あぱかば・ブログ篇

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2015年 12月 31日

今年、猛烈に取り組んだことは?〜ドストエフスキー熱再燃

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下鴨神社のお屠蘇!


今年は私にとって、「ドストエフスキー熱再燃の年」だった。
詳しくは上記のブログを読んでいただきたいが、このときの議論にいたく感銘を受けて、亀山先生の本を読んでみようと思ったのだった(公式ページはこちら→『カラマーゾフの兄弟』からチェルノブイリへ ──ロシア文学と日本社会)。

年が明けてから半年ばかり、私の読書はドストエフスキーの『悪霊』とその関連書籍一色になった。
『悪霊』はたしか大学生のころに読んだが、亀山訳で読み返した。

悪霊1
悪霊2
悪霊3
ドストエフスキー『悪霊』の衝撃
悪霊 別巻—「スタヴローギンの告白」異稿
『悪霊』神になりたかった男

すべて亀山先生の訳あるいは著作である。
『カラマーゾフの兄弟』が亀山訳で出た時、さっそく読んでみたことがある。
2008年に読んだ本、Best10! その3に感想を書いたが、 どうも亀山訳は軽い感じがしていた。
しかし、『悪霊』にはそんな印象は受けず、再読でもひたすらおもしろかった。

それから、今年の7月、ふたたび亀山先生と東浩紀氏のトークイベントに参加した。
「悪霊」が世界を徘徊している ──ドストエフスキーで読む現代という名前のイベントだったが、 内容は『カラマーゾフの兄弟』など他の作品や、現代ロシアと日本の病理についての議論で、これまたぞくぞくする楽しさだった。

他にもいろいろな本を読み、今年最後の読書、年内に読み切れず来年にまたぎ越す本はなにがいいかと考えていた。
亀山先生が初挑戦されたという小説を、読んでみようかなあ……
亀山先生が、昨年のトークのときから「書いている」とお話ししていた。やっと出たのだ。
まるで今年のテーマのように、ドストエフスキーに貫かれた今年をしめくくるのにふさわしいと思い、長編だけれど数日前から読み始めた。
その名も『新カラマーゾフの兄弟』。
『カラマーゾフの兄弟』から本歌取りしているものの、入れ子細工のように複雑な構造をなす小説である。
まだ13%しか読んでいないが(Kindleなので%表示になる)、かなり引き込まれる。
亀山先生は批判されることの多い研究者だが、二度じかにお話を聞いた印象では、知的な静謐さの下にギラギラした激しい異常性をあたためている方のようにお見受けし、とても好きになった。

誰でも同じだと思うが、読みたい本というのはきりがなくあるものだ。
しかし体はひとつで時間は24時間だから、読める本の数は限られている。
「今年はこれに集中した!」と言い切れる読書も、ひとつの方法かなあと思った今年。

だがドストエフスキーは中毒性が高い。
ひとつ読むと、もっともっと読みたくなる。
高校から大学生のころ、まさに流行り病いにかかったように読みふけった。
若い頃に読んでも、新訳でまた読み直したくなる。
来年、きっと亀山訳で『未成年』を読むだろう。
そしてきっと3回目の『カラマーゾフの兄弟』を読むことになるだろう。
そのとき、昔の原卓也訳と、亀山訳とどちらを選ぶか、今から悩んでいる。


by apakaba | 2015-12-31 18:08 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 24日

クリスマス・イヴ讃美礼拝に行ってみた

「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」

1年が終わろうとしているからか、この言葉がしきりと浮かんでくる。
107年前に書かれた『三四郎』のラスト近く、里見美禰子が教会の前で、消え入りそうな声でつぶやく。
“ありえたかもしれないもうひとつの人生”の可能性を三四郎に見る、そんな時間とは、ここで訣別する。

また1年、罪を重ねて過ごした——と思う。
そう思わない人って、いるんだろうか。

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迷羊(ストレイシープ)ってことで。
ラム肉を焼くことにする。
塩胡椒、エルブ・ド・プロヴァンス、赤ワイン、はちみつ風味のバルサミコ酢、粒マスタード、シェリービネガーをぶち込んでマリネ(レシピなし)。
ブランデーを景気よくフランベして火事寸前。
ソースはマリネ液を煮詰める



「教会に行こうかなあ」
数日前から、なんとなく考えてきた。
クリスマス礼拝に出たくらいで、今年の罪咎がチャラになるわけじゃないんだけどさ。

娘がキリスト教会付属の幼稚園にかよっていたから、そのころは礼拝によく行っていた。
自分用の聖書を持っていて、礼拝に出たときにお話をされた箇所には線を引いていた。
だから私の聖書は傍線がいっぱい。

ところが、今朝、10年以上開いていなかった聖書を開けてみたら、傍線が、ない……どうして?!
あんなにたくさん引いたのに。
ボールペンで引いたから消えるわけないのに!


