2016年 07月 27日

デジタルだからできる、宇宙と自然の似姿のアート—チームラボ「DMM.プラネッツ Art by teamLab」

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“海賊王”に!!!
おれはなるっ!!!
本文とは関係ありませんが、『ワンピース』のブースもあります


「お台場みんなの夢大陸2016」に行ってきた。
10時の開場とともに、直行したのはもちろん、チームラボだ!

「DMM.PLANETS Art by teamLab(案内のページはこちら)」は、開場したらどこよりも先にめざすのが正解だ。
チームラボの展覧会は、いつだってとにかく行列するから。

入場してまずやることは、靴と靴下を脱いで裸足になること。
そしてズボンやスカートの裾をまくりあげること。
床が鏡張りだったり、水を使ったインスタレーションがあるためだ。

真っ暗に近い通路に、浅く水が張ってある。
すべて裸足で館内をまわるから、足を洗うことが目的なのはわかっているけれど、屋外の暑さにバテている体が一気に引き締まる冷たさ。
ダレていた意識がギュッとかたまり、この先の部屋で何が起こるのか、ただそのことだけに気持ちが集中する。

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「やわらかいブラックホール—あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である」

通路はすべて極端に暗くなっていて、小さな坂やふわふわのマットが部分的に敷かれていたりする。
裸足だからこそ、その感触に驚き、楽しむことができる。
視覚を奪われる分、足の裏が敏感になる。
中でも、展示室へ入る前に通過するこの小部屋は、必死で四肢を使わなければ次へ進めない、大仕掛けのふわふわ具合だ。
どんなにとりすました人でも、ここをスマートに通り抜けることは不可能。
このときは空いていたが、混雑したら阿鼻叫喚の有様となるだろう。
童心に帰れないなら、帰らせてみせようチームラボ。大幅に字余り。


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「Wander through the Crystal Universe」

私はチームラボの“追っかけ”なので、銀座でも大阪でもシンガポールでもこの作品を見た。
が、今回の「クリスタル ユニバース」は、これまでの展覧会より格段に広くなっている。
光の集合で宇宙空間を表したこの作品がこれまでとちがうのは、広さだけではない。


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いきなりヘボなモデルでスミマセン。
足元が、鏡張りになっているのだ(だからミニスカートの人は会場でショートパンツを借りましょう)。
そのため、ずーっと果てしなく、光の空間が続いているように見えるのである。
合わせ鏡をうまく使うと、永遠に鏡の中の世界が続くように思われた。
あの子供時代の驚きに戻るのだ。

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「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング—Infinity」

この部屋も、暗さと鏡張りのために、広さの感覚をつかみづらい。
しかも自分の足が見えない。
膝までが、白く色をつけた水に没しているからだ。


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光で鯉が泳いでいる様が映し出される。
その一方、花が一面に咲いていく様も見える。
はじめは、このつながりがわからない。
やがて、「あっ、わかった!」
人に鯉がぶつかると花となるのだった。
皆、夢中になって鯉の像を追いかけ始める。
水がとても冷たくて心地よい。

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人々が水面の鯉を追うことで、水面は花でいっぱいになり、忙しくなる。
いつの間にか、鯉はあやしい光を帯び始め、もとの鯉の色ではなくなってくる。
彗星のように、光跡を長く引きながら……


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皆、いつしか鯉を追うのをやめ、水に見とれていると、鯉の光跡はますます長く伸びていき、個々の区別がつかないほどに混じり合ってしまう。
自分の足元を見るのに夢中だった人々が、ひとつの大きな空間へと収束していく。
光のマーブルをうっとりと眺める。
暗い中に鯉が泳ぐのを見、人の動きの影響を受けて花になると知り、やがてまたも宇宙空間に放り出されたかのような心持ちとなる——そんな、ここにいる人々の心の「高まり」にぴたっと沿う。なにもかもが。
映像の移り変わる速さ、暗さ、空間の広がり、水の冷たさ、それらが皆、高まりをリードし、寄り添っている。


