あぱかば・ブログ篇

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2019年 02月 17日

She's so...

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東京大学総合研究博物館小石川分館建築ミュージアムに行ったとき、この展示を見た。
「語彙ネットワーク模型」とあり、関連する語彙同士が連結されているという。
healthy など好ましい極性の単語は明るい色で、poor など好ましくない極性の単語は暗い色で表されているという説明があった。
真っ黒に塗られている単語に、自然と目がいく。
途端に、「She's so...」という歌声が頭にこだまする!

「heavy...!」

真っ黒なheavy。
ジョンがヨーコに叫ぶ。
She's so heavy,heavy,heavy~~~~~!
“好ましくない”わけがない。
彼女の魅力のヤバさに、つぶされそうだよ!


# by apakaba | 2019-02-17 22:15 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 02月 12日

女の子同士

4時間目の授業開始前、私が教室に入っていくと、いつも元気な女子がひとりで机に突っ伏している。
近づいて「どうしたのー」と聞くと、「うーん……」。
「元気ないのね。失恋?」「ううん。」
「ふられた?」「ううん。」
「友達とけんかした? 男子に嫌なこと言われた?」「ううん。なんでもないけど、なんとなく……。」
「うーん、じゃあ生理前だ。たいていの不調はそれだよ。」
「うん、今、生理なの。」
「やっぱりそうだね。生理が終わったら元気になるから。」

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東京大学総合研究博物館小石川分館建築ミュージアムできのうまで開催されていた「チャンディガールのル・コルビュジエ」にて


そのときはそのまま他の生徒の勉強についていて、給食と午後の授業が終わって帰ろうとしていると、廊下にその子と友達の女の子が立っている。
ふたりともボロボロ泣いているので、「あらー! どうしたの。」「うーん……」。
図書室に入って、
「やっぱり失恋?」「ううん。」
「ふられた?」「ううん。」
「友達とけんかした? 男子に嫌なこと言われた? 英語の時間は大丈夫になってたじゃないの。」
「なんでもないの。なんにも理由がないんだけど、自分が嫌になるの。あんなこと言わなければよかったとか。自分の言ったこととか、態度とかがすごく嫌になっちゃうの。」
「あー。それはね、やっぱり生理だからなのよ。」

女の子はこの先ずーっと、生理に振り回されるのよ。
あなたはまだ生理が始まってから1年とか2年くらいしかたってないでしょう。
女の子の体はすごくホルモンで変わるから。
排卵が終わると生理までの間の2週間はぜんぜんダメ、生理のあとの2週間は元気でハッピー、そのあと2週間はまたぜんぜんダメ、って、そう考えると、女の子は人生の半分がぜんぜんダメってことだからねえ。
でもそれが女の子だから。
体の変化で、気持ちを制御できないのよね。
そしたらもうなんでも生理のせいにしちゃえばいいのよ。
親とか友達とかに、自分で自分が嫌になるようなことを言っちゃったり、ひどい態度をとっちゃったりしたときに、「でも生理なんだから仕方ないもん」って、開き直っちゃえばいいのよ。
そうやって自分を納得させると、だんだんと不調とうまく付き合えるようになるからね。
自分を甘やかすの。

と話すと、泣きながら少し納得したようだった。
もうひとりの友達に、「ところであなたの方はなんで泣いてるの。」と聞くと「え、えーと……。」
「一緒に悲しくなっちゃったのね。悲しい気持ちはうつるからね。生理は男には絶対にわからないことだよ。そうやって毎月大変な思いをしているってこと。やっぱり女の子同士にしか、わからないね。ね、お友達は大事ね。」
「えへへ」「ウフフ」

「あなたみたいにかわいくていい子が泣いていたら、私も悲しくなっちゃうわ。かわいそうだねえ。早く元気になろうねえ。」
娘よりもずっと子供の生徒たちが泣いているのが不憫で、あまりにもかわいいし気の毒で、私も一緒に少し泣いた。
歳をとると涙もろくなるけど、彼女たちもビックリしたかなあ?
先生というよりはおばあちゃんみたいね。
でも女(の子)同士は、味方同士にならないと。