さんざんページをめくって探してがっかりし、「神の奇跡」と思うことにした。
調子に乗るな。
また一から、勉強しなおしなさい。
そういうことなんですね。

しかし、やっぱり神の奇跡を受け容れるには人間が小さい私は、「たしか、あの『三四郎』の言葉にも線を引いた。あれは『詩篇』に入っていた」と思い出し、詩篇の中を探してみた。
そうしたら、ちゃんと線を引いてあった。
消えていなかったのだ。
他にも印象的な言葉は自分で勝手に線を引いていたことを思い出した。
「“そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け”というのがあった。それにも引いた」
「“名はレギオン。大勢だから”にも」
その箇所を見ると、線が引いてあった。
そしてまたページをめくり直してみると、なぜか今度は傍線がたくさん見つかったのだった。


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我が家のシェフ兼パティシエは、今年からは他人様のクリスマスディナーを作る人になっちゃった。
仕方なく自分で。
盛り付けが私らしく「食えりゃいいだろ」的で、プロの仕事とぜんぜんちがうわ。
でもおいしかったー!



傍線が消えたのではなく、「たくさん聖書の勉強をした。だから私の聖書には傍線がいっぱい」と思い込んでいたそのことが、驕りだったのだった。
最初は、驕った心で探していたから、いくらめくっても見つからなかったのだ。
私の引いた傍線など、海の水のように膨大な聖書の言葉の中に入ってしまっては、一握りの砂みたいなものだったのだ。
神の奇跡は起こっていなかった。
でもすべては自分の心の中にあるということが、よくわかった。
神は、いるといえばいるし、いないといえばいない。
驕った心では、見えているはずのものが見えない。


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ちかくの教会は建て替えてピカピカ。美しくてかわいくてモダンな教会になっていた。
讃美歌を歌うのが好きなので、自前の讃美歌集(楽譜がついてるやつ)も持って行って歌いまくる。
今日は8曲もあった!

牧師さんのお話の中で、「2000年前、イエス・キリストが生まれた土地あたりでの平均寿命は30歳でした。そして生まれた赤ちゃんの三分の一は、6歳まで生きられず死んでしまいました。」とあった。
キリストが十字架に架けられたのも30歳くらい。
奇しくも平均寿命どおりになってしまったのか。
キリスト誕生の夜に羊飼いが登場するが、彼らは羊の番をしながら夜通し野宿していた。
無事に大人になったって、寒かったり暑かったり、獣に襲われたりして、やっぱり長くは生きられなかったんだろうな。
短く、はかない人生だ。

われは我が咎を知る……
我が罪は常に我が前にあり……

その詩句が頭にあるままで、「わたしたちの罪をおゆるしください。」とか「主の祈り」で声に出して言ってしまう。
当時よりも寿命は3倍近く長くなったが、生きている間の罪の数も3倍になってしまうのかなあ……なんて考えたりする。


by apakaba | 2015-12-24 21:11 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 20日

誰と全取っ替えしたい?

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バカ丸出しすぎる発言なので、紅葉の風景をお楽しみください


バカ話専用飲み仲間の忘年会で、P嬢が「もしも、顔も体も別人と全取っ替えできるとしたら、誰と替わりたい?」と言う。
私は「ペネロペ・クルス」と即答。
デビュー作『ハモンハモン』からずっと、ペネロペちゃんが大好きなんですよー!
P :え、そっちか! ガイジンか!
私 :うん。それか、マリオン・コティヤールでもいい。
P :またガイジンかよ……。日本人で!
私 :ええーどうせなら日本人なんかヤだ。ガイジンだよ。おっぱいが、バーンと。ゴージャスで。男がみんな腰抜かすような美女。
P :そして女友達はいない、と……
私 :いいよどうせ別人だから。