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高まりがピークに達してから、徐々にまた、もとの鯉と花へ。
このころには、下半身がかなり冷えている。
足が濡れても、タオルが用意されているから大丈夫。
タオルは、10万枚用意されているという。


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「Floating in the Falling Universe of Flowers」

最後に入ったのは、ドーム空間に1年間の花が現れては消えていく作品。
ここはもう、「永久にこの部屋にいたい」と思ってしまった。

以前、さめない夢の世界へ——「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」のレビューの最後に「目覚めてもさめない夢があるとすれば、それはチームラボだ。」と書いた。
この作品は、半円のドームいっぱいに花の映像が移り変わり、またしても床が鏡張りになっているため、上下の感覚さえあやしくなってくる。
用意されたソファに寝転んで見ていると、360度を花に取り囲まれる。
目を開けても閉じても、網膜に花が焼き付けられていく。
星などひとつも映っていないのに、感じられるのはやはり宇宙。
花の宇宙を体ひとつで漂う、自分も花のひとひら。

四季の花々は、遠く小さく映るものもあれば、ドキッとするほど大きく映し出されるものもある。
しかし飛んで行く先を目で追っていると、どの花も、必ず、等しく、散っていく。
なんとなく消えていくのではない。

「作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている」との解説どおり、四季が一巡しても、巡りきた次の春は、さっき見た春の花の光景とは同じではない。
同じ季節でありながら、まったく同じではない。
流転し、変容し、しかも、途切れることがなく、永久に続いていく。
デジタルアートの真髄だ。
人工物の究極の結晶であるデジタルだからこそ、「自然」の姿をこんな形にして見せることができる。



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この部屋は、愛が芽生えること間違いなし。
うっかり友達以上恋人未満の相手と行くとあぶないですぞ!



これまでチームラボの展覧会には数え切れないほど行っているが、この「DMM.プラネッツ Art by teamLab」は、展示数がグッと少ない分、彼らの目指すものが、よりキリリと引き締まって見えた。
暑い中の行列覚悟で、行くべし!お台場!

※私がリクルートの仕事で作ったまとめサイトも見てね!
シンガポール「アートサイエンス・ミュージアム」でチームラボが常設展示。早くもマストスポットに!


# by apakaba | 2016-07-27 17:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 07月 26日

「コシヒカリ」の誕生日ケーキ動画

ゆうべ、私が寝たあと、娘の「コシヒカリ」が玄関先に出て行ったらしい。
地元の友達二人が、誕生祝いのケーキを運んできてくれたという。
毎年なにかしらサプライズをくれるが、今年は誕生日を少し過ぎてから持ってきてくれた。

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今朝、娘が動画を見せてくれた。
友達二人が、丸いパン(ケーキではなくてパンだった!)を用意し、その上に生クリームを無茶苦茶に絞り出し、駄菓子でデコレートして、娘の名前のネームプレートを飾っていく。
倍速再生でどんどん出来ていく。
音声は出していなかったが、二人の顔がにぎやかだ。
完成するとその家から出て夜道を歩いて(すぐ近くなので)、我が家の前まで来る。それも倍速再生。
あと少しでうちというところで、ろうそくを立てて火をつけて、娘を呼び出している。
娘が寝巻きのまま出てくると、ケーキ(パンに生クリームを塗っただけだが)を渡し、娘を真ん中にはさんで、3人でにっこり。
これで動画の再生終了。

一部始終を動画に収めて倍速再生するというのが、こんなに楽しくて感動するとは思わなかった。
女の子たちが早送りで動いているだけでもかわいいし、そのアイデアがうれしい。
シンプルで、ライブ感たっぷり。
今さらだけど、若い子ってキカイもののいろんな楽しみ方を知ってるんだね。
私には、もはやまったく出てこないアイデアだなあ。
いつの時代も、若い子っていいものだなあ。
家族で祝うのもいいけど、友達もいいものだね。


