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あぱかば・ブログ篇

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2017年 12月 11日

影絵『青い鳥』__青い鳥が世界のあわいを飛ぶ

おととい、私の所属している影絵人形劇団の公演で、『青い鳥』を上演した。
メーテルリンクの戯曲『青い鳥』をアレンジした。
“青い鳥”は、比喩的な意味で用いられることが多い。
原作を読まず、“青い鳥”が「幸せは、気づきにくいが身近にある」ことの象徴と認識している人は多いと思う。
チルチルとミチルの兄妹が、見つかると幸せになれるという青い鳥を探して旅をするがなかなか見つからず、家に帰ると、飼っていた鳥が青くなっていた……という話だとされている。
ところが、実は、家にいた青い鳥もやっぱりすぐに逃げてしまうのだ。
けれども、青い鳥が逃げても、兄妹はもう絶望しない。
長い旅をとおして、幸せのさまざまな形を知り、心が強くなる。
心のあり方が変わることで、きのうまでと同じ風景も、人も、すっかり変わって見える。
青い鳥は、見えていたものと今まで見えなかったものとの間を飛び、世界をコネクトする。

劇団代表が制作発表段階でこう言っていた。
「たとえば、死を宣告された人が、身のまわりの同じものを見てもまったく別のもののように感じられる、といったような心の変化」
そうした経験は、ある程度生きた人間なら誰しも思い当たるはずだ。
死までいかなくても、治らない病気を宣告されたら。
恋をしたら。
信じていた人からの裏切りにあったら。
大きな願いが叶ったら。

だが、観客である小学生は、そんなふうに心のあり方が一挙に変わる体験は、まだないのかもしれない。
だから探しても手に入らない青い鳥の物語で、心の不思議さを知る旅にひととき出てもらう。

影絵『青い鳥』__青い鳥が世界のあわいを飛ぶ_c0042704_16272628.jpg
練習を2回通すと片耳が聞こえなくなり、ミスが増え始める


155年前に生まれたメーテルリンクの時代、フランスやベルギーを中心として、芸術は象徴主義が流行していた。
今年の美術展で入場者トップとなったミュシャ展。
ミュシャの連作「スラヴ叙事詩」はまさしく象徴主義的だ。
不思議で、唐突ともいえる構図なのに、装飾のヴェールを突き抜けてまっすぐに訴えてくる祖国への愛に、胸を打たれる。

公演後に入ったお店のBGMで、たまたま流れてきたドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。
ドビュッシーも象徴主義の音楽だ。
この曲が好きで、昔よく弾いていた。
甘美なようでいて切実で、胸を締め付けられる旋律。

これら象徴主義運動の中に、メーテルリンクもいた。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」やドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」と、原作の戯曲は通底する。
不思議で、とらえることが難しい、しかしたとえようもなく美しい、切なくなるような心の風景。

今年度は定期公演に出るのを一度休んだので、4月以来ずっとブランクがあり、ちゃんと声を演じられるかが不安だった。
上半器官裂隙症候群という、自分の声が頭に響く病気のため、影絵の声あてはとても苦しい。
声を一定以上の大きさに張って出すと、目の前がふらふらして、そのあと何時間も頭がボワーンとして、片耳が聞こえなくなる。
でも、影絵人形劇を作り上げるのは病気の苦しさを超えるやりがいだ。


4年前にもこの劇を上演して、前と同じチルチルの声をやった。
今回はもっと、メーテルリンクと劇団代表の意図を深く酌んで、チルチルの心の動きを繊細に表現しようと努めた。
それは4年分の、自分の変化。
4年たって、体はその分だけ衰えている。
でも心はその分だけ、ひだが増えている。
4年前には知らなかった思いを得ている。
同じ役をくりかえし演じることで、あらためて芸術に深く関われたと実感した。
それは一人では達することのできない境地。
ありがたい仲間のおかげだ。


by apakaba | 2017-12-11 16:37 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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