あぱかば・ブログ篇

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カテゴリ:歌舞伎・音楽・美術など( 209 )


2018年 07月 13日

影絵のこと

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犬は後悔しない


影絵人形劇団の今年度最初の公演が終わった。
私は毎度ながら主役の少年の声を当てた。
しかし、この4月から教員の仕事が倍に増えたため、練習にほとんど参加できなくなってしまった。
これまでは、企画段階からきちんと関わり、作品理解のための話し合いを重ねて、ほとんどの練習に参加してきたのに。
ようやく休みを調整して練習に行けたのは、もう最終段階でたった3回。
家で自主練をする余裕もなく、みんなとの温度差を感じながら、明らかに「口だけで」セリフを読んでいた。
これじゃあ、なあ……と焦るけれど、役が見えてこない。
自分に与えられた役割が、わからない。
わからないまま、とうとう本番の朝になっちゃった。

私は必ず主役をやる。
劇団代表が作る話は、私が読むことを想定してセリフが書かれている。
ラストに、その話の核となる主役のセリフが用意されている。
「ちゃんと主役をやって、特にここをしっかり読んでね」と口に出して頼まれたことはないが、初めて台本を開いて目を通すとき、いつでもその核となるセリフがバーンと目に飛び込んでくる。
そこに行き着くと、「これを読むのは私なんだなあ」と、代表からのメッセージ、いや、命令としてそのセリフを受け取る。
受け取ったら、大切に大切に磨いて、練習期間中はそのセリフのことをずっと考えている。
でも、今回はそれがまったくできていなかった。

私よりうまい人、きれいな声を出す人はいくらでもいるだろうけど、私より切実さを声に込める人はいない、と自負している。
私などはただの素人だから、どっちにしろたいしたものではない。
しかし、私の声で、見ている子供たちを別の世界へ連れ出したい。
別の世界を垣間見せたい。
誰も代わりになれない声を出したい。
ずっとそれを目指してやってきた。
それなのに、こんなに何も決まらないままで本番とは……と、暗い気持ちで起き上がった。
起きたときに急にすべてがわかった。

今回の役は、大地の子(王子)だ。
戦争で大地が荒れ果て、悪魔の存在がはびこり、森も海も暗くなってしまった世界に、力を合わせて再び明るさを取り戻そうという話。
最後、明るさが戻った世界で、これからどうするのかと聞かれ、王子はこう答える。
「この国が元どおりになったら、旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、お互いの国を知り、二度と戦が起きないようにするんだ。」
ずっと口先だけで読んできたけれど、その朝、突然この言葉が、自分とぴったり重なったのだった。
これは私がずっと求めてきたこと。
どうして今まで、わからなかったんだろう?
このセリフの深さに。

当日に気づいたから、仕方なく、ぶっつけ本番で読んだ。

「この国が元どおりになったら、」
私は自分の国の現在と未来を憂う。
他国の現在と未来も、やはり憂えている。
“元どおり”への、なんと道のりの長いことか。未来はあるのか?

「旅に出かけるよ。そして、見たことのない国の人たちと友達になって、」
10代のころから、ずっと続けてきたこと。
旅に出よう。広い世界を知ろう。
これまで旅してきた世界の、さまざまな情景が目の先を移っていく。

「お互いの国を知り、」
海外旅行ライターをほそぼそ続けているのも、読む人に、世界にはいろんなところがあり、いろんな人がいると知ってほしいからだ。
価値観を固定してほしくないのだ。

「二度と戦が起きないようにするんだ。」
今起こっている、世界の不幸を思い起こす。
紛争、衝突、テロ、そこで犠牲になる人たち。
二度と戦が起きないように……そうなったら、どんなにいいだろうね。
そんな世界、来るのかしら。
でも、この王子ならやるのかも。
子供向けの話では、世界は象徴的であり単純化されているが、それだけに、真実へいち早くたどり着ける力がある。
二度と戦が起きない世界。二度と戦が……と、ここで私は決定的な失敗をしてしまった。

世の不幸を眼前に再現しながら読んでいたら、本当にグッと込み上げてしまい、声がよろよろと震えてしまった。
泣きの演技や死ぬ演技は数えきれないほどやってきているが、本当に泣いてはいけないのだ。
声が弱々しくなってしまう。
ああそれなのに。
自分と重なり、感情が押し寄せて、ヘタクソな響きになっちゃった。
大後悔。