# by apakaba | 2016-07-26 18:10 | 子供 | Comments(0)
2016年 07月 24日

家族、親子、夫婦、人間として生きることを見つめる——『親の介護、はじまりました。』

堀田あきお&かよ夫妻のことは、伝説の旅行雑誌「旅行人」の執筆陣にいらしたため、90年代から一方的にファンだった。
その後、たまにお会いできるようになってみると、そのお人柄がますます大好きになった。

ご夫妻の新刊『親の介護、はじまりました。(ぶんか社、上下巻)』を、涙をぬぐいつつ一気読みした。
かよさんのお母さんが大腿骨骨折をしたことから寝たきりになっていくまでの介護の日々を描いているが、お父さんや他の家族・親戚の方々、あきおさんのご家族、病院やヘルパーの方々など、多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり登場する、にぎやかな群像悲喜劇になっている。
だが、劇であれば「群像悲喜劇」などと他人事の表現ができるけれど、これはフィクションではなく本当の話であり、それだけに、描かれているエピソードは、堀田夫妻が経験しているさまざまなことのほんの氷山の一角にしかすぎないであろうことが伝わってくる。

身をもって体験している人たちにしか書けない、ずっしりと重い現実のストーリーなのに、重さの先にある、人間なら誰でも感じ取れる「温かさ」を、見せてもらえる。
それはマンガならではの力だ。
幼かった子供を育て、やがて自分が老いて子供の世話になっていく、人間の当たり前の営みといってしまえばそうなのだが、その順番をたどっていくことの美しさやつらさが見える場面で、何度も泣いた。

あきおさんとかよさんには、個人的にも本当に感謝している。
次男の「アキタコマチ」が就職して料理人になる前に、旅行関連のイベントであきおさんにお会いした時、急にその場を離れたあきおさんが、いつの間にかお菓子を山ほど買ってくれて「仕事がんばってね」と息子に渡してくれたそうだ。
何度も会ったことがあるわけでもないのに、あきおさんは、そうした親戚のおじさんみたいな自然なやさしさを、子供に見せてくれる。

2年前、私が顔面神経麻痺の後遺症でこの世の終わりのように落ち込んでいたとき、またイベントでたまたまお会いしたかよさんは、「よしよし」と頭を撫でてくれた。
そして、ひらたくやさしい言葉で、力づけてくれた。
私は、その日から、病気でふさいでいた心が軽くなったのだ。
私は友達というより一方的なファンの分際だ。
かよさんは、そんな私にも、そんなふうに分け隔てなく接してくれる。
あきおさんとかよさんの、底知れぬ包容力とやさしさは、こんなふうにたくさんのことを二人で乗り越えてきた結びつきから来ているのだなあと、新刊を読んで改めてわかった。


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本文と関係ありませんが。
私が最初に読んだ堀田作品『アジアのディープな歩き方』へのオマージュということで……
井の頭公園内、ペパカフェフォレストのガッパオ。


苦しみを知っている人は、奥行きがちがう。
軽いタッチのマンガなのに、端々にグッとくるやさしさがちりばめられている。
私は、マンガの中で、介護の壁にぶち当たるたびかよさんが悲しんでいるときや落ち込んでいるときに、あきおさんがかよさんの手を握ったり、かよさんの肩に手を置いたり頭を撫でたりしている絵がとても好きだ。
それはいつも小さなコマで、ページの端っこでさりげなく描かれているのだけど、見るたびにあきおさんの手の温かさを感じ、まるで自分の体に触れられたかのように、気持ちが温かく、安らいでいくのを感じる。
そうすることで、かよさんがどれだけ救われただろう。
そしてそうすることで、あきおさんもかよさんの体の温かさをたしかめることができ、二人でがんばれるとたしかめることができたのだと思う。

この本は、介護を題材として描かれているが、介護に限ったことではなく、人間が、尊厳を持った人間として生きることそのものを見つめた本だ。
なぜ自分が生まれたのだろう。
自分の人生には、どんな意味があったのだろう。
なぜ今、こうした巡り合わせになっているんだろう。
その答えの片鱗をマンガの中に見るとき、涙があふれてくるのを、抑えることができない。
介護に関わっている人はもちろん、そうでない人も、どんな人にもおすすめする作品だ。


