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2015年 11月 30日

見た夢をそのまま書いてみる(“佐藤”)

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本文とまったく関係ないけど、ある日の夜に次男が作ってくれたおつまみ。
焼きねぎ。
私が作るときはだしでひと煮立ちさせて焼き浸しにするが、これは塩胡椒と酒だけ。
包丁の入れ方がプロだ。美しい。



夜遊びがたたって眠い。
眠くて原稿書きができず、ちょっとだけ寝ることにする。
居間で椅子を3脚つなげて横になって寝る。

夢の中で、同じように居間で椅子を3脚つなげて寝ている。
インターホンが鳴り、起きたくないから無視しようかとも思うが、配達物だと再配達が面倒だ。
毛布を抱えてよろよろ起き上がり、「はい」と寝起きそのものの不機嫌な声を出してみる。
小さく、高めな男性の声がする。
「佐藤です」と言う。

「佐藤ですが、はい、どうも。ちょっと、出てきてくださいね。」
そんなこと言われて出るわけがない。
こんな声の佐藤なんか知らない。
やわらかくて、でも有無を言わせない図々しい話し方。
「はあ。なんですか。どういうご用件ですか。」
「ええ、出てください。お話があるんで……佐藤ですが……ええ、こっちから行きますね。」

「あのーなんですか? どういう……」ガタッと玄関で物音がして、飛び上がる。
“佐藤”がインターホンを切り、家のドアを開けて、勝手にもう上がりこんでいる!

玄関から続く廊下に立った佐藤を見て戦慄する。
地味なスーツにコート、山高帽に似たデザインの黒い布の帽子を、すでに脱いで右手に持っている。
丸い大きな目が薄暗い廊下できらっと光り、笑うわけでもなく私を見た。
佐藤は30代くらいのようだ。
こいつは泥棒なのか?
私に何か危害を加えるつもりで、一人でいる時間を狙って来たのか?
目的はぜんぜんわからないけど一つだけはっきり言える——この男は、私の味方じゃない。

ずかずかと廊下を進んでくる佐藤を振り切ろうと、居間へもつれる足で逃げる。
なぜかインターホンを取り上げて叫ぼうとするが、それはあまり役に立たないとわかってインターホンの受話器を収め、窓を開けて「助けて!」と叫ぼうとするが近所には聞こえないだろうとも思う。
テーブルの上の携帯電話を思い出してそれで110番通報をしようとする。
しかしたった3個の数字をプッシュすることができない。
怖くて、手ががたがた震えて、指が定まらない。
そうこうするうちに、居間の入り口まで佐藤が歩いてきて、丸い大きな目で私を見据える。

携帯電話を握ったまま絶望する。
居間の中に佐藤が進んでくるまでのわずかな時間に、地団駄を踏むばかりに後悔している。
なぜ、玄関の鍵を閉めておかなかったんだろう。
私はいつも玄関の鍵を閉めない。
朝、家族が出かけると、自分が家にいる限りは夜の戸締りまで鍵は開けっ放しだ。
それを「なぜ、なぜ、なぜ」と後悔する。

そこで起きた。

久しぶりの、本当に怖い夢だった。
コーシローがストーブの前で寝ていて、コーシローはなぜ夢の中でなんの役にも立たなかったんだろうと少し考えた。
でも私の夢だから、私が番犬としてのコーシローになにも期待していないんだなと思った。
でもこれからは玄関の鍵はかけておこうかなとも思った。


by apakaba | 2015-11-30 13:03 | 生活の話題 | Comments(2)
2015年 11月 16日

「パリ同時テロで思うこと」から一夜明けて思ったこと

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1999年、イスラエル、死海。
イスラエルは歴史もものすごいけれど、自然もものすごい。
塩分が濃く、目や鼻粘膜を刺激される。
永遠の憧れ、イスラエル。

