あぱかば・ブログ篇

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2017年 12月 31日

大晦日

今年も「アキタコマチ」がおせち用のだしを引いてくれた。
今年の一番だしは、今までよりはるかにおいしい。
できたてをゴクゴクとみんなで飲んでしまう。

「おかーさんも、これくらいのだしを引ければ、もうオレが教えることは」
「もう、卒業でいいですか。」

小さいころからあんなに料理を教えてきたのに、不思議なものだ。
でもお煮しめは私が作ってきたとおりに、ごった煮にしないで一品ずつ、少しずつ味を変えて作ってくれた。
ありがたきこと。
有難し。

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戌年生まれのコーシロー。
ふたたび年男になることは、ない。
節分にはすこし豆でも食わすか……


by apakaba | 2017-12-31 23:41 | 子供 | Comments(0)
2017年 12月 30日

子供達の晦日

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ゆうべの長男「ササニシキ」。
毎年恒例、「ササニシキ」による冬の大感謝祭。
今年は「アキタコマチ」が年末も洋風おせちを作るレストランに就職してしまったため、「ササニシキ」が買った食材を「アキタコマチ」に作ってもらって5人で食べることができなくなった。
というわけで、「ササニシキ」が買って調理もする、初めての大感謝祭。

大きな牛モモを買って切り出し、ステーキにした。
これまでの冬の大感謝祭の凝り方からすると比較にならないシンプルさだが、シャンペンとワインも買ってくれたし、まあよし。

シャンペンとワインを空けて、私が買ったラフロイグをみんなで飲んでいると、「ササニシキ」に呼び出し。
地元の友達が地元で飲んでいるから今から来いと。
子供達は、小学校や中学校が一緒だった仲間と、たまに会っている。
「こんなにうまい酒を飲んだ後に、行きたくない……」と言いながら、結局夜遅くからチェーン居酒屋に出かけて行った。
そして「ササニシキ」は今朝6時過ぎには家を出て、沖縄へ行った。
その中にはゆうべ飲んでいた友達もいる。
沖縄には、やっぱり地元の友達が、転勤で住んでいるから会いに行ったのだった。

地元っていいなあ。
地元の友達とほぼ付き合いのなくなってしまった私は、子供達がとてもうらやましい。
今年度から、私は子供3人が卒業したその中学校で働いている。
中学生の生徒を見ていると、「この子たちの中にも、うちの子たちみたいに、大人になってもずーっと友達でいる人がいるんだな。大人になってから、付き合ったり、結婚したりする人たちも出てくるかもしれない。」と思うことがある。
うちの子たちに較べたらまだまだ幼い顔の中学生が、10年たって大人の顔になって、地元で飲んだり、しているんだろうなあ。
その様子を想像するだけで、なんだか胸がいっぱいになってしまう。
いいなあ。


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「アキタコマチ」が激務で家のことを何もできなくなった分、「コシヒカリ」ががんばって大掃除やおせち料理の手伝いをしてくれる。
私が「掃除が嫌、料理も嫌」と文句ばかり言っていると叱咤激励してくる。

これはもともとワインが入っていた木箱だが、「アキタコマチ」の以前の勤め先から、荷物を入れて持ち帰っていた。
それが年末まで2階の廊下のつきあたりにずっと置きっ放しになっていて、やっと今日、大掃除でワックスがけをするために1階に下ろしてきた。

「あのね、ここに三つ、黒っぽい丸い模様があるでしょう。わたし、これがずーっと」
“犬に似てるなあ”とは、実は私も思っていたのだ。
しかし娘は、
「犬に似てるなあって思っていて、この犬が、この箱に閉じ込められて、『ももたろうっ……さんっ……!たすけて……!とじこめられてしまいました……』って言ってるなあって。階段を上がってこれを見るたび、かわいそうだなあって」
ううむ、そこまでは考えていなかったね。
まだ子供かなあ。
ずっとこの調子かなあ。


by apakaba | 2017-12-30 20:50 | 子供 | Comments(0)
2017年 12月 25日

二十歳のクリスマスの朝

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クリスマス風の写真をまったく撮っていないので……暮れてゆく今年。


今朝、eneloop(一応、環境保護派なので、乾電池は全部eneloopにしている)の充電器がなくなってあちこち探し回る。
子供の誰かが自室に持っていったに違いないと思うが、男子部屋には入りたくないのでとりあえず娘の寝ている部屋に入ってみる。
だが見つからないままだった。

