あぱかば・ブログ篇

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2015年 06月 27日

キャリア教育授業報告——旅が突きつけてくるもの

キャリア教育授業の講師になる」という話をおととい書いた。
今日、その小学校へ行ってきた。
だいたい、書いたとおりの内容のことを話せた。
予想通り、6年生たちは世界各国を旅する私の写真を見て盛り上がり、影絵のDVDを見せながら同時に実演すると、目を丸くして拍手。
おかげでしっかり集中してくれた。
質問コーナーではいろいろな質問があったが、最後に当てた男の子がこう聞いてきた。
「ぼくも、ISとかのニュースを見ているとやっぱりなにか感じたりすることはあって、自分もなにかしたいと思うんですけど……世界をまわって、なにかしたいと思っても、なにをしていいのかわからないとき、どうしたらいいと思いますか。旅をすることと、どうつながりますか。」

「あなたが今いきなり、直接的に世界の不幸を救うことはできない。
たとえば貧しい国へ行って、寄ってくる物乞いにお金を恵んでも、きりがない。
旅行者がちょっとお小遣いをあげた程度では、その人やその家族、その国の巨大な貧困を救うことにはまったくならないから。
でも世界を見て、なにかを感じるということは、決して無駄ではないと思うのです。
テロから少し離れますが世界の不幸ということについて。
私がインドに行ったとき、大学生の男の子と一緒に旅行をしていたんですが、彼とこんなことを話しました。」

15年前、インドヒマラヤから帰って来る夜行バス。
私は日本人学生のNさんという人と二人でバスに乗っていた。
そのときのことを、昔、旅行記に書いた。
その文章を思い出しながら紹介した。
帰宅したら旅行記を見つけたので、長くなるが貼り付けておく。


 ――大道芸だというのに、その一家のサーカスは、観客に「見るな見るな」と請うているようだった。


 カーラチャクラ初日の法要が済み、聴衆が身体の疲れと充足感を抱えて家路につく。

 そこを狙い、人々が必ず通るテント村中央の広場で、芸は始まっていた。

 四肢のどれかが欠けたインド人の物乞いが這いつくばる。

 流浪の芸人が、芸よりもみすぼらしさを売り物にして日銭を稼ぐ。

 人の集まるところにはいつのまにか彼らがいた。

 チベット仏教もダライ・ラマも、彼らの知ったことではない。


 並んで突っ立った私たちは、傾きかけた陽射しをまともに受け、しかめっ面でしばらく家族でやっていたサーカスを見物していた。

 やがて私は、「先に帰る。」とだけ彼に言い残して、ひとりで自分のテントに戻った。

 2歳にも満たないような男の子が、泣きさけびながら、座長である父親に棒でせかされて、腰を振ったり、土埃の立つ地面を転がったりしている。

 10歳くらいの姉が綱渡りをしたりアクロバティックな踊りをしたりする合間に、小さいほうの子が出てくる。

 まだ芸とはとても呼べない、痛々しいだけの見せ物だ。

 周りのチベット人を見まわすと、誰も笑っていないし、喜んでもいない。私と同じしかめっ面で眺めている。

 私の顔もみんなと同じだとわかると、よけいに気分が悪かった。


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真ん中の緑の服が男の子。大声で泣きながら踊る。
鳥の羽で作ったかぶりものをかぶっているのが姉。
周りのお客が嫌な顔で見ている。


 あれを見ているのは、つらかった。

 でも、自分にできることは、とにかく芸を最後まで見届けて、拍手して、見物料を渡すこと、それしかないと思って、そうした――ゆうべ、食事休憩のあと、彼はまったく突然に、前日見たそのサーカスの話を始めた。

 その唐突さと、いままで聞いたことのなかった口調に驚いて、隣に座る彼の顔をそっと窺ったが、夜行バスの車内は暗くて、表情までは見えなかった。

 共に暮らしたこの旅行中、さんざん冗談を言い合っていたが、私はこれまで本当にはこの人と話をしていなかった、とそのとき急に気がついた。

 彼は、私が帰ってしまったあと、サーカスの父親が子供を使ってさらに悲惨な見せ物をやっていたことを、とぎれとぎれに、しかしつぶさに語った。

 「小さい弟のほうは、ますます泣きわめくだけで……、お姉ちゃんがお客から見物料を順々に集めていって……。あの、俺を見たときの女の子の目が、忘れられない……。」

 闇に声が消え入る。

 自分があの親子にできることは、他になかったのか。

 本当ならどうすればよかったのか。“本当”なんてあるのか?