しかし、このように一種のトランスに入ったのは初めてのことで、本番で読みながら驚いた。
やはり、言葉には魂が宿る。
影絵は総合芸術で、すべての駒が合わさってひとつの大きな力になる。
私の声も、ひとつの駒。
他のそれぞれの持ち場も、大切なひとつの駒。
欠けたらできない。
こんなに心を動かされる体験を、自分たちの手で作れるのだから、本当に幸せなことだ。


by apakaba | 2018-07-13 16:52 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2018年 04月 01日

ビュフェ美術館と江之浦測候所

春休みのドライブ旅行に行ってきた。
目的は、三島の「クレマチスの丘」にある「ビュフェ美術館」と、小田原にできた「江之浦測候所」を見学することだ。


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ここにはなんどもかよっているけれど、いつ来てもガラガラ。
今回の展示は後期展示で、1年前に前期展示にも来たがさほど大きな入れ替えはなかった。


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いつ見ても、気持ちが沈鬱になる。
人間の肉体も、心も、やっていることも、そんなにかっこいいことではなくて、進歩がない。
筋肉がなくたるんだ体と、感情のない、疲れだけが宿る表情。
キリストの受難も、イェルサレムのアイヒマンも、今日、くりかえされている虐待や殺戮も、みんなこんな表情で行われてきたのかもしれない。


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同時開催で、丸木位里・俊の作品展もやっていた。
原爆を描いた大作は撮影自由。
死んで水の中に沈む子供に目がいく。
ピカソはゲルニカを描き、ビュフェも戦争で傷ついた人を描いたが、日本でもこういう絵を描いている人たちがいた。
今の世界で起きている紛争や戦争は、報道写真でしか目にすることがない。
戦争の絵を描く人は、今いるのだろうか。
私が知らないだけなのかな。



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IZU PHOTO MUSEUMの展示は凡庸。
これだけ誰でも写真を撮る時代になると、 写真家(映像を含め)の仕事はますます難しくなるだろう。


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江之浦測候所は、杉本博司が立ち上げた小田原文化財団のアートである。
ちょうど桜と菜の花が満開のときに重なり、最高のアート日和だった。


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解説を読みながら歩かないと、どこにお宝が隠れているかわからない、探検型アート。
これは冬至の日の出が通る道。


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冬至の日の出が通る道は、海に向かって張り出していた。
隧道の上を歩くのは、風が吹くとちょっと怖い。


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人が立っている。
白木造の舞台は、光学ガラスでつくられた能舞台。


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茶室の沓脱ぎ石も光学ガラス。
このガラスは、春分秋分の日の出の通り道にあたる。
しかし、このあたりで徐々に我々は気づいてくる。
この場所は、すべて……“シャレ”でできているんじゃないか!?
シャレといって悪ければ……これらはすべてイメージのため、自然への回帰に向かって行くための大仕掛けだ。
だって、いくら冬至の日の出だの春分の日の出だのといったところで、その光を実際に見ることができる人はいない(この施設は定員制で、日の出・日の入りの時刻に見学者は入れない)。
いるとすれば、杉本氏本人くらいじゃないの。


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やっぱり。
待庵を模したという茶室は、一見ありがたそうだが、裏手に回ると垣根は竹ぼうき(杉本氏はこれが好き)、屋根はトタン屋根。


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そして軸には「日々是口実」。
にやにや笑っているような筆致。
諧謔の人・杉本博司の茶室だ。


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のどかな風景にたたずむ「亀石」。
これもシャレだ。
頭は首都東京を向く。
敷地内には、歴史的価値の高い石や、文化資産である石がふんだんに使われている。
しかしこの亀石はとくにそうしたものではないようだ。
“おもしろい”とピンときたら、置くのだ。


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杉本氏の諧謔のあとをたどり、見学者は歩き回る。
石舞台を踏んで楽しむ。
「冬至の日の日の出」「春分・秋分の日の出」「夏至の日の出」などの、太陽の通り道を生真面目に確認しながら歩く。
実際には見ることのできない、太陽の通り道を。
ここにまっすぐ日が差す。
ここに光が当たる。
そのさまを思い浮かべながら。


