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あぱかば・ブログ篇

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2019年 03月 12日

いつもあなたの前にいますよ

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中学3年生は進路も決まり、あと1週間で卒業だ。
校内の掃除をしたり、卒業式の練習に入ったりして毎日のんびりと過ごしている。
受験おつかれさま。

先週、英語の先生から「今日で3年生の英語は最後なので、よかったら授業に入りませんか」と誘われた。
学年末試験のあとで私も一息というところだったので、喜んで行ってみた。
そのクラスには、思い出深い男子生徒もいた。

この話の冒頭に出てくる、最後に質問してきた男の子。
彼とはこの日一度きりしか会わないと思っていた。
そのあと、私も中学校で働くことになり、彼も入学してきた。
学年トップの頭脳で、私の顔を見るといつも読書の話を持ちかけてきた。
勉強はよくできるから勉強を教えることはなかったが、読書のことなら私もいろいろ教えてあげられた。
もう卒業か。
さびしいね。

最後の英語の授業は、英語ゲームだった。
先生が8時間もかけて作成したという。
班対抗戦なので盛り上がる。
その中のひとつの問題が、こう書かれていた。

「I am always in front of you, but you will never see me. What am I ?」

英語のクイズ問題集などによく出る問題だが、みんな頭をひねって「空気?」「鏡?」などと相談している。
「あっ…!」
あの男子が短く声を上げて挙手。
「Future.」
みんなが「うわあ……。」「かっこいい〜!」と感嘆。
すぐ近くで見ていた私は、ヒクッと舌が上あごにくっついてしまう。
泣きそうになる。
フューチャー、この問題を最後の授業に持ってきてくれた先生、ありがとう。
しかし大丈夫か私は。
卒業式当日は、やっぱりバスタオルを用意したほうがいいんじゃないのか(涙が!)。


# by apakaba | 2019-03-12 18:08 | 生活の話題 | Comments(0)
2019年 03月 11日

東日本大震災の日の影絵体験授業

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今日も近隣の小学校の影絵体験授業。
とてもよくできる子供たちで上出来だったが、なぜかクタクタに疲れてふらふらになってしまった。
トシだわーきついわ。
東日本大震災から8年過ぎた。
自分が未来のある人間に直接関わりたいと真剣に思うようになったのは、あのとき「もう日本はだめなんじゃないか」と考えたことが大きい。
今の日本はだめだけど、これからの日本はよくなるかもしれない。
だったら未来には大人になる今の子供に、よい人間になってほしい、と思って、いろんな教育的活動に取り組むようになっている。
今の子供を大事にすることは、将来、絶対無駄にならない。



# by apakaba | 2019-03-11 15:04 | 生活の話題 | Comments(0)
2019年 03月 04日

セントレア「FLIGHT OF DREAMS」で、チームラボとともに子供のころの夢が飛行する

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中部国際空港「セントレア」に昨年新設された、飛行機のテーマパーク「FLIGHT OF DREAMS」。
小規模ながら密度の高い展示だった。
ボーイング787の初号機が据えられた会場は、本物の格納庫のような武骨なつくり。

ここの「FLIGHT PARK」を手がけるのはチームラボ。だからはるばる来たのだが。
チームラボのよさは、つねに「教育」を目的としていること、そしてそれを微塵も押し付けないことだ。
上の写真は紙飛行機を飛ばすコーナー「Paper Plane Music Field」。
自分で紙飛行機を折ることから始める。
これが教育的活動の第一歩だ。
ただ出し物を眺めるだけのお客さんではなく、自分の体を使って参加することで、自分だけの創意工夫が生まれる。
自作の紙飛行機をこの空間に飛ばすと、光が紙飛行機に反応して光り、音楽が鳴り響く。
光も音もほんの一瞬、紙飛行機が飛んでいく間だけ、自分がこの空間に影響を与えられる。

大人も夢中になるが、主役なのは小中学生男子。
何度も繰り返し、走ってマイ飛行機を回収しては、遠くへ飛ばそうとチャレンジする。
ただ遠くへ飛ばせるだけでも英雄なのに、飛ばせればより長く光と音のご褒美がつくのだ。
これまでのチームラボの子供向けコンテンツの中でも、やや年上の子供を夢中にさせる意味で、これは最も成功していると思った。