 女の子の目に苛(さいな)まれ、彼は出口のない問いにはまりこんでいるようだった。


 私は、こんなことを彼に答えた。

 「あなたが明日いきなり生まれ変わってマザー・テレサになることは不可能だけど、あなたがあれを見た、そしてなにかを思った、ということは事実だし、それでひとつ世界を知ったことになるとは思う。

 直接的には、あの親子にしてあげられることがないとしても、あなたはもう確実にひとつの世界を知っているんだし、それが自分の、これから生きてなにかを考えるときの方向づけとなっていくにちがいないし、それに、身のまわりの大切な人たちにすこしずつ話して、自分の考えたことを知らせていくことはできるはずだと思う。」

 「たとえば……自分の子供、とか……?」

 「そう、家族や親しい友だちとか。」

 「自分の子供がいるって、いいですね……。自分のとこで途切れない、っていうか……語れる相手がいるのって羨ましいなあ……。」

 「そうね。子供はいいものだよ。子供が大きくなってきたら、私もいろんな国で見たことをちょっとずつ話していくつもり。

 旅をすると大人になる…世界を知る…旅がいろんなことを、自分に突きつけてくる。

 私は、世界地図をひろげて見たり、新聞の国際面を見たときなんかに、この世界を、すごく近しく、愛しいものに感じることができる。

 その感じを、子供に、押しつけじゃなく、伝えようとは思っているの。

 これって自分の旅行癖を正当化してるのかな?とも思うんだけど、まあ実際、それがお土産、かなあ……。」

 気恥ずかしいからいままで誰にも言ったことのない、けれどもいつも心の中では考えている、旅についての正直な気持ちを、並んで座って顔が見えないことに力を得て、しゃべった。


この、大道芸と大学生のエピソードを語ると、6年生たちはいよいよ静まり返って聞いてくれた。
大人が真剣にしゃべると、子供は居ずまいを正してくれる。
そうはいっても子供が相手なので、あまり悲観的なことは言わず、「考え続けることで、今すぐにはなにもできなくても、未来はよくなります。そう信じてます。」としめくくった。
帰宅して自分が昔書いた旅行記を読んだら、「気恥ずかしいからいままで誰にも言ったことのない、」と書いてある。
そうだったのか。
私は、この当時はまだそう思っていたんだなあ。
今日は、大学生だったNさんに語ったことを、見知らぬ子供たちにしゃべってきちゃった。
私も変わったんだな。
このあともたくさんのことを知って、やっと、人に話せるだけの自信がついてきた。
偶然ながらそれをたしかめることができて、うれしかった。
私のほうこそキャリア教育ですよ。
見知らぬ6年生の子供たちよありがとう。


by apakaba | 2015-06-27 18:22 | 子供 | Comments(0)
2015年 06月 26日

子供に手抜きをするな

きのう書いた、「キャリア教育授業の講師になる」を次男「アキタコマチ」が読んだという。
「おかーさん、いいことを書いてたね。なかなかよかったよ。あんまり内容についての反応がないみたいだけど。」
「いいのよ。あんな長いもの普通読まないもん。あんなに長い文章を読むなんて、よっぽど読むのが好きかよっぽど私が好きかどっちかだよ。」

「いいこと書いてたよ。それで思い出したんだけど……
昔からだけど、おかーさんって、子供を低く見てないよね。子供というものを、きちんと大人と対等の、一個の人間として認めているというか。それはオレが子供のころから思ってた。
大人って、子供を全部低く見てる人が多いでしょう。
子供はどうせバカだと思ってる奴。
もっと言うと、自分より年下の人間は全員なんにもわかってないって決めつけてるような奴。
おかーさんはそういうことを決してしないよね。
おかーさんは子供と真剣に向き合ってる。そこがいいと思う。
そしてオレが子供のころに、いろんな大人に会わせてくれて、その人たちもみんな、オレのことをガキだから無力だと決めつけない人ばかりで、それでオレは大きくなれた。」