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いい季節だったので、のんびりと過ごせた。
雨だったり、暑かったり寒かったりしたら、かなり印象が変わるだろう。
杉本氏の諧謔の果てにある、日本と現代文明への危機感と、土地に根ざし自然を信仰する純粋な気持ちを感じとれる。
しかしすぐに感じとれるというほど、やさしくもない。
彼の頭にあるイメージに追いつくため、自分を今一度試されるようなアート施設であった。


by apakaba | 2018-04-01 15:56 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 12月 11日

影絵『青い鳥』__青い鳥が世界のあわいを飛ぶ

おととい、私の所属している影絵人形劇団の公演で、『青い鳥』を上演した。
メーテルリンクの戯曲『青い鳥』をアレンジした。
“青い鳥”は、比喩的な意味で用いられることが多い。
原作を読まず、“青い鳥”が「幸せは、気づきにくいが身近にある」ことの象徴と認識している人は多いと思う。
チルチルとミチルの兄妹が、見つかると幸せになれるという青い鳥を探して旅をするがなかなか見つからず、家に帰ると、飼っていた鳥が青くなっていた……という話だとされている。
ところが、実は、家にいた青い鳥もやっぱりすぐに逃げてしまうのだ。
けれども、青い鳥が逃げても、兄妹はもう絶望しない。
長い旅をとおして、幸せのさまざまな形を知り、心が強くなる。
心のあり方が変わることで、きのうまでと同じ風景も、人も、すっかり変わって見える。
青い鳥は、見えていたものと今まで見えなかったものとの間を飛び、世界をコネクトする。

劇団代表が制作発表段階でこう言っていた。
「たとえば、死を宣告された人が、身のまわりの同じものを見てもまったく別のもののように感じられる、といったような心の変化」
そうした経験は、ある程度生きた人間なら誰しも思い当たるはずだ。
死までいかなくても、治らない病気を宣告されたら。
恋をしたら。
信じていた人からの裏切りにあったら。
大きな願いが叶ったら。

だが、観客である小学生は、そんなふうに心のあり方が一挙に変わる体験は、まだないのかもしれない。
だから探しても手に入らない青い鳥の物語で、心の不思議さを知る旅にひととき出てもらう。

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練習を2回通すと片耳が聞こえなくなり、ミスが増え始める


155年前に生まれたメーテルリンクの時代、フランスやベルギーを中心として、芸術は象徴主義が流行していた。
今年の美術展で入場者トップとなったミュシャ展。
ミュシャの連作「スラヴ叙事詩」はまさしく象徴主義的だ。
不思議で、唐突ともいえる構図なのに、装飾のヴェールを突き抜けてまっすぐに訴えてくる祖国への愛に、胸を打たれる。

公演後に入ったお店のBGMで、たまたま流れてきたドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。
ドビュッシーも象徴主義の音楽だ。
この曲が好きで、昔よく弾いていた。
甘美なようでいて切実で、胸を締め付けられる旋律。

これら象徴主義運動の中に、メーテルリンクもいた。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」やドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」と、原作の戯曲は通底する。
不思議で、とらえることが難しい、しかしたとえようもなく美しい、切なくなるような心の風景。

今年度は定期公演に出るのを一度休んだので、4月以来ずっとブランクがあり、ちゃんと声を演じられるかが不安だった。
上半器官裂隙症候群という、自分の声が頭に響く病気のため、影絵の声あてはとても苦しい。
声を一定以上の大きさに張って出すと、目の前がふらふらして、そのあと何時間も頭がボワーンとして、片耳が聞こえなくなる。
でも、影絵人形劇を作り上げるのは病気の苦しさを超えるやりがいだ。


4年前にもこの劇を上演して、前と同じチルチルの声をやった。
今回はもっと、メーテルリンクと劇団代表の意図を深く酌んで、チルチルの心の動きを繊細に表現しようと努めた。
それは4年分の、自分の変化。
4年たって、体はその分だけ衰えている。
でも心はその分だけ、ひだが増えている。
4年前には知らなかった思いを得ている。
同じ役をくりかえし演じることで、あらためて芸術に深く関われたと実感した。
それは一人では達することのできない境地。
ありがたい仲間のおかげだ。


by apakaba | 2017-12-11 16:37 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 07月 14日

この春の文化的活動

4月から学校の仕事が増えたため、ブログの更新がますます難しい日々。
あちこち出かけたことも書けないままになっている。
歌舞伎のツイートがやっとだわ。
1学期終了目前という節目でもあるので、春に出かけた美術展などの写真を載せておく。


