あぱかば・ブログ篇

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2015年 12月 31日

今年、猛烈に取り組んだことは?〜ドストエフスキー熱再燃

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下鴨神社のお屠蘇!


今年は私にとって、「ドストエフスキー熱再燃の年」だった。
詳しくは上記のブログを読んでいただきたいが、このときの議論にいたく感銘を受けて、亀山先生の本を読んでみようと思ったのだった(公式ページはこちら→『カラマーゾフの兄弟』からチェルノブイリへ ──ロシア文学と日本社会)。

年が明けてから半年ばかり、私の読書はドストエフスキーの『悪霊』とその関連書籍一色になった。
『悪霊』はたしか大学生のころに読んだが、亀山訳で読み返した。

悪霊1
悪霊2
悪霊3
ドストエフスキー『悪霊』の衝撃
悪霊 別巻—「スタヴローギンの告白」異稿
『悪霊』神になりたかった男

すべて亀山先生の訳あるいは著作である。
『カラマーゾフの兄弟』が亀山訳で出た時、さっそく読んでみたことがある。
2008年に読んだ本、Best10! その3に感想を書いたが、 どうも亀山訳は軽い感じがしていた。
しかし、『悪霊』にはそんな印象は受けず、再読でもひたすらおもしろかった。

それから、今年の7月、ふたたび亀山先生と東浩紀氏のトークイベントに参加した。
「悪霊」が世界を徘徊している ──ドストエフスキーで読む現代という名前のイベントだったが、 内容は『カラマーゾフの兄弟』など他の作品や、現代ロシアと日本の病理についての議論で、これまたぞくぞくする楽しさだった。

他にもいろいろな本を読み、今年最後の読書、年内に読み切れず来年にまたぎ越す本はなにがいいかと考えていた。
亀山先生が初挑戦されたという小説を、読んでみようかなあ……
亀山先生が、昨年のトークのときから「書いている」とお話ししていた。やっと出たのだ。
まるで今年のテーマのように、ドストエフスキーに貫かれた今年をしめくくるのにふさわしいと思い、長編だけれど数日前から読み始めた。
その名も『新カラマーゾフの兄弟』。
『カラマーゾフの兄弟』から本歌取りしているものの、入れ子細工のように複雑な構造をなす小説である。
まだ13%しか読んでいないが(Kindleなので%表示になる)、かなり引き込まれる。
亀山先生は批判されることの多い研究者だが、二度じかにお話を聞いた印象では、知的な静謐さの下にギラギラした激しい異常性をあたためている方のようにお見受けし、とても好きになった。

誰でも同じだと思うが、読みたい本というのはきりがなくあるものだ。
しかし体はひとつで時間は24時間だから、読める本の数は限られている。
「今年はこれに集中した!」と言い切れる読書も、ひとつの方法かなあと思った今年。

だがドストエフスキーは中毒性が高い。
ひとつ読むと、もっともっと読みたくなる。
高校から大学生のころ、まさに流行り病いにかかったように読みふけった。
若い頃に読んでも、新訳でまた読み直したくなる。
来年、きっと亀山訳で『未成年』を読むだろう。
そしてきっと3回目の『カラマーゾフの兄弟』を読むことになるだろう。
そのとき、昔の原卓也訳と、亀山訳とどちらを選ぶか、今から悩んでいる。


by apakaba | 2015-12-31 18:08 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 29日

老いては子に従ってみる年末

今年になって、去年とは最も大きく変化したことは、次男「アキタコマチ」が就職したことだ。
子供のころからなんだかんだと家のことをやってくれていた次男がパタッと家からいなくなったのは、家にとって甚大な損失。

昔は調子に乗りやすく、地道な努力を避けて通りたい性格だった。
もともと才能のある人間だと思っていたが、実直さ、勤勉さがなければ、いつか伸びなくなる。
彼がつまずくとしたらそこだと思っていた。
しかし、高校、専門学校、アルバイトといろいろな場で揉まれるうちに、まったく変わった。
自ら進んで一番難しそうなことをやってみるようになった。

思うとおりの仕事に就けて、尊敬するシェフとスー(副)シェフから責任ある仕事を任されるようになると、さらにプライドと自信がついてきて、結果的に実直さも身についてくるのだった。
親が育てなくても、環境が育ててくれるというのはあるのだな。

ところで、我が家にはもうひとり男子がいて、それはまだ学生で、完全に家族のお荷物的な長男である。
お荷物の贖罪なのかなんだか知らないが、長男「ササニシキ」は、大学に入った年から、年末には毎年恒例「冬の大感謝祭」と称して、家族に肉を買う。
それを次男「アキタコマチ」が調理する。
今年は、なんとシャラン鴨!!!!!!!!!!
勤め先のつてで、安く手に入れることができた。
そして黒トリュフのカタマリも!!!!!!!
今までの大感謝祭とは、レベルが、ちがーう!

