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2015年 08月 28日

7月からの仕事

一ヶ月前、7月28日に撮った。
お稲荷さま、もう夏を終わりにしてください。秋にしてください。
真昼の炎天下、朦朧となりながら撮ったままにしていたが、一ヶ月経ったら、ちゃんと秋めいてきている。
日本の四季は忙しいのね。

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7月から新しい仕事を始めた。
といっても媒体は同じ「エイビーロード」なのだけど、文章やキュレーションではなく、テーマに沿った写真を用意し、120字以内でキャプションをつける。
モアレポ」というコーナーだ。
このコーナーは、トップページからだと左下のほうに1枚だけ出てくる(毎日更新)。
サイト内のページの構築がうまくできていない(トップページを離れるとなかなか探せない)のと、写真のリンクがうまく張れないのが難点だが、まあギャラが出るだけありがたい。

というか、始めてみたらかなりおもしろい。
出されたお題に当てはまる写真があるか、自分の手持ちを探すのもおもしろいし、ぴったりな1枚を見つけたときはうれしい。
そして120字という制限内での表現は、国語の問題を解くように快感だ。
ずっと続けたいがネタが尽きたらお払い箱だな。
クビになるまで、がんばろう。


by apakaba | 2015-08-28 22:28 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 08月 26日

死んだメジロ

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きのうの朝の散歩のとき、道の真ん中にメジロが落ちて死んでいるのを見た。
雀や鳩はしばしば無残な姿になっているのを見かけるが、メジロが死んでいるのは初めて見た。
“かわいい”と反射的に思った。
左右の羽をからだにぴったりつけて、「気をつけ」のような恰好で、首だけ右側に向け、二本の足はがにまたにちょこんと伸びていた。
飛ぶのをきゅうにやめて墜落したみたいな恰好だった。
血が出たり、内臓が飛び出したりという外傷がまったくなかった。

横顔はなぜか手塚治虫が描く漫画みたいに見えた。
白い縁取りの目はかたく閉じられ、口(くちばしというより口)はわずかに開いていた。
通り過ぎながら、
「表情筋のない生き物は、死んでも生きているのとあまり区別がつかないものだな。これが犬や猫だと、顔に苦しみが浮かんでいてかなり見ていられないけど、小鳥はあんなふうに死ぬと可憐だな」
と思っていた。

あんな道の真ん中で、車に轢かれたらつぶれてしまうだろう。
野良猫が気づいて運んでくれればいいけど。
「コシヒカリ」だったら拾ってきちゃうんだろうな。

夕方の散歩のとき、気になってまた同じ道へ行ってみた。
死んだメジロを見て、思わず「プッ」と吹き出した。
死んだメジロは、朝とまるで同じ場所で同じ恰好のまま、紙のようにぺっちゃんこに、まるで道路に鳥の模様が印刷されているみたいに、ぺらっぺらのぺっちゃんこにつぶれていた。
「車に轢かれてぺっちゃんこ。ぺっちゃんこはせんべい。せんべいは……」と口をついて出そうになるほど、見事なぺっちゃんこぶりだった。
不思議なことに、それでも血はまったく出ていず、内臓も飛び出していなかった。

今朝、また気になってあの紙のように薄くなった小鳥を見に行った。
こんどは、跡形もなく消え失せていた。
跡形もないので、道のどの辺りに落ちていたかももうわからなくなった。
こんどこそ野良猫かたぬきが、路面から苦労しながらはがして持ち去ったのだろうか。
早起きの近隣の人が、はがしたのだろうか。

跡形もなくなって初めて、あの小鳥は死んだのだなあと思った。
散歩をしていると、足元にはさまざまな生き物がぺっちゃんこになって死んでいる。
ミミズ、いろいろな虫、ヒキガエル、カナヘビ、そんなのは毎日見る。
でもあのメジロはかわいかったな。
朝と夕方と翌朝と、見事な変貌だった。


by apakaba | 2015-08-26 22:22 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 08月 25日

夏も終わり

きゅうに涼しくなった。

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この夏の初め、こんな大荷物が届いた。

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ははあ……娘の「コシヒカリ」ですな。
少年ジャンプ愛読者にしてくじ運最強の「コシヒカリ」は、しょっちゅうジャンプでプレゼントを当てている。
それにしても大きい。
「ワンピ椅子」

