<   2017年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2017年 03月 14日

「コシヒカリ」が海外ひとり旅デビュー

今は二人とも多忙で無理だが、長男次男とも、以前はかなりたくさん旅行をしていた。

一人ででも友達同士とでも、国内外へどんどん出かけていた。
娘の「コシヒカリ」は、高校を卒業するときに、兄たちに倣って広島へひとり旅をした。
「ひとり旅は、楽しいけど、さびしい。わたしはやっぱりひとり旅には向かないんじゃないかと思う……。」
しばらくそんなことを言っていたが、この春休みに台湾へ行くことにしたらしい。
本当は私に一緒に行ってほしかったようだが、「大学生になったら親を頼らないで一人で海外旅行をしなさい。」と突き放したのだった。

だが!
突き放したはいいが、心配で心配でたまらない。
兄たちとちがい、娘は海外旅行に対する心構えがまるっきりできていない子なのだ。
あんなにいろいろな国へ行っているのに。
娘は、これまでインドネシア(バリ)、ロシア、イギリス2回、香港、マカオ、台湾2回、ポーランド、オーストラリア、シンガポール2回、と、なかなか華麗な渡航歴を持っている。

そ、そ、それなのにですよ。
自宅から羽田空港まで行く行き方がわからない!
ていうかそもそも、羽田空港と成田空港の区別がついてない!
羽田空港に着いたら何をしたらいいのか、まったくわからない!
「あの、みんなが見上げてる、“でんしばん”を見ればいいの?」
「……でんしばん ってナンデスカ。」
フライト案内表示器の見方も知らない。
チェックインも出国審査も搭乗口にいつ行くのかも、とにかくなにもかも、海外旅行を一度もしたことのない人に教えるように話さないといけない。
この子の人任せぶりは、いったいなんだろう?
そのくせ、「台湾は漢字が読めれば大丈夫でしょ」と、なめてかかっている。
2回行ったことがあるとはいえ、両方とも家族が連れて行っていたから、自分ではなにもできないままなのに。

旅先のトラブル事例や注意事項を、山ほど教えた。
「漢字が読めるからって、油断したらだめ。バスに乗ろうとしたって、同じ行き先が書いてあるバスがバス停にいっぱい来ちゃったりするんだから。そのどれに乗ればいいのか、確かめること。そもそも思っていたよりバス停が遠いとかいうこともあるから、とにかく時間に余裕を持って行動するんだよ!」
と、きのうあんなに言い聞かせたのに、今朝はもう家から出る時間が遅くなっている。
夫に持たせるお弁当をすごい速さで作って、駅まで車で送った。
送りながら怒りっぱなし。

朝の家事を終えて、そろそろ飛行機に乗る頃だなあと思っていると、メールが来た。
私はApple Watchを使っていて、これにはメッセージに対する簡単な返信機能がついているため、タッチミスをしてとんちんかんな返事を送ってしまった。

c0042704_15091928.jpg

ださいやりとり。

台湾をふつうに観光してくるだけなら、私もここまで心配しないが、娘の目的は台湾原住民(原住民とは差別的な呼称ではなく、原住民自身の自称である)の村を訪ねることなのだ。
私が4年前に行こうとして失敗した、ルカイ族という人々の住む山奥の村へ行こうとしている。

私のこの旅行記を読んだことがきっかけだ。
当時壊れていた道路が、今は開通して旅行者も入れるようになったらしいが、外国人の立ち入りを制限している区域なので、警察署に行って入山許可証を取らなければならない。
そんなのできるの?
英語もまるっきりできず、旅スキルゼロの子が。

もうひとつ、私が台湾映画『セデック・バレ』を勧めたこともきっかけになった。
セデック族という原住民の抗日運動の話で、日本統治時代に、山の原住民がいかに日本人に抵抗したかを描いた超大作だ。
思った通り娘は
「原住民かっこよかったー!首狩り(当時は首狩りの習慣があった)超カッコいい!」
と盛り上がり、
「日本人が皆殺しになった場所と、セデック族の首領の碑を見に行く!」
と言い出す。
「原住民はハンサムぞろいだよ。台北から南へ行くと美男美女率がいきなり上がるから!」
と私が言ったのもいけなかった。
「『セデック・バレ』みたいなカッコいい人がいっぱいの台湾!」
と夢見ている。