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草間彌生展「わが永遠の魂」
予想よりもおもしろくなかったのが自分でも意外だった。
2004年、同じ六本木で開催された個展はすばらしくおもしろかったのに。
自分がこの人に慣れてしまったのかとも思ったが、慣れたというより、この人の精神世界に興味を失ったという方が正しい。
あくまでも個を掘り下げていく姿勢に、今は共感を覚えにくくなっている。


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同時に行った「ミュシャ展」
こちらは前回に行ったミュシャ展をはるかに凌駕するスケールで感動、興奮した。
はからずも草間展と一緒に見ることとなったが、草間が個(自己)へ徹底的に内向きに執着しているのに対し、祖国・民族への愛という壮大に外向きな興味へとうつり、ライフワークとしたミュシャ。
対比して見るとおもしろく、今の自分の興味もミュシャの熱さの方により強く向かっていると感じた。


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アラン・チャン「HELLO GINZA!」
香港生まれのデザイナー。
しゃれてたなあ。
対象を見る「目」によって対象がつくられるということはあると思うけど、アラン・チャンが見ると銀座はこう見えるのか?
私の目から見えている銀座と、ぜんぜん違っていたり、パッと一致したり。


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ソウル・ライター展
これはよかったなあ〜。
写真は絵画と違って、その場所に行けばこの風景が撮れるような気になるけど、今ニューヨークに行ったところでこの写真は絶対に撮れない。
もうこのニューヨークは、地上のどこにもない。
そして肖像権が猛烈に厳しくなってしまった昨今、こんなふうに市井の人々を撮った写真を公表すること自体が、もう過去のものとなってしまった。
人物写真は、この先衰退していくだろうな。


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茶の湯展
2回行った。
展示替えがあり、2回ともおもしろかった。
曜変天目茶碗はサントリー美術館で見た時の方がよかったなあ。
茶碗は芸術品でもあるけど本来は道具だから、手で触れば触るほど、身体的に愛着が増すんだろうと思う。
そうしていくうちに、世間的な価値とは別に、だんだんと自分だけの逸品になっていくのだろう。
昔、茶道をやっていたから、ガラスケースの中の茶碗を見ただけで、「茶筅が引っかかりそうだな」「口当たりが悪そう」「このくぼみが手にしっくり馴染みそう」「触り心地がよさそう」と使った時の感触に想像がつくが、茶道をまったくしない人はどのように感じるのだろうか。


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アスリート展
ここ数年の21_21の展示はヒットが多いが、これも予想よりおもしろかった。
体を動かしてスポーツに参加する形の展示はデート向き。
だが行列するほどのものでもないので、空いている時間でないと楽しさも半減か。


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TOTOギャラリー「間」の坂茂「プロジェクツ・イン・プログレス」。
尊敬する建築家、坂氏の個展。
めざすものが明快。
模型が美しくてうっとり!



この他にも行っていたが、こんなところで。
すぐに書かないと、言葉にするのがおっくうになっていくのね……。


by apakaba | 2017-07-14 22:38 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 07月 04日

平成29年7月歌舞伎鑑賞教室「鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚(きいちほうげんさんりゃくのまき いちじょうおおくらものがたり)」

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七夕飾りの国立劇場大ホール


7月3日、国立劇場歌舞伎鑑賞教室、初日。初めて行った。亀蔵さんの「歌舞伎のみかた」は口跡さわやか、完璧なガ行鼻濁音に惚れ惚れ。絶滅危惧種。派手な舞台装置のオープニング、カタカナ言葉多用の解説に感心しきり。なんとわかりやすくカッコいい解説か。あれはセリフ?淀みなさに驚くばかり(続

2)一條大蔵譚、菊之助は予想をはるかに上回る出来。作り阿呆は絵のように愛らしい。もともと顔立ちのいい人がやるから似合うのだが、美しい顔を忘れるほどの愛嬌。ぶっ返りの美貌は当然としても、演技を超えた菊之助ならではの「気持ち悪さ」が久々に見られ、驚嘆とともに戦慄。これは吉右衛門も(続

3)思い及ばなかったのでは?吉右衛門、仁左衛門で見たときには、両者とも作り阿呆は当然完璧、ぶっ返りの堂々たる気品、人物の大きさや正しさに納得、感心するばかりだったが、菊之助にはその正しい殿様ぶりよりも、むしろ異常性を孕んだ、ぞっとする不気味さが出ていた。首を放り投げて戯れる(続