# by apakaba | 2019-02-12 17:38 | 子供 | Comments(0)
2019年 02月 09日

「ササニシキ」がヘルペスでめずらしく大変

ここ1週間以上、長男「ササニシキ」の具合が悪い。
唇が腫れ上がり、血膿でベチョベチョで、朝起きると口が開かない状態(両手で少しずつ剥がす)。
口内炎もひどい。
先週は39度の熱が続き、仕事も二日間休んでいた。

近所の内科では看護師に「その顔の症状では、熱がないなら皮膚科か耳鼻科へ」と言われた。
本人は熱の自覚がなく(!)、「熱はありません」と言ってしまったという。
もとから丈夫なたちだが、高熱を自覚してないなんて、どれだけ鈍いんだろう。
行ったことのない総合病院へ行くと、熱を測ってびっくりされ、インフルエンザの検査を受けさせられた。
インフルエンザが陰性とわかると途端に医者の態度が変わり、「なんだ、インフルじゃないのか。はあ。」と言われ、結局ヘルペスの診断。
「その先生はインフルのことしか考えてないみたいだった。インフル以外の患者だと、急にあしらいが雑になる。」

ヘルペスではふつう高熱は出ないが、初めて感染すると出ることがあるらしい。
あの歳までヘルペスに感染していなかったとは驚き。
唇と口内がひどい状態なのに、塗り薬はまったく出ず、ヘルペスの飲み薬だけでいいんだと。
空気感染はしないので「仕事に行ってもいい」とも言われたと……なんじゃそりゃー。
39度ある人間に向かって、いくら感染しないからって「仕事に行ってもいい」なんて言うの?
「『あなたは39度あっても仕事するんですか』と聞こうと思った」と「ササニシキ」が言っていたが、ほんと、患者の気持ちを知らない医者っているのね。


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今日、病院送迎の合間にひとりで食べた。
今の「ササニシキ」にとっては、麺類はつらいらしい。


あんなにひどい皮膚疾患があるのに何も塗り薬を出さないなんてどういうことよ、と思っていたが、やはり飲み薬だけではよくならず、熱は4日くらいで平熱に戻ったが、見るもおぞましいままの唇と口内炎(おぞましすぎて見てない)。
今日はヘルペスの飲み薬も尽きたので(ヘルペスの薬は五日間と決まっているらしい)、もうその病院はやめ、皮膚科へ行くと、塗り薬と、抗生物質とビタミン剤が出た。
これでちゃんと治りそう。

この1週間は、病院の送迎をしたり、おかゆやら食べやすいものやらを作ったりして慌ただしかったなあ。
しかし、就職してから一度も家で夕飯を食べていなかった長男が、早く帰らせてもらって毎晩食卓につくのは、昔に戻ったようだ。
まあヘルペスにかかったのも、急に外食だらけになって、適当なものばかり食べていたから栄養状態が悪かったというのは大きいと思う。
これを機に、食生活を少しは見直しなさいと言った。

それにしても。



これを書いてから10年以上たっても、まだ私は同じことをしているのか。
車で後部座席にぐったりと横たわっている「ササニシキ」を運びながら、私がこの歳にはもう子供がふたりいて、それこそいろんな病気で病院に運んだり、自分にもうつったりしていたなあ、インフルエンザにもかかったなあ、でも私は自分で歩いて病院に行ったなあ、こいつは私がいるから幸せね……などと考えたりしていた。
そして、母が私の歳のころには胆嚢炎でたびたび夜中に痛がっていたなあ、車で病院へ連れて行ったり入院を手伝ったりしたなあ……とも思った。
私はずーっと遊撃手の手なのかも。
とにかく今は、正視に堪えない長男の顔が早くよくなってほしい。


# by apakaba | 2019-02-09 17:02 | 子供 | Comments(0)
2019年 01月 21日

「逝ってしまった友人のこと」再掲

今日、高校時代の友達と会った。
仲のよかった女子のグループだったが、大人になってからはめったに会わず、この前に会ったのは5年前、その前に会ったのは20年くらい前?
とにかく本当にたまにしか会わない。
だから昔のことをあれこれしゃべっても、私が覚えていてもみんな覚えていなかったり、誰かが覚えていたことを私だけ忘れていたりする。
高校を出てからの方が人生がずっと長くなってしまったし、仕方ないか。

1996年、高校を卒業してちょうど10年たったときに、クラスの男子が事故死をした。
私は当時書いていた、友人宛てのニュースレター(紙版時代の「あぱかば」)に追悼文を書いた。

