2008年 07月 16日
「あのう。今まで『田中さん』と書いてきましたが。よかったら『真知さん』と呼んでもいいでしょうか。」 7年ほど前に、メールで書いた。 こんなことを頼んだ唯一の男性だ。 男性を名前で呼びたいと思ったこと自体、他の誰にもなかった。 彼に真知という名前はとても似合うと思っていたから。 真実をしるすという私の名前は、新聞記者だった父の考えた名前だ。 それなら、真知さんは、真実を知る人? 真理を知る人? 知こそ真なりという意味? その名前を、どなたがつけたのかは知らないが、彼にはその名前しか考えられないほど似合う。 なぜなら彼の文章には、いつでも“真”と“知”が拮抗して表れてくるから。 初めてのメールに書いたのは、 「どうやったらこれほどに書けるんだろう、といつも打ちのめされます。 個人的な印象だけで書き散らす悪文(自分も含め)が世にはびこるなか、田中さんの文章は、かならず知性と品性が高く保たれ、強靱な思考力に裏打ちされた柔らかい感性をつねに感じます。 英語で言ってみると、ディーセント、グレイスフルって感じです。」 というようなことだった。 そう、私はずっとずっと前から、田中真知さんの大ファンである。 その真知さんの新刊『孤独な鳥はやさしくうたう』は、旅行雑誌『旅行人』に連載されていたエッセイに加筆修正し、書き下ろし一編を加えた、旅のエッセイ集である。 私のような『旅行人』創刊当時からの読者なら、なつかしさで胸がいっぱいになる。 『旅行人』読者でなかった人には、今またあのエッセイが読めるようになって、ラッキーなことだと心から思う。 私はネット時代以前、毎月『旅行人』誌が届くのを待ちこがれ、真知さんのページは最後の楽しみにとっておいた。 密室育児で友だちも周りにいず、人生でもっとも旅を渇望していたころのことだ。 本書に収められた、既出のエッセイは、どれもこれもよく覚えていた。 中でも、入っているといいなあ、絶対に入っているはずだ、と願っていた「マダガスカルの長い夜」が所収されていたことはとりわけうれしかった。 『旅行人』本誌には、孤独さと旅に出たいもどかしさをぶつけるように、ほぼ毎月、ハガキを書いていた。 懸賞の応募や、自分の旅行の思い出話などとともに、真知さんへのファンレターもせっせと書いた。 この一編は、真知さんがご夫婦で旅行しているときに、奥様がひどい事故に遭ってしまった夜の話だ。 これを読んだとき、泣いて泣いて泣いた。 夫婦で大変な思いをして旅をし、大変な思いをしなければ出会えなかったものに数えきれないほど出会ってきて、命に関わるほどの怪我をしてもなお、そんな世界への扉を開いてくれた夫に感謝する。 その、奥様の言葉を読んで、こうやってたくさんの時を分け合い、夫婦として生きるこの人生も旅だ……と感銘を受けた。 当時、力いっぱいの感想文を書いた。それを真知さんが読んでくださったことから、直接の知り合いとなれた。 だから私にとっては、真知さんと自分をつなぐきっかけとなってくれた、大事な話なのだ。 8年ぶりに読んで、また泣いた。 今回、久しぶりに再読してみて、“あれっ?これは、私の作ったフレーズじゃなくて、真知さんの書いたフレーズだったのか!”とわかった箇所がいくつもあった。 『だが、事実を知ったからといって、どうなるというものでもない。それに事実は、往々にして真実とは関係ない。(「イスタンブールのデヴィッド・ボウイ」中)』 など、読んだ当座は“うまいなあ!よくこんなに短くぴったりと書けるなあ!”と感じたのに、しばらくすると自分が考えた表現のように勘違いしてしまうのだ。 誤って水に落とした大事な鍵が、たちまち水底に沈んでいくさまのように、意識の底に、すーっと深く沈んでいくフレーズ。 難解な内容でも文体でもない。 旅の珍エピソード自慢でもない。 旅の“猛者”・旅の“達人”というのなら、他にもたくさんいるだろう。 この本は旅本であって旅本ではない。 彼はむしろ、旅人というよりは旅の傍観者として在る人だ。 旅の途上で彼が出会い、ひととき交わったり交わることがないままだったりした周りの人々は、みんなクレイジーで常軌を逸しているけれど、彼だけはどこかいつまでも素人くさく、それだけ身近な人のように感じられる。 本当は、長い旅や過酷な体験を山ほどしてきている人なのに。 『海沿いの道はまっすぐである。左手に岩だらけの平坦な荒れ地が広がり、右手には裁ち落としたような崖がつづく。海からの風に舞いあげられた砂が、半透明ないくつもの帯状の層となって、道路の上を泳ぐように流れていく。(「星の王子の生まれたところ」中』 一文字も無駄がない。 これ以上語れば冗漫だし、これ以下では想像の手がかりが不足する。 あまりに端正な描写のために、名文だということに気づく間もなく、読者の脳裏にありありと“そのまっすぐな道路”の情景が立ち上がってくる。 誰にでも書けそうで、決して書けない文才。 ただの旅自慢と彼の文章の差は、なんだろう。 いうまでもなくインテリジェンスがちがうということはあるにせよ、私には、彼にとっての“読者”の想定に関係があるのではないかと思える。 どの小編も、どことなく覚え書きっぽい……というのが適切でなければ、どこか“自分に宛てた手紙”のように見えるのだ。 昔の出来事を、未来の自分に向けて忘れないように語っているような。 そう、彼にとって、読者は本人なのではないか、と思えるのだ。 “書いてやろう”“こんなエピソードで人を驚かせてやろう”といった根性から遠いから、自意識へ深く沈むような文章が書けるのだ。 