2006年 01月 17日
先日の関西行きでもっとも感銘を受けたのが、神戸メリケンパークの一角にある震災メモリアルパークだった。 11年前の今日、私にとって神戸で知っている人といえば、就職して単身で神戸へ行った大学時代の友人ひとりきりだった。 地震後、数日して、電話をかけてみたらのんきな声で出た。 「本棚の下敷きになってないかなと思って……(彼はかなりの読書家だった)。」 「あ〜大丈夫、揺れの方向と垂直方向に本が並んでたから、意外とめちゃくちゃになってないよ。オレんち、モノがないし。しょうがねえなーとか言いながら、ばらばらの本を片づけてる最中。」 「そうなの、よかったね。でも、街はすごいんでしょう。あれだけは絶対に、見た者じゃないと凄さがわからないってテレビで聞いたよ。いくら映像を見ても、本当にはわからないものすごさだって。」 「そう、それはほんとにそうだね。もうほんと、ヘンな言い方だけど『みんな、ここに、見に来てよ』って感じ。ここに来ないとわかんない。自分が無事だったから言っちゃうけど、こんなことって、自分の一生のうちに体験するなんて、信じられない光景。そりゃたいへんなことになってるよ。」 「やっぱりそうなのか……。」 「でも電話くれてありがとう。なんかだーれもオレのこと心配してくれないんだよぉ、オレひとりぼっちでこっち来て、こんなすごいことになってんのに。冷てーなーみんな。○○さん(ワタシの名前)だけだよ電話くれたの。うれしいよー。」 と、そのときはそんなふうに明るいやりとりだけをして切った。 かえって、あまりに震災直後だったから、彼自身もことの重大さの全貌をつかみきれていなかったのかもしれない。 彼にも、勤め先での混乱や、友人知人の消息など、あのあといろんなことがあったのだと思う。 ともかく、当時ひとりだけの知り合いが無事だったのでほっとして、そのあと、いくらいろんなメディアで報道や検証を見聞きしても、どことなく自分とは別世界の、遠いできごとのような感覚しか持てずにいた。 一つのせまい国の中のことなのに、こんなふうに震災をよそごとのようにしか感じられない自分が腹立たしかったし、もどかしくもあった。 ところが昨今、東京直下型地震の危険が頻繁に指摘されるようになり、自分でも“いつ、阪神大震災のような地震がくるのか”という思いが、つねに心の一角を占めるようになってきている。 そのとき、家族の5人全員、無事で生きていられるんだろうか。 だれかひとりでも欠けたら耐えられない。私も死んでしまいたい。 私だけが死ぬのは、私は楽だけど残された方が苦しいだろう。 とかなんとか、いろんなこと。 それと時をあわせるように、関西のお友だちがここ何年かの間に爆発的に増えた。 彼らにとっての震災は、どういうことだったのだろう? 美しい神戸の街を歩いても、うまくイメージが震災と結びつかない。 テレビで見ためちゃくちゃな街の光景は、もちろん影も形もない。 けれども、メリケンパークへ行って、ねじ曲がって半分水没したコンクリートの波止場の一部を目にしたとき、一瞬でなにもかもが、くっきりと見えた。 こわれた波止場など、街ぜんぶの被害のうちの、ほんの、ほんの、ほんの一部分にすぎないだろう。 でも本当に見えたのだ。 あのときここで地震を体験した人たちの恐怖が、苦しさが、絶望が、そしていつか東京で大震災が起きたとき、自分と自分の愛するたくさんの人間が、どのような死を迎え、どのくらい苦しむかが。 11年かけて、その一瞬で、初めて自分と阪神大震災が直接に結びついた。 「『みんな、ここに、見に来てよ』って感じ。」とのんきな声でしゃべっていた友人(どうも、このブログを読んでくれているような気がする)に、やっとこたえられた。
by apakaba
| 2006-01-17 22:31
| 旅行の話
|
Comments(16)
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ogawa
at 2006-01-17 22:48
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メリケンパークで、このように感じていただけたのなら
ご案内したかいがありました。 私が、神戸を案内するときに、かならず連れていく場所です。 ひとりでも眞紀さんのように感じてもらえる人が増えてくれれば うれしい11年目の今日です。
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apakaba at 2006-01-17 23:05
ogawaさん、は、はやいな!いまアップしたばっかりなのに、ビックリ!