P :他にないの他に。
私 :うーん、じゃあシャーリーズ・セロン?
P :またか。
私 :うん、おっぱいが、バーンと……
P :お前大丈夫か……
だって日本人で誰かと全取っ替えしたいと思うほどの人って、いないからなあ。

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最後の一葉


P嬢は「自分なら、天海祐希さん。」と言う。
私は1ミリも天海祐希と替わりたいとは、思わないなあ。
とくに好きでも嫌いでもないけど、それなら自分のままでいいや。
しゃべっていて、私はほんとに日本人女優に興味ないんだなとわかった。
全取っ替えならペネロペちゃんだけど、他にもたくさんいる好きな女優って、みんなガイジンだもの。


by apakaba | 2015-12-20 13:43 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 16日

見た夢をそのまま書いてみる(影絵本番)

台本が配られてからまだ一度も練習をしていないのに、突然「今日、これから影絵の本番です」と言われる。
しかも、今日は歌を歌う担当の人が休みなので、私が劇中の全部の歌を歌えと言われる。
場所は学校の体育館か講堂だが、その学校はまるで大型ホテルか郊外のショッピングモールのように入り組んでいて、どこがどこなのかさっぱり把握できない。
急な予定変更に驚きながらも、団員は自分の台本を取り出し、スタンバイを始める。
私は、自分の台本をなくしてしまった。
当然、セリフはひとつも覚えていない。
台本に細かく書き込んだメモも、まだ頭に入っていない。
自分の台本を探すために、その迷路のような巨大な生き物の腹わたの中のような学校の廊下を、早足で突き進む。

この学校の廊下はまっすぐではなくて、中国式庭園にかかる橋のようにジグザグになっている。
永久に続くように思われるその廊下は、ひとけがなく静まり返った箇所もあれば、白衣の学生(高校生くらいか)がどっとあふれかえっている箇所もある。
その群衆の中に栗原類がいる。
栗原類は感情のない目で私を見て、さっと消えてしまう。
台本のありかを知っているか聞きたかったがだめだった。

泳ぐように人をかきわけたり、なんのための教室かよくわからない部屋を通ったりしながら、結局校内を一周してしまい、むなしく団員の控え室に戻ってくる。
するとまっさらな台本の余りがまだ残っていて、私は仕方なくどさくさに紛れてそれを一部取り、なにもメモがないけれどこの台本でやることにする。
息を整え、いい声が出るか喉の調子を確認。
でも今回はうまくいかないと、やる前からもうわかっている。


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テニス部が練習をしていた


どうしてこんな夢を見たか、あまりにも簡単。
きのう、娘の学校で三者面談があり、久々に高校へ行った。
週末に映画をレンタルして、音楽大学が描かれている映画『セッション!』を見た。
しばらく公演がなかった影絵人形劇団だが、来年の2月と3月に立て続けに公演があり、ちゃんとできるのか不安を抱えている。
不安を抱えているのは、声がつぶれないかという不安と、難聴が少しずつ進んで、ますます聞き取りが悪くなっているのではないかという不安だ。
不安だから『発声と身体のレッスン』という鴻上尚史さんの本を買って、毎日熟読を続けている。
読み終わったらトレーニングを始めるつもり。

そんなふうに、学校や学校生活や影絵のことを考えていたから、こういう夢を見てしまうわけ。
いつもながら単細胞ね。
わからないのは栗原類だが、彼のインタビュー記事を読んだからかも(発達障害だったという記事)。

中学と高校のとき演劇部にいたから、しばしばこういう夢を見たなあ。
本番の幕が開くのに、セリフをひとつも覚えていない! 全部忘れた! そんな夢。
「テストの夢をよく見た」という人は多いだろう。
やっぱりプレッシャーを強く感じている証拠だな。


by apakaba | 2015-12-16 19:11 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 10日

小さな仕事にも小さなプライド

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現在作っている「ギャザリー(私のページはこちらです)」のまとめ記事は、香港のサードウェーブコーヒー事情だ。
写真は日本人バリスタにインタビュー中の私。

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朝食でも!


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ディナーでも!
とにかくネタになるものを撮る!
取材する!