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私ごとだが、紙飛行機の折り方を忘れてしまっていたことが小さなショックだった。
テーブルにはよく飛ぶ紙飛行機の折り方が紹介されているが、初めはこれに従わず、「紙飛行機なんて何も見なくてもできるから。昔から作っていた定番の折り方でいいや」と勝手にやり始めた。
しかし、途中でぱたっと手が止まってしまった。
自転車に乗るように、一度やり方を覚えたら一生忘れないものだと思い込んでいた。
手が止まってしまった瞬間に、とても幼かった子供のころに、意識が帰った。
亡き父が、家にある原稿用紙(新聞記者だったので社用の)で定番の折り方を教えてくれた。
自分が「幼女の自分」と「それを見ている父」との二人に分かれてこの場にいるかのような感覚を抱いたのだった。
紙飛行機の基本の折り方を忘れた。
忘れたことで、忘れていた父とのことを思い出した。
遊びに自分の身体を使うことは、こんなふうに記憶のつなぎ目を自分の手で引き寄せられることなのだ。

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ボヤボヤ写真、お見苦しいモデルでスミマセン。
「Airline Studio」では、キャビンアテンダント体験ができる。
CAのコスプレをして、機内アナウンスや、乗客のサポートをする。
制服コスプレは大人にはややウレシハズカシだが、あらかじめ人の形の塗り絵をしておくと、その塗り絵が空港や機内での乗客となって、自分を取り囲む画面に現れてくる。
それがいつどのように登場してくるかわからないので、自然と画面に集中するし、見つけるとうれしくなる。
私の塗った男の子の絵も、機内でおもちゃを欲しがる子供と、空港で自分の背後の階段を上っているシーンで出てきた。
いろんな人々にまぎれてさりげなく出てくるから余計に楽しい。

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「Fly with 787 Dreamliner」は、久しぶりにチームラボの真骨頂を見せつけられた。
4階の観覧エリアまで上り、会場全体を見下ろせる位置につくと、5分間の映像と音楽のショーを見られる。
ショーは毎時15分と45分の30分おきにスタートし、2パターンがある。
私は2パターンとも見た。
最初は、これまでのチームラボの仕事をたどるようなイメージ映像。
咲いては消えていく花のイメージ、粘性を帯びたような軌跡を描きながら飛ぶカラスのイメージなど、懐かしいモチーフが新しい会場で刷新されており、長くファンをやってきた身にはしみじみする。


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ふたつめのショーは、まさに目を開けて見る夢だった。
飛行機の旅を抽象的に表しており、787が飛び立つと眼下にビルの並ぶ風景が。
やがて花火や、ランタンの浮かぶ空も飛ぶ。
そして、宇宙とも海ともつかない中を、虹のように美しい模様のイルカやクジラとともに787は進む。
最後は、自分たちが色を塗った飛行機の塗り絵が、787と一緒に航空ショーさながらの飛行を見せる。

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打ち上げ花火の弾ける中を飛行機が飛ぶことはありえない。
空を漂うランタンの中を飛ぶことも、ありえない。
飛行機は宇宙までは飛ばないし、海の中も飛ばない。

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そう、これは、子供が飛行機に乗せる夢の世界なのだ。
「飛行機って飛べる!」
それを初めて知った子供は、小さな模型の飛行機や、自作の紙飛行機でも、飛行機に見立てた消しゴムかなにかでもいい、自分の飛行機を手に、「ビューン」「ブオー」と擬音を交えながらいつまでも荒唐無稽な物語の中を飛んだはずだ。
打ち上げ花火の中を、宇宙を、海を!
子供の尽きることのない空想をそのまま、これほどのスケールと美しさで見せてくれるチームラボって、どこまで天才なんだろう。

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隣で並んで見ていた親子連れは、「うわあ! ○○ちゃんの飛行機が出てきた! 飛んでた!」「お母さんの描いた飛行機も出たよ!」と歓声をあげている。
お母さんは自分の子に「見て、ここから見ると、下にいる人たちが浮かんでいるみたい……。」と、子供のようなことを言っている。
このショーは4階まで上らなくても、会場のどこからでも見られるけれど、4階観覧エリアまで上ってみると、階下を歩く人々が、そこにいるという形で知らずにショーに参加しているようにも見える。
私はたまたま「クジラの口に飲まれそうになっている人」を撮れた。