連れて行ってもらったのに、まるっきりogawaさんの名前が出ないのもどうなの、と思ったんですけど、一人旅ふうのほうがかっこつくかな……と、ついつい見た目重視してしまいました。でも感謝していますのよ、ありがとうございました。
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satomi
at 2006-01-18 01:08
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メリケンパーク・・・、正直ただのデートコースでした(←!!オイッ!ですね)。大反省です。
今でも地震には敏感に反応します。頭上に重いものがあると揺れると落ちてきそうで怖くて置けません。が、当時、小学6年生。元気でした(笑。揺れてる時に母が私と兄を被さるように守ってくれたり、兄の頭が一歩間違えれば血まみれになっていたり(無事☆)、言葉とか頭よりも、余震が怖くて潜っていたこたつの温度とか地震時のすさまじい音とか皮膚感覚で覚えてしまっています。地震直後の遠くの真っ赤な空が異常に怖かったです。 神戸に住んでのですがにたいした被害もなく。避難所に知り合いを探しに行った時は気が滅入りましたが。。水がでないのでお皿にラップをかけながら笑いながら生活していました。
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satomi
at 2006-01-18 01:09
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よし!連続投稿!!
バカだったのかな(^^; 本当に元気でした。 「ガンバレ神戸!」がなんだかすごく県外の人が言ってる言葉なんだと感じました。ものすごく復興がはやくて、人間ってすごいな、あんなに電気も何もなかったのにな。生きてるってこういう事なのかなって実感した気がします。 地震で灯が消えてしまった「神戸に灯を」で地元の商店街が頑張っているルミナリエも、期間限定ではありますが、綺麗ですよ☆★観覧車の綺麗な神戸の遊園地(モザイクガーデン)も、もともとは神戸の人に元気になってもらおう!(なので入場料はいらない)とはじめたものなんですよ♪(^-^)
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喜楽院(新潟)
at 2006-01-18 01:52
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中越大震災では、日本中のみならず世界の注目を集めました。
除雪中の高齢者の事故死は、毎冬、中越大震災の死者数を はるかに超える数をかぞえますが、あまり騒がれないのは 何故でしょう? 都内の大学生時代、出身を訊かれて「新潟の高田です」と答えると まあ、他に褒めようがないのか「雪が降っていいですね」と よく言われた。きっと、その方たちは高知県出身の人に対しても 「台風がひんぱんに来て、人が沢山死んでいいですね。」って 言っていたのだと思う。
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K国
at 2006-01-18 07:46
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日本にいる限り、地震とは縁が切れません、当時関西には大きな地震は来ないといってました、九州も去年福岡でありました大分は活断層の巣ですが福岡には来ないと言ってたのです、どこに居ても安心と言う事はアリマセン、心の準備が必要です
台風は進路予想が立ちますが、予知の研究が進んでいるとはいえ不意に来るのが地震です、準備を怠り無く いざの時には車が動けばユニックで、車が神戸のように動けない時には 近くの重機屋からユンボを調達して倒壊家屋の救出に向かうつもりです 我が家は鉄筋コンクリートの二階建てですので、美幸さんには家に居るのが一番安全と言ってます、食料は一週間は食べられるほど近所の畑にも転がってます、来ないに越した事は無いけれど田舎ではこんなもの
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apakaba at 2006-01-18 08:56
satomiさん、先日はどうも。