海外旅行のウェブライターといっても、アルバイトみたいな仕事だから、稿料は高くないし(他のタダ働きのようなライター仕事に較べたらずいぶんまともだが)、取材費などが出るわけもない。
でも自由がきくし、好きでやらせてもらっているのだから、最大限の努力をしている。

ところが、ギャザリーのような「キュレーションメディア」は、どうもプロライターやカメラマンには嫌われているらしい。
写真や文章を無断で持っていかれるという。
無断といっても、出典元を表示するのがふつうだが、それでも許しがたいようだ。

私は、自分の書いた文章もよくそういうサイトに引用されているので(旅行記や映画評など)、ネット界というのはこんなものだと思っているのだが、「写真の借用」にはとても気を遣う。
上に載せた奮闘中のスナップのとおり自分が撮った写真か、ウィキペディア(海外版含む)の写真、施設や店舗であればそのホームページや公式サイトに掲載されている写真などをできるだけ使っている。
どうしても個人のページからほしいときは、もめごとにならなさそうな外国人のページからもらい、もちろん出典元を表示させる。

他人の写真や文章を、あたかも自分のもののように使うことはもちろんダメだが、出典元を明記すれば、お互いにとってとくに不利益なことはない(むしろ宣伝効果もある)と思う。
現に、このブログでつねにアクセス1位である「『ラスト、コーション』——セックスで露呈されていく相克」は、NAVERまとめに出ている。
商業ベースのページに勝手に文章の一部を転載されて、むっとする気持ちもあったが、それをきっかけに私のブログを読むようになる人もたくさんいるだろう。
でもダメだと怒っているライターやカメラマンからすると、とにかくすべてダメなんだろうね。
あんまり怒っててもしょうがないんじゃないのと思うが。

ギャザリーで作った「香港ホテル大特集! 〜「究極のユースホステル、メイホーハウス」編」というまとめが、記事まるごと、ニュースまとめアプリの「グノシー」に転載されていたことがあり、これって元記事(ギャザリー)のPVは稼げるのだろうかと疑問だった。
ギャザリーのPVに直結すればこっちも助かるが(PV数が大事なので)、グノシーのPVしか上がらないのではただの横取りだ。
しかもグノシーでは元の写真と縦横比がまるで変わっていて甚だガックリ。
まあ泣き寝入りしかないんだけどね。
一応、最後に「元記事を読む」というボタンもあるので、完全に無断転載というわけでもないし。

そもそも、キュレーションメディアっていうものの存在自体、見ても時間の無駄という低レベルなまとめが多い。
自分もやっている仕事なのにそんなこというのもなんだけど。
でも、そんな中でも、「まともなまとめもあるのね」と思われたい。
やっぱりどんな仕事でも、プライドを持たないとね……実際、ギャザリーのまとめの仕事は時間がかかるけどおもしろいし。

ライターをやっていると、たまに「コピぺ問題」を聞くこともある。
ライターが自分で文章を作れず、どこかのページの文章をそのまま使ってしまうのだ。
なんですかねプライドないんですか?
私は文章を書くのが好きだから、人の書いたものを使うなんて考えられないけど。

「エイビーロード」という海外旅行検索・比較サイトの中にあるコラムコーナー(私のページはこれです)もやっているが、これは当たり前のことながら「海外旅行に行きたいな」という気持ちにさせるのが仕事。
だからどうやってその旅先を魅力的に書くか、頭をひねって言葉を絞り出す、それがおもしろい。
自分だけのオリジナルな言葉で書くのが楽しい。

いつも、「自分にしかできないことをしたい」と思っている。
文章を書くのも、写真を撮るのも、他のこと、たとえば影絵の声をあてることとか。
家族や友達の中でも。
まあそんなことは、あらためて力説するほどのものでもないんだけどね。
仕事をほそぼそやっていると、いろいろ思うことがあるので。

とりあえず、旅先では「旅行ライターしてます! 載せたいからあなたを撮らせて!」と迫る!


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「このパブを取り上げるから撮らせて!」
「いやいや〜。俺シャイだからー。ひとりじゃ恥ずかしいからふたりで!」


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「あなたはホテルスクールの学生さんですか? がんばってね。このホテルの紹介記事を書くので、撮らせてください。」
「ありがとうございます。そうです、私はまだ学生です。」



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「このホテルの記事を作っています。撮らせてください。あなたはホテルスクールの学生さんですか?」
「えっ、いえいえ、私はこのホテルに就職しています。」



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「あなたのレストランが最高すぎるから是非記事にしたい! 1枚いいですか?」
「どうぞどうぞ。取材してくださってありがとうございます!」


