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あぱかば・ブログ篇

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カテゴリ:歌舞伎・音楽・美術など( 214 )


2019年 06月 14日

7年目の影絵再演

きのう、私が所属している影絵人形劇団の公演が終わった。
7年前に演じた『たつのこたろう』を、加筆・再演した。
この演目は、7年前に劇団の活動が本格化するための旗揚げ公演となった、思い出深い作品だ。

7年の年月を感じた。
当時は、まだ耳の病気が発症しておらず、大きな声を出し続けてもフラフラにならなかった。
当時のほうが当然記憶力がいいから、再演になっても、まだセリフをだいたい覚えていた。
今回は、仕事で忙しくなったせいもあるが、一度も自主練をしなかった。
声を出すのは、練習会場に行ったときだけ。
そうしないと、耳硬化症と上半規管裂隙症候群のために、体があまりに疲れてしまう。
加えて、泣く演技は非常に心身が疲れる。
明るい、楽しいセリフを言う役だと、練習期間中も明るく暮らせる。
暗い、つらいセリフをたくさん言っていると、やっぱり心身もつらくなってくるのだ(これは、演技をしたことのない人にはわかりづらい感覚だろうな)。


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梅雨どきのいい香り


主人公のセリフで「やっと今、自分がなんのために生きているのか、わかったんだ」と叫ぶシーンがある。
今回、これを自分の声で言いたかった。
7年前には、わかっていなかった。
わかっていないけど、役のセリフだから言った。
役柄として理解しているつもりだった。
今は、自分が生まれたことの意味、生きることの意味が、わかった。
私は、次の世界を作る人を育てたい。
だから教育の仕事をしている。
だから、耳の病気でフラフラでもまだ影絵の公演に出ている。
迷いの中にいた7年前より、人生はシンプルに、明確になった。
自分の演技も、輪郭が明確になったと思える。
たくさんのスタッフがそれぞれの持ち場で全力を尽くしていた。
微力だけれど、自分もそれに報いたい。


by apakaba | 2019-06-14 22:10 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 06月 05日

ハラ ミュージアム アーク

先日、伊香保にある「ハラ ミュージアム アーク」に行ってきた。
Facebookに書いた記録を転載する。

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ハラミュージアムアークは磯崎新設計のカッコいい美術館
隣に、グリーン牧場というものがある。
夫の学年でこのグリーン牧場に校外学習(遠足的なもの)に行くため、その下見に来たというわけだ。


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原美術館が来年閉館すると、ここはハラミュージアムアークではなく原美術館アークという名前に変わるらしい。

ぜいたくに土地を使ったカッコいい美術館。
ゆるい上り坂を入り口に向かって進んでいくと、ちょうどオトニエルのガラスのアートがハート形に見える。
そして自分と一緒にそれが映り込む。
が、さらに近づいていくと、鏡と見えたものは実は鏡ではなくてこれもアート作品だ。




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イケている仕掛け。
イ・ブルのアートであった。
どう撮っても反射して、全容がなかなか見えにくい。
それがクールである。




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イ・ブルらしいポップさ。
周りにびっしりLED照明が埋め込まれているが、点いていたりいなかったりする。
点灯に規則性もなく、点滅するわけでもない。
非常にカッコいい。
まるで街の灯りのように無秩序で自由だ。




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残念なのは、屋外展示以外すべて撮影禁止であることだ。
古い。
草間彌生の部屋があったが、あれを撮らずしてどうするの
鏡を使ったいつもの水玉の部屋だが、ある一角に立つと自分の姿がまったく映らなくなり、まるで部屋に誰もいないように見えるのだ。
箱をのぞくと水玉のかぼちゃがぎっしり(ややしなびている様子)という仕掛けでは、はっと驚いた自分の間抜け面が鏡に意地悪く映り込む。
あれは実におもしろい。




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四角い箱のような部屋は特別展示室「觀海庵」。
展示品もいいが、それ以上に建物がすばらしい。
日本建築の厳格さをひしひしと感じる。
びしっとした空間にいるだけで、美的感覚がシャープになっていく感じがする。
作品保護のためにはめ込まれたガラスの美しいことよ。
あのガラスにいくらかかっているんだろう!

