2012年 04月 14日
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。 雨に対(むか)ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情深し。 桜の花は満開のときだけに、月は満月のときだけに、見る(価値がある)ものだろうか? 目の前の雨に向かいつつ、見ることのできない月の姿を慕い、家に閉じこもっていて春の移ろいゆく姿を知ることができずにいることも、いっそう心に染み入るものだろうよ(拙訳でスミマセン) 毎年、桜のころになると、たくさんの歌(和歌)が心に浮かぶ。 1年前は東日本大震災のすぐあとでひどくふさいでおり(その気分が、1年たっても基本的に変わっていないのがやるせないが)、桜を見て「さざ浪や志賀の都はあれにしを……」ばかりが浮かんでいた。 この春の桜には、歌よりも、『徒然草 第百三十七段』がしきりと思い出された。 そういう年齢になったということだ。 “『徒然草』を読んでどう感じるか”は、その人のトシを測るバロメーターだと昔から思っている。 高校生が古文の教科書で読まされて「いいねえ〜」としみじみしている図は想像しにくい。 第百三十七段は、このあともずっと長く文章がつづく。 男女の情交にも触れ、京都の祭り鑑賞にも触れ、最後は“死”に対する姿勢にまで言い及ぶ。 ひとつひとつの例が、正鵠をずばりと射抜いているから、そのひとつひとつを自分に引き寄せて「そう、こういう恥ずかしい人いるわ」と思ったり「自分もそうかも。」と思ったりする。 もし最後まで読んだことのない方は、是非この春の機会に、北上する桜前線を慕いつつ、読み通してみてほしい。 本などなくても、今は「徒然草137」とか「花は盛りに」とか打ち込めば全文と現代語訳くらい出てくるから(ただ、私は古文を横書きで読むことには抵抗があるが。やっぱり読みにくいよ!) 吉田兼好が比類ない名文家であることには、多くのひとに異存はないと思うが、この百三十七段の命は、冒頭部、いわゆる「つかみ」の部分だ。 「はなはさかりに」——たった7音。 「花」と古文でいえば、日本人みんなが心を寄せる、心を騒がせる桜の花のこと。 この7音だけで、読者の目の裏には晴れ渡る空に枝を伸ばす満開の桜が映る。 この章段全体を象徴し、印象づけ忘れられなくする7音。 言葉は、空から降りてくる。 言葉は、記憶の水底から浮かび上がってくる。 今年の春は600年以上昔の音、「花は盛りに」の音が降りてきたのだ(あるいは浮かんできた)。 徒然草137、セシウム137と同じ数字だ。 600年昔の言葉と、この国最大の議論の的が、ともにこの身に降りかかる。 600年前も今年の春も、桜が変わらずに咲く……この、果てしない気持ち……!
by apakaba
| 2012-04-14 18:02
| 文芸・文学・言語
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Comments(4)
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kaneniwa at 2012-04-14 23:35
吉田兼好法師は短歌(ならびに短歌批評)の名手ですから、
随筆というか ブログ記事のような文章を書いても (徒然草の内容は部屋に貼って来客のコメントを 求めていたそうなので、私は元祖ブロガーだと 思っています) 7音、時には5音が発するインパクトの大きさというか、 ひきの強さというか、それは相当なものだと感じます。 BYマーヒー
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apakaba at 2012-04-15 00:32
マーヒーさん、これはマーヒーさんくらいしかコメントつかないだろうなと思っていました。
ありがとうございます。 きっと、短歌の名手だから、春には歌が浮かぶのに今年はこの段が浮かんだのでしょうね。 文章なのだけど印象は歌のようだと感じていました。
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saltyspeedy at 2012-04-19 18:15
ご無沙汰しておりました。
ああ、今年の散歩で感じていたのはこういうことだったのだ、といま腑に落ちました。今年、咲きぬべきほどの梢も散りしをれたる庭もどれもこれもゆかしく感じるのは、あの震災直後、気持ちが垂れこめて春の行方知らなかったからこそなのかもしれません。 ご近所の散歩道見事ですね。花びらとコーシローさんの写真もうつくし。桜の前に立つ着物姿も素敵です。
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apakaba at 2012-04-20 16:44
ayaさんお久しぶりです!
そうなんです。私も、1年前の桜やモクレンを、見ては泣き、見ては泣き、と、泣いてばかりいたような感じでした。 ほんとに1年めぐったんだなあと実感しましたね。 震災直後の、激しく揺れ動いていた気分を、1年たって同じ自然の姿を見ると、また思い出します。 神田川遊歩道ですよ。 上流なので、川沿いがとてものどかです。 仕事をやめたので、そちらにも遊びに行きたいとひそかに思っています! |
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以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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