きのう、「パリ同時テロで思うこと」を書いた。
そのあともニュースサイトやSNSを読んでいるうちに、私の考えは完全にまちがっていたとわかった。
いや、書いたこと自体はまちがっているとは思っていない。
「人間は同じだ」と言いたかった、それは別に引っ込めるつもりはないのだけど……思惑が外れた。

イスラエルがいかに非人道的なことを自国や中東でしているか、アメリカを始めとする有志連合が、空爆によって一般市民を巻き添えにしているか、それは誰でも知っていると思うし、多くの人はそのやり方に反対もしくは疑問を持っていると思う(そう信じたい)。
私は、むしろ「たしかにこれらの国がしていることはひどいけれど、でも、そんな国でも、行ってみるとみんなやさしい」ということを言いたかった。
フランスもイスラエルも、アメリカもイギリスも。
完全に悪い国なんてなくて、遠くからだと、その国の悪い部分、まちがったことばかり目につくけれど、中に入ってみればいい面もたくさん見えるんだと。

私は、日本人がシリアなどの国をかわいそうに思うあまり、フランスがテロ攻撃を受けても、日本では「有志連合で空爆していたんだから自業自得だし」と冷たい視線しか向けられないのではないか?と考えて、いわば先回りして、きのうの記事を書いたのだった。

でも、twitterやFacebookを追っていると、「ほとんどの日本人はフランスに親しみを感じているからことさらにトリコロールを掲げて哀悼の意を示すけど、シリアなどで何人殺されようと、そんなことはしないくせに」と、思ってもいなかったことで、人々は猛烈にイライラしていた。
あれれ。
そんな反応があるとは、思いもよらなかったよ。
取り越し苦労でしたよ。
え、みんなそんなにフランスが好きだったの?!
私は、「いや〜フランスもけっこういいとこあるよ。人が死んだのだから、空爆もやっているけど、政治とは別に一般市民を悼もう」というつもりできのう書いたのに。

人の心ってすれちがうのね。
きのう「人の心を荒らし、人の心を分断する」ことがテロだと書いたけれど、まんまと日本の(私の)タイムラインは荒れている。
どうしてそんなにトリコロールにイラつくんだろう?
「そもそもトリコロールという国旗の成り立ちは云々。だから哀悼にふさわしくない」とか言い出す有名人も出る始末。
窮屈すぎる〜。
悪いがただの逆張りにしか見えない。うーん、悲しい。

もしも、将来、日本に同じことをされたら。
そして、どこかの国のSNSで、「日本は親米路線を強めすぎたからテロの標的になった。日本の死者よりもっとたくさんの人が日々死んでいるのに。」とか議論されていたら、げんなりだなあ〜。

東日本大震災後にネットを見すぎて、長く情緒不安定になっていた。
こういうときはあまり一生懸命いろんな意見を知ろうとしすぎないほうが賢明かと思えてきた。
きのう書いたとおり、きれいごとで空疎に響くかもしれないけれど、私はやっぱり私の旅の経験を信じようと思っちゃった。


by apakaba | 2015-11-16 18:11 | ニュース・評論 | Comments(2)
2015年 11月 15日

パリ同時テロで思うこと

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1999年、パリ、オルセー美術館


パリの同時テロはとても悲しい。
パリのテロに関して、twitterやFacebookを追っていると、いろんな意見があって疲れてしまった。
こういうとき、最後に戻ってくる拠り所は、結局、自分の旅の思い出。

私は、現在のアメリカ・イスラエルの同盟関係や、軍隊のやり方に反対している。
心情的には完全に中東の、イスラムに肩入れしている。
それはヨルダンやシリア、その他の国のムスリムの人々から、涙が出るほどの親切を受けて旅をしてきたからだ。
旅の途中、宿がない、道がわからない、英語が通じない、いろんなことで心細くて困り果てていたとき、いろんな形でムスリムの人々が助けてくれた。