日本のすぐ近くの国をよく知りたいと思うのは、とてもいいなと思う。
日本人は、台湾人のことを、ともすると都合よく「親日」と思いすぎる傾向があるが、山の暮らしをしていた原住民にとって、日本統治は受け入れられるはずのない強圧であった。
現場へ行って、ルカイ族やセデック族の建築や食生活や習慣といった文化を知り、漢民族とはちがう人々の顔立ちを見て、初めて深く感じ取れることがあると思う。
娘は感激屋なので、行けば100%、感動する。

でも心配。
子供達の旅志向は、結局、親の私の影響というか責任に他ならないけれど、息子二人とはちがってやっぱり心配なのよ。


by apakaba | 2017-03-14 15:41 | 子供 | Comments(0)
2017年 03月 12日

影絵体験授業での出来事から

きのうの続き。
きのう、「日本はより排他的な方向に向かっていると感じる」と書いた。
私も、ネットに何か書くことにも、息苦しさを覚えている。
言いたいことがあっても、「こんなことを書くと見知らぬ人から攻撃されるのではないか」と心配になり(実際、何度かそういう目にも遭っている)、いつしか当たり障りのないことだけを書くようになってきている。

4月から、学習支援教員の仕事を始めたら、きっとさまざまなことを言いたくても言えなくなるだろう。
プライバシーの問題があるし、そうでなくても、障害者の話題はとてもセンシティブなものだからだ。
「障害」という漢字を使うことの可否からして、しばしば議論の的となる。
「学習障害」「注意欠陥多動性障害」という言葉も、今後は「限局性学習症」「注意欠如・多動症」といった表現に置き換えられる予定だそうだ。

今はまだ、仕事を始めていない身分なので、多少ざっくばらんに、先週あったことを書いておこうと思う。
先週、私の所属している影絵人形劇団が、近隣の小学校で6年生を対象にした影絵体験学習授業を受け持った。
体験といっても手加減なしの指導で、本格的な劇を上演する。
複雑な動きをする人形を動かす人形チーム、高度な演技が必要とされる声チーム、背景画像を場面に合わせて転換していくPCチーム、そして楽器の演奏や効果音、エンディングの歌をリードする担当の音楽チームの4チームに分かれる。
とにもかくにも時間がないので、猛烈な勢いでたたき込み、あっという間に本番の録画までに仕上げていく。

私は声チームを担当していた。
3組まである学年の2組担当だったが、リハーサルからは他のクラスの声の指導も全部やっていた。
マイクの前に張り付いて、声の出し方や演技のコツなどを、その場で初めて会う子供にバシバシ伝授。
2組以外の子たちは、いきなり出てきてあれこれ教えたり褒めちぎったりするおばさんが誰なのかわからないまま、あまりの真剣さ(だって時間がぜんぜんないから)が伝わっていうとおりにする。
みんなそれぞれにがんばって、いい演技だ。

c0042704_13034004.jpg
受け持ちの2組を特訓中。
みんな上手。
それにしても、背丈が小学生に埋もれてしまいます。



その中で、マイクから完全に体が離れてしまい、しかも声が小さく棒読みなので何も聞こえないという男子がいた。
下を向いて、台本の文字を追うのに必死だ。
その子の肩を抱きかかえて体ごとマイクの近くへ持って行き、「マイクに口を近づけて!声を拾ってないよ!セリフは聞こえなくちゃ意味がないの。」と励ます。
その子は抱えられるままに、棒読みを続けている。
棒読みなのは反抗しているのではなく、本当に一生懸命読んでいるからのようだ。
体重が腕にのしかかって重いので、
「ちょっとしっかり自分で立ってくれる?!重いよキミ!」
と言ったとたん、いきなり彼の目つきがガラッと変わった。
私をにらみつけて「死ね。」と吐き出す。
その目つきと言葉で、「今はいったん引こう」と即判断し、ぱっと離れた。
彼は「くそばばあ!死ね!死ね!」と、私をずっと罵り続けた。
担任の先生がなだめに入っても、その場で座り込んでしまい、「あのばばあがいるなら、もうやりたくない!くそばばあ!あんなばばあ大っ嫌いだ!」
そして会場の体育館を出て行ってしまった。