4)とき、吉右衛門仁左衛門では感じなかった「ヤバイやつ」が(おそらく)図らずも出た。菊之助は真面目でつまらない演技のことが多いが、ごくたまにあの爬虫類のようなぬめぬめとした気持ち悪さが光る時がある。女殺し油地獄でも見せた。あの時の、殺される七之助は本当に怖がって見えた。(続

5)吉右衛門仁左衛門にはなかった長成像が、美貌とともにぬめぬめと立ち上がる。菊之助の真の魅力はあそこにあるのでは?菊五郎とは別の、深い業(ごう)を感じさせる、新しいタイプの役者。がんばってください。歌舞伎鑑賞教室は安くておもしろい。おすすめ!(終わり)


by apakaba | 2017-07-04 22:08 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 06月 21日

名古屋平成中村座、歌舞伎座六月大歌舞伎連続ツイート

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名城公園に建った芝居小屋




6月4日、名古屋平成中村座夜の部、義経千本桜、川連法眼館。何度も見た演目だが役者が変わるたび新鮮に驚く。扇雀の佐藤忠信は意外なかっこよさ。いつも女形で見ているので、颯爽とした登場に、本来の佐藤忠信らしさが出る。だが狐忠信は妙味あるもおばさんのような発声、あれは難役だなあ。(続

2)勘九郎義経は立っているだけでも気品と憂いのある名演。つまらない役者だと“義経”千本桜にならない。弁天娘女男白浪、注目の七之助の菊之助は……うーむ敢闘賞。見目はかなりパーフェクトだが男に戻った時に戻りきれてない……それではおもしろさが半減。あれは勘九郎がやるべき役では。(続

3)勘九郎なら女でもなかなか見栄よし、男に戻って凄むセリフを聞いてみたい。七之助は赤星のときが素晴らしかった。亀蔵南郷はワルの魅力出しきれず、七之助との絵的な釣り合いもいまいち。仇ゆめ、まるで知らない演目に不安大、でも勘九郎に泣かされるかもという期待も大。いかにも勘三郎好み。(続

4)期待通りの勘九郎、愛らしさと図々しさと憂愁を湛えて恋する狸に。七之助も面目躍如の艶、やっぱり兄弟は相性バッチリ。平成中村座らしい悪ノリ、芝居小屋ならではの大仕掛けな舞台、ずっと応援していきたい。今回は最高の席で、至近距離で見る七之助の美しさに仰天。2回、目が合ったぞ!ほんと!


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なんと花道のすぐ脇。
「勘三郎の目」が芝居小屋のあちこちに描かれている。



6月11日、歌舞伎座昼の部、名月八幡祭。松緑新助は、うーん敢闘賞。真面目さはよく出ているが芝居が一本調子になりすぎ?狂気へ進みきれず。ファムファタール美代吉は笑也の見目がかなりいい線。だが芝居が通り一遍で異常性を出しきれず。以前の雀右衛門では見目は少し落ちるも芝居が抜群だった(続

2)とことんクズな女の美代吉がこの話の見せ場だと思うが。誰かやってください。ただし魚惣は歌六よりも猿弥がはまっていた。浮世風呂、なんですかねこの踊りは……よくわからないが幕開けのシルエットはカッコいい。弁慶上使、あいかわらず変な話だ……変な話も吉右衛門で説得される。(続

3)一度だけ契った相手が弁慶と知ったときの雀右衛門のあのシーンは、なんともかとも。長々とムフフな音楽が続き、過去の一夜がよみがえっているらしいのだが、居心地が悪い……今後の課題という感じ。あのムフフタイムを乗り越えると、雀右衛門の新しい芝居になる気がする。(終わり
2017年 06月 07日

團菊祭五月大歌舞伎連続ツイート

ライターの仕事に加えて新しい仕事を始めてから、ブログを書く時間がとにかくない。
ほそぼそと記録をつけていく。


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5月5日、團菊祭歌舞伎座昼の部、石切梶原。新・彦三郎さん、おめでとうございます。真面目で見目のよい梶原。松緑がだいぶ持っていってたけど良し。吉野山、海老蔵の狐忠信はきっとああだろうという予想通り、ああだった。うん、まるっきり狐じゃなくて海老のまま…誰か彼に狐になれって教えて!(続

