人気ブログランキング | 話題のタグを見る

あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ
2003年 11月 07日

家庭教師の教え子はいま

きのうの日記の関連で思い出した。

昔、家庭教師をたくさんしていた。
そのうちのひとり、芸大志望の浪人生の『古文』だけを見ていたことがあった。
センター試験(当時は共通一次と呼んでいただろうか)対策である。

サキソフォンを専攻していた。
かなりの坊ちゃんで、家に防音室があり、そこで楽器の練習をする。
日本に三台しかないんだ、と、詳しいことは忘れたけれど高機能なピアノもそこに置いてあった。
—日本に三台って?
—坂本龍一、X JAPANのヨシキ、そして僕。
—ほんと?
ホントかウソか分からないが、彼はあっけらかんとそう言った。

うんと年下のように感じていたが、今思い返すと、年は三つくらいしか離れていなかった。
教えに行くのは、夜中の11時半から。
例の防音室に入って勉強する。
お家のかたは、私が来るときまでは起きているが、私が上がれば寝てしまう。
あのう、あなたの息子に押し倒されたらどうするんでしょうか。と尋ねたくなってくるような妙な環境で、しかし至ってまじめに勉強はすすんだ。

結局、芸大には入れず、彼は渡米して、ジュリアード音楽院へ行くことになった。
—でも、古文はやっててよかった。よくわかるようになって、おもしろかった。ありがとう。お礼に、先生と一回どっかに行きたい。
どっかって、どこだろ?
当時、ものすごく飲めた私は、てっきり壮行会の名目で飲み倒すものと思っていたら、行き先は……
アイススケートリンクだった。

—僕、ずうっと勉強と楽器しかやってなかったから、スケートとか、ふつうの子がやるような遊びをしたことがなかった。今日はたのしかった!
彼があんまりにも滑るのがヘタなのに閉口して、横浜の馬車道のはずれにあるバーに引っぱりこんで、カクテル一杯だけ飲ませたら、立てないほどヨレヨレになって、本当に幸せそうにしゃべった。

—ニューヨークで、がんばって。
それ以来一度も会っていないし音信もない。
だけどたま〜に思い出すと、あの子(もう立派におじさんだ)、サキソフォンで身を立てることができたかなあ、できてるといいなあ、と思う。
束の間ふれあった生徒のひとりひとりの、行く末が、ふっと気になる。


……これを書きながら、なんとはなしに検索かけてみたら、ワア!彼は社長になっていた……出世したのね……(こちら

by apakaba | 2003-11-07 16:20 | 思い出話 | Comments(0)


<< 開設一周年      再就職試験 >>