でも!
旅の途中で、私にやさしくしてくれたのは、ムスリムだけじゃなかった。
ヒンドゥーも、仏教徒も、ユダヤ教徒も、クリスチャンも、シーク教徒も、どの人たちも、旅人の私に、圧倒的にやさしくしてくれた。
悪の権化のようなイスラエルでも、ユダヤ人はやっぱり明るく気さくで、やさしかったのだ。

私は、旅の中で人からひどい目に遭わされたことがあまりない。
いや、ちょくちょく遭ったかもしれないけれど、忘れてしまう。
でも親切にされたこと、いっしょに笑ったそのときのことは、ずーっと覚えている。
だから、どの国も行けば等しく好きになる。

フランスへは、90年代終わりから2000年代始めにかけて、立て続けに行った。
フランスで、嫌な思いをしたことが一度もない。
きっと住んだりすればそれなりに嫌なこともあるだろうが、通り過ぎるだけの旅人には、彼らは猛烈にやさしかった。
やさしくて明るくて英語が下手でテキトーで、フランス人はいいなあという思い出しかない。

完璧な国家などない。
日本もさまざまな問題を抱えていて、やるせない気持ちや怒りを覚えることは多々あるけれど、私は日本が一番好きだから、生まれ変わっても日本人がいいし、日本に暮らしたい。
どの国へ行っても、「少しなら住んでみたい」と思う場所はあるけれど、「ここに骨を埋めたい」と思ったことはない。
どの国もいいところと悪いところがあって、すごく乱暴にいうと、その意味ではどの国も「同じ」に見える。
人が生きているという点で、そっくり同じに見えるのだ。

パリのテロに対して哀悼の意を積極的に示すことに、違和感を覚える人がいる。
「中東ではもっとひどいことが日常的に起こっているのに」「フランスに親近感を抱くのは内なる差別だ」と。
その意見もわかるけれど……でも、私には、フランスで今、恐怖と悲しみのどん底に突き落とされた人たちと、他の国々の苦しみはまったく同じ重さに見える。
フランスでも、他の国々でも、私が旅の途中で受けた親切や笑いかけられた数は、まったく同じだったから。
人の心を荒らし、人の心を分断する。
それこそが、テロリストの思う壺ではないのか?

人は生きている。
人間は同じだ。
どんなに空疎に響いたってかまわない。
これが、私が長年旅をしてきてたどり着いた、拠り所だ。


by apakaba | 2015-11-15 17:54 | ニュース・評論 | Comments(0)
2015年 11月 11日

歌舞伎座吉例顔見世大歌舞伎、夜の部連続ツイート

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ある日の散歩道。
歌舞伎、そして自分の人生の、来し方行く末を思う今月


11月7日、歌舞伎座夜の部、江戸花成田面影。堀越勸玄初お目見得。想像よりはるかに小さくて、花道から出てきたとき「あれ?いない?」と本気で思った。海老蔵が黒い袴を着けているものと……海老蔵の腰にまで届いていない小ささ!仁左衛門、菊五郎、梅玉、藤十郎、染五郎、松緑を従えての挨拶。(続

2)夕方の2歳児なんて大抵は機嫌が悪いものだが、勸玄くんは難しげな表情ながらも頑張っている。しかしこの子が大役者になり、団十郎になったとき、私はこの世にいないであろう。そう思うと大喜びの観衆の中で寂寞たる気分になる。これから長くがんばってね。仙石屋敷、梅玉の伯耆守は前半若干(続

3)バタバタしているが、人のよさが印象づけられる。それにしてもこの話、ほんとつまんない芝居ですね。仁左衛門が大石じゃなかったら最初から最後まで熟睡だわ。でも仁左衛門だとたわいもなく感動してしまう。でももっといい演目がよかったなあ。だいたい、日本人はみんな忠臣蔵が好きだけど私は(続