先日、別の友達としゃべっていて、亡くなった彼のことがなぜか話題に出た。
そして私は追悼文に書いたエピソードを言いかけて、だいたいのことを忘れてしまっていることに気づいた。
あのとき、彼がこう言った、あのときはこう言った……それをきっと何年か前まではちゃんと覚えていたし、これからも忘れないと思っていたのに、忘れてしまったことに愕然とした。
とても悲しくなった。
今日も、昔の友達と会って、覚えていること、きれいさっぱり忘れてしまったことがあり、やはり人間というのは忘れる生き物なんだと実感した。

家に帰って、追悼文がPCの文書の中に残っているか探してみたら、だいぶ探したがどうにか見つかった。
よかった。
再掲することにさして意味はないが、今日なつかしい人たちと会ったことでもあるし、再掲しておく。


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「同級生の中にも、もはや亡くなっている人がいるのかもしれない。私たちがそれを知らないだけなのかも」と話した



1996年8月28日、逝ってしまった友人のこと



 6月のはじめ、高校時代の同級生だった男の子が亡くなった。もう男の子という歳でもないが17,8のころの友達なので、そういう呼び方のほうがしっくりする。
 酔って高いところから落ちたのだという。
 電話で知らせを受けたときには、何年も会っていなかったので、死んだという実感がうまく湧いてこなかった。

 仕事のしすぎで体調がよくない夫を家に残してでもお焼香をあげに行くべきなのかどうか、迷った。
 けれども友達が死ぬという出来事を生まれて初めて目の前に置かれたのに、はっきりと悲しみにつながっていってくれない自分の気持ちはひどくおさまりが悪く、このままでは、今までもこれからも顔を合わせずにいるという状態に死がなんら介在していないかのような錯覚さえ起こしかねないと感じ、黒いワンピースの皺を伸ばして告別式の会場に向かった。

 道々、現在の生活の下敷きになって埋もれていた、彼にまつわるいろんなことをだんだんと思い出してきた。

 静かな人だがいつもくすくす笑っていたような印象がある。
 卒業するときサイン帳に一言書くように頼んだら、
 「3年6組のマダム(私のことらしい)は魔女だった。”Getcha Rocks Off”」
 と書いてきたので、「これ何よ?」と聞くと、くすくす笑って
 「意味わかんないの?じゃー卒業してから教えてやるよ・・・。」
 なぜかその場では教えてくれずそのまま卒業してしまった。
 そのあとの春休みか大学生になってからかは忘れたが、絵はがきが彼から届いて
 「あのね、Getca Rocks Offってのはねえ、『むしゃくしゃしたときはロックで発散しな!』って意味だよ。子供を産んでも子供に八つ当たりすんなよ。わかった?」
 とあった。ハードロックが大好きな彼からの贈る言葉だった。切手が激しく斜めに曲がっていて、彼らしいと笑ってしまったことも、思い出した。

 大学四年の秋に、高校時代の友達10人くらいで、できたばかりの横浜ベイブリッジのあたりをドライブしたことがある。
 そのとき隣に座っていたのが彼で、
 「アンタさあ、つきあってる女性はできたの?高校のときは『女は敵』とか言ってたけど。」
 などとしゃべりながら、私がなにげなく、当時の癖で手首の関節をバキバキ鳴らしたら、くすくすどころではなくぎゃはははっと爆笑し、
 「そんなことする女は初めてだよ、そんなとこ鳴らしてんじゃねーよクックック・・・。」
 といつまでもしつこく笑っていたことも、ずうっと忘れていたのに、まるでOHPでスライドをぱらりと置かれたときみたいにはっきり思い出した。
 人の記憶って不思議だ・・・と思いながら、中野にあるお寺の門を入った。


 お焼香の列の最後尾につくと、このような場では耳にしたことのない奇妙な音が這うように斎場を満たしているのに気づき、私は音の出どころを確かめたくてきょろきょろした。
 ラジカセで彼の愛していたロックを低く流しているのだった。
 お棺の横にきれいな赤いギターが立てかけてあり、だんだんと「彼は死んでしまった」ということが身にしみてわかってきて、自然に涙が出てきた。