子供は育てる甲斐のあるものですね。

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朽ちて尚のこる

自分ではそんなことを意識してやってきたつもりはないけど、自分が子供だったころの感情を、すごくよく覚えているのだ。
ガキ扱いされるのは大嫌いだった。
今でも、先輩風を吹かせて自分を優位に見せようとしてくる大人が大っ嫌いだ。

私が所属している影絵劇団で、すべての音楽を作っている音楽担当の人は、息子と同じことをいつも言っている。
「子供相手だからって、アニメのちゃちな音楽みたいな、手抜きしたガキっぽい曲を作ることは絶対にしたくないの。
どうせアマチュアだから、どうせ子供相手だから、適当に話や音楽を作って適当に練習して本番を迎えたら、きっと楽だと思う。
でも、子供ほど見抜く。
自分が子供扱いされてるか、大人が本気でやっているかどうかってことを。
子供相手ほど、本気で向き合わなきゃいけないの。」

だから長く一緒にやってる。

明日いちにちだけ出会う、近隣の小学校の6年生よ。
大人になっていく途中、「小学校のとき、あんなことを話した人がいたなあ」と私を思い出す子が、何人かはいるだろうか。


by apakaba | 2015-06-26 16:58 | 子供 | Comments(0)
2015年 06月 25日

キャリア教育授業の講師になる

うちの子供たちの母校ではない近隣の小学校で、話をすることになった。
「総合的な学習の時間」という授業時間で、「キャリア教育」という学習をしている。
講師依頼を受けて、やると答えたものの、「キャリア教育」というもの自体なんのことやら。

対象は6年生。
20分間の話を2コマ。
今まで生きてきた中で感動したことを話すそうだ。
仕事をとおして「心が動いたこと」を、具体的な例を挙げながら話せと。
だから「赤ちゃんが生まれて感動しました」とか「お客様の笑顔が生きがいです」とかの漠然とした話じゃダメ。
子供の生きる力を育成し、夢の実現の道筋を示す話をしろと。
なんじゃそりゃー。
「あきらめなければ 夢は叶う 信じていれば 道はひらける」
みたいな、J-POPの歌詞みたいなことは言っちゃダメで、もしも夢が破れても、他の形もあるというところも話すんだって。
なんでそんな見ず知らずの子供に私の人生を語るのか不思議だけど、頼んできたのが友達なので、まあ考えるか。

……とか思っていたら仕事の締め切りに追われてしまい、なにも準備してないのにもうあさってに迫ってしまったじゃないかー!
とりあえず、ここに、話そうとしていることをメモ書きしておくことにした。

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私には子供が3人います。
早くに結婚したので、もう大きくなっています。
私の一番の趣味は、旅行です。
いろんな国で、人のあまり知らないような場所へ行くこと、そこで人と話すこと、いろんなめずらしい体験をすることが、なによりも大好きです。
家族の誰かと行くこともありますが、好きなのは一人旅です。

私には特技が3つあります。
「文章が書けること」「人に勉強などを教えること」「演技ができること」です。
将来、「新聞記者とか、雑誌になにか書くとか、文章を書く仕事をしたいなあ」と思ったこともあるし、「学校の先生になりたい」と思って、教員免許を取ったこともあります。
中学生くらいまでは、「女優になりたい」とも思っていました。
でも、大学生のときに好きな人ができて、すぐに結婚して、私はずっと家にいるお母さんになりました。
夢を、忘れたわけじゃないけど、赤ちゃんを育てることが生きがいだったし、働くのは後回しでいいなと思っていました。
それくらい、3人の子供を育てているのは楽しかったし忙しかったですね。

