あぱかば・ブログ篇

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2018年 07月 13日

影絵のこと

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犬は後悔しない


影絵人形劇団の今年度最初の公演が終わった。
私は毎度ながら主役の少年の声を当てた。
しかし、この4月から教員の仕事が倍に増えたため、練習にほとんど参加できなくなってしまった。
これまでは、企画段階からきちんと関わり、作品理解のための話し合いを重ねて、ほとんどの練習に参加してきたのに。
ようやく休みを調整して練習に行けたのは、もう最終段階でたった3回。
家で自主練をする余裕もなく、みんなとの温度差を感じながら、明らかに「口だけで」セリフを読んでいた。
これじゃあ、なあ……と焦るけれど、役が見えてこない。
自分に与えられた役割が、わからない。
わからないまま、とうとう本番の朝になっちゃった。

私は必ず主役をやる。
劇団代表が作る話は、私が読むことを想定してセリフが書かれている。
ラストに、その話の核となる主役のセリフが用意されている。
「ちゃんと主役をやって、特にここをしっかり読んでね」と口に出して頼まれたことはないが、初めて台本を開いて目を通すとき、いつでもその核となるセリフがバーンと目に飛び込んでくる。
そこに行き着くと、「これを読むのは私なんだなあ」と、代表からのメッセージ、いや、命令としてそのセリフを受け取る。
受け取ったら、大切に大切に磨いて、練習期間中はそのセリフのことをずっと考えている。
でも、今回はそれがまったくできていなかった。

私よりうまい人、きれいな声を出す人はいくらでもいるだろうけど、私より切実さを声に込める人はいない、と自負している。
私などはただの素人だから、どっちにしろたいしたものではない。
しかし、私の声で、見ている子供たちを別の世界へ連れ出したい。
別の世界を垣間見せたい。
誰も代わりになれない声を出したい。
ずっとそれを目指してやってきた。
それなのに、こんなに何も決まらないままで本番とは……と、暗い気持ちで起き上がった。
起きたときに急にすべてがわかった。

今回の役は、大地の子(王子)だ。
戦争で大地が荒れ果て、悪魔の存在がはびこり、森も海も暗くなってしまった世界に、力を合わせて再び明るさを取り戻そうという話。
最後、明るさが戻った世界で、これからどうするのかと聞かれ、王子はこう答える。
「この国が元どおりになったら、旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、お互いの国を知り、二度と戦が起きないようにするんだ。」
ずっと口先だけで読んできたけれど、その朝、突然この言葉が、自分とぴったり重なったのだった。
これは私がずっと求めてきたこと。
どうして今まで、わからなかったんだろう?
このセリフの深さに。

当日に気づいたから、仕方なく、ぶっつけ本番で読んだ。

「この国が元どおりになったら、」
私は自分の国の現在と未来を憂う。
他国の現在と未来も、やはり憂えている。
“元どおり”への、なんと道のりの長いことか。未来はあるのか?

「旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、」
10代のころから、ずっと続けてきたこと。
旅に出よう。広い世界を知ろう。
これまで旅してきた世界の、さまざまな情景が目の先を移っていく。

「お互いの国を知り、」
海外旅行ライターをほそぼそ続けているのも、読む人に、世界にはいろんなところがあり、いろんな人がいると知ってほしいからだ。
価値観を固定してほしくないのだ。

「二度と戦が起きないようにするんだ。」
今起こっている、世界の不幸を思い起こす。
紛争、衝突、テロ、そこで犠牲になる人たち。
二度と戦が起きないように……そうなったら、どんなにいいだろうね。
そんな世界、来るのかしら。
でも、この王子ならやるのかも。
子供向けの話では、世界は象徴的であり単純化されているが、それだけに、真実へいち早くたどり着ける力がある。
二度と戦が起きない世界。二度と戦が……と、ここで私は決定的な失敗をしてしまった。

世の不幸を眼前に再現しながら読んでいたら、本当にグッと込み上げてしまい、声がよろよろと震えてしまった。
泣きの演技や死ぬ演技は数えきれないほどやってきているが、本当に泣いてはいけないのだ。
声が弱々しくなってしまう。
ああそれなのに。
自分と重なり、感情が押し寄せて、ヘタクソな響きになっちゃった。
大後悔。

