遊び始める。
そして近くにいるおねえさんに話しかけて甘える。
なんだかいやに楽だなあ……考えてみたら、この子たち全員、“下の子”だった。
上の子が小学生だからここに預けられているのだ。
下の子は強いわ。

こういうとき、私はいつも「昔の自分に似た子」をさがすのが癖だ。
これくらいの幼児のころ、私はかわいげのない子供で、こういう場所で見知らぬ大人にいきなりべったりと甘えたり、きゃあきゃあと走り回ったりする子供ではなかった。
「かまわないで、私ひとりでも遊べるから。本もいっぱいあるし」という態度で、騒いでいる子を無視して、小学生向けの難しそうな本を手にとって読みふけっているような子供だった。
笑顔がなくて大人になついてこない小さい女の子を見ると、昔の自分を見ているような気分になる。
そういう子がふと目を上げたときに、ちょっとだけにこっとしてあげる。
ベタベタされるのが嫌いだから、むやみに話しかけず、そっとしておきながらわずかににこっとすると、昔の自分に似た子は少し安心した顔になる。

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なぜフレームインしてくるの


でも今、大人になった私は、やっぱりやたらと話しかけてくる子が好きだ。
だってかわいいしおもしろいもん。
2歳の男の子は、どうにもこうにも、何を言っているのかわからない。
でもおかまいなしに話してくる。

彼はどうも「アッキー」というらしい。
ひろみさんの車はピンク色で、アッキーのパパはいつもひろみさんからピンク色の車を借りているらしい。
ひろみさんが誰なのかはいくら尋ねても「???(沈黙でにっこり)」
アッキーは最近ようやく車の絵を描けるようになった。前は描けなかった。
車に乗るときはシートベルトをする。
アッキーのシートベルトは、はるが留めてくれる。
はるが誰なのかはいくら尋ねても「???(沈黙でにっこり)」

これだけの情報をアッキーから得るのに、たっぷり20分ほどかかる。
はるというのが多分、お兄ちゃんかお姉ちゃんなのだろうが、はるの性別をいくら尋ねても以下同文。
そのうち、自分のおしゃべりに20分付き合っているこのおねえさんはどうやら現時点の自分の庇護者であるらしいと認識してきたらしく、折り紙を切って「帽子をつくるよ。せんせいのおたんじょうびなの。」と言いだした。

なぜか2歳の子供は、友情や愛情を表現するときに「おたんじょうび」と言う。
去年もおととしも、2歳児の相手をしているとそうだった。
おままごとをしながら「きょうはねえ、せんせいのおたんじょうび!ぼくがごはんをつくるから!」とか、積み木を上手に積んで「きょうはせんせいのおたんじょうび。ケーキをつくりましたー」。
アッキーから不意に言われて、そう言ってくれた保育園の子供たちを懐かしく思い出した。

2歳児にとって、人生最良の祝祭は、「おたんじょうび」なのだろう。
1歳児のときには自分や周りの子の誕生日なんか知ったこっちゃない。
でも2歳児は、月齢の早い子から順番に3歳になり、先生や家族が掛け値なく「おめでとう!」と祝福してくれるのを見て、人生で初めて誕生日というものを強く意識するのだ。
クリスマスも盆も正月も、彼らにとっての「おたんじょうび」の前には消し飛ぶ。

だからこそ、彼らは「きょうはせんせいのおたんじょうび!」と言うのだ。
3歳になり4歳になると、「せんせい、おたんじょうび、いつ?あたしはねえ6月!」などと、会話が大人になってしまう。
唐突に「おたんじょうび」で愛情表現を始めるのは、2歳児だけだ。
とてもうれしく、懐かしい気持ちになった日だった。


by apakaba | 2015-04-16 21:45 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 04月 10日