以前書いたブログで堀田夫妻のことを書いたのはこちら→大学生だった私へ……『旅をせずにはいられない、アジアの魅力』


# by apakaba | 2016-07-24 16:04 | 文芸・文学・言語 | Comments(0)
2016年 07月 21日

「コシヒカリ」の誕生日パーティーの「アキタコマチ」のディナー

娘の「コシヒカリ」の誕生日が近いので、きのう定休日だった次男の「アキタコマチ」はいつものようにごちそうを作ってくれた。

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手前は生ハムと焼きなすのカッペリーニ。
「コシヒカリ」が「お雑煮の味がするー」と言っていたが、つまりは焼きなすのロースト臭のことを言っているのね(焼き餅の匂い)。
奥はマッシュルームやアスパラ、トマトなどをごく薄く切ったサラダ。
ドレッシングも作っていた。


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血鯛とさばを西洋料理の手法で〆たと。
洋風の“つま”はズッキーニ、芽ねぎ、大根、にんじんなど。
「芽ねぎ以外は全部オレの手切り」と「アキタコマチ」が言うと、「ササニシキ」は野菜の細さに仰天して目を見張っていた。
野菜たっぷりで、うちに向いている夏らしいメニュー。
作り方は全部自分で考えたという。
おいしかったなあ。コックが家にいるといいなあ。
5人で食事をしたのは、何ヶ月ぶりだろうか。

それからは恒例の、「コシヒカリ」以外がやたらとスコッチウィスキーを飲んでしまう時間帯。
主役のはずの「コシヒカリ」は、ケーキを食べるとさっさと退散してしまった。
まあほんとの誕生日の日には、好物の焼き鳥でも食べに連れて行くから。


# by apakaba | 2016-07-21 18:09 | 食べたり飲んだり | Comments(0)
2016年 07月 14日

sukiyaki

20年前、インドのムンバイにある名門ホテル「タージマハルホテル」に泊まった。
一人旅には明らかに不似合いな宿泊費だったが、どうしても一度泊まってみたくて、一泊だけのぜいたくをした。
メインダイニングで一人で夕食を食べているとき、二人の男性に誘われて、途中から食事を一緒にした(そのときの話はこちら→インド・タージマハールホテルでイギリス紳士と話す)。
広いダイニングルームでは、ドレスアップした各国の人々が談笑していた。
ピアノの生演奏が続いていた。
客席のリクエストに応えて、ポップスの弾き語りもしていた。

ピアノを弾いていたのは、往年のオリビア・ニュートン=ジョンのようなヘアスタイルの、若くない白人女性だった。
二人の紳士は、彼女に合図を送り、「このレディー(私)に何か弾いてくれ」とリクエストした。
彼女は私を見ると、少し頼りない歌詞で弾き語りを始めた。

ue o muite arukou namida ga koborenai youni..............

「スキヤキ?」
と言うと、二人は「そうそう。」
ピアニストの日本語の歌詞はすぐに途切れてしまい、あとは「ララララ」とハミングだけになった。
それでもいい歌だった。
いい歌はどんな場所にいてもいいものなんだなと思いながら聴いていた。

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タージマハルホテルとは似ても似つかないですが。
2000年に行ったときのインド。
デリーのメインバザールの奥にあるホテル「メトロポリス」。
今は改装してきれいになったのかな


# by apakaba | 2016-07-14 09:16 | 旅行の話 | Comments(0)
2016年 07月 09日

なぜ、着付けボランティアに参加しているのか

今年に入ってから、新しいボランティアをふたつ始めた。
ひとつは、すでに書いているとおり、近隣の公立中学で勉強を教えるボランティア(中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(前編))。
もうひとつは、留学生に振袖(男子には袴)を体験してもらうための着付けボランティアだ。
この着付けのほうは、メイクアップとヘアメイクも含め、記念写真もたくさん撮る。
私は、着物の自装すらおぼつかないから、振袖の他装など生まれ変わっても無理。
そのため、現場の写真を撮る記録係として参加している。