しかし、このように一種のトランスに入ったのは初めてのことで、本番で読みながら驚いた。
やはり、言葉には魂が宿る。
影絵は総合芸術で、すべての駒が合わさってひとつの大きな力になる。
私の声も、ひとつの駒。
他のそれぞれの持ち場も、大切なひとつの駒。
欠けたらできない。
こんなに心を動かされる体験を、自分たちの手で作れるのだから、本当に幸せなことだ。


# by apakaba | 2018-07-13 16:52 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2018年 06月 10日

地元の神社で水無月茶会

学生時代、早稲田大学茶道研究会というところに所属していて、今日は学生主催の「水無月茶会」に行ってきた。
卒業してからめったにお茶会に行かないけれど、今回は、うちのすぐ近所が会場だったことで行ってみたくなった。


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はい、地元の皆さんはわかりますね。
大宮八幡宮です。

大宮八幡はよく行っているのに、ここにお茶室があることをまったく知らなかった。
境内のどこにあるのか知らず、それも冒険気分で楽しみだった。
この写真の左手に本殿があり、正面は手水舎、その右の、しめ縄の張ってある小さい門、ここが入り口だった!
初詣やらお祭りやらでしばしば通るが、この奥のことを知ろうともしていなかった!


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しめ縄の門をくぐると、このように!
竹の植え込みの向こうに、いつもの風景が見え隠れ。
参道を走る子供の声が、竹の隙き間から聞こえてくる。
鏡の中に入って、鏡の中からこちら側の世界を見ているみたい。


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そして、本当にありましたお茶室が!
こちらは濃茶席。
薄茶席は、待合に続いた広間があった。
なんと二つもお茶室を持っていたのね。

濃茶と薄茶と、ふた席入ったが、両方ともすばらしい道具立てだった。
なんたるお金持ちなサークルよ。
来年、創立70周年になるが、伝統あるサークルは卒業記念品も増える一方だし、私が所属していたころに較べてお宝が揃っているのだろう。

2年生のぎこちないお点前と半東さんをほほえましく見つつ、こんなすてきなお道具に囲まれてお茶席に入れるのは、実に得難い体験だなとしみじみ思っていた。
どんなに茶道具の名品がそろう美術展でも、この贅沢さには遠く及ばない。
美術館で、人の頭越し、ガラス越しに張り付いて道具を眺めても、それはあくまでも鑑賞。
お香が焚かれたお茶室に入り、おいしくて美しいお菓子を食べてお茶を飲んで、愛らしい道具、奇抜な道具、豪華な道具、そのひとつひとつと、学生さんたちの取り合わせに感心し、それを手に取ることさえできるなんて。
お茶席に入ると、ホリスティックな幸福感を得られるのだ。


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お昼は地元の名店「蘭」にて


幽霊部員だった学生時代には、この歳になって自分がこのような感慨とともに再びお茶会に行くとは想像もしていなかった(基本的に、若者はそんなに先の未来なんて想像しないが)。
加えて、見慣れていたはずの地元の神社の風景が、ぐるりと何もかも変わって見えるという、不思議な感覚も味わえた。
大学生になってサークルに入ったときに買った袱紗ばさみ(茶道用の小物入れ)は、今日、取り出してみたら、いつの間にかボッロボロになっていた。
娘が高校生のころ茶道部に入っていて、そのころは娘にも貸していたので、今にも崩れて小物が出てきそう。
来年の70周年記念茶会までには新調して、これからも細く長く、茶道と付き合おう。


# by apakaba | 2018-06-10 18:40 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 06月 01日

子供との毎日で

6月は月曜から金曜までぎっしり学校に行き、土日も自習教室のボランティアに行く週がある。
自分が中学生だったころはあんなに学校と学校の先生が嫌いだったのに、いつの間にか中学校にどっぷりじゃーん。

昨年度から行っていた学校の方は、生徒も私に心を開いてくれていて、ありがたい。
今年度から行き始めた方は、まだ新しくてたまに来るだけのセンセイのことがよくわからないながらも、どうやら味方になってくれるらしいと思い始めたようで、少しずついろんなことを話しかけてくるようになった。

きのう、昨年度から行っていた方の生徒から言われた言葉。
「あのね、先生、先生は、先生の中で最高。この学校の全部の先生の誰よりも最高。俺はそう思う。」
たまにしか会わず、ほぼ話したことも勉強を教えたこともなかった生徒も、こんなふうに思ってくれているなんて、本当にうれしいことだ。