建築美と、所蔵作品数は少ないながらもハイレベルなアートの取り合わせの妙を楽しめる。
イ・ブル、アニッシュ・カプーア、やなぎみわ、束芋、草間彌生がとくによかった。
ぜひ撮影禁止を解いてほしい。


by apakaba | 2019-06-05 16:52 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 03月 25日

国立西洋美術館のル・コルビュジエ展など

きのうは上野の国立西洋美術館のコルビュジエ展へ。
以前、森美術館で開催されたコルビュジエ展に較べて甚だ地味。
まるで絵画展のように、行けども絵画ばかりで、原寸大模型などを期待していたため、やや不満。
しかしコルビュジエ作品である会場で展覧会を見ること自体がイベントか。
コルビュジエの目指していた理念についての解説を読みながら歩くと、なるほどこの辺りがコルビュジエらしい、などと気づいたりする。
それはたしかにぜいたくなものである。

国立西洋美術館に来たのは思い出せないくらい昔だ。
若い頃は、展示品ばかりに注目していて、建築を鑑賞する発想がなかった。
今あらためて歩いてみると、「連続する水平窓」の美しさなど、コルビュジエらしさに心惹かれるポイントは生きているものの、トイレが少なくアクセスが悪い、天井が低い、壁の面積が小さいといった、新しい美術館では解消されている使いづらさを感じる。

しかし、玉砂利を自由に埋め込んだ外壁デザインは、敷地に入り近づいてみて初めておもしろさが見えてくる。

ランチは上野駅のシターラ。
桜えびのビリヤニ、う、うまーい!!
そしてディナーは次男が北海道の研修旅行から持ち帰ってきた鹿肉祭りであった。



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by apakaba | 2019-03-25 23:58 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 03月 04日

セントレア「FLIGHT OF DREAMS」で、チームラボとともに子供のころの夢が飛行する

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中部国際空港「セントレア」に昨年新設された、飛行機のテーマパーク「FLIGHT OF DREAMS」。
小規模ながら密度の高い展示だった。
ボーイング787の初号機が据えられた会場は、本物の格納庫のような武骨なつくり。

ここの「FLIGHT PARK」を手がけるのはチームラボ。だからはるばる来たのだが。
チームラボのよさは、つねに「教育」を目的としていること、そしてそれを微塵も押し付けないことだ。
上の写真は紙飛行機を飛ばすコーナー「Paper Plane Music Field」。
自分で紙飛行機を折ることから始める。
これが教育的活動の第一歩だ。
ただ出し物を眺めるだけのお客さんではなく、自分の体を使って参加することで、自分だけの創意工夫が生まれる。
自作の紙飛行機をこの空間に飛ばすと、光が紙飛行機に反応して光り、音楽が鳴り響く。
光も音もほんの一瞬、紙飛行機が飛んでいく間だけ、自分がこの空間に影響を与えられる。

大人も夢中になるが、主役なのは小中学生男子。
何度も繰り返し、走ってマイ飛行機を回収しては、遠くへ飛ばそうとチャレンジする。
ただ遠くへ飛ばせるだけでも英雄なのに、飛ばせればより長く光と音のご褒美がつくのだ。
これまでのチームラボの子供向けコンテンツの中でも、やや年上の子供を夢中にさせる意味で、これは最も成功していると思った。

