あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ
2010年 09月 11日

直島旅行その3・地中美術館

その2のつづき。

地中美術館には、クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの3人の作品が展示されている。
自然の景観を損ねないように、建物を地中に埋めるという安藤建築のコンセプトは、以前に行った大山崎山荘美術館と同じである。
おととし、安藤忠雄建築巡礼の旅とおおげさなテーマを設けて大阪と京都をまわったときに、大山崎山荘も訪れていた。
そのときの感想は、「湿度が高めに保たれていて、暗さと相まって眠気を催すような、胎内的な空間」というものだった。
現代アーティストふたりの部屋はともかく、モネの部屋はきっとこの地中美術館でも同じような雰囲気なのだろうと予想していた。

c0042704_22453397.jpg




その予想は、まるで外れていた。
モネの展示室は……魂を奪われる体験だ!

展示室の前で靴を脱ぎ、備えつけのスリッパに履き替える。
部屋に入っても、すぐに衝立状のコンクリートの壁が立っているため、前は見通せない。
衝立をまわりこむようにして進むと、中はとても暗い。
しかし、足もとから(またしても!)初めての快感が、立ちのぼってくる。
この踏み心地は、いったいなんだ?
せっけん?
ろう石?
岩塩?
まさか。
でもそんな感じ。
やわらかさ、すべらかさ、なんとも脆そうな、はかない感じ。
踏んだことはないけれどもしもこれらの素材が床だったら、きっとこんな感触だろうと思わせるような、初めての感覚なのだ!
暗がりのなか、よく目を近づけて、指でさわってみると、2センチ角くらいに切った大理石の立方体の角(かど)を、芋の煮込みを作るときのようにていねいに“面取り”してあるタイルなのだった。
あとで調べると、イタリアの採石場からとってきたものだという。
遠目には真っ白だが、自然石特有のさまざまな色合いの小さなキューブが敷き詰められていることにより、床自体がすでにモザイク美術のようだ。
こんなに繊細な床では、硬い靴底で踏みつけたらたちまち欠けてしまうだろうし、せっかくの美しい色合いが汚れて台無しになるだろう。
だからスリッパに履き替えるのだとわかったが、ただ床を踏むだけでこうも恍惚となるなんて、信じられない。
靴はダメでも、むしろ裸足になって、足の裏にじかに快感を伝えたい。
モネの絵はこの暗い“次の間”のような空間の隣にあるのだが、そこへ至る前に、こっそりとスリッパと靴下を脱いで、足の裏で大理石に触れてみる。
愛する人に触れられて感じるような幸福感を味わう。
見ると、ほかの見学者も次々とこの欲望に屈し、手のひらや足の裏で感触をたしかめ、楽しんでいた。

“次の間(次というか、正しくは肥大化した入り口というか。モネのスペースより広いのだ)”の暗がりから何歩か歩いて、さらに斜めにまわりこんで初めて、太陽光だけで採光をとっている展示スペースに着く。
床の白い大理石と灯(あかり)取りから注ぐ光とが、未来的なまでに明るい空間をつくりあげている。
暗い次の間から入ってくると、まるでこの部屋は宇宙へ飛び立っていってしまいそうなくらいに、明るい。
この日は快晴で、地下であることも電気の照明を使っていないことも忘れさせるほどの明るい部屋となっていたが、日光の少ない日や夕方に来たら、今にも闇に溶けていきそうな「睡蓮」になっていたことだろう。

巨匠モネと、あなたがどの明るさのもとで、向き合うか?
それは運次第。
私の手を離れています。
だってモネが求めつづけていたことは、人工的な灯のもとからのエスケープだったのだから。

……そんな、安藤さんの声が聞こえてくる。

滋賀県にあるレジャー施設「ブルーメの丘」というところに、ひっそりとうち捨てられたような風情の美術館がある。
「日没閉館」というその建物は、安藤建築なのだ。
(そのときの話をブルーメの丘「日没閉館」にてと題して書きました。こちらも是非!)
人工照明を使わず、自然光のみで鑑賞する美術館、というコンセプトは、ブルーメの丘では(少なくとも2年前の状況を見る限り)まったく活かされていない様子だったが、この地中美術館では見事に花開いていた!
とても、とてもうれしい。