「先生、教えて!」「先生が授業やってよ!」と言われるけど、私の役目は授業ではなく、こそこそっと小声で教えるだけなので、ちょっともどかしい。
でも生徒との距離感は近い。
自習などで少しは自由な感じで勉強できるときには、いろんな声色で間違いを指摘したりする。
「先生、いろんな声が出るんだねー。」
「今の声、かわいい!」
「孫悟空の声やって!(まだ言うのか←影絵公演でやったことがあるので)」

体はクタクタだけど、学校に行っている間は疲れたなんて思いもしない。
生徒の顔を見ると、かわいくて、とたんに元気になる。
で、一人になるとどっと疲れが。

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長男「ササニシキ」が突如「これをあげましょう。」と言う。
「なにこれ。もらいもの?」
「ちがう。」
「買ったの?なんで?」
「日々の、感謝。」

日々の感謝だそうです。驚くね。
きっと家にいる私は、精根尽き果てているのだろう。


# by apakaba | 2018-06-01 21:10 | 子供 | Comments(1)
2018年 05月 20日

しのごの言わず、覚えないといけないこと

近隣の中学校で、土日に自習教室をやっている。
私は、2年前からそこで講師のボランティアをしている。
きのうと今日も行ってきた。

この自習教室は年々人気が出てきて、今年度はさらに大盛況。
3年生になっても来ている子がたくさんいる。

3年男子は日本国憲法前文の暗記にうんざり。
「ねー先生、これ全部覚えるんですよ! 大変すぎるでしょ! なんでこんなの覚えないといけないんですか!?」

「おお。これは日本国民の義務だよ。これは覚えないと。」
「えっ、先生も覚えたんですか?」
「おーもちろんよ。」
「じゃあ言ってみて!」
「“われらとわれらの子孫のために”ってヤツでしょ? えへへ。」
「そ、それくらいはぼくだって。」

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新宿御苑にて


「あのね日本国憲法前文は、覚えないとダメなやつだから。これは義務というより、国民の権利なの。」
「そうなの!? どうしてですか?」
「だって読んでみてよ。胸アツでしょう、この辺とか、この辺とか(“専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと……”、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する……”)。」
「ううーん? 言葉が難しい。」
「日本が戦争に負けて、どん底のところから立ち上がろうとして、この憲法を作ったわけ。感動的だよこの文章は。」
「そうか〜。“諸国民”ってなんですか?」
「ん、たくさんの他の国のことよ。日本だけが発展するんじゃなくて、世界の他の国とも一緒に発展しようってこと。」
「なるほど。」
「胸が熱くなるねこの文は。今は覚えろ覚えろって先生に言われて、やらされ感が強いと思うけど、勉強ってそういうものなんだ。今このときには『なんだかわからないなあ』と思っても、無理に覚えさせられたことが、そのあと一生の宝になるということはあるからね。
日本国憲法前文を覚えることは、そのあとのあなたの人生でずーっと持っていられる宝物だよ。」
「そうなのかあ。わかりました!」

改憲の議論がこの先どうなるのかわからない。
しかし、ろくすっぽ知らないものを論じる資格はないと思う。
彼もあと3年で選挙権を得る。


# by apakaba | 2018-05-20 22:04 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 04月 09日

突如おかーさんをダサいと言う

新学期になり、私もいよいよ自転車通勤が始まる。
今まで行っていた学校(今年度も行くが)までは徒歩5分だったため、“通勤”にほとんど気を配らずに1年間勤めてきた。
今度は自転車で20〜30分くらいかかりそうなので、気になるのが“日焼け問題”だ。
私は紫外線アレルギーで、UVケアをしっかりしないといけない。
徒歩なら日傘を差すけれど、自転車なので帽子をかぶることにした。
キャップだと首の後ろが露出してかゆくなるから、つばの大きい帽子。
先日、つば広で風でも飛ばされなさそうな紺色の帽子を買った。
ファッション性ゼロだが、通勤だけに使うからいいの。

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ソウルでは娘だけ韓服をレンタルした。
私は付き人のように撮影だけしていた。


と、思っていたけれど、やっぱり新しいアイテムはうれしいので、まだ通勤が始まらない春休みに、買い物や犬の散歩で毎日かぶっていた。
ところが娘の「コシヒカリ」と出かけようとしたときに、私がこの帽子をかぶると、
「おかーさん。ダサすぎる。」
と。