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私ごとだが、紙飛行機の折り方を忘れてしまっていたことが小さなショックだった。
テーブルにはよく飛ぶ紙飛行機の折り方が紹介されているが、初めはこれに従わず、「紙飛行機なんて何も見なくてもできるから。昔から作っていた定番の折り方でいいや」と勝手にやり始めた。
しかし、途中でぱたっと手が止まってしまった。
自転車に乗るように、一度やり方を覚えたら一生忘れないものだと思い込んでいた。
手が止まってしまった瞬間に、とても幼かった子供のころに、意識が帰った。
亡き父が、家にある原稿用紙(新聞記者だったので社用の)で定番の折り方を教えてくれた。
自分が「幼女の自分」と「それを見ている父」との二人に分かれてこの場にいるかのような感覚を抱いたのだった。
紙飛行機の基本の折り方を忘れた。
忘れたことで、忘れていた父とのことを思い出した。
遊びに自分の身体を使うことは、こんなふうに記憶のつなぎ目を自分の手で引き寄せられることなのだ。

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ボヤボヤ写真、お見苦しいモデルでスミマセン。
「Airline Studio」では、キャビンアテンダント体験ができる。
CAのコスプレをして、機内アナウンスや、乗客のサポートをする。
制服コスプレは大人にはややウレシハズカシだが、あらかじめ人の形の塗り絵をしておくと、その塗り絵が空港や機内での乗客となって、自分を取り囲む画面に現れてくる。
それがいつどのように登場してくるかわからないので、自然と画面に集中するし、見つけるとうれしくなる。
私の塗った男の子の絵も、機内でおもちゃを欲しがる子供と、空港で自分の背後の階段を上っているシーンで出てきた。
いろんな人々にまぎれてさりげなく出てくるから余計に楽しい。

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「Fly with 787 Dreamliner」は、久しぶりにチームラボの真骨頂を見せつけられた。
4階の観覧エリアまで上り、会場全体を見下ろせる位置につくと、5分間の映像と音楽のショーを見られる。
ショーは毎時15分と45分の30分おきにスタートし、2パターンがある。
私は2パターンとも見た。
最初は、これまでのチームラボの仕事をたどるようなイメージ映像。
咲いては消えていく花のイメージ、粘性を帯びたような軌跡を描きながら飛ぶカラスのイメージなど、懐かしいモチーフが新しい会場で刷新されており、長くファンをやってきた身にはしみじみする。


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ふたつめのショーは、まさに目を開けて見る夢だった。
飛行機の旅を抽象的に表しており、787が飛び立つと眼下にビルの並ぶ風景が。
やがて花火や、ランタンの浮かぶ空も飛ぶ。
そして、宇宙とも海ともつかない中を、虹のように美しい模様のイルカやクジラとともに787は進む。
最後は、自分たちが色を塗った飛行機の塗り絵が、787と一緒に航空ショーさながらの飛行を見せる。

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打ち上げ花火の弾ける中を飛行機が飛ぶことはありえない。
空を漂うランタンの中を飛ぶことも、ありえない。
飛行機は宇宙までは飛ばないし、海の中も飛ばない。

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そう、これは、子供が飛行機に乗せる夢の世界なのだ。
「飛行機って飛べる!」
それを初めて知った子供は、小さな模型の飛行機や、自作の紙飛行機でも、飛行機に見立てた消しゴムかなにかでもいい、自分の飛行機を手に、「ビューン」「ブオー」と擬音を交えながらいつまでも荒唐無稽な物語の中を飛んだはずだ。
打ち上げ花火の中を、宇宙を、海を!
子供の尽きることのない空想をそのまま、これほどのスケールと美しさで見せてくれるチームラボって、どこまで天才なんだろう。

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隣で並んで見ていた親子連れは、「うわあ! ○○ちゃんの飛行機が出てきた! 飛んでた!」「お母さんの描いた飛行機も出たよ!」と歓声をあげている。
お母さんは自分の子に「見て、ここから見ると、下にいる人たちが浮かんでいるみたい……。」と、子供のようなことを言っている。
このショーは4階まで上らなくても、会場のどこからでも見られるけれど、4階観覧エリアまで上ってみると、階下を歩く人々が、そこにいるという形で知らずにショーに参加しているようにも見える。
私はたまたま「クジラの口に飲まれそうになっている人」を撮れた。