おやゆびひめへの旅路

私が所属している影絵人形劇団の今年度の活動がスタートし、今日は新年度初めての集まりに出た。
まず今年度一発目の壁は、来月に迫った「土曜授業」である。

土曜授業というのは、小学校でこれまで休日だった土曜日にも授業をするようになったため、その授業時間を使って影絵の体験をさせるという活動のことで、今年は2年目となる。
昨年度が初めての試みだったが私は不参加だった。
土曜に仕事があったのが最大の理由だが、いわゆる素人劇団が、学校の授業時間を使って授業をやるなんて、そんな責任重大なことやっていいのかという恐れもあったのだ。
定期公演も授業時間を使って見せているが、あれはリッパに授業時間を使うだけの価値のあるものを作っているという自信がある。
だが、貴重な授業時間を2時間も3時間も使い、子供達に人形を作らせ、役割を振って発表まで持っていくなんて、学校の先生じゃないし経験もない我々おばさんたちが、できちゃうの?
失敗したら誰が責任取るの?
たとえば保護者から文句が出るとか(そんなヒマあったら漢字と計算でもやらせてください!とか)。
が、それはまるっきり私の杞憂で、昨年度の土曜授業は、実に才能豊かで能力も高い我が劇団メンバーが、力業で本番の発表まで形にしてしまえたのだった。
すごいねほんと。
尊敬するわあの人たち。
そこで、保育園もやめて土曜の拘束もなくなったことだし、私も1年遅れながら手伝うことにしたのである。

5,6年生用の題材は『おやゆびひめ』。
台本を作るにあたり、3月からぼつぼつと非公式に話し合ってきた。
外国の昔の童話というのは現代の人間からすると共感しづらい。
話し合いは三歩進んで二歩下がる状態だ。

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本文と関係ありませんが、今日のお昼、中華丼。
冷凍レトルトもの。


ストーリーは簡単。
花から生まれた小さい女の子おやゆびひめが、ヒキガエルにさらわれ、魚達に救い出され、コガネムシにさらわれたのち置き去りにされ、野ねずみの家に居候し、隣家のもぐらと結婚させられそうになる。
しかし瀕死のツバメを介抱してツバメの背中に乗って間一髪脱出し、花の国へ行く。
花の国の王子に見初められて結婚する。
覚えてますか?アンデルセン童話の一つだ。

話は簡単だが、レリゴーが大好きな現代の子供たちには、あまりにも主体性のないおやゆびひめの人物像に魅力を感じられないことだろう。
加えて、「見た目は関係ないよ、心がきれいならいいんだよ」的教育を受けて育っている今の子供たちは、姿の醜い生き物たちに対する苛烈ともいえる拒絶反応に、違和感を覚えるのではないか。
この辺りをどう扱うかでやや頓挫してしまっていた。

今日、少し意見を言ったのだが、私はやはり「授業時間を受け持っている」ことに、いつも立ち返るべきだと思う。
おもしろおかしい劇を作ることが目的であれば、アンデルセンを引いてくる必要はない。
大胆に現代的解釈を加えるにせよ、原作に忠実に書くにせよ、つねに「この話が書かれた時代や場所」を考えることが、作品を知ることになる。
19世紀のデンマーク。
結婚観も今とはちがうし、いかに冬が厳しく、暖かい国への憧れが強く、お日様の光を渇望していたことか。
そんな背景にちょっと思いを馳せるだけで、それはただの「童話」ではなくなり、「文学」を読むこととなる。
背景を知れば、「もぐらと結婚したらもうお日様の光を見ることはできない。さようなら、お日様」というセリフがいかに切実な響きを持つことだろう。

私は子供にそういう体験をしてほしい。
相手が小学生だって手加減しない。
まあやっぱり私は、教育現場が好きなんだろうね。


by apakaba | 2015-04-10 16:22 | 文芸・文学・言語 | Comments(0)
2015年 04月 09日

陽春大歌舞伎、平成中村座昼の部公演ツイート

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3日から6日まで香港に行っていました。
前日の2日に、浅草で平成中村座の復活をうれしく観覧してきました。
そのツイートをまた載せておきます。

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4月2日
平成中村座。復活してうれしいね。思うところ多々ありな昼の部。昔、濡れ髪・放駒を幸四郎・吉右衛門で見ることができたのは幸せなことだった。きのうは普通の芝居。勧進帳、勘九郎七之助ともに古典的なムード、やや若すぎるがビジュアルは完璧。とくに七之助義経は美しく儚げ。弁慶に手を(続