コ :なんでそんなにダサい帽子をかぶるの。こんな帽子見たことないよ。なにもここまでダサくなくても。
私 :どうせ通勤にしか使わないから……。
コ :そう言って通勤じゃなくてもかぶってるじゃん。どうして自分からダサくなろうダサくなろうとするわけ? わたし、恥ずかしい。もしもわたしの友達とかに会ったら。
私 :ええっと、どうせいつも帽子をかぶってマスクもしてるから、私だってバレないよ。「あ、『コシヒカリ』ちゃんのおかーさんだ、ダサいー」とか、言われないよ。犬を連れてたら犬しか見ないでしょう。
コ :ちがうから! どんなに顔を隠しても無駄なの。コーシローは友達の間で有名なんだから。犬を見れば「あ、この犬を連れているダサい人は、おかーさんだ」って友達にもわかっちゃうの!
私 :ご、ごめん。
コ :わたしまでダサいみたいで困る! わたしがダサくて捨てようと思ってた(ユニクロのミッキーマウスが描いてある)トレーナーを着てるし、ボロボロのウインドブレーカーを着てるし(そのときの服装)。それで帽子がそれでしょう。それって自虐だよ。なぜそこまで自分を貶めるの。わざとダサく見られようとしてどうするの。

なんでこんなに攻撃してくるのかねこの娘は。

私 :かわいい「コシヒカリ」ちゃんの付き人としていればいいの。存在を消したいのよ(意味不明)。
コ :そんなの意味ないし、逆に目立ってるから。通勤には、ほら、みんなかぶってる、こんなやつ(サンバイザー)、あれでいいじゃん。
私 :あれは首筋を覆わないからダメなの。
コ :だったら首にタオル巻いて。そしたらたくさんいる“ダサいおばさんの一人”に混じれるじゃん。自転車で通り過ぎても、誰も注目しないよ。存在を消せるよ。この帽子じゃ、「あ、今通り過ぎた変な帽子は『コシヒカリ』のおかーさんだ」って一発で覚えられちゃうのよ。“ダサいおばさんの一人”にすら、入れてもらえないのよ!

なにこの子。
昔はダサかったくせに、ちょっと色気付いてかわいくなってきたと思ったらこの口のききようなのね。
ビックリしちゃうね。


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まあ、たしかにかなりかわいかったが……



# by apakaba | 2018-04-09 22:39 | 子供 | Comments(0)
2018年 04月 05日

私と同じ声

先日、久しぶりに姉と会った。
私と姉は付き合いが薄くて、数年にいっぺんしか会わない。
私と、見た目は似ていないが(姉は私よりだいぶ太っているので)、声がそっくりだ。
見た目だけでなく、しゃべり方もたいして似ていない。
それでも、会うたびに自分の声を聞いているようで変な気分になる。

「自分の声」を、録音以外の生の声で聞くことができる人は、めったにいないと思う。
というかそれは物理的に不可能なのだけど、私はかなりそれに近い体験をしている。
私は影絵の声の担当をやっているので、録音した自分の声はそうとう聞き込んでいる。
だから(声を仕事にしている人以外の)普通の人よりは、録音した自分の声を聞くことに抵抗がない方だと思う。
「録音した自分の声を聞くのは嫌い」「違和感がある」といった拒絶反応をとっくに超えて、客観的になっている。

それでも、リアルタイムで、自分にそっくりな生身の人間の声を間近で聞けるのは貴重な機会だ。
こんな感じで聞こえているのか(、私の声は)。
こんなふうに声を張ると、こんなふうに響くのか(、私の声は)。
などなど、話の内容そっちのけで、姉のおしゃべりに別の意味で聞き入っている。
妙な話だけど、影絵の参考になる。

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人生もたそがれどき?