「おかーさん。オレ今年は本気出すから。ソースもきっちりフレンチの作り方でやるからね。今までみたいに、バルサミコ酢とかでちょろちょろっと作ったようなソースじゃないよ。ガルニ(ガルニチュール。付け合わせのこと)も全部考えてある。ああ楽しみだ。やるぞ!」
何日も前から、ものすごい気合いだ。
あれだけ毎日毎日フランス料理を作っていても、それでもまだまだ作りたいのか。
店と違って、自分ひとりですべてメニューを組み立てることを、試してみたいのかもしれない。
根っから料理が好きなんだなあ。

さらに、
「大掃除もおせちもみんなやるからね。おせちは気合い入れるよ。だからおかーさんは29日までには食材と調味料をちゃんと全部そろえておいてね。30日になってから、あれがないこれがないと言って走り回ったら時間がないよ。29日の夜には昆布と椎茸を戻してね。身欠きニシンを戻す米のとぎ汁も取っておいてね。おかーさんがやるのはそれだけでいいから。」

テキパキと指示されて、心中で「しまった。毎年、あれがないこれがないとギリギリまで走り回ってる。そして米のとぎ汁は毎年取っておいてなくて慌てる。ごめんなさい」とぺこぺこする。
すごいなあ。
小さいころからおせち作りを手伝わせていたとはいえ、毎年バタバタする私よりよほどベテラン主婦みたいだ。
やっぱり料理に対する集中力の差だろう。


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私も人並みには料理できるんですよ。
きのうは、たらのトマト煮スパゲッティー。
あらを買ったので、卵つき。
あらだと目玉やえらも入っていて、宝探しのように楽しい。


毎年、料理が苦痛でたまらなかったが、今年はプロ料理人投入で、年末年始が楽しみ!
買い忘れがあって怒られないように、買い物だけはきちんとするつもり。
この家族の年越しがいつまで続くのかわからないけど、長男が肉を買って、次男が料理して、みんなで食べる年末を、今年もまたできる。


by apakaba | 2015-12-29 15:41 | 子供 | Comments(0)
2015年 12月 26日

イスラエルで会った子供の写真

子供が好きで、旅行中もよく子供の写真を撮る。
今年もやはり、たくさんの子供が死んでいき、体と心に深く傷を負い、住む家と家族を失った。
1999年、イスラエルに行き、いろんな子供を撮った。


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エルサレムで会った子供。
だいぶ薄汚れているからアラブ人の子供だろう。
ずっとくっついてきた。


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同じくエルサレム、岩のドーム。
幸せそうな家族。右の子は7歳くらいか?
16年前だから、無事に生きていれば23歳。
手をつないでいる弟は、今生きていれば20歳くらいか。過激派に加わったりしていないだろうか。


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死海のほとりのリゾート地、エンボケックで。
国内旅行者が多く、宿泊客は裕福なユダヤ人ばかり。
ひときわかわいかった、裕福そうな家の子供。


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エルサレム、超正統派(ウルトラ・オーソドックス)ユダヤ教徒の地区で。
ここの子供たちは皆キッパ(ユダヤ帽)をつけ、スクールバスを待っていた。
一番へなちょこタイプの子に目を合わせると、「学校行きたくないよ」という表情。


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同じく超正統派地区の路地裏。
超正統派の女の子は、このようなきわめて野暮ったいスカートを履く決まり。
窓の中に誰がいるの?