休み時間になり、在校生のお母さんたちに聞いてみた。
彼は学校で知らない人のいない、問題行動の有名人だった。
子供が卒業して久しいため、ほとんど私だけが知らなかったのだ。
彼は(おそらく)ADHDであり、投薬もしているという。
投薬治療レベルの子を、予備知識ゼロで指導にあたらせる学校側も学校側だと思うが、在校生ママは当然知っているので追及するほどでもないのかもしれない。
そのときはたまたま、知らなかったことがかえって功を奏したのだと思う。
他の子と区別しないで、その子を見た瞬間に抱きかかえて指導していた。
その様子を見ていた人たちは、「あの子があの場にいて台本を読んでいるだけでも奇跡なのに、あんなふうに(抱えられるがままに)されてもそのままやっているということに驚いた」という。
それは、別に私に力量があったからということではなくて、単に私には彼に対する先入観がなかっただけだ。

担任の先生は、
「本番では私がしっかりついていますから、(あの子のことは放置しても)大丈夫です。」
とおっしゃる。
そのとおりに、ここは放置した方が賢明か。
短い休み時間、激しく迷っていた。
子供とはいえ見ず知らずの人間から、あそこまで激しく罵られたことも初めてで、精神的にこたえた。
このあと控えている本番でどうするかを決めかねたまま、ひとけの減った体育館に戻って立っていると、クラスメイトを追いかけながら彼が走り込んできた。
私の近くにわざわざ寄ってきて、「くそばばあ!」と叫んで走り去る。
でも、その顔は、ちょっと笑っていた。

一緒にいたメンバーは
「あれっ?あの顔は……(私のことを)気に入ってるかも。」
「うん、ひょっとしたら、かなり好きかも?」
と言う。
それで決めた。

c0042704_13065714.jpg
本番に向かう子供達を、見守っています(背丈は埋もれてるけど)


本番、体育館に子供達が戻ってきた。
声チームの子たちは、リハーサルのときに注意したことをちゃんと守って、さっきよりグッと上手になっている。
全員が立ってスタンバイしているのに、あの男子だけは座り込んでいて、先生が一緒に付いている。
私が他の子たちに声をかけているのを、膝に顔を埋めているようで絶対に観察してる。
「うまいねえ!」「よくなった!」「よし、いいよ!」と、できるかぎりの子供に触れながら褒めた。

劇の佳境に登場する彼の出番、とても、とても大事な役だ。
自分のせいで娘を目の前で死なせてしまい、嘆き悲しみ、やがて敵と和解して癒されていくという、難しい役なのだ。
こんな大役によくも付いたなと、冷静になると感心するが、この子がダメでは劇全体がダメになってしまう。
先生は「放置でいい」と言ったけれど、私はやっぱりリハーサルと同じように、他の子たちと同じように、彼に密着することにした。
また「死ね」「ばばあ」と言われるか……「こんなくそばばあがいるから、もうやりたくない!」と本番中にマイクを蹴倒して暴れるか……賭けに出た。
「マイクにくっついて!」「大きく!」と、声をかけてみる。
そのとおりにする。
「長く伸ばして。」「悲しそうに、悲しそうに。」
そのとおりにする。
上手な子に較べたら話にならないほどの変化なのだけど、それでも、あきらかに私の指示を聞いて、そのとおりに演じようと努力している。
「泣いて!泣いて!」
涙声を出そうとしている。
あの罵声とぜんぜんちがう、頼りなく、ひょろひょろした声の演技。
こっちも泣きそうになる。
「大事なセリフ。しみじみと悲しそうに読んで。」
努力すると口がマイクから離れそうになる。それを抱きかかえる。

「よし!よくできた!」と一言褒めてすぐに離れ、もう次の役の子の指導に、私は移った。
だから彼がどんな反応をしたかわからない。
ただ、そのほんの少しだけのふれあいで、私は多くのことをつかめた。

彼は孤独だ。
成功体験がきわめて少ない。
周りの子供も大人も、彼と真面目に接することをとっくにあきらめて、遠くに置いている。
私のような、事情をまったく知らない大人が突然真剣勝負でぶつかっていったから、気迫に圧されて応えようと反応した。
まだまだ、彼には希望がたくさんある。
そしてなによりも大きな収穫は、影絵の活動を通して私がずっと思っていたことを、確認できたこと__声の演技をすることは、セラピーになる。
こんな自分の日常とはまるでちがう、別個の人間として、言葉を発すること。
別の人生を生きること。
彼は今、きわめて貧しい言語の世界にいる。
「死ね」「くそばばあ」の罵り言葉は、言われた相手が必ず気分を害する効果的な武器だから発しているだけだ。
苛立ちや苦しみや、うれしかったこと、そうした自分の内面を掘り下げるためには、言語世界が広がらなければならない。
そのためにも、別の人間の言葉を獲得し、声に出して心から発することは重要なのだ。