私が、メールの中で“私は文章を書くのが好きだけれど、具体的になにをすればいいのかわからず、なんとなくぼけっと暮らしている”とぼやいたことがある。 まだ自分のサイトを作ろうなどと夢にも思っていなかったころのことだ。 すると真知さんから、“書くのが好きだったら書き続けることが一番です。他の誰でもなく自分を唯一の他者として書き続けるというつもりで書いてみたらいかがでしょう”というような返事をいただいた。 その言葉は、なにかを書きたいという気持ちだけはあるのに出す場所の見つからなかった当時、漠然としているようでこれ以上の励ましはないくらいの力を持った言葉だった。 そのあと私は、ほんの小さな場であるけれどもサイトを作って、今でも書くことをやめず、書いて発信することを通じて友だちも増えた。 真知さんは、ご自分で気がついていなかっただろうけれど、その言葉で私を変えてくれたのだ。 そしてその言葉は、彼自身がそうあろうとしている(もしくは、すでになっている)からこそ発せられたにちがいない、と私は思っている。 まず誰よりも自分自身を、地上唯一の読者であると想定して書きたい……書くことで心に自由を得るために。 水に落とした大事な鍵は、穏やかそうな水面からすーっと沈み、しかし水底でギラッと光を放つ。 キラッとではなく、ギラッと。 私なりの真知さんのイメージだ。 穏やかそうだが、ひりひりした感覚を持ちつづけている人。 そのイメージは、自分を見つめて書くことをしつづけていることに由来する。 なぜ“キラッとではなくギラッと”、“ひりひり”なのか、知りたければこの本を読んでほしい。 とくに「父はポルトガルへ行った」は、真知さんの亡くなったお父さんのことが描かれながら、水底で光る鍵のような作家が生まれる理由の手がかりとなりそうな一編だ。 本書中に収められた写真の前時代的ですらあるような不鮮明さも、このネット時代にあって本ならではのなつかしい手作り感を盛り上げてくれる。 もっと鮮やかではっきりした写真はむしろネットで見慣れているが、紙の手ざわりといい、文章の透明感と好対照をなす写真の不透明さといい、ああやはり真知さんはネットの人ではなくて、本の人なのだと実感させられる。 やがて、クレイジーで常軌を逸した人々の話を語る真知さんが、本当に素人くさいただの傍観者なのかと本を読みながら自問したとき、そうではなく彼もやはり狂気をはらんだ人なのだということを知っていく。 そして、書けそうで素人には決して書けない文章とは、意識という水の中のどれだけ深いところにまでその言葉が沈んでいくかにかかっているのだということを知るのである。
by apakaba
| 2008-07-16 16:32
| 文芸・文学・言語
|
Comments(18)
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キョヤジ
at 2008-07-16 18:11
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ん~、まだ第一章の「失われた足跡」だぁ。
まぁ、少しずつ味合わせて頂くとします。 今の所の感想は、「さらさらと読めてしまう文章だなぁ」ってこと。
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apakaba at 2008-07-16 18:22
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ぴよ
at 2008-07-17 03:19
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まだ手に入れてない~。
今読んでるシリーズ物が思いの他ハマっちゃって、一通り読み切らないと次に行けない感じ。 でも眞紀さんの感想の中で妙に気が惹かれたのは 「ああやはり真知さんはネットの人ではなくて、本の人なのだと実感させられる」という部分。 コレ、「本読み好き」には大切。面白いBLOGやサイトは山ほどあって、ブックマークして毎日粘着状態で見に行ったりするけど、でもそれでも「本を買って読む」という事がやめられないのは、絶対に「本」として印刷された活字を拾って読み解く事が楽しい文章、というのに出会える一瞬が必ずあると信じているから。 そして、そういう本に出会えた感動も知ってるから。 あー。早く読みたいけど、でも今は我慢する。 せっかくハマったシリーズモノを見つけたんだから、今はそれを優先させるべきだな、って気がするし。 でも必ず読むよ。ぴよも「本の人」にまた出会いたい。
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apakaba at 2008-07-17 10:16
ぴよさんお買いあげありがとうございます(あらかじめ、言っておこう)
シリーズもの大はまりは、夫の北方謙三『水滸伝』を見ていればわかるわ……病気じゃないかと思うよ。ず〜っと読んでるんだもん。 「本」って、その物体じたいが愛しいよね。 もちろんそこに書かれた文章が大事だけど、装丁とか、紙の質感ひとつも、画面で読む味気なさに較べてすごくいとしいの。 ちょっと、あまりに真知さんラヴラヴで力みかえったレビューになってしまったが、ご本人も喜んでくださったようなので十日かけて書いた甲斐がありました!