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右の人たちがパクッとやられそうでしょう?
彼ら自身は、きっとわかっていないのだろうが。


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建物の床と壁面、そして787の白い機体にもすべて映像が投影される。
チームラボは全国のいろいろな会場で展示をしていて、狭い・小さいなど制約のある会場でもそれなりに開催できている。
しかし、これまでは「この会場では、チームラボが気の毒だな」と思う展示もあった。
ここは特設会場だけあって、理想的な映像体験ができている。
787の実機はまったく動いていないのに、空想の世界でどこにでも自由に飛ぶ。
実機が置かれていることで、より夢の輪郭がくっきりしてくる。
飛行機のテーマパークのために新設されたこの場所でしか見ることができないという特別さがある。
名古屋まで来てよかった。


*週末旅行の、この他の行き先については、Facebookのアルバムにまとめた。





by apakaba | 2019-03-04 18:22 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 02月 17日

She's so...

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東京大学総合研究博物館小石川分館建築ミュージアムに行ったとき、この展示を見た。
「語彙ネットワーク模型」とあり、関連する語彙同士が連結されているという。
healthy など好ましい極性の単語は明るい色で、poor など好ましくない極性の単語は暗い色で表されているという説明があった。
真っ黒に塗られている単語に、自然と目がいく。
途端に、「She's so...」という歌声が頭にこだまする!

「heavy...!」

真っ黒なheavy。
ジョンがヨーコに叫ぶ。
She's so heavy,heavy,heavy~~~~~!
“好ましくない”わけがない。
彼女の魅力のヤバさに、つぶされそうだよ!


by apakaba | 2019-02-17 22:15 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2018年 07月 13日

影絵のこと

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犬は後悔しない


影絵人形劇団の今年度最初の公演が終わった。
私は毎度ながら主役の少年の声を当てた。
しかし、この4月から教員の仕事が倍に増えたため、練習にほとんど参加できなくなってしまった。
これまでは、企画段階からきちんと関わり、作品理解のための話し合いを重ねて、ほとんどの練習に参加してきたのに。
ようやく休みを調整して練習に行けたのは、もう最終段階でたった3回。
家で自主練をする余裕もなく、みんなとの温度差を感じながら、明らかに「口だけで」セリフを読んでいた。
これじゃあ、なあ……と焦るけれど、役が見えてこない。
自分に与えられた役割が、わからない。
わからないまま、とうとう本番の朝になっちゃった。

私は必ず主役をやる。
劇団代表が作る話は、私が読むことを想定してセリフが書かれている。
ラストに、その話の核となる主役のセリフが用意されている。
「ちゃんと主役をやって、特にここをしっかり読んでね」と口に出して頼まれたことはないが、初めて台本を開いて目を通すとき、いつでもその核となるセリフがバーンと目に飛び込んでくる。
そこに行き着くと、「これを読むのは私なんだなあ」と、代表からのメッセージ、いや、命令としてそのセリフを受け取る。
受け取ったら、大切に大切に磨いて、練習期間中はそのセリフのことをずっと考えている。
でも、今回はそれがまったくできていなかった。

私よりうまい人、きれいな声を出す人はいくらでもいるだろうけど、私より切実さを声に込める人はいない、と自負している。
私などはただの素人だから、どっちにしろたいしたものではない。
しかし、私の声で、見ている子供たちを別の世界へ連れ出したい。
別の世界を垣間見せたい。
誰も代わりになれない声を出したい。
ずっとそれを目指してやってきた。
それなのに、こんなに何も決まらないままで本番とは……と、暗い気持ちで起き上がった。
起きたときに急にすべてがわかった。

今回の役は、大地の子(王子)だ。
戦争で大地が荒れ果て、悪魔の存在がはびこり、森も海も暗くなってしまった世界に、力を合わせて再び明るさを取り戻そうという話。
最後、明るさが戻った世界で、これからどうするのかと聞かれ、王子はこう答える。
「この国が元どおりになったら、旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、お互いの国を知り、二度と戦が起きないようにするんだ。」
ずっと口先だけで読んできたけれど、その朝、突然この言葉が、自分とぴったり重なったのだった。
これは私がずっと求めてきたこと。
どうして今まで、わからなかったんだろう?
このセリフの深さに。

当日に気づいたから、仕方なく、ぶっつけ本番で読んだ。

「この国が元どおりになったら、」
私は自分の国の現在と未来を憂う。
他国の現在と未来も、やはり憂えている。
“元どおり”への、なんと道のりの長いことか。未来はあるのか?

「旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、」
10代のころから、ずっと続けてきたこと。
旅に出よう。広い世界を知ろう。
これまで旅してきた世界の、さまざまな情景が目の先を移っていく。

「お互いの国を知り、」
海外旅行ライターをほそぼそ続けているのも、読む人に、世界にはいろんなところがあり、いろんな人がいると知ってほしいからだ。
価値観を固定してほしくないのだ。

「二度と戦が起きないようにするんだ。」
今起こっている、世界の不幸を思い起こす。
紛争、衝突、テロ、そこで犠牲になる人たち。
二度と戦が起きないように……そうなったら、どんなにいいだろうね。
そんな世界、来るのかしら。
でも、この王子ならやるのかも。
子供向けの話では、世界は象徴的であり単純化されているが、それだけに、真実へいち早くたどり着ける力がある。
二度と戦が起きない世界。二度と戦が……と、ここで私は決定的な失敗をしてしまった。

世の不幸を眼前に再現しながら読んでいたら、本当にグッと込み上げてしまい、声がよろよろと震えてしまった。
泣きの演技や死ぬ演技は数えきれないほどやってきているが、本当に泣いてはいけないのだ。
声が弱々しくなってしまう。
ああそれなのに。
自分と重なり、感情が押し寄せて、ヘタクソな響きになっちゃった。
大後悔。

しかし、このように一種のトランスに入ったのは初めてのことで、本番で読みながら驚いた。
やはり、言葉には魂が宿る。
影絵は総合芸術で、すべての駒が合わさってひとつの大きな力になる。
私の声も、ひとつの駒。
他のそれぞれの持ち場も、大切なひとつの駒。
欠けたらできない。
こんなに心を動かされる体験を、自分たちの手で作れるのだから、本当に幸せなことだ。


by apakaba | 2018-07-13 16:52 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2018年 04月 01日

ビュフェ美術館と江之浦測候所

春休みのドライブ旅行に行ってきた。
目的は、三島の「クレマチスの丘」にある「ビュフェ美術館」と、小田原にできた「江之浦測候所」を見学することだ。


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ここにはなんどもかよっているけれど、いつ来てもガラガラ。
今回の展示は後期展示で、1年前に前期展示にも来たがさほど大きな入れ替えはなかった。


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いつ見ても、気持ちが沈鬱になる。
人間の肉体も、心も、やっていることも、そんなにかっこいいことではなくて、進歩がない。
筋肉がなくたるんだ体と、感情のない、疲れだけが宿る表情。
キリストの受難も、イェルサレムのアイヒマンも、今日、くりかえされている虐待や殺戮も、みんなこんな表情で行われてきたのかもしれない。


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同時開催で、丸木位里・俊の作品展もやっていた。
原爆を描いた大作は撮影自由。
死んで水の中に沈む子供に目がいく。
ピカソはゲルニカを描き、ビュフェも戦争で傷ついた人を描いたが、日本でもこういう絵を描いている人たちがいた。
今の世界で起きている紛争や戦争は、報道写真でしか目にすることがない。
戦争の絵を描く人は、今いるのだろうか。
私が知らないだけなのかな。



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IZU PHOTO MUSEUMの展示は凡庸。
これだけ誰でも写真を撮る時代になると、 写真家(映像を含め)の仕事はますます難しくなるだろう。


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江之浦測候所は、杉本博司が立ち上げた小田原文化財団のアートである。
ちょうど桜と菜の花が満開のときに重なり、最高のアート日和だった。