2)菊之助の静御前は10年以上前にも見たが、完璧な見栄え。あの時にはこの若さでこれほどやれるかと驚いたが、ちょっと伸び悩み気味?美貌は良し。魚屋宗五郎、待ってました菊五郎宗五郎。大好きです!菊之助がこの域に達するのは何十年先か。時蔵とのペアは毎度スゴイ!しかし、思いっきり(続

3)笑った後で泣かされる。妹の生きていたあの頃をふりかえるくだり。見事。女房時蔵の愛情深さにも打たれる。名作。ブラボー黙阿弥。そして寺嶋家ご長男さん、お見事なデビュー。余裕綽々の舞台度胸、笑顔が愛らしい上に大物感たっぷり。これは期待大!だがあの子の円熟期に、私はこの世にいない(続


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4)5月6日、続けて歌舞伎座夜の部。壽曽我対面。劇中襲名披露で喝采。襲名披露はいいなあ。しょっちゅう見る演目だけど菊五郎が颯爽としていてほとんどカッコいい。怪物ですかあの人は。伽羅先代萩、菊之助が政岡にチャレンジ。痛恨の飯炊きシーン全カットにはがっかりしたが、今回に限っては(続

5)カットでよかったかも。荷が重すぎる気が。なにしろ玉三郎のあの飯炊きが目の裏に残っているうちは難しすぎる。だが菊之助は予想以上の大健闘だった。政岡をやることの気迫がビリビリ。母親らしい情愛を玉三郎以上に感じさせ、別の政岡像が立ち上がる。海老蔵登場からはいきなり海老蔵ショーへ(続

6)この演目の面白さは前半女だらけ、後半男だらけとまるっきり変わること。海老蔵の仁木弾正はばっちり。はまるときは大ハマリする海老蔵。深みも因縁も何もない、ただナチュラルに悪いだけの奴。吉右衛門がやったときは、弾正の悪党ぶりに深い情念を感じさせ、最期は殺した千松と同じ場所、同じ(続

7)姿で果てるところに、この芝居の壮絶な因縁を覚えたものだが。そんなのは一切ナシ。ただもう底なしに悪い奴、それが海老蔵の弾正。おもしろい役者だ。扱いかねる男。浅草祭、松緑は踊りがうまいなあ〜。運動神経抜群なんだろう。亀蔵もいいのだけど、松緑の方が頑張りを感じない。つまりうまい(終


by apakaba | 2017-06-07 18:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 04月 08日

四月大歌舞伎、連続ツイート&ロバート・メイプルソープ展

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パクチーと春菊のサラダ


4月4日、歌舞伎座夜の部、傾城反魂香。繰り返し見ている芝居だが、吉右衛門は今回が一番いいように思う。3月の国立劇場の立ち回りではやや軽く感じられた芝居が、吃又では味方となる軽み。菊之助の女房は真心がこもる表情ながらも、やっぱりちょっと美人すぎ?もう少し世話っぽさが出ても。(続

2)帯屋、うむむむ〜白状すると、私は、上方歌舞伎が……苦手なんです……江戸歌舞伎の方が合う。藤十郎の風貌、異様な若さにたじろぐ。14歳の娘に手を出し妊娠させるのもありえそうな優男ぶり、だが、如何にしても台詞の不明瞭さ、声量の足りなさは。役者は、声が出なければ。孫の壱太郎、(続

3)舌が長いのか、才気を感じるいい芝居なのにやっぱり台詞が不明瞭、残念。女形の時の声の方がうまく響いている。美女でもないが妙な魅力がある少女、ああいう女って手強いですね。少女の恋でもない段階まで関係が進んでいることも匂わせる。染五郎、楽しげだがう〜む。見目が少しステキすぎかな(続

4)奴道成寺、猿之助は踊りがうまいなあ。多くの女形が、踊ること(動き)に精一杯で、周りへオーラを発するまでに達しないのに、猿之助が踊ると場を支配する力がすごい。客席がピンとする。だがこの演目では道成寺という「物語」の必然性は限りなく薄まる。やはりオリジナルは物語が完璧である。(続


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おまけ)同じ銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催中のロバート・メイプルソープ展へも。学生のころ衝撃を受けたきりのメイプルソープ、今にして見ると、あの頃の感覚とはなんだか違う。女性をただの美しい物体のように撮る客観性と、男性を執拗に撮りまくる粘着性、ゲイならではの力とは思うが(続