今年度から学校の仕事が倍増し、影絵の練習に出るのも難しくなったけれど、またやりたいなあ。
これからの私の人生、学校の仕事より、おそらく影絵で声を出すことの方を先にやめることになると思うから、それまではがんばって声を出したい。


# by apakaba | 2018-04-05 21:10 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 04月 01日

ビュフェ美術館と江之浦測候所

春休みのドライブ旅行に行ってきた。
目的は、三島の「クレマチスの丘」にある「ビュフェ美術館」と、小田原にできた「江之浦測候所」を見学することだ。


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ここにはなんどもかよっているけれど、いつ来てもガラガラ。
今回の展示は後期展示で、1年前に前期展示にも来たがさほど大きな入れ替えはなかった。


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いつ見ても、気持ちが沈鬱になる。
人間の肉体も、心も、やっていることも、そんなにかっこいいことではなくて、進歩がない。
筋肉がなくたるんだ体と、感情のない、疲れだけが宿る表情。
キリストの受難も、イェルサレムのアイヒマンも、今日、くりかえされている虐待や殺戮も、みんなこんな表情で行われてきたのかもしれない。


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同時開催で、丸木位里・俊の作品展もやっていた。
原爆を描いた大作は撮影自由。
死んで水の中に沈む子供に目がいく。
ピカソはゲルニカを描き、ビュフェも戦争で傷ついた人を描いたが、日本でもこういう絵を描いている人たちがいた。
今の世界で起きている紛争や戦争は、報道写真でしか目にすることがない。
戦争の絵を描く人は、今いるのだろうか。
私が知らないだけなのかな。



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IZU PHOTO MUSEUMの展示は凡庸。
これだけ誰でも写真を撮る時代になると、 写真家(映像を含め)の仕事はますます難しくなるだろう。


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江之浦測候所は、杉本博司が立ち上げた小田原文化財団のアートである。
ちょうど桜と菜の花が満開のときに重なり、最高のアート日和だった。


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解説を読みながら歩かないと、どこにお宝が隠れているかわからない、探検型アート。
これは冬至の日の出が通る道。


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冬至の日の出が通る道は、海に向かって張り出していた。
隧道の上を歩くのは、風が吹くとちょっと怖い。


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人が立っている。
白木造の舞台は、光学ガラスでつくられた能舞台。


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茶室の沓脱ぎ石も光学ガラス。
このガラスは、春分秋分の日の出の通り道にあたる。
しかし、このあたりで徐々に我々は気づいてくる。
この場所は、すべて……“シャレ”でできているんじゃないか!?
シャレといって悪ければ……これらはすべてイメージのため、自然への回帰に向かって行くための大仕掛けだ。
だって、いくら冬至の日の出だの春分の日の出だのといったところで、その光を実際に見ることができる人はいない(この施設は定員制で、日の出・日の入りの時刻に見学者は入れない)。
いるとすれば、杉本氏本人くらいじゃないの。


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やっぱり。
待庵を模したという茶室は、一見ありがたそうだが、裏手に回ると垣根は竹ぼうき(杉本氏はこれが好き)、屋根はトタン屋根。


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そして軸には「日々是口実」。
にやにや笑っているような筆致。
諧謔の人・杉本博司の茶室だ。


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のどかな風景にたたずむ「亀石」。
これもシャレだ。
頭は首都東京を向く。
敷地内には、歴史的価値の高い石や、文化資産である石がふんだんに使われている。
しかしこの亀石はとくにそうしたものではないようだ。
“おもしろい”とピンときたら、置くのだ。


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杉本氏の諧謔のあとをたどり、見学者は歩き回る。
石舞台を踏んで楽しむ。
「冬至の日の日の出」「春分・秋分の日の出」「夏至の日の出」などの、太陽の通り道を生真面目に確認しながら歩く。
実際には見ることのできない、太陽の通り道を。
ここにまっすぐ日が差す。
ここに光が当たる。
そのさまを思い浮かべながら。


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いい季節だったので、のんびりと過ごせた。
雨だったり、暑かったり寒かったりしたら、かなり印象が変わるだろう。
杉本氏の諧謔の果てにある、日本と現代文明への危機感と、土地に根ざし自然を信仰する純粋な気持ちを感じとれる。
しかしすぐに感じとれるというほど、やさしくもない。
彼の頭にあるイメージに追いつくため、自分を今一度試されるようなアート施設であった。


# by apakaba | 2018-04-01 15:56 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2018年 03月 23日

今年度の学習支援教員の仕事が終了して

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きのうで、今年度の私の出勤は終了した。
中学校の学習支援教員になってちょうど1年がたった。
この仕事は、思っていたよりずーっと……楽しい!
ライターの仕事もほそぼそと続けていて、書くことも子供に接することも両方できる。
本当にいい1年だった。

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早大正門近くの桜は、咲くのが早い

今年度は週2回の出勤だったが、4月からはもう一校にも呼ばれて、週4回勤務になる。
ノートやファイルを増やさなければならない。
新しい文房具を早稲田大学の大学生協とギフトショップで買った。