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イスラエルの旅は格別であり別格だった。
この旅行のときは、中東和平は少し進んでいるように感じられたのだが……

ユダヤ人もアラブ人も、貧しい子も裕福な子も、子供はいつだってどの子だってかわいい。
けれども、こと中東の写真を見たときには、「ここに写っている子は、どうしたかな」と考えることがやるせない。
子供には、みんな幸せになってほしい。
おととい、久方ぶりにクリスマス・イヴ讃美礼拝に行ってみた ことから、またその思いが強くなった。


by apakaba | 2015-12-26 20:27 | 旅行の話 | Comments(0)
2015年 12月 24日

クリスマス・イヴ讃美礼拝に行ってみた

「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」

1年が終わろうとしているからか、この言葉がしきりと浮かんでくる。
107年前に書かれた『三四郎』のラスト近く、里見美禰子が教会の前で、消え入りそうな声でつぶやく。
“ありえたかもしれないもうひとつの人生”の可能性を三四郎に見る、そんな時間とは、ここで訣別する。

また1年、罪を重ねて過ごした——と思う。
そう思わない人って、いるんだろうか。

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迷羊(ストレイシープ)ってことで。
ラム肉を焼くことにする。
塩胡椒、エルブ・ド・プロヴァンス、赤ワイン、はちみつ風味のバルサミコ酢、粒マスタード、シェリービネガーをぶち込んでマリネ(レシピなし)。
ブランデーを景気よくフランベして火事寸前。
ソースはマリネ液を煮詰める



「教会に行こうかなあ」
数日前から、なんとなく考えてきた。
クリスマス礼拝に出たくらいで、今年の罪咎がチャラになるわけじゃないんだけどさ。

娘がキリスト教会付属の幼稚園にかよっていたから、そのころは礼拝によく行っていた。
自分用の聖書を持っていて、礼拝に出たときにお話をされた箇所には線を引いていた。
だから私の聖書は傍線がいっぱい。

ところが、今朝、10年以上開いていなかった聖書を開けてみたら、傍線が、ない……どうして?!
あんなにたくさん引いたのに。
ボールペンで引いたから消えるわけないのに!


さんざんページをめくって探してがっかりし、「神の奇跡」と思うことにした。
調子に乗るな。
また一から、勉強しなおしなさい。
そういうことなんですね。

しかし、やっぱり神の奇跡を受け容れるには人間が小さい私は、「たしか、あの『三四郎』の言葉にも線を引いた。あれは『詩篇』に入っていた」と思い出し、詩篇の中を探してみた。
そうしたら、ちゃんと線を引いてあった。
消えていなかったのだ。
他にも印象的な言葉は自分で勝手に線を引いていたことを思い出した。
「“そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け”というのがあった。それにも引いた」
「“名はレギオン。大勢だから”にも」
その箇所を見ると、線が引いてあった。
そしてまたページをめくり直してみると、なぜか今度は傍線がたくさん見つかったのだった。


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我が家のシェフ兼パティシエは、今年からは他人様のクリスマスディナーを作る人になっちゃった。
仕方なく自分で。
盛り付けが私らしく「食えりゃいいだろ」的で、プロの仕事とぜんぜんちがうわ。
でもおいしかったー!



傍線が消えたのではなく、「たくさん聖書の勉強をした。だから私の聖書には傍線がいっぱい」と思い込んでいたそのことが、驕りだったのだった。
最初は、驕った心で探していたから、いくらめくっても見つからなかったのだ。
私の引いた傍線など、海の水のように膨大な聖書の言葉の中に入ってしまっては、一握りの砂みたいなものだったのだ。
神の奇跡は起こっていなかった。
でもすべては自分の心の中にあるということが、よくわかった。
神は、いるといえばいるし、いないといえばいない。
驕った心では、見えているはずのものが見えない。


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ちかくの教会は建て替えてピカピカ。美しくてかわいくてモダンな教会になっていた。
讃美歌を歌うのが好きなので、自前の讃美歌集(楽譜がついてるやつ)も持って行って歌いまくる。
今日は8曲もあった!

牧師さんのお話の中で、「2000年前、イエス・キリストが生まれた土地あたりでの平均寿命は30歳でした。そして生まれた赤ちゃんの三分の一は、6歳まで生きられず死んでしまいました。」とあった。
キリストが十字架に架けられたのも30歳くらい。
奇しくも平均寿命どおりになってしまったのか。
キリスト誕生の夜に羊飼いが登場するが、彼らは羊の番をしながら夜通し野宿していた。
無事に大人になったって、寒かったり暑かったり、獣に襲われたりして、やっぱり長くは生きられなかったんだろうな。
短く、はかない人生だ。

われは我が咎を知る……
我が罪は常に我が前にあり……

その詩句が頭にあるままで、「わたしたちの罪をおゆるしください。」とか「主の祈り」で声に出して言ってしまう。
当時よりも寿命は3倍近く長くなったが、生きている間の罪の数も3倍になってしまうのかなあ……なんて考えたりする。


by apakaba | 2015-12-24 21:11 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 23日