モネが大好きな夫は、この展示を見るのを心待ちにしていたが、この部屋に入ったら
「安藤忠雄おそるべし……完全に、モネに勝っている……」
とうめき声を発した。
勝ち負けを決めることではないけれど、でも正直なところ、衝撃の度合いや余韻の長さ、「また、来たい、この部屋を味わいたい」と焦れるように思い返すのは、モネの魅力よりも安藤さんの魅力によるものだった。

ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの2氏の部屋も同様にすばらしい体験だった。
現代アートというと、つい斜に構えて見てしまう人は多いと思うが、世間にころがる十把一からげのアートまがいとは、レベルがまるでちがう。
来る前に危惧していた「“現代アート”が我が物顔で島を踏み荒らしているのでは?」は、的外れの杞憂だった。

c0042704_1225013.jpg


帰り道、モネのジヴェルニーの庭を再現したような「地中の庭」。
いいところだったなあー。
はじめ、入場料2000円は高いように思ったが、これだけの体験をさせてくれるのならむしろ安い。
夫は「また来たい。また来たい。」と呪文のようにくり返している。

その4・ベネッセハウス宿泊一日目へつづく)

by apakaba | 2010-09-11 12:13 | 直島旅行2010 | Comments(9)
Commented by Matsui at 2010-09-11 20:51 x
直島。
三谷さんも行かれたんですね♪
流行ってるんですかね?
みんな行った、はまった、よかった、
これから行きたいとかそんな人周りに多いです(*^_^*)
Commented by apakaba at 2010-09-11 21:33
Matsuiさん、そうなんです!
流行っているのはたしかでしょうね。
ちょうど今は芸術祭で、かなりメディアにも出ているし。
長い連載になりそうだけど、おつきあいよろしく〜〜〜〜!
Commented by ぴよ at 2010-09-11 22:37 x
ほーう。照明のない自然光の観覧室というのはとても面白そう。
一日の間でもその部屋の空気感は変わるだろうし、天候でも季節でも
様々な顔を見せてくれそうですよね。

睡蓮の庭が、本当に正しくココでモネがデッサンしたんじゃないの!?
って錯覚を起こしそうなくらい「モネの庭」っぽいですね^^
Commented by apakaba at 2010-09-11 23:27
ぴよさん、そうです、ココは一言でいって「ヤバい」って感想に尽きるんだけど、それだと一行で話が終わってしまうからー。
無理矢理長く書いてしまったわ。

ブルーメの丘の「日没閉館」では大変むなしい思いをしたけれど、あのときのガックリが、今こうしてつながって花開いていることに、非常な喜びを覚えました。
ガックリも無駄じゃないのです。
やはり、旅をしてその場所へ行くことは、どんなガックリ体験でもあとにつながってくるんだなあとつくづく思いましたよ。

ジヴェルニーの庭に行ったことないけど(息子ふたりは生意気にも行ったのだが)、私もまさにこのイメージだなあと感心していたら、ここの植物は200種類もモネの庭と同じものを植えているんだって!
(やはり、2000円は安いような気がしてきた!)
しかも、アンケートにこたえたらこの庭の解説書をもらえました。
Commented by グッドバランス at 2010-09-13 00:00 x
 地中美術館は、私もぜひ行ってみたいところです。美術品=遠くから眺めるだけ、という視覚偏重の世界では無く、触って感じて楽しむ(変な表現ですが(^^ゞ)のは良いですね。眞紀様の文がさらに後押ししてくれましたね。
 最近、クロスロードという災害対応カードゲームにハマっています。究極の選択をするわけですが、そんな感じで物事を考えてしまいます。例えば、ラスコーの壁画。あれは自然破壊か?否か? 今回の安藤氏の美術館も、やはりブルドーザーやショベルカーが入り、いくばくかの自然が破壊されたわけで。それは許されるのか?否か? では、今私が住んでいる団地も、元は森林やら野原だったはず。それを壊して今に至るわけで…とまるでノイローゼ。でも今夏の猛暑は、やはりどこかおかしいと思うし。あぁ、今日も眠れない。
Commented by apakaba at 2010-09-13 08:20
直島その3レス。
グッドバランスさん、連投痛み入ります。
身体的な快感を得る美術館です(とくに、ジェームズ・タレル作品)。
いや、誰の作品というより、やっぱり迷路のような暗さと明るさが交互に訪れるあの美術館を歩き回る体験が、まず快感です。