それでもその間、最大の趣味だけは忘れられず、私はいろんな国に旅行に行っていました。(以下、プロジェクターで写真を見せながら)
インドの山奥、チベット民族しか住んでいないヒマラヤで、海抜5000メートルの峠を越えて、テントで寝ていました。
それも立派なキャンプ用のテントじゃなくて、地べたに直接寝るんです。
トイレなどなくて、そこらへんで適当にします。

地球で最も海抜の低い、海抜マイナス400メートルというところにも行きました。
イスラエル、死海のほとりです。
旧約聖書に出てくるモーセという預言者を知っていますか?
そのモーセが亡くなったといわれている山にも登りました。ヨルダンにあります。
今年の4月に大地震が起きたネパールの映像を、テレビで見ましたか?
あの、がれきとなってしまった広場やお寺にも行きました。
パキスタンやインドネシアでは、偶然出会った人の家に泊めてもらい、家の手伝いなどしてしばらく住んでいました。
ウズベキスタンで、英語が一言も通じない町に、一人きりで行ってしまったこともあります。

もっともっと、たくさんの国でいろんなすばらしいものを見ました。
そうやっていろいろな経験をしてきて、いつかそれをたくさんの人に知ってほしいなあと思うようになりました。
そのころにはもう子供たちも大きくなったので、私は自宅で小学生に勉強を教える仕事を始めました。
それは10年近く続けました。
学校の先生とはちがうけれど、「教える仕事」はできたわけですね。

その仕事をやめて、今は海外旅行のウェブサイトに、海外旅行の記事を書く仕事をしています。
今まで自分が行った国で、日本人旅行者がほとんど知らないような行き先を紹介するのはとても楽しいです。
読んだ人たちから、「こんなところがあったなんて、全然知りませんでした!」「あなたの記事を読んで、私も行きたくなって行ってきました!役に立ちました!」と言ってもらえるのは、本当にうれしく、やりがいを感じます。
新聞記者とかではないけれど、「文章を書く仕事」にも就けたわけです。
それも、最大の趣味である旅行のことを書くのですから、書いていてこんなにおもしろいことはありません。
今も近くの国に旅行をくりかえしていますが、ネタのために旅行しているようなものです。
それもやっぱり楽しいです。

私は、旅をすることは、この世界を、近くに、いとおしいものに感じることだと思っています。
自分が、世界とつながっている、この世界の一員であるということを思い知ることだと考えています。
毎日、世界のいろいろなつらいニュースを目にしますよね?
たとえばネパールで地震が起きて、町や村がグシャグシャに崩れているのをテレビで見ても、それを見て自分の町が崩れたように胸をしめつけられる人って、どれくらいいるでしょうか?
私は、大好きなネパール、たくさんの人に親切にしてもらったネパールの地震の映像や写真を見て、何度も涙を流しました。
それは他の国のことでも同じです。
テロで破壊されたり、内戦で荒れ果ててしまった国々のことを知ると、身を切られるようにつらく感じるのです。
あのときやさしくしてくれたあの人は、あの人の家族は、もう死んでしまったかなあ、と想像するのは、いい旅をすればするほど、リアルに苦しいものです。

でもそうやって、自分から遠く離れていても身近に感じられるところがこの世界にいくつもいくつもあることって、本当にすばらしいことです。
自分の「周り」が、とっても大きいんですから。
それが、自分以外の人間に対する想像力になるはずですから。
自分以外の人間に想像力を働かせることは、生きる力として絶対に必要です。
自分さえよければいい、自分の国さえよければいい、そんなふうに、想像力を失った人間は、結局幸せにはなれません。
人のことも幸せにできません。

さて、私の特技はいくつあったでしょう?
3つですね。3つ目の「演技ができること」は、影絵の劇団で活かしています。
私は影絵劇団でずっと主役の声を担当しているんですよ!
いろんな役をやりますが、得意なのは少年役です。
私を見てください。ただのおばさんですよね。
もし私が今から女優になったとしても、おばさんの役しかつかないですよね?
でも影絵なら?
声だけなら?
可能性は無限大です。
おばさんが男の子の声を出すって、不思議じゃないですか?
でもうまくやればできるんですよ。
やってみましょうか。
(DVDで一場面を再生して実演)