若い留学生の皆さんは、世界にはたくさんの国があるのに、留学先として日本を選んでくれた。
一生におそらく一度しかない、思い出に残る体験をしてもらい、日本をもっと好きになってくれることを願って活動している。
着物の着付けは、体が密着する。
なにひとつ自分ではできない赤ちゃんのように、下着姿の皆さんは所在なさげだけれど、着付け担当の人たちが寄ってたかってみるみるうちにお姫様のように美しく振袖姿に仕上げてしまう。
そのお手並みの鮮やかさは、すぐそばで見ていても感動的だし、ファインダーを通して留学生の顔がどんどん輝いていくのを見るのは、心がとろけそうになるくらいにかわいくて、うれしい。

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初参加日の準備中。
ヘアメイクコーナーで


このブログに留学生の顔写真を載せることができないのは大変残念だが、想像してほしい。
顔かたち、髪の色、肌の色、言語が異なる若者が、日本語を一生懸命話しながら、振袖を着て一人残らず幸せそうに笑ってくれているのを。
そのスナップをあとから眺めているだけで、みんな自分の娘や息子のように思えて涙が出てくるほどだ。
自分の旅の経験から考えても、行った国は好きになるし、そこで人と交流があればあるほど、帰ってからもその国のことが気にかかる。
私がいろんな国へぼけぼけと出かけていた時代と現在の国際情勢は、較べようもないほどに激しく変わってしまった。
日本が無害で有益な国として、世界に愛されていた時代は過ぎてしまった、と痛感する事件が続出している。

仕上がった振袖姿ももちろんすばらしい思い出だが、あの、体を他人に預け、体を密着させて着付けをした時間そのものが、彼女や彼らにとっての一生の宝物になってくれるはずだ。
万が一、将来のどこかの時点で自分の国と日本との関係が悪くなったとしても、きっとあの留学生たちは、着付けの体験の日を思い出す。
私が撮った写真を思い出して眺めることがあるかもしれない。
髪をといたり、顔に触れたり、体に密着して自分を美しくしようとがんばってくれている日本人のみんなの、真剣な顔、爆笑している顔、視線を交わす顔——。
それは、彼らにとって、まちがいなく日本での真実の時間になる。
そのときのために撮ってる。

中学生に勉強を教えるボランティアでも同じだが、私ひとりでは、なにもできない。
でも人と一緒にやると、自分でも何かの役に立てるという実感がある。
本当に小さなことだが、やっぱり日本と世界をつないでいきたいと、今この時代ほど切実に思ったことはない。

(この着付けボランティアの団体については、名称などは伏せています。決してあやしい団体じゃ、ないっす!不用意に紹介して運営の方に迷惑がかかるのは何なので!)


# by apakaba | 2016-07-09 17:26 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 07月 03日

“あの人”がいますか

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先週、吉祥寺のハモニカ横丁で飲んでいた。
ホールスタッフのチーフを「バングラデシュ人かな?」と直感して、尋ねてみると果たしてそうであった。
彼は我々のテーブルにちょくちょく来ては、冗談を交えてちょこっとだけしゃべっていった。

「バングラデシュ、行ってみたいと思って、何年か前に調べてたことがあった。バングラデシュってすごく海抜の低いところが多くて、川がいっぱいあって、バングラデシュとインドの国境をまたいだところに、シュンドルボンていう自然保護区があるわけよ。
そこに行きたくてねえ。
船のツアーが出てるから、それに乗って川をさかのぼると、トラとかね。出てくると。運が良ければね……」
などと、私がべらべらとしゃべって楽しく飲んでいた、その数日後に。
ダッカでテロ事件が起きてしまった。

バングラデシュ人の大多数はイスラム教徒だ。
イスラムとテロリストの区別がついていない人間が、世界には多すぎる。もちろん日本も。
つい先ほど知ったが、日本の最高裁が、日本国内に住むイスラム教徒への警察当局による監視を容認したという(こちら)。
なんと恥ずべきことをするのか?
イスラム教徒は、イスラムの名を語るテロリストを、他のどの人々よりも憎悪している。
当たり前だ。
それがなぜわからないのか?