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こういう大物も当てちゃうのね。
すごいくじ運だ。
この調子で、大学受験も運を引き寄せてくれ。
しかし、親から見て、一生懸命ではあるが必死に勉強しているともいえない印象だ。
「これに座って単語や漢字の早押し(iPad や iPhone でやる)をする」と言って、実際座っていたようだけど。

どちらかというと、司馬遼太郎の『世に棲む日々』を熱心に読んでいる。
受験生ってこういうことをしてしまうんですね。
勉強しなきゃいけない時期に、なぜか長編小説を読み始めてしまう。

受験が済んだら、娘を連れてどこか旅行に行くかなあ。


by apakaba | 2015-08-25 22:36 | 子供 | Comments(2)
2015年 08月 23日

歌舞伎座八月納涼歌舞伎第一部 連続ツイート

先日見てきた歌舞伎座の感想の連ツイを転載しておきます。
夏休みなので小学生もたくさん来ていました。

8月21日、歌舞伎座八月納涼歌舞伎第一部。おちくぼ物語、だいぶ前に橋之助の左近少将で見たが、ぱっとしない話だった記憶。再び見てみたらやはりぱっとしない。義太夫の名作に較べ、歌舞伎味の薄さが気になる。名台詞と呼べるべきセリフがなく、どうしても芝居が現代劇っぽくなってしまう(続

2)七之助は若造時代に較べてだいぶ美しくなったし、セリフ回しが玉三郎に似てきた(無論、玉さまとは比較になりませんが)。だが現代っ子っぽく感じるのは七之助のせいというより脚本のせいのような?隼人の左近少将は橋之助よりか〜な〜り〜雅やか。若かりし橋之助は颯爽としていたが、隼人は(続

3)スローモーションのようにゆ〜ったりと。どっちがどうとも言えないけど、頼れそうな雰囲気は橋之助の方があったかな?高校生のころ古文で読んでいたが、大団円で七之助が「かちで行きたい」というセリフ、「かち」って現代人はわかるのだろうかと思ったり。そのためのイヤホンガイドだけど……(続

4)棒しばり、二人が揃っただけで胸がいっぱい。巳之助のよく通る声に感激、続けての勘九郎の登場で、まるで花が開いたような祝祭的ムード。巳之助はお父さんに較べれば踊りはまだまだ、しかし確実に一皮剥けた手応え。吹っ切れてる。いいぞ。将来、勘三郎と三津五郎の名コンビに、この二人が(続

5)なってくれることを心から願う。それにしても勘九郎はああいう役ではほんとに父親に生き写しだ。生き写しの上に男っぽさが加わっている(毎度言うけど)。縛られる前の棒術を使うところはかなりかっこいい。歌舞伎座は8月の三分制は短くて賛成だがもう少しお値段を下げてほしい。(終


ところで夏休み中の夫を連れて香港へ行っていました。
もうここに旅行記を書くのは無理な状況ですが、また仕事の記事にして小出しにしていくつもりです。
ここは気に入りのオーガニックカフェ「life」です。
記事に書いたこともありました。
この記事も気に入っています。
リピートしていますが、今回は初めて屋内席に座れました〜。

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by apakaba | 2015-08-23 10:24 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 08月 22日

母と私と娘、絵を見て思い出すことなど

残暑お見舞い申し上げます。


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私の母は絵が好きで、勤めをリタイアしてからは絵手紙や水彩画を描いている。
旅行に行くと旅先の絵を描いて、部屋に飾ったり。
ちゃんと描くとまともな絵を描くが、これはだいぶコミカル。
漫画好きな娘がこのうちわを気に入って、母からもらってきた。
このコロモを着ている魚は佐渡の名物「ブリカツ丼」のゆるキャラ「ブリカツくん」というらしい。

生家には小学校2年生まで住んでいた。
その壁に、鉛筆描きの父の似顔絵と私の似顔絵が貼ってあった。
なぜ姉(長女)の似顔絵はなかったのか、知らない。
姉が自分の顔なんて貼らないでとか描かないでとか言ったのかもしれないし、そもそも描いていなかったのかもしれない。