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「このホテル、とてもユニークでおもしろかった。あなたにも親切にしてもらったし! 記事にしたいから撮らせて。今日の服ステキよ。」
「あらっありがとう! じゃあ“仕事デキル女”風で! こんな感じでどう?」


みなさん、いい顔。
「海外旅行ライターをしている」「取材している」というと、正面からいい顔を撮らせてもらえるのがうれしい。
取材で旅行しているわけじゃなくて、旅行先で好きに取材しているだけなんだけどね。
でも商業ベースだからうそではないね。役得。


by apakaba | 2015-12-10 10:09 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 08日

考えることをやめる。遊ぶ。

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磧(かはら)づたいの 竝樹(なみき)の 陰に
秋は 美し 女の 瞼


いや!
もう秋じゃ、ない……月が変わっても11月分の原稿をずっと書いていたので、まだ秋のつもりでいた。
その間にさまざまな訃報がつづいて、生きることと死ぬことを考えつづける。
それで、仕事と考えることをすべてやめ、遊ぶことにした。

まずは友達と新宿の天ぷらつな八へ!

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天ぷらというのはどうして海老からスタートするんですかね。
私は、野菜から始めて、それからだんだんと魚介に移った方がいいように思うのだが。
私の知らない天ぷら界の決まりごとがあるんだろうなあ。

それから御茶ノ水のギャラリー バウハウスで開催されている、小瀧さんの写真展へ。
感想はまた改めて書きたい。

その足で神田明神へも行った。

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毎年集まっている仲間の忘年会に行く前に、渋谷BUNKAMURAで開催していた(会期終了)「風景画の誕生」へ。
つ、つまらない。
私がいけないんでしょうか。
美術の勉強という意味では有意義なのだろうけど、有名人の作品がないと損した気分になってしまうというシロートなので、まったく盛り上がらず。

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雲がおもしろい感じだった。
口を開けて見ていたら近所の奥さんに会った。

忘年会は毎度ながらおげれつでごめんね。
私がおげれつなのはわかってるよね。

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近所のパン屋のイートインでバターチキンカレー。
カレーと呼ぶにはあまりにもからくなくて、少し驚いた。
武田さんの個展へ。
武田尋善の『ガギョー!』にたくさん絵が出ているのでどうぞ。
この人の作品を見て、「なんだ、たいしたことない」と思う人って、一人もいないと思う。
絶対にびっくりする。
楽しいが、せつない。

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歌舞伎座夜の部を見てから飲む。感想はまた改めて。
焼酎のロックを頼むと、一合の徳利で来る。うれしいお店。


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もつ鍋にラーメン投入!
真夜中だけど気にせずカロリー摂取だよ!

歌舞伎鑑賞前に銀座三越でブラジャーをバシバシまとめて購入する。
旅行資金捻出のため、ビッリビリでボッロボロの下着で我慢を重ねていたが、なんかもうそろそろ今年も年を越すというのに、あまりにも情けないと思い。
久々に買うと、サイズがガンガン上がっているのは何故。
あーいやーアンダーは同じですよ。だからデブ化のせいというわけじゃ、ないのよ。
当たり前だが私のバストにまったく成長はなく、むしろだいぶ嵩が減っていると思えるのだが。

思うに、ブラジャーのサイズって、昔よりも大きめにお客に売っているのではないだろうか?
カップごとの数字自体は変わっていないけれど、「お客様はCカップですね〜」とか「Dカップですね〜」とかいう、そのカップは昔より絶対に上にして売っているという実感がある!

あれってふたつの点で戦略だと思う。
ひとつは、「大きく言われるとうれしい」という女性の心理を利用して、つい買ってしまう気持ちにさせる。
もうひとつは、「サイズが大きいブラジャーは高い」。
同じものでも、サイズが上がるごとに300円くらいずつ高くなるじゃないの。
なんかうまいことやられてる気がするよ!