2)今見ると、男性の撮り方は愛と嘲笑的諧謔性とがないまぜでは?むしろ滑稽味が感じられた。同族嫌悪でもあるのか。ストレートの男が撮る女は性的な存在だが、メイプルソープの女はまったく性的ではなく、だからといって男を撮っても、やっぱり性的とも言い難い。ねじれ。孤独。芸術の手前の冷笑(続

3)肉体の写真に較べて、花などの静物写真は完璧な美をたたえている。プリントの美しさにもうっとり。プリントはいいなあ。何十年もたってから同じ写真家を見るのは意義あることだと思った。シャネル・ネクサス・ホールは初めて来たが、すばらしいホールなんだなあ。入場無料とは太っ腹。(おしまい)


by apakaba | 2017-04-08 23:11 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 03月 31日

歌舞伎座三月夜の部、国立劇場ツイート

3月のうちに3月中に見た歌舞伎はメモしておくことにした。
めずらしく連続投稿。
ここしばらく、仕事ばっかりでぜんぜんブログを書いていないしね〜。

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こちらは国立劇場の舞台。


三月大歌舞伎夜の部、引窓。幸四郎はもうやれる役が決まってきている。セリフをただ軽く流している。流すだけでも可笑しみがあるから、笑うシーンではないのに、観客がつい笑ってしまう。あれは芝居全体を壊す。かなり扱いかねる役者。早く白鴎になってください。しかし相撲取りがヤクザ稼業(続

2)すれすれだった時代。今も「興行」ではあるが、暗い影は当時に及ぶまい。けいせい浜真砂、また奇妙な芝居だねえ。なんで五右衛門が女ですか。藤十郎って一体おいくつなの。罰ゲームじみた装束の仁左衛門ほんの数分の登場、仁左衛門なら何を着てもよろし。4年ぶりの助六、4年ぶりのドキドキ。(続

3)口上の最中から、あの袖の奥にはあの絶世の助六が控えていると思うだけで胸がしめつけられるほどの高揚感。こんな芝居はめったにない。海老蔵助六、余人をもって代えがたしとはこのこと。不世出の美貌。千両役者。壮大な大根役者。ほんとに不思議な男だ。団十郎助六時代には花道が退屈で退屈で(続

4)「いつまで傘を開けたり閉めたりしてるんだ、とっとと舞台へ出てくれ」とまで思っていたのに、海老蔵の花道はいつまでもずっと花道にいてほしいと願うほど。観客全員うっとり。逆に言えば「セリフは下手だから喋るな」ってことだが。セリフはだいぶうまくなったがこれ以上の上達はないか?(続

5)雀右衛門揚巻、先代雀右衛門おばあさん(?)時代に見たのでそれに比べたら美しいが、玉三郎揚巻に比べるのは酷。ちょっと世話女房っぽい。くわんぺらはミスキャスト。歌六では真面目に演じすぎ、あれは幸四郎や仁左衛門がやるから生きる。白酒売菊五郎は自在の境地。この芝居の真髄は(続

6)コメディーなのに、今回はコメディーがうまい人が菊五郎以外いず(海老蔵も下手)残念。今になると、勘三郎より三津五郎の抜けた穴の大きさを思い知る。4年前、三津五郎の通人は絶品だった。出てきただけでワーッと沸く。勘三郎の代わりはいても三津五郎の代わりはいないのでは?それにしても(続

7)先代の団十郎から、生き写しの海老蔵まで、美貌の助六を見ることのなかった人々(団十郎助六時代)は、助六という芝居がよくわからなかったのでは?今から歌舞伎を見る人は幸せだ。海老蔵の助六を、まだこれからもずーっと見られるのだから。引っ込みの海老蔵の、決意した表情は瞠目。ガンバレ(終

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団十郎が植樹したという熊谷桜。
国立劇場はさくらまつりの期間中でした。




国立劇場、通し狂言伊賀越道中双六。前回の上演も見たが、やっぱり妙な話だ。こちらの歌六はよし。雀右衛門もよろし。この二人、3月は国立劇場と歌舞伎座を掛け持ちして大変な忙しさだ。吉右衛門は年だなあと感じる。体が、動かなくなっている様子ではなく、逆に軽くなっている。年とともに、(続