父の似顔絵は似ていたが、私の似顔絵はあまり似ていなかった。
と、自分では思った。
私は小さいころ目がとても細くて一重まぶたで、母からしばしば
「この子は朝鮮人の子みたいな顔をしている。あんたは朝鮮人の子だわ。」
と言われていた。
朝鮮人というものがどんな顔をしているのか当時はわからなかったし、その断定口調も意味不明だったけれど、あまりにもそれをしょっちゅう言われることは不快だった。
何人(なにじん)に見えるかということより、実の母親からまるで「自分が生んだ子ではない」と言われているように聞こえるのが、子供心に受け入れがたいことだった。

ただまあ、昔の大人というのは、たいした考えもなくそういうわけのわからない断定口調でものを言うところがあった。
私は、自分が小さかったころの気持ちをかなりよく覚えている方で、自分の子育てのときには、自分が言われて嫌だったことを言わないようにしている。
とくに娘には気を遣う。
生まれた日から今日に至るまで、娘の顔を見る日は欠かさず「かわいいねえ」と口に出している。
「『コシヒカリ』ちゃんはまつげが長くてピュンってなってるところがかわいい。ののちゃんに似てる。」
と、よく言う。

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(ののちゃんとか、天才バカボンのバカボンママとかはじめちゃんとかって、まつげがピュンってなってるでしょう。
あれのことを言いたいのです。)

娘は「えええ〜、ののちゃんに似てないよ。どこが!こんな顔じゃない!」と抵抗しながらも、私なりの“かわいい”という表現だとわかっているから、まんざらでもなさそう。
そう思うと、どうして母が何かにつけて「朝鮮人の子に似ている」と私に言っていたのか、ますますわからない。
私が思ったとおりの顔に生まれてこなかったことが、悔しかったのだろうか?
昔の大人は不思議。

それよりも、あの似顔絵はどこへやってしまったのか、その方が今はちょっと気になる。
自分の顔に似ていなかったけれど、当時の自分の顔より少しかわいく描けていた。
思ったとおりの顔に生まれてこなかったから、せめて絵だけでもかわいく描いたのだろうか。
あれはあのボロかった家から引っ越すときに、処分したのかなあ。
今になると見てみたい気がする(けっこう覚えているけど)。


by apakaba | 2015-08-22 18:10 | 思い出話 | Comments(0)
2015年 08月 15日

30年前の8月15日に

母と私は30歳離れていて、私と娘は30歳離れている。
30年前、私は今の娘と同じ、高校3年生だった。
夏休み、今の娘と同じように、予備校の夏期講習にかよっていた。
8月15日の朝、テレビでは「戦後40年」の特番が組まれていた。

身支度をしながら、どうしても耳に入ってくる「辛気くさい」言葉の数々に、無性に苛立った。
毎年毎年、おんなじことばっかりやって。
3日前の日航機墜落事故はいったん措いて、今日はこれなのね。

靴を履いてドアを開け、母に
「終戦終戦って言ってるけど、もう40年も経ってるのにいつまでやってるんだろう? もう戦争なんてずっと昔のことでみんな忘れちゃってるわよ、戦争のことを覚えている人もどんどん死んでいってるんだし。」
という言葉を投げた。
すると母は、
「そうよ、もう忘れているわよ。昔のことだもの。」
と、ふつうの声で同調したのだった。

ただ苛立ちをぶつけたかっただけだから、少し意外だったが、そのまま夏期講習に出かけた。
私は御巣鷹山の方がずっと気になっていた。

どうして母はああいう返事をしたのだろう。
そのあともたまに思い出したが、なんとなく聞きそびれて30年が経った。
多感な年頃の女の子にあれこれ戦争のことを話しても、ますますいらいらするばかりだと判断したのか、母自身が忘れたがっていたのか、ただ受け答えが面倒だったのか、本当に当時の私と同じように戦争特番にうんざりしていたのか。

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30年経って、今さら確かめることもしないけれど、30年経って実感するのは、やっぱり敗戦した日のことはどんなに時が経っても日本人みんなで考えようということだ。
そして、人間は思っていたより忘れないもので、思っていたより死なないものだなということだ。
日本人は30年前よりも長生きになって、戦争体験者は当時の私の予想よりもずっとたくさん生きている。
心強い。
私はまちがっていた。


by apakaba | 2015-08-15 07:09 | 思い出話 | Comments(0)
2015年 08月 14日

“コロール、ソンソル、トコベイ”