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右の人たちがパクッとやられそうでしょう?
彼ら自身は、きっとわかっていないのだろうが。


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建物の床と壁面、そして787の白い機体にもすべて映像が投影される。
チームラボは全国のいろいろな会場で展示をしていて、狭い・小さいなど制約のある会場でもそれなりに開催できている。
しかし、これまでは「この会場では、チームラボが気の毒だな」と思う展示もあった。
ここは特設会場だけあって、理想的な映像体験ができている。
787の実機はまったく動いていないのに、空想の世界でどこにでも自由に飛ぶ。
実機が置かれていることで、より夢の輪郭がくっきりしてくる。
飛行機のテーマパークのために新設されたこの場所でしか見ることができないという特別さがある。
名古屋まで来てよかった。


*週末旅行の、この他の行き先については、Facebookのアルバムにまとめた。





# by apakaba | 2019-03-04 18:22 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 02月 17日

She's so...

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東京大学総合研究博物館小石川分館建築ミュージアムに行ったとき、この展示を見た。
「語彙ネットワーク模型」とあり、関連する語彙同士が連結されているという。
healthy など好ましい極性の単語は明るい色で、poor など好ましくない極性の単語は暗い色で表されているという説明があった。
真っ黒に塗られている単語に、自然と目がいく。
途端に、「She's so...」という歌声が頭にこだまする!

「heavy...!」

真っ黒なheavy。
ジョンがヨーコに叫ぶ。
She's so heavy,heavy,heavy~~~~~!
“好ましくない”わけがない。
彼女の魅力のヤバさに、つぶされそうだよ!


# by apakaba | 2019-02-17 22:15 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2019年 02月 12日

女の子同士

4時間目の授業開始前、私が教室に入っていくと、いつも元気な女子がひとりで机に突っ伏している。
近づいて「どうしたのー」と聞くと、「うーん……」。
「元気ないのね。失恋?」「ううん。」
「ふられた?」「ううん。」
「友達とけんかした? 男子に嫌なこと言われた?」「ううん。なんでもないけど、なんとなく……。」
「うーん、じゃあ生理前だ。たいていの不調はそれだよ。」
「うん、今、生理なの。」
「やっぱりそうだね。生理が終わったら元気になるから。」

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東京大学総合研究博物館小石川分館建築ミュージアムできのうまで開催されていた「チャンディガールのル・コルビュジエ」にて


そのときはそのまま他の生徒の勉強についていて、給食と午後の授業が終わって帰ろうとしていると、廊下にその子と友達の女の子が立っている。
ふたりともボロボロ泣いているので、「あらー! どうしたの。」「うーん……」。
図書室に入って、
「やっぱり失恋?」「ううん。」
「ふられた?」「ううん。」
「友達とけんかした? 男子に嫌なこと言われた? 英語の時間は大丈夫になってたじゃないの。」
「なんでもないの。なんにも理由がないんだけど、自分が嫌になるの。あんなこと言わなければよかったとか。自分の言ったこととか、態度とかがすごく嫌になっちゃうの。」
「あー。それはね、やっぱり生理だからなのよ。」

女の子はこの先ずーっと、生理に振り回されるのよ。
あなたはまだ生理が始まってから1年とか2年くらいしかたってないでしょう。
女の子の体はすごくホルモンで変わるから。
排卵が終わると生理までの間の2週間はぜんぜんダメ、生理のあとの2週間は元気でハッピー、そのあと2週間はまたぜんぜんダメ、って、そう考えると、女の子は人生の半分がぜんぜんダメってことだからねえ。
でもそれが女の子だから。
体の変化で、気持ちを制御できないのよね。
そしたらもうなんでも生理のせいにしちゃえばいいのよ。
親とか友達とかに、自分で自分が嫌になるようなことを言っちゃったり、ひどい態度をとっちゃったりしたときに、「でも生理なんだから仕方ないもん」って、開き直っちゃえばいいのよ。
そうやって自分を納得させると、だんだんと不調とうまく付き合えるようになるからね。
自分を甘やかすの。