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解説を読みながら歩かないと、どこにお宝が隠れているかわからない、探検型アート。
これは冬至の日の出が通る道。


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冬至の日の出が通る道は、海に向かって張り出していた。
隧道の上を歩くのは、風が吹くとちょっと怖い。


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人が立っている。
白木造の舞台は、光学ガラスでつくられた能舞台。


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茶室の沓脱ぎ石も光学ガラス。
このガラスは、春分秋分の日の出の通り道にあたる。
しかし、このあたりで徐々に我々は気づいてくる。
この場所は、すべて……“シャレ”でできているんじゃないか!?
シャレといって悪ければ……これらはすべてイメージのため、自然への回帰に向かって行くための大仕掛けだ。
だって、いくら冬至の日の出だの春分の日の出だのといったところで、その光を実際に見ることができる人はいない(この施設は定員制で、日の出・日の入りの時刻に見学者は入れない)。
いるとすれば、杉本氏本人くらいじゃないの。


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やっぱり。
待庵を模したという茶室は、一見ありがたそうだが、裏手に回ると垣根は竹ぼうき(杉本氏はこれが好き)、屋根はトタン屋根。


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そして軸には「日々是口実」。
にやにや笑っているような筆致。
諧謔の人・杉本博司の茶室だ。


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のどかな風景にたたずむ「亀石」。
これもシャレだ。
頭は首都東京を向く。
敷地内には、歴史的価値の高い石や、文化資産である石がふんだんに使われている。
しかしこの亀石はとくにそうしたものではないようだ。
“おもしろい”とピンときたら、置くのだ。


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杉本氏の諧謔のあとをたどり、見学者は歩き回る。
石舞台を踏んで楽しむ。
「冬至の日の日の出」「春分・秋分の日の出」「夏至の日の出」などの、太陽の通り道を生真面目に確認しながら歩く。
実際には見ることのできない、太陽の通り道を。
ここにまっすぐ日が差す。
ここに光が当たる。
そのさまを思い浮かべながら。


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いい季節だったので、のんびりと過ごせた。
雨だったり、暑かったり寒かったりしたら、かなり印象が変わるだろう。
杉本氏の諧謔の果てにある、日本と現代文明への危機感と、土地に根ざし自然を信仰する純粋な気持ちを感じとれる。
しかしすぐに感じとれるというほど、やさしくもない。
彼の頭にあるイメージに追いつくため、自分を今一度試されるようなアート施設であった。


by apakaba | 2018-04-01 15:56 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 12月 11日

影絵『青い鳥』__青い鳥が世界のあわいを飛ぶ

おととい、私の所属している影絵人形劇団の公演で、『青い鳥』を上演した。
メーテルリンクの戯曲『青い鳥』をアレンジした。
“青い鳥”は、比喩的な意味で用いられることが多い。
原作を読まず、“青い鳥”が「幸せは、気づきにくいが身近にある」ことの象徴と認識している人は多いと思う。
チルチルとミチルの兄妹が、見つかると幸せになれるという青い鳥を探して旅をするがなかなか見つからず、家に帰ると、飼っていた鳥が青くなっていた……という話だとされている。
ところが、実は、家にいた青い鳥もやっぱりすぐに逃げてしまうのだ。
けれども、青い鳥が逃げても、兄妹はもう絶望しない。
長い旅をとおして、幸せのさまざまな形を知り、心が強くなる。
心のあり方が変わることで、きのうまでと同じ風景も、人も、すっかり変わって見える。
青い鳥は、見えていたものと今まで見えなかったものとの間を飛び、世界をコネクトする。

劇団代表が制作発表段階でこう言っていた。
「たとえば、死を宣告された人が、身のまわりの同じものを見てもまったく別のもののように感じられる、といったような心の変化」
そうした経験は、ある程度生きた人間なら誰しも思い当たるはずだ。
死までいかなくても、治らない病気を宣告されたら。
恋をしたら。
信じていた人からの裏切りにあったら。
大きな願いが叶ったら。