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映画館はとにかく『STAR WARS』一色である。
私は、『STAR WARS』よりもはるかに『007 スペクター』を楽しみにしていた。
楽しみすぎて、見てしまった今、もうこの冬をどう乗り切ればいいのかわからない。
だから『STAR WARS』も見よう。ってとこだ。

ダニエル・クレイグは……完璧なボンドだった!
とにかくかっこいーーーーーッ!!!!!!
私は彼以前の007にはまるっきり興味なく、ダニエル・クレイグになってから俄然真剣になったのだが、次のボンドは誰なの〜。
もう誰でもいい〜。
今回のスーツは初めてトム・フォードが担当しているのだが、あれだけカッコよく着てもらえるなら、トム・フォードがダニエル・クレイグにお礼を言うべきだね。

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森美術館の「村上隆の五百羅漢図展」へ。
感想はまた改めて書く。

それにしても、六本木ヒルズはどうにも相性が悪い。
TOHOシネマズ六本木も好きじゃないし(お笑いとか紙兎ロペとかおもしろくもなくてただ苦痛)、飲食店も、詳しくは書かないけどムカムカすることが多い。
なんだろう六本木だから?
近くの東京ミッドタウンはぜんぜんムカムカすることがないんだけどな。

書いてないこともいろいろあるが、数日間こんなふうに遊び狂って、やっぱりがんばって生きていこうと思ったよ。
遊びまくるのに東京は最適。東京はいいな。六本木は合わないけど。
また地道に働こう!


by apakaba | 2015-12-08 17:43 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 04日

マーヒーさん追悼

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先月、11月22日に、娘が「今日はいい夫婦の日だから、花を買ってきました」とプレゼントしてくれた。
花が長持ちする薬を入れて、水を替えて飾っておいたけれど、やっぱりだんだんとだめになってきて、ついにきのう、花を捨てた。
そうしたらちょうど、友人からメールが入った。
その人と私の、共通の友人の訃報だった。

あまりにも突然の死で、ただただ信じられず、他の共通の友人に連絡を入れたりしながら花瓶を洗った。
11月22日に救急搬送されて末期ガンと診断され、きのう息を引き取ったという。
私が花を眺めて暮らしていたのとまったく同じ時間が、彼の最後の時間だったのだ。
娘の気持ちがうれしくて、一日でも長く咲かせていたいと思い、水を替えたり薬を入れたり、茎を洗ったりしていたのと同じだけの時間。
たったそれだけの闘病の時間。
それだけのご家族との時間。

彼と一度しかお会いしたことがない。
いわゆるネット友達だった。
だから、死が悲しくて泣き崩れるという心境よりも、人の死ということ、そのことそのものが、なんだか受け入れ難く不思議だ。
私の父は私が小さかった頃に、倒れて一晩で死んでしまった。
それはそれで、周りにとってはとにかくびっくり仰天なことだったが、本人はもうわけもわからず死ねたのだから、まあかえって楽だったかもしれない。
でも、もし自分が死ぬとわかっていたら、もしかしたら家族に一言だけでもなにか言いたかったかもしれない。

彼の場合、もう少し時間が残されていた。
ご家族の方と、お別れができたのは、よかったのかなあ。

彼の一番下のお嬢さんは、小学校3年生だそうだ。
私が父を失ったのと同じ年か、ああ、自分と重なるなあ。

私に直接できることはなんにもない。
ただ、亡くなった方のことを忘れずにいて、お子さんたちが大人になったときに、ちゃんとした世の中を作れるよう、自分の場所で地道にがんばることだけ。
それは残った大人全員の責任。
がんばります。
がんばろうね。奥様、お子様。


by apakaba | 2015-12-04 21:57 | 生活の話題 | Comments(6)
2015年 12月 03日

口を開いて話をしよう。それを覚えていよう

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雨でも散歩に行く



娘の「コシヒカリ」は年が明けたらいよいよ受験勉強もラストスパートだ。
推薦やAOですでに進学先が決まっている子も多いらしい。
「○子ちゃん(小学生時代の同級生)も、とっくに大学が決まってるらしいよ。将来、洋服を作る人になるんだって。お裁縫が好きらしい。」
と私が言うと、
「へえー。いや、“服は着る物”ですよ。」

「まあねえ、あんたはお裁縫なんてダメそうだもんね。」
「うん、わたし全然好きじゃない。中学のとき家庭科の授業でエプロンを作ることになって、型紙を書いているときは簡単簡単と思ってたんだけど、そのあと『縫いましょう』とか言われて『なんでそんなことしなきゃならないの?』って思って、わたし縫わないで提出したんだー。」
「えええ? 縫わないで提出って? どうやって? それじゃ作りかけじゃん。」
「うん。だから待ち針だけで『できた』って言って。」
「……。」
「それでそのあと調理実習になって、『作ったエプロンを着けましょう』とか言われて、わたしちくちくしてとても着られなかったから、ふつうに家のエプロンを持って行ったけどね!」