夫の祖父は医者で、第二次世界大戦当時は軍医(少尉)として南洋に行っていたという。
夫はおばあちゃん子で、子供時代は祖母にべったりだったらしいが、意外と祖母の話をよく聞いていなかったようで、嫁に来てからは私の方が、よく祖母の話し相手になっていた。
祖母は2008年に他界した。

まだ元気で、私ともよくしゃべっていた時代、
「おじいさんは兵隊に付いて南の島にあっちこっち行ったのよ。手紙が来たけど、ええと、“コロール、ソンソル、トコベイ”って書いてあったわ!」
と、くりかえし言った。
夫はなぜかその地名をまったく聞いた覚えがないと言うが、私は呪文のようなその言葉をずっと覚えていた。
コロール、ソンソル、トコベイ?
太平洋の島々にまるで詳しくない私は地名を聞いてもどこだか浮かばず、地図を見てやっとわかった。
この辺りでは「トコベイ人形」という民芸品がお土産の定番らしいというのも知った。

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うーん、素朴だ……。
夫の祖父は、兵隊さんの治療の合間に、現地の人たちのこともちょいちょい診てあげて、感謝されて果物や魚などの食べ物をもらったという。
そのため、敗戦して日本に帰ってきた祖父は予想より元気そうだったという。
なんかハートウォーミングな話ね。
この素朴な人形のような人々が、夫の祖父のもとを訪ねていたのだね。
そんなふうにして痩せこけもせず無事に帰ってきた祖父は、50代で病気になりあっけなく他界してしまった。

義母は医者ではないが、父親(夫の祖父)の産婦人科医院をずっと手伝っていた。
私にこんなメールをくれたことがある。
「夜中に一人で未熟児の保育器を準備していたり、お産の手伝いをしていると、父がそばについていてくれるような気がします
父がしてきたことをきちんと受け継いでいると思うと、夜中に起きていてもちっともつらいともさびしいとも思いません」

きのうは仕事で、ボルネオ島唯一の鉄道路線の記事を作っていた。
「その鉄道はイギリス植民地時代に敷かれた歴史のある路線だったが、1944年、第二次世界大戦末期に日本軍によって壊滅的に破壊された」と書いた。
あとちょっと、日本軍が上陸するのが遅かったら、そこまでメチャクチャに壊されることもなかっただろうに。
戦争中、日本人はいろんなところへ行っていろんなことをしていたんだな……
何が正しかったのか、それは後の時代になってわかってくること。
さなかにいた人々は、皆それぞれに自分のすることをやっていた。

“コロール、ソンソル、トコベイ”でしたことを聞かされたから、義母は父親の死後もがんばって医院を守り抜いてきたのではないか?
自分を保つことは、平時ですら大変だ。
大酒飲みで、女性によくモテたという夫の祖父は、それでも根源的なやさしさや正しさを持った人だったのだろうと想像する。
苦しんでいる人は助けたいという医者の本能。
会うことは叶わなかったが、夫の祖父の心は、義母に受け継がれているのだろうな。


by apakaba | 2015-08-14 13:07 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 08月 12日

ジュリストの卵へ

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法科の学生、長男「ササニシキ」は一日中勉強している。
法曹界を志している息子の顔には、まだなにも刻まれていない。
ただ朝から晩まで、法の勉強をし続けるだけ。
勉強をつまらないと言ったことはないし、面倒だとかつらいとか言ったこともない。
とにかく楽しいらしい。

その無心な姿を見ていると、もと法曹界の大人も、みんな昔はこうだったんだと感慨深くなる。
政治家は法曹界出身者が多い。
自民党のあの人も、民主党のあの人も、共産党や維新の党のあの人も……今の「ササニシキ」のように、若くて未来しか見ていなかった時代が、ひたむきに机に向かっていた時代が、法の勉強がおもしろくて仕方がなかった時代が、あったんだなあ。
テレビに出ている彼らの顔を見ていると、息子の今の姿と重なってくる。
いつから変わってしまうのだろう。
なぜ、こんなに変わるのだろう。

彼らが若くて、希望に燃えて、今のうちの息子のように、まだ顔になにも刻まれていなかった時代を想像すると、母親として、泣きたくなる。
別に私は彼らの母親じゃないけど。
「ササニシキ」も、あんなふうに変遷を遂げてしまうのかなあ。