だが、観客である小学生は、そんなふうに心のあり方が一挙に変わる体験は、まだないのかもしれない。
だから探しても手に入らない青い鳥の物語で、心の不思議さを知る旅にひととき出てもらう。

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練習を2回通すと片耳が聞こえなくなり、ミスが増え始める


155年前に生まれたメーテルリンクの時代、フランスやベルギーを中心として、芸術は象徴主義が流行していた。
今年の美術展で入場者トップとなったミュシャ展。
ミュシャの連作「スラヴ叙事詩」はまさしく象徴主義的だ。
不思議で、唐突ともいえる構図なのに、装飾のヴェールを突き抜けてまっすぐに訴えてくる祖国への愛に、胸を打たれる。

公演後に入ったお店のBGMで、たまたま流れてきたドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。
ドビュッシーも象徴主義の音楽だ。
この曲が好きで、昔よく弾いていた。
甘美なようでいて切実で、胸を締め付けられる旋律。

これら象徴主義運動の中に、メーテルリンクもいた。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」やドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」と、原作の戯曲は通底する。
不思議で、とらえることが難しい、しかしたとえようもなく美しい、切なくなるような心の風景。

今年度は定期公演に出るのを一度休んだので、4月以来ずっとブランクがあり、ちゃんと声を演じられるかが不安だった。
上半器官裂隙症候群という、自分の声が頭に響く病気のため、影絵の声あてはとても苦しい。
声を一定以上の大きさに張って出すと、目の前がふらふらして、そのあと何時間も頭がボワーンとして、片耳が聞こえなくなる。
でも、影絵人形劇を作り上げるのは病気の苦しさを超えるやりがいだ。


4年前にもこの劇を上演して、前と同じチルチルの声をやった。
今回はもっと、メーテルリンクと劇団代表の意図を深く酌んで、チルチルの心の動きを繊細に表現しようと努めた。
それは4年分の、自分の変化。
4年たって、体はその分だけ衰えている。
でも心はその分だけ、ひだが増えている。
4年前には知らなかった思いを得ている。
同じ役をくりかえし演じることで、あらためて芸術に深く関われたと実感した。
それは一人では達することのできない境地。
ありがたい仲間のおかげだ。


by apakaba | 2017-12-11 16:37 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 07月 14日

この春の文化的活動

4月から学校の仕事が増えたため、ブログの更新がますます難しい日々。
あちこち出かけたことも書けないままになっている。
歌舞伎のツイートがやっとだわ。
1学期終了目前という節目でもあるので、春に出かけた美術展などの写真を載せておく。


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草間彌生展「わが永遠の魂」
予想よりもおもしろくなかったのが自分でも意外だった。
2004年、同じ六本木で開催された個展はすばらしくおもしろかったのに。
自分がこの人に慣れてしまったのかとも思ったが、慣れたというより、この人の精神世界に興味を失ったという方が正しい。
あくまでも個を掘り下げていく姿勢に、今は共感を覚えにくくなっている。


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同時に行った「ミュシャ展」
こちらは前回に行ったミュシャ展をはるかに凌駕するスケールで感動、興奮した。
はからずも草間展と一緒に見ることとなったが、草間が個(自己)へ徹底的に内向きに執着しているのに対し、祖国・民族への愛という壮大に外向きな興味へとうつり、ライフワークとしたミュシャ。
対比して見るとおもしろく、今の自分の興味もミュシャの熱さの方により強く向かっていると感じた。


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アラン・チャン「HELLO GINZA!」
香港生まれのデザイナー。
しゃれてたなあ。
対象を見る「目」によって対象がつくられるということはあると思うけど、アラン・チャンが見ると銀座はこう見えるのか?
私の目から見えている銀座と、ぜんぜん違っていたり、パッと一致したり。