影絵体験授業は、このようにして、スクリーンが破かれることも、マイクスタンドがぶっ倒されることもなく、無事に終わった。
そんな彼ももうすぐ小学校卒業……と、いうことは、このまま地元の中学校に進学したら、彼は来月から……私の生徒ってこと?!
ウワー。がんばらなきゃなあ〜。
たった一度の、たまたまの成功で、新しい仕事がこの調子でいくとは思っていない。
先は長い。
苦しむ子供の人生は、私よりずっと長い。
そこまでおめでたくはないが、4月になって不安でびくびく働き始めるよりは、この影絵での経験は勉強になった。
障害児に関する書籍を読んだり、専門家の講演会を聴講したりして座学もしているが、やはり現場は、得るものが格段に大きい。
もう「死ね」「ばばあ」と罵られても、平気だもん。


by apakaba | 2017-03-12 13:22 | 生活の話題 | Comments(0)
2017年 03月 11日

中学校の学習支援教員に採用された

東日本大震災から、今日でちょうど6年だ。
2年前の今日はこんなことを書いていた。
今でも影絵人形劇の活動は続けている。
これに加え、今年度からは、近隣の中学校で土日に勉強を教えるボランティア講師も始めた。

今年度の回は、先月で終了した。
おかげさまで、今年度はこの教室の評判は昨年度に比べて格段に上がったという。
お嬢さんを通わせている実行委員の方から、
「昨年度よりも先生たちが真剣に教えてくれるから、遊びっぽい雰囲気がなくなって、集中しやすくなったって娘が言っていました。
と、講師の皆さんにお礼の言葉をいただいた。
ブログに書いたことが生徒のみんなに伝わっていることがうれしかったし、私以外の講師の方々も同じように熱心に取り組んでいることもうれしかった。
いくら私一人が真剣にやろうとしても、他の皆さんに熱意がなければ雰囲気は変わらない。
来年度もこの講師メンバーに続けてほしいという依頼を、皆快諾していた。

というわけで、私も引き続き、中学校でのボランティア講師をすることになったのだが……実は、4月からこの中学校と同じ学校で、これとは別に、さらに仕事をすることになった。
学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等のために学習面で困難を抱える生徒に対し、学習の支援を行う「学習支援教員」という仕事である。
4年前、不登校児が通う施設で学習支援をする仕事に就きたくて、何度か応募したことがあった。
しかしいずれもなしのつぶてで、あきらめていた。
ところが、ここ数年のうちで、不登校児の支援教室とは別に(病気という意味で)より問題が顕在化している子供に対する支援が本格的に動き出し、近隣の中学校でも学習支援教員を置くことになったのである。
これに応募してみた。

c0042704_18185119.jpg
本文とは関係ありませんが、くじらのユッケ。
くじらが大好きです!!


久々に履歴書を作り、教員免許状の写しを用意して、課題の作文を書いて一次選考通過、教育委員会で面接を受けて、採用された。
面接は深い内容の質問を次々とされて、これは若いころに受けたら絶対に通らないだろうと思った(おばさんはしゃべるのが上手になるもので……)。
一次選考の作文は、このブログに書いた文章と似た内容のことを書いたので、自信があった。

私は、すべての子供は幸せになるべきだし、そのためには絶対に勉強をしなければならないと思っている。
目標は難関大学に入ることとか、そういうことではなくて、その子に合った最大限の努力をして、自分の幸せを自分で選べる権利を獲得できるよう、勉強をすべきだ。
くりかえし書いているが、世界の不幸は、正しく教育を受けられなかった人間が引き起こしていることばかりではないか。
そしてその犠牲になっているのも、正しく教育を受けられなかった子供。
世界の不幸を減らすのは、正しい教育を受ける子供を増やすことしかないと思う。
大人は、子供がその子に合ったレベルで(←これも大事)最大限に力を発揮できるよう、さまざまな形で手助けをするべきだと思う。
私の始めたボランティアなんて、たいした力にもならないけど、それでも、大人になっていく途中の子供の、知への入り口を開きたい。

上記リンクの「後編」の最後に書いたことだ。

c0042704_18205492.jpg
くじらのベーコン。
そのへんのベーコンとは!まるでちがいます!!!