4)それほど好きじゃない。仮名手本忠臣蔵で見て、初めて面白いと思うくらい。勧進帳、おそらく全演目中最もいっぱい見ている歌舞伎。また見てしまいました。幸四郎弁慶には、ええ、さまざまな思いが胸を去来しましたね。思えば初めて幸四郎弁慶を見たとき、彼は今の私くらい。働き盛りの年齢で、(続

5)そりゃ元気もあったわけだ。今あの衰え果てた弁慶を見て、これが幸四郎という役者なんだと。昔の幸四郎弁慶は、いちいちエッジが立っていた。そのキラリと光る瞬間の一つ一つを覚えていて、「またあれをやってくれ。あ、やってくれた」と楽しかった。古典的な歌舞伎が好きな向きからはバタ臭い(続

6)とかくどいとか言われていたが、あれはやっぱり魅力だった。でも今すべてのエッジは消え去った。義経に手を差し伸べられ感激して舞うところ、吉右衛門弁慶の目の先は遠い遠い道程を見ていた。幸四郎の目はなにも見ていない。濁った目の先には、俺はそれでもまだ幸四郎であり続けるという執着が(続

7)あるのか?もう染五郎を幸四郎にしてやれ〜。しかし、染五郎は幸四郎と同じ幸四郎にはなっていかないんだろうなあ。富樫よかったぞ。今までで史上最高の富樫は吉右衛門、その次くらいによかった(ついでに松緑のメイクは罰ゲームのようではないか?)。大幹部がそれぞれの境地に達している中、(続

8)幸四郎の老いを晒す弁慶は、あれはあれで彼の芸の到達点なのかもしれない。なんともいえない「業」を感じ、ただダメな弁慶を見たという嫌な気持ちではなく、大きく人生というものを突きつけられる。幸四郎という役者、私はどっちかというと好きだけどね(えへ)。ああいうどうしようもない人。(続

9)河内山、黙阿弥最高!先日、近松の芝居を現代劇で見たが、やっぱり義太夫の完成度が黙阿弥とは比べ物にならない。「名台詞」とは黙阿弥のためにある言葉。初役海老蔵、よく似合っていた。海老蔵はある意味始末におえない役者で、嵌るときは他の追随を許さない嵌り方をする。だがたいてい滑る。(続

10)嵌る嵌らないの振れ幅が大きすぎ、見る方はビクビク、共演者はさぞ恐ろしいだろう。彼はああいうペラペラな男が似合う。人生の苦悩とかは無理。それにしても十一代目に生き写しだ。今回は勸玄から幸四郎までを一気に見て、歌舞伎という芸能の大きな一つの時代に立ち会っている感慨を持った。(終


by apakaba | 2015-11-11 17:13 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 11月 06日

『早川千晶と大西マサヤのケニアン・ナイト!』 ――ケニアのスラムで子ども600人育ててます!/伝統太鼓「ンゴマ」で弾けろー♪

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森優子さん手書きのメニュー。
ミスをぐちゃぐちゃと線で消してしまうところは私とそっくりよ


旅行雑誌『旅行人(現在休刊)』を唯一の心の糧として生きていた90年代、当時の執筆陣のお名前は、忘れようにも忘れられない。
あのころ連載を持っていた方々は、珠玉の書き手ぞろいだった。
ケニアで暮らす早川千晶さんの連載ページは、アフリカの湿気のないカラッとした風が吹いてくるようだった。
行ったことのないケニアの風景や人々の描写は、住んでいるからこその、あふれる情愛と醒めた視線が交互に現れる名文だった。


20年あこがれた早川さんが、なんと阿佐ヶ谷(ナイロビに較べて、ち、近い!)でトークをしてくれるとは!
それも司会は、こちらも私が90年代からの大ファン、森優子さんと、このかたも超名文家の片岡恭子さんだ(皆さんのプロフィールは上のリンクを見てね)。
しかも大西マサヤさんというケニアの伝統太鼓「ンゴマ」奏者による生演奏も!
さ、最高すぎる。

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これが限定メニュー。
「スクマウィキ」とは「一週間をのりきろう!」という意味なんだって