歌舞伎座十二月大歌舞伎、夜の部連続ツイート

今月はいろんなことをしていたので、歌舞伎のツイートが遅くなっちゃった。
ふだんより少なめツイートです。

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東京芸術劇場で「レミング」を見た。
うーん。私はおもしろくなかったな。


すっかり日が経ってしまったけど、12月6日、歌舞伎座夜の部、妹背山婦女庭訓、杉酒屋。七之助が、か、かわいい。見目麗しく、昔より色っぽさが出てきて素敵。児太郎、ここだけの話だけど女形よりタテ役の方がよくないか。なんかかっこよくなってきちゃったし、世話物のお兄ちゃん役とか合いそう(続

2)道行恋苧環、松也くんはふつうの演劇だったらきっと十分うまいのだろうけど、歌舞伎座では沈むなあ。存在感まだまだ。二人の美女に愛されるほどの色男には達していない。七之助、おぼこからちょっとはみ出た、あだっぽさがにじみ出ていてうまい。松也くんとすでに深い仲ということが窺い知れる(続

3)三笠山御殿、玉三郎が…か、かわいい……ッ!七之助よりはるかに年上なのに、七之助より可憐でいい女ってどゆこと。あんなかわいい女がいたら到底ほっておけないでしょう。いじめのシーン、「はい」と消え入りそうな返事をする声が……たまらん。あの「はい」の声だけでも、真似してみたい!(続

4)ストーリーは例のごとくメチャクチャだが、とにかく玉三郎のかわいさに身悶えした、今年最後の歌舞伎鑑賞であった。その次の週に寺山修司の「レミング」を東京芸術劇場で見たが、まったく乗り切れなかった。演技の厚みが、歌舞伎とはあまりにも違っていて。歌舞伎見ちゃうと現代劇はつらい。(終


by apakaba | 2015-12-23 17:31 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 12月 22日

ラーメン二題

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トシのせいか、夜になると眠くて眠くて、ブログを書く力が残っていない。
書きたい話題は山ほどあるし、昔は夜中でも書くことができたんだけどなあ。

というわけで、吉祥寺の人気ラーメン屋、一ヶ月ほど前の撮影。
パクチーどっさりかと期待するも、トッピングの半分はパクチーではなく豆苗だった。
甚だ失望。
そしてキャベツはたっぷり入っているものの、ねぎが見当たらず、これも失望。
ラーメンにねぎが入っていないと、締まりが悪い。

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教訓を活かし、自宅にてふかひれラーメン、ねぎたっぷり。
だが魚介のわざとらしいうまみ付けが大変うるさく感じられ、ねぎたっぷりも効力なし。

やっぱりふつうの東京醤油ラーメンが好きかなー。
横浜出身だというと、「サンマーメンとかいうラーメンがあるんでしょう」と聞かれることがあるけど、東京のラーメンのほうが私は好き。


by apakaba | 2015-12-22 23:11 | 食べたり飲んだり | Comments(0)
2015年 12月 20日

誰と全取っ替えしたい?

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バカ丸出しすぎる発言なので、紅葉の風景をお楽しみください


バカ話専用飲み仲間の忘年会で、P嬢が「もしも、顔も体も別人と全取っ替えできるとしたら、誰と替わりたい?」と言う。
私は「ペネロペ・クルス」と即答。
デビュー作『ハモンハモン』からずっと、ペネロペちゃんが大好きなんですよー!
P :え、そっちか! ガイジンか!
私 :うん。それか、マリオン・コティヤールでもいい。
P :またガイジンかよ……。日本人で!
私 :ええーどうせなら日本人なんかヤだ。ガイジンだよ。おっぱいが、バーンと。ゴージャスで。男がみんな腰抜かすような美女。
P :そして女友達はいない、と……
私 :いいよどうせ別人だから。

P :他にないの他に。
私 :うーん、じゃあシャーリーズ・セロン?
P :またか。
私 :うん、おっぱいが、バーンと……
P :お前大丈夫か……
だって日本人で誰かと全取っ替えしたいと思うほどの人って、いないからなあ。

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最後の一葉


P嬢は「自分なら、天海祐希さん。」と言う。
私は1ミリも天海祐希と替わりたいとは、思わないなあ。
とくに好きでも嫌いでもないけど、それなら自分のままでいいや。
しゃべっていて、私はほんとに日本人女優に興味ないんだなとわかった。
全取っ替えならペネロペちゃんだけど、他にもたくさんいる好きな女優って、みんなガイジンだもの。


by apakaba | 2015-12-20 13:43 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 18日

付き合う? 友達? まさかカリカレ?