自分が人の役に立っている、毎回、毎時間、なんらかの形で確実に役に立っているという実感を、この1年間で得てきた。

私は早く結婚して主婦になり、自分は無能な人間だとずっと思ってきた。
私は家事がとても嫌い。
女は家事をするもの。
家事が苦手な女は、すなわち無能。
夫に食わせてもらっているという意識からどうしても抜けられず、かといって家事ができるようになるかというとそれもなく(料理は自分が食べたいからするが、毎回ひどく苦痛)。
しかし、この仕事を始めてみると、朝起きるのが面倒だなーと思うことも、今日は仕事に行きたくないなーと思うことも、一度もない。
一度もないって、スゴくないデスカ!!

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ミャンマー料理、豚モツの汁なしビーフン

私は仕事が嫌いな無能な人間なんじゃなくて、ただ家事が嫌いなだけだったのか!
家事が嫌いでも、イコール無価値というわけじゃ、なかったのよー!
この歳にして初めて知ったよ!
ついでにライターの仕事も、嫌だと思ったことがない。
時間さえ許せばもっともっと書きたい。
誰かが家事を代わってくれて、私がセンセイとライターの仕事をずーっとやれたらなあ。
誰かって誰。
夫か。
現実には、収入に差があるからあきらめるしかないが。

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東京媽祖廟で、来年度からの成功を祈る

4月から出会う、二校の新入生。
「先生、来年もいるの?来るの?やったー!」と言ってくれる今の生徒たち。
近隣の新入生の中には、私の影絵の声を聞き続けてきた子もいっぱい。
小学校を卒業して1年たった今でも「先生、孫悟空の声やってやって」と甘えてくる1年生もいる(やりません。授業中なので)。
仕事が倍増するのが、本当に楽しみだ。

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荻窪のマレーシア料理。フィッシュヘッドカレーだというが、むむむ?

以前、シンガポールで、インド占星術師に占ってもらった。
「あなたはmoveということががカギになる。それは物理的に移動するという意味でも、環境を変えるという意味でもある。人に呼ばれたらそれに従いなさい。常に動き続けるんだ。そうすることであなたの道はひらける。」という言葉が心に残った。
そのときはピンとこなかったけれど、やっと最近わかってきた。


# by apakaba | 2018-03-23 04:47 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 02月 19日

椎間板ヘルニア発症

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釜山を歩いている時は、元気だったのに


椎間板ヘルニアだけはなりたくないなー、と前から思っていたのに、自分がなってしまった。
3年くらい前からか、右足の裏がしびれていたが、とうとう激しい腰痛が。
今日は息も絶え絶え、外出の予定もみんなキャンセルして、整形外科に行った。

整形外科の先生には、「一難去ってまた一難ですねえ」と言われたが、そうではない。


五十肩はまだまだ痛みの真っ最中だし、テニス肘は4年前から治っていない。
体の痛みは去らず、増えていくだけ。
若い頃からつねに虚弱で不調続きだったが、今はもうほんとにトシなんだなー。
韓国旅行の最中に痛くならなかったのは、せめて不幸中の幸いか。


椎間板ヘルニアと診断されたときは、耳の病気を告げられたとき以来のショックだった。
ガックリ絶望しながら、激痛をこらえて運転して帰った。
家に帰ったら娘の「コシヒカリ」がめそめそと泣いている。
「おかーさんが、もう歩けなくなると思ったら、かなしくて……旅行とかも行けなくなるの?」
小さい子みたいだ。
飛躍した思考だけど、将来的にどうなるかはわからないので、私も不安。

今日は次男の「アキタコマチ」が定休日で家にいて、「椎間板ヘルニアになっちゃった。」と言うと、「おかーさんも次から次へと大変だね。」と言う。
「コックは腰痛持ちが多いんだ。椎間板ヘルニアの人もいる。コルセットをして固定して、腰に負担をかける動作をしないようにするんだよ。痛くなくなればふつうに生活できるし、手術とか考えなくても大丈夫だよ。おかーさんもとにかく早くコルセットをすることだね。」
「アキタコマチ」は未来しか見ないし未来を信じている。
前に耳硬化症で私がめそめそしていたときも、同じだった。