うまいでしょう?
私は、声の担当の責任者なので、声をあてるメンバーの演技指導もやっています。
今、小学校や区民センターなどで公演をしていますが、感動的な劇では、見てくれたお客さんが、大人も子供も、先生たちも、校長先生も、みーんな、涙を流してくれるんです。
これは影絵というものの力です。
いくら私一人が名演技をしても、全員が力を合わせなければ、ここまで人を感動させることはできません。
もしも私一人だったら、何回生まれ変わったって、あんなにたくさんの人々を、いっぺんに感動で泣かせることなんてできませんよ。
これは本当にやりがいのあることです。

さて、私の夢はいくつ叶ったでしょう?
ひとつも叶わなかったのかもしれない。
でも、ぜんぶ叶ったのかもしれない。
「文章を書く仕事をしたい」 これは学生のころに考えていたような新聞記者や雑誌記者ではなく、インターネットという媒体に形を変えて、叶いました。書く内容は、一番好きなこと、旅行のことです。
「人に教える仕事をしたい」 学校の先生にはならなかったけれど、自分の家にかわいい子供たちが来て勉強を教えたり、いまは大人相手ですが影絵の演技指導もやっています。
「女優になりたい」 舞台やテレビには出ていませんが、もっと間近に、お客さんの感動を実感できる場所に形を変えて実現しました。

あれ?ぜんぶ叶ったのかな?

こうお話しすると、いかにも私がやすやすと夢を叶えてしまったラッキーな人みたいに思うでしょう。
そんなことはないんですよ!
長く努力することが必要です。
たとえば旅行なら、私は英語以外に、行き先の国の言葉をほんのちょっとだけでも覚えていきます。
これだけでコミュニケーションの深さがぜんぜんちがいます。
子育て中も、文章を書く練習は休んだことがありませんでした。

そして、「自分がやりたいことは何か?」と、常に自分に問いかけ続けることです。
たとえば文章を書く仕事をしたいと考えたときに、いろいろな働き口を探しました。
「医療機関にインタビューに行ってネット記事にまとめる」とか。
「街の新しいカフェを取材する」とか。
ネットでも雑誌でも、いろいろなライターを募集しています。
でも、「いくら文章を書きたいといっても、私は本当にこの内容の仕事で続けられるか?」と自問したときに、続けられる自信がないと思ったものは、応募を取り下げました。
好きなら続くし、好きではないことは続きません。
表面的には続いているとしても、自分の内面的には、続けられていません。
私はそんな仕事はしたくありませんでした。
「嫌なことをしてお金をもらうことが仕事だ」と言う人もいます。
たしかにそれは一面では真実ですが、すべてではありません。
旅行ライターの仕事も、私本来の文体とはちがう文体を求められたりします。
それでもそれはお金をもらう以上、当たり前の修正です。
そうではなくて、やりがいも生きがいも感じなくてとにかく嫌なことしかない仕事は、続ける必要はないと思います。

自分を見つめ続けてください。
まずそこから始まり、そして最終的にはそこに帰ってきます。
毎日ごはんを食べていれば人は生きられるけど、自分という存在を、誰よりも真剣に見つめて考えることだけが、生きる力になります。

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これくらいで20分くらいに、なるかな?
内容、難しい?


by apakaba | 2015-06-25 17:08 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 06月 20日

6月3日、六月大歌舞伎、昼夜通しで鑑賞

今月の歌舞伎は昼夜通し狂言。
興行が始まってすぐの3日に見に行っていたけど、twitterでのツイートをこっちへ移す
ことを忘れていた。
というわけで……

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6月3日、歌舞伎座昼の部。天保遊俠録、自分の難聴が一気に進んだかと困惑するほど聞き取れない橋之助・国生親子。橋之助のがあがあした発声はどうしたことか。昔の方がいい役者だったような。芸者に身を落とした芝雀は役柄がよく似合い納得の演技。絶世の美女とかよりああいう役の方が合いますよ(続