 私の番になったので遺影の前に立った。
 遺影というものはたいていとてもいい顔で写っていて、それが悲しみを倍増させると決まっているので、私は見たくなかったのだけれど、やっぱり見あげてしまった。
 昔と同じ笑顔だ。あの、幼いころからちっとも変わらなかったのだろう子供っぽい笑顔が、とても好きだったのだ。
 こんなことになるならもっと会っていたかった、と悔やむ気持ちが湧き上がる。ドライブして別れて以来、会いもせず近況も知らなかったくせに。
 友達なんて、当然のように、どこかで生きて元気に暮らしているという前提があればこそ、たいして懐かしく思い出しもしないものなのだな。

 高校の同級生も何人か来ていたが、ほとんど言葉を交わさなかった。みんな寂しい気持ちでいっぱいで、ぜんぜん話をしたい気分になれなかったからだ。
 私は亡父より若い人のお葬式にこれまで行ったことがなかった。年寄りのお葬式のときに漂う、あきらめと、きちんと送り出せたという安堵感というか、ほっとしたようなある種の和やかな雰囲気が、ここにはみじんもなかった。
 若い人が死ぬのがこれほど悲しくてがっかりするものだとは知らなかった。
 そして私は、友人の死という悲しみとは別に、子供に突然先立たれてしまった親の気持ちというものを、ちょっとだけ想像しただけでももうひどく泣けてしまったのだった。

 やがて花が配られ参列者がひとりずつお棺に納める。固く目が閉じられていて、彼はやはり決定的に死んでしまっていた。

 考えてみたら死に顔を間近で見るのは、父のとき以来である。父を送るとき、同じように花を持って棺に近づいたら、誰かが
 「まあ、眠ってるみたい。」
 と頭の上で言ったのだ。
 「なに言ってんのよ」と思った。
 ぜんぜんちがう。お父さんの寝ているところはしょっちゅう近くで見て私は知ってる。これはどう見たって死んじゃってる。
 9歳の私は心の中で反駁していた。
 あのときにはうまく表現できなかったが今ならこう説明できる。死んでいるひとは、皮膚を取りまく「空気」を決して動かさない。温めない。まったく何もはたらきかけないのだ。そこが死んだように眠っている人とちがうのだ、と。

 彼の顔を思い出したときにまっさきに浮かんでくる、猫を思わせるうすい明るいいろの目が、もう二度と開かれない、二度と自分と目を合わせることがないと思うとまた泣けてくる。
 べつに恋人だったわけでもなく、数ある友人の一人だったひとだけれど、なんというか、やはり死というものは重い。こんなにいろいろなことをあざやかに思い出してしまうのだから。


 帰りみちは、往きに感じていた、死に実感が湧かないという変な気分はもちろん消えていた。自分でも思いがけないくらい悲しくなって涙が止まらなかった。けれどもさんざん泣いてしまったらなんとなく・・・、さっぱりした。友人としての弔いは、果たせた、と感じられた。

 ただ、彼の遺族の方たちが、私のようにさっさと悲しみから立ち直れるはずがない。なにによっても埋め合わせられない悲しみであろうから、これから先ももっとつらい思いが続くにちがいない。遺された方たちのお気持ちを思うと、人の親の一人として胸がいっぱいになる。

 私がこんなところでこんなことを書き散らしたからといってどうなるわけでもないけれど、この文章を遠くに行ってしまった人への、最初で最後の贈る言葉としたい。

 しかし「Getcha Rocks Off」のほうがずっとスマートで、気がきいてるなあ。



# by apakaba | 2019-01-21 22:22 | 思い出話 | Comments(0)
2019年 01月 16日

遅くなりましたが、今年の抱負!(は、ついにちゃんと書けた)

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大変遅くなりました。
毎年恒例、「ササニシキ」による今年の抱負。
ついに就職して、早く仕事に慣れたい、と。
ついに彼も字を間違えずに書くこともできるようになりましたー。
「倍増」を「倍僧」と書いたり、「幸せ」を「幸也」と「幸セ」の間のような字を書いたり、毎年間違え続けていましたが。
私もライターの仕事が新しく増えたので、早く慣れたい。