早川さんがステージに現れた瞬間に、そのお顔に見とれた。
誰もがいっぺんで好きになる笑顔!
顔の、隅から隅まで、どこにも「翳り」「憂い」ががない!
青空のような、太陽のような、平凡きわまりないけどそういうど真ん中のたとえが似合う人!
笑っていても、どこかに敵意や悪意を感じる表情。
どこかで相手を探っているような表情。
そんな笑顔をする大人は多い。
それなのに、私のひとつ年上だという早川さんは、なんて、なんて、なんて明るい顔なんだろうか。

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しかし、その笑顔が底抜けに明るいのは、早川さんがたんに明るい人だからという単純な話ではない。

早川さんは、ナイロビにあるケニア最大のスラム「キベラスラム」で、子供に教育を受けさせるための寺子屋をつくり、現在は600人の子供がその学校「マゴソ・スクール」に通うまでになっている。
ケニアという貧富の差が激しすぎる国では、本来なら国の宝であるはずの子供と若者が教育を受ける機会を奪われ、それどころか生活の基盤すら奪われてしまっている。
キベラスラムには、国内外からやってきた100万人の人が暮らしていて、その半分は子供、20代の若者を含めると、住民のうち実に80パーセントを、子供と若者が占めるのだ。
ケニアにとって、アフリカにとってなんという損失。
飢えと寒さを忘れるために、手に入れたわずかな現金でシンナーを買い、心身を壊していく少年や、たった17歳で早川さんに向かってピストル強盗を働こうとした少年(その少年は裁判なども受けずに銃殺される)。
トークでは語られなかった、さらにつらく苦しい体験が、まだまだ山のようにあるにちがいない。

つらく苦しいことと、幸せで楽しいことがたくさんあって、それであの太陽のような笑顔になっていったのだな。

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大西マサヤさんの太鼓「ンゴマ」は、やっぱり明るかった。
初めてケニアの太鼓を聴いたが、もっとポコポコとつかえる感じの音を予想していたら、音がポーンと空に抜けるように響き渡り、それがケニアのお話にぴったり似合っていた。
スワヒリ語でくりかえし「ハランベ」「ハランベ」と歌われていて、その言葉は甘く懐かしかった。
ああ、『旅行人』の連載の中で、よく見た言葉だ……。

人はどこが「彼の地」となるのか、そこを彼の地と決めるのか。
若い頃、世界をまわった早川さんにとって、彼の地はケニアだった。
私の友人にも、日本国内や世界のいろいろな場所を自らの旅の終焉の地と決めて、暮らし始める人が何人もいる。
なぜ「ここだ」とわかるんだろう。

でも私にとっては、きっとここ、今いる場所だと思える。

自分とほぼ同い年の早川さんと自分が過ごした、この20年の年月を考えていた。
もっと別の生き方もあった……と、思うときがある。
とくにここ何年か、その思いが強かった。
けれども、ケニア最大のスラムで子供の教育を考えて行動している早川さんと、スケールはぜんぜんちがうけれど、私や私の友人も、皆、子供の教育の大切さを知っていて、自分に与えられた場で子供に関わろうとしているのは、同じだ(「4年たって、決意が固まってきた」へ)。




そんなことを考えていたら、マゴソ・スクールの子供達が、スラムで歌う映像が流れた。
「みんな問題を抱えている、子供たちはみんな困ってる」という歌詞に続き、「マリの子供たちも」「タンザニアの子供たちも」「ウガンダの子供たちも」などアフリカ諸国の名前が挙がり、そこにひょこっと「日本の子供たちもきっと困ってる」と出てくるのだ。