富や名声は必要以上に追求しなくていいから、今の心を忘れず、実直で、人のためになる仕事をする大人になってほしい。
毎日毎日、うんざりするほど人相の悪い顔をメディアで見せられると、心からそう願ってしまうよ。


by apakaba | 2015-08-12 19:04 | 子供 | Comments(0)
2015年 08月 08日

四谷「レスプリ・ミタニ ア ゲタリ」でフランス時間を過ごす

次男「アキタコマチ」が就職してからは、うちの家族5人がそろって食事をすることは、数ヶ月にいっぺんになった。
次男が行きたいと前から言っていたレストランへ、うちの5人と義父母とで行ってみた。
四谷の「レスプリ・ミタニ ア ゲタリ」へ。
肉の塊を豪快に切り分けてみんなで分けて食べるというのが売りのレストランだという。

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コースの冷たい前菜はトビウオのマリネ。
トビウオをここまでおいしいと思ったのは人生初かも。
じゃがいも・玉ねぎ・にんじんという家庭の野菜三種の神器は、温かい。
冷たい魚と温かい野菜、ささっと食べるのがよし。


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四角いのは豚足と豚耳のガレット、丸いのはモツの入った腸詰め。
かなり癖のある温かい前菜。
うちはもちろん変わったものが大好物なので、この時点ですでに食前酒と、ワイン2本が空だ。
こういうものが苦手な人にはきのこのオムレツに替えられるという。
これも看板の一つらしいが、癖のあるものに邁進する我が家には、ガレットと腸詰めが正解だった。

「この野菜は、セルバチコだよ。」
「アキタコマチ」が教えてくれた。
「ルッコラに似ているけど、ルッコラより野性味があっておいしいでしょう。」
教えてもらわなければルッコラと勘違いしたまま食べてしまうところだった。
料理人と一緒だとこういうところは楽しい。


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これも看板の一つ、魚のスープ。
あなごをたっぷり使ったザラザラした舌触りの野性味あるスープで、ここにグリュイエールチーズを載せた薄切りパンを沈める。
ザラザラしているのは骨も入っているからだろう。
スープというと透明なスープか、生クリームを飲んでいるような滑らかさ重視のスープが多いのに、この力強さはおもしろい。


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ふたり以上の場合、前日までに注文しておくと、メインは塊の肉にすることができる。
乳飲み仔羊、ホロホロ鳥、シャラン鴨、ウサギ、仔牛、イベリコ豚(だったかな?もっとあったかな?)の中から選べるが、人数が多いので仔羊と鴨の二つを選んだ(仔羊が多いので、シャラン鴨ではなく小さめの鴨に変更)。


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豪快なビジュアル。
ローストした羊はその場で切り分け、あとは各自で好きな部位を取る。
野生児の「コシヒカリ」の本領発揮で、迷わず大きな骨付き肉を両手でつかみ、顔をベタベタにしながらいつまでもしゃぶりついている。
あの娘の「骨周り」への執着は人類を超えている。


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見ての通り、付け合わせの野菜は素朴そのもの。
でもおいしい。
仔羊についていたきのこは、また「アキタコマチ」が「これはフランス産のきのこだよ。」と教えてくれたが、いい歯触りだった。


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ワインを3本飲んで、各自食後酒を飲みながらデザートへ。
私と夫は、桃まるごと一個の軽いコンポートの中にアイスクリームの入ったもの。サワヤカ。


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お酒を飲まない義母と娘はさらにサワヤカなフルーツ。


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フランス料理修行中の次男は、もっとも通好みな感じで。
赤ワインのタルト。
食べたことのないおもしろい味! 驚き。


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義父と長男「ササニシキ」は、奥にあるつややかなオペラ。
「アキタコマチ」は、「勝負に出ている……! こんなに苦いチョコレートはなかなか使えない!」とまた驚いていた。

おもしろいお店だった。
大人数で行って、大きな肉を取り分けて食べるという形式は盛り上がる。
コースの組み立てとしては、ふたつの前菜とスープからすでに相当どっしりしているので、よほどの大食いでないと、重く感じるだろう。
さすがの我が家でも食べきれず、残りの肉を持ち帰った。
しかし、一皿一皿の気合の入り方が、そこらへんの軟弱なフレンチとは段違いのレベル。
イマドキの、見た目がちょこまかキレイで、やたらと軽めで甘くて冷たい前菜(泡立てたりムースだったり)は飽きる。