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ソウル・ライター展
これはよかったなあ〜。
写真は絵画と違って、その場所に行けばこの風景が撮れるような気になるけど、今ニューヨークに行ったところでこの写真は絶対に撮れない。
もうこのニューヨークは、地上のどこにもない。
そして肖像権が猛烈に厳しくなってしまった昨今、こんなふうに市井の人々を撮った写真を公表すること自体が、もう過去のものとなってしまった。
人物写真は、この先衰退していくだろうな。


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茶の湯展
2回行った。
展示替えがあり、2回ともおもしろかった。
曜変天目茶碗はサントリー美術館で見た時の方がよかったなあ。
茶碗は芸術品でもあるけど本来は道具だから、手で触れば触るほど、身体的に愛着が増すんだろうと思う。
そうしていくうちに、世間的な価値とは別に、だんだんと自分だけの逸品になっていくのだろう。
昔、茶道をやっていたから、ガラスケースの中の茶碗を見ただけで、「茶筅が引っかかりそうだな」「口当たりが悪そう」「このくぼみが手にしっくり馴染みそう」「触り心地がよさそう」と使った時の感触に想像がつくが、茶道をまったくしない人はどのように感じるのだろうか。


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アスリート展
ここ数年の21_21の展示はヒットが多いが、これも予想よりおもしろかった。
体を動かしてスポーツに参加する形の展示はデート向き。
だが行列するほどのものでもないので、空いている時間でないと楽しさも半減か。


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TOTOギャラリー「間」の坂茂「プロジェクツ・イン・プログレス」。
尊敬する建築家、坂氏の個展。
めざすものが明快。
模型が美しくてうっとり!



この他にも行っていたが、こんなところで。
すぐに書かないと、言葉にするのがおっくうになっていくのね……。


by apakaba | 2017-07-14 22:38 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 07月 04日

平成29年7月歌舞伎鑑賞教室「鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚(きいちほうげんさんりゃくのまき いちじょうおおくらものがたり)」

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七夕飾りの国立劇場大ホール


7月3日、国立劇場歌舞伎鑑賞教室、初日。初めて行った。亀蔵さんの「歌舞伎のみかた」は口跡さわやか、完璧なガ行鼻濁音に惚れ惚れ。絶滅危惧種。派手な舞台装置のオープニング、カタカナ言葉多用の解説に感心しきり。なんとわかりやすくカッコいい解説か。あれはセリフ?淀みなさに驚くばかり(続

2)一條大蔵譚、菊之助は予想をはるかに上回る出来。作り阿呆は絵のように愛らしい。もともと顔立ちのいい人がやるから似合うのだが、美しい顔を忘れるほどの愛嬌。ぶっ返りの美貌は当然としても、演技を超えた菊之助ならではの「気持ち悪さ」が久々に見られ、驚嘆とともに戦慄。これは吉右衛門も(続

3)思い及ばなかったのでは?吉右衛門、仁左衛門で見たときには、両者とも作り阿呆は当然完璧、ぶっ返りの堂々たる気品、人物の大きさや正しさに納得、感心するばかりだったが、菊之助にはその正しい殿様ぶりよりも、むしろ異常性を孕んだ、ぞっとする不気味さが出ていた。首を放り投げて戯れる(続

4)とき、吉右衛門仁左衛門では感じなかった「ヤバイやつ」が(おそらく)図らずも出た。菊之助は真面目でつまらない演技のことが多いが、ごくたまにあの爬虫類のようなぬめぬめとした気持ち悪さが光る時がある。女殺し油地獄でも見せた。あの時の、殺される七之助は本当に怖がって見えた。(続

5)吉右衛門仁左衛門にはなかった長成像が、美貌とともにぬめぬめと立ち上がる。菊之助の真の魅力はあそこにあるのでは?菊五郎とは別の、深い業(ごう)を感じさせる、新しいタイプの役者。がんばってください。歌舞伎鑑賞教室は安くておもしろい。おすすめ!(終わり)


by apakaba | 2017-07-04 22:08 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)