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のこのこ
at 2008-07-17 16:41
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え!?10日もかかったの? すごいわ~。 読み応えありました。
私も読んでみようと思ったわ。いい紀行文ってずっと読んでないし。 それよりもすっとしみこむ文章に出会ってないから脳みそがカスカス。 少し埋めたい。(すんません、原因はそれだけではありません。ただのボケカスです。) ポチっとするかな。
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apakaba at 2008-07-17 16:50
のこのこさん、お買いあげありがとうございます(早めに言っておこう)
シロートにも書けそうなのに決して書けないってトコがポイントなのよ。 難解ではないから、私が読み終わったら「アキタコマチ」が読み始めてる。 子供にはまだ旅を感じるのは難しいかもしれないけど、子供でも読んでいてぐっと入ることのできる名文だと思います。
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ogawa
at 2008-07-17 21:37
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田中真知さんの著書久しぶりに読みました。
私も一度だけ旅行人がらみで田中真知さんにお会いしたことがあります。 もちろん先方は私のことなど覚えていないですが。 その話はまた別の機会に。 相変わらず簡潔で無駄の無い文章、上手いですね。 でも読み終えて感じたことは「こういう旅行記は一般的に受け入れてもらうには難しい時代になったな。」ということです。 「追いかけてバルセロナ」の章ではイタリアで知り合った女性をバルセロナまで追いかける話でも、1988年当時は東西冷戦の最中でギリシャ、イタリア、スペインは北ヨーロッパより物価がはるかに安く、アジアからの旅行者はこのエリアで滞在していたこと、携帯電話やネットなど無い時代でした。こういう背景を知っていると、この追跡行がどれだけスリリングで知的な面白さかあるかわかります。 「父はポルトガルへ行った」中で現地大使館付けで手紙が届いた話も私も利用したことがあります。 電話もままならない時代、大使館付け、中央郵便局付け、AMEXの支店付けの手紙が家族知人との唯一の連絡先でした。 文字数オーバーなので一旦切ります。
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ogawa
at 2008-07-17 21:39
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続きです。
その中での体験。 どれもが懐かしい同時代の旅人の経験ですが、それを知らなくても古さを感じさせないのが真知さんの上手いところだと思います。 「情報」の無い「旅行記」という分野。 先も書きましたように90年代のように旅行記でも出せば玉石混合で石でも売れた時代はネットの素人の旅行記に席捲されてしまい、本物だけしか残らなくなった時代。 真知さんの本はまさしく残る本です。 やっぱり売れてほしいなぁ~
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apakaba at 2008-07-17 23:13
ogawaさんお買いあげありがとうございます。
こんなリッパにコメントくれるならご自分のブログでも紹介記事書いてください。 ここなどよりよっぽどお買いあげ数アップになるでしょう? よろぴく。 私も、今日はアマゾンのブックレビューにここの後半部分をざっくり取ってコピペしてきました。 >やっぱり売れてほしいなぁ~ ogawaさんが販促活動してくれれば倍増でしょう。 私も、昔はほんとに旅本を買いあさって読んでいました。 とりあえず、どれもおもしろかった……とは思うけど、手元に置いておきたいというほどでもなかった。 かといって、今は常識のネット旅行記も興味なく、結局は友だちの旅行記を閲覧しているだけで満足という状況です。 そっちのほうが楽しいし。 あふれすぎていると、もういいやと思ってしまいますね。 古さを感じさせないのは、どんなに特異な体験をしたとしても、人としての普遍的な感情に回帰していく文章だからでしょうね。
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apakaba at 2008-07-18 19:01
皆の衆へ。
本日、田中真知さんのブログ「王様の耳そうじ(私のブログのリンク欄にあります)」で、ココのことを紹介してくださいました。 http://earclean.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_bf51.html たいへんだ。 真知さんのファンが読みに来ちゃうよ。 くれぐれも、よい子でね! (もう遅きに失してるのかもん!)
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apakaba at 2008-07-18 19:53
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キョヤジ
at 2008-07-18 20:10
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休んでいる場合では・・・ないなぁ。(笑)
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apakaba at 2008-07-18 20:38
更新を休むと、かなりらくらく〜なの。
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at 2008-07-18 20:56
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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apakaba at 2008-07-18 22:46
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apakaba at 2008-07-18 22:49
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apakaba at 2008-07-21 11:44
ogawaさん、夏休みなのは更新だけで、コメント欄はたまにチェックしますからご遠慮なく。
すばらしいレビューで感激しました。 旅行人の報告会というのは「旅行人ナイト!」ってやつかな? 私も行ったことありますよ。 そこでいろ〜いろな出来事が。 |
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以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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