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散歩中。保護色のコーシロー


「コシヒカリ」は、「大学に入ったら、カレを作る!」と意気込んでいる。

私 :いいんじゃないの。まああんまりろくでもないカレに引っかからないように気をつけてください。
コ :大丈夫。わたしその辺は見る目あるから。でも“付き合う”のって、何をするの?
私 :うーん、スポーツ観戦?
コ :えええー。
私 :寒いよラグビーとか。野球は季節によっちゃ暑くて、長いし。
コ :わたしダメ。ルールわかんないし。
私 :そういうのを説明してくれようとする男ってのもいるのよ……まあ私はあんまり好きじゃないけどね……

コ :あとは?
私 :うーん、映画かなあ。なんだかんだお金かかるよ、付き合うのって。映画だって、行く前に食事して、映画見て、終わったらお茶飲んで、とかやってるとどんどん使っちゃうし。あと“記念日”? プレゼントとか。
コ :そうだそうだ! カレがいる友達、みんな記念日だらけで大変。交際して、一ヶ月記念日とか、二ヶ月記念日とか。
私 :新生児みたいじゃん(赤ちゃんが生まれてから1年はお祝い事ばかり)。お食い初めとかね。とにかく男と付き合うのってなんだかんだとお金かかるよ。バイトするんだね。
コ :あとは?
私 :うーん、あとは……あ! そうだ! 付き合ってると、飲みに行くね。飲みに行くっていうのは、映画やスポーツ観戦とおんなじように、リッパにひとつの行事だね! ごはんを食べるのとはちがうの。まあ飲める相手というのが前提だけど。

コ :でもそんなふうに遊びに出かけたりするのなら、友達でもいいような……友達と何がちがうんだろう……あのね、最近、若者はあんまり友達と恋人の区別がはっきりつかないらしい。どっちでもないって感じらしい。
私 :でも同じことをしてても、友達と出かけるのとはちがうと思うけど……
コ :最近は“仮のカレ”みたいなのが流行ってるんだって。ほんとに好きな相手じゃないんだけど、異性と一緒にいることで、かわいく見せようとか、女の子らしくする気持ちをアップさせる効果があるんだって。それで、それがほんとのカレができたときに役立つ、と。
私 :んんん? それって女の子の立場ではそうかもしれないけど、そのカリカレにはなんかいいことあるの? 賃金が発生するとか?
コ :アハハハハハ! 賃金!
私 :だってその男には何が得なのよ。それに、女のほうからしても、好きな男に会うならそりゃうれしいから、かわいくなろうとしてがんばるけど、そんなバイトギリギリみたいな男が相手で、どうやって女らしい気持ちが出てくるのよ。さっぱりわからない。
コ :異性だってことが大事らしい。
私 :なんか都合がいいなあ。あまり賛成できないね。
コ :まあとにかく、今の若者は、あんまり恋愛にガツガツいかないらしいよ。

私 :まあそれはそうでしょう。今は漫画とか健全だもん。昔は小学生が読む少年雑誌だって、とんでもなくガツガツしてたよ。
コ :あーえーと、『ハレンチ学園』とかいうのがあったとかって……
私 :あったねえ『ハレンチ学園』。とにかく昔は、男の子は小学生でも女の子の裸が見たい! 触ってみたい! という欲望を持つのが当たり前で、そういう漫画とかがあふれてた。女の子も、男はそういうもんだと知ってたし。今は少年雑誌はみんな“友情”だの言っちゃって、健全だもん。そりゃ恋愛にガツガツいかないよ。
コ :あーそうかもね。


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年寄りになったコーシローはよくこの表情をする


私は「コシヒカリ」の年頃、はるかに悪い子で破廉恥だったけど、それは時代ということで……かわいい娘がだんだん巣立っていくのは心配。
心配だけど、やっぱり“友情”とか寝ぼけたことを言ってないで、きちんと“付き合う”ことを知ってほしい。
でも心配。
息子二人にはまったく感じることのなかった、アンビバレントな気持ち。


by apakaba | 2015-12-18 18:19 | 子供 | Comments(0)
2015年 12月 16日

見た夢をそのまま書いてみる(影絵本番)