そのときに子供だったか、大人だったか、ですごく大きくちがうものなんだと思う。子供は、たとえば台風のときも、台風の前に家族が窓に板を打ち付けたりするのをわくわくしながら見ていた、とか(いまなかなかそういう住宅もなさそうだけど)、来るぞ来るぞと待ちかまえていたりとか、そういう体験談をするものです。 そして大人が見落としている、すごく感覚的でささいなことを、あざやかに覚えているものです(satomiさんのように)。 それが悪いというのではなく、思い出の質がちがうということですね。 大人は絶望しそうになる自分を、子供の存在で救われ、励まされているんだと思う。 私が地震の怖さを近く感じるようになったのは、やっぱり、家族や、失いたくない人が増えたからだと思います。 どんどん、自分が、この小さい国と深く結ばれているんだと実感します。
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apakaba at 2006-01-18 09:12
喜楽院さん、先日もメリーさんと会ったときに、ちょうど「どうして除雪中の事故死者はあとをたたないのか?」という話をしていたんです。
雪に苦しめられたことのない人間には、どうしてもなぜなのかがつかめないんですよね。 イメージしにくいものに対して真剣に思いをはせることってだれにとっても至難ですよね。地震で家がつぶれているのを見ればそっちがたいへんだと思ってしまうのも仕方がないのでしょう。 だからこそ、もっと広く知らせる方法を考えないといけないんだろうなあ。同じ国の人間なんだから。 K国さん、やっぱり専門家のいうことは力強い……K国さんが助けに来てくれたら心強いだろうなあ。 この前も、お風呂で顔を洗っているときにけっこうぐらぐらきたので泣きそうになりました。「いまはイヤ!いまはやめて〜!」と。
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K国
at 2006-01-18 10:11
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喜楽院さんそうですね阪神淡路の時にも感じましたが、自治体はなぜ自衛隊に救助の要請をしないのでしょうか、今大人数で一気に動けるのは自衛隊しかないでしょう
15,6万人の自衛隊員が税金で飯食ってるのですから 重機やヘリコプターも山ほど持ってます、よその国の援助よりも足元を 援助しないとお茶を濁す程度の援助じゃなくて大部隊で考えようによってはいい訓練では、税金は有効に使いましょう 自衛隊が動き易くする為にも知事や市長が声を出さねば、雪の季節は 始まったばかりです
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たがめいぬ
at 2006-01-18 12:36
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横浜で港に携わる仕事をしていることもあって、あの地震のときは仕事上でも色々ありました。
関連する会社を通じて会社として救援物資を送ったりもしました。 その際には、何が必要かと色々相談し女性の生理用品なども送った記憶があります。 さすがに女性の生理用品を買いに行くのには抵抗があり、関連会社の女性に一緒に行って貰いました。 ただ、あの時も実際に自分の目で状況を見たわけでなく、僕自身が知っている人も向こうには数人しかいなかったので、自分の行動(会社の後ろ盾を含み)が自己満足のようで、なにかウソ臭い気がしてなりませんでした。 やっぱりあの時も自分が偽善者のようで、心に引っかかるものがあり、でもその気持ちは今の自分の行動にも付きまとっています。 関東でもいつか起こる大地震、あの時も、そして今もやはり自分自身の中で現実味に欠けています。 子供たちには、何処に居ろと言ったり、どうやって家に戻ろうとシュミレーションしていたり、それさえもする事が決まり事だからしているといった感じもします。つづく
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たがめいぬ
at 2006-01-18 12:37
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つづき
あの地震を経験し、苦労して復興を遂げた方々の気持ちは、結局僕には分からないのじゃないか そう思います いや 分かるなんて口が裂けても言ってはいけないのだと思います。
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kajikko
at 2006-01-20 12:40
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ども。神戸の友人です。