家族がいるから、私もがんばるんだなあ。
そしていろいろ検索していたら、「椎間板ヘルニアは、炎症を抑えることが治療の第一義」というのを読んで深く納得した。
椎間板が出っ張って神経にさわるから痛むのではなく、神経の当たっている箇所に炎症が起こっているから痛いのだという。
炎症を抑えれば、単に圧迫されているだけで痛みはない。

私が深く納得したページ。

シロートは「出っ張ってるのが悪いんだから、出っ張りを手術で除去すればいいんだ」と考えがちだが、手術しないで椎間板が出っ張ったままでも、痛みさえ出なければいいわけだ。
出っ張りと共に生きるということですな。
トシをとるとは、不調をやっつけるという考え方だけではだめで、不調をいなし、不調と共に生きる知恵をつけることだな。

私は簡単に絶望するが、わりと簡単に復活して、希望を持つ。
それも長年のさまざまなくだらない不調で身につけた、生きる術だなー。


# by apakaba | 2018-02-19 21:39 | 健康・病気 | Comments(0)
2018年 02月 16日

旅行帰りにゾンビの夢を見る

バッテリー交換のための、PCナシの一週間は無事に終わった。
その間に、釜山と慶州へ旅行に行ってきた。

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先日、韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』を見て、予想以上のおもしろさの余韻に浸ったまま、韓国へ。
ドラマの主たる舞台となった韓国版新幹線「KTX」に乗った時は、ワクワクしつつも怖かった。
映画のように、ゾンビがKTXに乗り込んで襲ってきそうで。
長い車両や、座席の間のせまい通路、登場人物たちが隠れたトイレ、頭の上の荷物棚など、映画のシーンを思い出しながら、感慨深く乗っていた。
韓流ドラマのロケ地めぐりをする日本人女性の気持ちも少しわかる。
見たばかりの映画の舞台を訪れるのは興奮する!

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チャガルチ市場。小さなエイはかわいいが、見ようによっては怖い


楽しい旅行から帰ってきて、家で寝たら悪夢を見た。
自分の家が実際より広くなっていて、水族館のように水深のある大きな水槽で、大きなヒラメを何匹も飼っている。
(ヒラメが出たのは、釜山のチャガルチ市場というところでヒラメの塩焼きを食べたからだ。)
ヒラメはそれまでとくに動きもせずにいたのだが、いきなり騒がしくなった。
オットセイのようなものが水槽の中に侵入していて、ヒラメを食っている。
それで水槽内が騒がしくなったのだった。
(オットセイが出たのは、龍宮寺という海辺に立つお寺のオブジェにオットセイがあったからだ。)


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龍宮寺で見かけた石造りのオットセイ。
お寺っぽいありがたさもないし、どうしてここにあるのか理解に苦しんだ。


エンガワをきれいに食いちぎられても必死で逃げようとするヒラメ。
暴れるオットセイ。
水が泡立つ。
なんとなく双方の動き方が異常で、これはもしかして、ゾンビ化しているんじゃないかと思い至る。
私がその直感に凍りついたとたん、夫が水槽に入り(落ちたのかもしれない)、オットセイに背中を噛まれてしまう。
傷は浅いが、皮膚が食い破られているから、もしオットセイがゾンビだったら夫もゾンビになってしまう。

怪我をした夫とともに2階に上がると、子供が3人ともそろっている。
外の気配はふだんと何も変わらず、静かな住宅地だ。
私は救急車を呼ぼうとして、119番に電話をする。
ところが電話口の女性は口ごもり、「すぐには手配できません」と言う。
救急車はもうないらしいのだ。
その声の調子から、ゾンビはすでに爆発的に増えていて、病院はパニックになっていることを悟った。

5人で円陣を組むようにして立つ。
長男「ササニシキ」が離れて、階段の上がり口に立ち、ソンビを迎え討とうと準備する。
5人で勝てるのか。
夫は大丈夫なのか。
それにしても、……極度の緊張の中で、私はふっと気が逸れる。
5人でこうしてそろうのは、いつ以来だろう?
ずいぶん久しぶりだ。
子供はみんなすっかり大きくなって、私よりずっと背が高い。
頼もしくなったなあ。
昔なら一番頼りになったのは夫だったのに、今は最初にやられてしまった。
この家も世代交代なんだなあ。

そこで夢は終わった。


# by apakaba | 2018-02-16 14:16 | 旅行の話 | Comments(0)