一皿ごとに、確実にフランスを思い出させるものを持っている。
盛り付けの素朴さや大胆さ、「日本人」の好みにおもねらないところがいい。

そして駆け出しとはいえプロのフランス料理人が一緒だと、いろいろ教えてくれるので楽しい。
自分だけなら「食べたことない。なんか、おいしーい」で終わってしまうところだ。
義父母の支払いなので孝行ともいえないけれど、老夫婦ふたりで食事していれば盛り上がりようがないものを、こうして大人数でドカドカと食べるのは、やっぱり幸せなことだろう。
そういう会食に最適の店だ。
楽しい夜を過ごせた。
「男フレンチ」の異名をとるレストランだそうだが、よくわかった。
飾り気なく、味に妥協しない、フランスのフランス料理そのものだった。


by apakaba | 2015-08-08 12:09 | 食べたり飲んだり | Comments(0)
2015年 08月 03日

蔡國強展「帰去来」

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横浜美術館で開催中の「蔡國強展:帰去来(特設サイト)」へ行った。
4年前、たまたま入った香港大学美術博物館(私の書いたエイビーロード内の案内記事はこちら)で、初めて蔡國強の作品を見た。
まったく知らなかったアーティストだが、彼目当てで来たわけではないのに、不思議と強い印象が残った。
それから3年して、名古屋市美術館でも、またたまたまこの人の作品が一点だけあったのだ(名古屋市美術館探訪記)。
そのときこうメモを取った。
・ツァイ・グオチャン(蔡國強)「葉公好龍」
香港大学の美術館で、この人の企画展を見た。大判の紙を火薬で焼いて、龍を表現するという発想のおもしろさ以上に、東洋的な美がはっきりと現れている。作家のことを何も知らなくても、一目で東洋人とわかるのだ。」

2回とも偶然見かけて、知識がまるでないのに強く惹かれた。
私は、絵画展などに行っても有名な画家の絵をとりあえず熱心に見る、典型的な素人だ。
素人の目から見ると、さして有名ではない画家の絵は、ほとんど琴線に触れてくることがない。
もちろんそれが作品の力によるという理由が大きいのだろうが(だからこそ有名な画家になるんだし)、蔡國強を見たとき、予備知識がまるでない状態でも「この人はもしかしてとんでもない人なのでは。私だけが知らないのでは」としか思えないほど惹かれた。

初めて個展に行ってみて、やはり自分の4年越しの勘は当たっていたとわかった。

中国福建省泉州市出身の蔡は、日本に9年間住んでいた。
現在はニューヨークを拠点として活動しているが、日本にもひとかたならぬ愛情を示してくれている。
火薬を使った独特の手法を用いることで知られる。
中国は昔から花火の技術が発達しており、それが日本にも持ち込まれて、西洋にはない繊細で芸術的な花火に発展した。

蔡の作品を見るとき、もう火薬のにおいはどこにもしないのに、どこか鼻腔をくすぐる火薬のにおいをさがしてしまう。
それは中国と日本に共通する、花火の記憶だ。
以前、蔡の作品を見て、作者を知らないのに「東洋的」と直感したのは、これによるのだろう。
同じ東洋人の血を、強く感じた。

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「人生四季」という4連作は、なぜか僧侶と尼僧に見える一組の男女の性行為を、四季を表す風景のモチーフの中に描き、火薬の爆発で彩る。
夢の中の一場面のように美しいが、どこか禍々しさも宿る。
とくに火薬の「赤」に。
蔡は、この作品で初めて色鮮やかな火薬を使うことを試したという。
「赤」は、結合する陰部と求めあう唇の上で爆発する。

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「春夏秋冬」は、蔡の故郷である福建省泉州市にちなんだ作品だ。
泉州市は磁器の生産地だという。
白いタイルに、四季を表す植物や生き物をかたどったレリーフを作る。
それを火薬で爆発させ、真っ白だったタイルはところどころが黒く染まる。
四季がある国はいいなあとつくづく思う。
その、四季を表す、本物以上に繊細な極薄の花びらの美しさに、目を近づけて見とれる。
しかしところどころが火薬の爆発で黒ずんでいる。
もしも真っ白のままだったら、どんなにか心洗われる美しさだっただろうに……、黒ずみをまとったことで、レリーフはまったく別の表情となる。
不吉さ、逃れがたい死の影、流れていく大気、流れていく時間、レリーフに刻まれる黒ずみが、見る人によりさまざまなイメージをかきたてる。