と話すと、泣きながら少し納得したようだった。
もうひとりの友達に、「ところであなたの方はなんで泣いてるの。」と聞くと「え、えーと……。」
「一緒に悲しくなっちゃったのね。悲しい気持ちはうつるからね。生理は男には絶対にわからないことだよ。そうやって毎月大変な思いをしているってこと。やっぱり女の子同士にしか、わからないね。ね、お友達は大事ね。」
「えへへ」「ウフフ」

「あなたみたいにかわいくていい子が泣いていたら、私も悲しくなっちゃうわ。かわいそうだねえ。早く元気になろうねえ。」
娘よりもずっと子供の生徒たちが泣いているのが不憫で、あまりにもかわいいし気の毒で、私も一緒に少し泣いた。
歳をとると涙もろくなるけど、彼女たちもビックリしたかなあ?
先生というよりはおばあちゃんみたいね。
でも女(の子)同士は、味方同士にならないと。


# by apakaba | 2019-02-12 17:38 | 子供 | Comments(0)
2019年 02月 09日

「ササニシキ」がヘルペスでめずらしく大変

ここ1週間以上、長男「ササニシキ」の具合が悪い。
唇が腫れ上がり、血膿でベチョベチョで、朝起きると口が開かない状態(両手で少しずつ剥がす)。
口内炎もひどい。
先週は39度の熱が続き、仕事も二日間休んでいた。

近所の内科では看護師に「その顔の症状では、熱がないなら皮膚科か耳鼻科へ」と言われた。
本人は熱の自覚がなく(!)、「熱はありません」と言ってしまったという。
もとから丈夫なたちだが、高熱を自覚してないなんて、どれだけ鈍いんだろう。
行ったことのない総合病院へ行くと、熱を測ってびっくりされ、インフルエンザの検査を受けさせられた。
インフルエンザが陰性とわかると途端に医者の態度が変わり、「なんだ、インフルじゃないのか。はあ。」と言われ、結局ヘルペスの診断。
「その先生はインフルのことしか考えてないみたいだった。インフル以外の患者だと、急にあしらいが雑になる。」

ヘルペスではふつう高熱は出ないが、初めて感染すると出ることがあるらしい。
あの歳までヘルペスに感染していなかったとは驚き。
唇と口内がひどい状態なのに、塗り薬はまったく出ず、ヘルペスの飲み薬だけでいいんだと。
空気感染はしないので「仕事に行ってもいい」とも言われたと……なんじゃそりゃー。
39度ある人間に向かって、いくら感染しないからって「仕事に行ってもいい」なんて言うの?
「『あなたは39度あっても仕事するんですか』と聞こうと思った」と「ササニシキ」が言っていたが、ほんと、患者の気持ちを知らない医者っているのね。


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今日、病院送迎の合間にひとりで食べた。
今の「ササニシキ」にとっては、麺類はつらいらしい。


あんなにひどい皮膚疾患があるのに何も塗り薬を出さないなんてどういうことよ、と思っていたが、やはり飲み薬だけではよくならず、熱は4日くらいで平熱に戻ったが、見るもおぞましいままの唇と口内炎(おぞましすぎて見てない)。
今日はヘルペスの飲み薬も尽きたので(ヘルペスの薬は五日間と決まっているらしい)、もうその病院はやめ、皮膚科へ行くと、塗り薬と、抗生物質とビタミン剤が出た。
これでちゃんと治りそう。

この1週間は、病院の送迎をしたり、おかゆやら食べやすいものやらを作ったりして慌ただしかったなあ。
しかし、就職してから一度も家で夕飯を食べていなかった長男が、早く帰らせてもらって毎晩食卓につくのは、昔に戻ったようだ。
まあヘルペスにかかったのも、急に外食だらけになって、適当なものばかり食べていたから栄養状態が悪かったというのは大きいと思う。
これを機に、食生活を少しは見直しなさいと言った。

それにしても。



これを書いてから10年以上たっても、まだ私は同じことをしているのか。
車で後部座席にぐったりと横たわっている「ササニシキ」を運びながら、私がこの歳にはもう子供がふたりいて、それこそいろんな病気で病院に運んだり、自分にもうつったりしていたなあ、インフルエンザにもかかったなあ、でも私は自分で歩いて病院に行ったなあ、こいつは私がいるから幸せね……などと考えたりしていた。
そして、母が私の歳のころには胆嚢炎でたびたび夜中に痛がっていたなあ、車で病院へ連れて行ったり入院を手伝ったりしたなあ……とも思った。
私はずーっと遊撃手の手なのかも。
とにかく今は、正視に堪えない長男の顔が早くよくなってほしい。