ハモニカで何度か言葉を交わした、明るい顔のあのチーフも、もしかしたら数々の嫌な思いをしてきているのかもしれない。
今ごろ、自国の首都で起きたテロで自分の住む国の人間を殺されたということに、激しくショックを受けているはずだ。
そこへこれ以上、あの人を傷つけることを言う酔客などが現れないことを祈る。
テロが起きるたび、いつもいつも、“あの人”たちの顔が浮かぶ。
その国の人が。
そうやって、極々個人的な思いを持つことだけが、無知による偏見から遠ざかる一歩になると信じている。
愚かなネットニュースを見るたびに落ち込む……。


テロについて前になにか書いたなと思ったら、これだった。)


# by apakaba | 2016-07-03 20:30 | ニュース・評論 | Comments(0)
2016年 07月 02日

最近の子供たちのこと

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1,長男「ササニシキ」

「お昼にチャーハンを作りたい。」と言い出すので、作らせてみる。
「ササニシキ」は幼児同然の理解力しかない男なので、調理の手順を一から詳しく説明する。
「ねぎを切る」と説明すると、なぜか白ねぎの青いほうから刻み始める。
もちろんそっちを食べてもいいんだけど、いきなりそっちから切るのは初めて見た。
「(チャーシューがなかったので)ハムを切る」と言うと、ハムは切ったが残った分をちゃんとラップで包めず、半分くらいむき出しになったまま冷蔵庫にしまっている。ラップも使えない。
「中華鍋を熱して油をたっぷり入れる」と言うと、油をたっぷり入れて、突然、中華鍋をぐるぐる勢いよく振り回す。
鍋肌から油が飛び出している。
「油に引火したらどうするの!!!!!振り回したらだめ!火を馬鹿にしたら絶対にだめだ!!!」声を限りにどなりつけた。
できあがったチャーハンはおいしかった。
だが二度と台所に立ってほしくない。


2,次男「アキタコマチ」

フレンチレストランで働く「アキタコマチ」は、お客に出す料理に加えて、従業員の“まかない”を毎日2食ずつ作っている。
“まかない”といっても、きっちりおいしく作らないとシェフが喜んでくれないので、日々献立に頭を悩ませている。
私は、せめて朝食だけでも家のごはんを食べさせたいと思い、毎日弁当用のおかずの残りを食べさせている。
「オレはおかーさんが作ったものを毎朝食べてるけど、みんな(従業員)、朝は食べないで来るらしいよ。だから毎日、オレの作ったごはんしか食べないの。
週一日の定休日も、疲れちゃって夕方まで寝てるとか、ほとんど食事らしい食事をしない人が多いみたい。」
「へええ〜。すごいねそれ。じゃあ彼らはお前の作ったごはんで生きてるんだね。」
「そう。彼らの体は、オレのごはんでできてるの。」
「すごい話だな。母乳みたいじゃん。お前がみんなのお母さんだ。」


3,長女「コシヒカリ」

女子大生になった「コシヒカリ」は、この世に“ファッション”なるものが存在すると初めて知ったらしく、「サンダル買いたい。カバンも買いたい」と言い出す。
「今のバッグって小さいのが流行ってて、みんな持ってるのが、小さくて紺色で革みたいだけどニセモノの革のやつ。」
ファッション初心者なので、何を言っているのかまるっきりわからない。
「たしかおかーさんが昔使ってたバッグがあるよ。」と、押入れの奥深くにあった、昔々のコーチのショルダーバッグを出してみた。
まだコーチがグッチ崩れみたいな軟派なブランドになる前の(現在のコーチファンの皆様、ごめんなさい)、いいレザーを使った質実剛健なブランドだったころ、よく買っていた。
20代半ば頃。
今、まれにそのクラシックなコーチのバッグを持っている、おしゃれな若い子を見かける。
ひょっとして娘が使うかなあと思って20年以上取っておいたのだ。
がっ、新しくて安っぽいものに惹かれるお年頃の娘は、これの価値がわからない。
「ええ〜これ……?」
「これはいいものだよ。今これ持ってたらおしゃれな子たちが『うわーうらやましい!こんなクラシックなコーチ!』って言うぞ。カッコいいぞ。」