2)殺陣では若い者が動いて大幹部クラスはあまり動かずやっつける方が様になるが、吉右衛門は自分が動いてしまい、動きにグッと重さをつけることができなくなっているので、腰が軽く見える。やはりもう鬼平ではないなあ。そろそろ立ち回りは卒業では。菊之助の白塗りやよし。役にも合っている。(終)


by apakaba | 2017-03-31 16:25 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 03月 31日

歌舞伎座、二月昼夜、三月昼の部ツイート

ふと見返してみたら、昨年9月以来、歌舞伎ツイートをまったくしていなかった。
毎月欠かさず見に行っているのに〜。
今年の2月からの分だけでも、書いておく。

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2月3日の初日。
帰りに寄ったポーラミュージアムアネックスでやっていた青木美歌個展。



猿若祭二月大歌舞伎昼の部、猿若江戸の初櫓。勘九郎の足さばきの軽さよ。宙から吊られているいるように、軽々と舞台を踏む。大商蛭子島、女好きな頼朝松緑は適役なのかよくわからない。長い割にはさしたる見所なし。四千両小判梅葉、やっぱり黙阿弥が好きだなあ。菊五郎は黙阿弥にばっちりはまる。(続

2)一番の見せ場の大牢シーンは、妙に長く、様式美(美というかなんというか)が興味深い。男祭り状態の牢獄、テレビなどの取材もなかった時代、さぞ一般大衆の目には恐ろしく、奇異で、のぞいてはいけない世界を覗くような気持ちになったことだろう。扇獅子、うん、正直いって忘れちゃったごめん(続

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3)二月夜の部、門出二人桃太郎。中村屋さん、おめでとうございます!兄桃太郎はばっちり歌舞伎になっているぞ。弟桃太郎はまだ人形みたいだ。何を見ても感慨深い。この子達が歌舞伎座で大役をやるころには、私は生きているのか。パパ勘九郎はじめ皆さん、うれしそう〜。贅沢な犬猿雉も大ハマりだ(続

4)異様なメイクの犬染五郎、メイクなしでいけそうな猿松緑、やたら生真面目な羽ばたきの雉菊之助、3人どれもこの役以外ありえないほど。特に菊之助の生真面目な羽ばたき姿が忘れられない。絵本太閤記、うーむ多くは言うまい。芝翫がアレなので、全体に退屈に。がんばれ。梅ごよみ待ってました!(続

5)菊之助の美貌は非の打ち所なし。演技もはまっている。出色は勘九郎の最近めずらしい女形。そこそこの美貌といい性格といい、いるねこういう女、と思わせる説得力ある存在感。児太郎も同じく。男が最後に選ぶのは結局このタイプか〜とうなずかされる。だから女二人の「しらけるねえ」が最高。(終)


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三月大歌舞伎昼の部、明君行状記。初日のせいか、梅玉はセリフが入ってないような。明君というか普通に梅玉じゃないか。しゃべってるのが。亀三郎との熱の差が……梅玉は毎月ほんとに忙しい。話も、真山青果はいつもおもしろくない。なんであんなになんでも言葉で説明するのか。説明のための台本。(続

2)義経千本桜碇知盛、待ってました仁左衛門知盛。比類なき美しさ。後半血まみれも、いつもより血糊が多めな気がします。銀平女房は玉三郎以上の人は見ていないが。巳之助くんもいい役がついてる。安徳帝右近の美しさは知盛がひれ伏したくなる実在感あり。それにつけてもこの話を見るたびに、(続

3)平家物語という物語の凄さをひしひしと感じずにいられない。「浪の下にも都のさぶろうぞ」と安徳帝に言い聞かせ自害していくシーン、女房たちの着物が海に漂うビジュアルなど想像すると果てしない気分になる。やはり名作中の名作。当たり前だが平家物語あっての歌舞伎作品だ。読破まで遠いが〜(続

4)どんつく、ご贔屓巳之助くんが踊ってます。今月いい役がついてる。早く八十助にしてあげてー。しかし松緑も踊りがいいねえ。あの人たちの運動神経ってなんなんだろう。海老蔵謎の表情な若旦那、彼ってどうしていつもああいう妙な表情なんだろう。夜の部にやってくれるからいいんだけど。(終)

by apakaba | 2017-03-31 15:16 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)