# by apakaba | 2019-02-09 17:02 | 子供 | Comments(0)
2019年 01月 21日

「逝ってしまった友人のこと」再掲

今日、高校時代の友達と会った。
仲のよかった女子のグループだったが、大人になってからはめったに会わず、この前に会ったのは5年前、その前に会ったのは20年くらい前?
とにかく本当にたまにしか会わない。
だから昔のことをあれこれしゃべっても、私が覚えていてもみんな覚えていなかったり、誰かが覚えていたことを私だけ忘れていたりする。
高校を出てからの方が人生がずっと長くなってしまったし、仕方ないか。

1996年、高校を卒業してちょうど10年たったときに、クラスの男子が事故死をした。
私は当時書いていた、友人宛てのニュースレター(紙版時代の「あぱかば」)に追悼文を書いた。

先日、別の友達としゃべっていて、亡くなった彼のことがなぜか話題に出た。
そして私は追悼文に書いたエピソードを言いかけて、だいたいのことを忘れてしまっていることに気づいた。
あのとき、彼がこう言った、あのときはこう言った……それをきっと何年か前まではちゃんと覚えていたし、これからも忘れないと思っていたのに、忘れてしまったことに愕然とした。
とても悲しくなった。
今日も、昔の友達と会って、覚えていること、きれいさっぱり忘れてしまったことがあり、やはり人間というのは忘れる生き物なんだと実感した。

家に帰って、追悼文がPCの文書の中に残っているか探してみたら、だいぶ探したがどうにか見つかった。
よかった。
再掲することにさして意味はないが、今日なつかしい人たちと会ったことでもあるし、再掲しておく。


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「同級生の中にも、もはや亡くなっている人がいるのかもしれない。私たちがそれを知らないだけなのかも」と話した



1996年8月28日、逝ってしまった友人のこと



 6月のはじめ、高校時代の同級生だった男の子が亡くなった。もう男の子という歳でもないが17,8のころの友達なので、そういう呼び方のほうがしっくりする。
 酔って高いところから落ちたのだという。
 電話で知らせを受けたときには、何年も会っていなかったので、死んだという実感がうまく湧いてこなかった。

 仕事のしすぎで体調がよくない夫を家に残してでもお焼香をあげに行くべきなのかどうか、迷った。
 けれども友達が死ぬという出来事を生まれて初めて目の前に置かれたのに、はっきりと悲しみにつながっていってくれない自分の気持ちはひどくおさまりが悪く、このままでは、今までもこれからも顔を合わせずにいるという状態に死がなんら介在していないかのような錯覚さえ起こしかねないと感じ、黒いワンピースの皺を伸ばして告別式の会場に向かった。

 道々、現在の生活の下敷きになって埋もれていた、彼にまつわるいろんなことをだんだんと思い出してきた。

 静かな人だがいつもくすくす笑っていたような印象がある。
 卒業するときサイン帳に一言書くように頼んだら、
 「3年6組のマダム(私のことらしい)は魔女だった。”Getcha Rocks Off”」
 と書いてきたので、「これ何よ?」と聞くと、くすくす笑って
 「意味わかんないの?じゃー卒業してから教えてやるよ・・・。」
 なぜかその場では教えてくれずそのまま卒業してしまった。
 そのあとの春休みか大学生になってからかは忘れたが、絵はがきが彼から届いて
 「あのね、Getca Rocks Offってのはねえ、『むしゃくしゃしたときはロックで発散しな!』って意味だよ。子供を産んでも子供に八つ当たりすんなよ。わかった?」
 とあった。ハードロックが大好きな彼からの贈る言葉だった。切手が激しく斜めに曲がっていて、彼らしいと笑ってしまったことも、思い出した。

 大学四年の秋に、高校時代の友達10人くらいで、できたばかりの横浜ベイブリッジのあたりをドライブしたことがある。
 そのとき隣に座っていたのが彼で、
 「アンタさあ、つきあってる女性はできたの?高校のときは『女は敵』とか言ってたけど。」
 などとしゃべりながら、私がなにげなく、当時の癖で手首の関節をバキバキ鳴らしたら、くすくすどころではなくぎゃはははっと爆笑し、
 「そんなことする女は初めてだよ、そんなとこ鳴らしてんじゃねーよクックック・・・。」
 といつまでもしつこく笑っていたことも、ずうっと忘れていたのに、まるでOHPでスライドをぱらりと置かれたときみたいにはっきり思い出した。
 人の記憶って不思議だ・・・と思いながら、中野にあるお寺の門を入った。