2)差し伸べる仕草が女形っぽいが。問題は橋之助。見るべきものなし。標準レベルの弁慶だがはみ出たところがまるでなく凡庸。弁慶ははみ出てなくては。吉右衛門仁左衛門の弁慶が去来する。彼らの域に達するのは誰?いい演技とは何かということについて考え込む。歌舞伎に限らず、だめな役者は(続

3)共通して「待てない」。もうあと一瞬だけ待ってから進めば、その一瞬が計り知れない余韻となるのに。いい役者は一つのセリフ、一つの動作、一つの表情の中に、様々な陰影を次々と、ひらひらと見せていく。その多面性が、その役を複雑に、深みのあるものにしていく。だめな役者は単調で一面的(続

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芝居小屋なので昼の部と夜の部の間の舞台裏も見える


4)魚屋宗五郎、勘九郎の勘三郎おんなじぶりになんだかもう奇妙な気分。なんじゃこりゃあ。宗五郎はいろんな役者で見たがみんな楽しそうに演じてるね。あれは役者としてやりたくなる役だろう。出色は七之助!もうかわいい娘役だけやってる役者じゃないのよっ!ババアもいけます!見直したぞ。(続

5)それにつけても気になるのは勘九郎のこの先。勘三郎とそっくりなところもあるけど、やっぱり違う才能を持った役者だ。彼はむしろ勘三郎より播磨屋風。大きな立て役ができる人。勘三郎にはできなかったけど。勘三郎よりかっこいいし、もっと陰のある、ドストエフスキー的な、黙阿弥的な暗さを(続

6)表現できる人。すごく期待しているけど、勘三郎があまりにも愛されすぎて、あまりにそっくりだから、当然周りは勘三郎的なものを期待するだろう(名前も継ぐけど)。それがちょっとなあ〜。しかしやっぱりあの兄弟は息が合ってるね。夫婦者をやるとぴったり。中村屋がんばってください。(終わり

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香港ではすばらしくおもしろいことがどっさりあったのだけど、とうてい書けそうにない……
とりあえず仕事します。


by apakaba | 2015-04-09 14:35 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 04月 01日

新年度からの試みの一つ「twitterからの転載」で3月歌舞伎座ツイート

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コブシが注目されるのは、桜が咲くまでのほんのみじかい間だけ

今日から新年度。
長男「ササニシキ」は法科大学院1年生に、次男「アキタコマチ」は就職して社会人に、長女「コシヒカリ」は高3の大学受験生になりました。
教員の夫も、新年度からの新しい仕事のプロジェクトをいろいろ抱えていて、それぞれに気合が入っています。
身辺が変わらないのは私と犬だけ。

ブログを書く時間がほんとになくなりましたわ。
ライターの仕事を始めると、1本でも多く原稿を書くことが優先になって、ブログを書く気力が残っていません。
でも仕事の文章はやっぱり仕事だから、好き勝手をつづっているブログとは別のものです。

新年度になったので、代わり映えのしない私だけど、ブログ継続のために二ついいことを考えました。
一つは、
「twitterに書いたことをブログに転載して日記にしちゃう」

たとえば、よく歌舞伎を見に行くので、歌舞伎感想をツイートしているのだけど、それをつなげてブログに載せておきます。
twitterよりブログの方が後で探しやすいから。

もう一つは、
「エイビーロードの旅記事が掲載されたら、それに関して写真だけでもブログにアップする」
一から旅行記を作っている時間がなくなってしまったので、せめて掲載記事とリンクして写真だけでも。

というわけで、今日は3月に見た歌舞伎連続ツイートをまとめておきます。
新年度もよろしく〜。

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3月8日分

歌舞伎連ツイに入る前に。今日見た「通し狂言菅原伝授手習鑑」は非常に思い出深い。ちょうど20年前、平成7年3月に当時の片岡孝夫が初演したのを見に行った。地下鉄サリン事件当日。歌舞伎座へ向かう朝、日比谷線が不穏な空気に。昼の部が終わって劇場を出たら大混乱。パトカーとヘリコプターで一杯

続)あのころ、着流し一枚で水も滴る色男の孝夫に夢中だったから、菅丞相はややちがうと感じた。もっと軽い装束でもっと色気を振りまいてほしかった。20年たったのだ……と実感した、今日の仁左衛門。