# by apakaba | 2019-01-16 21:52 | 生活の話題 | Comments(0)
2019年 01月 01日

あけましておめでとうございます

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きのう、ずっと整理していなかった棚を大掃除で片付けたら、ノートの間からこんなものが!!
やったーっ!
以前は旅行中に詳細な日記を書いていたが、読み返すこともないのですべて捨てた。
そのうちの一冊にはさまっていた。
なんか今年は金運上昇する予感!がんばるぞー。
おそらく取っておけば価値が出ると思ったんだろうけど、シミだらけだし、どうせ価値なんかたいして出ないから銀行で新札に換えちゃおう。
30年くらい前の自分からお年玉ーうれしいなー。


# by apakaba | 2019-01-01 15:28 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 12月 30日

今年の子供たち

このブログも本当に更新が滞るようになってしまった。
学校の仕事を増やし、ライターの仕事も続けているし、トシもとるので仕方ないわね。
子供の話題も、小さかったころに較べてプライバシーにも気を遣うようになるので、なかなか載せられず。
というわけで、年末を一区切りとして、うちの3人が今年をどんなふうに暮らしていたかをふりかえろう。

長男「ササニシキ」
1年間の司法修習を修了し、やっと正式に働き始めた。
といっても、就職先の事務所の名前も知らないテキトーな母親の私。
職場はとてもいい雰囲気らしく、楽しそうにかよっている。
修習が終わった直後にスペインとイタリアに3週間近く旅行に行き、なんだか楽しかった様子。
国内旅行にもばんばん行っていたし、夏にはモンゴルに行ったし、つねに家にいない長男であった。
初心を忘れず、人のためになるよう、地道に、真面目に働く弁護士になってください。


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初めて実物を見たなあ。
新米のバッジはこのようにピカピカ。


次男「アキタコマチ」
日本で一番有名といってもいいレストランで1年間働き退職。
高校時代の同級生を招いて、一度に20人分ほどのフルコースを一人で作る会を開いていた。
その後、九州旅行とドイツ・イタリア・ギリシャ旅行に行き、学生時代にバイトしていたビストロバーでシェフ。
年が明けたら台湾へ渡り、台北の予約制フレンチレストランで働くらしい。
やはりつねに家にいない次男であった。
本当に腕が上がった。もう完全にフランス料理人の味だ。
あとは海外で、経験をさらに積むこと。がんばってください。


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これは前回友達を招いた時の写真。
料理嫌いの母親から、よくまあこんなことができる子が育ったものだ。



長女「コシヒカリ」
ヒマヒマ大学生ライフを送っていた娘も、バイトに精を出し、どうにか運転免許もとり、就職準備のための勉強を少しずつ始めたらしい。
とはいっても、まだまだぼんやりなままだ。
その割には旅行には貪欲で、国内旅行はもちろん、今年だけでイタリア、韓国、ウラジオストクへと。
イタリアとウラジオストクはひとりでツアーに参加するという、私の経験したことのない未知の旅行形式。
8月には1ヶ月間限定で金髪にもして、楽しそうにやっている。

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ウラジオストクは私が行こうと思っていたのに、先を越されたなあ。
美しい斜張橋。


なぜだか今年はとくにそう思ったが、子供の成長ほどうれしいことはない。
心からそう思う。
学校での仕事が増えて、子供というものに接する機会が倍増したせいもあるだろう。
自分の子供の成長を見ていると、仕事で見ている中学生たちの未来を見るようでもある。


# by apakaba | 2018-12-30 19:31 | 子供 | Comments(0)
2018年 12月 25日

降誕日礼拝に行ってみた

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クリスマスおめでとうございます。
と、今日の降誕日礼拝では挨拶を交わしていた。
「メリークリスマス」とは言ってなかった。

3年前、クリスマスイブの讃美礼拝に行ってみたが、クリスマス当日の降誕日礼拝は初めてだ。


朝7時から始まるのね。早いね〜〜〜。

キリスト教徒として信仰心がなくても、礼拝(近所の教会がプロテスタントなので)に出ると毎回なるほどと思ったり、なにかしら発見したりする。
今日は「ニカイア(ニケア)信条」という文章を初めて読んだ。
この中の「光からの光」「神からの神」という言葉が目に留まった。
見たことのない、不思議な表現だ。
キリスト教は言葉(=ロゴス)の存在に重きを置く。
トートロジーのようでもあり、フラクタルにも見えるこの表現。
正直言って、ぜんぜん意味がわからない。
光からの光……神からの神……口の中でくりかえす。
いつか私にも、ぱっと意味が見える日がくるのだろうか。