 お焼香の列の最後尾につくと、このような場では耳にしたことのない奇妙な音が這うように斎場を満たしているのに気づき、私は音の出どころを確かめたくてきょろきょろした。
 ラジカセで彼の愛していたロックを低く流しているのだった。
 お棺の横にきれいな赤いギターが立てかけてあり、だんだんと「彼は死んでしまった」ということが身にしみてわかってきて、自然に涙が出てきた。

 私の番になったので遺影の前に立った。
 遺影というものはたいていとてもいい顔で写っていて、それが悲しみを倍増させると決まっているので、私は見たくなかったのだけれど、やっぱり見あげてしまった。
 昔と同じ笑顔だ。あの、幼いころからちっとも変わらなかったのだろう子供っぽい笑顔が、とても好きだったのだ。
 こんなことになるならもっと会っていたかった、と悔やむ気持ちが湧き上がる。ドライブして別れて以来、会いもせず近況も知らなかったくせに。
 友達なんて、当然のように、どこかで生きて元気に暮らしているという前提があればこそ、たいして懐かしく思い出しもしないものなのだな。

 高校の同級生も何人か来ていたが、ほとんど言葉を交わさなかった。みんな寂しい気持ちでいっぱいで、ぜんぜん話をしたい気分になれなかったからだ。
 私は亡父より若い人のお葬式にこれまで行ったことがなかった。年寄りのお葬式のときに漂う、あきらめと、きちんと送り出せたという安堵感というか、ほっとしたようなある種の和やかな雰囲気が、ここにはみじんもなかった。
 若い人が死ぬのがこれほど悲しくてがっかりするものだとは知らなかった。
 そして私は、友人の死という悲しみとは別に、子供に突然先立たれてしまった親の気持ちというものを、ちょっとだけ想像しただけでももうひどく泣けてしまったのだった。

 やがて花が配られ参列者がひとりずつお棺に納める。固く目が閉じられていて、彼はやはり決定的に死んでしまっていた。

 考えてみたら死に顔を間近で見るのは、父のとき以来である。父を送るとき、同じように花を持って棺に近づいたら、誰かが
 「まあ、眠ってるみたい。」
 と頭の上で言ったのだ。
 「なに言ってんのよ」と思った。
 ぜんぜんちがう。お父さんの寝ているところはしょっちゅう近くで見て私は知ってる。これはどう見たって死んじゃってる。
 9歳の私は心の中で反駁していた。
 あのときにはうまく表現できなかったが今ならこう説明できる。死んでいるひとは、皮膚を取りまく「空気」を決して動かさない。温めない。まったく何もはたらきかけないのだ。そこが死んだように眠っている人とちがうのだ、と。

 彼の顔を思い出したときにまっさきに浮かんでくる、猫を思わせるうすい明るいいろの目が、もう二度と開かれない、二度と自分と目を合わせることがないと思うとまた泣けてくる。
 べつに恋人だったわけでもなく、数ある友人の一人だったひとだけれど、なんというか、やはり死というものは重い。こんなにいろいろなことをあざやかに思い出してしまうのだから。


 帰りみちは、往きに感じていた、死に実感が湧かないという変な気分はもちろん消えていた。自分でも思いがけないくらい悲しくなって涙が止まらなかった。けれどもさんざん泣いてしまったらなんとなく・・・、さっぱりした。友人としての弔いは、果たせた、と感じられた。

 ただ、彼の遺族の方たちが、私のようにさっさと悲しみから立ち直れるはずがない。なにによっても埋め合わせられない悲しみであろうから、これから先ももっとつらい思いが続くにちがいない。遺された方たちのお気持ちを思うと、人の親の一人として胸がいっぱいになる。