この「春夏秋冬」と合わせて、同じ部屋の中央に、「朝顔」という作品がある。
藤蔓にテラコッタ製の朝顔をつけて吊り下げる。
朝顔は火薬で焼かれ、黒ずんでいる。
この部屋はそのまま中国の五行思想と重なる。
「木(春)」、「火(夏)」、「金(秋)」、「水(冬)」に加えて「土(季節の変わり目)」という五元素がそろっている。
中国の偉大な思想が、創作の根底にある。
自分のルーツを深く見つめている表現者だとよくわかった。

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「壁撞き」は火薬を使わず、狼のレプリカを99体使った壮大な立体作品だ。
ガラスの壁に次々に突進しては倒れ、また壁に挑戦していく。
メッセージがややストレートすぎるように私には感じられた作品だが、99という数が中国の道教では永遠を象徴する数だと知った。
やはり、蔡は中国人というルーツを見つめるアーティストである。

なによりも感動したのは、むしろ2本のビデオだった。
ビデオ「帰去来」では、この個展のための制作風景を、「巻戻」では蔡のこれまでの作品と半生を、現在から誕生まで時間をさかのぼって自らの語りで紹介している。
この2本は繰り返し見てしまった。

「帰去来」では、蔡は日本語を使って語りかけてくる。
母語を使わず、あえて(十分にうまいとはいえ)少したどたどしさのある日本語で日本人に語ってくれることで、真剣さが伝わる。
彼のアートへの情熱と、中国人として日本と関わることの使命。
「(中国)政府だけが中国の姿ではない。アーティストなら、“秩序”の中と外を往復できる。」

「巻戻」は、感動で何度か涙が出た。
火薬を使った大仕掛けのアートを次々と紹介していくが、壮麗なイリュージョンは、蔡の強靭な意志があって初めて思想性を帯びる。
広島の原爆ドームから打ち上げた、「黒い」花火。
青空に真っ黒な爆発が起こる(これにはグッときて泣いた)。
911後のニューヨークに打ち上げた、虹色の花火。
ニューヨークを第2の故郷と言う蔡が、悲嘆に暮れるニューヨークの空に虹をかけた。
ブラジルの未成年者に向けた、教育プログラム。
彼らに大砲を作らせ、「火薬は危険なもの。人を傷つけるもの。しかし使い方を変えれば、アートになる」と、爆発物の新たな可能性を示す。

蔡はいわきにも住んでいた。
原発事故後、蔡はチャリティーで集めたお金を、復興のために寄付しようと考えた。
いわきの人々は、そのお金を「いわき万本桜プロジェクト」に使いたいと言ってきた。
「最初、私にはその意図がわからなかった。けれど、一緒に植樹してみて理解した。ここで暮らすと決めた子供達のために、いつか、桜色に染まった大きな海のような山が、遠くからでも見えるように……」
ここでまた落涙。
世界を股にかけた派手な活動のために批判も多い作家だが、この語りだけはともかくほんものだと思った。

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大量の火薬を爆発させるイリュージョンを、映像ではなくこの目で見られたらなあ……
どんなに興奮するだろう!
次々に映し出される爆発の映像を見ながら、もくもくと湧き上がる煙も、鼻を打つ火薬のにおいも、腹に響く爆発音も、皆、たった一度の芸術なのだと思っていた。

映像を見ながら無意識にメモしていた。

「一緒に煙のにおいを吸い込む。
音を聞く。」

どうしてこう書いたのか、思い出せない。
アーティストでありイリュージョニストである蔡は、自由自在に火薬をあやつる。
だが、火薬は常に偶発性と隣り合わせだ。
大掛かりなものほど、成功するかしないかは不確かになる。
爆発に向けて、たった一度の芸術に点火するときの、蔡の鼓動が聞こえる。
うまくいくか?
蔡はすべてをあやつるが、点火したらあとは観客と一緒に、見守る側の立場となる。
だから、私たちは、蔡と「一緒に煙のにおいを吸い込む。音を聞く。」のだ。

個展としては点数が少ないが、火薬の爆発という作品の性質上、仕方がない。
2本のビデオ映像は必見。
本人のウェブサイトで当展覧会の作品の写真を見られる。


by apakaba | 2015-08-03 18:26 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)