歌舞伎座昼の部、菅原伝授手習鑑。ちょうど20年ぶりの通しに心躍る。加茂堤、菊之助の桜丸は後の悲劇を感じさせない清新さ。当時勘九郎の桜丸の本領は夜の部だったな。筆法伝授、待ってました仁左衛門。おそらくこの人の菅丞相は今生の見納め。永久欠番。彼以上の菅丞相は今後出ないであろう。(続く

2)だが筆法伝授の出色は染五郎だ。こんな武部源蔵初めて見た。さんざん見てきた源蔵を初めて「色悪」と見た。出世頭のはずが女問題で勘当、そりゃ零落の色気がある人物だわ。それを染五郎が初めて出した。あれが「寺子屋」前回勘九郎で感じた「切羽詰まった狂気」へとつながるのか。染五郎凄いぞ(続

3)道明寺、仁左衛門はもはや人間の域を超越した芸域。とてつもなく大きなものを見た。単に娘との別れを惜しんでいるのではない、もっと大きな、己の運命へと眼差しを向ける大きな大きな芝居だ。彼はきっと太宰府から生きて戻ることはないであろう。それをひしひし予感させる。「運命」を目にする(続

4)道真という人は、きっと今の仁左衛門の芝域のように、凡人を超越した人間だったのだろう。聖徳太子や、ブッダや、キリストのように。20年前は気品に満ちたいい男だったが、今の仁左衛門は菅丞相とぴたりと一致する。「太宰府天満宮に行こうか」と思ってしまう。そこに仁左衛門はいないのに。(続

5)不世出の美貌と芸。仁左衛門が歌舞伎を去ったら、このあと誰が彼を継げる?世話物は染五郎が継げそうだが、菅丞相は無理だろう。仁左衛門は何を見ても「これが最後か」と涙が出る。彼はいつでも一世一代だ。散る花を思わせる、最後の色男だ。(終

歌舞伎おまけ)やっぱり自分は国文科なんだなと思った。道真がこわくて北野天満宮をつくったなんて、すごいよねえロマン感じちゃうねえ。


3月25日分

きのう、歌舞伎座夜の部、通し狂言菅原伝授手習鑑後半。昼の部前半から二週間。寺子屋は何度見たかわからないが通しで見るのは20年ぶり二度目。う〜〜〜〜ん、若いね君たち…昼の部の仁左衛門がものすごすぎて、その余韻から抜けられないまま鑑賞すると、どうしても没入しきれない。格の差。(

2)染五郎松王丸は幸四郎の型だが、全盛期の幸四郎ほど舞台を圧倒する迫力まではあと一歩。寺子屋の前までの若い松王丸は似合う、が、染五郎!あなたは「色悪」に向いてる!昼の部の出色の武部源蔵すばらしかったぞ!松緑の源蔵は、普通レベルの過去の源蔵にすっかり戻っちゃった。あの役って(続

3)凡庸に演じるととても凡庸なのよね。源蔵は凡庸な男だけど、やっぱり零落した色気と、忠義のために人の子を殺めようとする狂気がなければ。色気は昼の部の染五郎が、狂気は前回寺子屋の勘九郎がビシビシ発してた。うん、勘九郎の源蔵よかったよ改めて。あのときは七之助の戸波もよかった。(続

4)それにつけても女形の不毛よ。玉三郎という虚空にただ一点浮かぶような巨星に、どうしたら届く?どうにかしてくれ本当に。関係ないけど涎くりは獅童がやったらさぞや…と長年思ってきて、妄想が高じてもう獅童で見たような気になってたが調べたら見てなかった。アハハ。アホの子は獅童が最高(続

5)20年前、桜丸を勘三郎(当時勘九郎)で見て、桜丸の風情を見事に演じていたからこそ、寺子屋の幸四郎松王丸「桜丸が」の号泣でみんな泣いた。今回の菊之助は、健闘していたけど勘三郎(当時勘九郎)にはまだまだだった。儚げではあるがちょっと健康的すぎ。皆さん長い道のり頑張ってください(終







by apakaba | 2015-04-01 14:00 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)