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あぱかば・ブログ篇

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2004年 01月 30日

一人で立つ歌・立たない歌。「世の中に たえて桜のなかりせば」

書き込み常連さんの紫陽花。さんより、掲示板に

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

の歌が書きこまれているのを見て、「この歌は…、なんか他の歌と一対になってたなぁ」と思い当たり、それを思い出して調べるのに半日かかってしまった(って、ほんとに半日調べてたのではなくて、いろいろやりながら心に引っかかってたのね)。

伊勢物語第八二段に出てくる歌だった。
春、鷹狩りに親王ご一行が出かけて、けれども本来の目的である鷹狩りにはあんまり身を入れず、ひたすら飲み会を開いては歌作りに熱中しているという章段である。
みんなで桜の枝を手折って髪に挿し、歌を次々と詠み合う。
そこで業平(とおぼしき男)が、上の歌を詠む。
すると、それに返して別のひとが、このように返すのだ——

散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき

業平の歌は、いつもどおりの業平っぽい歌だ。
「散ればこそ」の歌は、無常こそをよしとする、オトナの日本人らしい態度である。
でもじっさいは、「世の中に」のほうがずっとずっと有名で、「散ればこそ」は詠み人知らず。トホホ。

思うに、「散ればこそ」は、ひとりでは立てない歌なのではないだろうか。
「世の中に」が先にあって初めて輝きを帯びる、月みたいな存在の歌。
「世の中に」は、「散ればこそ」を知らなくても、みんながうなずく普遍性を持っている。
そんなに名歌だとは思っていなかったけれど、そう考えると、やっぱり名歌なのかな。

しかし、「散ればこそ」と一対だと知っていて読むと、陰を得てますます厚みを持つようにも思える。

by apakaba | 2004-01-30 22:22 | 文芸・文学・言語 | Comments(0)


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