内ポケットを開けると、イヤリングが入っていた。
あるんじゃないかなという予感はしていたのだが。
数日前、このイヤリングのことを思い出したから。

これは、私が初任給のプレゼントに、母に買ったものだ。
奮発して、金色と銀色のイヤリングをふたつ買った。
だが、派手好きの母は、少しすると「お母さんにはこの銀色のほうは地味だから、返すわ。」と言って、ひとつを返してきたのだった。
プレゼントを返されるのは特にショックではなくて、私にとっては少ないアクセサリーがひとつ増えて、儲かった……と思ったのを覚えている。

しかし私はイヤリングが苦手で、出かけると途中で耳が痛くなってしまって、だいたい夜に飲んでいる間に外してしまう。
そしてバッグの内ポケットに放り込むというのが癖だ。
そのままにしてしまい、10年以上見つからなくてひょっこり出てきたイヤリングが、これの他にもある。
イヤリングは回収。ちょっと得したねー。
まあでもよく見ると、今の私にはちょっとちゃちかな。
娘にバッグごと与えるべきかな?


# by apakaba | 2016-07-02 22:09 | 子供 | Comments(0)
2016年 06月 26日

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(6月)

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(前編)
5月に、2回に分けて書いたとおり、今年度から地元の区立中学でボランティア講師を始めている。
今朝また行ってきた。

5月の中間試験が終わって、学期末試験に向けて勉強をしている。
だがやはり1年生たちは、未だ小学生のように無邪気だ。
中学生にとって定期試験がどれほど大事か、まだ実感がないのね。

私は、「こういう自主学習の場に来ているからには、勉強をしろ。点を取れ!」というスタンスを明確に打ち出して、生徒さんたちに接している。
友達との交流は、部活や休み時間にやればいい。
学習塾と学校の授業は、先生の教えてくれることを聞けばいい。
だが最後に鉛筆を持って試験で点を取り、この先、数限りなく待っているいろいろな試験を突破していくのは、自分自身だ。
そのためには、自分で正しい勉強をしなければならない。
自主学習がどれだけ良質かで、点数は決まる。

机間巡視していると、まだまだ子供だねえ。

数学の計算問題をドリルでずらーっと解いている男子。
「イコール(=)がないよ。」と指摘すると、不思議そうな顔をする。
「あのね、イコールは橋なの。数字は橋を渡って、自由に右、左に行っていいの。でも橋の左右はいつでもぴったり同じになっていないといけない。それがイコール。
どんなに長い式もイコールでつなぐ。イコールのない式は、式じゃないの。それはもう数学として根本的に成り立ってない。イコールは絶対に忘れちゃだめ。」
我ながら文系そのものな教え方だ。
この「イコールは橋だよ」は、小学生に勉強を教えていた当時、毎度言っていた教え方だった。

英単語をどうしようもなく覚えていない女の子。
赤字で直していても、自分のミスに気付かず、誤答に丸をつけたり、赤字で直した単語も間違っていたりする。
しかも単語の途中から、ばらばらな順番で書いたりしている。
たとえば「picture」を直すのに、「c,i,t,u,p」といった順番で書く(その方が難しそうに見えるが)。
「あなたはせっかく字も丁寧で問題集もいっぱいやっているのに、こんなに英単語を覚えてないんじゃ、おそらく試験では自分でもびっくりするくらいに失点するよ。ほら、選択問題はちゃんとできているでしょう。英語ができないんじゃなくて、英単語を覚えてないってこと。
あなたが何よりもしなければならないのは、まず単語の練習だ。一文字目から書くんだよ。」