な、なんというふざけた子なの。
知らなかった。

「そんなの友達で上手な子に頼むんだよ。なんかちょっとあとでお礼して。馬鹿だねえ。」

「わたし技術家庭がほんとにいやで、とくに“電のこ”が怖くていやで、先生にすごい反抗した。『こっちから切りましょう』という順番の逆から切ってたら怒られて、でもどっちの順番から切っても同じなの。だから『どっち側から切っても同じです』って言ったんだ。
そしたらすっごく怒られて、周りの友達が『やめなよー』とか言ってた。」

私も中学生のときはピークに反抗的なクソガキだったから、無意味な反抗の衝動はよくわかるんだけど、この年(18歳)になってもまだヒロイズムから抜けていなさそうなところが情けない子だ。

「うーん愚かなことだね。でもそこで、先生が『こっち側から先に切るのはなぜか』と理由を説明してくれたら、そのとき愚かさに気づけたかもしれないね。
先生が『こっち側から!』と言うからには、子供にはわかってなくても理由があったはずだよ。
でも『うるさい! だめなものはだめだ!』とか言ってそれっきりだったら、子供は自分の愚かさに気づくこともなく、ただ反抗心しか残らないよね。」
そろそろ、自分の愚かさと先生の愚かさを客観視できるようになってほしいが。

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クラシックなかたち
クラシックな色調にする


ゆうべ、次男「アキタコマチ」が定休日だったので夕飯を作ってくれた。
みんなの好きな豆アジの南蛮漬け。

いつも取り寄せている富山県「入善コシヒカリ」が新米になり、近頃はごはんが驚異的にウマイ。
そのことを力説するが、夫と娘は「おいしいことはおいしいけど、そこまでの差はよくわからない……」と言う。

アキタコマチ :うまいよ。青空が見える。目の前に、どこまでも真っ青な空が広がる。見たこともないでっかい入道雲が浮かぶ……! ←典型的腐れ文系的表現
私 :うまいでしょうッ? ごはんに求める、すべてを持っている。そして今まで知らなかったものまで見せてくれる……! ←典型的腐れ文系的表現
コシヒカリ :いやーあのー。ごめんよくわからない。そこまでのことは。わたしの舌ってまだ凡人なんだね……。二人の域に到達してないんだね……。

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きのうは昼も「アキタコマチ」が作ってくれた


今、結婚以来もっとも人と口をきかない生活をしている。
朝、家族が仕事や学校に出て行くと、犬に話しかける以外には話すことがない。
家族がいる時間はできるだけしゃべろう。
そしてできるだけ、そのときのことを覚えていたい(だから書いている)。


by apakaba | 2015-12-03 13:29 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 02日

弁当写真(どうでもいい日記)

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おとといの散歩中
陽射しが冬


毎朝、Facebookにお弁当の写真を載せている。
私の作るお弁当は、食べれば大変おいしいのだが、写真を美しく撮る気力も時間もないため、写りはヒドイ。
それでも、記録しておくと役に立つ。
Facebookの機能で「×年前のふりかえり」があり、1年前や2年前といった、過去の同日の写真が出てくる。
これを見ると、「代わり映えしないわね……」とも思うが、「こんなおかずも作っていたんだな」と自分へのヒントになることがある。
便利な時代ね。

たとえばこんな感じ……Facebook友達には見飽きているでしょうが……

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きのうは、銀だらの粕漬け焼き、ピーマンとハムのスクランブルエッグ、かぶの葉の胡麻風味炒め、なすの梅肉浅漬け、ゆかりごはん。

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今日は、さばの味噌煮ごぼう添え、厚焼き玉子、もやしとブロッコリースプラウトのひき肉炒め、ポテトサラダ、胡麻塩ごはん

だいたいこんなようなお弁当を毎朝作る。
これを朝食にも食べる。
週休1日なので面倒でしょうがないけど、作るのは嫌でも食べるのは好きなのでがんばる。
長男の「ササニシキ」には、はと麦茶とコーヒーとおにぎりも持たせる。

コックの「アキタコマチ」は、食べながら「これうまいね。どうやって味付けしたの?」と熱心に聞いてくる。
「アキタコマチ」の「とにかくシェリービネガーはうまい。バルサミコ酢を切らしても、シェリービネガーだけは常備したほうがいいよ。」という助言に従って、今朝のポテトサラダにもシェリービネガーを使っている。