# by apakaba | 2018-12-25 21:16 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 11月 19日

京都南座・東福寺・多治見モザイクタイルミュージアム・名古屋チャンバリン

京都の南座が11月に新開場したので、一泊で行ってきた。
行き先からFacebookに投稿していたレポートを加筆して(加筆部分は青字)再掲する。


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新福菜館
ねぎともやしがいっぱいなのは良し、だが私にはチャーシューが多すぎなのと麺が柔らかすぎることが好みに合わず。
むしろ麺よりヤキメシの方がおいしかった。



10年ぶりに東福寺
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事故防止のため、通天橋からの撮影は禁止とか。
そこまで混んでない。
みんな無視して撮影。そりゃそうだ。
400円も取って何を言うやら。


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まだ紅葉には早い、そしてあまり紅葉の状態がよくない今年。


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作庭家、重森三玲はまるで好みに合わないのだ。


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でもせっかく来たので一応撮る……


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ご朱印帳をもじって「モシュ印」と書かれていたが、若者は「モシュじるしだって、かわいい」と。



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京都、南座でございます。
新開場おめでとうございます!


このために来た。
南座はきれいになったが、なんだか安っぽいリノベーションに。
初めて中に入った。
歌舞伎座に較べて、ビックリするほど小さい!
なので遠い席も近い。


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11月から新開場したばかり。
南座は四条通りに面しており、写真を撮るのがとても難しい。


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この1月から高麗屋襲名を見ているが、染五郎がどんどん大きくなっている。
育ち盛りだからな。
ちょうど中学校の生徒と同じだ。



多治見のモザイクタイルミュージアムに、いたく感銘を受けた。


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外側だけじゃなかった、多治見モザイクタイルミュージアム

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2年前に開館したとき、現実とは信じられないような建築に魅了された。
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が、すごいのは外側だけで、展示はごく普通かと思っていたが。
中の展示がすごい。
各展示室をつなぐ、この階段が極度に暗くてまたすごい。
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銭湯や家庭にあったタイルの作品が最上階の展示。
年配のご夫婦がとても盛り上がっていて、微笑ましい。
まさに昭和の暮らしを彩ってきた、タイルだ。

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一枚ずつ手描きらしく、わずかずつ異なる。
二つだけ、わずかではなく激しく描き間違えている。
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そう。
昔の風呂は、こんなふうにすごく小さくて、深かった。
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どこを撮ってもよき被写体になるので、若い人は撮影に励んでいた。
しかしここを真に楽しめるのは、年配の方からせいぜい私の年くらいまでかもしれないと思う。
自分の家やまちなかに、まだタイルが現役であふれていた時代を知っている世代。

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銭湯の壁絵。
雀の殿様。
日本画は動物を題材にするととてもシュールだ。
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たしか、私が幼い頃住んでいた家のお風呂は、このグリーンのマーブルタイルが使われていたような。
このタイルの前で、強烈な懐かしさを覚えた。
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昔は台所もこんなふうな家が多かった。
ステンレスでピカピカになる前の話。
昭和の人間は、実に強い感銘を受けた。
モザイクタイルミュージアム。
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がっ、なぜか展示されていたロッキーチャックの絵皿にすべて持っていかれた!
みどりが森の陽だまりはかくれんぼするのによいところ!


名古屋にあるチベット仏教寺院へ。
しかしアクセスが予想より困難。


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新守山という駅からタクシーで10分とあったのに、新守山駅は駅前にタクシーなど望むべくもない様子、しばし呆然。
気を取り直して隣の大曽根駅へ行き、ゆとりーとラインとかいうものを探す。
ラインといいつつまさかの新交通システム(ガイドウェイバス)。



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軌道上を走行。
思いがけなくナゴヤドームを見かけた。



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日本唯一のチベット仏教寺院へ。
まずはレストラン。


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蒸し野菜のチベットカレー。

チベットカレーはもとから鶏肉と玉ねぎが入っているが、さらにいろいろな具材を追加できる。



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ほうれん草のラマカレー。
2種類のカレーがあり、それぞれおいしい。