2)新薄雪物語、花見。初役とは思えない仁左衛門の大ハマりぶりはどうだ!なんという美しい巨悪。ふだんの発声よりそうとう低く、唸り声のような低音を出しているが、むしろふだんの声より大きく響き渡る。信じられない。錦之助は安定の優男。吉右衛門登場時の若さにまた驚く。舞台に立つと、(続

3)吉右衛門は顔のシワさえ消えてしまう。詮議、一転、悪役仁左衛門がよい父親役という歌舞伎ならではの不思議配役。詮議の間じっと下を向いてただ座っているだけなのに、その美しい苦悩の顔に目が釘付け。でもほんとにじっと下を向いているだけではなく、細やかに表情で演技している。(続

4)その細やかな苦悩の表情で観客は父親に心を添わせる。大幹部勢揃いのすごい舞台。そしてそのまま夜の部突入。夜の部、新薄雪物語、広間・合腹。切腹してからだいぶ長く生きているまんまという歌舞伎ならではの無茶な芝居だが、幸四郎と仁左衛門が腹を抱えて痛がっているのではしょうがない。(続

5)正宗内、悪い子吉右衛門のモドリが見もの。セリフが入ってない様子がややハラハラ。さすがの吉右衛門も老いたか。だが必ず巻き返してしまいしかも最後はぴたりと決めてくるのが大役者の所以。しかしこの通し狂言、妙な話だね。やはり三大狂言の完全無欠な脚本に較べてあれこれと甘い。(続

6)いかに三大狂言が完璧な芝居なのかを改めて思い知った。「菅原伝授」のほとんど神だった菅丞相を思い出すと、寺子屋で菅丞相は出ていないのに、舞台の隅々にまで菅丞相の気配が濃厚に残っている。脚本にそこまでの力がある。まあ仁左衛門の威力というのはあるけど。(続

7)夕顔棚、菊五郎の別次元に入っている完全な婆ぶり。左團次の爺ぶりも完璧だがまあほんとに爺だからねえ。ああいう婆、いる。この婆が富司純子さまの旦那なのだと思うともう脳みそが大混乱。ここ何年かの菊五郎の芝居の超越ぶりは物凄い。自在の境地に達してる。声も誰よりも通るし。菊五郎万歳(終


by apakaba | 2015-06-20 08:25 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 06月 19日

誰も見たことのない『長靴をはいた猫』

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最後の練習日の私。ノイズキャンセリングイヤホンを調整しながらセリフを当てている


影絵の本番が終わった。
ノイズキャンセリングイヤホンを新調して、これでしばらくは大丈夫だと喜んでいたのも束の間。
聞こえがマシだった右耳が、いつの間にか少し聞こえなくなってきたため、左耳の響きを抑えるために左耳にイヤホンを突っ込むと、両方とも聞こえが心許なくなっていた。
それに気づいたのは、練習が始まってからだった。
あわてて左のイヤホンを外すと、やっぱり自分の声も人の声も頭にガンガン響いて、ふらふらする。
もともとは左耳が利き耳だったから、いまだによく聞こえないとつい左耳で聞こうとする癖が抜けない。
我ながら馬鹿みたいで、自分にいらいらする。
まだ本当の難聴までは時間があるだろうが、一気に右耳の具合が悪くなって両耳難聴になってしまったらと思うと不安でたまらない。

だから影絵で主演なんてもう無理なんだけどね。
20人以上の団員と一緒に練習して、声のパートの全権を任されるには、肉体的にも精神的にも負担がかかりすぎる。
練習期間中はずっと胃が痛くて、歯を食いしばりすぎてこめかみが痛い。
それでも、この劇団はいつもほんとにおもしろいことをやろうとしているから参加している。
参加すれば、明らかに情緒不安定になるとわかっているのに。