 私がこんなところでこんなことを書き散らしたからといってどうなるわけでもないけれど、この文章を遠くに行ってしまった人への、最初で最後の贈る言葉としたい。

 しかし「Getcha Rocks Off」のほうがずっとスマートで、気がきいてるなあ。



# by apakaba | 2019-01-21 22:22 | 思い出話 | Comments(0)
2019年 01月 16日

遅くなりましたが、今年の抱負!(は、ついにちゃんと書けた)

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大変遅くなりました。
毎年恒例、「ササニシキ」による今年の抱負。
ついに就職して、早く仕事に慣れたい、と。
ついに彼も字を間違えずに書くこともできるようになりましたー。
「倍増」を「倍僧」と書いたり、「幸せ」を「幸也」と「幸セ」の間のような字を書いたり、毎年間違え続けていましたが。
私もライターの仕事が新しく増えたので、早く慣れたい。


# by apakaba | 2019-01-16 21:52 | 生活の話題 | Comments(0)
2019年 01月 01日

あけましておめでとうございます

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きのう、ずっと整理していなかった棚を大掃除で片付けたら、ノートの間からこんなものが!!
やったーっ!
以前は旅行中に詳細な日記を書いていたが、読み返すこともないのですべて捨てた。
そのうちの一冊にはさまっていた。
なんか今年は金運上昇する予感!がんばるぞー。
おそらく取っておけば価値が出ると思ったんだろうけど、シミだらけだし、どうせ価値なんかたいして出ないから銀行で新札に換えちゃおう。
30年くらい前の自分からお年玉ーうれしいなー。


# by apakaba | 2019-01-01 15:28 | 生活の話題 | Comments(0)
2018年 12月 30日

今年の子供たち

このブログも本当に更新が滞るようになってしまった。
学校の仕事を増やし、ライターの仕事も続けているし、トシもとるので仕方ないわね。
子供の話題も、小さかったころに較べてプライバシーにも気を遣うようになるので、なかなか載せられず。
というわけで、年末を一区切りとして、うちの3人が今年をどんなふうに暮らしていたかをふりかえろう。

長男「ササニシキ」
1年間の司法修習を修了し、やっと正式に働き始めた。
といっても、就職先の事務所の名前も知らないテキトーな母親の私。
職場はとてもいい雰囲気らしく、楽しそうにかよっている。
修習が終わった直後にスペインとイタリアに3週間近く旅行に行き、なんだか楽しかった様子。
国内旅行にもばんばん行っていたし、夏にはモンゴルに行ったし、つねに家にいない長男であった。
初心を忘れず、人のためになるよう、地道に、真面目に働く弁護士になってください。


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初めて実物を見たなあ。
新米のバッジはこのようにピカピカ。


次男「アキタコマチ」
日本で一番有名といってもいいレストランで1年間働き退職。
高校時代の同級生を招いて、一度に20人分ほどのフルコースを一人で作る会を開いていた。
その後、九州旅行とドイツ・イタリア・ギリシャ旅行に行き、学生時代にバイトしていたビストロバーでシェフ。
年が明けたら台湾へ渡り、台北の予約制フレンチレストランで働くらしい。
やはりつねに家にいない次男であった。
本当に腕が上がった。もう完全にフランス料理人の味だ。
あとは海外で、経験をさらに積むこと。がんばってください。


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これは前回友達を招いた時の写真。
料理嫌いの母親から、よくまあこんなことができる子が育ったものだ。



長女「コシヒカリ」
ヒマヒマ大学生ライフを送っていた娘も、バイトに精を出し、どうにか運転免許もとり、就職準備のための勉強を少しずつ始めたらしい。
とはいっても、まだまだぼんやりなままだ。
その割には旅行には貪欲で、国内旅行はもちろん、今年だけでイタリア、韓国、ウラジオストクへと。
イタリアとウラジオストクはひとりでツアーに参加するという、私の経験したことのない未知の旅行形式。
8月には1ヶ月間限定で金髪にもして、楽しそうにやっている。

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ウラジオストクは私が行こうと思っていたのに、先を越されたなあ。
美しい斜張橋。


なぜだか今年はとくにそう思ったが、子供の成長ほどうれしいことはない。
心からそう思う。
学校での仕事が増えて、子供というものに接する機会が倍増したせいもあるだろう。
自分の子供の成長を見ていると、仕事で見ている中学生たちの未来を見るようでもある。


# by apakaba | 2018-12-30 19:31 | 子供 | Comments(0)