ラマカレーはラマ僧が食べられるようなベジタリアンカレー。

からさが調節できる。



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赤い扉からのぞいているのは、まあ、ただの日本の風景。



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2000年に行ったインドヒマラヤのチベット世界を激しく懐かしく思い出した訪問であった。
中でもカーラチャクラを久方ぶりに見られてよかった。
彼の地にほんとに来てしまったような場所であった。


# by apakaba | 2018-11-19 22:20 | 国内旅行 | Comments(0)
2018年 10月 15日

またも三島に泊まるドライブ旅行

ブログを書く時間がなく、更新がまるっきり滞っている日々。
中学校の非常勤で働き、ブログを書くなら旅行記事の原稿を書いてしまうので……


これが私のページ。現時点ですでに760本書いている。記事に「いいね」してね〜。
しかし、いろんなことをやってもいるので、写真だけでも載せていこう。


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箱根のポーラ美術館で開催中の「ルドン ひらかれた夢」へ行った。
ルドンは昔から好きで、これまでもよく展覧会を見てきたが、そのたびに受けてきた印象は「心を病んでいる人」というものだった。
心を病んでいるからこそ芸術を生み出せた人はたくさんいるだろう。
ルドンもその系譜だと考えてきた。


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けれども、今回は初めて、「ルドンのことを誤解していたのかもしれない。彼の心は、病んでいなくて、健康そのものだったのかも」と感じられた。
長年見続けてきたつもりの作家でも、まったく別の印象を持つこともあるのだな。
それは企画の力か、こちらの心持ちが変わっただけなのか。
今の私には、ルドンは健やかで好奇心に満ちた作家に見えた。

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収蔵品の、フィンセント・ファン・ゴッホ『アザミの花』。
苦しく、息詰まる、絵の具の厚塗り。
やはりゴッホの心は苦しんでいた。


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宿泊はドーミーイン三島。
ここのところ、半年ごとに3回泊まっている。
なぜなら最近の一泊ドライブでは、三島の「クレマチスの丘」に行くからだ。
ふだんはシャワーだけの入浴なので、温泉はとてもうれしい。
温泉内は撮影禁止だが、一番乗りで入って誰もいなかったので。
翌朝は目の前に富士山がよく見えて、いい温泉だなあ〜と感激した。

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温泉と並んでこのホテルのいいところは、おいしい朝食。
三島らしく、しらすと桜えびの二色丼。
このあとも山ほどおかわりをして、わんこそばのようにお皿を積み上げた。


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クレマチスの丘には幾度も来ているが、ヴァンジ彫刻庭園美術館は初めて。
庭園というから屋外展示のみなのかとずっと勘違いしていた。
ちゃんと美術館が建っていた。
しかし、このアプローチは大変めずらしく、一気に期待が高まった。
照りつける日差しにさらされた石庭は、賽の河原を思い起こさせる。


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ヴァンジという彫刻家のことすらまるで知らなかった。
なんじゃこりゃ。
とてもおもしろい。

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コンクリートの壁に咲く花。
須田悦弘企画展『ミテクレマチス』を見に来た。
須田悦弘は直島で初めて見て以来のファン。
木彫りの花はコンクリートの壁の質感と相性がいい。

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屋外にあるほんものの蓮池のエッセンスがここでくりかえされる。
うその水面、うその葉、うその花に、ほんものにはない哀しさが宿る。
歌舞伎の女形が女よりも女らしいように。
ほんものの女より美しく、純粋なように。

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庭園にほんものの蓮池が。
台風一過の最高の天気だ。

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須田さんの作品はもちろんのこと、ヴァンジ彫刻庭園美術館そのものが予想外によかった。
建築がおもしろいし、ヴァンジという彫刻家もおもしろい。
地下展示室の作品が、片方は男性ばかり、もう片方は女性ばかりを並べているのも、途中で気が付いておもしろく感じた。


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雪のない富士山を見ながら帰路につく。
最近のサービスエリアは食事もおいしいし、車は調子いいし、ドーミーインは温泉と朝食がいい。
このドライブ旅行は、うちの幸せパターンだ。
クレマチスの丘には今後も末長くがんばってもらいたい。
そして12年ぶりに来た箱根ポーラ美術館も、がんばってもらいたい。


# by apakaba | 2018-10-15 14:52 | 国内旅行 | Comments(0)