演目は『長靴をはいた猫』。
貧しい農家の三男坊が、親の形見に残された猫の悪知恵に従って、侯爵であるかのようにふるまい、富を手に入れお姫様と結婚するという、ペローの童話だ。
最初、私は乗り気ではなかった。
だから声の担当を外れようかなと考えていた。
しかし、劇団代表は、この童話を、勧善懲悪では割り切れない、物語世界の深さを表現したいという希望を持っていた。
ブーツで人間世界へと足を踏み入れ、時には手を汚すことも厭わずに、知恵で自分の求めるものを手に入れていく猫と、純粋な三男坊は、光と影のように表裏一体。
猫がワルなほど、三男坊の美しさは引き立つ。
猫の名前は「ボット」、フランス語で「ブーツ」の意味だという。
三男坊の名前は「アラン」、ありふれたフランス人の名前だ。
この構想はさすがだと思った。
急にやりたくなった。
おもしろおかしいだけのハッピーエンドではなくて、この世界が持つ割り切れなさ、ちょっとゾクッとくるおそろしさ、そういうわけのわからない迫力を感じさせたい。
代表の書く脚本は、私がボットをやることを前提として書かれていた。

劇団代表の構想に、さらに自分で役作りを加えた。
「ボットは、いなかった」
最初から、アランしかいなかった。
ボットはアランのもう一人の姿。
だから、アランに対して話すとき、アランのことを語るとき、ボットの口調はほんの少しやさしい。
だってもう一人の自分だから——。
劇を見てそんなことを想像する人は一人もいないだろうけど、いいのだ。
文学とは、こういった細部の作り込みの積み重ねで、この世界を垣間見せることだ。

発声の方法を変えて、口をあまり大きく開かずに喉から胸へかけて声を響かせる出し方にしてみた。
口をはっきり開けて声を張ると少年ヒーロー風になってしまう。
でも口を大きく開かず、しかもこもらせずにセリフを言うのはやったことがない。
今までの「田中真弓風」を捨て、「山田康雄風(ルパン三世ファーストシリーズ)」へと方針転換。
ダークでセクシーなワル。
最後までいい奴か悪い奴かよくわからない、目の離せない猫へ。

本番、マイクでその声を出すと、いちいちくだらない茶々を入れていた子供は静まり返る。
怖さを感じている。
怖さと同時に、魅力も感じていることが、ひしひしわかる。
そのうちに、画像の美しさ、芸術性あふれる音楽、人形の細やかな動き、芸達者な演技に引き込まれ、自然と私語はなくなる。
各パートの反省事項は尽きないだろうが、公演は大成功だった。

苦しんだ甲斐があった。
今回は異例の短い練習期間だったのに、各パートの能力の高さには感嘆するしかない。
病気の苦しみと引き換えにしてもやりたいと思えるのは、構想のおもしろさと、それを作り上げる団員に絶対の信頼があるからだ。
本当にありがとう。



高学年と低学年の2回公演をしましたが、低学年用をよりワルに作ったので、そちらを載せます。
(体育館の音響の調子が悪く、残念なことに「キーン」という高周波が入ってしまっています。)

いつまでやれるかなあー。


by apakaba | 2015-06-19 17:16 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 06月 15日

虫よけネットで法律の勉強?

だんだんと、蚊が出てくる季節になった。
今年も吊るすタイプの虫よけ剤を買った。
玄関に吊るすために外箱を開けていた夫が、
「あああっ!これ、蚊には効かねえぞ!」
と叫ぶ。

「ほら、こんなところに小さく『※本品は蚊を対象とした商品ではありません。』とか書いていやがる!」
「うそ!?じゃあ、なにに効くの?」
「ええとー……『ユスリカ』」
「『ユスリカ』?ユスリカってなに?カなんだから同じなんじゃないの。」

ユスリカは、カといっても蚊とは科が異なる(ややこし)昆虫で、川沿いの遊歩道などに大量発生して蚊柱を作ったりして、通行人の口に入って来ちゃうやつ。
あんなのどうだっていいのに〜。

外箱の目立たないところに3箇所、小さい字で書いてあった。
「なにこれ絶対だまそうとしてる!私みたいにだまされて買っちゃう奴をねらってる!」
弁護士をめざして勉強をしている長男「ササニシキ」に、「これどうなのよ?訴えてやる!」と暴れてみる。

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外箱をじっくりと見ていた「ササニシキ」は、
「ふーむ、むずかしいでしょうなあ〜。」
「どうしてよ!あんた弁護士だろう!どうにかしろ!」