台本が配られてからまだ一度も練習をしていないのに、突然「今日、これから影絵の本番です」と言われる。
しかも、今日は歌を歌う担当の人が休みなので、私が劇中の全部の歌を歌えと言われる。
場所は学校の体育館か講堂だが、その学校はまるで大型ホテルか郊外のショッピングモールのように入り組んでいて、どこがどこなのかさっぱり把握できない。
急な予定変更に驚きながらも、団員は自分の台本を取り出し、スタンバイを始める。
私は、自分の台本をなくしてしまった。
当然、セリフはひとつも覚えていない。
台本に細かく書き込んだメモも、まだ頭に入っていない。
自分の台本を探すために、その迷路のような巨大な生き物の腹わたの中のような学校の廊下を、早足で突き進む。

この学校の廊下はまっすぐではなくて、中国式庭園にかかる橋のようにジグザグになっている。
永久に続くように思われるその廊下は、ひとけがなく静まり返った箇所もあれば、白衣の学生(高校生くらいか)がどっとあふれかえっている箇所もある。
その群衆の中に栗原類がいる。
栗原類は感情のない目で私を見て、さっと消えてしまう。
台本のありかを知っているか聞きたかったがだめだった。

泳ぐように人をかきわけたり、なんのための教室かよくわからない部屋を通ったりしながら、結局校内を一周してしまい、むなしく団員の控え室に戻ってくる。
するとまっさらな台本の余りがまだ残っていて、私は仕方なくどさくさに紛れてそれを一部取り、なにもメモがないけれどこの台本でやることにする。
息を整え、いい声が出るか喉の調子を確認。
でも今回はうまくいかないと、やる前からもうわかっている。


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テニス部が練習をしていた


どうしてこんな夢を見たか、あまりにも簡単。
きのう、娘の学校で三者面談があり、久々に高校へ行った。
週末に映画をレンタルして、音楽大学が描かれている映画『セッション!』を見た。
しばらく公演がなかった影絵人形劇団だが、来年の2月と3月に立て続けに公演があり、ちゃんとできるのか不安を抱えている。
不安を抱えているのは、声がつぶれないかという不安と、難聴が少しずつ進んで、ますます聞き取りが悪くなっているのではないかという不安だ。
不安だから『発声と身体のレッスン』という鴻上尚史さんの本を買って、毎日熟読を続けている。
読み終わったらトレーニングを始めるつもり。

そんなふうに、学校や学校生活や影絵のことを考えていたから、こういう夢を見てしまうわけ。
いつもながら単細胞ね。
わからないのは栗原類だが、彼のインタビュー記事を読んだからかも(発達障害だったという記事)。

中学と高校のとき演劇部にいたから、しばしばこういう夢を見たなあ。
本番の幕が開くのに、セリフをひとつも覚えていない! 全部忘れた! そんな夢。
「テストの夢をよく見た」という人は多いだろう。
やっぱりプレッシャーを強く感じている証拠だな。


by apakaba | 2015-12-16 19:11 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 11日

野坂昭如氏と、父の死

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老犬になったコーシロー
だがこの犬を連れていたおかげで、野坂氏が私に話しかけてくれたのだろう


野坂昭如氏の訃報を聞いて以来、しきりと父のことが思い出される。
父は45歳で亡くなったので、当たり前だがいつまでも年を取らない。
私の人生の最初のほうでいなくなってしまった人なので、「今生きていたら何歳だろう」と数えたこともほとんどない。
しかし、野坂氏死去でなぜか反射的に父を思い出した。
訃報を読むと、父より1歳上の人であった。

同時代に生きた同性の有名人、それもジャーナリズムと文学と場は違えど文章を生業にしてきた野坂氏を、父はどう見ていたのだろうか。
野坂氏の作品を、父は読んでいただろうか。
私は、父のことをなにも知らないのだ。
私のイメージの中では、野坂氏も父も、とにかくやたらと酒を飲んでは酔っぱらう男、というひとくくり。
あの世代の人は、そんな男ばかりだった。

ただ、「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか……」というCMを父がひどく気に入っていて、しばしば口ずさんでいたことだけははっきり覚えている。
あのCMを見るたび、父はニヤニヤと上機嫌だった。
歌詞に出てくる人名も全部教えてくれた。
そして「野坂はあんな風だがインテリだ」というようなことを言っていたような、少なくともにおわせていたような気がする。