本棚の話は覚えていたけど、「冷えーてなー」は全然、記憶になかったな。そんなこと言っていたのか。 当日、朝はまだ電話が通じていて、実家に「無事だから、心配いらないよ」と電話しておいたのがよかったらしく、実家経由で無事というのは伝わっていたようです。 あの揺れは南北の揺れだったので、本棚、食器棚とも南北に置いていた私の部屋は、お皿一枚割れることありませんでした。シェルフタイプの本棚が前向きに倒れることなく、長方形から平行四辺形に形が変わったんですね。あれが、前向きに倒れていたら、まずかった。 揺れのすごさを表現すると、震度5から6ってのは、倍数でなく指数的に変化するって感じ。5 * 2でなく、5^2ですね。ずっと関東で育って、震度5経験済みでしたが、6の揺れってのは表現しがたいものがあります。
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kajikko
at 2006-01-20 12:40
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続き。
地震に対する思いは、あまり三谷さんと変わらんよ。当時は独り身だったし、比較的被害が少なかった西区在住で、知り合いにもあまりすごい被害は無かった。 地震の被害の凄さを見たのは、1月末にどうしても大阪に行かないといけなくなり、JR神戸線が通っていなくて、神戸電鉄、三田経由で移動した時でした。ピサの斜塔よろしく傾いているマンションを見たときは衝撃でしたね。その後、大阪に移動したら、みんな普通にデートしているのにもびっくり。 今は独り身の気楽さが無くなったので、三谷さんと同じく色々心配ごとが増えました。ものも増えたしね。「みんな、ここに、見に来てよ」って、そんなに深く考えずに言ったと思うんだけど、今でも当時を見ることができる施設がメリケンパークにあるのか。知らなかった。
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apakaba at 2006-01-20 18:43
kajikko……て、ええっ!!!???マジかよ!ほんとに来たんか!
もう十何年も会ってないぞ〜、ヤバすぎー。 あのとき、電話で無事を確認したあと、長々とアナタの恋愛バナシにおつきあいしたんだけどそれも忘れたか(含、やらしい話。まあ面子的に当然だが)? 今週あたまにそっちへ行ったから、明石へも……と一瞬思ったけど、時間切れだった。でもまた行くよ。もてなしてねん。美人の奥さんにも会いたいし(あなたは面食いだったからなあ)。 ていうか読んでるなら書いてよ! いは○さんもひそかに読んでくれてるらしいの。 あ、私信化している。 5は経験していても6とはちがうのか……ますます怖くなっちゃったなあ。 でも書いてくれてありがとう。当時のことを話せる貴重な人です。
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kajikko
at 2006-01-20 20:22
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はい、忘れていました。記憶力が自慢の私でしたが、歳を取るにつれ、都合の悪いことは忘れるようになりました。地震当日、その恋愛のことであれこれ悩んでいて眠れず、地震に起きたまま遭遇したので、必然的にその話になったんですね。
もう、十数年になるんだっけ。私の結婚式二次会 at 東京へは来てなかたっけ。その時の芳名録がいま手元に無いので確認できん。となると、私といは○さんの共同送別会以来、会ってないということになるので、あれは93年12月ぐらいだったので、もう12年になりますね。 いつでも来てください。家の近くにおいしい魚を食べさせる店があるので、そこにでも行きますか。美人の奥さんともどもお待ちしております。
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apakaba at 2006-01-20 20:44
結婚式二次会なんて、呼ばれてないような……浅いおつきあいねシクシク……いや、でも、アナタがワタシを呼ばないというのはありえないような……なんでだかわかんない、多分コドモでも生んでたんじゃないかなあ。
12年会ってないかー、毎年年賀状に写ってるから会ってるような気がしていた。ワタシもそれなりに年取ってますが、学生時代よりはいい人間になっているように思います多分。 じゃあ行くよ。その魚の店へ。 ラグビー清宮くんの話でもしようぜー! って、つい4日前に帰ってきたばかりなので……次の関西遠征は当分先かな。あなたが来なよ。 |
アバウト
以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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