たしかに注意の表示は小さくてあまりにも目立たないが、でも3箇所も書いてあることは書いてある。
「争えるとすれば……(調べる)“不利益事実の不告知”、いや“景表法”、“優良誤認事実”か……でもまあ無理でしょう。」
他にもいろんなことを言っていたが忘れた。
ムカムカしながらも、捨てるのも変だしとりあえず吊るした。

そしたら、夫がしばらくしてから
「あれって、テレビでやってたけど、ほんとは効くんだって。蚊にも。でも薬事法に引っかかるから、蚊に効くと書いたらいけないんだって。」
と言っていた。
なんとまあ。
「虫よけ 蚊 薬事法」といったワードで検索してみると、たしかに。
じゃあ、まあ、いいや。
メーカーも大変なんだな。


by apakaba | 2015-06-15 16:10 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 06月 02日

『ジャージー・ボーイズ』「君の瞳に恋してる」に泣いた日

私にとって、また苦しみの時期がやってきた。
影絵の定期公演が、目前に迫っている。
今回は準備が遅れ、ふだんよりはるかにタイトな日程で仕上げなければならない。

何度も書いてしつこいけど、声を出し、人の声を聞くということは、耳硬化症と上半規管裂隙症候群を患っている私には、この薄い頭蓋骨(上半規管裂隙症候群の特徴)をかち割りたいくらいにつらい。
自声強調、耳鳴り、難聴も進んでいる気がする。
進み方はごくゆっくりなので、静かでひとりぼっちの日常生活では意識することがない。
難聴と付き合うのも上手になるし。
娘のぼそぼそしたつぶやきを、聞き取れなくなったことが前はつらかったけれど、今は聞こえないことが気にならなくなった。

だが耳を使うととたんに病気を実感する。
きのうは練習のあと疲れ果ててしまい、帰宅後しばらく動けなかった。
真剣に耳を使うことが、これほど消耗するとは、この病気の人でないとわからないだろうなあ。

だから、落ち込むと「耳硬化症」で検索をかけて、同じ病気の人のブログをあれこれ読んでいる。
そういうのを、「同病相憐れむ」というんですね。まあ読むだけだから一方的だけど。

今日、久々に耳硬化症のブログを徘徊していて、私の主治医となった先生が、引退されたことを知った。
うっっそー!
3月に、「あまり聴力は下がっていませんね。では1年後に。」と言ってくれたのにー!
私の将来の手術は、誰が執刀するんだろう!
まあでも、何年も先に、あのカリオストロ伯爵みたいだった先生が執刀するより、若手のほうが、手先はたしかなのかもしれないなー。
と、いい方向に考えよう……

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試験期間中の娘と中華料理店でお昼




イーストウッド監督映画『ジャージー・ボーイズ』をレンタルで見た。
アメリカのポップス・グループ『ザ・フォーシーズンズ』の栄光と転落を描いた、実話ベースの作品だ。
どっさり挿入される歌のパフォーマンスはびっちりキマっていて、本当にかっこいい。
私がこの時代の女の子だったら、絶対夢中になって追っかけていただろうなあ。
クライマックス、悲しみのどん底にある主人公フランキー・ヴァリ(俳優はジョン・ロイド・ヤング)が歌い上げる「君の瞳に恋してる」には、ほとんど泣きそうになった。
音楽の力ってすごい、音楽っていいなあ、と涙がこみ上げた。

映画の余韻さめやらぬままに、リードボーカルの「フランキー・ヴァリ」をwikiで見てみると、思いがけないことが書いてあった。

1970年代、ヴァリは耳硬化症に悩まされ、1970年代後期は耳ではなく記憶を頼りに歌っていた。1980年、手術によりほぼ完治した」

そこでまたグッとこみ上げた。
アメリカのトップスターも、苦しんでいた。
そして「手術で治った」!!!!!!!
ベートーベンの耳硬化症は治らなかったけど、1980年、ヴァリは治った。
じゃあ2015年よりだいぶ未来に手術が控えている私は、治らなくっちゃ!
いい方向に考えよう。




by apakaba | 2015-06-02 16:19 | 健康・病気 | Comments(2)