とてつもなく大きなことをしている人を前にすると、たいてい、「それに較べて私なんか、なんにもしてこなかった」というむなしい気持ちになることがある。
ところが早川さんを見ていると、1歳しかちがわない同性がこれほどスケールの大きなことをしているのに、そんなむなしさや、敗北感や嫉妬心など微塵も湧いてこないのだ。
その逆に、「私も、私の場所で、しっかり幸せに生きるよ! 今、自分がやっていることは、まちがってないんだ。」という、大きな“自己肯定感”に包まれるのである。
見ず知らずの他人にこんな感覚を抱くことはめったにない。
それほど、早川さんの笑顔は大きく明るい。

本当にすばらしい旅人の夜だった。
このトークを開催してくれた森優子さん、片岡恭子さん、ありがとうございました!


by apakaba | 2015-11-06 21:35 | 旅行の話 | Comments(2)
2015年 11月 05日

「ササニシキ」の誕生日パーティー

最近このブログ、「誕生日パーティー」の話題がやけに多いと思いませんか。
うちは5人中4人が秋生まれなので、9〜11月はパーティーラッシュなのだ。
きのうはその最後、「ササニシキ」の誕生日パーティーをした。
ほんとの誕生日はまだだが、なにしろ全員がそろうことが非常に難しくなっているので、日が近ければ決行するということで。

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おいしうございました。
次男「アキタコマチ」の作ったごちそう。
シャラン鴨!
乳飲み仔牛!
勤め先のレストランの仕入れ先から、うまく手に入った!
手製のパテと、かぼちゃとにんじんのピュレも、手間をかけたプロの味!
湯引きした鯛をあえたオレンジ入りのサラダも、おいしうございました。
すごいなあ。こんな手の込んだフランス料理を、短時間に作れるようになってしまって。

「コシヒカリ」からのプレゼントは、膝掛け。
パーティーが急に決まったのでプレゼントの用意を焦ったという。
「クッションにしようかなあと思っていたんだけど。」
というので、
「だめよクッションなんて、ただでさえひどい有様なのに、物を増やすと、あいつの部屋がまた散らかるから。」

「うん、でもあの人クッションが好きなの。わたしの部屋に来て、わたしのスヌーピーのクッションを勝手に使って、『おれの一番好きなクッションを貸せ』とか言ってくるから。買い与えようかと。」
「ふーん、きょうだい仲いいねえ。」
「仲よくないでしょ……今の会話のどこが仲いいのよ……」
変な兄に振り回されながらも、ちゃんとプレゼントを買うところがえらい。
「ササニシキ」は、もらったとたんにその膝掛けをよだれかけのように(布団をかけるように)首からさげていた。

「アキタコマチ」からのプレゼントは、生まれ年のシングルモルト。
最近、スコッチが大量に家にあるので、あまりあれこれ開けずに、そのボトルをみんなで眺めながら、グレンフィディックのカオランリザーブを高校生以外の4人で飲んだ。
これが終わると、もう次の誕生日は7月までないので、一段落。
「ササニシキ」も24歳かー。
アホの子のままこんな年齢になってしまったが、私は24歳でもう「ササニシキ」を生んでいたのに!

「ササニシキ」の友達は、みんなもう大学を卒業して働いている。
「おれの誕生日に、『アキタコマチ』のレストランでパーティーをしようって言われてたんだけど。」
「あの店は社会人1年目の子がディナーで食べられるような安い店じゃないよ、無理無理。」
「うん、だからおれも無理だって言った。」
「もっとカジュアルなビストロとかかと思ってるんじゃないの? まあお前も早く出世して、おかーさんに孝行してくださいよ。『アキタコマチ』の店で食べさせて。」
「ん。」
「わたしの結婚式を『アキタコマチ』お兄ちゃんのお店でやろうかなあ!(「コシヒカリ」)」
「ササニシキ」の出世、「コシヒカリ」の結婚、「アキタコマチ」の店に行くのにいったいいつまで待てばいいのか。

今年、5人のパーティーに「アキタコマチ」が作った料理はこちら。


なんだかんだと、主役は「ササニシキ」のような気がするが。


by apakaba | 2015-11-05 14:24 | 子供 | Comments(0)