教育が大事だ。
子供に対する、正しい教育が。
昔からずーっと一貫して変わらない信念だ。
だからずーっと子供に関わっている。
家庭教師、塾講師、通信添削指導、自宅での塾、保育園、影絵人形劇、休日の講師、そして新しく、学習支援教員だ。
それぞれに大変さがあるが、中でも「健常児」ではなく、特別支援教室に入ることが決まっている「障害児」の相手となる新しい仕事は、きっと困難なことが山ほど待っているだろう。
しかし、「障害児」が、「みんなとはちがう」ことで追いやられ、排除されていくことは、本人と周りの子供たちの情操にとっても、将来的には日本という国にとっても重大な損失ではないのか?

東日本大震災の日に、あらためて書く。
今、日本はより排他的な方向に向かっていると感じる。
弱者を切り捨て、いないものとして、内向きで短期的な快適さだけを求めているように見える。
自分の仕事が、多様性を認められる、包摂的な社会に向かえるための、ほんのわずかでも責任を担えると信じている。
専門家でもなく、担任でもない、本当にちょっとだけの仕事だけれど、逆に専門家でも担任でもない立場だからこそやれることもあるのではないか?
私のすることは、微力だが無力ではない。
(下記リンクに続く)



by apakaba | 2017-03-11 18:29 | 生活の話題 | Comments(0)
2017年 03月 02日

1年ごとの聴覚検査へ

ブログを書く時間と体力がない日々で、書きたいことが溜まっているが……今日はとりあえず耳硬化症の経過などを。
1年に一度、聴覚検査と問診に行っている。
今日は、1年前に較べて、少し聞こえが悪くなっていた。
しかし手術のレベルにはまったく達していないそうで、主治医の先生(カリオストロ伯爵に似ている)は「あなたは、このまま一生手術をしないでいけるかもしれない。」と言う。


c0042704_17303285.jpg
聴覚検査のあとは、おいしいものを食べて元気を出すことに。
銀座に移動して、ナイルレストランのムルギーランチ。
10年ぶり。バカウマ!!


「実は難聴よりもずっとつらいのは、上半規管裂隙症候群で、頭に声が響いてしまうことなんですが。」と尋ねると、「それはもうしょうがない。手術か、骨の再生をお祈りするしかありません。」と突き放される。
「今から骨なんか再生しませんよー」と言うと「そう、だからもう治りません」と。
あ〜あ。
頭蓋骨を開いて手術しないといけないほどつらいというほどでもないし……しかしうっとうしい限りだ。


c0042704_17285091.jpg
座るととたんに「ムルギーランチね!まちがいない!ランチだから早く!」とせかされまくる。
ほんとは別のものも試したかったけど、ここは言うことを聞いてムルギーランチに。
しかしラッサム大好きな私は、ラッサムをどうにか追加。
野菜ごろごろのラッサムとはちがう味わい。
これもいいけど、野菜ごろごろの方が好きかなあ。



24時間の耳鳴りはとっくに慣れてしまった。
聴覚検査のときに「ピー」という音が耳鳴りなのか機械音なのか、ちょっとだけ戸惑うことがあるけど、それくらい。
難聴も手術レベルには落ちてないし、頭の反響はあきらめろという……つまりは、病気になる前の、スッキリとした聴覚は、もう一生、戻ってこないということデスネ。

誰でも年をとるのだけど、こういう不調を抱えることになるとは、想像していなかったなあ。
そしてそれはかなり負担。
しかし、大病にかからなくても、顔が老けたり、体型が崩れるとか、老眼になるとか、白髪やハゲとか、血圧や尿酸値やいろいろなこと、「トシだねー」と思わざるをえないことっていっぱいある。
人によって、どれがやってくるかはわからない。
私の場合、老化は耳に集中しているんだなあ。
難しくてめずらしい病気に、いっぺんに二つもかかってしまったんだから。


c0042704_17400096.jpg
男は黙って火災予防運動


顔が老けたり、体型が崩れたり、云々といった老化は、どうがんばっても、若かったころに完全に戻ることはない。
みんなその変化から目をそらしたり、悪あがきしたり、開き直ったりして、いつか老人になる。
だから私が聞こえでつらい思いをするのと、顔のシワや肥満やなんかで悩んでいるのは、だいたいおんなじ重さだね。
すごーくつらい。けど、みんなとおんなじ。
と、いう心境に至った、発病3年目の検査でした。


by apakaba | 2017-03-02 17:38 | 健康・病気 | Comments(2)