自然破壊とかの話ですが、私は、学生時代に、知床自然保護活動に参加していて、自然保護ということをあれこれと考えたり勉強したりしていました。
私は「原生林」という言葉に限りないあこがれを抱いていて、知床の木は原生林なんだから一本も切っちゃいかん!と思っていました。
でも、「手付かずの自然」って、そううまくは機能しないんですよね。
やっぱり、入念に人が手を入れて(間伐とかして)やらないと、最後はクマザサが生えてその森は終了。ってことに。
人間が死滅すれば手付かずの自然もオーケーだろうけど、人間という地球にとって最強最悪の存在が出てきてしまった以上、もう後戻りはできないです。
一本の木も切っちゃいかん!って、原理主義者の発想ですよね。
Commented by apakaba at 2010-09-13 08:25
その3レスつづき。

ラスコー洞窟に描かれた絵が、のちの人間にとってどれだけの財産となったか。
直島にブルドーザーを入れて美術館やホテルを建設したことにより、一時的にはそこの森林はえぐられたけれども、その後の来島者が得る感動や、瀬戸内海の美しさへの理解など、計り知れない恩恵ももたらす。
人って、自分の目で見て、足で歩いたところには愛着を持ちますよね。
そうやって、ギブアンドテイクで自然と付き合っていくしかないのだと思います。
でも手付かずの過疎の島のままだったら?
たとえばフツーに直島を旅行した来島者が、その後何年もたってから、なにかしら直島が災害に遭ったり、自然破壊がすすんでいますとかニュースになったりすれば、人ごととしては感じられないでしょう。
胸を痛めるでしょう。
旅って、そういうものですよね。
日本中、世界中に、思いを馳せる場所ができていくことだと。
Commented by グッドバランス at 2010-09-13 20:45 x
その3レスつづきへのレス。

知床での体験のシェアありがとうございます。なるほど~、確かに自然=手つかず・放任、じゃまずいですね。子育ても一緒だな。納得です~<(_ _)>
そう、美や愛や夢につながるものであれば、イイのです。自然界も許してくれる(でしょう)

決して論議を広げる意図はありませんので、ご返答は結構ですが、私の頭にあったのは“基地”なんです。沖縄の友人と接するたびに、経済優先か、自然優先か、そもそも、なぜここの人たちが受け入れか移設かで、分断されないといけないのかなと、申し訳なく思うのです。
Commented by apakaba at 2010-09-14 08:14
その3つづき。
ナルホド。基地の話はまったくもって別レベルの話です。
沖縄については(行ったことないけど。トホホ)、慎重に考察しなければならないとつねに思っています。
国内で、あそこほど、旅行者の勝手な思い込み(沖縄最高!という無邪気な)と、現実の暗さとのギャップがある場所はないでしょう。
離婚率国内一位、子連れ「出戻り」となった女性たちが観光客相手の風俗業へ。その斡旋業者は地元の人間で……という、暗い連鎖も。
↓参考
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=891

「沖縄の美しい自然をこわすな」といった、それこそ美しいだけの言葉では、「ボクらなんにもわかってませーん」と宣伝しているようなもので。
まあちょっと直島旅行からは外れましたが、「島」という土地の磁場を考えるところは共通しているかな。


<< 直島旅行その4・ベネッセハウス...      直島旅行その2・李禹煥(リ・ウ... >>