私は酒飲みなので、お弁当でも、作るものはなんでもお酒に合うものになってしまう。
作りながら「これで飲みたいなあ。弁当だけに入れるのはもったいないなあ」と思っている。
毎晩飲むので、夜は夜でもっといろんなものを作る。

家族がいなかったら、私は絶対に料理をしなかっただろう。
100%買ったものと外食で済ませて、早晩アル中になっていただろう。
家族は枷にもなるけど私のようなだめな人間には救いにもなるわね。

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これ、私のApple Watch のフェイス。
香港の風景のタイムラプス。
毎日、数えきれないほど時計を見る。
そのたび、時刻に合わせて移り変わる香港の風景が目に入り、そのたびに「また、旅行に行かれるように、がんばろう。」と思う。
そのためにこれをフェイスにしている。
今日も原稿書きがんばろう〜。


by apakaba | 2015-12-02 10:47 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 11月 30日

見た夢をそのまま書いてみる(“佐藤”)

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本文とまったく関係ないけど、ある日の夜に次男が作ってくれたおつまみ。
焼きねぎ。
私が作るときはだしでひと煮立ちさせて焼き浸しにするが、これは塩胡椒と酒だけ。
包丁の入れ方がプロだ。美しい。



夜遊びがたたって眠い。
眠くて原稿書きができず、ちょっとだけ寝ることにする。
居間で椅子を3脚つなげて横になって寝る。

夢の中で、同じように居間で椅子を3脚つなげて寝ている。
インターホンが鳴り、起きたくないから無視しようかとも思うが、配達物だと再配達が面倒だ。
毛布を抱えてよろよろ起き上がり、「はい」と寝起きそのものの不機嫌な声を出してみる。
小さく、高めな男性の声がする。
「佐藤です」と言う。

「佐藤ですが、はい、どうも。ちょっと、出てきてくださいね。」
そんなこと言われて出るわけがない。
こんな声の佐藤なんか知らない。
やわらかくて、でも有無を言わせない図々しい話し方。
「はあ。なんですか。どういうご用件ですか。」
「ええ、出てください。お話があるんで……佐藤ですが……ええ、こっちから行きますね。」

「あのーなんですか? どういう……」ガタッと玄関で物音がして、飛び上がる。
“佐藤”がインターホンを切り、家のドアを開けて、勝手にもう上がりこんでいる!

玄関から続く廊下に立った佐藤を見て戦慄する。
地味なスーツにコート、山高帽に似たデザインの黒い布の帽子を、すでに脱いで右手に持っている。
丸い大きな目が薄暗い廊下できらっと光り、笑うわけでもなく私を見た。
佐藤は30代くらいのようだ。
こいつは泥棒なのか?
私に何か危害を加えるつもりで、一人でいる時間を狙って来たのか?
目的はぜんぜんわからないけど一つだけはっきり言える——この男は、私の味方じゃない。

ずかずかと廊下を進んでくる佐藤を振り切ろうと、居間へもつれる足で逃げる。
なぜかインターホンを取り上げて叫ぼうとするが、それはあまり役に立たないとわかってインターホンの受話器を収め、窓を開けて「助けて!」と叫ぼうとするが近所には聞こえないだろうとも思う。
テーブルの上の携帯電話を思い出してそれで110番通報をしようとする。
しかしたった3個の数字をプッシュすることができない。
怖くて、手ががたがた震えて、指が定まらない。
そうこうするうちに、居間の入り口まで佐藤が歩いてきて、丸い大きな目で私を見据える。

携帯電話を握ったまま絶望する。
居間の中に佐藤が進んでくるまでのわずかな時間に、地団駄を踏むばかりに後悔している。
なぜ、玄関の鍵を閉めておかなかったんだろう。
私はいつも玄関の鍵を閉めない。
朝、家族が出かけると、自分が家にいる限りは夜の戸締りまで鍵は開けっ放しだ。
それを「なぜ、なぜ、なぜ」と後悔する。

そこで起きた。

久しぶりの、本当に怖い夢だった。
コーシローがストーブの前で寝ていて、コーシローはなぜ夢の中でなんの役にも立たなかったんだろうと少し考えた。
でも私の夢だから、私が番犬としてのコーシローになにも期待していないんだなと思った。
でもこれからは玄関の鍵はかけておこうかなとも思った。


by apakaba | 2015-11-30 13:03 | 生活の話題 | Comments(2)