漢字の問題で「要点を押さえる」「感情を抑える」の「おさえる」を、女子グループがそろって取り違えて書いている。
「“要点”は、『ここ!ここ!』って(人差し指で机の一点をグリグリと指してみせる)大事なとこを押してることだよね。“抑える”の方は、抑制の抑という字だね。湧き上がってくる感情を、グッと抑えつける(手で押しもどす動作)こと。だから手へんがつく。両方とも手へんだけどね。
漢字は『当たったー、外れたー』じゃいつまでも身につかない。どうしてこの字を使うんだろう?って考えることで、もう間違えないの。」

英文を書いている男子は、すべて最後のピリオドを打っていない。
「これのために、失点してしまう。無念の限りだと思わない?せっかく文が正しく書けていても、ピリオドを忘れただけで点が取れない。点(ピリオド)のために点を落とすなんて、ばかばかしい。絶対に忘れたらいけない。」

とにかく「(試験で)点を取ろう。つまらないミスで点を落とすな」という意識を徹底する。
「あなたには力がある。失点を防ごう。そのためには勉強の仕方を知ろう」と励ます。
効率的なノートの作り方や、ドリル学習の仕方を教える。ビシビシと。
まあ本当は、いくらやっても凡ミスを防げないのは「力がない」のだけれど、見ている人間が「君には力がある」と言い続けないと、誰だってやる気なくすもんね。

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本文とまるで関係ありませんが。
ハンバーガーがけっこう好き。
新宿にあったハンバーガー専門店


「点を取れ」というと、すごく即物的というか、点取り虫みたいな悪いイメージがあるかもしれない。
しかし、定期試験や高校入試で明暗を分けるのは、その1点かもしれない。
その子その子のせいいっぱいの知的レベルに、届かせたい。
1点のために、望むものに届かない悔しさは、自分や、自分の子供たちの挫折を見て、よくわかっている。
その1点を落とさないための勉強を教えたい。

中学生は「挫折を知る時期」だ。
小学生までの、ぼんやりした夢が広がる未来から、だんだんと現実に向き合い、自分という人間の限界を知っていく時期なのだ。
1点の失点が波紋になって、自分に自信を失わせていく結果に、ならないように。
今日、声をかけた子たちが、私のしつこく言う「点を取ろう」の意味をわかってくれるといいなあ。
女子たちに「先生のベルト、かわいい。おしゃれ。」とか言われるのもうれしいけどね……。


# by apakaba | 2016-06-26 17:44 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 06月 14日

選挙に行こうね

娘の「コシヒカリ」が、「おかーさん、こんど高校のクラスみんなで集まって、バーベキューをするんだー。」と言う。
高校を卒業して、初めてのクラス会のようなものらしい。

「でも……その日って7月10日なの! 選挙の日なの。初めての。きっと、みんな忘れてるんじゃないかなあ。」
選挙権年齢が18歳になって初めての、大事な選挙だ。

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「どうしよう。バーベキューの会場の場所取りって、朝の6時くらいから行ってる子もいるし、最後は夜の8時くらいになっちゃう……。」
「それじゃ投票所に絶対間に合わないね。」
「うん……もう期日前投票しかない。そんな、バーベキューやってて、うちのクラスみんなが初めての投票に行かないなんて、間抜けすぎる。
わたし、クラスLINEでみんなに言ってみる!」

今日、「クラスLINEはどうした?」と聞いてみた。
「やっぱりみんな忘れてた。『初知り〜』って言われた。」
(「初めて知った」というのをこう言うのねいまどきは。)
「アハハ。それでどうすることにしたの?」
「期日前投票に行くことになった! みんな!」

よかったなあ。
「コシヒカリ」は、高校時代に、ひとりだけ大好きな女の先生がいた。
世界史の先生で、「選挙には行け」と力強くくりかえしていたという。

この先、いつかは棄権する日や、投票日を忘れてしまうこともあるかもしれない。
でも、選挙権年齢が18歳になって初めての大きな選挙。
この1回だけは、せめて逃さず行ってほしい。


# by apakaba | 2016-06-14 22:30 | 子供 | Comments(0)