大学が冬休みに入り、怠惰な生活の娘の「コシヒカリ」が、昼近くにのろのろと起き出してきた。
「おかーさん、朝早くに、わたしの部屋にそっと入ってきた?」
“朝早く”ではなくてすでに9時ごろだったが、「うん、eneloopの充電器を探していたから。」と答える。
「あ、わたしが持っていったの。」
と持ってきた。
「これはみんなのものだから、自分の部屋に持っていかないで。」
「わかった。……あのね、今朝、お父さんかおかーさんが、そーっと部屋に入ってきたから、『もしかして……クリスマスプレゼントを置きにきたのかなあ!』って……期待した。」

メリークリスマス。
お言葉どおり、この身になりますように。


by apakaba | 2017-12-25 21:00 | 子供 | Comments(0)
2017年 12月 20日

ビブラム「FUROSHIKI」を買ってみた

どんな靴を履いても、私があまりにもすぐ「足が痛い」と言うので、夫は呆れかえっている。
「だいたい君は原始人なんだよ。靴という文明に合ってないんだ。裸足で歩けよ。」と言うが、そんなことできるはずがない。
見た目はそんなに足の形は悪くない。
でも何時間か歩くと、何を履いていても痛くなる。

夫は靴が好きで、自分もどんどん靴を買うが、私にもけっこういいものを買ってくれる。
でも痛くなるから結局あまり履かない。

ところで、私はこの夏から腕と肩がすごく痛い。
滑って転んで痛めたのだけど、それが長引き、おそらく五十肩も併発して、一時期は生活に支障が出るほどだった。
整骨院で、マッサージとリハビリをしていたときに、「姿勢が後傾姿勢になっている」と指摘された。
体の重心が後ろにあるので、瞬発力も弱く、体の後ろ側の筋肉ばかり疲れ、腰に負担がかかるという。
言われるまでは完全に忘れていたのだが、言われたらいろいろなことに思い当たった。

初めて後傾姿勢を意識したのは、21_21 DESIGN SIGHTで開催されていた「アスリート展」でだった。
ここに「バランスコントロール」という参加型の展示があった。
簡単な運動を通して、自分の身体バランスを知る。
ここにあった「まっすぐに立つ」という測定で、私は体の重心がやや後ろにあるという結果が出た。
それまで、自分の重心など考えたことがなかった。
でもすぐに原因が思い当たった。
私は、ここ何年間も足の裏のいぼに苦しんできた。
できた場所が「内側足根小球」という部分で(ググってね)、ここは体重がかかるので歩くたびに痛い。
だから痛みを逃すため、できるだけここに体重が乗らない歩き方をずーっとしてきたのだ。
体の重心が後ろになってしまったのは、いぼのせいだ。
いぼはもう治ったが、後傾姿勢は残った。

それにしても私って、本当につまらない不調ばっかりだわ。
いぼ、五十肩、後傾姿勢、足がすぐ痛くなる、あーもうこんな自分がほとほと嫌。

話を靴に戻すと、夫は「君はかかとから足を下ろす歩き方をしているんじゃないのか。ビブラムのファイブフィンガーズを買えよ。」と言ってきた。
かかとから足を下ろす歩き方は、健康にとても悪いという。
ファイブフィンガーズなる靴は、かかとを打ちおろすような歩き方ができないから歩き方が改善され、足の筋肉のつき方も変わるのだという。

そこでまた思い当たったのが、高校生のころ、ある男子から「あなたは、かかとから足を下ろす歩き方をしているのがいけないんじゃないかな。」と言われたことだ。
私の足が太くて背も低いのは、そのせいだと。
トホホ。
そんなに年季の入った歩き方を、改善できるものなんでしょうか。

じゃあ買ってよ、そのファイブフィンガーズとやらを。
ビブラムを扱っている店舗で行ってみると、驚きのビジュアルにすっかりたじたじ。
健康のためにはいいんだろうなというのはありありわかるが、さすがにこれでは。
着るもの・行く場所が限定される。


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「君はこういうのがいいでしょ。何を履いても痛いって言うし。これなら足指が離れているし、足指で地面をホールドする感じで、姿勢も前傾になる。」
興味はあるけど、買う勇気が出ない。
道端で知り合いに会うのも厳しい。
そんな折、ふと「FUROSHIKI」という製品に気づいた。
こちらは五本指に分かれていないが、靴底が薄く、かかとを打ちおろす歩き方の改善にはよさそう。