なぜそんなにはっきり覚えているのかと不思議で、あのCMの放映年を見てみると、私が9歳、ぴったり父の死んだ年だった。
父に関する記憶の一番最後にあたるからよく覚えていたのだろう。

父は死んで、野坂氏はその後も長く生きた。
しかし同じように脳に血液が流れなくなる病気になった(野坂氏は脳梗塞、父は脳出血)。
きのう、YouTubeであのCMの歌い踊る姿を見てみたら、46歳にしては野坂氏は体のキレがよく、髪もいっぱいあって体型の崩れもなく、ほとんどカッコイイ。
そのCMを気に入っていて、放映年に亡くなった父は、ハゲ・デブ・チビの三重苦。
父は、もしかしたら、野坂氏の白いスーツ姿にあこがれていたのかもしれない。
無頼を気取り、酒を飲み、文章を書き、酒瓶を手にして踊る白いスーツ姿に、同世代の男として自分を投影していたのかもしれない。
すべて想像するしかないのだが。

私は野坂氏の作品をたった三つしか読んだことがなかった。
『アメリカひじき』『火垂るの墓』『エロ事師たち』、すべて大学1年生のときに読んだ。
苛烈なしつこさと軽妙な語り口、そしてひけらかすわけでもなく本人の核にがっちり裏打ちされた教養の見える文章で、とくに『エロ事師たち』がよかった。
破天荒なストーリーと、義太夫を思わせる“日本語を読む喜び”を強く感じた。
主人公スブやんがあるきっかけでインポテンツになってしまったときは、「スブやんはいつ回復するんだろう、がんばれ!」と、復調の瞬間を読みたくて先へ先へとページをめくっていた。
諸行無常を感じる話だった。
むちゃくちゃな話だが、正しく日本文学の系譜を引く文学作品だった。
そう、昔は、選ばれた人間だけが文章を書いていた。

父は文学を志したことはなかったのか?
父はなぜジャーナリズムへいったんだろう。
そんなことも知らない。
野坂氏は反戦を訴え続けていたけれど、父ならどういうスタンスで今の日本を書いていただろう?
「父ならこう考えるだろう」という仮定をすることもできないくらい、父のことを知らない。

きのう突然に思い出したのだが、私は野坂氏に話しかけられたことがある。
きのうまで知らなかったが、ご近所に住んでいたそうだ。
10年近く前、いつものように川沿いの遊歩道で犬の散歩をしていると、野坂氏が焦った声で「あのう、うちの犬を見かけませんでしたか?」と尋ねてこられた。
そのときは野坂氏だとちっとも気づかず、「いえ、見ませんでしたねえ」と返事すると、おろおろしながら犬の名前を連呼しつつ行ってしまった。
その心底動揺している様子から、かなりの犬好きと見受けられた。
野坂氏は遊歩道をうろうろと往復しながら、悲しそうに犬の名前を呼んでいた。
あとから「あの人のことを知っている気がする」と必死で思い出したら、野坂氏だったのだ。
だが一発でわからなかったのは、脳梗塞で倒れたあとで、昔とは感じが変わってしまっていたからなのだろう。

人が死ぬと、それをきっかけにして、記憶の底に埋もれていたいろいろなことが、予告もなくいきなりブワッと浮かび上がってくることがある。
現に、私は野坂氏に会ったことを、この10年近く一度も思い出したことがなかった。
しかし彼の死によって、このあとはずっと忘れないであろう。
悲しいことに、父に関する私の記憶は、無いに等しいというくらいに少ない。
せめてあと10年、生きていてくれたら。
9歳の女の子が19歳になって、『エロ事師たち』を読む年齢まで生きていてくれたら。
「ああ、野坂はなあ……」と、同時代の男として、講釈を打(ぶ)ってくれたかもしれない。

野坂氏の死去は、友人を亡くしたときのような直接的な悲しみにはつながらないが、忘れていたさまざまな悲しみを浮かび上がらせる。
父がどんな人だったのか永久に知ることができない、というのは、子供の頃や若かった頃にはほぼ感じたことのなかった悲しみである。
その悲しみは、逃げてしまった犬を探して、泣きそうになりながら心細そうに歩いていた、老いた野坂氏に重なる。
とても悲しく、心細い。


by apakaba | 2015-12-11 16:28 | 思い出話 | Comments(0)