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風呂敷のように足をくるんでベルクロでとめるという、靴というかなんというか、新発想な履物だ。
これなら、どうにか外出でも視線に耐えられそう?
変わっていることは変わっているけど。
迷った挙句、FUROSHIKIを購入した。

これをできるだけ履いて歩いているが、たしかに少し改善されている感じがある。
足が靴にどこも強く当たらないので、痛くならない。
ふくらはぎは、筋肉を使っているようで、なるほど疲れる。
なんとなく健康になれそうな気がしてきた。


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これからは本当に体が資本になる年頃だわ。
私は健康診断の結果はいつでも最高なのだけど、体の痛みはいつもあるので、ひどくなっていかないように、日々がんばらないとねえ。


by apakaba | 2017-12-20 13:38 | 健康・病気 | Comments(0)
2017年 12月 11日

影絵『青い鳥』__青い鳥が世界のあわいを飛ぶ

おととい、私の所属している影絵人形劇団の公演で、『青い鳥』を上演した。
メーテルリンクの戯曲『青い鳥』をアレンジした。
“青い鳥”は、比喩的な意味で用いられることが多い。
原作を読まず、“青い鳥”が「幸せは、気づきにくいが身近にある」ことの象徴と認識している人は多いと思う。
チルチルとミチルの兄妹が、見つかると幸せになれるという青い鳥を探して旅をするがなかなか見つからず、家に帰ると、飼っていた鳥が青くなっていた……という話だとされている。
ところが、実は、家にいた青い鳥もやっぱりすぐに逃げてしまうのだ。
けれども、青い鳥が逃げても、兄妹はもう絶望しない。
長い旅をとおして、幸せのさまざまな形を知り、心が強くなる。
心のあり方が変わることで、きのうまでと同じ風景も、人も、すっかり変わって見える。
青い鳥は、見えていたものと今まで見えなかったものとの間を飛び、世界をコネクトする。

劇団代表が制作発表段階でこう言っていた。
「たとえば、死を宣告された人が、身のまわりの同じものを見てもまったく別のもののように感じられる、といったような心の変化」
そうした経験は、ある程度生きた人間なら誰しも思い当たるはずだ。
死までいかなくても、治らない病気を宣告されたら。
恋をしたら。
信じていた人からの裏切りにあったら。
大きな願いが叶ったら。

だが、観客である小学生は、そんなふうに心のあり方が一挙に変わる体験は、まだないのかもしれない。
だから探しても手に入らない青い鳥の物語で、心の不思議さを知る旅にひととき出てもらう。

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練習を2回通すと片耳が聞こえなくなり、ミスが増え始める


155年前に生まれたメーテルリンクの時代、フランスやベルギーを中心として、芸術は象徴主義が流行していた。
今年の美術展で入場者トップとなったミュシャ展。
ミュシャの連作「スラヴ叙事詩」はまさしく象徴主義的だ。
不思議で、唐突ともいえる構図なのに、装飾のヴェールを突き抜けてまっすぐに訴えてくる祖国への愛に、胸を打たれる。

公演後に入ったお店のBGMで、たまたま流れてきたドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。
ドビュッシーも象徴主義の音楽だ。
この曲が好きで、昔よく弾いていた。
甘美なようでいて切実で、胸を締め付けられる旋律。

これら象徴主義運動の中に、メーテルリンクもいた。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」やドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」と、原作の戯曲は通底する。
不思議で、とらえることが難しい、しかしたとえようもなく美しい、切なくなるような心の風景。

今年度は定期公演に出るのを一度休んだので、4月以来ずっとブランクがあり、ちゃんと声を演じられるかが不安だった。
上半器官裂隙症候群という、自分の声が頭に響く病気のため、影絵の声あてはとても苦しい。
声を一定以上の大きさに張って出すと、目の前がふらふらして、そのあと何時間も頭がボワーンとして、片耳が聞こえなくなる。
でも、影絵人形劇を作り上げるのは病気の苦しさを超えるやりがいだ。


4年前にもこの劇を上演して、前と同じチルチルの声をやった。
今回はもっと、メーテルリンクと劇団代表の意図を深く酌んで、チルチルの心の動きを繊細に表現しようと努めた。
それは4年分の、自分の変化。
4年たって、体はその分だけ衰えている。
でも心はその分だけ、ひだが増えている。
4年前には知らなかった思いを得ている。
同じ役をくりかえし演じることで、あらためて芸術に深く関われたと実感した。
それは一人では達することのできない境地。
ありがたい仲間のおかげだ。


by apakaba | 2017-12-11 16:37 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)